2014年11月
7月に出た『昭和陸軍全史1』の続編。サブタイトルは「日中戦争」で、3巻構成のシリーズの第2巻になります。
目次は以下の通り。
このようにこの本は1933年の塘沽停戦協定から、日中戦争が行き詰まり、いよいよアメリカとの戦争が視野に入ってくる1940年あたりまでの陸軍の動きを永田鉄山、石原莞爾、武藤章といった人物の動きとその構想を中心に描き出しています。
この本のメインとなる部分は、参謀本部作戦部長の石原莞爾が日中戦争に対して不拡大方針をとりながら、なにゆえ戦火の拡大を止められなかったかという部分と、その背景にある石原莞爾と武藤章、さらにその武藤に大きな影響を与えた永田鉄山の戦略構想の違いという部分にあります。
石原と武藤の対立というと、武藤が満州事変で独走した石原に対して、「あなたのされた行動を見習い、その通り内蒙で実行しているものです」という言葉が有名で(159p)、陸軍内部の下克上的な雰囲気に注目が集まりがちですが、そもそもの基本的な戦略構想にも大きな違いがあったのです(もちろん、下克上的な雰囲気がなければ蘆溝橋事件当時、作戦課長だった武藤が作戦部長の石原に楯突くことは出来なかったでしょうが)。
まずは永田鉄山の構想ですが、来るべき世界大戦で行われる総力戦を戦うためには、永田は満州だけではなく華北や華中の資源が必要だと考えていました。しかし、国民政府の排日姿勢から通常の方法では安定的な資源確保は不可能であり、何らかの形で日本の勢力圏下に置くことが必要だと考えていました。
実際、永田が軍務局長だった時代に華北分離工作は始まっています。
一方、石原も総力戦体制構築のためには中国の資源が不可欠だと考えていましたが、その資源獲得のための華北分離工作には否定的になっていきます。
その理由として、この本では対ソ戦への危機意識からくる米英などへの国際関係の配慮、中国における「民族運動」、ナショナリズムの高まりをあげています(150p)。
石原は、この中国のナショナリズムの高まりを抑えることは難しいし、それを反日運動ではなく当時中国に大きな利権を持っていた反英運動へと転換させていくことを考えます。
そのためには中国に対する侵略的な態度は控え、また当面は米英を直接刺激するような行動はするべきではないとしたのです。そして、満州の開発を何よりも重視しました。
永田は斬殺され、石原が参謀本部に着任したことで、基本的に石原の構想が採用されることとなり、華北分離工作は中止されます。
しかし、これに不満を持ったのが永田に強く影響を受けた武藤でした。武藤は永田と同じく総力戦体制の構築には華北華中の資源が欠かせないと考え、国民政府も脆弱で「一撃」を加えれば、華北の分離は可能だと考えていました。また、ソ連の軍事介入が可能になる時期に関しても二人の考えは違っていました(武藤はソ連はしばらく動けないと見ていた)。
石原は華北の利権を手放すことで日中戦争を終わらせることを狙いましたが、華北分離工作をずっと進めてきた武藤にとってこれは飲めない案で、武藤は戦線の拡大を主張し、ついに石原を参謀本部から追い出します。
「のちに武藤はみずから「僕は上官である先生[石原]を追い出した」と語っている」(237p)そうです。
けれども、それで陸軍が武藤のもとで一枚岩になったかというとそうではありません。
武藤は中支那方面軍参謀副長に転出し、日中戦争の前線の作戦に関わることになります。武藤は「南京を取ったら蔣介石は手を上げる」(256p)と南京攻略を主張し、実際に1937年に南京は陥落しますが、蔣介石は手を上げませんでした。
それからは、参謀本部がトラウトマン工作による和平を強く主張するものの、田中新一軍事課長を中心とする陸軍省が和平に反対。さらにそれに近衛文麿首相や広田弘毅外相が乗っかることで和平は潰れてしまいます。
さらに1938年の4月から行われた徐州作戦で、中国軍の主力を取り逃がし、日中戦争の早期解決は全く見通せない状況になってしまうのです。
そして、武藤らは、ドイツによるイギリス本土上陸の成功を前提とした「英米可分」の考え(イギリスが崩壊するのであればアメリカはアジアに介入はしない)のもと、アジアからのイギリス勢力の駆逐と日中戦争の解決を目的として、その狙いを南方にシフトさせていくのです。
この本を読んで強く感じるのが、陸軍における「役職の空疎さ」。
ここでとり上げた永田にしろ石原にしろ武藤にしろ軍政のトップの陸軍大臣でもNo.2の陸軍次官でも、統帥のトップの参謀総長でもNo.2の参謀次長でもありません。
もっとも上にいた時でもその下の軍務局長であったり作戦部長です。ところが、そんな彼らが軍事作戦を仕切り、陸軍大臣の人事について画策し、外交政策にまで介入します。
また、作戦部長だった石原は直属の部下のはずである武藤を従わせることが出来ません。この本を読むと、その背景にお互いの戦略構想の違いがあることがわかるのですが(この本で指摘されている、盟友だったはずの永田と小畑敏四郎の対立の背景に互いの対ソ戦略の違いがあるという話も興味深い)、「それにしても...」という思いは拭えません。
たんに「下克上」というのではなく、ボトムアップ的な組織が見事なまでに無責任の体制を生み出している感じです。
「陸軍全史」とは言っても、本書では作戦やあるいは中国での日本軍の所業などについての記述は少なく、あくまでも中央の幕僚たちの動きが中心に描かれています。
それでも、特に盧溝橋前後の欠落しがちな部分をきちんと埋めてくれる本ですし、何よりも「陸軍」という一枚岩で捉えがちな存在の内部を十二分に描き出し、その問題点を教えてくれる本です。
昭和陸軍全史 2 日中戦争 (講談社現代新書)
川田 稔
4062882892
目次は以下の通り。
第1章 陸軍中央における派閥対立とその政策
第2章 派閥抗争の激化と永田軍務局長の暗殺
第3章 二・二六事件と大陸政策の旋回(1)永田の対中国戦略
第4章 二・二六事件と大陸政策の旋回(2)石原の対中国戦略
第5章 蘆溝橋事件と日中戦争の開始
第6章 日中戦争の展開
第7章 日中戦争の行き詰まりと東亜新秩序
このようにこの本は1933年の塘沽停戦協定から、日中戦争が行き詰まり、いよいよアメリカとの戦争が視野に入ってくる1940年あたりまでの陸軍の動きを永田鉄山、石原莞爾、武藤章といった人物の動きとその構想を中心に描き出しています。
この本のメインとなる部分は、参謀本部作戦部長の石原莞爾が日中戦争に対して不拡大方針をとりながら、なにゆえ戦火の拡大を止められなかったかという部分と、その背景にある石原莞爾と武藤章、さらにその武藤に大きな影響を与えた永田鉄山の戦略構想の違いという部分にあります。
石原と武藤の対立というと、武藤が満州事変で独走した石原に対して、「あなたのされた行動を見習い、その通り内蒙で実行しているものです」という言葉が有名で(159p)、陸軍内部の下克上的な雰囲気に注目が集まりがちですが、そもそもの基本的な戦略構想にも大きな違いがあったのです(もちろん、下克上的な雰囲気がなければ蘆溝橋事件当時、作戦課長だった武藤が作戦部長の石原に楯突くことは出来なかったでしょうが)。
まずは永田鉄山の構想ですが、来るべき世界大戦で行われる総力戦を戦うためには、永田は満州だけではなく華北や華中の資源が必要だと考えていました。しかし、国民政府の排日姿勢から通常の方法では安定的な資源確保は不可能であり、何らかの形で日本の勢力圏下に置くことが必要だと考えていました。
実際、永田が軍務局長だった時代に華北分離工作は始まっています。
一方、石原も総力戦体制構築のためには中国の資源が不可欠だと考えていましたが、その資源獲得のための華北分離工作には否定的になっていきます。
その理由として、この本では対ソ戦への危機意識からくる米英などへの国際関係の配慮、中国における「民族運動」、ナショナリズムの高まりをあげています(150p)。
石原は、この中国のナショナリズムの高まりを抑えることは難しいし、それを反日運動ではなく当時中国に大きな利権を持っていた反英運動へと転換させていくことを考えます。
そのためには中国に対する侵略的な態度は控え、また当面は米英を直接刺激するような行動はするべきではないとしたのです。そして、満州の開発を何よりも重視しました。
永田は斬殺され、石原が参謀本部に着任したことで、基本的に石原の構想が採用されることとなり、華北分離工作は中止されます。
しかし、これに不満を持ったのが永田に強く影響を受けた武藤でした。武藤は永田と同じく総力戦体制の構築には華北華中の資源が欠かせないと考え、国民政府も脆弱で「一撃」を加えれば、華北の分離は可能だと考えていました。また、ソ連の軍事介入が可能になる時期に関しても二人の考えは違っていました(武藤はソ連はしばらく動けないと見ていた)。
石原は華北の利権を手放すことで日中戦争を終わらせることを狙いましたが、華北分離工作をずっと進めてきた武藤にとってこれは飲めない案で、武藤は戦線の拡大を主張し、ついに石原を参謀本部から追い出します。
「のちに武藤はみずから「僕は上官である先生[石原]を追い出した」と語っている」(237p)そうです。
けれども、それで陸軍が武藤のもとで一枚岩になったかというとそうではありません。
武藤は中支那方面軍参謀副長に転出し、日中戦争の前線の作戦に関わることになります。武藤は「南京を取ったら蔣介石は手を上げる」(256p)と南京攻略を主張し、実際に1937年に南京は陥落しますが、蔣介石は手を上げませんでした。
それからは、参謀本部がトラウトマン工作による和平を強く主張するものの、田中新一軍事課長を中心とする陸軍省が和平に反対。さらにそれに近衛文麿首相や広田弘毅外相が乗っかることで和平は潰れてしまいます。
さらに1938年の4月から行われた徐州作戦で、中国軍の主力を取り逃がし、日中戦争の早期解決は全く見通せない状況になってしまうのです。
そして、武藤らは、ドイツによるイギリス本土上陸の成功を前提とした「英米可分」の考え(イギリスが崩壊するのであればアメリカはアジアに介入はしない)のもと、アジアからのイギリス勢力の駆逐と日中戦争の解決を目的として、その狙いを南方にシフトさせていくのです。
この本を読んで強く感じるのが、陸軍における「役職の空疎さ」。
ここでとり上げた永田にしろ石原にしろ武藤にしろ軍政のトップの陸軍大臣でもNo.2の陸軍次官でも、統帥のトップの参謀総長でもNo.2の参謀次長でもありません。
もっとも上にいた時でもその下の軍務局長であったり作戦部長です。ところが、そんな彼らが軍事作戦を仕切り、陸軍大臣の人事について画策し、外交政策にまで介入します。
また、作戦部長だった石原は直属の部下のはずである武藤を従わせることが出来ません。この本を読むと、その背景にお互いの戦略構想の違いがあることがわかるのですが(この本で指摘されている、盟友だったはずの永田と小畑敏四郎の対立の背景に互いの対ソ戦略の違いがあるという話も興味深い)、「それにしても...」という思いは拭えません。
たんに「下克上」というのではなく、ボトムアップ的な組織が見事なまでに無責任の体制を生み出している感じです。
「陸軍全史」とは言っても、本書では作戦やあるいは中国での日本軍の所業などについての記述は少なく、あくまでも中央の幕僚たちの動きが中心に描かれています。
それでも、特に盧溝橋前後の欠落しがちな部分をきちんと埋めてくれる本ですし、何よりも「陸軍」という一枚岩で捉えがちな存在の内部を十二分に描き出し、その問題点を教えてくれる本です。
昭和陸軍全史 2 日中戦争 (講談社現代新書)
川田 稔
4062882892
- 2014年11月30日23:35
- yamasitayu
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著者がSynodosで行っていた連載をまとめたもの。連載時から面白く読ませてもらっていたのですが、本としても改めて読んでも面白いです。
著者はマルクス経済学を学んだ左派の人物なので、ひょっとしたらそれで避けてしまう人もいるかもしれませんが、タイトルにもあるケインズやハイエクといった経済学者の現代的価値や、近年の経済学の知見を活用しながら現代の経済問題を分析していく本書は、右派左派問わず役に立つ本だと思います。
目次は以下の通り。
第1章から第5章までが、1970年代以降の経済と経済政策をめぐる変化を、「リスク・決定・責任の一致が必要だ」、「予想は大事」というキーワードのもと、さまざまな経済理論を使って説明した「理論編」。第6章以降が、その認識をもとにした「対策編」といった内容になっています。
目次の中に、ハイエク、フリードマン、ルーカスといった名前があるので、人によっては左派の経済学者である著者が、これらの「新自由主義の教祖」を盛大に批判する内容を想像するかもしれませんが、そうではありません。
著者は、むしろこれらの経済学者たちが見出した知見を積極的に取り入れ、それまでの社会主義国家や「ケインズ主義的」な大きな政府を批判し、さらに、「新自由主義」や「第三の道」といった「ケインズ主義的」な大きな政府を乗り越えるためにとられた政策も、これらの経済学者が見出した真のポイントを外しているとしています。
1970年代に起こった石油危機以降、国家が経済に介入する体制は行き詰まり、また、同時に社会主義の経済的な破綻が明らかになっていきました。
そこで、多くの人が「大きな政府はもうダメで(社会主義は究極の大きな政府なのでもっとダメ)、これからは小さな政府だ!」となったわけですが、著者は、「大きな政府がダメというのではなく、リスク・決定・責任が一致していない経済体制がダメなのだ」と言います。
「リスク・決定・責任が一致していない経済体制」のわかりやすい例はソ連型の社会主義体制です。
社会主義体制のもとでの工場経営者は、無駄が出ようと赤字が出ようと経営責任を負わない存在でした。もちろん、あまりに業績が悪ければ左遷されるでしょうが、倒産の心配をする必要はありません。そこでコストを無視して生産規模の拡大を目指すようになり、経済は慢性的な資材の不足に見舞われました。
そして、この「リスク・決定・責任が一致していない」というのは社会主義だけに見られるものではありません。例えば、日本の電力会社の原発経営、そごうの水島廣雄会長の問題、リーマンショックの時のアメリカの金融機関など、現代の資本主義下でも度々見られる問題です。
ここから著者は「リスク・決定・責任が一致していない」問題を、ハイエクの計画主義批判へとつなげ、またハイエクのルールについての考え方から「予想は大事」というもう一つのキーワードを引き出していきます。
さらに、この「予想は大事」という考えの重要さを示すために、フリードマンやルーカス、さらい青木昌彦らの「比較制度分析」などにも話を進めていくのです。
特に「比較制度分析」を解説した第5章は非常にわかりやすく、『青木昌彦の経済学入門』を読む前に、まずこちらを読むといいかもしれません。
このように「理論編」は非常に面白いです。
一方、、後半の「対策編」の方は個々の章は面白いのですが、全体を通して読んだ時に少し疑問が残りました。
まず、第7章の「インフレ目標」の部分についてはわかりやすいですし、ここで行われているケインズの理論の解説も面白いです。
第6章の「ベーシックインカム」も第8章の「スウェーデン型福祉」もそれぞれの政策としては興味深いものだと思います。
ただ、個人的に「ベーシックインカムとスウェーデン型福祉が果たして両立するのかな?」という疑問を感じました。
「ベーシックインカム」は個人がリスクを取ることを後押しし、同時に行政の裁量をなくすことができるという利点があります。「スウェーデン型福祉」にも、政府の財政支援を受けたNPOや協同組合が利用者のニーズに応じてきめ細かなサービスを提供できるという利点があります。けれでも、どちらもかなりの財政規模を必要とする政策になります。
そこで感じるのは、「ベーシックインカムとスウェーデン型福祉を同時に実現させようとした場合、経済活動のほとんどすべてが政府を経由してものになってしまうのではないか?」という懸念です。
おそらく著者は「それでいい」と考えるのでしょうが、選挙で選ばれた政府がベーシックインカムの支給額を切り下げたり、福祉予算を恣意的に振り分ける可能性は残ります。
個人的には、そこに個人ではどうにも対処できない巨大な「リスク」を感じてしまいます。
ただ、このあたりのことは個人的な印象論で、この本が面白く、さまざまなことを考えさせてくれる良い本であることに変わりはないです。
「リベラル」を掲げる経済学者に変な人が多いのは日本の大きな不幸の一つですが、この本が広く読まれることで、その不幸が少しでもなくなっていくことを願いたいです。
ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 (PHP新書)
松尾 匡
4569821375
著者はマルクス経済学を学んだ左派の人物なので、ひょっとしたらそれで避けてしまう人もいるかもしれませんが、タイトルにもあるケインズやハイエクといった経済学者の現代的価値や、近年の経済学の知見を活用しながら現代の経済問題を分析していく本書は、右派左派問わず役に立つ本だと思います。
目次は以下の通り。
第1章 三十年続いた、経済政策の大誤解
第2章 ソ連型システム崩壊が教えてくれること―コルナイの理論から
第3章 一般的ルールか、さじ加減の判断か―ハイエクが目指した社会とは
第4章 反ケインズ派のマクロ経済学者たちの革命―フリードマンスとルーカスと「予想」
第5章 ゲーム理論による制度分析と「予想」―日本型雇用がとらわれたわけを題材に
第6章 なぜベーシックインカムは左右を問わず賛否両論なのか―「転換X」にのっとる政策その1
第7章 失業とたたかう「ケインズ復権」と「インフレ目標政策」―「転換X」にのっとる政策その2
第8章 「新スウェーデンモデル」に見る、あるべき福祉の姿―「転換X」にのっとる政策その3
終章 未来へ希望をつなぐ政策とは
第1章から第5章までが、1970年代以降の経済と経済政策をめぐる変化を、「リスク・決定・責任の一致が必要だ」、「予想は大事」というキーワードのもと、さまざまな経済理論を使って説明した「理論編」。第6章以降が、その認識をもとにした「対策編」といった内容になっています。
目次の中に、ハイエク、フリードマン、ルーカスといった名前があるので、人によっては左派の経済学者である著者が、これらの「新自由主義の教祖」を盛大に批判する内容を想像するかもしれませんが、そうではありません。
著者は、むしろこれらの経済学者たちが見出した知見を積極的に取り入れ、それまでの社会主義国家や「ケインズ主義的」な大きな政府を批判し、さらに、「新自由主義」や「第三の道」といった「ケインズ主義的」な大きな政府を乗り越えるためにとられた政策も、これらの経済学者が見出した真のポイントを外しているとしています。
1970年代に起こった石油危機以降、国家が経済に介入する体制は行き詰まり、また、同時に社会主義の経済的な破綻が明らかになっていきました。
そこで、多くの人が「大きな政府はもうダメで(社会主義は究極の大きな政府なのでもっとダメ)、これからは小さな政府だ!」となったわけですが、著者は、「大きな政府がダメというのではなく、リスク・決定・責任が一致していない経済体制がダメなのだ」と言います。
「リスク・決定・責任が一致していない経済体制」のわかりやすい例はソ連型の社会主義体制です。
社会主義体制のもとでの工場経営者は、無駄が出ようと赤字が出ようと経営責任を負わない存在でした。もちろん、あまりに業績が悪ければ左遷されるでしょうが、倒産の心配をする必要はありません。そこでコストを無視して生産規模の拡大を目指すようになり、経済は慢性的な資材の不足に見舞われました。
そして、この「リスク・決定・責任が一致していない」というのは社会主義だけに見られるものではありません。例えば、日本の電力会社の原発経営、そごうの水島廣雄会長の問題、リーマンショックの時のアメリカの金融機関など、現代の資本主義下でも度々見られる問題です。
ここから著者は「リスク・決定・責任が一致していない」問題を、ハイエクの計画主義批判へとつなげ、またハイエクのルールについての考え方から「予想は大事」というもう一つのキーワードを引き出していきます。
さらに、この「予想は大事」という考えの重要さを示すために、フリードマンやルーカス、さらい青木昌彦らの「比較制度分析」などにも話を進めていくのです。
特に「比較制度分析」を解説した第5章は非常にわかりやすく、『青木昌彦の経済学入門』を読む前に、まずこちらを読むといいかもしれません。
このように「理論編」は非常に面白いです。
一方、、後半の「対策編」の方は個々の章は面白いのですが、全体を通して読んだ時に少し疑問が残りました。
まず、第7章の「インフレ目標」の部分についてはわかりやすいですし、ここで行われているケインズの理論の解説も面白いです。
第6章の「ベーシックインカム」も第8章の「スウェーデン型福祉」もそれぞれの政策としては興味深いものだと思います。
ただ、個人的に「ベーシックインカムとスウェーデン型福祉が果たして両立するのかな?」という疑問を感じました。
「ベーシックインカム」は個人がリスクを取ることを後押しし、同時に行政の裁量をなくすことができるという利点があります。「スウェーデン型福祉」にも、政府の財政支援を受けたNPOや協同組合が利用者のニーズに応じてきめ細かなサービスを提供できるという利点があります。けれでも、どちらもかなりの財政規模を必要とする政策になります。
そこで感じるのは、「ベーシックインカムとスウェーデン型福祉を同時に実現させようとした場合、経済活動のほとんどすべてが政府を経由してものになってしまうのではないか?」という懸念です。
おそらく著者は「それでいい」と考えるのでしょうが、選挙で選ばれた政府がベーシックインカムの支給額を切り下げたり、福祉予算を恣意的に振り分ける可能性は残ります。
個人的には、そこに個人ではどうにも対処できない巨大な「リスク」を感じてしまいます。
ただ、このあたりのことは個人的な印象論で、この本が面白く、さまざまなことを考えさせてくれる良い本であることに変わりはないです。
「リベラル」を掲げる経済学者に変な人が多いのは日本の大きな不幸の一つですが、この本が広く読まれることで、その不幸が少しでもなくなっていくことを願いたいです。
ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 (PHP新書)
松尾 匡
4569821375
- 2014年11月23日00:25
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ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスらに代表される「フランクフルト学派」の歴史とその思想を紹介する入門書。同じ中公新書から出た『ハンナ・アーレント』と同じく、あまり専門的にならずに対象の思想家についてほとんど知らない人にも読めるように書かれた本。
フランクフルト学派の著作についてはハーバーマスの『公共性の構造転換』とアドルノの『プリズメン』、そしてハーバーマスとルーマンの論争の書である『批判理論と社会システム理論―ハーバーマス=ルーマン論争』くらいしか読んだことがなかった(ハーバーマス=ルーマン論争ではルーマンの方に魅力を感じました)ので、このような本は個人的にありがたかったです(逆に『ハンナ・アーレント』のほうはアーレントの著作を読んでいただけにやや物足りない麺もありました)。
目次は以下の通り。
このようにとり上げられている内容は盛り沢山です。
途中からフランクフルト学派から袂を分かったフロムや、フランクフルト学派に含めるかどうか意見が分かれるであろうベンヤミンなどの思想も簡単ではありますが紹介していますし、第7章ではホネットやマーティン・ジェイの仕事などにも触れています。
ただ、中心となるのはやはりホルクハイマーとアドルノであり、特にアドルノが中心となっています。
ともに裕福なユダヤ人の家庭に育ちナチスによるユダヤ人の迫害とともに米国に渡った1895年生まれのホルクハイマーと1903年生まれのアドルノは、なぜ、現代においてナチスのような蛮行が起きたのか?ということを問い続け、『啓蒙の弁証法』という共著を書きます。
「神話はすでにして啓蒙である」、「啓蒙は神話に退化する」という2つのテーゼを中心に展開するこの本の内容をそう簡単に説明することはできないのですが、この本における『啓蒙の弁証法』の解説を読めば、『啓蒙の弁証法』がホメロス以来の西欧の知の伝統を批判する壮大な射程を持った本だということがわかります。
著者はこの本を紹介した後に「フランクフルト学派には新左翼系過激派の理論的支柱というような位置づけさえ与えられますが、フランクフルト学派を代表する著作『啓蒙の弁証法』に関するかぎり、そのような理解がかなり的外れであることはよく理解していただけたのではないか」(127p)と書いています。
そして、この本でももう一つクローズアップされているのが、アドルノの「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という言葉です。
ホロコーストの問題を論じる時に度々引用される有名な言葉ですが、この本ではその前後の文脈やその後の詩人・エンツェンスベルガーとの応答などを通じて、その言葉の真意を浮かび上がらせようとしています。
アドルノは「詩を書くことが不可能になったこと」を前提としながらも、一方でパウル・ツェランの詩を高く評価していましたし、エンツェンスベルガーへの応答の中でも「しかしながら、エンツェンスベルガーの反論、すなわち、創作はまさしくこの評決に屈してはならず、したがって、創作はアウシュヴィッツ以降も存在しているというだけでシニシズムに身をゆだねることがあってはならないという反論は、あくまでも真理なのです」(144p)と述べています。
また、同じ第5章でとりあげられているハイデガーへの批判も重要なものだと思いますが、「なるほど」と思いつつも、ハイデガーの「本来性」への批判と、『啓蒙の弁証法』における「自然と文明の宥和」といったものはどういう関係なのか疑問にも思いました。
ハーバーマスについては、表面的に紹介した感じになってしまっていますが、これは紙幅の関係で仕方のない事でしょう。
さすがにマルクスやフロイトについてまったく知らないと理解の難しいところもあるかもしれませんが、フランクフルト学派の著作を読んでいなくても、その元となっている思想やアイディアがわかるようになっているところがこの本の良い所だと思います。
フランクフルト学派 -ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ (中公新書)
細見 和之
4121022882
フランクフルト学派の著作についてはハーバーマスの『公共性の構造転換』とアドルノの『プリズメン』、そしてハーバーマスとルーマンの論争の書である『批判理論と社会システム理論―ハーバーマス=ルーマン論争』くらいしか読んだことがなかった(ハーバーマス=ルーマン論争ではルーマンの方に魅力を感じました)ので、このような本は個人的にありがたかったです(逆に『ハンナ・アーレント』のほうはアーレントの著作を読んでいただけにやや物足りない麺もありました)。
目次は以下の通り。
第1章 社会研究所の創設と初期ホルクハイマーの思想
第2章 「批判理論」の成立―初期のフロムとホルクハイマー
第3章 亡命のなかで紡がれた思想―ベンヤミン
第4章 『啓蒙の弁証法』の世界―ホルクハイマーとアドルノ
第5章 「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」―アドルノと戦後ドイツ
第6章 「批判理論」の新たな展開―ハーバーマス
第7章 未知のフランクフルト学派をもとめて
このようにとり上げられている内容は盛り沢山です。
途中からフランクフルト学派から袂を分かったフロムや、フランクフルト学派に含めるかどうか意見が分かれるであろうベンヤミンなどの思想も簡単ではありますが紹介していますし、第7章ではホネットやマーティン・ジェイの仕事などにも触れています。
ただ、中心となるのはやはりホルクハイマーとアドルノであり、特にアドルノが中心となっています。
ともに裕福なユダヤ人の家庭に育ちナチスによるユダヤ人の迫害とともに米国に渡った1895年生まれのホルクハイマーと1903年生まれのアドルノは、なぜ、現代においてナチスのような蛮行が起きたのか?ということを問い続け、『啓蒙の弁証法』という共著を書きます。
「神話はすでにして啓蒙である」、「啓蒙は神話に退化する」という2つのテーゼを中心に展開するこの本の内容をそう簡単に説明することはできないのですが、この本における『啓蒙の弁証法』の解説を読めば、『啓蒙の弁証法』がホメロス以来の西欧の知の伝統を批判する壮大な射程を持った本だということがわかります。
著者はこの本を紹介した後に「フランクフルト学派には新左翼系過激派の理論的支柱というような位置づけさえ与えられますが、フランクフルト学派を代表する著作『啓蒙の弁証法』に関するかぎり、そのような理解がかなり的外れであることはよく理解していただけたのではないか」(127p)と書いています。
そして、この本でももう一つクローズアップされているのが、アドルノの「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という言葉です。
ホロコーストの問題を論じる時に度々引用される有名な言葉ですが、この本ではその前後の文脈やその後の詩人・エンツェンスベルガーとの応答などを通じて、その言葉の真意を浮かび上がらせようとしています。
アドルノは「詩を書くことが不可能になったこと」を前提としながらも、一方でパウル・ツェランの詩を高く評価していましたし、エンツェンスベルガーへの応答の中でも「しかしながら、エンツェンスベルガーの反論、すなわち、創作はまさしくこの評決に屈してはならず、したがって、創作はアウシュヴィッツ以降も存在しているというだけでシニシズムに身をゆだねることがあってはならないという反論は、あくまでも真理なのです」(144p)と述べています。
また、同じ第5章でとりあげられているハイデガーへの批判も重要なものだと思いますが、「なるほど」と思いつつも、ハイデガーの「本来性」への批判と、『啓蒙の弁証法』における「自然と文明の宥和」といったものはどういう関係なのか疑問にも思いました。
ハーバーマスについては、表面的に紹介した感じになってしまっていますが、これは紙幅の関係で仕方のない事でしょう。
さすがにマルクスやフロイトについてまったく知らないと理解の難しいところもあるかもしれませんが、フランクフルト学派の著作を読んでいなくても、その元となっている思想やアイディアがわかるようになっているところがこの本の良い所だと思います。
フランクフルト学派 -ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ (中公新書)
細見 和之
4121022882
- 2014年11月16日00:13
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以前、中公新書で『大蔵省はなぜ追いつめられたのか』という本がありましたが、この本は、いわば「日銀はなぜ追いつめられたのか」といった本です。
1998年の新日本銀行法の施行で強い独立性を与えられた日銀が、なぜ安倍政権主導の異次元緩和に追い込まれたのかいうことを、速水優、福井俊彦、白川方明の3人の総裁の姿を通して描き出します。
今、「追い込まれた」という表現をしたように、この本は基本的に「日銀はおおまかに言って正しい政策を行っていたのに政治家や財務省やリフレ論者の圧力によって異次元緩和に追い込まれた」という考えのもとに書かれています。
著者は法学部出身の政治学者。日銀を取り巻く政治状況の変化などについては鋭い分析も見られますが、著者が「日銀の政策が正しかった」と考える論拠はよくわかりませんし、巻末の参考文献を見ても、金融政策の良し悪しを論じるには足りないと思います(素人の感想に過ぎませんが、この時期の金融政策を評価するならバーナンキの本が1冊くらい入っていてもいいし、最後は黒田東彦総裁の政策にも触れているのだから黒田東彦の著作も読み込む必要があるんじゃないでしょうか?)。
この本の最後にまとめられている、日銀が追い詰められた理由のいくつかは納得のいくものです。
例えば、野党時代の民主党は日銀の独立性を擁護する立場だったが、政権交代で与党になると日銀への圧力を強め、結果として日銀の応援団がいなくなってしまったこと、独立性が向上した結果、今まで政治との調整を行ってくれていた大蔵省(財務省)をたよることができなくなったことなどはその通りだと思います。
また、著者が指摘する「日本政治のウェストミンスター化」というのも興味深い指摘です。日本では小選挙区制の導入とともに首相に権力の集中するウェストミンスター型の政治に移行しつつあるといいます。首相への権力と責任の集中が進んだことにより、金融政策にも首相の意向が反映されてしかるべきだというムードの情勢が進んだというのです。
ただ、やはり最大の理由は日銀の金融政策が失敗したからでしょう。
何を失敗と見るかは意見が別れるところだと思いますが、2000年8月の速水総裁によるゼロ金利の解除、弱い数字が出ていたにもかかわらずに行われた2007年2月の福井総裁による追加利上げ、そしてリーマン・ショック後、FRBやECBが大規模緩和に踏み切ったことについていかなかった白川総裁の判断は、結果的に間違っていたと言えるのではないでしょうか?
この本でもまとめの最後に2ページほど「日本銀行の戦略的失敗」という事が書かれています。しかし、その内容は以下の様なものです。
まず、「経済環境によるところも大きい」とありますが、まさにその良好な「経済環境」を作り出すことが日銀の役割なのではないでしょうか?
そして、「景気がよくなっていれば、高い評価を得ていた」と書いてあるように、景気を良くすることができなかったからこそ、日銀はその信頼性を失ったのでしょう。
日本銀行法の第2条に「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。」という文言があります。
結局、日本銀行は「国民経済の健全な発展に資すること」ができなかったから、追いつめられたのではないでしょうか?
この本の最後に、日経平均株価と円の対ドル為替レートと公定歩合の推移を表したグラフが付録として載っていますが、そこに失業率の推移はありません。
もちろん、株価や為替レートも経済に関する重要な指標ですが、金融政策の良し悪しを含めて論じたいのであれば、失業率などの国民の生活に直結する数値なども視野に入れながら議論を進める必要があるとも思いますし、この本にはそういった視点が欠けていると思います。
日本銀行と政治-金融政策決定の軌跡 (中公新書)
上川 龍之進
4121022874
1998年の新日本銀行法の施行で強い独立性を与えられた日銀が、なぜ安倍政権主導の異次元緩和に追い込まれたのかいうことを、速水優、福井俊彦、白川方明の3人の総裁の姿を通して描き出します。
今、「追い込まれた」という表現をしたように、この本は基本的に「日銀はおおまかに言って正しい政策を行っていたのに政治家や財務省やリフレ論者の圧力によって異次元緩和に追い込まれた」という考えのもとに書かれています。
著者は法学部出身の政治学者。日銀を取り巻く政治状況の変化などについては鋭い分析も見られますが、著者が「日銀の政策が正しかった」と考える論拠はよくわかりませんし、巻末の参考文献を見ても、金融政策の良し悪しを論じるには足りないと思います(素人の感想に過ぎませんが、この時期の金融政策を評価するならバーナンキの本が1冊くらい入っていてもいいし、最後は黒田東彦総裁の政策にも触れているのだから黒田東彦の著作も読み込む必要があるんじゃないでしょうか?)。
この本の最後にまとめられている、日銀が追い詰められた理由のいくつかは納得のいくものです。
例えば、野党時代の民主党は日銀の独立性を擁護する立場だったが、政権交代で与党になると日銀への圧力を強め、結果として日銀の応援団がいなくなってしまったこと、独立性が向上した結果、今まで政治との調整を行ってくれていた大蔵省(財務省)をたよることができなくなったことなどはその通りだと思います。
また、著者が指摘する「日本政治のウェストミンスター化」というのも興味深い指摘です。日本では小選挙区制の導入とともに首相に権力の集中するウェストミンスター型の政治に移行しつつあるといいます。首相への権力と責任の集中が進んだことにより、金融政策にも首相の意向が反映されてしかるべきだというムードの情勢が進んだというのです。
ただ、やはり最大の理由は日銀の金融政策が失敗したからでしょう。
何を失敗と見るかは意見が別れるところだと思いますが、2000年8月の速水総裁によるゼロ金利の解除、弱い数字が出ていたにもかかわらずに行われた2007年2月の福井総裁による追加利上げ、そしてリーマン・ショック後、FRBやECBが大規模緩和に踏み切ったことについていかなかった白川総裁の判断は、結果的に間違っていたと言えるのではないでしょうか?
この本でもまとめの最後に2ページほど「日本銀行の戦略的失敗」という事が書かれています。しかし、その内容は以下の様なものです。
とはいえ、福井が評価を高めたのは、結局のところ、景気が回復したからであり、景気回復は日本銀行の政策というよりは、アメリカの住宅バブルと中国の高度成長によるものであった。白川総裁の金融政策については、政界や世論からはあまり評価されなかったが、それは世界金融危機により景気が悪化したからであり、景気がよくなっていれば、高い評価を得ていたかもしれない。(中略)
それに対し安倍首相・黒田総裁は、これまでのところ欧米の経済情勢が安定しているという幸運にも恵まれている。
このように日本銀行の戦略的対応がうまくいくかどうかは、経済環境によるところも大きい。そして現在の政治経済環境下では、日本銀行の独立性が仕方のないことのように見える。(273p)
まず、「経済環境によるところも大きい」とありますが、まさにその良好な「経済環境」を作り出すことが日銀の役割なのではないでしょうか?
そして、「景気がよくなっていれば、高い評価を得ていた」と書いてあるように、景気を良くすることができなかったからこそ、日銀はその信頼性を失ったのでしょう。
日本銀行法の第2条に「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。」という文言があります。
結局、日本銀行は「国民経済の健全な発展に資すること」ができなかったから、追いつめられたのではないでしょうか?
この本の最後に、日経平均株価と円の対ドル為替レートと公定歩合の推移を表したグラフが付録として載っていますが、そこに失業率の推移はありません。
もちろん、株価や為替レートも経済に関する重要な指標ですが、金融政策の良し悪しを含めて論じたいのであれば、失業率などの国民の生活に直結する数値なども視野に入れながら議論を進める必要があるとも思いますし、この本にはそういった視点が欠けていると思います。
日本銀行と政治-金融政策決定の軌跡 (中公新書)
上川 龍之進
4121022874
- 2014年11月08日22:47
- yamasitayu
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8月に紹介した金子拓『織田信長 <天下人>の実像』(講談社現代新書)と同じく、「革命児」、「あらゆる権威を無視した男」といった大河ドラマなどでよく見られる信長像の刷新を狙った本。
信長と朝廷の関係に重点を置いた『織田信長 <天下人>の実像』に比べると、信長の行動をを幅広く検討しており、「なるほど」と思う箇所も多いのですが、この本も従来の説を否定するために、強引な解釈をしてしまっていると感じます。
目次は以下の通り。
第1章と第2章は信長と既存の権威について。
既存の権威をことごとく無視したと考えられることが多い信長ですが、史料を見ると将軍の権威に敬意を払っている部分もあり、また和睦などで将軍の力を必要とすることも多かったことがわかります。
ただ、この信長と将軍・足利義昭の関係については、1570年(永禄13年)に作成されたとされる「殿中御掟追加5か条」をどう捉えるかが問題になるでしょう。著者はこの文書は信長と義昭の関係を決定づけたものではないといいますが、その中の「天下の事はどのようにも信長にお任せになった以上、将軍のご命令なしに、信長が自分の判断で計らうべきこと」(40p)という部分は、将軍の権威を決定的に傷つけるものだと思えます。
信長と朝廷の関係については、金子拓『織田信長 <天下人>の実像』で詳しく書かれていましたが、この本でもその金子氏の研究をもとに、信長が常に朝廷に圧力をかけていたというような事実はないということが主張されています。
これはおおむね納得がいくのですが、金子拓『織田信長 <天下人>の実像』についてのエントリーでも書きましたが、「興福寺別当職相論」で天皇の綸言を撤回させたことについて、この本でも納得できる説明はありませんでした。
第3章、第4章では、信長がいわゆる「全国統一」を目指したわけではなかったことが論じられています。
「天下布武」の「天下」とは五畿内のことであり日本全国の意味ではなく、五畿内を中心とする地域の安定こそが信長の目的であったというのです。
そして、五畿内から大きく離れる武田氏や毛利氏との戦いは、あくまでもお互いの領国の「境目」を巡っての争いが発展したものであり、信長に大きな領土的な野心はなかったと考えます。
ただ、この考えで問題となるのが晩年の四国攻めでしょう。土佐の長宗我部元親は信長と友好関係を結んでいながら、結局は信長に征伐されそうになっています。このあたりを領土的野心抜きで解釈するのは少し厳しい気がします。
ちなみに金子拓『織田信長 <天下人>の実像』では四国攻めの直前に「変心」したことになっているのですが、この本では四国攻めについてほとんど言及されていません。
第5章の「信長と宗教」は、信長と仏教キリスト教徒の関わりを史料に即して改めて点検したもので、安土宗論の解釈をはじめ、解釈には納得出来ない部分が多いのですが、とり上げられている史料などに関しては興味深いものが多かったです。
そして第6章がまとめで、ここでは世間の評判を気にし、他の大名と協調しようとする信長の一面にスポットライトが当てられています。
このように今までの信長のイメージを覆そうという本なのですが、覆すことにこだわって強引な解釈が目立つように感じました。
「革命児・信長」のイメージは確かに一面的で間違っている面もあると思うのですが、だからといってそれをすべて否定した所に真実があるとも思えません。
この本は今までの一貫したイメージを否定しようとするあまり、真逆の一貫したイメージをつくりあげようとしているように感じます。
個人的には、信長は「機会主義者」ともいうべき人間であって、その都度利用できるものを利用していった人間に思えますが、どうなんでしょうかね?
織田信長 (ちくま新書)
神田 千里
4480067892
信長と朝廷の関係に重点を置いた『織田信長 <天下人>の実像』に比べると、信長の行動をを幅広く検討しており、「なるほど」と思う箇所も多いのですが、この本も従来の説を否定するために、強引な解釈をしてしまっていると感じます。
目次は以下の通り。
信長の「箱」―はじめに
第1章 信長と将軍
第2章 信長と天皇・公家
第3章 「天下布武」の内実
第4章 分国拡大の実態
第5章 信長と宗教
第6章 「革命児」信長の真実
信長の「本当の箱」―おわりに
第1章と第2章は信長と既存の権威について。
既存の権威をことごとく無視したと考えられることが多い信長ですが、史料を見ると将軍の権威に敬意を払っている部分もあり、また和睦などで将軍の力を必要とすることも多かったことがわかります。
ただ、この信長と将軍・足利義昭の関係については、1570年(永禄13年)に作成されたとされる「殿中御掟追加5か条」をどう捉えるかが問題になるでしょう。著者はこの文書は信長と義昭の関係を決定づけたものではないといいますが、その中の「天下の事はどのようにも信長にお任せになった以上、将軍のご命令なしに、信長が自分の判断で計らうべきこと」(40p)という部分は、将軍の権威を決定的に傷つけるものだと思えます。
信長と朝廷の関係については、金子拓『織田信長 <天下人>の実像』で詳しく書かれていましたが、この本でもその金子氏の研究をもとに、信長が常に朝廷に圧力をかけていたというような事実はないということが主張されています。
これはおおむね納得がいくのですが、金子拓『織田信長 <天下人>の実像』についてのエントリーでも書きましたが、「興福寺別当職相論」で天皇の綸言を撤回させたことについて、この本でも納得できる説明はありませんでした。
第3章、第4章では、信長がいわゆる「全国統一」を目指したわけではなかったことが論じられています。
「天下布武」の「天下」とは五畿内のことであり日本全国の意味ではなく、五畿内を中心とする地域の安定こそが信長の目的であったというのです。
そして、五畿内から大きく離れる武田氏や毛利氏との戦いは、あくまでもお互いの領国の「境目」を巡っての争いが発展したものであり、信長に大きな領土的な野心はなかったと考えます。
ただ、この考えで問題となるのが晩年の四国攻めでしょう。土佐の長宗我部元親は信長と友好関係を結んでいながら、結局は信長に征伐されそうになっています。このあたりを領土的野心抜きで解釈するのは少し厳しい気がします。
ちなみに金子拓『織田信長 <天下人>の実像』では四国攻めの直前に「変心」したことになっているのですが、この本では四国攻めについてほとんど言及されていません。
第5章の「信長と宗教」は、信長と仏教キリスト教徒の関わりを史料に即して改めて点検したもので、安土宗論の解釈をはじめ、解釈には納得出来ない部分が多いのですが、とり上げられている史料などに関しては興味深いものが多かったです。
そして第6章がまとめで、ここでは世間の評判を気にし、他の大名と協調しようとする信長の一面にスポットライトが当てられています。
このように今までの信長のイメージを覆そうという本なのですが、覆すことにこだわって強引な解釈が目立つように感じました。
「革命児・信長」のイメージは確かに一面的で間違っている面もあると思うのですが、だからといってそれをすべて否定した所に真実があるとも思えません。
この本は今までの一貫したイメージを否定しようとするあまり、真逆の一貫したイメージをつくりあげようとしているように感じます。
個人的には、信長は「機会主義者」ともいうべき人間であって、その都度利用できるものを利用していった人間に思えますが、どうなんでしょうかね?
織田信長 (ちくま新書)
神田 千里
4480067892
- 2014年11月05日23:27
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通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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