2013年10月
「穢多」(「かわた」)と並んで、江戸時代の被差別身分であった「非人」。「穢多」が皮革関係、、芸能の仕事や草履づくりなどのさまざまな職業と結びついていたのに対して、その内実がわかりにくいのが「非人」です。
そんな「非人」ついて、大坂の非人集団を対象に、史料を使って、その来歴や生活、そして生業と社会的ポジションの変遷を明らかにした本。
かなり史料の読み込みを中心とした本で、そういった本に慣れていない人にとっては骨が折れると思いますし、やや煩雑すぎる面もあるのですが、それらの史料の解読を通して浮かび上がってくる「非人」の姿は非常に興味深いです。
大坂の非人は天王寺垣外(かいと)、鳶田垣外、道頓堀垣外、天満垣外と呼ばれる四カ所に集住していましたが、彼ら大坂の非人集団の中核にいたのが「転びキリシタン」と呼ばれる幕府のキリシタン弾圧により棄教した者たちでした。
この本では転びキリシタンが置かれていた境遇などについては書かれていませんが、幕府は17世紀後半まで、この転びキリシタンの類族(男は5代まで、女は3代まで)を詳細に調べており、そこから大坂の非人の長吏の家などの様子がわかるようになっています。
この本ではこの家系図を用いてかなり詳細な分析がなされていますが、大雑把に言うと、そこからこの転びキリシタンの家など古くからの非人を中心に、新しい非人が組織化されていったこと、初期の生業は乞食だったが、時が経つに連れそれ以外の生業につくものも現れたということなどがわかります。
キリシタンの類族の類族調査は18世紀後半(1774年)にも行われているのですが、そこで目立つ生業は「番人」、「非人番」です。
著者はこの変化を次のように説明しています。
非人たちは、17世紀の頃までは「乞食」として市中の家々を「勧進」して回っていたが、その中で特定の家や地域との関係が強くなってきた。一方で、与える側の町人たちの「志」の範囲を超えるねだり行為(悪ねだり)も行われるようになってくる(子どもの宮参りを取り囲んで祝儀をねだるといったことも行われたらしい(136p)。こうした悪ねだりの取り締まりのために、関係の深い垣外のメンバーが垣外番として抱えられていく。そしてその権利は「垣外番株」として相続されていくことになる。
「乞食を取り締まる仕事が乞食に任され、それが権利化して家督になっていく」ということが起こっているのです。なにか変な話ですが、非常に江戸時代の特徴を表しているような話でもあります。
さらに19世紀になると、非人たちは幕府の警察機構の一端を担っていきます。それは盗賊の捕物、役人の警護、さらには政治レベルの情報収集にまで及んでいたとのことです(例えば、幕末には天王寺垣外のメンバーが長州藩の動向を報告している(140p)。
ただ、こうした「御用」の増加は負担でもあったらしく、勤めを果たせない家が出てきたり、代勤者に御用を務めさせていた例がかなりあったことも史料から見えてきます。
また、こうした「御用」を勤めたことを背景として、差別の視線と戦い、自らの処遇を引き上げようとした非人たちの姿も見えてきます。
19世紀半ばになると、非人たちは「大坂絵図」の中に書かれた「非人村」の記述の削除を求めて与力に訴えています。もっとも、これは垣外仲間が他の非人たちと自分たちを区別してほしいと言ったもので、「非人身分」そのものの否定ではないのですが、四天王寺との由緒などを持ち出すことで、「長吏」と書き換えさせることに成功しています。
さらに四天王寺に対して、毎年白銀を奉納する代わりに扶持を与えてもらう取り決めをするなど、四天王寺という大寺院を使った自らの身分の引き上げの動きも起ってきます。
一方的に差別されていたという印象がある非人身分ですが、その中には実にしたたかに生きている人々がいたのです。
と、この本の内容の一部をまとめましたが、この本の特徴はこうしたマクロ的な動きを史料の中のミクロ的な動きから丹念に拾いだしているところです。いわゆる「新書レベル」ではない形で、史料の読み込みを行っているで正直マクロ的な動きは逆に捉えにくいかもしれません。
ただ、そうした細かい史料の流れをきちんとたどることができれば、今まで知らなかった江戸時代の人々の社会が見えてくると思います。
大坂の非人: 乞食・四天王寺・転びキリシタン (ちくま新書)
塚田 孝
4480067329
そんな「非人」ついて、大坂の非人集団を対象に、史料を使って、その来歴や生活、そして生業と社会的ポジションの変遷を明らかにした本。
かなり史料の読み込みを中心とした本で、そういった本に慣れていない人にとっては骨が折れると思いますし、やや煩雑すぎる面もあるのですが、それらの史料の解読を通して浮かび上がってくる「非人」の姿は非常に興味深いです。
大坂の非人は天王寺垣外(かいと)、鳶田垣外、道頓堀垣外、天満垣外と呼ばれる四カ所に集住していましたが、彼ら大坂の非人集団の中核にいたのが「転びキリシタン」と呼ばれる幕府のキリシタン弾圧により棄教した者たちでした。
この本では転びキリシタンが置かれていた境遇などについては書かれていませんが、幕府は17世紀後半まで、この転びキリシタンの類族(男は5代まで、女は3代まで)を詳細に調べており、そこから大坂の非人の長吏の家などの様子がわかるようになっています。
この本ではこの家系図を用いてかなり詳細な分析がなされていますが、大雑把に言うと、そこからこの転びキリシタンの家など古くからの非人を中心に、新しい非人が組織化されていったこと、初期の生業は乞食だったが、時が経つに連れそれ以外の生業につくものも現れたということなどがわかります。
キリシタンの類族の類族調査は18世紀後半(1774年)にも行われているのですが、そこで目立つ生業は「番人」、「非人番」です。
著者はこの変化を次のように説明しています。
非人たちは、17世紀の頃までは「乞食」として市中の家々を「勧進」して回っていたが、その中で特定の家や地域との関係が強くなってきた。一方で、与える側の町人たちの「志」の範囲を超えるねだり行為(悪ねだり)も行われるようになってくる(子どもの宮参りを取り囲んで祝儀をねだるといったことも行われたらしい(136p)。こうした悪ねだりの取り締まりのために、関係の深い垣外のメンバーが垣外番として抱えられていく。そしてその権利は「垣外番株」として相続されていくことになる。
「乞食を取り締まる仕事が乞食に任され、それが権利化して家督になっていく」ということが起こっているのです。なにか変な話ですが、非常に江戸時代の特徴を表しているような話でもあります。
さらに19世紀になると、非人たちは幕府の警察機構の一端を担っていきます。それは盗賊の捕物、役人の警護、さらには政治レベルの情報収集にまで及んでいたとのことです(例えば、幕末には天王寺垣外のメンバーが長州藩の動向を報告している(140p)。
ただ、こうした「御用」の増加は負担でもあったらしく、勤めを果たせない家が出てきたり、代勤者に御用を務めさせていた例がかなりあったことも史料から見えてきます。
また、こうした「御用」を勤めたことを背景として、差別の視線と戦い、自らの処遇を引き上げようとした非人たちの姿も見えてきます。
19世紀半ばになると、非人たちは「大坂絵図」の中に書かれた「非人村」の記述の削除を求めて与力に訴えています。もっとも、これは垣外仲間が他の非人たちと自分たちを区別してほしいと言ったもので、「非人身分」そのものの否定ではないのですが、四天王寺との由緒などを持ち出すことで、「長吏」と書き換えさせることに成功しています。
さらに四天王寺に対して、毎年白銀を奉納する代わりに扶持を与えてもらう取り決めをするなど、四天王寺という大寺院を使った自らの身分の引き上げの動きも起ってきます。
一方的に差別されていたという印象がある非人身分ですが、その中には実にしたたかに生きている人々がいたのです。
と、この本の内容の一部をまとめましたが、この本の特徴はこうしたマクロ的な動きを史料の中のミクロ的な動きから丹念に拾いだしているところです。いわゆる「新書レベル」ではない形で、史料の読み込みを行っているで正直マクロ的な動きは逆に捉えにくいかもしれません。
ただ、そうした細かい史料の流れをきちんとたどることができれば、今まで知らなかった江戸時代の人々の社会が見えてくると思います。
大坂の非人: 乞食・四天王寺・転びキリシタン (ちくま新書)
塚田 孝
4480067329
- 2013年10月26日23:09
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日本が豊かだから国外の人を助けるべきだという主張は、バブル崩壊後の経済停滞と一千兆円の政府債務を引き受ける若年層にとっては、高度経済成長時代の日本を生きてきた世代の古い思考に見えてしまう。
(中略)
だが、なぜ日本人が、たとえば遠くアフリカ大陸で内戦に苛まれているような社会を支援しなければならないのか。日本人が支援に関与すべきであるとすれば、それはなぜなのか。こうした問いは、伝統的なODA(政府開発援助)などの枠組みからだけでは、必ずしも説明することができない。
それでは関与しないほうがいいのか。判然としない問いである。こうした問題は関心を有する者たちが、自分たちで問いを発し、自分たちで回答を考えていくのでなければ、未消化のままになってしまう。(10p)
これは、この本の「はじめに」の部分にある文章。最初は「平和構築」という仕事に対する動機づけを行う本のようにも思えますが、最後では「平和構築」は「関心を有する者たち」が考えていくべき問題だとしています。
実はこの本の中身もまさにこんな感じ。「平和構築入門」ということで、あまり耳慣れない「平和構築」という仕事の世界にいざなう本というよりは、「平和構築」の現状とその問題点を列挙した本。
目次は以下の通り。
第1章 なぜ平和構築に取り組むのか?―現代世界の平和構築
第2章 主権国家は平和をつくるのか?―政治部門の平和構築
第3章 武力介入は平和をつくるのか?―治安部門の平和構築
第4章 犯罪処罰は平和をつくるのか?―法律部門の平和構築
第5章 開発援助は平和をつくるのか?―経済部門の平和構築
第6章 人命救助は平和をつくるのか?―人道部門の平和構築
かなり中身を詰め込んだ本で、ここでは全てを紹介しきれません。ですから、、興味を引いた部分だけをいくつか紹介したいと思います。
第2章の「主権国家は平和をつくるのか?」では、「国家が平和をつくる」という、主権国家がまずあってそこではじめて平和構築が可能になるという考えが検討されています。
この「まず主権国家の立ち上げ」という考えは根強く、そのために内戦終結後の「和平合意」が一種の「社会契約」のような形で用いられます。アフガニスタンではタリバン抜きでボン合意という合意がなされ、あたかもこれが「和平合意」のようなものとして扱われました。国家建設にはその構成員による何らかの「合意」が必要だという社会契約説的な考えが、このような状況を生み出しているのです。
一方、高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』で注目を集めたソマリランドなどは、きちんとした合意に基づいた主権国家ではないため、国際社会では認知されないのです。
第4章の「犯罪処罰は平和をつくるのか?」では、「法の支配」というキーワードをもとにして戦争犯罪法廷を巡る近年の動きなどが紹介されています。
この分野に関して日本人の動きが鈍い理由として「総力戦であった第二次世界大戦の記憶から、戦争が始まってしまえば、法規範など無関係な代物になる、と考えてしまいがちであえる」(140p)という指摘はその通りだと思いますが、現代の国際社会では「戦争状態においてもなお「法の支配」を貫徹させる考え方を貫こうとする」(140p)のが標準的な考えなのです。
第6章の「人命救助は平和をつくるのか?」では、日本では無条件に「善」と思われがちな人道援助が実は問題をはらんでいることが指摘されています。
緒方貞子・国民難民高等弁務官が、湾岸戦争後のイラクのクルド人に対する人道援助に踏み切って以降、国際社会では必ずしも「中立」とは言えない立場でも人道援助を行うというスタンスが広がっていきました。
ところが、その人道援助の問題を浮き彫りにしたのが、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)におけるルワンダの難民キャンプの問題です。フツ族によるツチ族の虐殺が起こったルワンダでは、ツチ族の武装勢力がフツ族の政府を打ち倒すことで虐殺を終わらせました。しかしその結果として、大量のフツ族の難民がザイールへと押し寄せることになります。
国際社会はこのフツ族の難民キャンプへの支援を始めるわけですが、この難民キャンプはフツ族の武装勢力に支配されており、援助物資の多くがフツ族武装勢力の資金源となり、MSF(国境なき医師団)フランスは「人道援助がもはや善よりもより多くの害悪をもたらしている」(236p)として撤退します。
結局、フツ族の難民キャンプはルワンダ軍によって制圧され、その混乱は第一次コンゴ戦争、第二次コンゴ戦争へとつながっていきます。
ルワンダの虐殺では国際社会の不介入が問題となりましたが。その後の展開においてはむしろ国際社会の人道的介入が傷を広げたという見方もできるのです。
このように興味深い論点が詰まっている本です。ただ、詰まっているぶんやや読みにくいかもしれません。また、何度かポール・コリアーの考えが引用されていますが、コリアーのような明確な(そして乱暴な)処方箋は示されていません。あくまでも、平和構築についての問題を考えていくというスタンスになります。
平和構築入門: その思想と方法を問いなおす (ちくま新書)
篠田 英朗
4480067418
- 2013年10月19日12:43
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『暇と退屈の倫理学』などの著作で知られる哲学者の國分功一郎が、小平市都道328号線の反対運動に加わったことをきっかけにして、現代の民主主義の問題について考察した本。
「市民の目線」と「哲学者の目線」の2つの目線から、小平市都道328号線問題が浮き彫りにしたものを考察しています。
目次は以下の通り。
まず、第1章は著者がこの問題に関わるようになったきっかけと運動の顛末について。
都道328号線とは、府中と東村山を南北に結ぶ幹線道路・「府中所沢線」の小平市の部分で、今回問題になっているのは1.4キロほどの区間になります。
ここに雑木林などをつぶし200世帯ほどに立ち退いてもらった上で4車線の道路を作るというのが東京都の計画で事業費は200億円をくだらないと言われています。
しかもすぐそばには同じように南北に走る2車線の幹線道路の「府中街道」があり、「この計画はおかしいじゃないか?」というのが運動に参加した人、そして著者の立場になります。
たまたま、この事業の「説明会」に参加した著者はその「説明会」の進め方に疑問を抱き、半世紀ほど前(1963年策定)に計画された道路を、その地域の住民の意見もろくに聞かずに建設しようとする「行政」の姿に強い違和感を覚えます。
ここから著者は反対運動に参加し、建設の是非を問う住民投票条例の制定を目指し、署名を集めることになります。その結果、7183筆の署名が集まり、条例の制定要求の条件はクリアーするのですが、小平市の小林市長が「投票率が50%に達しなければ開票しない」という条件をつけたことにより、住民投票は行われたものの開票されないままに終わることになります(投票率は35.17%。ちなみに今年5月の市長選の投票率は37.28%)。
第2章では、それを踏まえて今回の住民運動において、運動を起こした側がいかに工夫し、さまざまな形でアプローチしたかということが述べられています。今回の小平の運動では、住民運動の新しい形がいろいろと模索されていたことがわかります。
第3章がこの本の思想的な部分の中心になります。
ここでは「主権」の概念が検討され、その主権が立法権に結び付けられてきた歴史をたどり直します。
しかし、著者は実際の政治的な決定が立法府ではなく行政機関で決められているとして、この考えに疑問を呈し、次のように言います。
そして政治哲学者の大竹弘二の「公開性の根源」という論文を引用しつつ、「主権」が政治の末端までコントロールできなくなってきたことにより、「主権」が危機に瀕していると指摘します。
第4章では、ドゥルーズの「制度が多いほど、人は自由になる」という言葉を引いて、議会以外の経路を通る民主主義のあり方について考察しています。
住民投票やワークシヨップ、そして審議会のあり方など、議会以外に民主主義の回路の必要性が訴えられています。
第5章はまとめ。デリダの「来るべき民主主義」という言葉が紹介され、現在の民主主義を少しずつでも改善していくことの必要性が述べられています。
全体の内容はこんな感じですが、個人的に予想していたよりも本格的な本でした。運動をまとめたパンフレット的なものを緊急出版のような形で持ってくるのかと思っていたのですが、小平市都道328号線問題にしても、政治哲学的な部分に関しても、かなりきちんとした議論がなされています。
また、問題の提示の仕方もわかりやすく、「政治についての不満を的確に表現してくれた」と感じる人も多いでしょう。
それを踏まえた上で2点ほど。
まず、現代の政治において行政機関が力を持っているのは確かですが、「ルールをどう適用するか」を最終的に判断するのは司法ですよね。日本では司法があまり身近ではないので仕方のない面もありますが、行政の暴走を止めるのはやはり司法なんだと思います。
そして、小平市に隣接する西東京市や国分寺市、そして隣の隣の府中市にすんだことがある身としては都道328号線は全く意味のない道路ではないと思います。都道328号線は地域の中核病院である多摩総合医療センターに繋がる道で、救急搬送の迅速化などが期待できます。とはいっても、府中街道の強化でもある程度その任務は果たせるわけで、「無駄だ」という意見もわかります。
この本では、この問題の混迷を「行政の暴走」と位置づけていますが、個人的には地方自治における仕事の切り分け、あるいは自治体のサイズの問題が大きいと思いました。
この道路は都道なので、事業主体は都です。また、道路の便益は小平市に限られるものではありません。ですから、小平市だけでこの道路の可否を判断できないというのは仕方のないことだと思います。
しかし、都政、あるいは都の行政のトップを選ぶ都知事選で争うにはあまりに小さい問題です。この問題については、現在のところ適切に扱える舞台が存在しない。それが実は一番大きな問題なのではないかと感じました。
来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)
國分 功一郎
4344983165
「市民の目線」と「哲学者の目線」の2つの目線から、小平市都道328号線問題が浮き彫りにしたものを考察しています。
目次は以下の通り。
第1章 小平市都道328号線問題と住民投票
第2章 住民参加の可能性と課題
第3章 主権と立法権の問題―小平市都道328号線問題から近代政治哲学へ
第4章 民主主義と制度―いくつかの提案
第5章 来るべき民主主義―ジャック・デリダの言葉
まず、第1章は著者がこの問題に関わるようになったきっかけと運動の顛末について。
都道328号線とは、府中と東村山を南北に結ぶ幹線道路・「府中所沢線」の小平市の部分で、今回問題になっているのは1.4キロほどの区間になります。
ここに雑木林などをつぶし200世帯ほどに立ち退いてもらった上で4車線の道路を作るというのが東京都の計画で事業費は200億円をくだらないと言われています。
しかもすぐそばには同じように南北に走る2車線の幹線道路の「府中街道」があり、「この計画はおかしいじゃないか?」というのが運動に参加した人、そして著者の立場になります。
たまたま、この事業の「説明会」に参加した著者はその「説明会」の進め方に疑問を抱き、半世紀ほど前(1963年策定)に計画された道路を、その地域の住民の意見もろくに聞かずに建設しようとする「行政」の姿に強い違和感を覚えます。
ここから著者は反対運動に参加し、建設の是非を問う住民投票条例の制定を目指し、署名を集めることになります。その結果、7183筆の署名が集まり、条例の制定要求の条件はクリアーするのですが、小平市の小林市長が「投票率が50%に達しなければ開票しない」という条件をつけたことにより、住民投票は行われたものの開票されないままに終わることになります(投票率は35.17%。ちなみに今年5月の市長選の投票率は37.28%)。
第2章では、それを踏まえて今回の住民運動において、運動を起こした側がいかに工夫し、さまざまな形でアプローチしたかということが述べられています。今回の小平の運動では、住民運動の新しい形がいろいろと模索されていたことがわかります。
第3章がこの本の思想的な部分の中心になります。
ここでは「主権」の概念が検討され、その主権が立法権に結び付けられてきた歴史をたどり直します。
しかし、著者は実際の政治的な決定が立法府ではなく行政機関で決められているとして、この考えに疑問を呈し、次のように言います。
たとえば道路をつくるにあたってのルールは、立法府において決定されるだろう。だが、実際の道路は様々な具体的な状況の中で建設される。ルールをどう適用するかは、その具体的な状況に携わっている執行機関によって判断される。つまり、ルールをつくるのは立法府であっても、それを適用するのが行政府である以上、現実の決定は行政機関において下さざるをえない。(133p)
そして政治哲学者の大竹弘二の「公開性の根源」という論文を引用しつつ、「主権」が政治の末端までコントロールできなくなってきたことにより、「主権」が危機に瀕していると指摘します。
第4章では、ドゥルーズの「制度が多いほど、人は自由になる」という言葉を引いて、議会以外の経路を通る民主主義のあり方について考察しています。
住民投票やワークシヨップ、そして審議会のあり方など、議会以外に民主主義の回路の必要性が訴えられています。
第5章はまとめ。デリダの「来るべき民主主義」という言葉が紹介され、現在の民主主義を少しずつでも改善していくことの必要性が述べられています。
全体の内容はこんな感じですが、個人的に予想していたよりも本格的な本でした。運動をまとめたパンフレット的なものを緊急出版のような形で持ってくるのかと思っていたのですが、小平市都道328号線問題にしても、政治哲学的な部分に関しても、かなりきちんとした議論がなされています。
また、問題の提示の仕方もわかりやすく、「政治についての不満を的確に表現してくれた」と感じる人も多いでしょう。
それを踏まえた上で2点ほど。
まず、現代の政治において行政機関が力を持っているのは確かですが、「ルールをどう適用するか」を最終的に判断するのは司法ですよね。日本では司法があまり身近ではないので仕方のない面もありますが、行政の暴走を止めるのはやはり司法なんだと思います。
そして、小平市に隣接する西東京市や国分寺市、そして隣の隣の府中市にすんだことがある身としては都道328号線は全く意味のない道路ではないと思います。都道328号線は地域の中核病院である多摩総合医療センターに繋がる道で、救急搬送の迅速化などが期待できます。とはいっても、府中街道の強化でもある程度その任務は果たせるわけで、「無駄だ」という意見もわかります。
この本では、この問題の混迷を「行政の暴走」と位置づけていますが、個人的には地方自治における仕事の切り分け、あるいは自治体のサイズの問題が大きいと思いました。
この道路は都道なので、事業主体は都です。また、道路の便益は小平市に限られるものではありません。ですから、小平市だけでこの道路の可否を判断できないというのは仕方のないことだと思います。
しかし、都政、あるいは都の行政のトップを選ぶ都知事選で争うにはあまりに小さい問題です。この問題については、現在のところ適切に扱える舞台が存在しない。それが実は一番大きな問題なのではないかと感じました。
来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)
國分 功一郎
4344983165
- 2013年10月12日00:13
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民主党政権の挑戦と挫折を丁寧に検証した本。このような本だと第三者が後出しジャンケン的に「民主党政権のここがダメだった、あれがダメだった」となりやすいのですが、この本は、菅直人、野田佳彦、岡田克也、仙谷由人、細野豪志、海江田万里、松井孝治といった民主党政権の中心人物へのヒアリングと、民主党議員へのアンケートなども行っており、当事者の意見も踏まえた失敗の検証がしてあると思います。
また、単純に批判するだけではなく、高校無償化によって高校中退者が減ったこと、診療報酬のプラス改定など、民主党政権の成果についてもしっかりと書かれており、全体としてフェアな印象です。
「日本再建イニシアティブ」という著者名はやや怪しげな名前に思えますが、元朝日新聞の記者・船橋洋一が理事長を務めるシンクタンクで、福島第1原発事故の民間事故調の報告書をつくった機関です。以下、章ごとに執筆者も紹介しますが、これを見るとなかなかのメンバーが揃っていることもわかると思います。
第1章 マニフェスト――なぜ実現できなかったのか(中北浩爾)
民主党の政権交代の原動力となったマニフェストですが、その過大な内容は政権獲得後に政権の足を引っ張ることになります。
ここで筆者が問題にするのは選挙の度に目玉政策が付け加えられマニフェストが肥大化してこと。2003年の総選挙のときに菅代表のもとで掲げられたマニフェストの必要経費は2.5兆円。ところが、この金額は選挙の度に膨らんでいき2009年の総選挙では16.8兆円に達します。
これに関しては「小沢代表が非現実的なマニフェストに変えてしまったからだ」という批判と、逆に「小沢一郎なら実行できた」という見方がありますが、予算不足で立ち往生してしまった2010年度予算案で、ガソリン税の暫定税率廃止を引っ込め(マニフェストを一部反古)現実的な対応をしたのも小沢一郎。小沢一郎という個人にこの問題の全てを帰することはできないというのが筆者の見方です。
第2章 政治主導――頓挫した「五策」(塩崎彰久)
ここでは民主党の掲げる「政治主導」がいかに崩れ去ったかということを検証しています。
「政治主導」といっても、「主導」するのは首相なのか?各大臣なのか?その辺りがはっきりしておらず結果的に「官邸崩壊」的な事態になっていたことがわかります。例えば、「政治主導」の象徴でもあった事務次官会議の廃止は官邸の情報収集に支障をきたし、事務の内閣官房副長官は「なにもやることがなくなった」そうです(63p)。
そして何よりも頻繁な首相の交代とそれ以上の頻度で行われた内閣改造のせいで、最後まで政治家が「主導」できるような環境が整わなかったことが大きな問題です。
第3章 経済と財政――変革への挑戦と挫折(田中秀明)
筆者は同じ中公新書から『日本の財政』という本を出しており、内容的にはやや被るところもあります。
公共事業費の削減、「行政事業レビュー」など上手くいったものもありましたが、全体的に民主党政権の財政運営は上手くいったとは言い難いものでした。筆者は民主党が予算編成の改革を思考しながら、結局有効な予算を縛るルールを確立できなかったことが「失敗の本質」と見ています。
第4章 外交・安保――理念追求から現実路線へ(神保 謙)
ここでは「普天間基地問題」、「尖閣諸島沖での漁船衝突事件」、「尖閣国有化」という民主政権外交の3つの蹉跌を分析しています。
尖閣をめぐる「漁船衝突事件」と「国有化」に関しては、民主党政権もそれなりに中国側と接触していたことがわかりますが、結果的に中国側の動きを見誤っています。民主党の中国とのパイプの弱さと、そして野田首相に代表される「ぶれない」ことを重視する政治スタイルが結果的に大きな失敗を招いた感じです。
第5章 子ども手当――チルドレン・ファーストの蹉跌( 萩原久美子)
完全実施はならなかったものの民主党政権の中ではそれなりにインパクトなある政策となった子ども手当。この章ではその子ども手当とそれ以外の子育て政策を取り上げています。
「子どもを社会で育てる」、「控除から手当へ」という子ども手当の理念は、今までの社会のあり方を変えうる新しいものでしたが、財源論をめぐって初年度にしっかりとした制度を作れなかったことと、配偶者控除の撤廃に踏み切れなかったことから迷走を始めます。後者の配偶者控除の撤廃について、岡田克也は2009年の衆院選で新人が大量に当選し、「専業主婦を政党に評価するべき」と考える議員が増えてしまったと語っています(173p)。
また、子ども手当以外の保育政策については、「幼保一体化」というテクニカルな問題に集中し過ぎ、保育園の増設を望む子育て世代の支持を得られなかったと分析しています。
第6章 政権・党運営――小沢一郎だけが原因か (中野晃一)
同じ民主党議員の中にも「小沢氏だけが将来の日本のビジョンを示す」(東祥三)と言う人もいれば、「選挙と政局以外にほとんど興味のない人」(仙谷由人)と言う人もいます。民主党政権の3年3ヶ月はまさに小沢一郎をめぐる内部対立の歴史でもありました。
そんな「小沢一郎問題」を小沢一郎のパーソナリティだけではなく、民主党の構造的な要因から分析した章。個人的には一番面白かったです。
鳩山内閣では各大臣が副大臣や政務官を選んだことから党内の優秀な人間は次々に政府にとられ、若手ばかりが党に残ることになります。この図式は鳩山内閣以降も解消せず、結局は年功序列のような形で当選回数の多い議員が入閣し、新人議員たちは党に取り残されました。結果的に「日向組」「日陰組」が生まれ、「日陰組」の若手議員が小沢一郎に頼る構図が出来上がりました。
選挙に強い「日向組」に対して、マニフェストと「風」に頼って選挙を勝ち抜いた「日陰組」の若手議員にとって、「マニフェスト違反」、「消費税増税」は議員としての死を意味ます。消費税問題で党を割って出るのは仕方のないことでもあったのです(実際、一年生議員に関しては民主党に残った議員よりも離党した議員のほうが生き残った確率が高い)。
また、「財源などいくらでもある」と豪語しながら、財務大臣就任後はマニフェストをの実現をあきらめ、消費税増税へと突き進んだ藤井裕久の問題にも触れています(彼が消費税増税論者の野田佳彦を強引に副大臣に引っ張った)。ここでは少ししか触れられていませんが民主党政権の失敗を語る上で「藤井裕久問題」というのも外せないものだと思います。
第7章 選挙戦略――大勝と惨敗を生んだジレンマ (フィリップ・リプシー)
2009年の総選挙は民主党の圧勝だったわけですが、その「圧勝」がかえって民主党を不安定にさせたとこの章では分析されています。大量の新人議員の中には必ずしも今までの民主党の理念と合わない議員もいましたし、また「風」によって当選した議員は次の選挙への不安から今まで民主党が批判してきた利益団体に接近します。
また、事実上、人口の少ない県の一人区の勝敗によって大勢が決まる参議院選挙の欠陥も、民主の理念をぶれさせました。小沢一郎の「川上戦略」によって民主党は2007年の参院選に勝利しましたが、民主党内ではこのやり方をめぐって対立も起きてきます。そして2010年の参院選の敗北によって「ねじれ国会」が生じ、民主党政権は停滞するのですが、比例・選挙区とも票数だけであれば民主は自民に勝っていました。
2010年の参院選敗北の要因はなんといっても菅首相の「消費税増税発言」だったわけですが。この選挙制度自体の欠陥というのも忘れてはならないポイントでしょう(このあたりはせいじ学者の菅原琢氏も指摘している所)。
このように様々な角度から民主党政権の失敗の要因が分析されています。ここでは紹介できなかった議員の生の声にもそれぞれ面白いものがありますし、政治に興味がある人なら読んで損はない本だと思います。
似たような本に御厨貴編『「政治主導」の教訓』があって、この本も面白いのですが、なんといってもこちらは新書で読みやすいですし、「議員の生の声」があるというのがこの本の特徴であり、売りでしょうね。
民主党政権 失敗の検証 - 日本政治は何を活かすか (中公新書)
日本再建イニシアティブ
4121022335
また、単純に批判するだけではなく、高校無償化によって高校中退者が減ったこと、診療報酬のプラス改定など、民主党政権の成果についてもしっかりと書かれており、全体としてフェアな印象です。
「日本再建イニシアティブ」という著者名はやや怪しげな名前に思えますが、元朝日新聞の記者・船橋洋一が理事長を務めるシンクタンクで、福島第1原発事故の民間事故調の報告書をつくった機関です。以下、章ごとに執筆者も紹介しますが、これを見るとなかなかのメンバーが揃っていることもわかると思います。
第1章 マニフェスト――なぜ実現できなかったのか(中北浩爾)
民主党の政権交代の原動力となったマニフェストですが、その過大な内容は政権獲得後に政権の足を引っ張ることになります。
ここで筆者が問題にするのは選挙の度に目玉政策が付け加えられマニフェストが肥大化してこと。2003年の総選挙のときに菅代表のもとで掲げられたマニフェストの必要経費は2.5兆円。ところが、この金額は選挙の度に膨らんでいき2009年の総選挙では16.8兆円に達します。
これに関しては「小沢代表が非現実的なマニフェストに変えてしまったからだ」という批判と、逆に「小沢一郎なら実行できた」という見方がありますが、予算不足で立ち往生してしまった2010年度予算案で、ガソリン税の暫定税率廃止を引っ込め(マニフェストを一部反古)現実的な対応をしたのも小沢一郎。小沢一郎という個人にこの問題の全てを帰することはできないというのが筆者の見方です。
第2章 政治主導――頓挫した「五策」(塩崎彰久)
ここでは民主党の掲げる「政治主導」がいかに崩れ去ったかということを検証しています。
「政治主導」といっても、「主導」するのは首相なのか?各大臣なのか?その辺りがはっきりしておらず結果的に「官邸崩壊」的な事態になっていたことがわかります。例えば、「政治主導」の象徴でもあった事務次官会議の廃止は官邸の情報収集に支障をきたし、事務の内閣官房副長官は「なにもやることがなくなった」そうです(63p)。
そして何よりも頻繁な首相の交代とそれ以上の頻度で行われた内閣改造のせいで、最後まで政治家が「主導」できるような環境が整わなかったことが大きな問題です。
第3章 経済と財政――変革への挑戦と挫折(田中秀明)
筆者は同じ中公新書から『日本の財政』という本を出しており、内容的にはやや被るところもあります。
公共事業費の削減、「行政事業レビュー」など上手くいったものもありましたが、全体的に民主党政権の財政運営は上手くいったとは言い難いものでした。筆者は民主党が予算編成の改革を思考しながら、結局有効な予算を縛るルールを確立できなかったことが「失敗の本質」と見ています。
第4章 外交・安保――理念追求から現実路線へ(神保 謙)
ここでは「普天間基地問題」、「尖閣諸島沖での漁船衝突事件」、「尖閣国有化」という民主政権外交の3つの蹉跌を分析しています。
尖閣をめぐる「漁船衝突事件」と「国有化」に関しては、民主党政権もそれなりに中国側と接触していたことがわかりますが、結果的に中国側の動きを見誤っています。民主党の中国とのパイプの弱さと、そして野田首相に代表される「ぶれない」ことを重視する政治スタイルが結果的に大きな失敗を招いた感じです。
第5章 子ども手当――チルドレン・ファーストの蹉跌( 萩原久美子)
完全実施はならなかったものの民主党政権の中ではそれなりにインパクトなある政策となった子ども手当。この章ではその子ども手当とそれ以外の子育て政策を取り上げています。
「子どもを社会で育てる」、「控除から手当へ」という子ども手当の理念は、今までの社会のあり方を変えうる新しいものでしたが、財源論をめぐって初年度にしっかりとした制度を作れなかったことと、配偶者控除の撤廃に踏み切れなかったことから迷走を始めます。後者の配偶者控除の撤廃について、岡田克也は2009年の衆院選で新人が大量に当選し、「専業主婦を政党に評価するべき」と考える議員が増えてしまったと語っています(173p)。
また、子ども手当以外の保育政策については、「幼保一体化」というテクニカルな問題に集中し過ぎ、保育園の増設を望む子育て世代の支持を得られなかったと分析しています。
第6章 政権・党運営――小沢一郎だけが原因か (中野晃一)
同じ民主党議員の中にも「小沢氏だけが将来の日本のビジョンを示す」(東祥三)と言う人もいれば、「選挙と政局以外にほとんど興味のない人」(仙谷由人)と言う人もいます。民主党政権の3年3ヶ月はまさに小沢一郎をめぐる内部対立の歴史でもありました。
そんな「小沢一郎問題」を小沢一郎のパーソナリティだけではなく、民主党の構造的な要因から分析した章。個人的には一番面白かったです。
鳩山内閣では各大臣が副大臣や政務官を選んだことから党内の優秀な人間は次々に政府にとられ、若手ばかりが党に残ることになります。この図式は鳩山内閣以降も解消せず、結局は年功序列のような形で当選回数の多い議員が入閣し、新人議員たちは党に取り残されました。結果的に「日向組」「日陰組」が生まれ、「日陰組」の若手議員が小沢一郎に頼る構図が出来上がりました。
選挙に強い「日向組」に対して、マニフェストと「風」に頼って選挙を勝ち抜いた「日陰組」の若手議員にとって、「マニフェスト違反」、「消費税増税」は議員としての死を意味ます。消費税問題で党を割って出るのは仕方のないことでもあったのです(実際、一年生議員に関しては民主党に残った議員よりも離党した議員のほうが生き残った確率が高い)。
また、「財源などいくらでもある」と豪語しながら、財務大臣就任後はマニフェストをの実現をあきらめ、消費税増税へと突き進んだ藤井裕久の問題にも触れています(彼が消費税増税論者の野田佳彦を強引に副大臣に引っ張った)。ここでは少ししか触れられていませんが民主党政権の失敗を語る上で「藤井裕久問題」というのも外せないものだと思います。
第7章 選挙戦略――大勝と惨敗を生んだジレンマ (フィリップ・リプシー)
2009年の総選挙は民主党の圧勝だったわけですが、その「圧勝」がかえって民主党を不安定にさせたとこの章では分析されています。大量の新人議員の中には必ずしも今までの民主党の理念と合わない議員もいましたし、また「風」によって当選した議員は次の選挙への不安から今まで民主党が批判してきた利益団体に接近します。
また、事実上、人口の少ない県の一人区の勝敗によって大勢が決まる参議院選挙の欠陥も、民主の理念をぶれさせました。小沢一郎の「川上戦略」によって民主党は2007年の参院選に勝利しましたが、民主党内ではこのやり方をめぐって対立も起きてきます。そして2010年の参院選の敗北によって「ねじれ国会」が生じ、民主党政権は停滞するのですが、比例・選挙区とも票数だけであれば民主は自民に勝っていました。
2010年の参院選敗北の要因はなんといっても菅首相の「消費税増税発言」だったわけですが。この選挙制度自体の欠陥というのも忘れてはならないポイントでしょう(このあたりはせいじ学者の菅原琢氏も指摘している所)。
このように様々な角度から民主党政権の失敗の要因が分析されています。ここでは紹介できなかった議員の生の声にもそれぞれ面白いものがありますし、政治に興味がある人なら読んで損はない本だと思います。
似たような本に御厨貴編『「政治主導」の教訓』があって、この本も面白いのですが、なんといってもこちらは新書で読みやすいですし、「議員の生の声」があるというのがこの本の特徴であり、売りでしょうね。
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- 2013年10月06日23:45
- yamasitayu
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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