2017年09月
動画:ムジカの海でサーフィンするの図
さて個人的には母方の祖父が没した地である宮崎県の北部にある日向市のある動画が一部で話題になっているようです。
1
太田啓子弁護士、日向市のPR動画を絶賛 ← デブやインドア派差別だと批判殺到
・差別かどうか?
さて今回はこの動画を取り上げて色々書いておこうと思います。先にこの動画で主な論点となっている部分に関して個人的にはこの動画に反発(?)している人たちと同様で
・デブなネットサーファーに差別的な部分は感じるし、実際それに類するコメントを書いている人がいる以上差別が無いとは言い切れない
・ただ動画単独では目くじら立てるほどではない
・が絶賛している人たちはそんな動画を不快だと炎上させて結果的に削除させてしまった例もある、そのダブルスタンダードぶりは問題であり、表現の自由への侵害であるのでそこは考えてほしい
と言った感じでしょうか?
・この動画のメインターゲットを考える
2
写真:主役のネットサーファーの青年
YOU TUBEページより
2016年11月30日 に公開リラックスサーフタウン宮崎県日向市の魅力を伝える
3分間のサーフムービーをつくりました。
ネットサーファーの青年が本物のサーファーになっていく成長物語を
ゆったりした気分で楽しんでください。
さてこの動画を論じていきましょう。まずこの動画の舞台である宮崎県日向市の状況を書きたいと思います。
日向市@Wikipediaより
日向市(ひゅうがし)は、宮崎県の北東部に位置する市である。
〜中略〜面積:336.29km2 人口:64,323人
- 男性:30,735人
- 女性:33,588人
世帯数:28,002世帯 (2011年10月1日現在)
宮崎県日向市は宮崎県北東部にある人口6万人ほどの都市であり、名前の日向は宮崎県の旧国名である日向から来ています。
表:日向市の人口2010年国勢調査 統計ひゅうが(平成25年度版)より 横浜市は2017年1月 横浜市統計ポータルサイト 年齢別人口(平成29年1月1日現在))より)※(注記)人口性比:女性の人口を100としたときの男性の人口
日向市の人口をみて一番興味深いのは男女の人口比(人口性比)が非常に偏っている事です。横浜市と比較すると横浜市の場合現役世代の性比は大体男性が女性より5%ほど多いですが、日向市では逆に男性より女性の方が5%多くなっています。
(未婚率は35〜39歳国勢調査、出生率は平成27年(2015)人口動態統計(確定数)の概況@ 厚生統計要覧より作成 ))
そしてその結果を未婚率から読み解くとものすごい事になります。上は前に作った記事からの引用で日向市でなく宮崎県の結果ではあるのですが、30代後半で見ると男性の未婚率は全国最低なのに女性の未婚率は全国平均以上で日本で唯一30代後半の女性の未婚率が男性のそれを上回っている県なのです。
ちなみにこの未婚率の統計の出る前ですが、日向市の人口の社会動態を見ると実は女性の流出が目立っています。これは2つの事が原因ではないかと考察します。
・高齢者世代で夫を亡くした単身女性が市外に流出した子供世帯に引き取られる
・結婚もしていない、かと言って単独で経済的自立が出来ない中年女性が親世代の経済的援助の限界が来て「食っていける」仕事を求めて福岡・鹿児島・熊本または本州の大都市などの流出する
これらの要因から考えると、日向市としては「余所の地域から移住を求める、特に都会でネットサーフィンをしている若い世代の男性に」と言うのがこの動画に託した思いなのではと感じます。
・サーフィン動画で描けて無い事(動画を評価する)
3
写真:サーフィンをするのは良いがどうやって食べていっているのだろう?
さてこの動画をどう評価するかと言えば「余所の地域から移住を求める、特に都会でネットサーフィンをしている若い世代の男性に」と言う目的から考えると個人的には余り評価できないと言うのが正直な所でしょうか?
まずこの動画を見て一番違和感を感じたのはサーファーになる青年が働くシーンが全くと言って描かれなかった事、これは意外に致命的なような気がします。
写真:軽井沢に集う若者を描いた漫画軽井沢シンドローム
海ではなく山なのですが若い世代の移住と言われて思い浮かんだのは上の漫画軽井沢シンドローム、この作品は1980年代を舞台とした作品ですが、その息子世代を主人公にしたSPROUTと呼ばれるシリーズが2005年前後に発表されています。どちらも主人公とケンカしたキャラが軽井沢に移住してくるのですが1980年代を描いたメインのシリーズが例えば警察を辞めたり、暴走族を解散させたキャラが、何となく探偵事務所を始めるみたいな状況だったのが2000年代が舞台のSPROUTではもともと「和洋中ハイレベルでこなせる板前」で割烹店に勤めたり、「フィギュアを作ってネットで販売する」事で食えるキャラだったり、要は「移住したけどどう食べるのか」と言うのがきちんと描かれています。そしてその詳細さと言うのは最近の方がやはりきちんとしている。
こういったCM動画の世界がどうかはわかりませんが漫画は確実に相当競争の激しい世界であり、そこで地方を描くのにはそこは抜かせない事を考えると評価できないのが1つ。
DSCN1582
写真:宮崎から博多に直通する特急「にちりんシーガイア」に使われる787系
もう1つ考えなくてはならないのは日向市の立地です。上は日向市のターミナルである日向市駅に発着する特急列車の運転区間をまとめたものです。一般的に九州・四国・北海道のJR特急はそれぞれの地域の中心都市である博多・札幌・高松(岡山)へ向かうのが基本なのですが、日向市からは博多に直通する特急は1日わずか2本しかありません。多くの場合は大分で博多行き特急に乗り換えられるので、実質的には12本ともいえるのですが、直通させていないという事はニーズが少ないという事なのでしょう。一方で注目したいのは宮崎空港行きが14本あるという事で、日向市〜博多の所要時間が4時間30分近いという事を考えると、この地域から博多をはじめとする大都市に向かうのには基本飛行機を利用すると言う立地であり、「気軽には決していけない場所」という事です。
海女キャラ「碧志摩メグ」ポスターの今と、志摩・鳥羽のおすすめ巡り @together
『まいてつ』聖地巡礼の旅@美少女ゲーム研究会 R
その「気軽には決していけない場所」に移住以前に一度でも向かわせるにはやはりコンテンツに大きな求心力が必要となってきます。上の2つのリンクはどちらもサーファー動画に絶賛されたのとは対照的に同じような論理で批判され一部プロジェクトに支障が出たコンテンツのファンがそのコンテンツを応援するために聖地巡礼したものです。下の「まいてつ」に関しては日向市程ではないですがやはり交通が便利とは言い難い熊本県人吉市ですがやはり訪れる人が出てきています。
一方大絶賛されているこのサーファー動画ですが、これをきっかけに現地を訪れたと言う人はネットでは全く見る事が出来ません。もしかしたら行っている人はいるかもしれませんが、少なくとも大絶賛している人たちがいったわけではないと思われます。そういった意味でも作り手の目的には間接的にも貢献できていないと言う意味でも評価できないわけです。
・おっさん視点の作品
サーフィン人口は減っているのか@サーファーの豆知識よりもう1つ感じるのは「失恋したのをきっかけに海へ」「サーフィンで成長」と言うテーマは非常におっさんくさいと言うか前時代的だなぁという事です。上の記事はあるサーファーさんによる日本の現状のサーファーの状況です。「サーフィン=若い人のスポーツ」と言うイメージですが、今サーファーのメインは40代以上の中高年だそうです。コンテンツを考えても例えばTUBEやサザンオールスターズが「夏」や「サーフィン」のイメージで売っていたのは1990年代でそこから先彼らのようなやり方で売れた音楽や映画と言うのは正直な所思いつきません。失恋に関しても1990年代は確かに恋愛が大きなテーマとなった作品は多かったと思いますが最近はどうでしょう?そういった意味でテーマ段階でやり方を間違ったと言うほかありません。で思うのは、サーファーの数はほとんど変わっていないということ。そうです、サーファーの数はけっして減っていないと思います。どうしてでしょう。これも逆に不思議ですね。理由の一つは、30年前にサーフィン始めた人たちがそのまま続けているから。それだけサーフィンには中毒性があるという証拠です。あとはサーフポイントはゲレンデに比べて数がたくさんあるし、入場無料だからでしょう。
ただ、このまま少子化が進めば、やがて間違いなく日本のサーフポイントはガラガラになるはず。サーファーで最も多い世代(40〜50歳代)があと10年もすればどんどんリタイアしていくでしょうから。私もいつまでサーフィンを続けていけるのか、ときどき思ったりします。
・隠れたもう1つの差別への懸念
[フレーム]
動画:もう1つの日向市移住PR動画
ヒュー!日向
さてここからは視聴者と言う意味ではなくもし作り手やその周辺だったらと言う視点で書いていきます。動画事態に関しては少なくとも批判するレベルの差別性は感じなかったのですが少し範囲を広げてみてみると少し引っかかる部分があります。具体的に言うと外国人の扱いです。
ジョナス滞在記
もともと話題になった動画はヒュー!日向と言うプロジェクトの一環として作られたらしいのですが、そこにイラストなどを提供しているストックホルム出身でシドニー在住のジョナスクレナッソンと言う人物のコーナーがあります。一見サーファーの聖地として、多くの白人が移住してきたのではと思い調べてみると
実際日向市に在住している外国人の大半は韓国・朝鮮、中国・フィリピン・インドネシアとアジア系となっています。一方日向市で作っているPR動画に彼らが出てくることはありません。もし彼らやまた彼らの母国民が「日向市はアジア系外国人を余所に見せられない「穢れた外国人」とみている」と言ってきたらどうするつもりでしょうか?
もし私が制作側にいたら間違いなく口酸っぱく言うと思います。「彼らに何らかのフォローをしておけ」と、もしかしたらアジア系外国人がみな「見られたくない」と言う可能性はあります。それだったら仕方ないかもしれませんが、それでもジョナス氏を出すのであれば移り住んできたアジア系の外国人も出来るだけ出すと言うのは差別を避ける、あるいは見る側に正確な情報提供をすると言う意味で作る側がきちんと考え続けるべきテーマだと思います。
個人的には少なくともこの動画を「差別を克服した素晴らしい動画だ」と絶賛している人たちに対しては「差別に鈍感な人だなぁ」と思わざるを得ませんが如何でしょうか?
1. Choose or Loose 横須賀市長選挙2017 〜プロローグ2 市長吉田雄人の光と影〜
2.Choose or Loose 横須賀市長選挙2017〜アーティスト村とコミュニティバス〜
3. Choose or Loose 横須賀市長選挙2017 〜プロローグ 上地克明と田川誠一〜
4. Choose or Loose 横須賀市長選挙2017〜人口減少と京急〜
5. イベント見聞録2016年1月9日前橋初市まつり2016
更新が少ないせいで実質的な最新記事が市長選挙特集だったせいか上位4記事を横須賀市長選挙関連記事が独占しました。
中小の事業承継後押し 横須賀市と経済界連携 来月にセミナー /神奈川@毎日新聞2017年8月31日よりさて市長選挙で上地現市長が重点政策として掲げていた中小企業対策ですが、個人的に提案していた京急を巻き込んだファンドではないですが動きがありました。横浜銀行、湘南信金、かながわ信金、商議所などが連携して取敢えずセミナーを行うようです。個人的には横須賀にとって有力な地域投資ファンドともいえる京急を巻き込んでくれるとなおよいですが、この動きは歓迎したいと思います。
横須賀市と横浜銀行、かながわ信用金庫、湘南信用金庫、横須賀商工会議所が連携し、後継者不足で悩む中小企業の事業承継を支援するセミナーを9月5、13、19日の3日間、同商工会議所(同市平成町2)で開く。地域経済が低迷する中、中小企業の減少に歯止めをかけ、将来性のある事業や優れた技術の維持を図る狙い。事業承継に金融機関など経済界や自治体が連携して取り組むのは珍しいという。
京急電鉄、横須賀YRPに大型複合商業施設を誘致 @ヨコスカ経済新聞2017年8月28日
横須賀・どぶ板通りにVRカフェ「Goon Dock」 仮想現実を体験@ヨコスカ経済新聞2017年8月11日
Goon Dock
また撤退の話が多かった横須賀の商業施設ですが新たな施設や店舗の開業・進出の話も出てきています。郊外なのが残念ですがYRPにショッピングセンターが進出、どぶ板通りにVRカフェが出来ました。どちらも末永くヨコスカを盛り上げるのを願うばかりです。
5. イベント見聞録2016年1月9日前橋初市まつり2016
さて久々に横須賀市長選挙以外の記事がランキングに入ってきたのですが、何故か1月のイベントである前橋初市まつりの記事でした。イベント見聞録もネタはあるのですがなかなか更新できず皆様のご期待に応えられていないなぁと心苦しい限りです。
ちなみに前橋の大きなお祭りとしては気が早いですが来月7・8日の両日に前橋まつりがおこなわれますのでそちらも楽しみにしておいてください。
【第69回前橋まつり】平成29年10月7日(土)・8日(日)開催@前橋市
北朝鮮が弾道ミサイル発射、筆者もそうですが、この日はJアラートの警告音で目覚めた方は多かったのではないかと思います。北朝鮮が弾道ミサイル発射 日本上空を通過@朝日新聞2017年8月29日より
北朝鮮は29日午前5時57分ごろ、平壌近郊の順安(スナン)地区から弾道ミサイル1発を発射した。韓国軍合同参謀本部が発表した。日本政府は、北朝鮮からのミサイルが北海道・襟裳岬東方の太平洋上に落下したと発表。全国瞬時警報システム(Jアラート)は、北海道、東北、北関東など12道県の住民に避難を呼びかけた。
英空母、南シナ海派遣へ 日英首脳会談、北朝鮮非難も@朝日新聞2017年8月31日
さてそれを受けてさすがに制裁の話が挙がっています。とは言え、終戦記念日の近くという事もあり、当初の予定を変更してはっきり言って詳しいわけではないですが朝鮮地域の近代史から少し北朝鮮について考えて見たいと思います。
朝鮮の歴史@Wikipediaよりさて当blogの名物困った時のwiki頼みという事で一般的に李氏朝鮮時代末期明治政府との日朝修好条規締結〜日清戦争の状況です。この時期は冊封体制と言われる清朝への臣従状況だったと言われるのですが、その中でアメリカや日本など李氏朝鮮より早い段階で近代国家体制に移った国家との国交が結ばれています。1876年 明治新政府と日朝修好条規 を結ぶ。 1882年 米朝修好通商条約。大院君扇動による壬午軍乱(壬午事変)が失敗し、清政府と中朝商民水陸貿易章程 を締結。 1883年 ゚米朝の友好関係構築のためアメリカへ初の朝鮮政府訪問団を送り、朝鮮には初のアメリカ公使が駐在する。 1885年 巨文島事件。露朝密約事件 (第一次)。 1886年 露朝密約事件 (第二次)。 1888年 露朝陸路通商条約。 1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)。大院君派と閔妃派の対立が深まる。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。甲午改革(〜1896年)。 1895年 下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が暗殺される(乙未事変 )。
露朝密約事件@Wikipediaよりさてここで注目したいのは露朝密約事件、北朝鮮をはじめとする朝鮮地域と言うと冊封体制等から中国の影響が強い国と言うイメージがありますが実はロシアとも国境を接していて中国・日本・アメリカと言った大国に対抗すると言うか、外交的な牽制の為にロシアとの外交交渉と言うのがしばしば出てきます。まるで戦国時代の真田氏の様な動きですが複数の大国に囲まれた小国の戦略は似てくるものなのでしょうか?
露朝密約事件(ろちょうみつやくじけん)とは、19世紀末の朝鮮政府が清や日本、イギリスを牽制するため、秘密裏にロシア帝国と交渉を行い、軍事的援助と保護を求めたとされる一連の事件。1885年(第一次)、1886年(第二次)の二つがある。
朝鮮の歴史@Wikipediaより続いて日清戦争終了後から日韓併合まで、まず興味深いのは日清戦争で大きな被害を受けたのですが、結果的に清国のくびきから逃れ独立国となり大韓帝国と名前まで変えてしまっている事です。とは言え日露戦争に前後して日本への併合の動きが始まり日露戦争が日本勝利に終わると完全併合へと向かっていく訳です。注目したいのはこの動きが日露戦争に前後している所でしょうか?ロシアと戦うのにその間にある国、そして宗主国の目を盗んでロシアと密約するような国はほっておけなかった事がこの動きを生み出したと言うのは重要なのではないかと思います。1897年 日清戦争の清の敗北を受けて締結された下関条約 により、朝鮮は清の冊封体制 から離脱し、朝鮮国から大韓帝国 と国号を改める。この時冊封国から独立国となるが、韓国は歴史上中国の冊封国であったことを認めていない。 ※(注記)1904〜1905年:日露戦争
・1904年 8月23日 第一次日韓協約 を結ぶ。1905年 7月29日 桂・タフト協定 。韓国には日本が、フィリピン にはアメリカ合衆国 が影響力を持つと、相互に認め合う。 1905年11月17日 第二次日韓協約 を結ぶ。外交権を失い、日本の保護国 となる。 1906年 韓国統監府 設置。 1907年 国債報償運動。ハーグ密使事件。高宗が退位し純宗が即位。第三次日韓協約 。内政権が日本の管轄下に入る。韓国軍の解散が定められる。 1909年 韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)。 1910年 日韓併合条約 を結び、日本 に併合 される(韓国併合 )。韓国から朝鮮に国号を戻し、京城に朝鮮総督府 が設置される[34] 。
中華民国の歴史@wikipediaよりさて日韓併合後の歴史で重要なのは韓国よりも周辺国になります。まず1840年のアヘン戦争、1894年の日清戦争で敗戦した清国では政情が不安定になり、1911年に辛亥革命が起き、清国がつぶれ、中華民国が地域を代表する政府になったのですが袁世凱が中華帝国に国号を改めるのですがうまくいかず軍閥が群雄割拠する軍閥時代に突入します。
中華民国成立北京政府とは、1912年から1928年まで北京に存在した中華民国の正統な政府である。北洋軍閥政府ともいう。
中華民国は、1911年の武昌起義に始まる辛亥革命において、1912年1月1日、南京において成立した(なお、国号については黄遵憲の「華夏」、劉師培の「大夏」、梁啓超の「中国」の他に「支那」や「大中華帝国」という提案もあったが、最終的には章炳麟の「中華民国」が採用された)。この時点では、北京に清国が存続しており、「中国を代表する」政府が南北に並存する状況にあった。しかし、同年2月12日に清国の皇帝、宣統帝である愛新覚羅溥儀が退位することによって、中華民国政府が中国を代表することになった。
南京に成立した臨時政府では、国家元首に当たる臨時大総統は孫文であった。だが、孫文は当時国内で最も軍事力を有し、また清朝の全権を握っていた袁世凱と交渉し、南北分裂状態であった中国を臨時政府によって統一させるため、宣統帝の退位、臨時約法の遵守といった条件と引き換えに臨時大総統職を彼に譲った。〜中略〜
袁世凱の死後、中華民国には中国全土を完全に統治する「統一政府」が存在しない状態が生まれた(1916年 - 1928年)。そのため、軍閥 が群雄割拠する軍閥時代 となり、同時に大日本帝国 やフランス共和国 やアメリカ合衆国 などの列強諸国による中国の半植民地化も進行したのである。
更には自らが皇帝となることを前提に帝政復活を宣言して国号を「中華帝国」に改めた。これに対して国内外からは非難の声が殺到し、雲南の唐継堯らが倒袁運動を展開(第三革命)したほか、袁の権力基盤である北洋軍閥の諸将からも反発を受けた。このため袁は翌1916年に帝政復活取消を宣言せざるをえなくなり、権威を失墜させ、そのまま同年6月に病死した。〜中略〜
中国国民党の設立
ソビエト連邦@Wikipediaより続いてもう1つの隣国ロシアでは19世紀から続いていた都市工業労働者と、農民の格差問題、工業化によるストライキが日露戦争あたりを境に大きくなり、1914年に始まった第一次世界大戦とその苦戦により最終的にロシア革命→共産主義国家化につながっていきます。特に共産主義は主要国で大きく警戒されていただけにロシアのような大国が共産主義国家になったと言うのは周辺地域である中国・朝鮮・日本の各地域にも少なからぬ影響を与えます。ソビエト連邦は、ロシア帝国を倒した1917年のロシア革命を起源とする。ロシア社会民主労働党の多数派で、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキは、臨時政府を転覆させ、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 (1936年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に改称) を設立した。この十月革命を皮切りに、革命派の赤軍と反革命派の白軍との間にロシア内戦が開始された。赤軍は複数の旧ロシア帝国領に侵攻し、名目上労働者および小作農の代表として振る舞ったソビエトを通じ、現地の共産主義者の権力掌握を支援した。1922年、共産主義者が勝利し、ロシア、ザカフカース 、ウクライナ 、白ロシア 各共和国を統合し、ソビエト連邦を形成した。
1924年のレーニン死去、トロイカの集団指導、短期間の権力闘争の後、1920年代中頃にヨシフ・スターリン が政権を握った。スターリンは自らに対する政治的敵対勢力を抑圧し、自らが創造したマルクス・レーニン主義 を国家イデオロギーとし、計画経済 を中心に始めた。結果として、同国は急速な工業化および集団農場化の期間を経験し、後の戦争努力および第二次世界大戦後の優勢性への基盤を築いた。[2] しかしながら、スターリンは政治的偏執病を確立し、大規模で恣意的な逮捕を導入し、当局は、軍事指導者、共産党員、一般市民のような大勢の人を矯正労働収容所へと移送又は死刑を科した。
朝鮮の歴史@Wikipediaより1919年 三・一独立運動。大韓民国臨時政府の樹立。 1920年 朝鮮を日本の食料供給地とする産米増殖計画 が始まる。 1920年 シベリア 東部のニコラエフスク で共産革命 が激化し、朝鮮パルチザン が赤軍と協力して日本軍を全滅させる尼港事件 が起こる。 1920年 梨本宮 方子女王 が李王家 に嫁ぐ。 1920年 満州 東部の間島 で独立軍 (朝鮮) の抗日武装闘争が激化し、間島事件 、青山里戦闘 が起こるが、翌年自由市惨変 で壊滅。 1929年 光州学生事件。 1931年 朝鮮排華事件。朝鮮から中華街がなくなる。 1933年 朝鮮語学会がハングル綴字法統一案を発表する。 1934年 朝鮮農地令施行。 1937年 白白教事件。 1937年10月2日 皇国臣民ノ誓詞が発布される。 1938年 国家総動員法施行。 1940年 2月から8月にかけて創氏改名 が行われる。 1941年12月8日 日本がイギリスやアメリカ合衆国に宣戦布告。(太平洋戦争(大東亜戦争)勃発) 1942年 朝鮮語学会事件。 1944年 朝鮮徴兵令施行。
一方中華民国とソ連の間も共同戦線を張るだけでなくソ連が1929年に旧ロシアが中国国内に持っていた鉄道利権の確保を狙って満州に侵攻して中ソ紛争と言う紛争をお越しソ連が圧勝しています。
その流れの中日本は1931年に満州事変を起こして満州国を設立し、1937年に日中戦争をはじめて、南京政府と言う傀儡政権を中国に作っています。「欧州情勢は複雑怪奇」と言ったのは1939年に総辞職した平沼内閣の談話ですが、この時期の朝鮮・中国・ロシア極東地域も共産主義化したソ連と国共内戦で混乱する中国など負けず劣らず複雑怪奇だったのはこの時期を語るのには忘れてはならない事だと思います。
朝鮮の歴史@Wikipediaよりそして日本では敗戦とも終戦とも言われる1945年8月15日を迎えるのですが、ここで重要なのは8月8日に日本に宣戦布告したソ連軍が所謂38度線と呼ばれる現在の韓国ー北朝鮮国境まで進軍し現在の分断のベースが出来上がる訳ですが、現地人側からは朝鮮人民共和国の設立が行われますが、米ソを中心とした戦勝国側からの4か国による信託統治により潰れ、この信託統治もわずか3年で米ソの傀儡とは言え現地人による分断政府韓国・北朝鮮が出来て最終的に現在の朝鮮半島の2つの国家が出来上がる訳です。1945年8月8日 ソビエト連邦が日本に宣戦布告。ソビエト連邦軍が朝鮮半島東北部に侵攻。 1945年8月14日 北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することを内容とする「一般命令第一号」を、トルーマン 米大統領がソビエト連邦に通告。ソビエト連邦も命令内容に同意した。 1945年 9月6日 京城府で呂運亨らによって結成された「朝鮮建国準備委員会」、「朝鮮人民共和国」樹立を宣言。 1945年 9月8日 ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸。9日、朝鮮総督府が降伏文書に調印。 1945年 9月11日 アメリカ合衆国が南朝鮮で在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を宣布。 1945年10月 アメリカ合衆国が「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」の承認を拒否する。 1945年10月 北朝鮮で北朝鮮共産党臨時人民委員会樹立。 1945年12月 モスクワ三国外相会議。朝鮮半島の英米ソ中の4か国による最長5年間の信託統治の必要性決定。30日、韓国民主党党首の宋鎮禹が金九系の民族主義者により暗殺される。 1946年 2月3日 満洲で朝鮮義勇軍も加わった通化事件が発生。 1946年 2月3日 北朝鮮で北朝鮮臨時人民委員会樹立。 1946年 10月1日 南朝鮮で大邱10月事件勃発。 1947年 2月20日 北朝鮮で北朝鮮人民委員会樹立。 1948年 4月3日 南朝鮮で済州島四・三事件勃発。 1948年 10月19日 南朝鮮で麗水・順天事件勃発。 1948年 米ソ両国が、南北にそれぞれ自国の傀儡政権を立てる(8月15日に南側で「大韓民国」(以下、韓国)、9月9日に北側で「朝鮮民主主義人民共和国」(以下、北朝鮮)が樹立宣言。) 1950年 6月25日 北朝鮮の朝鮮人民軍が北緯38度線を南侵することで勃発。 1950年6月〜 保導連盟事件。米軍を中心に結成された国連軍が参戦。 1953年 7月27日 板門店で停戦協定が調印。
ちなみにこの時期の中国は国共内戦の最終段階で最終的に1949年に中華民国が大陸から追い出され、1970年代に中華人民共和国がこの地域の代表国家だと多くの国で認められることとなります。そして朝鮮半島は1950年に北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が勃発して1953年に停戦して今を迎えます。
さていかがだったでしょうか?正直な所書いていて訳が分からなくなりかけましたがまとめていてこの地域の近代の歴史及び国の変遷を見ると以下の点が重要なのではないかと思います。
・傀儡だろうと、とにかく自分たちの国家を持っていたい朝鮮半島の人達の意思
・独立心旺盛の朝鮮地域の人達が頼るロシアと言う大国
・戦前の日本、戦後のアメリカ・中国・ロシア3か国の大国同士の前線地域で緩衝地帯となる国家が欲しいと言う思惑
これらの鬩ぎあいが現在の北朝鮮のミサイルや核実験につながっているのですが、それだけにこれがどのように落としどころを見つけていくのかは見当がつきません。
最後にリベラルをやると予告しながら予定変更し、記事の書きあがりが遅れたことをお詫びします。
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