副題は「興安軍官学校の知られざる戦い」。けれども、「モンゴル独立を目指したジョンジョールジャブの生涯」といった副題のほうが内容を表しているといえるでしょう。
満州国の成立を機に、内蒙古のモンゴル人たちは日本の支援によって中国からの独立を夢見ますが、日本にとってモンゴル人は日本の勢力拡大のため協力すべき存在にすぎませんでした。
そんなモンゴル人の日本への期待と幻滅、そして中華人民共和国の成立によってさらに民族の誇りを奪われてしまったモンゴル人の悲劇を描いた本です。
著者は中国内の南モンゴルに生まれ、北京で日本語を学び、1989年に来日して以来、日本で暮らしている人物で、文化大革命におけるモンゴル人の虐殺を描いた『墓標なき草原』で司馬遼太郎賞を受賞しています。
非常にモンゴル民族への思い入れが深く、今の中国政府にも反感を持っているのですが、そういった思い入れの深さが、歴史的事実をわかりにくくしている面があると思います。
目次は以下のとおり。
19世紀末から中国人(漢民族)によるモンゴル高原への入植が始まりますが、これは遊牧を行なうモンゴル人たちのとっては死活的な問題でした。植生が貧弱なモンゴル高原は一度開墾されるとすぐさま沙漠化してしまい、遊牧もできなくなってしまうからです。
そんな中で、当時、満蒙に進出してきた日本と手を組んで中国製力を駆逐しようとしたのが本書の主人公・ジョンジョールジャブの父バボージャブでした。
1916年、袁世凱政権からモンゴルの地を取り戻すべくバボージャブは日本の支援を得て兵を挙げますが、あえなく戦死。その夢は子どもたちに引き継がれます。ちなみに「男装の麗人」と言われた川島芳子の夫がバボージャブの子でジョンジョールジャブの兄に当たるガンジョールジャブです。
ジョンジョールジャブは中学から日本に渡り、日本のアジア主義者などと交流し、「可愛い民族運動の主唱者」という肩書で新聞にも紹介されたりしています(36p)。
その後、ジョンジョールジャブは陸軍士官学校に入り、東條英機、松井石根らの面識を得ます。このように、日本でもてはやされたジョンジョールジャブでしたが、一方で、陸士では彼が一番憎いんでいた中国人と一緒に「中華隊」に編入されるなど、モンゴル人としての立場をたびたび軽視されることになります。
この、持ち上げられつつもあくまでも日本人の都合でしか扱われないというのは、ジョンジョールジャブだけではなく、この後のモンゴル人全体にも共通したものでした。
1932年に満州国が建国されると、モンゴル人たちは自分たちも独立へと燃え上がりますが、日本が認めようとしたのはあくまでも自治でした。また、すでに外蒙古には社会主義国のモンゴル人民共和国が成立しており、日本のモンゴル人への肩入れは、モンゴルの「赤化」防止のためでもありました。
そうした中で1934年にモンゴル人を軍人として教育するためにつくられたのが興安軍官学校です。
興安軍官学校は、独立を夢見るモンゴル人たちの期待を集めますが、1936年に興安北省省長でモンゴル人の有力者だった凌陞(りょうしょう)が関東軍の憲兵隊によってソ連と通じた罪で処刑され、ノモンハン事件が起こると、モンゴル人の心は日本から離れていきます。
ノモンハンではモンゴル人を含む興安軍が編成され戦いに動員されますが、ソ連側にもモンゴル人が動員されており、いわばモンゴル人が日本とソ連の代理戦争に動員されている形でした。
こうした状況に嫌気が差したモンゴル人部隊からは逃亡する者も続出し、また、日本人のモンゴル人に対する偏見がますますモンゴル人たちの士気をそいでいきました。
結局、その後もモンゴル人たちの民族自決の夢は日本の勢力範囲内での「自治」という形に矮小化され、ジョンジョールジャブの不満は終戦直前に爆発します。
ソ連の侵攻を知ったジョンジョールジャブは、8月11日に日系将校を殺して、日本軍の裏切ります。モンゴル人の想いを裏切り続けてきた日本軍を最後に裏切ったのです。
著者は、このジョンジョールジャブの蜂起を二・二六事件と重ねていますが、まあ、これはどうなんでしょう。
ただ、この後成立した共産党政権のもと、モンゴルの軍人たちは1958年にチベットに派遣されて弾圧を行ったあと、文化大革命が始まると粛清されていきます。
このなんともやるせない運命が興安軍官学校をはじめとする日本の記憶を美化している面もあって、著者もその狭間の中で揺れ動いています。
ですから、正直なところ読みやすい本ではないと思います。内容もジョンジョールジャブ中心なのか興安軍官学校中心なのかぶれている点がありますし、時系列も整理されているとは言い難い面があります。
けれども、そうした揺れ動く記述を通して、大国に翻弄される民族の悲劇が伝わってくるのは確かです。
日本陸軍とモンゴル - 興安軍官学校の知られざる戦い (中公新書)
楊 海英
412102348X
満州国の成立を機に、内蒙古のモンゴル人たちは日本の支援によって中国からの独立を夢見ますが、日本にとってモンゴル人は日本の勢力拡大のため協力すべき存在にすぎませんでした。
そんなモンゴル人の日本への期待と幻滅、そして中華人民共和国の成立によってさらに民族の誇りを奪われてしまったモンゴル人の悲劇を描いた本です。
著者は中国内の南モンゴルに生まれ、北京で日本語を学び、1989年に来日して以来、日本で暮らしている人物で、文化大革命におけるモンゴル人の虐殺を描いた『墓標なき草原』で司馬遼太郎賞を受賞しています。
非常にモンゴル民族への思い入れが深く、今の中国政府にも反感を持っているのですが、そういった思い入れの深さが、歴史的事実をわかりにくくしている面があると思います。
目次は以下のとおり。
序章 軍人民族主義者とは何か
第1章 騎兵の先駆と可愛い民族主義者
第2章 民族の青春と興安軍官学校
第3章 植民地内の民族主義者集団
第4章 興安軍官学校生たちのノモンハン
第5章 「チンギス・ハーン」のモンゴル軍幼年学校
第6章 「草原の二・二六事件」と興安軍官学校の潰滅
終章 「満蒙」残夢と興安軍官学校生の生き方
19世紀末から中国人(漢民族)によるモンゴル高原への入植が始まりますが、これは遊牧を行なうモンゴル人たちのとっては死活的な問題でした。植生が貧弱なモンゴル高原は一度開墾されるとすぐさま沙漠化してしまい、遊牧もできなくなってしまうからです。
そんな中で、当時、満蒙に進出してきた日本と手を組んで中国製力を駆逐しようとしたのが本書の主人公・ジョンジョールジャブの父バボージャブでした。
1916年、袁世凱政権からモンゴルの地を取り戻すべくバボージャブは日本の支援を得て兵を挙げますが、あえなく戦死。その夢は子どもたちに引き継がれます。ちなみに「男装の麗人」と言われた川島芳子の夫がバボージャブの子でジョンジョールジャブの兄に当たるガンジョールジャブです。
ジョンジョールジャブは中学から日本に渡り、日本のアジア主義者などと交流し、「可愛い民族運動の主唱者」という肩書で新聞にも紹介されたりしています(36p)。
その後、ジョンジョールジャブは陸軍士官学校に入り、東條英機、松井石根らの面識を得ます。このように、日本でもてはやされたジョンジョールジャブでしたが、一方で、陸士では彼が一番憎いんでいた中国人と一緒に「中華隊」に編入されるなど、モンゴル人としての立場をたびたび軽視されることになります。
この、持ち上げられつつもあくまでも日本人の都合でしか扱われないというのは、ジョンジョールジャブだけではなく、この後のモンゴル人全体にも共通したものでした。
1932年に満州国が建国されると、モンゴル人たちは自分たちも独立へと燃え上がりますが、日本が認めようとしたのはあくまでも自治でした。また、すでに外蒙古には社会主義国のモンゴル人民共和国が成立しており、日本のモンゴル人への肩入れは、モンゴルの「赤化」防止のためでもありました。
そうした中で1934年にモンゴル人を軍人として教育するためにつくられたのが興安軍官学校です。
興安軍官学校は、独立を夢見るモンゴル人たちの期待を集めますが、1936年に興安北省省長でモンゴル人の有力者だった凌陞(りょうしょう)が関東軍の憲兵隊によってソ連と通じた罪で処刑され、ノモンハン事件が起こると、モンゴル人の心は日本から離れていきます。
ノモンハンではモンゴル人を含む興安軍が編成され戦いに動員されますが、ソ連側にもモンゴル人が動員されており、いわばモンゴル人が日本とソ連の代理戦争に動員されている形でした。
こうした状況に嫌気が差したモンゴル人部隊からは逃亡する者も続出し、また、日本人のモンゴル人に対する偏見がますますモンゴル人たちの士気をそいでいきました。
結局、その後もモンゴル人たちの民族自決の夢は日本の勢力範囲内での「自治」という形に矮小化され、ジョンジョールジャブの不満は終戦直前に爆発します。
ソ連の侵攻を知ったジョンジョールジャブは、8月11日に日系将校を殺して、日本軍の裏切ります。モンゴル人の想いを裏切り続けてきた日本軍を最後に裏切ったのです。
著者は、このジョンジョールジャブの蜂起を二・二六事件と重ねていますが、まあ、これはどうなんでしょう。
ただ、この後成立した共産党政権のもと、モンゴルの軍人たちは1958年にチベットに派遣されて弾圧を行ったあと、文化大革命が始まると粛清されていきます。
このなんともやるせない運命が興安軍官学校をはじめとする日本の記憶を美化している面もあって、著者もその狭間の中で揺れ動いています。
ですから、正直なところ読みやすい本ではないと思います。内容もジョンジョールジャブ中心なのか興安軍官学校中心なのかぶれている点がありますし、時系列も整理されているとは言い難い面があります。
けれども、そうした揺れ動く記述を通して、大国に翻弄される民族の悲劇が伝わってくるのは確かです。
日本陸軍とモンゴル - 興安軍官学校の知られざる戦い (中公新書)
楊 海英
412102348X
- 2015年12月15日23:46
- yamasitayu
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