2007年03月17日
昭和のド根性
初めて義母に会った時の事はよく覚えている。
今夜はトンカツにしましょうと、私がキャベツの千切りを担当した。
その時に、私は包丁で指を切ってしまった。
すぐに止まるさ、とお義母さんには黙って作業を続けていると、
血に染まった一切れのキャベツを見つけ、
「あら?大変!」と、飛んでいき絆創膏を持って来てくれた。
普通ならここで「嫁いびり」の1つもあろうが、とても心配してくれて、キャベツの千切りを変わってくれた。
男サマタの年も年だったので、お義母さんとしては、なかばヤケもあっただろうが、義母にはとても優しくしてもらったし、私の変わりに男サマタを叱ってくれたりもした。
決して裕福ではない生活の中、長男の嫁として、男サマタの爺さん婆さんの世話をし、その上バリバリ働いて(すごいヤリ手)、3人の子供を大学へ行かせ(男サマタは中退)、、、骨壺に入り切らない位しっかりした骨を見た時は、お義母さんのド根性が形となって現れている気がして、泣き笑いしてしまいました。
ブログを読んでくれている皆さん、本当にありがとうございます。
今回の事で、皆が、とっても優しくしてくれたから、私はもう大丈夫です。
男サマタも同じ気持ちです。
これからは臆病な自分を素直に受け入れて、
誰に何と言われようと自分の決めた事を真直ぐにやって行きます。
夫婦漫才、音楽ともに、今後の活動に是非期待して下さいね!
♪もんち
今夜はトンカツにしましょうと、私がキャベツの千切りを担当した。
その時に、私は包丁で指を切ってしまった。
すぐに止まるさ、とお義母さんには黙って作業を続けていると、
血に染まった一切れのキャベツを見つけ、
「あら?大変!」と、飛んでいき絆創膏を持って来てくれた。
普通ならここで「嫁いびり」の1つもあろうが、とても心配してくれて、キャベツの千切りを変わってくれた。
男サマタの年も年だったので、お義母さんとしては、なかばヤケもあっただろうが、義母にはとても優しくしてもらったし、私の変わりに男サマタを叱ってくれたりもした。
決して裕福ではない生活の中、長男の嫁として、男サマタの爺さん婆さんの世話をし、その上バリバリ働いて(すごいヤリ手)、3人の子供を大学へ行かせ(男サマタは中退)、、、骨壺に入り切らない位しっかりした骨を見た時は、お義母さんのド根性が形となって現れている気がして、泣き笑いしてしまいました。
ブログを読んでくれている皆さん、本当にありがとうございます。
今回の事で、皆が、とっても優しくしてくれたから、私はもう大丈夫です。
男サマタも同じ気持ちです。
これからは臆病な自分を素直に受け入れて、
誰に何と言われようと自分の決めた事を真直ぐにやって行きます。
夫婦漫才、音楽ともに、今後の活動に是非期待して下さいね!
♪もんち