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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2015年04月

最近、札幌市議会の市議が「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね」などという発言を行ったことから、アイヌのことが話題になりました(発言を行った市議は落選)。
もちろん、これは無知と偏見に基づく発言なのですが、「では、アイヌはどのような人々なのか?」と問われたとき、一般の日本人の知っていることは少ないと思います。社会の教科書などでも、アイヌについて言及されているのは「コシャマインの戦い」、「シャクシャインの戦い」、「アイヌ文化振興法」といったあたりで、これだと「北海道の先住民族だったが和人に圧迫されてその数を減らした」といったイメージしか湧いてきません。

ところが、この本を読むとアイヌの人々の歴史や生活が思いのほかダイナミックで、和人やその他の人々との間にも活発な交流があったことがわかります。
多くの人のアイヌのイメージを書き換える本と言えるでしょう。

目次は以下の通り。
序章 アイヌはどのような人々か
第一章 縄文 一万年の伝統を引く
第二章 交易 沈黙交易とエスニシティ
第三章 伝説 古代ローマからアイヌへ
第四章 呪術 行進する人々と陰陽道
第五章 疫病 アイヌの疱瘡神と蘇民将来
第六章 祭祀 狩猟民と山の神の農耕儀礼
第七章 黄金 アイヌは黄金の民だったのか
第八章 現代 アイヌとして生きる

このようにアイヌについてテーマ別に記述しており、また、民俗学的な考察も多いため、時系列的な「アイヌの歴史」は追いにくくなっていますが、個人的にはその「アイヌの歴史」に興味があったので、ここで簡単に再構成してみます。

アイヌ語は周辺のどの言語とも似ていない孤立言語であるが、遺伝的には縄文人の形質的な特徴を受け継いでおり、言語も縄文人から受け継いだのではないかと考えられる。琉球の人も縄文人の遺伝的影響は強いが、言語は日本語の影響を強く受けている(38ー42p)。

4世紀頃、サハリンのオホーツク文化人が南下し、7世紀になると道東のオホーツク海沿岸にも進出。千島列島にも進出した。オホーツク人集落は海岸沿いにしかなく海の民であった(48ー51p)。

オホーツク人が南下した4世紀頃、アイヌは本州に進出。仙台平野と新潟平野を結ぶラインにまで南下。一方、5世紀後半以降、古墳文化の人々が東北に進出し、6世紀になるとアイヌは東北北部と北海道に撤退。さらに7世紀になるとアイヌと交易していた東北北部太平洋沿岸の人々が札幌、江別、恵庭、千歳などの北海道南半に進出。いわゆる「エミシ」と呼ばれる人々か?(51ー53p)
また、史料などから660年には阿倍比羅夫率いる大艦隊が北海道まで遠征し、アイヌの助けに応じてオホーツク人を討ったとも考えられる(118ー119p)。

なお、東北地方にはアイヌ語で「川」を意味する「ナイ」、「ペツ」の地名が各地に見られ、アイヌ語集団が東北地方にいた事の証拠となっている。また、東北地方のマタギの言葉の中にもアイヌ語の影響がある。
一方、7世紀以降に北海道に進出した古墳社会の人々が、「カムイ」(神)、「タマ」(魂)などの古代日本語由来の祭祀の言葉をアイヌにもたらしたと考えられる(70ー82p)。

9世紀後半になるとアイヌは日本海側を北上し稚内に到達。オホーツク人はじょじょにアイヌに同化していき13世紀には完全に同化。アイヌは11世紀にはサハリン南部や南千島、15世紀には北千島、カムチャッカ半島南端へと進出。
13世紀にはサハリンなどで元と交戦。ちょうど元寇と同じころに北方ではアイヌと元軍の戦いがあった。この戦いは1308年にアイヌが毛皮の貢納を条件として元に服属して終息。
これらのアイヌの進出の原動力となったのが、日本との交易で珍重されたオオワシの羽やラッコの毛皮。アイヌはオオワシの羽を求めて道東へ、ラッコの毛皮を求めて北千島へと進出したと考えられている(53ー59p)。
また、奥州藤原氏も砂金の採掘を目的として北海道に進出していた可能性がある。さらに砂金を求めて10世紀頃から修験者も北海道に入り込んでいたかもしれない(262ー276p)。

14世紀以降、渡島半島南部に和人が進出。1457年にはコシャマインの戦いが起き、1550年に後の松前藩の祖である蠣崎氏がアイヌとの戦いを終息させる(60p)。

16世紀前半、北海道はゴールドラッシュに湧き、数万人規模の和人の金掘りが北海道に入っていたという話もある。また、1669年のシャクシャインの戦いにおいても金掘りがアイヌを支援し松前藩と戦うということもあったらしい(251ー252p)。なお、このシャクシャインの戦いのあと、金の採掘や和人の金掘りの渡航が禁止される(261p)。

19世紀になると、和人によって疱瘡、麻疹、梅毒、疥癬などのさまざまな病気が持ち込まれアイヌは激減。1800年代のはじめから1873年にかけてアイヌの人口は2万6350人から1万8644人へと約3割減るが、この大きな要因は病気だった(198p)。

以上、この本に書かれているアイヌの歴史を時系列的に抜書きしてみましたが、この本のメインとなるのはこういった歴史と、アイヌの文化や交易などのつながりです。
アイヌに関しては紙に書かれた史料が少ないために、どうしても推測に頼る部分もありますが、この空白の部分にさまざまな可能性があり、そこを面白く感じる人も多いと思います。

個人的に面白いと思ったのは、千島のアイヌが行ったという沈黙交易。
千島のアイヌは、道東アイヌが交易のためにやってくると、交易の品である獣皮を持って山の上に避難したそうです。道東のアイヌは誰もいない浜に上陸し、交換のための品を浜辺に並べて一度沖合に去る。そうすると、今度は千島のアイヌたちは山を下りて、欲しい物を取り、代わりに獣皮をおいて去る。そこで再び道東のアイヌが戻ってきて獣皮を受け取っていくというのが、沈黙交易のプロセスです(106p)。

ずいぶんと面倒で変わった交易に思えますが、ヘロドトスの『歴史」にはカルタゴ人とリビア人が同じような交易を行ったことが書かれていますし、世界中で見られる交易スタイルだそうです。
無用なトラブルを避けるということもあるのでしょうが、千島のアイヌの場合、メインの理由と考えられるのが伝染病への恐怖。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』や山本太郎『感染症と文明』(岩波新書)などを読んだ人はわかると思いますが、外部との接触が少ない人々の集団は、持ち込まれた病原菌に寄って絶滅に近いようなダメージをうけることがあります。
周囲から孤立していた千島のアイヌは、何よりも伝染病を恐れ、外部との接触を嫌ったのです(ちなみに、このアイヌの中で伝えられているコロボックル(小人)の伝説の小人は北千島の人々だったともいいます(143ー145p)。
そして、最終的には千島のアイヌだけでなく北海道のアイヌ全体が、和人の持ち込んだ病気によって大きなダメージをうけることになったのです。

まだまだ空白の部分があるとはいえ、アイヌの文化と歴史について多くのことを教えてくれる本であり、また、「日本」(日本政府というよりは現在の日本領)、そして北東アジアの文化と歴史についても興味深い事実を色々と教えてくれる本だと思います。

アイヌ学入門 (講談社現代新書)
瀬川 拓郎
406288304X
社会契約論を中心とした近代政治哲学を読み直し、そこに現在の民主主義の問題点の原点や突破口を探ろうという試み。
構成としてはボーダン、ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カントを順にとり上げていくスタイルなので教科書的に見えますが、小平の都道建設問題に積極的に関わった著者の問題意識が色濃く反映されています。
スタイルや問題意識は同じちくま新書の重田園江『社会契約論』に近いものがあると思います。

目次は以下の通り。
第1章 近代政治哲学の原点―封建国家、ジャン・ボダン
第2章 近代政治哲学の夜明け―ホッブズ
第3章 近代政治哲学の先鋭化―スピノザ
第4章 近代政治哲学の建前―ジョン・ロック
第5章 近代政治哲学の完成―ジャン=ジャック・ルソー
第6章 近代政治哲学への批判―ヒューム
第7章 近代政治哲学と歴史―カント
結論に代えて―近代政治哲学における自然・主権・行政

これだけの思想家を新書のボリュームでとり上げるということは、思想家を包括的に紹介するのではなく、特定の観点から説明することになりますが、この本の場合、それはサブタイトルにもなっている「自然・主権・行政」ということになります。

特に、政治哲学で想定されている「自然」、すなわち自然状態に関しては哲学者らしくこだわった議論がなされていると思います。
特に147pに表として掲げられているルソー、ホッブズ、ロックの想定する「自然状態のズレ」についての部分などは興味深いです。
ホッブズとルソーでは自然状態についての捉え方が正反対となっています。ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘争状態」と考え、ルソーは支配関係のない善良なものとして描き出しています。
この違いについては、ホッブズは「性悪説」、ルソーは「性善説」という形で説明されることが多いですが、著者は想定している状態が違っており、ホッブズの自然状態はある程度の人間がすでに集まって暮らしている状態であり、これはルソーの社会状態に重なると言います。さらにロックに関しては、自然状態においてすでに所有権が想定されており、これはルソーにおける国家状態、ホッブズにおける社会常態であると言います。これが、それぞれお思想家が想定する「自然状態のズレ」です(ちなみにロックは「哲学的に一貫性を欠いたもの」(105p)としてdisられていて、このロックdisは重田園江『社会契約論』と共通)。

「主権」と「行政」に関しては、多くの思想家が「主権」の中心として「立法権」を据えつつも、立法では一般的な原理・原則を定めることができず、個別的な政策については行政権(執行権)の裁量を認めざるをえないことに焦点が当てられています。
共同体のメンバー全員で立法に関わることは可能ですが、全員が行政に関わることは不可能です。カントはこの行政における裁量を「全員ではない全員が決定を下すこと」(220p)と述べました。カントは民主制が執行の場面において矛盾に直面するとしたのです。
これは著者の『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)でもとり上げられていた問題で、民主主義のアポリアとして捉えられています。

また、個人的にはホッブズの「恐怖の支配する自然状態」や「一回限りの契約」を相対化するスピノザの考えは興味深く読めました。ホッブズ・ロック・ルソーといった人の本は読んでいたもののスピノザの本は読んだことがなかったので、ここは勉強になりました。
他にも、社会契約論を相対化するヒュームの部分もよくまとまっていると思います。

最後に疑問点を2つほど。
この本でも重田園江『社会契約論』でもロックは自然状態の捉え方が甘いとdisられているわけですが、人類は「個人」→「集団」→「国家」という形で歩みを進めていたわけではなく、最初から「集団」として行動してたはずであり、自然状態にある程度の社会性を持ち込むことは間違ってはいないと思います。むしろ、「個人」こそが近代になってはじめて可能になった存在だとも言えるはずです(もちろん、それを踏まえた上で「ラディカルさがなくてつまらない」という批判は可能ですし、そういうニュアンスのところもありますが)。

もう一つは、立法と行政の関係だけがとり上げられていて、三権の残り1つである司法への言及がない点。
確かに、立法が一般的なルールをつくり、それを行政が個別の事例に適用していきますが、個別の事例をもう一度一般のルールに照らして判断するのが司法の役割のはずです。司法については『来るべき民主主義』においてもほとんど触れられていなかった記憶があるので、著者の視野にはあまり入っていないのかもしれませんが、やはり政治における司法の役割は重要だと思います。
その点から言って、やはりモンテスキューにも1章を割くべきではないかと思いました。


近代政治哲学:自然・主権・行政 (ちくま新書)
國分 功一郎
4480068201
台風情報などでよく聞く南大東島。この島は周囲を20メートルほどの断崖絶壁で囲まれた島で、人が上陸することはかなり難しい島でした。ところが、1900年になるとこの断崖をよじ登って島に上陸する人々が現れます。しかも、その人々は沖縄の人々ではなく200キロ以上離れた伊豆諸島の八丈島からやってきた人々でした。
「なぜ八丈島の人々は遠い島の断崖絶壁をよじ登ったのか?」これが著者をとらえた疑問だといいます。
また、日本の最東端の南鳥島。台風などが来ればひとたまりもない絶海の孤島ですが、ここにも明治期の日本人は進出していきました。
この日本人を南洋の孤島へと駆り立てたもの。それこそがこの本のタイトるにも出てくるアホウドリなのです。

この本は、「アホウドリを追った日本人」の姿を追うことで、日本の「南洋進出」の原動力、領土の広がり、日米対立の背景など、さまざまなことを教えてくれます。

まず、アホウドリは、太平洋では最大級の海鳥ですが、人を警戒することを知らず簡単に撲殺されたことからこの名前がついています。撲殺された理由は、その羽毛が高く売れたことにあります。1897年頃のあほうどりの羽毛の値段は腹毛100斤(60キログラム)で30〜50円。巡査の初任給が9円だった時代です(22p)。
こうして採れた羽毛はヨーロッパへと輸出されました。鳥類の禁猟や保護が進んでいたヨーロッパへは、他にも日本からさまざまな鳥の羽毛や剥製が輸出されており、明治期の日本は鳥類輸出大国でした。

こうしてアホウドリは手っ取り早く金を稼げる「資源」として浪費されていきました。
特に八丈島の大工だった玉置半右衛門は、鳥島の借地権を「牧畜開拓」の名目で入手すると(のちに借地期限を延長するため開拓が進んだかに見える適当な地図まででっち上げた(34p))、15年間でおよそ600万羽のアホウドリを捕獲し、100万円近い収入を得たと考えられています(20ー24p)。
玉置半右衛門はその後、南大東島入植の中心人物ともなり(これも当初の目的はアホウドリ)、日本の南洋進出に大きな足跡を残します。

この成功を他の人が黙っているわけはありません。三重県出身の水谷新六は南鳥島(マーカス島)へ、福岡出身の古賀辰四郎は尖閣諸島へとアホウドリを求めて進出していきました。
また、アホウドリのいそうな孤島を求めて、「グランパス島」、「ガンジス島」などの実際には存在しない疑存島への探検も行われました(これらの島は万が一でも存在が確認できれば領有を主張できるため欧米人たちによって地図に書き込まれた(40p))。

しかし、こうした人物たちが大金を手にする一方で現場で働く人たちの境遇は厳しいものでした。
鳥島では1902年に大噴火が起こり、出稼ぎ労働者125人が行方不明のまま死亡扱いになりました(55p)。南鳥島でも羽毛採取後に捨てられた鳥の死体の影響で衛生環境は悪く、出稼ぎ労働者の死亡率は33%とも言われています(58p)。
また、無人島に「置き去り」にされる出稼ぎ労働者たちもいました。1904年、北西ハワイ諸島の西にあるリシアンスキー島において、密猟の容疑でアメリカ政府に捕まった労働者たちはいずれも衰弱しており捕まらなければ衰弱死してた状況でした。彼ら中のおよそ3分の1は強制送還を拒否してハワイに残留することを選択しており、アホウドリ捕獲事業の労働環境のひどさがうかがえます(130ー139p)。

今、北西ハワイ諸島と書きましたが、日本人のアホウドリ捕獲の手はウェーキ島やミッドウェー諸島、さらにはハワイへと伸びていきました。一方、アメリカでは肥料として使われる海鳥糞「グアノ」を求めて、これらの島々を開発しようとしました。
ここに太平洋において、日本の「バード・ラッシュ」とアメリカの「グアノ・ラッシュ」がぶつかることになりました。
南鳥島(マーカス島)に関しては日本がアメリカに先んじて確保しますが、ウェーキ島やミッドウェー諸島、ハワイ周辺においては、アメリカと摩擦を起こしたくない日本政府も、主権などを無視して密猟を行う日本の業者に苦慮することになります。

折しも移民問題などで日米の対立が生まれる中、アメリカの庭先までやってきて鳥を殺していく日本人の存在はアメリカの世論の感情的な反発を生みました。
こうしたこともあってハワイの周辺には今の世界遺産「パパハナウモクアケア」につながる「ハワイ諸島自然保護区」が設定されることになります。

この部分を読んで感じたのが、当時の日米関係と今の日中関係の重なりです。
現在、日本の排他的経済水域内における中国漁船のサンゴの密猟が問題となっていて、一時期日本のニュースでもさかんに取り上げられていましたが、当時の海鳥を密猟する日本人もそのような形で見られていたのでしょうね。
中国の漁船は何か中国という国家の意図に基づいて日本の近海にやって来ているのではないか?と思ってしまいますが、これは日本も経験した伝統的な社会が解体し人々のエネルギーが外へ向かう発露のひとつなのでしょう(尖閣周辺に関しては中国政府の意図があるんでしょうが)。
もちろん密猟は厳しく取り締まられるべきですが、あまりそこに「国家としての陰謀」のようなものを見ない方がいいということをこの本は教えてくれます。

ただ、アホウドリからリン鉱へとターゲットを変えた日本の南洋進出は、海軍などとも共謀しながら進んでいくことになります。この本の第4章ではリン鉱を求めて、プラタス島(東沙島)、スプラトリー諸島(南沙諸島)へと進出した西沢吉治と『坂の上の雲』でも有名な海軍の秋山真之の関係が描かれています。
現在の南シナ海における中国とベトナムやフィリピンとの領土領土紛争を見ると、ここでも中国が過去の日本をなぞっているといえるかもしれません。

このように日本の領土拡大の軌跡を追った本なのですが、結果として非常にアクチュアルな本になっていると思います。個人的に読みながら色々と考えさせられる、とても面白い本でした(似たテイストの本に同じ岩波新書の宮内泰介・藤林泰『かつお節と日本人』がありますが、こちらのほうがより知られていない歴史を深くえぐっていて面白いですね)。


アホウドリを追った日本人――一攫千金の夢と南洋進出 (岩波新書)
平岡 昭利
4004315379
「犯罪心理学」というと、連続殺人犯の生育歴などをたどって「心の闇」に光を当てるというようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、それはかなり古いイメージ。
この本は、そうした古いイメージを否定し、近年の犯罪心理学の研究の中で蓄積されてきた治験を活かしつつ、エビデンスに基づいた原因分析と更生のあり方を紹介しています。

目次は以下の通り。
第1章 事件
第2章 わが国における犯罪の現状
第3章 犯罪心理学の進展
第4章 新しい犯罪心理学
第5章 犯罪者のアセスメントと治療
第6章 犯罪者治療の実際
第7章 エビデンスに基づいた犯罪対策

最初に「エビデンスに基づいた」と書きましたが、「エビデンスに基づかない」犯罪に対する「神話」として著者はこの本の13pで次のようなものを紹介しています。
・少年事件の凶悪化が進んでいる。
・日本の治安は悪化している。
・性犯罪の再犯率は高い。
・厳罰化は犯罪の抑制に効果がある。
・貧困や精神障害は犯罪の原因である。
・虐待された子どもは非行に走りやすい。
・薬物をやめられないのは、意志が弱いからだ。

これらの「神話」のうちのいくつかは、テレビなどで共有されている知識と言ってもいいでしょう。凶悪事件が起これば、それが「貧困」や「格差」と結びつけられ、犯人に「虐待」された過去があれば、それが犯罪の「主因」のようなものに仕立てあげられてしまいます。
もちろん、著者も「貧困」や「格差」や「虐待」が無視していい問題だと考えているわけではありませんが、それによって犯罪を語るのはデータからして不適当だというのです。

この本では、まず第1章と第2章でこういった「神話」を解体しながら、日本における犯罪を改めて見直していきます。
犯罪というと、殺人のような重大なものがすぐ頭に浮かびますが、「新たに刑務所に入る人々のうち、最も多い罪名は窃盗、第二位が覚せい剤」(66p)です。
覚せい剤については犯罪であると同時に、一種の「病気(依存症)」であることに異を唱える人は少ないと思いますが、窃盗も「クレプトマニア(窃盗癖)」と名付けられる一種の「病気(依存症)」であることが多く、これらの犯罪には単純な刑罰だけでなく「治療」が必要だといいます。
犯罪心理学は、原因の分析だけではなく、この「治療」を担うものであり、再犯の防止のためにも役立てられるものなのです。

また、第3章では今までの犯罪心理学の歴史をたどっていますが、ここではスキナーの行動主義的心理学が重要視される一方、精神分析や犯罪社会学などは批判されています。
犯罪社会学では、貧困や差別などが犯罪の要因として注目されますが、それだけでは「貧しい人の多くが犯罪をしない理由」が説明できません。環境的な要因だけではなく、本人の生得的な要因と相まって犯罪は起きるのです。

では、その犯罪を引き起こす要因とは何なのか?この本の第4章ではそれがズバリ紹介されています。
その要因とは、「過去の犯罪歴」、「反社会的交友関係」、「反社会的認知」、「反社会的パーソナリティ」(以上の4つは効果量が0.25以上あり「ビッグ・フォー」と呼ばれる)、「家庭内の問題」、「教育・職業上の問題」、「物質使用」、「余暇活動」(以上の4つは効果量が0.2程度)の8つで、「セントラル・エイト」と名付けられています。一方、「低い社会階層」、「精神的苦悩・精神障害」、「知能」といった要因は今まで犯罪の要因としてよくあげられていきましたが、目立った関連性はないそうです(120ー122p)

「犯罪社会学」というと、どうしても「反社会的パーソナリティ」の説明が期待されるかもしれませんが、個人的にこの「反社会的パーソナリティ」については、DSM-Vの「反社会的パーソナリティ」の診断基準が、ほぼ「あなたは犯罪者ですか?」的な基準なため、いまいち信頼出来ないものだと感じています。
この本を読んでも、「反社会的パーソナリティ」についての疑念は完全には晴れませんでしたが、この本では他の7つの要因もバランスよく論じられており、全体的な説明としては納得できるものでした。

ちなみに、「反社会的認知」は「世の中は暴力がものを言う」「置換されても女性がじっとしているのは嫌がっていないから」といった認知の歪み、「教育・職業上の問題」は学校や職場でのトラブルや失業など、「物質使用」はアルコールや麻薬の摂取などです。
最後の「余暇」はちょっとわかりにくいですが、「不適切な余暇活動」のことで趣味などがないことがこれに該当するそうです。

第5章や第6章では以上の分析を踏まえた上での犯罪者への「治療」の試みが紹介されています。
「治療」と聞くと、「なぜ税金を使って犯罪者を治療するのか?」と反発する人もいるかもしれませんが、よほどの凶悪犯罪でないかぎり受刑者はいずれ出所します。再犯防止の観点からこの「治療」は重要です。
もちろん、すべての犯罪者が「治療可能」というわけではないですが、この本では薬物使用や性犯罪に対する「治療」の取り組みが紹介されており、効果をあげつつあるようです。日本ではまだ始まったばかりのようですが、今後の進展に期待したいですね。

もう少し内容が整理されているとさらに読みやすい気もしますが、「犯罪心理学の今」がわかるとともに、同時に「犯罪の冷静な見方」を教えてくれる本だと思います。
少年犯罪や治安などに対してひとこと言いたい人にも読んで欲しいですし、ニュースなどで犯罪についての報道を見聞きして不安を抱いている人にも(少し難しいですが)読んで欲しいですね。また、心理学い興味がある人もこの本を読むと、「今の心理学」のイメージがつかめるのではないでしょうか。

入門 犯罪心理学 (ちくま新書)
原田 隆之
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
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