つれづれなるままに

2015年03月

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写真:地方の低迷を救えるものは@愛知県豊橋市
個人的に木下斉さんに恨みはないのですが、これはちょっとひどいなと思ったので少し書きたいと思います。

・そもそも地方の問題は赤字なのか
「元祖再生人」二宮金次郎に学ぶ地方創生〜薪を背負っていたのには、理由があった!〜@東洋経済online より
さて、今回のコラムは、二宮金次郎(尊徳、1787〜1856)を採り上げたいと思います。なぜ、二宮金次郎なのでしょうか。実は、彼こそ江戸時代の後期から末期にかけ、地方創生を真剣に考えていた先駆者だったからです。〜中略〜

そもそも、なぜ地域は困窮するのでしょうか。昔も今も本質は変わりません。地域が困窮するのは、行政も民間も、さまざまな事業の収支が赤字になるからです。

赤字の悪影響は、実際に生活が困窮し、借金を重ねていくというだけにとどまりません。将来に希望を持てない生活に、身も心も荒廃してしまうところにあります。

そのため、まずは慢性的に赤字になっている状況を黒字に変えるのを、彼は再生の第一歩としています。

~中略~
そのことを、二宮金次郎は「分度(ぶんど)」と呼んでいます。簡単にいえば、収入に基づいて支出を決め、黒字体質にする、ということでしょうか。

そもそもまず考えなくてはならないのはそもそも地方の問題は赤字体質という事なのでしょうか?

3大都市圏 シェア その他 その他 全体
100%以上 16 64.0% 9 36.0% 25
70%以下 9 17.3% 43 82.7% 52
全体 535 30.7% 1209 69.4% 1742

平成24年度 全国 経常収支比率 ランキング より作成した経常収支率100%以上、70%以下の自治体
(3大都市圏は東京・神奈川・埼玉・千葉・愛知・岐阜・三重・大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山の各都府県の市区町村)


まず行政に関してみていきます。上の表は経常収支比率と言う人件費や公債費など必ず支払いをしなければならない支出に対して、市町村民税などの必ず入ってくる収入が、どの位充てられているかを示すものです。
これが低いほど財政は健全と言うわけですが、100%以上の厳しい自治体は3大都市圏に多く、70%以下の健全な自治体は地方に多いことが見て取れます。当然国からの交付税の問題などはある訳ですが相対的に見れば地方の市町村の財政は大都市に比べればよいと見て取れるのではないでしょうか?

2013年「休廃業・解散企業動向」調査 年間倒産の2.6倍 @東京商工リサーチより
2013年の休廃業・解散件数は2万8,943件で、過去10年で最多を記録した。2013年の倒産件数(1万855件)の2.6倍に達した。2013年の倒産は5年連続で前年を下回り、1991年以来22年ぶりに1万1,000件を割り込んだが、休廃業・解散は年々増加をたどり対照的な動きをみせた。中小企業金融円滑化法で倒産が抑制されている一方で、業績ジリ貧や後継者難などで事業継続を断念する企業が増えていることがわかった
続いて企業についてみていきます。これは地方での動向と言うよりも全国での動向ではあるのですが、中小を中心とした企業を見ると赤字が続いて資金繰りが行き詰った倒産よりも分度を弁えた結果今後を諦めて休廃業と言う形で会社をたたむケースが2.6倍と会社の終了の大半を占める事態になっています。

鳩と市場はデフレを理解している。@Espresso Diary@信州松本より
そして街には03年のころには無かったマンションが聳え立っています。不動産は、売っても買っても、持っているだけでも税金がかかる。デフレが進んで収入が減れば、いくら低金利で減税があっても住宅ローンの負担は重い。スーパーは「生活防衛」を謳い、道路は鳩が歩くほどガラガラになりました。デフレに気づいているのは、政党でも日銀でもなく、じつは道を歩いている鳩ではないか?と思うほどです。
また住宅を中心とした個人に関しても似たようなところがあって、経済が衰退すると税金や家賃などの固定費が気になってくる。こういった構図を見ていくと地方の問題とは分度を弁えず野放図にお金を使ってしまったことよりも人口や経済の衰退の中で分度を弁えた結果、黒字の見込みが立たない事業をやめ、それがまた経済のシュリンクを強めていっていることではないかと思います。

・二宮尊徳とその仕法とは
「元祖再生人」二宮金次郎に学ぶ地方創生〜薪を背負っていたのには、理由があった!〜@東洋経済onlineより

その北関東に位置し、困窮していた下野国・桜町領(現在の栃木県旧二宮町、現在は真岡市に編入)の再生で大変な業績を挙げたのが、二宮金次郎です。

もともと、金次郎の出身は現在の神奈川県小田原市です。百姓時代から才能をあらわした金次郎は、小田原藩の家老・服部家で武家奉公人として働きますが、そこで服部家の財政を立て直し、小田原藩主の大久保忠真(ただざね)の目に留まります。下野の桜町領は、藩主の分家の領地であり、その再生を任されたのです。大成功を収めた金次郎は、その後ついに幕臣に登用され、徳川家にとって重要な日光の地の再生事業も任されることになります

さてそんな中で二宮金次郎の実績についても見ていきましょう。まず記事に書いてあった部分から抜き出すと、お百姓さんから家老家や旗本領の立て直し、最後には幕府の聖地である日光の立て直しまで行っていたことを考えると非常に優れていた人物であることがわかります。

領土名 領主 石高 直営 成功・失敗
小田原藩服部家 譜代 - 尊徳 成功
桜町領 譜代 - 尊徳 成功
真岡代官領 天領 - 尊徳 成功
日光山領 天領 - 尊徳 成功
烏山藩 譜代 3万石 仕法 失敗
矢田部藩 細川分家 1.6万石 仕法 失敗
下館藩 譜代 2万石 仕法 不明
相馬中村藩 相馬家 6万石 仕法 成功
表:二宮尊徳の実績(wikipedia関連項目から作成)

また実績に関してもう少し見ていきましょう。他藩での指導を含めての実績をまとめてみると上の様になります。尊徳と書いてあるのは尊徳直々に実施した場所であり、これを見てわかるのは
・尊徳が直接行った場所では成功している(尊徳の項目)
・尊徳が直接行ったのではなく指導の下で行った場所では多くが失敗に陥っている(仕法の項目)
・幕末期に活躍した雄藩(薩摩・長州・土佐・肥前・会津・水戸等)等の大藩は指導を受けていない
と言ったところでしょうか?

相馬の歴史講座 「御仕法」@相馬市より

『報徳論』(注記)1の中で、二宮仕法の実践は、「至誠」を根本におき、その上で「勤労」と「分度」と「推譲」を行うことが基本だと記されています。この4つの考え方が報徳思想の四本柱です。この中でも特に、至誠が二宮仕法を実践していくときにいちばん大切な考え方になります。

「至誠」とは、"まごころ"のことです。役立つことを進んでやろうとする思いやりのある心は、尊徳の教えのすべての土台になりました。
「勤労」とは、熱心に働くことです。能力を発揮して結果を良くしようとすることで、人は成長していきます。
「分度」とは、自分に相応しい生活を送ることです。現在の収入に応じた支出の範囲内で生活することが大切です。
「推譲」とは、働いて得た余分を家族のために貯えたり(自譲)、社会のために譲ること(他譲)をいいます。

さて二宮尊徳のやり方についてもう少し詳しく見ていきましょう。相馬市の歴史口座からの引用ですが、真心を持ち、一生懸命働き、得られた収入できちんとやりくりし、あまつさえ他人や社会の為に惜しみなくお金を出す・・・。
確かに出来れば素晴らしいし、正しいとは思います。ただ逆に言うとそれしか言えないリーダーと言うのは言い方は悪いですが無能ではないでしょうか?

・二宮尊徳はなぜ地域再生を実現できたのか、そして他は失敗したのか

「元祖再生人」二宮金次郎に学ぶ地方創生〜薪を背負っていたのには、理由があった!〜@東洋経済onlineより

例えば、彼は庭に生えている梅の木の実でさえも販売させます。蔵に備蓄しているコメは、大坂・堂島の相場を見ながら高値で売却をしていったりしています。さらに、奉公人たちに裏山の木を切り出して、薪として販売させます。その収入は基本的に奉公人たちのものとし、精力的に稼ぐ動機を与えています。〜中略〜
当時の生活において、薪や菜種油などの燃料代は決して少なくありませんでした。このごろは下がってきましたが、今のガソリン代や灯油代に苦しめられる家計とそっくりですよね。彼は、鍋底についたススを落とすと燃費が改善するため、飯炊き担当の人などに「鍋底のススを綺麗に落として一升にしたら、2文で買い取る」というルールを考案します。
二宮尊徳@wikipediaより
ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測。村人に冷害に強いヒエを植えさせた。二宮の予言どおり冷夏で凶作(天保の大飢饉)となったが、桜町では餓死者が出なかった[5]
開墾した田畑は、既存の田畑に比べると租税負担が軽くなることに注目、開墾を奨励した。
・荒地を耕して田植え後の田に捨てられている余った稲を集めて植えて、米を収穫した。
・倹約を奨励し、かまど番から余った薪を金を払って買い戻した。

という事でエピソードを調べるといろいろ出てきます。特に個人的に注目したいのはやはり堂島の米相場に通じたところでしょうか?そうでなくては余剰米の売買もうまくいかないだろうし、また天保の飢饉の際にヒエの栽培を促したエピソードも先物取引の相場に通じていた人ならではと言うような気がします。先物相場で重要なのは各地でコメの収穫がどうなるかと言う予測なので豊作・不作の前兆に関する知識・情報の一大集積地と考えられるからです。また新田開発の免税措置に目を向けているのにも注目されます。 とこれ以上核と長くなるのでまとめるとリーダーとしての二宮尊徳は税制度と市場に精通し、豊かになるために努力し続ける農民たちにそれを生かすためのノウハウ・知識を惜しみなく提供できるリーダーだった。だからこそ多くの地域でそのやり方が成功し、それを真似しようとした各藩は真似できず失敗したのではないでしょうか?そしてこれは今でも当てはまるのではないでしょうか?中途半端な知識しか持たないリーダーがきれいごとだけで何かやろうとして失敗する、これは地方再生の場だけでなく様々な場でもみられる事ではないかと思います。

・チートキャラなき地方創世〜相馬藩の成功に学ぶ〜
さて尊徳のようなゲームで言えばチートキャラがいなければ地方の再生は成功しないのでしょうか?皮肉なことですが二宮尊徳のノウハウをまとめたものを報徳仕法と言うのはその存在自体がそれを否定します。
何故かと言えばこのノウハウをまとめたのは富田高慶と言う相馬藩の家臣、そう尊徳が直接乗り込まずに尊徳のやり方をまねて成功した唯一の藩だからです。逆に報徳仕法は学んでも尊徳のチートぶりは決して身につかないので注意が必要です。

相馬の歴史講座 「御仕法」@相馬市より

相馬益胤(ますたね)(注記)1

文化10年(1813)、相馬中村藩第11代藩主(相馬家27代)になった益胤は、23年間にわたって藩政を治め、相馬中村藩中興の祖と仰がれました。
益胤が家督を継いだとき、藩の財政は、借金が30万両を超えるほど逼迫(ひっぱく)していました。そこで益胤は、疲弊した藩の復興策として、文化の御厳法(注記)2 という倹約政策を実施しました。藩の格式を6万石から1万石に切り下げ、藩主から農民まで一体となって倹約に努めました。また、荒地開発と農業人口増加のため、真宗移民政策や新百姓の取り立てを行い、農家の次男や三男にも家を持たせて、一人前の農民として扱いました。
天保4年〜7年(1833〜36)は冷害(注記)3で凶作が続きました。しかし、かねてから倹約し、備蓄していた救荒米のお陰で、領内からは餓死者を一人も出さずに済みました。

さて相馬藩はなぜ成功できたのでしょうか?それを考えるにあたって報徳仕法導入前の施策をきちんと観察する必要があります。上の引用はその内容です。大まかにまとめると
・移民受け入れ(当時は違法で取り潰しの可能性もあった)に流入人口の増加、農家の二男、三男の自立を促す(この層がえてして江戸などの大都市へ流出していた)による流出人口の減少、また子ども手当支給などによる自然増の推進など熱心な人口増加および、荒地開発による農業生産の増大施策
・もともと倹約を重んじ、備蓄米を蓄えていたこと及びそれによる天保の飢饉の救済の成功

うまくまとめられていないですが、まず重要なのは二宮尊徳のようなプロの手を借りないまでもそれに近い施策を行い小さいながらも基金の際の救済と言う形で成功例があったこと、単に「倹約してお米を蓄えなさい」ではなく、「蓄えておけばいざと言う時に飢え死にしないよ天保の飢饉の時がそうだったでしょ」と自らもしている経験を持って語られるのでは説得力が大きく違うでしょう。
また人口が増加し、新規に開拓されている地域が多かったというのも大きいです。人口が減り耕作放棄地が多ければ灌漑など、新規に投資を行っても「無駄になるのでは」と感じますが、そうでなければ大規模な工事が可能になるしできた後の負担も多くで分担する分軽くなり、やる気が減ることは少なくなるのではないでしょうか?
言うなれば尊徳が知恵で行った各種の工夫を過去の施策が代行したともいえるわけです。今風に直すと、工場や大型店などの大きな雇用を生み出す施設を誘致するために最大限努力した上で、地域の再生、再投資に行く訳で現在でも通用するやり方ではないかと思います。

さて二宮尊徳はネタにいろいろ書いてみましたが如何だったでしょうか?来月には統一地方選挙があるのですが何らかの参考になるとうれしい所です。



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#地方創生
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#相馬益胤
#チート
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#木下斉
#報徳仕法
#地方再生
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写真:横須賀名物米軍基地の桜 〜

〜4月8日(水)塚山公園さくら祭
場所:県立塚山公園
内容:ソメイヨシノをはじめとしてヤマザクラ・オオシマザクラなど数種類の桜、約1,000本が春に開花します。
例年、3月の中旬から4月初旬までさくら祭りが開催され、山の上には屋台が並び、多くの人で賑わいます。
桜の花のトンネルの下で、眼下に広がる東京湾を眺めながらのお花見は格別です。
参考:★横須賀桜めぐり 〜塚山公園さくら祭〜★ 三浦按針夫妻墓 按針塚 ★ @DEEP CITY YOKOSUKA

〜4月11日(土)第54回船越南郷公園桜まつり
場所:横須賀市南郷公園(京急線京急田浦駅下車徒歩)
内容:京急田浦駅のすぐ裏手にある公園です。桜の時期になると54本の桜が咲き誇り園内は桜の花でいっぱいです。
参考:★横須賀桜めぐり 〜船越南郷公園桜まつり〜★ @DEEP CITY YOKOSUKA
本日の桜 南郷公園の巻@素顔のままで

3月26日(木)〜4月6日(月)
衣笠さくら祭
場所:衣笠山公園(JR横須賀駅、京急横須賀中央駅より長井、三崎東岡、大楠蘆名口行きバス、衣笠公園バス停下車、JR衣笠駅より徒歩)
内容:毎年恒例、大勢の花見客でにぎわう衣笠さくら祭。 「日本さくら名所100選」に選ばれる人気のスポットです。
参考:衣笠山公園でお花見 2015年3月23日 雪洞点灯試験@衣笠山でおさんぽ

3月27日(金)〜4月5日(日)
桜の散策 走水水源地
場所:走水水源地(京急馬堀海岸駅より観音崎行バス「伊勢町」バス停下車)
内容:海に面した走水水源地に約130本の桜が咲きます。 普段は入場できませんが、この桜の時期のみ開放しており、青い海と桜のコントラストは見事です。 走水の湧水(ヴェルニーの水)も楽しめます。
参考:横須賀の休日〜青空市民祭りから走水まで〜

3月29日(日)
日米親善よこすかスプリングフェスタ 2015
場所:米海軍横須賀基地(三笠公園口 京急横須賀中央駅より徒歩、JR横須賀線横須賀駅よりバス大滝町バス停下車)
時間:9:00〜16:00
内容
・アメリカン屋台(ピザ、ステーキ、ハンバーガー等)
  • ステージイベント
  • 第7艦隊音楽隊によるパフォーマンス
  • 艦船見学「ミサイル駆逐艦」(予定) 9時〜15時(見学受付は13時頃まで)他
  • コメント:日本でありながらそこはアメリカという非日常的な体験のできる米海軍横須賀基地で、スプリングフェスタが開催されます。
    普段は入ることができない基地ですが、イベント当日は、アメリカン屋台、ステージイベントなど、各種プログラムをお楽しみ頂けます。 アメリカの雰囲気を味わえる横須賀ならではのイベントに、是非お越しください。
    参考:イベント見聞録:2008年4月6日:日米親善桜祭り@横須賀2008
    ★『日米親善横須賀さくら祭り』★ ベース開放2006-2007★ @DEEP CITY YOKOSUKA

    4月4日(土)〜5日(日)
    久里浜駐屯地 桜まつり一般開放
    場所:陸上自衛隊久里浜駐屯地(京急・JR久里浜駅下車徒歩)
    時間:9:30〜16:00
    内容:陸上自衛隊久里浜駐屯地では駐屯地「桜まつり」にあわせて、駐屯地を一般開放します。
    全国最古の駐屯地内に咲き誇る満開の桜を間近で見てみませんか。
    当日は、大日本帝国陸軍・海軍時代の通信器材等を展示している「歴史館」及び昭和25年と平成22年の駐屯地風景をジオラマで再現し対比展示している「駐屯地模型展示室」の見学も可能です。

    4月4日(土)
    第4回シーサイドラインフェスタ
    場所:横浜シーサイドライン車両基地(シーサイドライン並木中央駅直結)
    時間:10:00〜15:00
    内容
    (1)展示・見学
    車両・鉄道模型、白バイ・ミニパト展示
    (2)参加・体験
    ミニ電車、車両洗浄体験、ドア開閉、車内放送体験、魚のタッチプール
    ミニ動物園、建設機械でのヨーヨー釣り等
    (3)販売等
    地元金沢で獲れた新鮮な食材を使った特産品、沿線企業の出店
    車両部品・鉄道各社グッズ販売・鉄道むすめグッズ販売
    (4)ステージ
    初代シーサイドラインキャンペーンガールお披露目会、
    沿線学校の和太鼓披露、ホテル等の宿泊券が当たる大抽選会
    アマチュアバンドの演奏、金沢ブランド表彰式
    トリコロールマーメイズチアリーディングスクール 等
    (5)その他
    ゆるキャラ撮影会
    お得チケット配布(コストコ1日特別ご招待引換券・三井アウトレットパーク
    割引クーポン券(注記)先着1,000名様)
    参考:シーサイドラインフェスタに行ってきました @すしぶろ

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    #横須賀
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