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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2010年11月

わかりやすく、なおかつスキのない経済政策の入門書。
この本は経済政策の必要性を示した上で、経済政策の3つの柱、「成長政策」、「安定化政策」、「再分配政策」についてその必要性と働きを丁寧に説いてくれます。

日本のように経済学者の地位が確立されておらず、「エコノミスト」という経済学者なんだか、たんなるアナリストみたないものかよくわからない人が幅を効かせているような状況では、経済政策といってもやたらに極端な意見が主張されたり、あるいは「さらば、GDP!」的な無責任な夢物語が主張されがちです。
そんな中でこの本は、「幸福」の分析からGDPという指標の有効性を語り、まずは「さらば、GDP!」的な議論を退けた上で、経済政策の説明に入ります。
経済学にそれなりに親しんでいる者からすると丁寧すぎる気もしますが、この丁寧さこそこの本の最大の売りでしょう。

そして、各論のところでも丁寧に俗論を退けています。
「成長政策」ではまずはじめに旧通産省的な「産業政策」が退けられていますし、「安定政策」の部分では、不況こそが新しい産業を生み出すというネオ・シュンペーテリアン流の解釈(日本だと構造改革万能論にあたるのかな?)が、一国の経済では完全に当てはまるものではないとされています。
また、「再分配政策」ではハルサーニの「公平観察者」の概念などを持ち出して、その必要性を原理の面から説明しています。

このように経済学を知らない人、経済学に不信感を持っている人には非常にいい本だと思います。また、経済学をある程度知っている人にとっても、議論の仕方などは非常に参考になると思います。

ただ、一点だけ気になったのは、政府の価格統制が経済の足を引っ張る例として最低賃金制度を挙げているところ。
確かに、高すぎる最低賃金は雇用にマイナスなのは確かでしょうが、最低賃金制度が単純に有害であるような書き方は経済学に対する警戒心を強めてしまうだけのような気がします。

ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方 (角川oneテーマ21)
飯田 泰之
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東京都青少年条例の「非実在少年」問題など、マンガ表現への規制が大きな問題となった2010年。この本はそうしたマンガ規制の半世紀にも及ぶ歴史を検証したものです。

手塚治虫のデビューと共に始まった赤本マンガのブーム。マンガ規制の歴史もそれと同じくして始まっています。
「良識がない」、「暴力的だ」、「子どもが犯罪に走る」など、今とほとんど変わらないような批判がマンガの勃興と共に生まれています。
ただ、今の規制がもっぱら性的な表現に向けられているのに対して、当時の批判は「太平洋戦争前後の日本の世相をしのばせる好戦もの、燃える大空、血に染む日の丸など、ひどいのは「国連の艦隊も滅茶苦茶だ」という国連否認思想」(99p)などに見られるように、暴力や軍国主義的なものへの批判に力点が置かれています。

それが60年代になると、そのターゲットを性的な表現にも写していきます。「東京母の会連合会」が悪書追放のために「白ポスト」(子どもに見せたくない雑誌を捨てるためのもの)を設置したりしたのもこのころで、母親たちが政治家に訴える→政治家が議会で取り上げる→規制のための条例や出版社の自主規制、という動きが繰り返されるようになります。
この本では90年代なかばに和歌山で規制運動が盛り上がり、その背後に「念法眞教」という宗教団体があったことを明らかにしていますが、ある種の母親たちを動員する手段としてマンガ規制が持ち出されていたことがうかがえて興味深いです。

けれども、現在の規制運動は母親たちの突き上げというよりも、警察などの治安機関がリードして行われている側面が強く、著者はそのことに警鐘を鳴らしています。

このようにマンガ規制の流れと背景、そしてマンガ規制の手続きなど、マンガ規制に関する網羅的な知識を提供してくれる本です。
ただ、マンガ規制の歴史を時系列的に追うのが記述の中心になっているので、読み物として面白いものではないです。
個人的には、もう少し各時代の規制の違いや、ビデ倫など自主検閲的な組織と警察の関係などをわかりやすく書いてくれるとよかったと感じました。
それでも、現在のマンガ規制の問題を真摯に考えようとする人にとっては有益な本でしょう。

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)
長岡 義幸
4582855563


98年のピークにはオーディオレコード(CD、レコード、カセットテープの合計)の売上は約6075億円。それが09年には約2496億円。半分以下に縮小したCD不況の中で、どうやって新しい音楽を産み出していくかということを、メディアジャーナリストで最近では「Twitterの伝道師」として有名な津田大介と、「渋谷系」の有名レーベルTRATTORIAなどを設立した牧村憲一が探った本。
本のもとになっているのはは二人が行ったセミナーなのですが、本自体は二人の対談とそれぞれの講義的なもので構成されており、非常に読みやすい内容になっています。

津田氏がTwitterだ、YouTubeだ、Ustreamだ、というだけの本であれば、「それって一時期の流行じゃない?」「そもそもビジネスになるの?」ということで終わってしまう危険性もありますが、この本は実際にレーベル経営に携わり、また音楽業界のことを深く知っている牧村氏が加わることで、音楽産業論としても興味深いものになっていると思います。

ネットにおける様々な技術の発達は、素人でもレーベルを立ち上げることを可能にしており、まさに牧村氏の言う「一人1レーベル」ということが可能になるかもしれません。
牧村氏の語る「レーベル」というものの理念と、津田氏の紹介するさまざまなネットの技術やマネタイズの可能性は、音楽だけにとどまらず、ネット時代の創作活動に大きなヒントを与えるものになっていると思います。

ただ個人的に思ったのは、津田氏や牧村氏の視界に入っている音楽、対象とする音楽がややマニアックなものではないかということ。
自分の音楽の趣味もかなりマニアックな部分はあるので、だからダメだという気はありませんが、この本で語られているさまざまな可能性は、たとえ成功したとしても小さな成功にとどまるものだと思います。

津田氏は対談の中で、これからのアーティストは「コミュニケーションを売る」のだと述べていて、それは確かにあるとは思うのですが、それがアーティストの基本的な姿勢になれば、なにか寂しい気もします。

例えば、音楽の新しい収益源としてこの本ではフェスが取り上げられていますが、フェスのヘッドラーナーを務められるバンドは00年代に入って明らかに減少しており、このままでは衰退は避けられない状態です。
カリスマを待望しても仕方が無いのかもしれませんが、「コミュニケーションを売る」小さなアーティストが主役になる未来というのも少し寂しいと思いました。

未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか (中公新書ラクレ)
津田 大介 牧村 憲一
4121503708


「異なる言語の話者は、世界を異なる仕方で見ているのか?」、この分野に少し詳しい人ならこの言葉からサピア・ウォーフ仮説を思い出すかもしれません。この本は、そのサピア・ウォーフ仮説の妥当性をさまざまな実験によって確かめようとした本です。

「われわれは、生まれつき身につけた言語の規定する線にそって自然を分割する」(本書60p)というサピア・ウォーフ仮説は、最近あまり旗色のよくない説で、スティーヴン・ピンカーなどからは批判されています。
確かに、著者もウォーフがいうように言語の違いによって「「相互に理解不能なほどの思考の隔たり」が存在するというのは考えにくい」(206p)と述べています。
けれども、言語が人々の認識に影響を及ぼしているのは確かで、著者はそれをさまざまな言語の話者の比較、そして赤ん坊の思考の発達を通して示していきます。

例えば数に関しては、日本語のように十進法をとっている言語以外に、六進法に近い言語、体の部位に数を対応させている言語、「1」と「2」しか存在せず、あとは「多い」といった概念しか存在しないアマゾン奥地に住むピラハ族の言語などもあります。
このピラハ族に数をマッチングさせる(こちらが並べた数と同じ数のマッチを並べてもらう実験)と、1〜3までは完全に正解したけど、9,10といった数になるとほとんどできなかったそうです(154p)。
また、大きな数を認識できないというのは赤ちゃんも同じで、赤ちゃんは生後5ヶ月ほどで数を数えられるけど、それは3以下の小さい数で、4と5の区別は付いていないようなのです(148p)。
つまり、数の認識においても人間は言語の影響を受けており、言語があるからこそ数に対する認識が発達するのです。

これ以外にも、英語のように名詞を可算名詞と不可算名詞で分ける言語と分けない言語の認識の違い、ドイツ語のように名詞を男性名詞と女性名詞で分ける言語と分けない言語の違いといったものが、さまざまな実験を通して紹介されています。
これらの実験で示される違いは、それほど大きなものではないのですが、無意識的な判断の中にも言語の影響がはっきりと窺えるもので、非常に興味深いです。

認識は言語によって規定されるか?それとも、人間の認識は普遍的であるのか?
この重大な問題について、著者は単純な二者択一はできないというどっちつかずの結論を示しますが、そこにいたるまでに紹介される様々な実験や事例は刺激的。個人的には、。サピア・ウォーフ仮説が葬り去られたわけではないことが確認できのが収穫でした
言語と認識という重要な問題を考える上で、良い入門書と言えるでしょう。

ことばと思考 (岩波新書)
今井 むつみ
4004312787



読んでいる途中まで『見えないアメリカ』を書いた著者の本だと思っていたのですが、同じ渡辺でもあちらは将人でこちらは靖でした。
言い訳をすれば、どちらもアメリカの保守とリベラル、そして反エリート主義を取り上げているので混同してしまったのです。
ただ、渡辺将人の『見えないアメリカ』が社会問題も視野に入れつつ最後まで「政治」の本であったのに対して、この本は、オバマという政治家に焦点を当てつつもアメリカ社会全般の問題に光を当てた本。

法人化される民主主義、ゲーテッド・コミュニティ、メガチャーチなどアメリカ社会の様々な現象を批判的に論じながら、同時にアメリカ社会の「強さ」も探っていくというのが著者の姿勢です。
変にセンセーショナルになっていない筆致は好感が持てますし、バランスもとれていると思います。

けれども、帯の文句「オバマは大丈夫か?」という問の答えとしてはやや物足りないです。
国外からはなかなか想像できないオバマの不人気ぶりについて、「保守派とリベラルの対立に引き裂かれている」といった説明を与えたりしていますが、著者が明らかにオバマに肩入れしているだけに、ここはもうちょっと深く分析してもらいたかったところ。
それこそ『見えないアメリカ』で取り上げられていた、アメリカ人の「反ワシントン」的な態度をこの本でももっと取り上げるべきだったと思いますし、著者の知見がややアメリカの東海岸に偏っているような気がしました。

アメリカン・デモクラシーの逆説 (岩波新書)
渡辺 靖
4004312779
著者はウォーラースティンの紹介なども行っている西洋史の泰斗で、この本のテーマのイギリス近代史は著者の専門でもあります。
読む前はあくまでウォーラースティン的な「世界システム論」の立場からイギリスの近代史をざっくり切った本かと思っていましたが、読んでみるとイギリス近代の家族形態から、都市やスラムの成立、産業革命における消費者の存在など、ミクロ的に見えながら社会の変化を象徴しているテーマが次々と取り上げられていて、予想以上の面白さがありました。

固定されていたフランスの貴族などと違い、わずかではあっても開かれていたイギリスの「ジェントルマン」という階級。
彼らは匿名的な場所である都市・ロンドンで自らお身分を示すために身なりを整えます。たびたびの「ぜいたく禁止令」にも関わらず、彼らはファッションを競い、議会でぜいたく禁止法を撤廃させ、そして服飾品に対する需要を作り出します。

また、ジェントルマンたちの「社交」は、ロンドンをさらに発展させ、宿泊施設、貸し馬車、洗濯屋といった職業を生み出します。

そして木綿工業を中心に始まる産業革命。
ここでもやはり鍵となるのは木綿に対する需要の存在です。
資本、労働者と産業革命を引き起こすために必要だったものはいくつかありますが、著者は今まで見過ごされがちの「需要」に注目して産業革命に新しい光を当てます。
また、国内での調達量に限界があった羊毛に比べて、海外から買い付けていた木綿にはそうした限界がほとんどなかったから機械による大量生産が可能だったというのも、「なるほど」と思わせる説明です。

これ以外にも、「産業革命の資金はどこから来たか?」、「スラムはどのように成立したか?」といった問題に関しても、従来の説を覆す研究や史料が紹介されており、産業革命のイメージを大きく塗り替えています。

最後の章の「イギリス衰退論争」も含め、イギリスの近代史をダイナミックかつ詳細に分析してみせた非常に面白い本です。
上で紹介したもの以外にも、非常に様々なトピックが取り上げられており、イギリス、産業革命、そして著者の言う「成長パラノイア」に取り憑かれた「近代」そのものを考える上で刺激に満ちた本だと思います。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)
川北 稔
4062880709

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★★プロフィール★★
名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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「西東京日記 IN はてな」で。
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