2007年08月
2004年秋に行われた服役中の犯罪者に対する大規模調査をもとに外国人犯罪者の犯罪意識や行動などを分析した本。
分析については特に鋭いというわけでもないですし、「驚くべき実態が明らかに!」というようなものでもないのですが、日本人の受刑者も含めたこの大規模調査自体が非常に興味深いです。
日本人女子の殺人犯の被害者の53%が家族であり、「被害者に謝りたい」、自分の行為を「非常に悪い」とする割合も日本人女子の受刑者が一番高いこと。逆に「被害者に謝りたい」気持は日本人男子が最も低く、全体的に日本人男子の受刑者はニヒリズム的な考えが強いことなど(「努力すれば報われる」と考える割合は日本人男子が最も低い)、本のタイトルは「外国人犯罪者」ですが、日本人受刑者に対する調査としても貴重なもので「当世刑務所事情」といった面もあります。
また、例えば「日本の刑務所は待遇がよいから外国人犯罪者にとって天国だ」というような言説がありますが、それにたいしても食事・衛生・収入(刑務所での作業によるもの)などの項目のアンケートがあり、「天国」はもちろん言い過ぎとしても、外国人女子などではこうした項目から逆に本国での生活の厳しさがうかがえます。(あとOECD加盟国でもある韓国人受刑者が「本国よりも(刑務所が)よい」と答える割合がけっこう高いのにも驚きます)
外国人犯罪をどう防ぐかといった提言はそれほど分量があるわけでもありませんし、著者も専門ではないためいくつかの指摘にとどまっているのですが、とにかくこの調査自体が非常に面白く、読み応えがあります。
外国人犯罪者―彼らは何を考えているのか (中公新書 1911)
岩男 寿美子
4121019113
分析については特に鋭いというわけでもないですし、「驚くべき実態が明らかに!」というようなものでもないのですが、日本人の受刑者も含めたこの大規模調査自体が非常に興味深いです。
日本人女子の殺人犯の被害者の53%が家族であり、「被害者に謝りたい」、自分の行為を「非常に悪い」とする割合も日本人女子の受刑者が一番高いこと。逆に「被害者に謝りたい」気持は日本人男子が最も低く、全体的に日本人男子の受刑者はニヒリズム的な考えが強いことなど(「努力すれば報われる」と考える割合は日本人男子が最も低い)、本のタイトルは「外国人犯罪者」ですが、日本人受刑者に対する調査としても貴重なもので「当世刑務所事情」といった面もあります。
また、例えば「日本の刑務所は待遇がよいから外国人犯罪者にとって天国だ」というような言説がありますが、それにたいしても食事・衛生・収入(刑務所での作業によるもの)などの項目のアンケートがあり、「天国」はもちろん言い過ぎとしても、外国人女子などではこうした項目から逆に本国での生活の厳しさがうかがえます。(あとOECD加盟国でもある韓国人受刑者が「本国よりも(刑務所が)よい」と答える割合がけっこう高いのにも驚きます)
外国人犯罪をどう防ぐかといった提言はそれほど分量があるわけでもありませんし、著者も専門ではないためいくつかの指摘にとどまっているのですが、とにかくこの調査自体が非常に面白く、読み応えがあります。
外国人犯罪者―彼らは何を考えているのか (中公新書 1911)
岩男 寿美子
4121019113
- 2007年08月31日19:51
- yamasitayu
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「企業の社会的責任」とも訳される最近流行の言葉である「CSR」、この本はその中でもまだそれほど取り上げられることの少ない「労働CSR」についての本です。
ただ、この本の語り口はあまりにも陰謀論的と言うか、憂国的と言うかで、「入門」としてあまりよい本ではないと思います。
著者は、FLAやSAIといったアメリカの民間認証機構が独自に労働CSRの基準を定めて、アメリカ企業がそれを取引先に求めている現状に対して、この動きが新しい保護主義、あるいはWTO設立時に問題となり最終的には途上国の反対で消えた「社会条項」と同様のものになる可能性を指摘し、警鐘を鳴らしています。
そして、労働問題の基準についてはあくまでもILOが中心となるべきであるということ、日本も手をこまねいているだけでなく政府も含めて独自の基準を作って行くべきだということを主張します。
著者の危惧は必ずしも間違っているものではないし、労働CSRが新たな保護主義の道具と化す可能性も高いとは思うのですが、この本はそういった危惧と法律論ばかりで、それ以外の労働CSRを取り巻く状況というのがすっぽり抜け落ちてしまっていると思います。
特に著者は世論や消費者の存在をほぼ無視しているのですが、これを抜きにして労働CSRは語れないのではないでしょうか?
第5章で著者は、ナイキの労働CSRについてとりあげ、ナイキが児童労働を一律に排斥すること、取引先企業の労働争議に組合よりの立場で介入したことなどをILOの考えや、法律論の点から批判するわけですが、そこにはナイキがスウェットショップの問題で大規模なボイコット運動を受けたことなどはまったく登場せず,ナイキがなぜこの労働CSRに過剰ともいえる取り組みをしているのかがわからない記述になっています。
こうした欧米の世論の問題を抜きにして、この問題を「アメリカの陰謀」みたいに語るのは片手落ちだと思います。
労働CSR入門 (講談社現代新書)
吾郷 眞一
4062879069
ただ、この本の語り口はあまりにも陰謀論的と言うか、憂国的と言うかで、「入門」としてあまりよい本ではないと思います。
著者は、FLAやSAIといったアメリカの民間認証機構が独自に労働CSRの基準を定めて、アメリカ企業がそれを取引先に求めている現状に対して、この動きが新しい保護主義、あるいはWTO設立時に問題となり最終的には途上国の反対で消えた「社会条項」と同様のものになる可能性を指摘し、警鐘を鳴らしています。
そして、労働問題の基準についてはあくまでもILOが中心となるべきであるということ、日本も手をこまねいているだけでなく政府も含めて独自の基準を作って行くべきだということを主張します。
著者の危惧は必ずしも間違っているものではないし、労働CSRが新たな保護主義の道具と化す可能性も高いとは思うのですが、この本はそういった危惧と法律論ばかりで、それ以外の労働CSRを取り巻く状況というのがすっぽり抜け落ちてしまっていると思います。
特に著者は世論や消費者の存在をほぼ無視しているのですが、これを抜きにして労働CSRは語れないのではないでしょうか?
第5章で著者は、ナイキの労働CSRについてとりあげ、ナイキが児童労働を一律に排斥すること、取引先企業の労働争議に組合よりの立場で介入したことなどをILOの考えや、法律論の点から批判するわけですが、そこにはナイキがスウェットショップの問題で大規模なボイコット運動を受けたことなどはまったく登場せず,ナイキがなぜこの労働CSRに過剰ともいえる取り組みをしているのかがわからない記述になっています。
こうした欧米の世論の問題を抜きにして、この問題を「アメリカの陰謀」みたいに語るのは片手落ちだと思います。
労働CSR入門 (講談社現代新書)
吾郷 眞一
4062879069
- 2007年08月25日20:15
- yamasitayu
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単行本『「心理学化する社会」の臨床社会学』がなかなか面白かった、樫村愛子初の新書。ただ、いくらなんでもこの本は詰め込みすぎだと思う。
内容を箇条書きで紹介しますと
・ 「プレカリテ」(=不安定性)というフランスで使われだした言葉をキーワードにしてネオリベラリズムのもたらす問題点を指摘し、それに対抗する思想をフランス社会に探る(このへんは
薬師院仁志『日本とフランス二つの民主主義』の主張と少し被ります)。
・ その問題をギデンズの「再帰性」の考えでもって社会学的に位置づけ、安定した生活には「再帰性」と,社会の安定を示す「恒常性」の2つが必要だということを述べる。
・ 「恒常性」がなくなり、歪んだ「再帰性」が幅を利かせる現代社会を分析し、それに抵抗できるものとして精神分析の有効性を主張。
・ そういった社会観と精神分析の道具をもとに、ニューエイジやスピリチュアリズム、オタク文化、お笑い、電子メディアなどを分析。
・ さらに部分部分に安倍内閣の政治(この本の中でのネーミングは「安倍原理主義」)や東浩紀の「動物化」の議論を批判。
という盛りだくさんの内容でして、これを320ページほどの新書で書こうとしているわけですが、読んだ感想としてはやはり厳しいですね。
フランスでもサルコジ政権が誕生したことで、著者がネオリベラリズムの広がりに危機感を持っているというのはわかるのですが、政治と文化の両面から批判するのではなく、著者が得意な文化批評を中心に据えた方がまとまったものになったと思います。
また、ここからは少し専門的なことになるのですが、そもそも著者が依拠するラカンの理論と「再帰性」の概念は両立しないのではないか、という疑問があります。
著者は「再帰性」を「自分自身の行為を振り返り、その結果をもとに自己をコントロールする能力」という形で捉えているわけですが、「人間の欲望は<他者>の欲望である」と言い切るラカンにとって、「再帰性」のような考えは幻想以外の何ものでもないのではないでしょうか?
(著者はイマジナリーな領域(つまり「想像界」)の重要視していますが、それは「想像界」だけがコントロール可能、つまり「再帰性」の概念と衝突しないからなのでしょう。けれども、そのぶん特に「象徴界」の重要性を無視してしまっていると思います。)
ただ、内容の薄い新書が多い中で、ここまで内容が濃い新書というのも珍しいかもしれません。著者の考えに素直に賛成することはできませんが、読み応えのある本であることは確かです。
ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314)
樫村 愛子
4334034152
内容を箇条書きで紹介しますと
・ 「プレカリテ」(=不安定性)というフランスで使われだした言葉をキーワードにしてネオリベラリズムのもたらす問題点を指摘し、それに対抗する思想をフランス社会に探る(このへんは
薬師院仁志『日本とフランス二つの民主主義』の主張と少し被ります)。
・ その問題をギデンズの「再帰性」の考えでもって社会学的に位置づけ、安定した生活には「再帰性」と,社会の安定を示す「恒常性」の2つが必要だということを述べる。
・ 「恒常性」がなくなり、歪んだ「再帰性」が幅を利かせる現代社会を分析し、それに抵抗できるものとして精神分析の有効性を主張。
・ そういった社会観と精神分析の道具をもとに、ニューエイジやスピリチュアリズム、オタク文化、お笑い、電子メディアなどを分析。
・ さらに部分部分に安倍内閣の政治(この本の中でのネーミングは「安倍原理主義」)や東浩紀の「動物化」の議論を批判。
という盛りだくさんの内容でして、これを320ページほどの新書で書こうとしているわけですが、読んだ感想としてはやはり厳しいですね。
フランスでもサルコジ政権が誕生したことで、著者がネオリベラリズムの広がりに危機感を持っているというのはわかるのですが、政治と文化の両面から批判するのではなく、著者が得意な文化批評を中心に据えた方がまとまったものになったと思います。
また、ここからは少し専門的なことになるのですが、そもそも著者が依拠するラカンの理論と「再帰性」の概念は両立しないのではないか、という疑問があります。
著者は「再帰性」を「自分自身の行為を振り返り、その結果をもとに自己をコントロールする能力」という形で捉えているわけですが、「人間の欲望は<他者>の欲望である」と言い切るラカンにとって、「再帰性」のような考えは幻想以外の何ものでもないのではないでしょうか?
(著者はイマジナリーな領域(つまり「想像界」)の重要視していますが、それは「想像界」だけがコントロール可能、つまり「再帰性」の概念と衝突しないからなのでしょう。けれども、そのぶん特に「象徴界」の重要性を無視してしまっていると思います。)
ただ、内容の薄い新書が多い中で、ここまで内容が濃い新書というのも珍しいかもしれません。著者の考えに素直に賛成することはできませんが、読み応えのある本であることは確かです。
ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314)
樫村 愛子
4334034152
- 2007年08月22日20:52
- yamasitayu
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最近、昭和天皇について興味がありまして、その一環として,少し前(1992年出版)のものですが読んでみました。
この本の2年ほど前にいわゆる「昭和天皇独白録」が発見されており、この本もその「独白録」の成立事情とその中身の検討が中心になっています。
アジア太平洋戦争については、昭和天皇や重臣、そして海軍は対米開戦に反対したが、東条英機ら陸軍の強硬派に引きずられる形で開戦に至ってしまったという理解があり、「独白録」もそのシナリオを裏付けるような内容になっています。
こうした理解に対して、著者は「独白録」が天皇免責のための資料としてGHQとGHQにつながりのあった宮中グループによって周到に準備されたものであること、対米開戦については慎重な語りだが、満州事変から日中戦争にかけては天皇が無防備に自らの権限や評価について語っている部分があることを指摘し、上記のシナリオが天皇免責のために陸軍にその全責任を押し付けるものであったことを示していきます。
著者のこうした考えは基本的には間違っていないと思うのですが、「昭和天皇の戦争責任」を打ち出すために少し記述が偏った部分があると思います。
例えば、終戦直後の近衛文磨の動きに触れて「保守勢力の中で最もリアルな政治感覚を持っていた近衛」(61p)という記述がありますが、首相在任中の近衛のやったことを考えると、この評価には首を傾げざるを得ません。
近衛が昭和天皇の退位論を持ち出したりしたのは、「リアルな政治感覚」などではなくて、たんに彼の「無責任さ」からきたものではないでしょうか?
昭和天皇の終戦史 (岩波新書)
吉田 裕
4004302579
この本の2年ほど前にいわゆる「昭和天皇独白録」が発見されており、この本もその「独白録」の成立事情とその中身の検討が中心になっています。
アジア太平洋戦争については、昭和天皇や重臣、そして海軍は対米開戦に反対したが、東条英機ら陸軍の強硬派に引きずられる形で開戦に至ってしまったという理解があり、「独白録」もそのシナリオを裏付けるような内容になっています。
こうした理解に対して、著者は「独白録」が天皇免責のための資料としてGHQとGHQにつながりのあった宮中グループによって周到に準備されたものであること、対米開戦については慎重な語りだが、満州事変から日中戦争にかけては天皇が無防備に自らの権限や評価について語っている部分があることを指摘し、上記のシナリオが天皇免責のために陸軍にその全責任を押し付けるものであったことを示していきます。
著者のこうした考えは基本的には間違っていないと思うのですが、「昭和天皇の戦争責任」を打ち出すために少し記述が偏った部分があると思います。
例えば、終戦直後の近衛文磨の動きに触れて「保守勢力の中で最もリアルな政治感覚を持っていた近衛」(61p)という記述がありますが、首相在任中の近衛のやったことを考えると、この評価には首を傾げざるを得ません。
近衛が昭和天皇の退位論を持ち出したりしたのは、「リアルな政治感覚」などではなくて、たんに彼の「無責任さ」からきたものではないでしょうか?
昭和天皇の終戦史 (岩波新書)
吉田 裕
4004302579
- 2007年08月17日17:17
- yamasitayu
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戦後の日本の統治構造の問題点とその変化を分析した本。「あとがき」に1995年に執筆の誘いを受け、12年以上の歳月が経ってしまったと書いてありますが、正直、この12年で本書の内容は古びてしまったと思います。
まず、サブタイトルに「官僚内閣制から議院内閣制へ」とありますが、「官僚内閣制」という言葉はちょっと強すぎるのではないでしょうか?
これだと、あたかも日本は戦前から政党とは独立した官僚が国を動かしてきたように思えてしまいますが、戦前の官僚が政友会や憲政会(のちに民政党)の影響を強く受けてきたことは、ラムザイヤー、ローゼンブルース『日本政治と合理的選択』が指摘していますし、中曽根内閣のもとでの行革や、橋本内閣のもとでの省庁再編が説明できなくなってしまいます。
もちろん、著者は単純な官僚支配ではなく、与党と政府の二元体制という考え方を出していますが、それならばなおのこと「官僚内閣制」という言葉は誤解を招くものではないでしょうか?
諸外国との比較についても幅広くは行ってはいるのですが、やや無い物ねだり的な面もあり、アメリカやイギリスといったやや特殊な政治体制をもつ国(国民生活に根を下ろした伝統的な二大政党の存在など)を引き合いに出しすぎているような気もします。
また、小泉首相登場以来の内閣機能の強化についても取り上げているのですが、この点に関しては同じ中公新書の竹中治堅『首相支配』のほうが詳しいので、そちらを読んだ読者にとってはあまり得るものがありません(竹中治堅『首相支配』のほうが橋本行革の意味をきちんと押さえていると思います)。
議院内閣制のほうが大統領制よりも権力が集中しているのだという指摘や、二院制についての考察など興味深い点もありますが、全体的に90年代後半以降の政治の変化を捉えきれてない印象です。
日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書 (1905))
飯尾 潤
4121019059
まず、サブタイトルに「官僚内閣制から議院内閣制へ」とありますが、「官僚内閣制」という言葉はちょっと強すぎるのではないでしょうか?
これだと、あたかも日本は戦前から政党とは独立した官僚が国を動かしてきたように思えてしまいますが、戦前の官僚が政友会や憲政会(のちに民政党)の影響を強く受けてきたことは、ラムザイヤー、ローゼンブルース『日本政治と合理的選択』が指摘していますし、中曽根内閣のもとでの行革や、橋本内閣のもとでの省庁再編が説明できなくなってしまいます。
もちろん、著者は単純な官僚支配ではなく、与党と政府の二元体制という考え方を出していますが、それならばなおのこと「官僚内閣制」という言葉は誤解を招くものではないでしょうか?
諸外国との比較についても幅広くは行ってはいるのですが、やや無い物ねだり的な面もあり、アメリカやイギリスといったやや特殊な政治体制をもつ国(国民生活に根を下ろした伝統的な二大政党の存在など)を引き合いに出しすぎているような気もします。
また、小泉首相登場以来の内閣機能の強化についても取り上げているのですが、この点に関しては同じ中公新書の竹中治堅『首相支配』のほうが詳しいので、そちらを読んだ読者にとってはあまり得るものがありません(竹中治堅『首相支配』のほうが橋本行革の意味をきちんと押さえていると思います)。
議院内閣制のほうが大統領制よりも権力が集中しているのだという指摘や、二院制についての考察など興味深い点もありますが、全体的に90年代後半以降の政治の変化を捉えきれてない印象です。
日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書 (1905))
飯尾 潤
4121019059
- 2007年08月10日20:04
- yamasitayu
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『大正天皇』などの著作で知られる原武史とノンフィクション作家の保阪正康による昭和天皇をめぐる対論。最近読んだ、原武史の『滝山コミューン一九七四』が面白かったので読んでみました。
タイトルに「対論」とあるように、昭和天皇の戦争責任やその資質について意見を戦わせるような構成ではなくて、昭和天皇と家族、昭和天皇の御製(短歌)、声や視覚を使った支配の構造など、昭和天皇をめぐるさまざまな謎が語り合われている内容になってます。
ですから、昭和天皇そのものへの評価を期待する人には物足りないでしょう。
ただ、母である貞明皇后や弟の秩父宮や高松宮との関係、昭和天皇に対する教育とボキャブラリーの少なさ、大元帥としての「身体」(昭和天皇は近視で猫背で軍人として立派な「身体」とは言い難かった)など、昭和天皇や昭和の歴史などに興味を持つ人にとっては興味深い論点が出されていると思います。
対論 昭和天皇 (文春新書)
原 武史 保阪 正康
4166604031
タイトルに「対論」とあるように、昭和天皇の戦争責任やその資質について意見を戦わせるような構成ではなくて、昭和天皇と家族、昭和天皇の御製(短歌)、声や視覚を使った支配の構造など、昭和天皇をめぐるさまざまな謎が語り合われている内容になってます。
ですから、昭和天皇そのものへの評価を期待する人には物足りないでしょう。
ただ、母である貞明皇后や弟の秩父宮や高松宮との関係、昭和天皇に対する教育とボキャブラリーの少なさ、大元帥としての「身体」(昭和天皇は近視で猫背で軍人として立派な「身体」とは言い難かった)など、昭和天皇や昭和の歴史などに興味を持つ人にとっては興味深い論点が出されていると思います。
対論 昭和天皇 (文春新書)
原 武史 保阪 正康
4166604031
- 2007年08月05日13:54
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近代日本の戦争の中で生み出されて行った「軍神」について、その誕生と反響、そしてその行く末を描いた本。
第1章で日露戦争の廣瀬武夫と橘周太、第2章で乃木希典、第3章で爆弾三勇士、第4章では日中戦争から太平洋戦争にかけての昭和の軍神をとり上げています。
350ページを越えるボリュームのある本なのですが、読んだ感想としては、前半の第1章と第2章は分量の割に叙述のわかりにくい部分もあって、正直それほど面白くもない、ただ後半の第3章と第4章は「軍神」をめぐる言説と戦局の悪化が見事にシンクロしている様子が書かれていて非常に興味深い、といった所です。
前半の叙述の問題というのは、例えば第1章の日露戦争の作戦についての記述がわかりにくい、第2章で乃木希典の殉死やその遺書を紹介しながら、乃木本人が殉死の理由としてあげている西南戦争時に軍旗を奪われたという軍旗事件に関する説明がほとんどないといった点です。
また、乃木を描いた第2章については当時のマスコミの反応などはよく拾ってあるものの、100ページ以上を費やしている割にはあまり新しい発見がありませんでした。
一方、後半の3章4章では「軍神」を通して日本の精神主義が凝り固まって行く様子が見て取れます。
満州事変では、爆弾を抱えて敵の鉄条網に飛び込んだとされる爆弾三勇士に対して、陸軍サイドから必ずしも死ぬと決まった作戦ではなかったという冷静な指摘がなされていたのですが、アッツ島の玉砕になると、敗北だったにもかかわらずその精神や死に様のみが大々的に語られるようになります。
そして、最終的に日本は特攻隊という大量の「軍神」を生み出すわけです。この本の332ページに引用されている朝日新聞の次の記事などは、まさにそうした日本の精神主義の行き着いた果てでしょう。
新書にしては少し不親切ですし長過ぎる本だとは思いますが、十五年戦争時における日本の精神主義の硬直化を新たな視点で教えてくれる本です。
*著者の名前の「徳」の字は、正式には「心」の上に「一」が入ります。
軍神―近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡 (中公新書 1904)
山室 建徳
4121019040
第1章で日露戦争の廣瀬武夫と橘周太、第2章で乃木希典、第3章で爆弾三勇士、第4章では日中戦争から太平洋戦争にかけての昭和の軍神をとり上げています。
350ページを越えるボリュームのある本なのですが、読んだ感想としては、前半の第1章と第2章は分量の割に叙述のわかりにくい部分もあって、正直それほど面白くもない、ただ後半の第3章と第4章は「軍神」をめぐる言説と戦局の悪化が見事にシンクロしている様子が書かれていて非常に興味深い、といった所です。
前半の叙述の問題というのは、例えば第1章の日露戦争の作戦についての記述がわかりにくい、第2章で乃木希典の殉死やその遺書を紹介しながら、乃木本人が殉死の理由としてあげている西南戦争時に軍旗を奪われたという軍旗事件に関する説明がほとんどないといった点です。
また、乃木を描いた第2章については当時のマスコミの反応などはよく拾ってあるものの、100ページ以上を費やしている割にはあまり新しい発見がありませんでした。
一方、後半の3章4章では「軍神」を通して日本の精神主義が凝り固まって行く様子が見て取れます。
満州事変では、爆弾を抱えて敵の鉄条網に飛び込んだとされる爆弾三勇士に対して、陸軍サイドから必ずしも死ぬと決まった作戦ではなかったという冷静な指摘がなされていたのですが、アッツ島の玉砕になると、敗北だったにもかかわらずその精神や死に様のみが大々的に語られるようになります。
そして、最終的に日本は特攻隊という大量の「軍神」を生み出すわけです。この本の332ページに引用されている朝日新聞の次の記事などは、まさにそうした日本の精神主義の行き着いた果てでしょう。
特攻隊員の神々は、われら大和民族が達し得る最高の位置をしめしてくれたのである。しかもこれらの神々は、みなわれわれの肉親なのである。(中略)大東亜戦争は、特攻隊の出現によって、すでに精神的には敵国に勝っているのだ
新書にしては少し不親切ですし長過ぎる本だとは思いますが、十五年戦争時における日本の精神主義の硬直化を新たな視点で教えてくれる本です。
*著者の名前の「徳」の字は、正式には「心」の上に「一」が入ります。
軍神―近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡 (中公新書 1904)
山室 建徳
4121019040
- 2007年08月01日23:24
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
メールはblueautomobile*gmail.com(*を@にしてください)
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