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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2011年09月

クリス・アンダーソン『フリー』などでクローズアップされたことで注目を集める無料ビジネス、その無料ビジネスの狙いやタイプを経済学者の吉本佳生が分析した本。「コーヒー一杯無料」と「コーヒーおかわり無料」、それぞれのタイプの意味や狙いの違いなどから説き起こし、企業が無料ビジネスを行う「動機」を探っていきます。
著者が「はじめに」で言うように、無料の「からくり」というよりは企業側の「動機」を中心に分析した本なので雑学的な面白さは少ないかもしれませんが、「無料ビジネス」というものを大雑把に捉えるにはわかりやすいかもしれません。

この本で企業が無料ビジネスをやる動機の1つとして注目するのが「顧客情報の収集・活用」です。
例えば、お店にやってくるお客さんにはコーヒー一杯に500円出せる人と、300円出す人と、200円しか出せない人がいたとします。コーヒーの価格を300円にして200円しか出せないほとにはあきらめてもらうのか、それとも200円にして利益を減らしても全員に売ることにするのか、それが経営者の判断のしどころでした。
ところが、もしも500円出せる人には500円で、200円しか出せない人には200円で売ることができるならば、経営者としてはそれが理想の状態になります。今まで、そういったことは技術的にも難しかったですが、ITが発達した現在では顧客情報さえうまく集めれば、500円出せる人にはちょっとしたプレミアムコーヒーを薦め、200円しか出せない人には空いている時間に使えるクーポンを配ったりすることも可能になります。
無料ビジネスとはこうした顧客情報を集めるための手段であり、また多くの人には無料で提供したとしても一部のお金に余裕のある人から利益を得る「価格差別戦略」だというのが著者の主張です。

著者はこの顧客情報の収集の観点からグルーポンに代表される共同購入クーポンの問題点を指摘しています。
確かにクーポンの発行によってそのお店の認知度は高まるかもしれませんが、クーポンサイトの運営会社はお店側に顧客情報を引き渡すわけではないのでお店側は肝心の顧客情報を今までのやり方以上に知ることができません。
さらにクーポンサイトの運営会社にとってはあくまでもクーポンの発行枚数が重要でクーポンを大量発行しがちになります。そうなるとお店側がそれを捌けずにかえって評判を落とすということにもなりかねません。
このクーポンビジネスの問題点に関しては著者の指摘のとおりでしょう。

ただ、全体的にもうちょっとデータの裏付けが欲しい面もあります。
例えば、著者はユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の年間パス価格の引き下げ戦略を「価格戦略としては失敗なのではないか」(92p)と感じたそうですが、その後何回かUSJに行くことで評価を転換したとのことですが、ここはやはりUSJの入場者数や売上高などのデータが欲しい所。
確かに著者の言うように、年間パスで近隣からのお客を集め、遠くからくる来園者にファストパス的なチケットを販売する戦略というのは悪くはない気もしますが、それが実際に成功しているかどうかはこの本の記述からはわかりません。

また、デフレ時代において「勤勉な企業人」よりも「遊び上手な人」が尊敬される世の中になることが望ましく(208p)、無料ビジネスがそのよびみずになればいいいと書いていますが、日本人の過半数が一気にお金を使うようになるならともかく、デフレ下において自分だけが貯蓄せずに消費をするという行為は自分の首を絞めることになります(将来安くなるものを今高い値段で買っている)。
この本はマクロ経済について語ったものではないですが、そのくらいのマクロ的な視点は織り込んでおくべきではないでしょうか?

無料ビジネスの時代: 消費不況に立ち向かう価格戦略 (ちくま新書)
吉本 佳生
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サブタイトルは「なぜ成長を描かなくなったのか?」。帯には「テレビゲームから、テレビヒーローもの、アニメ、マンガ、児童文学まで、「子どもの物語」を串刺しにして読み解く試み。」とあります。
この本の内容をまとめれば、「子供たちの触れる物語がいかに変化したかということを様々な事例を用いて確認したもの」。
というわけで、何かものすごく新しい事が言われているわけではありませんし、鋭い理論が登場するわけでもありません。時間がない人、何かの答えを求めている人にはあまりお薦めできません。


けれども、この本はすごいレベルの「労作」。
児童文学作家である著者の専門の児童文学だけでなく、TVゲーム、ヒーロー物、ロボットアニメ、魔法少女ものアニメ、少女マンガに少年マンガ、作品で言えば「鉄腕アトム」から「ウルトラマン」に「仮面ライダー」に「ガンダム」に「エヴァンゲリオン」、さらには「魔法使いサリー」に「アルプスの少女ハイジ」に「ホットロード」に「セーラームーン」に「プリキュア」に「ストライクウィッチーズ」、そして「ドラゴンクエスト・シリーズ」や「ファイナルファンタジー」まで、ここ50年近くの子どもが夢中になったメディアの広大な領域がフォローされているのです。
最近出た宇野常寛の『リトル・ピープルの時代』や、宮台真司の『サブカルチャー神話解体』のように、子供や若者向けのサブカルチャーをある程度網羅的に分析して時代の変化を探ろうという試みは数多くありましたが、ここまで網羅的なものはおそらく初めてではないでしょうか?

最初に書いたように、これだけの作品を取り上げながら言っていることが少ないのではないかという感想もあるでしょうが、これだけの作品を踏破することで見えてくるものもやはり数多くある。
例えば、今までのサブカルチャー分析には欠けていた子どもを取り巻く家族の存在。
子どもは自らの見たいものを見ようとしますが、同時に親が見せたいものを見せられます。子ども相手にヒットを飛ばすには「親」という存在をクリアーする必要もあります。
事実、ファミコンが発売された年の売れたソフトベスト3は、1位「ベースボール」、2位「麻雀」、3位「マリオブラザーズ」でした(14p)。ファミコンは子供のものでもあると同時にお父さんのものでもあったのです。
そんなファミコンソフトの主流となったのが「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」といったRPG。これらのソフトは子どもにゲームの主人公と共に成長を体験させる新しいゲームでした。
しかし、ドラゴンクエストは「7」から大きな転換を見せます。「7」では旅の目的ははっきりとせず、物語の力は弱まっていきます。また、「ファイナルファンタジー」でも「10」では主人公が脇役のような存在になり、「主人公の物語」という側面は薄れてきます。

「親が見せたい」という点ではその筆頭に挙げられるであろう「世界名作劇場」。「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」などの名作を生んだこの枠は、まさに親が見せたいアニメを提供するものでした。
しかし、そこに描かれていたのは「幸せな家庭」ではなく、主人公の多く孤児でした。
筆者はここで子どもとアイデンティティの問題をとり上げます。近代以降、アイデンティティというものに注目が集まりましたが、親に庇護され養われている子どものアイデンティティを際だたせるというのは難しいことです。
そこで19世紀末から20世紀初頭の児童文学が持ちだしたのが孤児でした。子どもでありながら親の庇護を受けられず社会と直接わたり合っていかなければならない存在である孤児、その孤児という立場こそが「子ども」と「アイデンティティ」を同時に描くために必要だったのです。

こんな形でこの本は本当に数多くの作品を分析していきます。
最終的な結論は、「近年になるにつれ大人と子どもの差異が消滅し、成長を描くことが難しくなった」という単純なもので、結論だけ読めば「それだけかよ」と思う人もいるかも知れません。
けれでも、そこに至るまでのページの中に、子どもやサブカルチャー、そして現代社会を考える上でのヒントが詰まった本です。


ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか? (光文社新書)
ひこ・田中
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『ミシェル・フーコー』という名前のタイトルの新書は実は2冊目。結構前に出た本ですが、内田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書)という本があります。
内田隆三の『ミシェル・フーコー』は随分昔に読んだのでもう忘れた部分も多いですが、『言葉と物』の内容を中心にフーコーの思想を圧縮して概観したような本だったと記憶しています。
それに対して、この重田園江『ミシェル・フーコー』は、本来ならば『フーコーの『監獄の誕生』を読む』とでも題されるべき本で、フーコーの『監獄の誕生』という一冊にこだわり抜いてその魅力とそこで行われている議論の本質に迫ろうとした本です。

『監獄の誕生』はフーコーの主著の一つで、近代以前における残虐な公開処刑のような刑罰がいかに変化し、監獄による収容と矯正が一般化したかということをフーコー独特のやり方で論じた本です。
特にこの本で紹介されたパノプティコン(一望監視施設)と規律権力の話は有名で、身体動作の規律化などにより規範をその人間の内面に埋め込んでいく規律権力は、現代の学校や工場などにも通じるものとして、さまざまな分野でよくとり上げられる概念です。

しかし、この新書で著者が主張したいのは、フーコーの『監獄の誕生』の魅力と読みどころは規律権力をめぐる部分だけでなく、この本の至る所にあり、またそれを読み解くことでフーコーの本当に問題にしたかったことが見えてくるということ。

例えば、『監獄の誕生』は単純に「暴力刑から監獄へ刑罰が洗練された」という意味で読まれがちですが、フーコーは第4部の第2章で「監獄の失敗」について述べています。現在でも刑務所で犯罪者の集団とつながりができ完全に犯罪者集団に転落してしまうものがいるように、刑務所は必ずしも犯罪を減らすために役立っているとは思えない所があります。
著者はここからフーコーの議論を引きながら、むしろ犯罪者集団が権力の役に立っているということを指摘します。権力がその力を振るうには、そしてその基盤を安定させるためには、むしろ一定の犯罪者集団がいたほうがいいというのです。
この本ではフーコーの次のような発言が引かれています。
「犯罪のない社会。一八世紀末はこれを夢想していました。でもすぐに変わった。犯罪者の集団があんまりにも役に立ったので、彼らなしの社会なんて考えるのもばかげた、危険なものになってしまったんです。だって犯罪者がいなきゃ警察はいらないでしょ。犯罪の危険がなければ、警察にあれこれさせるのを誰が許します?これこそ天の恵みと言ってもいい。警察なんて最近できたうっとうしい制度、犯罪者集団がいなきゃ誰も認めませんよ。(中略)あとは、いかに危険な犯罪者がたくさんいるかをあきもせずに書きたてる新聞記事がなければね」(209ー210p)

このあたりのフーコーの考えは、「治安」に大きな価値が置かれ「治安」のためにさまざまな監視装置が登場してきた現代社会にも当てはまるもので、著者が言うように『監獄の誕生』はいまだにアクチュアルな価値を持つ本だと思います。

最初に書いたようにフーコーという思想家の全体像を知りたい人には別の本がいいと思いますが、「フーコーを少しだけ読んでみたけど何が言いたいのか分からなかった」と感じている人にとって、一冊の本を丁寧に読み解いたこの本はいいかもしれません。
持ちだされる例などはいかにも最近の大学生用という感じでしっくり来ない人もいるかも知れませんが、妙に熱いブックガイドなども面白いと思います。

ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)
重田 園江
4480066276
タイトルが挑発的に聞こえる人もいるでしょうし、また著者が安倍政権から福田政権において政府の経済財政諮問会議の民間議員だったことから、それだけでマイナスのイメージを持っている人もいるでしょう。
けれでも、この本をきちんと読めば、著者の主張する新自由主義いうものが、たんに「大企業中心主義」や「弱者切り捨て」といったものではなく、ある意味で「リベラル」なものだということがわかると思います(「新自由主義」は残念ながらあまりにもイメージで語られていると思います。例えば、ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』は「新自由主義」のバイブルですが、おそらく日本の大企業の経営者の殆どはこの本の考えに反対するでしょう)。
「ネオリベラル」(新自由主義)という言葉は、行き過ぎた経済至上主義のように思われることが多いですが、あくまで「リベラル」(自由主義)の一種なのです 。

例えば、新自由主義は政府や一部の有識者が当事者よりも賢い判断ができるという「賢人政治」を否定します。自分の問題は自分が一番良くわかっているし、自分の損得は自分が一番良くわかっているというわけです。ここから新自由主義は市場の働きを重視し、政府の規制に反対するわけですが、この規制は経済に関するものだけではありません。
著者は次のようなロジックを使って「選択的夫婦別姓」に賛成しています。
「夫婦は同じ姓でなければ家族の一体性に欠ける」とか、「親と子どもの名前が異なると子どもがイジメを受ける」とされるが、問題は同性と別姓のいずれかが優れているかではなく、誰がそれを判断するかにある。家族の姓の決め方を、個々の家族が判断してはいけないという「規制」は、何が自らの利益かについて、政府のほうがよりよい判断ができるという賢人政治の考え方に基づいている。しかし、日本の家族の平均的な判断力は、夫婦別姓選択を容認しているほとんどの先進国に比べ、それほど劣っているのだろうか。(115p)
ここで重視されているのは個人の自己利益に基づいた選択というはっきりしたものであり、軽視されているのは「社会」や「文化」という曖昧なものです。
ここから、農政改革や都市の再開発などに関しては、既得権を否定した大胆な改革の方向が示されています。
平均的な住宅に対して固定資産税を大幅に軽減している「小規模宅地特例」は、現在の住民の既得権を守り、新しい住民を排除する制度だと指摘している部分(228p)などは、意見の分かれるところでしょう。

ただ、社会保障や労働市場の分野においては、現実を見据えた議論がなされていて、いわゆる「リベラル」な人とも通じる所があると思います。
特に労働市場改革については、「同一労働・同一賃金」、「定年制の廃止」、「金銭補償を伴った整理解雇の容認」、「ワーク・ライフ・バランス」などが主張されておリ、例えば社民主義的な立場の濱口桂一郎氏の『新しい労働社会』(岩波新書)の中の主張とも通じるものあがあります。
また、年金制度の改革についても、同じ経済学者の鈴木亘氏が主張する思い切った積立方式への移行とは違い、消費税による税方式が主張されていて、この部分でも「リベラル」な立場の人にも受け入れやすい議論がなされていると思います。

ただ、第3章の「市場主義は日本の伝統」の内容はいただけない。
平清盛、織田信長、小泉純一郎の「市場重視、貿易重視」の思想と、源頼朝、徳川家康、田中角栄の「政府の管理下での国内開発」の思想を対比する考えは乱暴すぎる。確かに平清盛には先進性があったけど、当時の国際情勢において貿易に力をいれればもっと日本は繁栄したなどとは言えないでしょう。
また江戸時代初期に行われた国内開発こそ日本の食糧不足を解消し、人口増加を可能にしたものであり、その力を否定することもできないはずです。

このようにいくつかの乱暴な議論も含んでいる本ですが、今の日本の問題を考える上で多くの知見を提供してくれる本です。「新自由主義」を毛嫌いしている人にも、毛嫌いせずに読んでもらいたいですね。

新自由主義の復権 - 日本経済はなぜ停滞しているのか (中公新書)
八代 尚宏
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『強権と不安の超大国・ロシア』『コーカサス 国際関係の十字路』という非常に面白い2冊の新書を書いた廣瀬陽子の新刊。ただ、この本のもとになっている原稿はシノドス・ジャーナルに掲載されたもので、シノドス・ジャーナルをチェックしている人にとっては得るものは少ないかもしれません。けれども、この本で行われている国際情勢を複眼的に読み解く姿勢はロシアとその周辺諸国の関係だけでなく、広く外交を考える上で必要なものであり、たとえシノドス・ジャーナルをチェックしていても読む価値のある本だと思います(評者はシノドス・ジャーナルを読んでいたので7点にしましたが、もし読んでいなければ8点でもよかったと思います)。

筆者によると、ロシアと西側諸国の関係は、ソ連が解体した1991年から2001年の第1の時期、2001年の9.11テロから2003,04年の第2の時期、そこから2008年のグルジア紛争までの第3の時期、グルジア紛争から2009年のオバマ政権誕生までの第4の時期、そしてオバマ大統領による米露関係の「リセット」以降の第5の時期い分けて考えられるといいます。
冷戦の雰囲気が引きづられていた第1期においては、旧ソ連の勢力圏に西側諸国が勢力を伸ばそうとし、それにロシアが反発するという関係が続きました。特に両者の関係が悪化したのはコソヴォ紛争で、未だにロシアは欧米諸国の多くが承認したコソヴォを承認していません。
しかし、この対立関係は9.11テロによって一時的に解消します。ブッシュ大統領の掲げた「テロとの戦い」のスローガンは、ロシアのチェチェン紛争のレトリックとしても使われ、またロシアもアメリカのアフガン攻撃にさまざまな便宜を図るなど、「対テロ」と言う名目で米露の一時的な蜜月関係が出来上がったのです。
が、この蜜月関係は長くは続かず、アメリカの「一極支配」を目指す動きがロシアとの軋轢を生みます。特に2003年のグルジアの「バラ革命」、2004年のウクライナの「オレンジ革命」は「反露・親米」政権を生み出し、ロシアの強い反発を招きました。また、この時期に推進されたMD計画もロシアの危機感を高めたものです。
そんな中で2008年の北京オリンピックの開会式中に起きたのがグルジア紛争。このときメドベージェフ大統領は「新冷戦も辞さない」と述べ、アメリカに対する強い対抗心を見せました。
そしてオバマ政権による米露関係の「リセット」。「新冷戦」を回避したロシアと西側諸国の関係が注目されます。

と、ロシアを取り巻く国際情勢を長々と書きましたが、そうした認識の上にロシアを取り巻く外交問題と国内問題を取り上げて分析したのがこの本。
新しい米露関係から、ロシアと中国の関係、ロシアとイスラエルの接近、2010年のロシアの森林火災、同じく2010年のサッカーの試合が元になったというモスクワ暴動。さらにはチュニジアの「ジャスミン革命」からエジプトなどに広がった中東の民主化が旧ソ連諸国へ与える影響、アルバニアの原発問題などとり上げる問題は多岐に渡っています。

日本のTVのニュースや新聞で、ロシアの国内の問題やロシアと周辺諸国の関係についてつっこんだ報道を見ることはほとんどないので、この本は情報としても貴重です。
そして、さらに「国際関係の見方」を教えてくれるという面でもこの本は有益です。例えば、コソヴォについて欧米諸国の多くが承認していると書きましたが、この本によるとスペインは承認していないそうです。これはスペインが国内にバスク問題を抱えているためで、「分離独立」の先例ができてしまうことを恐れてのものです。
このように、この本を読むと外交というものが単純に「アメリカ側」「ロシア側」のようなものではなく、それぞれの国が抱える事情により動いていることがわかります。
また、東日本大震災以後のロシアの日本に対するアプローチについても載っていて、今後の日露関係を考える上でも有益な本だと思います。

ロシア 苦悩する大国、多極化する世界 (アスキー新書)
廣瀬陽子
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★★プロフィール★★
名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
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