2010年03月08日
言葉と音
ここんところは作詞モード。作詞といっても歌詞であるから、絶えず音と言葉が頭の中で格闘している。
言葉と音階は同時に生まれるけれど、詩や曲として補足したりすると、いつのまにやら言葉の意味が違ってたり、主旋律の裏メロが当初とガラリと変わったりして、詩を考えているのだか曲のアレンジをやってるのだか分らなくなってしまうのが常である。しかし、この作業をしないと、俺の場合は、歌や曲にはなっても人前に出すものにはならんのだろう、、、、、と最近を振り返ってみたのは相田みつをの作品を読んだから、じゃなくて観たから。
正直、この人の作品を観ても、あんたに言われなくとも判ってるよ!と思うだけなんだけど。思い悩んだり、迷ったりしていると、ハッ!とさせられたり、感銘を受けたりってのがある様で、俺の回りにも結構この人の作品が好きという人はいる。要は、この人は書家であって、この人の言葉は彼の書体で書いてこその作品であるという事なんだな、似た様な詩を違った書体で書いてたりするもんなぁ。パソコンで均一な文字で入力したら、なんにもならんな。
旋律に乗せた言葉と、毛筆で滑らせた言葉、、、眠い
男サマタ
言葉と音階は同時に生まれるけれど、詩や曲として補足したりすると、いつのまにやら言葉の意味が違ってたり、主旋律の裏メロが当初とガラリと変わったりして、詩を考えているのだか曲のアレンジをやってるのだか分らなくなってしまうのが常である。しかし、この作業をしないと、俺の場合は、歌や曲にはなっても人前に出すものにはならんのだろう、、、、、と最近を振り返ってみたのは相田みつをの作品を読んだから、じゃなくて観たから。
正直、この人の作品を観ても、あんたに言われなくとも判ってるよ!と思うだけなんだけど。思い悩んだり、迷ったりしていると、ハッ!とさせられたり、感銘を受けたりってのがある様で、俺の回りにも結構この人の作品が好きという人はいる。要は、この人は書家であって、この人の言葉は彼の書体で書いてこその作品であるという事なんだな、似た様な詩を違った書体で書いてたりするもんなぁ。パソコンで均一な文字で入力したら、なんにもならんな。
旋律に乗せた言葉と、毛筆で滑らせた言葉、、、眠い
男サマタ