2023年06月
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銀河鉄道の父より
銀河鉄道の父と言う映画を見てきました。
故郷岩手の自然、仏教への深い信仰の中で身に着けた宗教・死生観、高等農林で学んだ、農業・化学を中心とした科学的な知見を織り交ぜた独自の世界観を描いた作家宮沢賢治、それを支えた父正次郎とホームドラマの枠組みで考えると明らかに外れた「ダメ人間」としての賢治を描いたのがこの映画です。
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私塾羅須地人教会で農民たちと「星めぐりの歌」を歌う賢治@>銀河鉄道の父より
映画では中学を卒業した賢治と父親の家業である質屋を巡る対立、その中で信仰に逃げ込み家出する賢治、妹のトシが病を起こしたことをきっかけに家に戻りトシが望んだ詩・物語の創作が始まり、そして創作の原動力となったトシの死後政次郎の叱咤で創作を続け、またもともと考えていた「搾取されている農民の助けになりたい」と言う目標の為、私塾羅須地人教会を開設し、昼は農業技術の講義、夜は農民たちとチェロを弾きながら合唱し、やがて豊かな実りの秋を迎えます。しかしその後結核を発病し、その中でも相談に来る農民には丁寧に対応し、最期父正次郎、弟清六ら家族に看取られて死んでいきます。
個人的には賢治を菅田将暉さんが演じるので興味を持って見に行ったのですが、そもそも星めぐりの歌の合唱にもある様に作曲を行い自ら歌う事もあったり、狂ったようにお経を唱える場面もあった事から思った以上にマッチしていたと思います。そしてやはり最後の実りのシーン、冬の朝のはっとするような美しさ等する自然の光景には一見の価値があるのかなと思いました。
さてここまで感想を書いてきましたが純粋な銀河鉄道の父の感想だけを見たい方はここで終わりブラウザバックを、ここから先はネタバレやネガティブな論調もあるため、それでもOKなかただけどうぞ
この銀河鉄道の父を映画館で見ていた時一番思い出したのは上の事件、スクリーンで賢治が病気になった時に仕事おっぽり出して賢治の看病に向かう政次郎の姿を見る度にこの事件の犯人が燻っている息子と共にコミケで売り子をやっていたというネットの俗説が思い出されてなりませんでした。そして何より賢治が結核と言う淵の病で37歳で死んだと言う映画内での話を考えると作り手がそう考えたわけではないと思いますが「中高年のニート男性が救済されるには親が健在なうちに死ぬしかないのか」と言う考えが思わずにいられませんでした。
しかし映画を見た後賢治とその周辺を少し調べて見ると多分賢治が長生きし、60歳くらいまで生きたとしても意外に大丈夫だったのではと感じました。ただ2023年、上の元農水事務次官長男殺害事件から4年経った今映画化するのにあたり、何故そう言った部分を書かなかったり軽視するのかなと言う疑問を考えていく意味でも少し書いてみたいと思います。
章立てと言うわけではないですが大まかにこんな視点で書いていこうかと思います。
宮沢政次郎:「宮沢賢治」に投資した「宮沢家」の経営者、投資家
宮沢清六:「宮沢家」を継いだ男
宮沢賢治:ダメ男なりの社会との関り
農民たち:政次郎・賢治双方に関わった人たち
宮沢政次郎:「宮沢賢治」に投資した「宮沢家」の経営者、投資家
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銀河鉄道の父より
この映画の主役賢治の父である政次郎は家業である農民相手の質屋を経営する経営者であり、田舎の名士であるだけに新聞を読むシーンが目立ちました。しかしどのような記事が書かれていたかの言及がないのが残念でした。質屋さんがどの様なニュースに興味を示すのか、そして場面がどんな時期かと言うのが分からなかったのが残念でした。
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明治10年(1877年) - 昭和14年(1939年)の名古屋米穀取引所格付清算取引相場一覧表より作成(1石当たり円) 米価の変遷@Wikipedia
もし私なりに政次郎がどの様なニュースを読んでいたのかを考えるなら、「コメ相場」は最重要に近い内容だったのではないかと思います。何故なら米価があがればお金を貸している相手である農民が潤い彼らが返済する可能性は高くなる反面、米価が下がれば彼らが破綻する可能性は高く、破綻すれば花巻から出て行って再びお店に足を運ぶ可能性は低くなるからです。
そしてこの時期の米価を見ると対前年比5%以内の変動が23年間で4度と非常に不安定であり、かつ第一次大戦やシベリア出兵、満州事変などの戦争時は高騰、昭和初期などの平時は5%以上の下落が起こると言った感じです。特に賢治が盛岡中学を卒業した大正3年は朝鮮併合で朝鮮半島から安い移入米が入ってくるようになった影響からか20%近い下落が見られます。その後第一次大戦及びシベリア出兵により高騰した為大正後期は1石辺り30円を超える比較的高い値段で推移しますが、平時には下落圧力が高くなることが予想され、政次郎にとってはどこかでこれまでの家業である「農民相手の金融業(質屋)からの脱却」が課題になっていたのではないかと思います。実際映画でも最後は賢治の弟清六によって「脱質屋」を達成し、「結局賢治の言った鉱物を売るのか」と言ったセリフも出て来ています。
その前提で言えば賢治の様々な逸脱にも別の意味合いを持ってきます。賢治の作品は確かに売れませんでしたが、朝日新聞などで紹介されたりする形で「質屋」では接点の持てなかった繋がりが出来たことになります。実際戦争時になりますが高村光太郎氏が宮沢家に疎開したという話はそう言った繋がりの意味を示すことになります。
言って見れば「宮沢家」の経営者である政次郎にとってみては賢治の童話はそれ単独では確かに採算が取れないかもしれませんが「宮沢家」の新規事業・顧客開拓と言う「投資」の意味合いを持ち、「宮沢家」で利益を回収する可能性のある事業だったのではないでしょうか?
宮沢清六:「宮沢家」を継いだ男
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銀河鉄道の父より
さて続いてはこの作品では影の薄い賢治の弟清六氏、地味ではあるものの彼が果たした役割が大きいです。
・賢治が引き継がなかった「宮沢家」の経営者のポジションを引き継ぐ
・「宮沢家」の業態転換を果たし少なくとも没落させなかった
・ある意味「ごく潰し」の賢治に悪感情を持たず、政次郎の「投資」も引き継いだ
映画では地味ですが羅須地人教会の合唱のシーンで父政次郎と共に参加している事、そして賢治が死の床で清六に原稿を託すシーンが印象深いです。
映画の時間軸とはずれますが、清六氏は戦後宮沢賢治が多くの人の認知されるために積極的に活動し、宮沢賢治を語るうえでは父政次郎以上のキーパーソンとなっています。言って見れば父が投資した「宮沢賢治」の価値をきちんと理解していたという事になります。
そして最終的には宮沢賢治の存在は地域に欠かせない存在となったというのは政次郎、清六2代にわたった「宮沢家」の投資が大きな実りを見せた結果と言えます。
宮沢賢治:ダメ男なりの社会との関り
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銀河鉄道の父より
さて映画では描かれていなかった点として徴兵の話があります。当時の男性の国民の義務であった徴兵制ですが、興味深いエピソードとして上のエピソードがあります。父政次郎が徴兵検査延期を進めるのに対して、きちんと徴兵検査を受けた賢治と言う構図です。映画では「質屋は農民を搾取している」と父政次郎に反発した賢治がある意味で「農民たちと同じルールの下で」徴兵検査を受けたというのは筋が通った話だと思います。言って見れば社会に対してきちんと義務を果たすというスタンス、映画では取り上げられなかった話ですが、興味深いところです。
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昭和10年代の陸軍・海軍大臣
そして徴兵制の話が出たのでもう少し書くと興味深いのは賢治が出た盛岡中学は昭和10年代最も陸軍・海軍大臣を輩出した学校と言う点です。実際満州事変を主導した板垣征四郎陸軍大臣、終戦に奔走した米内光政海軍大臣、近衛内閣で海軍大臣を務めた及川古志郎の3人です。背景には大きな産業が少ない岩手県のエリートにとって軍隊がその能力や夢を託せる場とし存在感が大きかったという事になると思います。
またエリートでない農民にとっては都会のエリートにとっては地獄の軍隊生活もそれ以上に地獄の実家に比べてましと言うケースもあったようです。実際上で書いた様にコメ相場が高騰し、農民の生活が潤うのは「第一次大戦、シベリア出兵、満州事変などの戦時」と考えるとエリートとは違う理由とは言え、農民たちにとっても軍隊の印象は決して悪いものではないと思います。
そして映画ではどっててどっててどててど〜と言う独特のリズムの軍歌が印象的な「月夜のでんしんばしら」が病床のトシの為に描かれその軍歌と共に出てきます。軍国主義的な描かれ方はしませんが、電信・電気・鉄道と同じような存在としてポジティブに描かれているのはある意味で賢治の軍隊観の1つの側面と言えるのかもしれません。そしてそれは岩手の人達全体のイメージに近いとも言えるわけです。
さてもう1つ追加で書くとこの映画では賢治は働かないニートの様に描かれていますが、実際はそれに近いのは盛岡高等農林研究員卒業から家出・上京するまでのわずかな期間と今で言えばNPO専従とも言える羅須地人教会設立後東北砕石工場技師になるまでの期間、あとは病気療養中が比較的それに近いもののトシ病気時に帰郷してから5年弱農学校教師を行うなどニートと言うのは無理があります。映画では羅須地人教会がいきなりできて賢治が農民相手に講義をしたり合唱をしたりしていますが、もともと「岩手高等農林(現岩手大学農学部)を優秀な成績で卒業した農学校の先生」故に農民たちが集まり、様々な農業指導なども行い東北砕石工場からの誘いでエンジニアにもなっています。確かに学歴などから考えてバリバリやっている訳ではないものの、気難しく病弱ながら「高等農林で学んだ知識」を利用して「厳しい立場にある農民たちを下支えする」と言う人生のテーマにやれる範囲で頑張っている様子が見て取れるのではないでしょうか?
農民たち:政次郎・賢治双方に関わった人たち [画像:kenji3]
明治10年(1877年) - 昭和14年(1939年)の名古屋米穀取引所格付清算取引相場一覧表より作成(1石当たり円) 米価の変遷@Wikipedia
さてこの映画では政次郎にとっての質屋の客、賢治にとっては羅須地人教会の会員(?)と言う意味で本来なら重要な存在である農民たち、映画では以下の様な人達が出て来ています。
・例えば世間話で上手く政次郎から借りる金を増やす女性客
・このままじゃ「娘身売りするかもしれない」と賢治に泣き落としをする男性客
・羅須地人教会で賢治の講義を受けたり合唱に参加する人たち
・病床の賢治を訪ね作物の生育を相談する人たち
驚くほど少ないですが一番印象に残るのは最後の病床の賢治を訪ねた人でしょうか?実際他は質屋でお金を借りるお客さんはそれらしく、勉強をしたり、合唱したりするのも平時と言う感じがします。しかし最後の人だけは療養中の病人を夜遅く尋ねる段階で切羽詰まっているのが見て取れます。
この時期は昭和8年、昭和に入ってから6年連続で5%以上米価が下がり昭和6年にはピークの半分程度まで米価が落ちた上に昭和6年に東北地方で大凶作だった事で農家の破綻が相次ぎました。
実際この時期こそ借金返済のために身売りする娘や欠食児童と呼ばれる餓死寸前の子供たちがあふれた昭和農業恐慌の時代、賢治の住む岩手県はそのど真ん中と言って良い地域でした。
そしてその悲惨な光景は226事件と言う戦前最大のクーデター未遂に繋がる大きな原動力の1つとなり、後に軍国主義と繋がる事となりました。
そんな中映画では取り上げられなかったものの病床の賢治は『グスコーブドリの伝記』と言う作品を発表します。確かにテロではないものの冷害に苦しむ故郷を火山の噴火によって排出されたCO2の温暖化で救おうという、しかも賢治同様に農業に関わる技師である主人公ブドリが最終的に自らの命を犠牲にするという点も含め過激な話です。言って見れば賢治にとってこの時期の故郷はそれを書かせるくらい悲惨な状況であり、羅須地人教会を設立してからの決して短くない時期はそこに至るまでの農村の苦境との戦いでもあった訳です。
賢治自身多分その戦いの武器はあくまで「自ら身に着けた農業に関する知識」である以上武器を持つテロを志向した訳ではないですが、その活動に関しては新聞で取り上げられる反面、社会主義教育と疑われ警察の聴取を受ける等単純ではない評価がなされたと言って良いと思います。
まとめ〜宮沢家にあったもの〜
さてここまで見てきた中で賢治の宮沢家が元農水事務次官長男殺害事件の1家が持たなかったものを纏めると以下になるのではと感じます。
1,宮沢家と言う賢治を包摂できるしっかりとした家があった事
2,宮沢家が商売上転換点にあり試行錯誤の面を持った時期であったこと
3,賢治自身がその地域社会が求める義務や雰囲気を基本的には受け入れる資質のあった人物である事
4,賢治自身が人生の明確な一貫したテーマを持ち学び活動していたこと
1に関しては良く「実家が太い」と言う言い方をしますが、単にお金を持っているというだけでなく賢治が継げないのであれば弟の清六氏が継ぐ部分も含めてとなります。戦後清六氏が賢治の作品が世に出るのに大きな役割を果たした部分も含めると宮沢賢治と言う作家は賢治個人だけでなく「宮沢家」とのコラボレーションした作家とすら思えてきます。
2は確かに賢治は「宮沢家」の家業から外れた存在ではあったものの映画では朝日新聞など家業からは出てこない存在と「宮沢家」を繋ぐ存在として「宮沢家」が新しい一歩を踏み出すために貢献したという見方もできます。
3は映画ではどちらかと言えば逆の書かれ方をしていますが、徴兵制の対応だけでなく『鹿踊りのはじまり』等花巻と言う地域にきちんと根を張った、少なくとも張ろうと努力した人間ではないかと思います。
4に関しては「農民たちを支える」と言うミッションがあった為に純粋に無業であった時期は少なく「農学校の先生」や「羅須地人教会」等に繋がってきています。
面白いのはこれらは「イエ制度」や「徴兵・軍隊」、「軍国主義につながった農村の疲弊」みたいな本当は取り上げたくなかったんだろうなと言うテーマに近く、そしてこれらのテーマの描写が少ないながらも映画でなされたことでしょう。「イエ制度」では清六氏、「徴兵・軍隊」では「月夜のでんしんばしら」、「軍国主義につながった農村の疲弊」では病床に尋ねてきた農民、もしかしたら銀河鉄道の父と言う映画はそう言った部分を想像しながら楽しむ映画なのかもしれません。
長々と書いてきましたがこれを読んで銀河鉄道の父と言う映画や宮沢賢治と言う人物、それを取り巻く環境なんかに興味を持っていただけたら幸いです。
銀河鉄道の父より
銀河鉄道の父と言う映画を見てきました。
宮沢賢治@Wikipediaより
仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴ(Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。
故郷岩手の自然、仏教への深い信仰の中で身に着けた宗教・死生観、高等農林で学んだ、農業・化学を中心とした科学的な知見を織り交ぜた独自の世界観を描いた作家宮沢賢治、それを支えた父正次郎とホームドラマの枠組みで考えると明らかに外れた「ダメ人間」としての賢治を描いたのがこの映画です。
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私塾羅須地人教会で農民たちと「星めぐりの歌」を歌う賢治@>銀河鉄道の父より
映画では中学を卒業した賢治と父親の家業である質屋を巡る対立、その中で信仰に逃げ込み家出する賢治、妹のトシが病を起こしたことをきっかけに家に戻りトシが望んだ詩・物語の創作が始まり、そして創作の原動力となったトシの死後政次郎の叱咤で創作を続け、またもともと考えていた「搾取されている農民の助けになりたい」と言う目標の為、私塾羅須地人教会を開設し、昼は農業技術の講義、夜は農民たちとチェロを弾きながら合唱し、やがて豊かな実りの秋を迎えます。しかしその後結核を発病し、その中でも相談に来る農民には丁寧に対応し、最期父正次郎、弟清六ら家族に看取られて死んでいきます。
個人的には賢治を菅田将暉さんが演じるので興味を持って見に行ったのですが、そもそも星めぐりの歌の合唱にもある様に作曲を行い自ら歌う事もあったり、狂ったようにお経を唱える場面もあった事から思った以上にマッチしていたと思います。そしてやはり最後の実りのシーン、冬の朝のはっとするような美しさ等する自然の光景には一見の価値があるのかなと思いました。
さてここまで感想を書いてきましたが純粋な銀河鉄道の父の感想だけを見たい方はここで終わりブラウザバックを、ここから先はネタバレやネガティブな論調もあるため、それでもOKなかただけどうぞ
元農水事務次官長男殺害事件@Wikipediaより
元農水事務次官長男殺害事件(もとのうすいじむじかんちょうなんさつがいじけん)は、2019年6月1日、元農林水産事務次官の父親K(当時76歳)が東京都練馬区にある自宅において、無職の長男E(当時44歳)を刺殺した事件である[1]。
犯行の動機は、一審公判では長男Eからの家庭内暴力とされたが[2]、3日前の2019年5月28日に川崎市登戸通り魔事件が起きており、父親Kが逮捕時に「この事件が頭に浮かんで不安に思い長男を殺害した」と供述した[3][4]ことから、マスメディアでは相次いで起こった2つの殺人事件を結びつけ、引きこもりの高齢化による「8050問題」[5]として報道されることが多かった[6][7]。〜中略〜
他、長男はゲームやアニメ関係の就職を希望していたがうまくいかず失敗し、見かねた父親の案でコミックマーケットに参加もするもうまくいかなかった。その後一時は父親により長男は病院の関連施設に就職したものの退職し、事件直前は無職であった[8]。事件までは20年以上実家を離れ、母親(父親Kの妻)が所有する東京都内の一軒家に一人暮らしをしていた[8]。〜中略〜
また、Kの長女(被害者の妹)は事件の5年ほど前に、引きこもりの兄の存在により縁談が悉く破談となったのを苦にして精神を病み、自宅で命を絶っている。
この銀河鉄道の父を映画館で見ていた時一番思い出したのは上の事件、スクリーンで賢治が病気になった時に仕事おっぽり出して賢治の看病に向かう政次郎の姿を見る度にこの事件の犯人が燻っている息子と共にコミケで売り子をやっていたというネットの俗説が思い出されてなりませんでした。そして何より賢治が結核と言う淵の病で37歳で死んだと言う映画内での話を考えると作り手がそう考えたわけではないと思いますが「中高年のニート男性が救済されるには親が健在なうちに死ぬしかないのか」と言う考えが思わずにいられませんでした。
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しかし映画を見た後賢治とその周辺を少し調べて見ると多分賢治が長生きし、60歳くらいまで生きたとしても意外に大丈夫だったのではと感じました。ただ2023年、上の元農水事務次官長男殺害事件から4年経った今映画化するのにあたり、何故そう言った部分を書かなかったり軽視するのかなと言う疑問を考えていく意味でも少し書いてみたいと思います。
章立てと言うわけではないですが大まかにこんな視点で書いていこうかと思います。
宮沢政次郎:「宮沢賢治」に投資した「宮沢家」の経営者、投資家
宮沢清六:「宮沢家」を継いだ男
宮沢賢治:ダメ男なりの社会との関り
農民たち:政次郎・賢治双方に関わった人たち
宮沢政次郎:「宮沢賢治」に投資した「宮沢家」の経営者、投資家
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銀河鉄道の父より
この映画の主役賢治の父である政次郎は家業である農民相手の質屋を経営する経営者であり、田舎の名士であるだけに新聞を読むシーンが目立ちました。しかしどのような記事が書かれていたかの言及がないのが残念でした。質屋さんがどの様なニュースに興味を示すのか、そして場面がどんな時期かと言うのが分からなかったのが残念でした。
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明治10年(1877年) - 昭和14年(1939年)の名古屋米穀取引所格付清算取引相場一覧表より作成(1石当たり円) 米価の変遷@Wikipedia
もし私なりに政次郎がどの様なニュースを読んでいたのかを考えるなら、「コメ相場」は最重要に近い内容だったのではないかと思います。何故なら米価があがればお金を貸している相手である農民が潤い彼らが返済する可能性は高くなる反面、米価が下がれば彼らが破綻する可能性は高く、破綻すれば花巻から出て行って再びお店に足を運ぶ可能性は低くなるからです。
そしてこの時期の米価を見ると対前年比5%以内の変動が23年間で4度と非常に不安定であり、かつ第一次大戦やシベリア出兵、満州事変などの戦争時は高騰、昭和初期などの平時は5%以上の下落が起こると言った感じです。特に賢治が盛岡中学を卒業した大正3年は朝鮮併合で朝鮮半島から安い移入米が入ってくるようになった影響からか20%近い下落が見られます。その後第一次大戦及びシベリア出兵により高騰した為大正後期は1石辺り30円を超える比較的高い値段で推移しますが、平時には下落圧力が高くなることが予想され、政次郎にとってはどこかでこれまでの家業である「農民相手の金融業(質屋)からの脱却」が課題になっていたのではないかと思います。実際映画でも最後は賢治の弟清六によって「脱質屋」を達成し、「結局賢治の言った鉱物を売るのか」と言ったセリフも出て来ています。
宮沢賢治生誕120年"賢治さん"と祖父の思いを後世へ@TOHK.netより
「東京大空襲で家とアトリエが焼けてしまい、光太郎先生が花巻の宮沢家に疎開していた時のことです。念のため防空壕を作っておいた方が良いとアドバイスされました。祖父は裏庭に防空壕を掘り、土蔵と二つに分けて賢治さんの手帳や作品原稿、資料などを保管しておいたそうです」
その前提で言えば賢治の様々な逸脱にも別の意味合いを持ってきます。賢治の作品は確かに売れませんでしたが、朝日新聞などで紹介されたりする形で「質屋」では接点の持てなかった繋がりが出来たことになります。実際戦争時になりますが高村光太郎氏が宮沢家に疎開したという話はそう言った繋がりの意味を示すことになります。
言って見れば「宮沢家」の経営者である政次郎にとってみては賢治の童話はそれ単独では確かに採算が取れないかもしれませんが「宮沢家」の新規事業・顧客開拓と言う「投資」の意味合いを持ち、「宮沢家」で利益を回収する可能性のある事業だったのではないでしょうか?
宮沢清六:「宮沢家」を継いだ男
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銀河鉄道の父より
さて続いてはこの作品では影の薄い賢治の弟清六氏、地味ではあるものの彼が果たした役割が大きいです。
・賢治が引き継がなかった「宮沢家」の経営者のポジションを引き継ぐ
・「宮沢家」の業態転換を果たし少なくとも没落させなかった
・ある意味「ごく潰し」の賢治に悪感情を持たず、政次郎の「投資」も引き継いだ
映画では地味ですが羅須地人教会の合唱のシーンで父政次郎と共に参加している事、そして賢治が死の床で清六に原稿を託すシーンが印象深いです。
宮沢賢治生誕120年"賢治さん"と祖父の思いを後世へ@TOHK.netより
宮沢賢治の作品で生前に出版されたのは、童話集『注文の多い料理店』と、詩集『春と修羅』の2冊のみでした。
「現在、世の中に出ている作品のほとんどは、祖父の清六を通して本になり発表されました。最初はどこの出版社からも相手にしてもらえなかったそうです。祖父は尊敬する兄の賢治さんが残した原稿を、世に出すことに使命感を持って、周囲の助けを得ながら根気強く東京の出版社を回りました」
映画の時間軸とはずれますが、清六氏は戦後宮沢賢治が多くの人の認知されるために積極的に活動し、宮沢賢治を語るうえでは父政次郎以上のキーパーソンとなっています。言って見れば父が投資した「宮沢賢治」の価値をきちんと理解していたという事になります。
宮沢賢治を追いかけて@花巻市観光協会より
賢治の愛した胡四王山山頂付近に建つ「宮沢賢治記念館」は、地域や信仰、科学、農村などといったキーワードで賢治の生涯を紹介。愛用のチェロや自筆原稿など、ここでしか見られない展示も多く、彼の足跡をたどるには欠かせない施設です。そばには「宮沢賢治イーハトーブ館」や「宮沢賢治童話村」もあります。
そして最終的には宮沢賢治の存在は地域に欠かせない存在となったというのは政次郎、清六2代にわたった「宮沢家」の投資が大きな実りを見せた結果と言えます。
宮沢賢治:ダメ男なりの社会との関り
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銀河鉄道の父より
宮沢賢治@Wikipediaより
1918年(大正7年)、卒業を控えた賢治に父の政次郎は研究生として農学校に残り、徴兵検査を延期することを勧めるが、賢治は得業論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』[2]を提出し、検査延期を拒否
さて映画では描かれていなかった点として徴兵の話があります。当時の男性の国民の義務であった徴兵制ですが、興味深いエピソードとして上のエピソードがあります。父政次郎が徴兵検査延期を進めるのに対して、きちんと徴兵検査を受けた賢治と言う構図です。映画では「質屋は農民を搾取している」と父政次郎に反発した賢治がある意味で「農民たちと同じルールの下で」徴兵検査を受けたというのは筋が通った話だと思います。言って見れば社会に対してきちんと義務を果たすというスタンス、映画では取り上げられなかった話ですが、興味深いところです。
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昭和10年代の陸軍・海軍大臣
そして徴兵制の話が出たのでもう少し書くと興味深いのは賢治が出た盛岡中学は昭和10年代最も陸軍・海軍大臣を輩出した学校と言う点です。実際満州事変を主導した板垣征四郎陸軍大臣、終戦に奔走した米内光政海軍大臣、近衛内閣で海軍大臣を務めた及川古志郎の3人です。背景には大きな産業が少ない岩手県のエリートにとって軍隊がその能力や夢を託せる場とし存在感が大きかったという事になると思います。
田舎の農家の次男だった人の話
— そこつ猫 (@hasty_cat) April 11, 2021
実家にいた頃は重労働で衣食住は家畜並み。それが軍隊では三食食べれて服も支給され、綿の入った布団で寝られる。ビンタを食らっても軍事訓練も家にいた頃より楽。戦地から生還しても故郷には帰らなかったそうです。
またエリートでない農民にとっては都会のエリートにとっては地獄の軍隊生活もそれ以上に地獄の実家に比べてましと言うケースもあったようです。実際上で書いた様にコメ相場が高騰し、農民の生活が潤うのは「第一次大戦、シベリア出兵、満州事変などの戦時」と考えるとエリートとは違う理由とは言え、農民たちにとっても軍隊の印象は決して悪いものではないと思います。
月夜のでんしんばしら@Wikipediaより
「月夜のでんしんばしら」(つきよのでんしんばしら)は、宮沢賢治の童話のひとつ。童話集『注文の多い料理店』に収録されている。 どこまでも続く電信柱の列を軍隊行進になぞらえ、また電気・通信の黎明期らしいエピソードが興味深い寓話である。21世紀になって、石川啄木の短歌「かぞえたる子なし一列驀地(ましぐら)に北に走れる電柱の数」や、執筆当時のシベリア出兵との関連が指摘されている[1]。
そして映画ではどっててどっててどててど〜と言う独特のリズムの軍歌が印象的な「月夜のでんしんばしら」が病床のトシの為に描かれその軍歌と共に出てきます。軍国主義的な描かれ方はしませんが、電信・電気・鉄道と同じような存在としてポジティブに描かれているのはある意味で賢治の軍隊観の1つの側面と言えるのかもしれません。そしてそれは岩手の人達全体のイメージに近いとも言えるわけです。
宮沢賢治@Wikipediaより
1921年(大正10年)
1月23日 - 上京、国柱会本部を訪問。本郷菊坂町に下宿、働きながら多くの童話を執筆。
8月 - トシ病気のため帰郷。
12月3日 - 稗貫農学校(後の花巻農学校)教師となる。
1926年(大正15年)
3月31日 - 花巻農学校を依願退職。
4月 - 花巻町下根子桜の別宅にて独居自炊。私塾「羅須地人協会」を設立。
1928年(昭和3年)
6月 - 農業指導のため伊豆大島の伊藤七雄を訪問。
8月10日 - 過労で倒れ、両側肺湿潤と診断される。実家に戻り療養。
1930年(昭和5年)
5月 - 東北砕石工場主の鈴木東蔵の訪問を受ける。
1931年(昭和6年)
2月21日 - 体調回復し、東北砕石工場技師となる。石灰肥料の宣伝販売を担当。
9月20日 - 商品売り込みのため上京中に発熱で倒れ、旅館で家族に遺書を書く。
9月28日 - 花巻に帰り、再び療養生活を送る。
さてもう1つ追加で書くとこの映画では賢治は働かないニートの様に描かれていますが、実際はそれに近いのは盛岡高等農林研究員卒業から家出・上京するまでのわずかな期間と今で言えばNPO専従とも言える羅須地人教会設立後東北砕石工場技師になるまでの期間、あとは病気療養中が比較的それに近いもののトシ病気時に帰郷してから5年弱農学校教師を行うなどニートと言うのは無理があります。映画では羅須地人教会がいきなりできて賢治が農民相手に講義をしたり合唱をしたりしていますが、もともと「岩手高等農林(現岩手大学農学部)を優秀な成績で卒業した農学校の先生」故に農民たちが集まり、様々な農業指導なども行い東北砕石工場からの誘いでエンジニアにもなっています。確かに学歴などから考えてバリバリやっている訳ではないものの、気難しく病弱ながら「高等農林で学んだ知識」を利用して「厳しい立場にある農民たちを下支えする」と言う人生のテーマにやれる範囲で頑張っている様子が見て取れるのではないでしょうか?
農民たち:政次郎・賢治双方に関わった人たち [画像:kenji3]
明治10年(1877年) - 昭和14年(1939年)の名古屋米穀取引所格付清算取引相場一覧表より作成(1石当たり円) 米価の変遷@Wikipedia
さてこの映画では政次郎にとっての質屋の客、賢治にとっては羅須地人教会の会員(?)と言う意味で本来なら重要な存在である農民たち、映画では以下の様な人達が出て来ています。
・例えば世間話で上手く政次郎から借りる金を増やす女性客
・このままじゃ「娘身売りするかもしれない」と賢治に泣き落としをする男性客
・羅須地人教会で賢治の講義を受けたり合唱に参加する人たち
・病床の賢治を訪ね作物の生育を相談する人たち
驚くほど少ないですが一番印象に残るのは最後の病床の賢治を訪ねた人でしょうか?実際他は質屋でお金を借りるお客さんはそれらしく、勉強をしたり、合唱したりするのも平時と言う感じがします。しかし最後の人だけは療養中の病人を夜遅く尋ねる段階で切羽詰まっているのが見て取れます。
この時期は昭和8年、昭和に入ってから6年連続で5%以上米価が下がり昭和6年にはピークの半分程度まで米価が落ちた上に昭和6年に東北地方で大凶作だった事で農家の破綻が相次ぎました。
新聞資料 東北大凶作 無明舎出版より
飢えを巡って悲惨・人と熊との闘争@東京日日新聞昭和6年
共作に悩む農村から奪われゆく娘たち@東京日日新聞昭和6年12月25日
凶作地の農民から配給米に矢の催促2月分の配給を未だ行わぬ「選挙利用」非難起る@東京日日新聞昭和7年3月19日
7万余に達した凶作地方救済児童文部省の調査完了@北海タイムス昭和7年4月2日
死に瀕する児童2千町村に徹底的救療を促す@河北新報青森版昭和7年5月20日
豚も痩せゆく借金1人当たり千円鶏卵1銭は何を語る@東京日日新聞昭和7年6月5日
この悲惨事!売られた娘千五百凶作が本県農漁村に及ぼした影響@東奥日報昭和8年5月13日
東京駅に涙の一家夢に描いた南米移民@東京日日新聞昭和9年11月11日
実際この時期こそ借金返済のために身売りする娘や欠食児童と呼ばれる餓死寸前の子供たちがあふれた昭和農業恐慌の時代、賢治の住む岩手県はそのど真ん中と言って良い地域でした。
二・二六事件@Wikipediaより
隊付将校が政治的な思想を持つに至った背景の一つには、当時の農村漁村の窮状がある。隊付将校は、徴兵によって農村漁村から入営してくる兵たちとじかに接する立場であるがゆえに、兵たちの実家の農村漁村の窮状を知り憂国の念を抱いた。 たとえば、2.26事件に参加した高橋太郎(事件当時少尉)の事件後の獄中手記に、高橋が歩兵第3連隊で第一中隊の初年兵教育係であったときを回想するくだりがある。高橋が初年兵身上調査の面談で家庭事情を聞くと、兵が「姉は...」といって口をつぐみ、下を向いて涙を浮かべる。高橋は、兵の姉が身売りされたことを察して、それ以上は聞かず、初年兵調査でこのような情景が繰り返されることに暗然として嘆息する。高橋は「食うや食わずの家族を後に、国防の第一線に命を致すつわもの、その心中は如何ばかりか。この心情に泣く人幾人かある。この人々に注ぐ涙があったならば、国家の現状をこのままにはして置けない筈だ。殊に為政の重職に立つ人は」と書き残している。
そしてその悲惨な光景は226事件と言う戦前最大のクーデター未遂に繋がる大きな原動力の1つとなり、後に軍国主義と繋がる事となりました。
グスコーブドリの伝記@Wikipediaより
『グスコーブドリの伝記』(グスコーブドリのでんき)は、大正後期を中心に活動した童話作家・宮沢賢治によって書かれた童話。1932年(昭和7年)4月に刊行された雑誌『児童文学』第2号にて発表された。賢治の代表的な童話の一つであり、生前発表された数少ない童話の一つでもある。〜中略〜
グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーブの森に暮らす樵(きこり)の息子として生まれた。冷害による飢饉で両親を失い、妹と生き別れ、工場に労働者として拾われるも火山噴火の影響で工場が閉鎖するなどといった苦難を経験するが、農業に携わったのち、クーボー大博士に出会い学問の道に入る。課程の修了後、彼はペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師となり、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。前後して、無事成長し牧場に嫁いでいた妹との再会も果たすのであった。
ところが、ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われる。カルボナード火山を人工的に爆発させることで大量の炭酸ガスを放出させ、その温室効果によってイーハトーブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。しかし、クーボー博士の見積もりでは、その実行に際して誰か一人は噴火から逃げることができなかった。犠牲を覚悟したブドリは、彼の才能を高く評価するが故に止めようとするクーボー博士やペンネン老技師を冷静に説得し、最後の一人として火山に残った。ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われたのだった。
そんな中映画では取り上げられなかったものの病床の賢治は『グスコーブドリの伝記』と言う作品を発表します。確かにテロではないものの冷害に苦しむ故郷を火山の噴火によって排出されたCO2の温暖化で救おうという、しかも賢治同様に農業に関わる技師である主人公ブドリが最終的に自らの命を犠牲にするという点も含め過激な話です。言って見れば賢治にとってこの時期の故郷はそれを書かせるくらい悲惨な状況であり、羅須地人教会を設立してからの決して短くない時期はそこに至るまでの農村の苦境との戦いでもあった訳です。
宮沢賢治@Wikipediaより
1927年(昭和2年) 2月1日 - 『岩手日報』夕刊で賢治の活動が紹介されるが、社会主義教育と疑われ警察の聴取を受ける。以後、羅須地人協会の集会は不定期になった。
賢治自身多分その戦いの武器はあくまで「自ら身に着けた農業に関する知識」である以上武器を持つテロを志向した訳ではないですが、その活動に関しては新聞で取り上げられる反面、社会主義教育と疑われ警察の聴取を受ける等単純ではない評価がなされたと言って良いと思います。
まとめ〜宮沢家にあったもの〜
さてここまで見てきた中で賢治の宮沢家が元農水事務次官長男殺害事件の1家が持たなかったものを纏めると以下になるのではと感じます。
1,宮沢家と言う賢治を包摂できるしっかりとした家があった事
2,宮沢家が商売上転換点にあり試行錯誤の面を持った時期であったこと
3,賢治自身がその地域社会が求める義務や雰囲気を基本的には受け入れる資質のあった人物である事
4,賢治自身が人生の明確な一貫したテーマを持ち学び活動していたこと
1に関しては良く「実家が太い」と言う言い方をしますが、単にお金を持っているというだけでなく賢治が継げないのであれば弟の清六氏が継ぐ部分も含めてとなります。戦後清六氏が賢治の作品が世に出るのに大きな役割を果たした部分も含めると宮沢賢治と言う作家は賢治個人だけでなく「宮沢家」とのコラボレーションした作家とすら思えてきます。
2は確かに賢治は「宮沢家」の家業から外れた存在ではあったものの映画では朝日新聞など家業からは出てこない存在と「宮沢家」を繋ぐ存在として「宮沢家」が新しい一歩を踏み出すために貢献したという見方もできます。
3は映画ではどちらかと言えば逆の書かれ方をしていますが、徴兵制の対応だけでなく『鹿踊りのはじまり』等花巻と言う地域にきちんと根を張った、少なくとも張ろうと努力した人間ではないかと思います。
4に関しては「農民たちを支える」と言うミッションがあった為に純粋に無業であった時期は少なく「農学校の先生」や「羅須地人教会」等に繋がってきています。
面白いのはこれらは「イエ制度」や「徴兵・軍隊」、「軍国主義につながった農村の疲弊」みたいな本当は取り上げたくなかったんだろうなと言うテーマに近く、そしてこれらのテーマの描写が少ないながらも映画でなされたことでしょう。「イエ制度」では清六氏、「徴兵・軍隊」では「月夜のでんしんばしら」、「軍国主義につながった農村の疲弊」では病床に尋ねてきた農民、もしかしたら銀河鉄道の父と言う映画はそう言った部分を想像しながら楽しむ映画なのかもしれません。
長々と書いてきましたがこれを読んで銀河鉄道の父と言う映画や宮沢賢治と言う人物、それを取り巻く環境なんかに興味を持っていただけたら幸いです。
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写真:スープストックの去ったホームに乗り入れるファミリー層に愛されるニュータウン行電車
さて5月のランキングです。
1.Choose or Loose課題多き参院選2022その1平成女子に見る少子化対策の曲がり角
2.お金の話外伝その3 都会の独身女性と言うお客様〜スープストック騒動に思う〜
3.お金の話その4 高所得貧乏と一代果て〜資産2極化の時代に思う〜
4.平成の終わりに考えるその1〜女性の社会進出と8050問題〜
5.令和の大きな宿題その18〜中高年独身女性の貧困問題を整理する〜
1位はChoose or Loose課題多き参院選2022その1平成女子に見る少子化対策の曲がり角、1月以来の1位返り咲きとなりました。
去年の出生率1.26で過去最低 7年連続で前年を下回る@NHK2023/6/2
さて2019年の消費増税後その低下スピードが加速してきた出生率ですが2022年は2005年すら下回り、過去最低を記録したそうです。実際アベノミクス以降に就職した1991年生まれ以降の世代の出生率の低下がある事を考えるとこれまでとは違った少子化対策が必要ではないかと思います。
[フレーム]
令和のがちお金勢
3位には2月以来でお金の話その4 高所得貧乏と一代果て〜資産2極化の時代に思う〜が入りました。
もともとは「年収1000万円でも資産形成できない人が一定数いる」と言うネット記事から書いた年収ではなくて資産の格差の話、実際年収1000万円以上で資産形成が出来ない人がいる反面、年収3〜500万円でも資産形成できる人もいる状況を書いた話です。あとはちるどさんを始めとした平成中期のお金の話も掘り起こしてみました。今でも上の動画のくらまさんのような「低所得でも資産形成する人」と言うのはいますが、本当に無駄のないガチ勢感が強いのでちるどさんの様なゆるい人も紹介したかったと言うのももう1つのコンセプトです。くらまさんの話は正しいけど真似をするのはハードルが高い、だからこそゆるくて誰でも真似できそうなちるど氏の様な話は今面白いのかなと思っています。
4.平成の終わりに考えるその1〜女性の社会進出と8050問題〜が入りました。昨年3月以来1年2か月ぶりのランクイン、平成の時代が終わり、平成の様々な試行錯誤の結論が出始めて来たからこそ見られた記事なのかなぁと思います。
女性の社会進出は所謂マイノリティへのフォローと言う側面ではあるのですが同じマイノリティである外国人などが成功時に自分と同じマイノリティへ配当や投資を行っているのはよく見かけますが、主に中流層でなにも困らずに育った日本人女性の場合きちんと配当しているのか、そんな疑問が社会全体で沸きつつあるのかなぁと思います。
5位には令和の大きな宿題その18〜中高年独身女性の貧困問題を整理する〜が入りました。先月の2位から3ランクダウンです。
「月収10万円」都内で一人暮らし続ける女性の苦境@東洋経済2023年5月12日
女性の貧困、特に中高年独身女性の貧困の話はここ最近、安定して供給されています。ただ配当の話ではないですが、平成期「女性が働きやすいように」様々な方・制度整備や投資がなされて来た事を考えると段々男性同様「自己責任」と言う見方をなされるケースが増えそうに思います。
如何だったでしょうか?今月が読者の皆様にとっても私にとっても良い月になりますように
写真:スープストックの去ったホームに乗り入れるファミリー層に愛されるニュータウン行電車
さて5月のランキングです。
1.Choose or Loose課題多き参院選2022その1平成女子に見る少子化対策の曲がり角
2.お金の話外伝その3 都会の独身女性と言うお客様〜スープストック騒動に思う〜
3.お金の話その4 高所得貧乏と一代果て〜資産2極化の時代に思う〜
4.平成の終わりに考えるその1〜女性の社会進出と8050問題〜
5.令和の大きな宿題その18〜中高年独身女性の貧困問題を整理する〜
1位はChoose or Loose課題多き参院選2022その1平成女子に見る少子化対策の曲がり角、1月以来の1位返り咲きとなりました。
去年の出生率1.26で過去最低 7年連続で前年を下回る@NHK2023/6/2
さて2019年の消費増税後その低下スピードが加速してきた出生率ですが2022年は2005年すら下回り、過去最低を記録したそうです。実際アベノミクス以降に就職した1991年生まれ以降の世代の出生率の低下がある事を考えるとこれまでとは違った少子化対策が必要ではないかと思います。
2位にはお金の話外伝その3 都会の独身女性と言うお客様〜スープストック騒動に思う〜が入りました。1位の少子化の話にも結び付くのですが独身女性客の多い軽食系のチェーンスープストックによる離乳食無償提供に反発した独身女性の騒動の話、今後少子化対策の話でも彼女たちが反発する場面が多くみられるような気がします。記事としては「女性、特に独身女性の時代」としての平成の終わりを感じながら書いた記事でした。実際女性の時代としての平成を引っ張って来たバブル世代の女性の定年が見え、団塊ジュニアも50代に入っていく中、「独身女性の時代の終焉」を感じさせる出来事は増えていくんだろうなと思います。📣小さなお客さまへ
— スープストックトーキョー(公式) (@SoupStockTokyo) April 18, 2023
4月25日(火)より、Soup Stock Tokyo全店で離乳食・キッズセットの提供をはじめます。
離乳食(後期)の無料提供を全店で行うことになりました。もう少し大きくなったお子さまにはキッズセットのご用意も。ぜひ家族一緒にスープの時間をお楽しみください。🥄https://t.co/il3qoV0aMQ pic.twitter.com/CyDkX89BYZ
[フレーム]
令和のがちお金勢
3位には2月以来でお金の話その4 高所得貧乏と一代果て〜資産2極化の時代に思う〜が入りました。
もともとは「年収1000万円でも資産形成できない人が一定数いる」と言うネット記事から書いた年収ではなくて資産の格差の話、実際年収1000万円以上で資産形成が出来ない人がいる反面、年収3〜500万円でも資産形成できる人もいる状況を書いた話です。あとはちるどさんを始めとした平成中期のお金の話も掘り起こしてみました。今でも上の動画のくらまさんのような「低所得でも資産形成する人」と言うのはいますが、本当に無駄のないガチ勢感が強いのでちるどさんの様なゆるい人も紹介したかったと言うのももう1つのコンセプトです。くらまさんの話は正しいけど真似をするのはハードルが高い、だからこそゆるくて誰でも真似できそうなちるど氏の様な話は今面白いのかなと思っています。
4.平成の終わりに考えるその1〜女性の社会進出と8050問題〜が入りました。昨年3月以来1年2か月ぶりのランクイン、平成の時代が終わり、平成の様々な試行錯誤の結論が出始めて来たからこそ見られた記事なのかなぁと思います。
重光武雄@Wikipediaより
重光は実業家として成功を収めた[5]。1954年、サッカーW杯予選出場のために来日する韓国代表チームの支援活動を始める[9]。のちに1964年東京オリンピックの韓国選手団を支援した。〜中略〜
1965年の日韓基本条約によって両国関係が正常化し、1967年4月、重光も祖国に貢献するという信念を引っさげ韓国にロッテ製菓を設立[5]。日本で稼いだ資金で一方的に韓国に投資した[7]。
女性の社会進出は所謂マイノリティへのフォローと言う側面ではあるのですが同じマイノリティである外国人などが成功時に自分と同じマイノリティへ配当や投資を行っているのはよく見かけますが、主に中流層でなにも困らずに育った日本人女性の場合きちんと配当しているのか、そんな疑問が社会全体で沸きつつあるのかなぁと思います。
5位には令和の大きな宿題その18〜中高年独身女性の貧困問題を整理する〜が入りました。先月の2位から3ランクダウンです。
「月収10万円」都内で一人暮らし続ける女性の苦境@東洋経済2023年5月12日
女性の貧困、特に中高年独身女性の貧困の話はここ最近、安定して供給されています。ただ配当の話ではないですが、平成期「女性が働きやすいように」様々な方・制度整備や投資がなされて来た事を考えると段々男性同様「自己責任」と言う見方をなされるケースが増えそうに思います。
如何だったでしょうか?今月が読者の皆様にとっても私にとっても良い月になりますように
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