2019年05月
タイトルからはB級っぽさが漂いますが、そこは『李鴻章』、『袁世凱』(ともに岩波新書)、『近代中国史』、『世界史序説』(ともにちくま新書)、『中国の論理』(中公新書)、『日中関係史』(PHP新書)などの読み応えのある新書を送り出してきた著者で、中国の腐敗と格差の根源を歴史とそれが生み出した社会構造の中に探ろうとしています。
内容的には『中国の論理』の第2章と第5章と重なっていはいますが、著者の専門とも言える清朝の時代の記述は面白いですし、中国の官僚機構の特質を掴むこともできます。
目次は以下の通り。
1 格差―士と庶はいかに分かれたか2 権力―群雄割拠から唐宋変革へ3 腐敗―歪みはどこから来たのか4 改革―雍正帝と養廉銀5 根源―中国革命とは何だったか
第1章でとり上げられるのは中国における格差の源流です。
中国は世界最古とも言える官僚制国家であり、それは秦の始皇帝の時代に始まっています。とは言っても、中央集権はすでに戦国時代の各国の中で始まっており、著者は「たまたまその一つの節目に、始皇帝がいたにすぎない」(25p)と述べています。
中国ではこのようにして身分・階級に格差の少ないフラットな社会が出現します。そこで導入されたのが官僚制であり、具体的制度としては郡県制が用いられました。郡県のうち、実態があるのは県で、地方支配の末端をになうものとして存在し続けました。
県は周の時代の「邑」を基盤としたもので、そこにはコミュニテイぃをとりまとめる「三老」、「父老」といった存在がいましたし、戦国時代には「遊侠」と呼ばれるヤクザ的な存在が顔を利かせていました。
漢の政権はこうした社会に対して儒教によって安定した秩序をつくり出そうとしました。そして官僚制度においても在地の人間を取り込むことによって地域の自治と噛み合うようになっていきます。
一方、儒教の重視は教育の重視、そして家柄の重視ももたらしました。礼儀といった挙措は家族や一族の中で培われるからです。
こうして名家や門閥が形成されていきます。「三国志」の袁紹、袁術で有名な袁氏など、貴族と呼ばれる一族が生まれることになるのです。三国分立時に始まった九品官人法はこの動きを助長しました。九品官人法自体は個人を評価する仕組みでしたが、初任官のランクは家柄によって決まるようになり、それに伴って高位の官職を名門が独占することになるのです。
この貴族制は南北朝時代の南朝で完成の域に達し、エリートの「士」と一般庶民の「庶」がはっきりと分かれる社会ができあがっていきました。
一方、北朝では賢才を試験によって選抜するという科挙の制度が導入され、その北朝から出た隋や唐が中国を統一します。しかし、唐の文宗皇帝が娘を一流貴族に嫁がせようとして謝絶されたことがあるように、名門貴族の力はなかなか衰えませんでした。
ようやく変化が訪れるのは10世紀を中心とした「唐宋変革」の時期になります。
この時期に中国の政治は貴族制から君主独裁制へ転換します。すべての官僚は科挙によって選抜されることになり、エリートにとって自らの地位の源泉は天子(皇帝)と科挙ということになります。そして「士大夫」と呼ばれるエリート層が形成されたのです。
科挙によって一般庶民がエリートになる道がひらけたわけですが、「士」と「庶」の区分が亡くなったわけではありません。「試験という一見、合理的かつ平等な条件であればこそ、格差・差別の裏づけはいっそう社会的に受け容れられ、鞏固になった」(56p)わけなのです。
このように中国では世襲に基づく「士」と「庶」の区分は消滅しましたが、こうした二元的な社会のあり方は変わらず、そうした社会の中で官僚制が発展しました。
第2章では、その官僚の権力が歴史の中でいかに変化したかが概観されています。
漢の時代の官僚の典型が皇帝の権力を背景に厳しく法を適用する法家的な酷吏です。漢の時代は儒教が優勢となりますが、統治のスタイルは変わらなかったのです。
しかし、強大な権力を十分に行使するには皇帝個人の体力や気力、識見が必要であり、それがない場合には外戚などが権力を握りました。後漢から唐の時代までは、貴族たちと皇帝が主導権闘いを繰り広げ、皇帝が秘書的な役職をつくって権力を集中させると、時とともにその役職も貴族によって占められるようになり、さらに秘書的な役職がつくられるということが繰り返されました。
こうした権力闘争を終わらせたのが「唐宋変革」なのですが、著者は特に後周の世宗、その右腕的存在で宋を建国した趙匡胤、宋を安定させた弟の趙匡義の3人に注目します(宮崎市定はそれぞれを信長・秀吉・家康になぞらえている(81p))。
唐代の律令に基づいた画一的な行政・統治が破綻した後に、彼らがつくったのは君主独裁制は、在地の特殊性を認めながら可能な限り一元的な政治を行おうとしたものです。単純なトップダウンだけでなく、ボトムアップを取り入れながら効率的な統治を求めた結果、生まれたものだと言えます。
例えば、人民を個別に把握して労役に従事させるしくみに代わって、貨幣による納税が取り入れられ、そのために貨幣がつくられました。
「官吏」という言葉がありますが、中国ではこの「官」と「吏」は「唐宋変革」のころを境に異なるものとして把握されるようになっていきます。「官」は中央政府が任命し派遣する正式な官僚、「吏」は「胥吏(しょり)」などと呼ばれる臨時的に執務する人員を指すようになります。
君主独裁制において官僚は中央から派遣され、数年で移動していきます。しかし、短期間で任地の特性を把握して統治を行うのは困難です。そこで、欠かせなかったのが胥吏の存在です。
在地の行政を行うにあたって、できるだけ地元の人間が労力を出し合い、課税を避けるというのが中国社会の伝統であり、そのためにボランティアの形で行政に携わる人間がいました。
ところが、唐宋変革によって事務仕事が増えるとこのボランティアは専業化し、胥吏となります。ただし、あくまでも臨時のボランティアであり、報酬はありませんでした。
中央から派遣された形式的な「官」と、実際に事務を行う報酬のない胥吏。中国の行政の末端ではいびつな構造ができあがったのです。
王安石はこの胥吏に給与を与え、正規の官員になれるルートも設けるなど、社会の一元化に取り組みましたが、最終的に王安石の新法は葬り去られています。
第3章では、そうした官僚制度がいかにして腐敗を生み出したかが語られています。
ここでは時代が飛んで清代の中国の制度が分析されています。清の地方行政組織は「省」−「道」−「府・州」−「県」の四段階でしたが、例えば、省には省内の税収財政をつかさどる付政使と司法刑罰をつかさどる按察使の上にそれを監督する総督・巡撫が置かれており、実際には四段階以上の複雑な構造になっていました。不正などをなくすために監督官庁が次々と設置されたからです。
一方、末端の行政組織が県の衙門です。衙門にいた正規の役人は知事(知県)、次官、秘書官、教官くらいで、他に知事の家人、幕友という私的なブレーンなどがいました。知事の執務はこのような私的な縁故者の協力で成り立っていました。
その下で実際に政務を行ったのが胥吏たちです。県の部署の多くは胥吏のみで構成されており、17世紀あたりの中国の人口が1億くらいだった時期だと、普通の県では300人ほど、大きな県では1000人ほどの胥吏がいたといいます(114p)。さらに肉体労働に従事する衙役と呼ばれる人々も胥吏以上に多くいました。そして、これらの胥吏や衙役は臨時のボランティア的な存在だったのです。
胥吏は引退するにあたって自分の後継者を推薦するのが慣例でしたが、これによって胥吏は一種の世襲、あるいは権利株のようなものになり、高値で売買されました。
自らの俸給すらないのになぜ胥吏の株が高値で売買され、子どもや一族にその地位を継がせたがったかというと、当然ながら別の旨味があったからです。それが「陋規(ろうき)」と呼ばれた賄賂・手数料です。
この胥吏のとる賄賂は、すでに宋の時代に司馬光が問題にしていましたが、特に抜本的な改革が図られることもなく(王安石の改革は失敗した)、清代までつづきます。本来ならば、正規の官員がこれを取り締まるべきでしょうが、転勤を繰り返す彼らが実際の政務や地域の実情に通じた胥吏たちを厳しく指導することは難しいものでした。
中国には「官に封建無く、吏に封建有り」という言葉がありますが、ここでいう封建とは地位・職務の世襲を意味しています。中国の政治は、「君主独裁・トップダウン的な官僚政治の外貌をとりながら、実質は「封建」・ボトムアップ的な胥吏政治」(127p)だったのです。
第4章は、こうした構造にメスを入れた雍正帝の改革が中心になります。
中国では古来、歳入・歳出ともできるだけ少なくして税負担を軽くするチープ・ガバメントが理想とされていました。減税こそが善政だったのです。
そのせいもあって、実地の地方行政の経費支出は実質上認められていませんでした。衙門の維持費や人件費、事業費は政府財政に組み込まれていなかったのです。しかし、この費用はどこからか調達する必要があり、それが「陋規」を生み出すことになります。
清代の税金は銀で納められていましたが、政府に納めるときはこれを鋳直すために、その目減り分が上乗せされて徴収されていました。これを「火耗(かこう)」などと言いましたが、このて火耗がそのまま陋規となりました。
これに対して雍正帝は、個別に地方官を通じて財政整理や増税を行う一方で、火耗やその他の陋規を一定限度認めた上で、これに歯止めをかけさせました。そして、不十分な俸給しかもらえない官員には「養廉銀(ようれんぎん)」と呼ばれる手当を支給し、腐敗を防ごうとしたのです。この養廉銀は大きな成果をあげ、雍正帝の時代には綱紀が正されたといいます。
しかし、養廉銀は官員のみに支給されるものであり、胥吏には支給されませんでした。胥吏たちはやはり陋規をとらなければ生きてはいけなかったのです。
雍正帝が亡くなり乾隆帝が即位すると、派手好きな乾隆帝のもとで綱紀は再び緩みはじめます。乾隆帝時代のインフレと好況のもとで、養廉銀では官員はその生活を賄いきれなくなり再び陋規が復活します。
第5章では中国革命が扱われています。
乾隆帝の時代は中国の人口が大きく増加した時代でもありました。県が統治しなければならない住民の数も増えていきますが。
こうした中で統治の一端を担ったのが科挙に合格しながら官職につかずに地元で暮らす「郷紳(きょうしん)」と呼ばれる人々でした。彼らが地域のコミュニティをとりまとめることで、貧弱な行政機関を補ったのです。孫文は「租税をおさめること以外、人民は政府となんの関係もなかった」(174p)と述べましたが、中国では「官」と「民」が分離した社会ができあがっていったのです。
一方で、陋規のほうは直接的な賄賂から誕生日プレゼントのようなものへと形を変えて拡大していきました。「官」になることは蓄財のための手段でもありました。
こうした状況の中でおこった中国革命の中で、孫文は三民主義を唱えます。三民とは民族・民権・民生を指しますが、列強による分割の危機にあって当時の中国において圧倒的に優先されたのは民族主義でした。まずは異民族の清王朝を倒すことが優先され、社会の改革は進まなかったのです。
孫文は中国国民党をつくり、共産党と連携します。第一目標は反帝国主義・民族主義でしたが、民生主義が社会主義と結びつくことで、国民革命軍の北伐は順調に進みます。
しかし、この動きも蒋介石の反共クーデタによってストップします。代わりに国民政府に影響力を持ったのは浙江財閥であり、「土豪劣紳」と呼ばれた地方の大地主でした。「士」と「庶」の分裂は形を変えて残り、中国社会の一元化はならなかったのです。
その後の動きに関しては、「むすびに」で簡単に触れられています。
日本の侵略が本格化した1930・40年代は「日本帝国主義という敵対者の出現と存在を通じて、戦時体制を構築するなか、上下の一体化・社会の一元化を模索していた時代でも」(213p)ありました。
その後の、中華人民共和国の成立と計画経済の実施について、著者は社会主義化であるとともに「嶮しい国際情勢に応じた戦時統制とみるべき」(215p)だとしています。
文化大革命に関しては、著者はそこに社会の一元化を目指す動きを見ていますが、その後の改革開放移行は再び二元的な社会に戻ったと見ています。このあたりはもう少し著者の分析を詳しく知りたいところですね。
以上のような内容で、現在の中国の格差や腐敗について知りたい人には向かない内容ですが、中国社会のあり方というものを知りたい人にとっては面白い内容になっていると思います。この本には歴史の中から見えてくる社会の姿が描かれています。
最初にも述べたように『中国の論理』(中公新書)と重なっている部分はありますが、中国史に対する理解を深めたいのであれば、両方読んでおくのもよいでしょう。
- 2019年05月28日23:33
- yamasitayu
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坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』、田中久稔『経済数学入門の入門』につづく岩波新書の経済学「入門の入門」シリーズの第3弾はゲーム理論。近年の経済学、さらには社会科学全般において重要な役割を果たしているゲーム理論を初歩から解説しています。実際、坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』でもかなりゲーム理論を取り入れる形で経済現象が説明されていました。
そんなゲーム理論について数式を使わず、そして利得表もほとんど使わずに、面白くわかりやすい例(一部の世代向きかもしれませんが)をまじえて解説したのがこの本です。
目次は以下の通り。
第1章 ゲーム理論とは―戦略的思考の理論第2章 ナッシュ均衡―相手の動きを読め!第3章 複数均衡の問題―どのナッシュ均衡?!第4章 非存在の問題―ナッシュ均衡がない?!第5章 完全情報ゲームと後ろ向き帰納法―将来のことから考える第6章 不完全情報ゲームと完全ベイジアン均衡、そして前向き帰納法―過去について考える
第1章はイントロという感じで、世の中にあるさまざまな意思決定について触れられています。意思決定にはルーレットで赤か黒に賭けるかというような相手の意思決定を考慮に入れないものもあれば、じゃんけんのように相手の意思決定を読むことが重要なものもあります。ゲーム理論が重要になってくるのは後者の意思決定です。
第2章ではナッシュ均衡が扱われています。フォン・ノイマンの話とかをしないでいきなりナッシュ均衡の話をしているところは本書の特徴の一つと言えるかもしれません。
この本ではナッシュ均衡を「戦略的状況での行動=相手が何をするかに対するベストな反応」という式で表される状況と説明しています(16p)。
そして、すぐに囚人のジレンマの説明に移ります。このあたりの展開は非常にスピーディで、うすくてわかりやすい本ながらもゲーム理論についてある程度先にまで進みたいという著者の姿勢がうかがえます。
さらに、互いの選好に関して、利得表を使わずに(1個だけ登場)、図2−3(37p)に見られるような独特な図をつかって直観的に理解させようとそている所も一つの特徴でしょう。
また、ゲーム理論についてくる仮定について、確かに現実的とは言えないかもしれないけれども基本を理解するのが重要なのだとしつつ、最後の罰金ゲームで人間がそこまで厳密に考えていないことを指摘している点は良いと思います。
クラス全員に紙を配って0〜100までの数を書いてもらい、その平均値に0.7を掛けた数に最も近い数を書いた学生が勝ちというゲームをした場合、全員0と書くのがナッシュ均衡となります(詳しくは本書41−45pを参照)。でも、現実には全員が0と書くことはなく、著者によればゲーム理論家を集めてもそうはならないかも、とのことです。
第3章は複数均衡の問題です。エスカレーターでは東京では右側あけ、大阪では左側あけが一般的です。もちろん、公式には両側に乗ることが正しいのでしょうが、一種の均衡が成立しており、簡単に変わる気配はありません。ここでポイントとなるのはどちらか一方をあけるならそれが右側でも左側でも構わないが、一度均衡ができるとそれに従ったほうが良いという点です。
この本では恋人が携帯電話のキャリアを選ぶゲーム(ラブジェネ・ゲーム)が例にあげられています。二人の選ぶ形態はドコモでもAUでもいいわけですが(なぜかソフトバンクは事前に排除されている)、二人が共通のキャリアを選んだほうが何かと便利なわけです。
こうした人々が協調して同じ行動を取れば利得が得られるケースというのは日常の多くで存在します。
第4章はナッシュ均衡が存在しないケースがとり上げられています。例えば、じゃんけんには一見するとナッシュ均衡は存在しません。じゃんけんの最善手は相手の手によって変化するからです(なお、本書では説明にマリコ様(篠田麻里子)が何度も登場し、著者のこだわりを感じさせる)。
ここで確率が導入されます。相手の手の予測に確率を割り振ることによってナッシュ均衡を求めるのです。じゃんけんの場合はグー・チョキ・パーそれぞれを33.3%の確率で出すことがナッシュ均衡となります。
ナッシュ均衡を生み出したジョン・ナッシュは「有限人の意思決定者がいて、取れる手数が各人有限個なときは、ナッシュ均衡が必ず存在する」(75p)ということを証明しており、サッカーのPKにもナッシュ均衡は存在するのです。
第5章は「完全情報ゲームと後ろ向き帰納法」という難しそうなタイトルですが、ここではラーメン店の出店戦略を例に上げて、後ろ向き帰納法が説明されています。
今、一風堂(やや値段高めのラーメン店)が独占している市場に博多天神(値段が安めのラーメン店)が出店を検討しているとします。博多天神が出店しなければ一風堂が利潤を独占し、博多天神が出店した場合は、一風堂が高値をキープすれば双方黒字、一風堂が対抗して値下げをすれば双方が赤字になります。
このときに博多天神が出店するかどうかを判断するのに有用なのが後ろ向き帰納法の考えです。これは一番最後の結果から考えるやり方で、上記の例では、博多天神が出店すれば一風堂は高値をキープしたほうが得するので、一風堂は高値をキープすると考えられる。だから、博多天神は出店したほうが良いといった形で推論が行われます。
これは非常に単純な例で、わざわざ後ろ向き帰納法を使う必要はないと考えるかもしれませんが、この章ではさらにじゃんがらというラーメン店を加え、複数の市場を対象にしたより複雑なケースも紹介しています。ここまでくると後ろ向き帰納法とそれを図解したゲームの木が威力を発揮することがわかると思います。
さらにここからコミットメントやトランプ大統領の政治スタイルの話まで発展していきます。
第6章では、意思決定の時点でそれまでの意思決定が状況がわからない不完全情報ゲームを取り扱い、完全ベイジアン均衡の考えと前向き帰納法の考えを解説しています。
前半では画家とセンスのない金持ちの取引、後半ではあおい(宮崎)と准一(岡田)のデートを例として分析が進められています。
画家とセンスのない金持ちの取引は、画家は自分で描くこともできるし弟子に描かせることもできる、一方金持ちは画家本人が描いたか弟子が描いたのかを見破る力はないが、画家本人の書いた絵を買えればセンスがいい人間とみなされて今後大きな利益を得るが、弟子の絵を買えばセンスのない人間とみなされて大きな損失を被るというものです。この例を使って完全ベイジアン均衡が解説されています
個人的にはこの本の中でもっともピンとこない例で、例えば、金持ちは長期的な利得を問題にしているのに、画家は弟子に自分の名前で下手な絵を描かせる長期的リスクを考慮に入れないのか? といった余計な考えが頭をよぎってしまうこともあって(もちろん仮定に沿って考えることが重要だということは本書でも指摘されていますし理解できるのですが、現実と接点のない例は直観的に理解しにくい)、完全ベイジアン均衡は他の概念のようにはすっきりと理解できませんでした。
逆にあおいと准一の例はわかりやすいです。あおいが准一の誘いを告白を受け入れる気持ちでOKするか、告白を断る気持ちでOKするか、そもそも断るかを決め、それに対して准一告白するかしないかを決める、という設定です。
比較的ありそうな設定ですし、お互いの脳内の読み合いもわかりやすいと思います。詳しくは本書を見てほしいのですが、前向き帰納法の概念は直観的にわかるのではないでしょうか。
以上が大まかな本書の内容です。他の「入門の入門」シリーズと同じように本書も「おわりに」を含めて164pと非常にコンパクトです。第6章に関してももう少しボリュームがあったほうがわかりやすいようにも思えましたが、この本はあくまでも入り口ということなのでしょう。
ちなみにサポートページに練習問題が載っているのですが、これはけっこう難しいものが多いですね。本書の知識で解けるとのことですが、チューター的な人がいないと解いていくのは難しいのではないでしょうか。
ただし、本書に関してはチューターなどがいなくても多くの人が読み通して、だいたいの内容に関して理解することができるものとなっています。まさに「入門の入門」として機能する本に仕上がっています。
- 2019年05月19日23:02
- yamasitayu
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日本の地方政府(地方自治体)について、その制度と国や地域社会の関係などから明らかにしようとした本になります。
このような政治制度やその実態を明らかにしようとする本だと、事例(地方自治をめぐるさまざまなトピック)や歴史(地方自治の起源、地方分権改革がもたらした変化など)を中心に論じるのがオーソドックスなやり方だと思いますが、この本ではデータと制度、さらにその制度から予想される帰結とそこからのズレを中心に論述を進めていきます。
この書き方は著者の『現代日本の官僚制』と同じで(もちろん、あそこまで思い切ってはいませんが)少し面食らう人もいるかも知れませんが、抽象的な言葉で漠然と枠組みを作って(例えば、「日本の地方政府の特徴は「分離」と「融合」である」みたいな書き方)終わりというのではなく、具体的な制度に基づいて論じられており、基本的には明解な内容だと思います。
そして、特筆すべきはその議論の密度です。具体的な事例をかなりバッサリと落としていることもあって、250pほどの紙幅の中で日本の地方政府をめぐる問題を包括的に論じています。
その議論の密度は非常に高く、今までの地方自治体に関するイメージを覆すものも多いです。また、積極的な改革を提言する本ではありませんが、分析の中で浮き上がってきた問題点の把握を通じて、今後の日本の地方制度を考えていく方向性を教えてくれる内容にもなっています。
目次は以下の通り。
序章 地方政府の姿―都道府県・市町村とは第1章 首長と議会―地方政治の構造第2章 行政と住民―変貌し続ける公共サービス第3章 地域社会と経済―流動的な住民の共通利益第4章 地方政府間の関係―進む集約化、緊密な連携第5章 中央政府との関係―国家との新たな接続とは終章 日本の地方政府はどこに向かうか
まずは「地方政府」という言葉ですが、地方自治体や地方公共団体に比べて一般的に流通している言葉とは言えません(政治学の世界だと砂原庸介『地方政府の民主主義』のように比較的使われている言葉ではありますが)。
しかし、著者は地方自治体や地方公共団体では行政機構というニュアンスが強いが、実際には選挙があり立法活動も行われていることから、地方政府として捉えることが正確だと考えています。
ただし、地方政府といっても都道府県と市町村があり、その規模はまちまちです。また、同じ市でも一般の市と指定都市、中核市では持っている権限が違いますし、東京都の特別区も独自の存在です。そうしたことが序章で確認されています。
第1章では地方政治の構造が分析されていますが、一番のポイントは地方政府が二元代表制をとっていることです。
国政では国会議員が首相を選ぶ構造になっており、国民→議員→首相という委任の構造がはっきりしていますが、日本の地方制度では議員と首長を別の選挙で選ぶという大統領制に近い形をとっています。
ただし、不信任決議が可能である点などは大統領制とは異なっています。この議会による不信任が取り入れられた背景には、戦後、自らの関与により首長を解任できる制度を残したい内務省の思惑があったといいます(不信任が決議されたとき首長は内務大臣に議会の解散を請求できることになっていた(25−26p))。
また、首長に議案の提出権がある点もアメリカの大統領制とは違っています。これは戦前の首長の権限の強さが存続したと言えます。
つづいて地方制度における政党の問題です。
まず、政党制と首長制度は親和的ではありません。当該自治体全域から幅広い支持を集める必要のある首長にとって特定の政党に属していることは支持を広げる足かせになりかねません。一頭優位性や二大政党制が確立している国ならともかく、多党制のもとでは首長の政党色が薄いほうが望ましいのです。
そこで、日本で増えているのが相乗り候補と無党派候補です。相乗りでは元中央官僚などが複数の政党から支持を受けて選挙戦を戦います。一方、そうした馴れ合いを嫌って無党派を掲げる候補もいます。そして、その一部は首長になった後に自前の政党をつくったりもします(例:大阪維新の会、都民ファーストの会など)。
90年代の地方分権改革以降、首長の魅力は高まっており、国会議員が首長に転身するケースも多く見られます。それに伴って首長をめぐる政治的競争は高まっています。
地方では首長だけでなく議会においても政党化が進んでいるとは言えません。これは選挙制度に起因しています。
都道府県議会においては小選挙区と大選挙区が混在しており、都道府県によって実質的に競い合う政党の数(有効政党数)は異なっています。また、市町村議会は基本的に大選挙区制であり、新規参入が容易なために候補者は政党に所属しよう、あるいは政党でまとまろうとするインセンティブをあまり持ちません。結果として議会においては明確な多数派が形成されず、十分な意思決定が行われないことも多いです。
第2章では「行政と住民」と題して公共サービスが分析されています。
まず最初のアプローチは人事から始まります。「人事は組織を形作る」(58p)からです。
霞が関と比べると地方政府の昇進は平等主義的で、中央省庁におけるキャリアとノンキャリアのような大きな違いはありません。また、中央のキャリアのようにごく一部を除いて定年前に他組織に転出するといった慣行もなく、昇進は筆記試験などが用いられます。
また、スペシャリストの育成を志向するかジェネラリストを育成を志向するかは明確ではないといいます。福祉の職員は一般職と切り離されていませんし、かといって地方政府は所管する業務が幅広いためにジェネラリストを育成するのも困難です。
地方政府のトップは首長ですが、美濃部亮吉が都知事就任に際して「落下傘で降りるような気持ち」(63p)と言ったように、首長が政治任用できる職は副知事や副市長だけになります。そこで非公式なブレーンを使う首長も多いのです。
日本の地方政府では予算に対する制約が強いので予算を通じたトップマネジメントを行うことも難しいです。また、人事に関しても官房部門が人事を集中管理しているわけではないので難しくなっています。
そこで首長はある程度長期の計画を作ってマネジメントを行おうとしますが、全体的には組織統制はゆるいと言えます。
近年、NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)が導入され行政の効率化を追求する動きが出てきており、さらにNPOとの協業、PFIや指定管理者制度など、地方行政に民間の活力を導入しようという動きが活発になっています。
この背景には財政難や地方自治体の人手不足があるわけですが、一方で条例を通じて新たな政策形成をはかる政策法務が注目されています。著者は、現在の日本の地方政府では、人事、予算、評価、企画・計画、法務とマネジメント部門が乱立する傾向にあると見ています。
地方政府には住民の直接請求のしくみがあります。直接民主制の要素を取り入れたものとして理解されているこの制度ですが、著者は住民投票以外は間接民主史を前提としたものであるとし、「これらを直接民主制の制度、あるいは直接民主制的な制度と称するのは、適切ではないだろう」(77p)と述べています。
特に、近年注目を集めているのが条例に基づいて行う住民投票です。新潟県巻町の原発建設をめぐる住民投票などが有名ですが、著者はその意義と問題点の双方を認めつつ、今後も試行錯誤がつづくだろうとみています。
第3章は地方政府と地域経済の関わりを分析しています。
現代社会の特徴の一つは人の移動が自由なことです。生まれた市町村にずっと留まる人ばかりでなく、進学や就職などため、あるいは子育てのために転居する人もいるでしょう。
さらに、自宅と勤務先の市町村が別という人も多いと思います。そのため東京の都市部では夜間人口に比べて昼間人口が多くなっています。昼間人口の多い自治体では住民ではない人のために行政サービスを提供する必要があり、その原資が問題となります。
これが大都市の問題を生み出すわけですが、日本では東京の23区を除くとこうした資源配分の調整を行う大都市制度が存在しません。指定市(政令指定都市)の制度はありますが、税源の移譲などがあるわけではないのです(後述するようにこれを解決しようとしたのが大阪都構想)。
地方政府の政策に対して「足による投票」という考え方があります。先程述べた「子育てのための転居」などのように、より充実した子育て支援を行っている自治体に転居するといったことです。
諸外国では、貧しい人への福祉を充実させると貧しい人が集まってきてしまうという問題も報告されていますが、日本ではこれはそれほど深刻な問題になっていません。ただし、企業は「足による投票」を行っており、地方政府はこれを考慮して事業税を決めています。
「足による投票」があるということは良い政策を行えば人を呼び込めるということでもありますが、日本では地方政府を判断する基準として人口という要素が強すぎるのではないかというのが著者の見方です。
人口が基準となるので、地方政府の政策は開発と福祉に偏ります。本来ならば住宅建設を規制すべきところでも開発が行われていますし、また、福祉に関しては、保育をはじめとして、サービス提供の責任を地方政府が持ちつつ、サービスの供給は民間業者に委託しているケースも多く、実際の需要に応えられていない面があります。
第4章でとり上げられているのは地方政府間の関係です。
日本の地方政府は都道府県と市町村の二層制となっています。都道府県は1890年以来、その県境は変わっていませんが、市町村に関しては何度も再編成が行われています。これは、地方政府の役割の増大や人々の移動の活発化によって市町村の規模が過小になったからです。こうした問題に対して、より上位の政府が権限を吸い上げたり、地方政府同士の連携によって解決することも可能ですが、日本で主に用いられたのは市町村合併でした。
明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併という政府主導の3回の合併によって、1888年に7万1314あった市町村の数は、2018年10月には1718にまで減少しています。
一番最近に行われたのが平成の大合併ですが、この背景には合併によって財政支出の削減を目指すという行政的要因と、都市部の有権者に改革をアピールするための政治的要因があったとされています。副次的な効果としては市町村議会議員の大幅な減少があげられます。1996年に誕生した民主党はその成長過程が平成の大合併と重なったため、思うように地方議員を増やせず、国会議員中心の政党となりました(172p)。
逆に合併などが起きていないのが都道府県です。2000年代になると、市町村への権限委譲や公共事業の削減によって都道府県の財政規模は縮小していますが(149p図4−1参照)、公務員数では教員と警察を抱える都道府県が上回っています。
しかし、福祉など近年その役割が拡大してきた分野に関しては基本的に市町村が担っています。そして、これが都道府県の数が安定している理由の一つだといいます。新たな行政需要に応えるために合併する必要がないからです。また、政党の組織などが都道府県単位となっているもの都道府県の数が変化しない一つの要因です。
大都市に関しては、戦前から権限や財源を求める動きがあり、1947年の地方自治法では特別市に都道府県の権限と財源を与える特別市の制度が書き込まれましたが、当該市を含む都道府県全体の住民投票で過半数の賛成を必要とするとされたこともあって、特別市への移行は行われませんでした。結局、1956年に都道府県の権限を一部移譲する指定市制度が導入されています。
こうした中で大阪維新の会が大都市の問題を解決するために提案したのが大阪都構想でした。大都市問題をどれほど解決できるかは不透明ですが、今までにはなかった画期的な動きと言えます。
この章の最後では、日本の地方政府が密接な「相互参照」(他の自治体が行った政策を取り入れる)を行っていることが指摘されています。視察や担当者会議などによって横並び的な政策が展開されているのです。
第5章は国との関係です。戦前は内務省が府県に知事だけでなく幹部も送り込み、府県は内務省の出先機関といった具合でした。これが戦後になると形の上では対等な関係となります。
ところが、機関委任事務をはじめとして国が地方を統制する制度は残りました。この制度には補助金も含まれますが、これらの仕組みは補助金の分配に関わりたい自民党の議員や地方政治家にも支持されて維持されました。
また、地方の便益と負担のズレを調整する制度として地方交付税が用いられました。地方交付税制度では、交付金の総額がまず決定され、それが人口や地理的条件などに応じて分配されています。これは自治省・総務省にとっては毎年のように大蔵省・財務省と総額について折衝しなくて済む仕組みでしたし、大蔵省・財務省にとっても地方からのボトムアップによって財政移転を行う方式よりはましでした。
地方にとってはある意味で公平な制度でしたが、これと引き換えに歳入の自治を失いました。地方税の税率や地方債の発行に強い統制がかかることになったのです。
また、都市部と農村の格差に関しては、地方交付税による再分配だけでなく、国土計画による策定、工場三法などの都市部に対する規制、公共事業や農業に対する補助金などで手当されました。
しかし、この仕組みは90年代から行われた3つの改革によって変化していきます。
まずは90年代の第一次地方分権改革です。ここでは機関委任事務が廃止され、各省の関与が弱まり市町村の仕事は増大しました。また、首長の権力も強化されています。
次に00年代に行われた三位一体の改革です。地方税、地方交付税、国庫支出金(補助金)の3つについて改革が行われました。この背景には地方交付税を減らしたい財務省、小選挙区になって昔よりは補助金にこだわらなくなった議員の変化などがあるといいます。
3つ目は2006年の安倍政権から現在に至るまで断続的に続けられている第二次地方分権改革です。いろいろな議題が上がり、一部の規制改革は進んでいますが、主たる推進力が見当たらないために停滞しています。
著者は、こうした改革の中でも地域間再分配の大きな見直しは進まなかったとしています。小泉政権は都市の利益を志向した政権でしたが、例えば、東京の富を再分配する仕組みを大きく見直すようなことはしませんでした。
終章において著者は、地方の選挙制度、人口への過度のこだわり、歳入の自治の確保といったことを課題としてあげています。
特に地方の選挙制度に関しては、それが地方における政党政治の不在に繋がり、さらに組織における専門性の欠落と相まって、「日本の政府には政官関係がなかったといっても過言ではない」(240p)という状況を生み出したと考えています。こうした複合的な問題を解きほぐして解決策を探ることが求められているのです。
長いまとめになってしまいましたが、全体的に密度が濃くてまとめきれないタイプの本ですね。おそらく、著者の頭の中にある、個々の制度間のつながりを一度読んですべて把握するのは至難の業だと思いますが、おそらく、地方をめぐるさまざまな問題やニュースなどを見たときに、この本に立ち返れば、「こういう背景なのか」、「こことつながっていたのか」とわかるのではないかと思います。
もちろん、読んで面白い本なのですが、同時に手元に長く置いておきたい本でもありますね。
- 2019年05月14日22:29
- yamasitayu
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先日、君塚直隆『ヨーロッパ近代史』を出したちくま新書が、今度は第二次世界大戦以後のヨーロッパの歴史を描いた『ヨーロッパ現代史』を出してきました。著者は政治学者ですが『物語 ベルギーの歴史』において、非常にユニークな切り口でベルギーの歴史をまとめてみせた人物です。
さすがに新書にヨーロッパの第二次世界大戦以後の歴史をまとめるというは至難の業で、この本も本文だけで360p超に膨れ上がっており、それでも言及できていない出来事や地域も多いです。ただ、イギリス、フランス、ドイツ、ソ連の各国史を10年刻みでたどりつつ、各年代で特徴的な動きを見せた地域をとり上げるというオーソドックスな構成でありながら、読み進めていくと著者独自の味方が浮かび上がってくるような内容です。
全体の要約はほぼ不可能な本なので、以下、個人的に特徴的だと思った点を3つあげた上で、各章の簡単なまとめを書いていきたいと思います。
目次は次の通りです。
序章 「和解の時代」から「大国の時代」へ第1章 戦後和解と冷戦の時代(一九四五年~一九五〇年代)第2章 繁栄から叛乱の時代へ(一九六〇年代)第3章 石油危機と低成長の時代(一九七〇年代)第4章 新自由主義の時代(一九八〇年代)第5章 冷戦後の世界(一九九〇年代)第6章 グローバル化の時代(二〇〇〇年代)終章 現代のヨーロッパ
まず、独自性の第一点目はイギリス、フランス、ドイツと並んでソ連をとり上げている点でしょう。最初にオーソドックスな構成と書きましたが、ソ連(ロシア)に関しては、そもそもヨーロッパの中核ではないという見方もできますし、紙幅が限られている中で、ヨーロッパにとっては「環境」として扱うことも十分に考えられます。
ところが、この本ではソ連(ロシア)の内政についても丁寧に追っています。例えば、第3章ではブレジネフ時代のソ連についての再評価などにも触れており、ソ連国内の政治的な変遷がわかるようになっています。
このソ連史をしっかりと書くことによって、東欧の情勢が見えやすくなる効果があり、結果としてページを節約することにもつながっているのかもしれません。
独自性の二点目は、68年にそれほど重点を置かずに、その後の新自由主義の勝利に力点を置いている点です。
もちろんフランスにおける68年5月の学生叛乱にも触れていますが、その扱いはそれほど大きくはありません。ヨーロッパの戦後史を描こうとした場合、68年を一番の転換点だと考えて記述するやり方もあると思いますが(ここを境にフェミニズムや環境保護運動が政治の分野に進出し価値観が塗り替えられた、といった具合に)、本書はそのような構成にはなっていません。
むしろ、本書で強調されるのは80年代以降の新自由主義の覇権です。イギリスのブレア政権やドイツのシュレーダー政権で注目された左派政党による「第三の道」についても、「本書では、これを新自由主義が主流になるなかで左派が変容した姿と捉える」(249p)としていますし、終章でも「社会主義圏の崩壊に伴い、社会民主主義勢力ですら「第三の道」と称してそれに乗り、市場競争以外の選択肢が私たちにはなくなってしまった」(361p)と書いています。この選択肢の喪失が、ポピュリズム政党の伸長をもたらしてるというのが著者の見立てでもあります。
もちろん、著者は新自由主義に賛成しているわけではありません。80年代を描いた第4章でオランダのワークシェアリングについてとり上げているのはその現れかもしれません。
三点目は制度への注目です。例えば、第1章ではフランスの第五共和制の半大統領性について比較的詳しく説明してありますし、第6章ではプーチン率いる統一ロシアの強さを2001年に制定された政党法から説明しています。この法律では政党は連邦構成主体の半数以上に地方支部を持ち1万人以上の党員によって構成されなければならないとしており、少数政党や地域政党の進出をブロックしているのです。
さらに近年のポピュリズム政党の台頭については、ヨーロッパの多くの国が比例代表制を採用しており、連立政権になりやすいことが、ポピュリズム政党の存在感を高め、連立交渉を密室の合意として避難する余地を与えていることなどを、その背景としてあげています(ただし、こういった制度を否定しているわけではない)。
また、各国のリーダーについては簡単にその出自に触れて政治的な背景を紹介するように努めていますが、文化面の記述は弱いですね。章の間に挟まれたコラムで文化に言及していますが、それほど効果的ではないと思います。
あと、それほどEU統合の歴史にページを割いていないというのも特徴の一つでしょう。
第1章では1945〜50年代が扱われています。この時代は冷戦の成立を中心として叙述されることが多いですが、本書では福祉国家の成立に力点が置かれています。第二次世界大戦はヨーロッパに大きな被害を与えましたが、その回復、あるいは和解として目指されたのが福祉国家の建設です。
1951年の総選挙で政権に返り咲いたチャーチルが労働党政権がつくった福祉制度を継承したように、この時代は左派右派問わずに福祉国家の建設がある程度合意されていた時代でした。
この章では各国史以外にハンガリー事件をとり上げ、ドイツやソ連といった大国に翻弄される中東欧諸国の状況を印象づけています。
第2章は1960年代について。先程述べたように本書では68年はそれほど重視されていないのですが、やはり60年代は大きな変化が起きた時代です。
経済成長に陰りが見え始め福祉国家は行き詰まりを見せますが、イギリスではウィルソンが死刑の廃止、中絶、同性愛の合法化を行うなど「寛容な社会」の建設が進み、一方、西ドイツではCDU/CSUとSPDの大連立の中で非常事態法が成立するなど、社会のあり方は大きく変化していきました。
各国史以外の部分では北欧の福祉国家の歩みが触れられており、時代を超えて近年の福祉ショーヴィズムと呼ばれる排外主義の動きもとり上げています。
第3章は1970年について。いよいよ経済的な行き詰まりが明らかになってきますが、ここで奇妙な安定を見せたのがソ連です。西欧諸国の行き詰まりの要因が石油危機によるものだということを考えると、産油国のソ連の経済が安定するのも納得なのですが、ブレジネフはこうした経済的な追い風を背景に、党内の序列や慣例を重視する政策を進めました。これは腐敗などを生み出しましたが、スターリン、フルシチョフと粛清が絶えなかったソ連の政治を安定させる知恵だとも言えます。しかし、幹部がそのまま残り続けたため、80年代になると有力幹部は相次いでなくなっていくことになります。また、アフガニスタン侵攻は大きな足かせとなりました。
各国史以外の部分ではスペインがとり上げられています。スペインでは独裁者のフランコが死んだ後、大きな混乱もなく民主主義が定着していきました。
第4章は1980年代について。この時代の主人公はやはりサッチャーということになるでしょう。もちろんサッチャーの政策は諸手を挙げて支持されたわけではありません。1983年の総選挙では左派が主導する労働党が「国有化」「EC脱退」「核軍縮」といった時代からずれた公約を掲げたことが保守党の勝利に繋がりましたし、サッチャーの人気を押し上げたのはフォークランド紛争でした。
一方、経済政策に失敗しながら、なんだかんだと長期間に渡って大統領の座にとどまったミッテランも面白い存在です。長期政権を維持した西ドイツのコールも、それほど人気のある人物ではありませんでしたが、ドイツ統一に対して迅速に対応し、急速な統一に反対したSPDを破って長期政権を築きました。
各国史以外では先程述べたようにオランダのワークシェアリングがとり上げられています。
第5章は1990年代。この時代はいわゆる「第三の道」が模索された時代ですが、これも先程述べたように、著者はこれを新自由主義の枠内での改革と見ています(ブレア・ブラウン政権については次章で詳述)。ただし、社会に変化をもたらした改革もあり、ドイツのシュレーダー政権については国籍法の改正を最大の成果の一つと見ています。
各国史以外では東欧革命を扱っています。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアといった国々の「革命」を簡単に紹介しつつ、ユーゴスラビアとチェチェンで起きた民族・宗教対立について触れているところが特徴と言えるでしょう。
第6章は2000年代について。この時代はブレア、サルコジといった「強いリーダー」が求められた時代ですが、その中でも真打ちはプーチンと言えるのかもしれません。プーチンはチェチェン紛争への対応などで支持を集め、ウクライナ紛争ではクリミア半島を強引に分離させるという今までの国際秩序を揺るがす行動を起こしました。本書では「和解の時代」から「大国の時代へ」というのが一つの流れになっているのですが、この「大国の時代」を代表する人物がプーチンと言えるでしょう。
一方で、この時代にヨーロッパのリーダーとなったドイツのメルケルがいわゆる「強いリーダー」とは違ったスタイルを持つ政治家だということは興味深いと思います。
各国史以外の部分ではユーロ危機とギリシャ危機をとり上げています。
終章では現在のヨーロッパが抱える問題を概観しています。各地での分離独立運動、難民危機、テロ、イギリスのEU離脱など、ヨーロッパはさまざまな問題を抱えています。
著者の見立ては、第二次世界大戦後にその傷を回復するために行われた「和解の政治」が失われ、新自由主義のもとで競争一辺倒の社会になり、それに代わる選択肢を既成政党が打ち出せないことが現在の問題の根っこにあるというものです。
この本の特徴はざっとこんなところです。もちろん、それぞれの時代の各国史は丁寧に書かれており、イタリアが抜けているという問題はありますが、基本的な戦後のヨーロッパ史を押さえることはできると思います。
とは言っても、知識がゼロの人向けというよりはある程度知識がある人が、ヨーロッパ史の流れやお互いの国同士の影響、あるいは主要国の中にある違いを整理するのに役立つ本になるかと思います。
- 2019年05月06日22:09
- yamasitayu
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
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