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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2017年05月

中公新書らしく現在の保育園問題の現状について手堅くまとめた本。何か斬新な解決法が提案されているわけではありませんが、今の保育園を取り巻く問題が網羅的に分かるような本に仕上がっています。
著者は学者であると同時に横浜市の副市長として待機児童問題の解決にも取り組んだ経験があり、現実的な処方箋が模索されると同時に、現在の制度の改善点なども浮かび上がるような内容です。

目次は以下の通り。
序章 保活に翻弄される親たち
第1章 日本の保育制度をつかむ
第2章 待機児童はなぜ解消されないのか
第3章 なぜ保育士が足りないのか―給与だけが問題ではない
第4章 「量」も「質」ものジレンマ
第5章 大人が変われば、子育てが変わる

序章では都心部での保育所探しの大変さが東京都杉並区の例を通して語られています。
妊娠中から始める保育所探し、難解な申し込み方法、厳しい1歳児の倍率とそれを避けるための0歳児からの保育所への入園、そのために年度末生まれは不利になるという問題など、待機児童問題の深刻さとそれに振り回される親の姿が描かれています。

第1章では日本の保育制度の概要が語られています。
2015年4月から「子ども・子育て支援新制度」が始まり、小規模保育所や保育ママなどの地域型保育も制度の中に位置づけられました。この章ではこうした新しい制度の概要をつかむことができます。
また、保育所不足が叫ばれていますが、日本全体で見れば2014年から16年にかけて保育所は減っています(26p)。これは少子化が進んでいることと、認定こども園に移行する保育所が増えているからです。
これを聞くと、民主党政権が力を入れていた認定こども園制度がうまく言っているようにも思えますが、期待されている都市部の幼稚園の認定こども園の移行は起こっておらず(都市部では幼稚園でも人が集まる)、待機児童対策としてはそれほど機能していないのが実情です(27ー28p)。

また、保育所の問題というと都市部の問題と思われがちで、待機児童に関しては確かにそうなのですが、保育所に通う子どもの割合が高いのは地方で、小学1年制に占める幼稚園出身者の割合は埼玉・千葉・神奈川などが軒並み60%を超えるのに対して福井は18.9%(30p)。就学前の子どもの過ごし方に関して都市部と地方でかなり大きな差があるのです。

さらにこの章の最後では保育料の問題に触れており、保育所に多くの税金を投入すれば専業主婦や認可外に子どもを通わせる人が不利になる、正社員のカップルが優遇されるという問題点があり、一方で応能負担を強化すると保育料の合計が私立大学の授業料をこえてしまうという問題が指摘されています(55ー58p)。

第2章は「なぜ待機児童が解消されないのか?」という問題について。
保育所の定員数は98年の約191万から2016年の約263万へと大きく伸びています。しかし、同時に保育利用率も高まっており、特に1〜2歳児に関しては09年の28.5%から16年の41.1%へと急速に上がってきています(62ー67p)。保育所が整備されることで就労を継続しようとする母親も増えてきたのです。

実は日本全国の保育所を見ると定員割れが起こっており、待機児童は都市部に偏在しています。東京都では保育所の申し込み率が上がっているだけでなく、少子化の中でも子どもの数が増えており、これが待機児童を押し上げています。
また、横浜市のケースでは東京に近い港北区、神奈川区、鶴見区などで定員を上回るような申し込みがある一方で、南部の金沢区や港南区などでは定員割れを起こしている保育所もあり(73p)、同じ市内でもその需要には偏りがあります。

待機児童の解消には保育所の整備が必要ですが、保育所の整備が潜在需要を掘り起こすという面もあります。横浜市では2003年に25000ほどだった保育所の定員を08年には35000以上に引き上げましたが待機児童は解消できず、13年に定員を49000近くにして待機児童ゼロを達成しています。しかし、翌年には再び待機児童が発生するなどイタチごっこが続いています(83pの表)。

第3章は近年クローズアップされている保育士不足の問題について。
保育士不足は特に都市部で著しく、東京の保育士の求人倍率は2016年で5.68倍となっています(97p)。
この保育士不足の要員のひとつが、資格を持っている人が辞めてしまう問題です。辞める原因のトップは賃金の問題ですが、それ以外にも「責任の重大さ・事故への不安」、「休暇が少ない・休暇がとりにくい」といった理由も上位にあがっており(98ー99p)、賃金以外の問題もあることがうかがえます。

保育士の給与は市町村から入る運営費によってある程度単価が決まっています。厚生労働省の試算によると、働きはじめて5〜6年の保育士の給与は額面で370万円程度です(102p)。
実際はもう少し低く抑えられているようで、全保育士の平均年収は317万円となっています(104p)。もちろん、都市部などでは独自の加算などもあるのですが、この金額は地方では他と比べて悪くないですが、都市部では他の仕事と比べて見劣りする数字かもしれません。そのために一層都市部での保育士不足に拍車がかかるわけです。
保育士の年収を引き上げていくためには保育士のキャリアパスを整備していくことが必要ですが、一方で数十年後を考えると少子化の影響で保育の需要は確実に減るはずで、地域によっては一生保育士として働いていくことが難しい場所も出てくる事が考えられると著者は指摘しています(126ー128p)。

第4章は保育所における「量」と「質」の問題。
現在、保育所を探している人からすると、多少窮屈であっても子どもを受け入れてほしいと思うでしょうが、すでに子どもを認可の保育所に預けている人からすると、今の環境を守ってほしいと思うでしょう。
もちろん、「量」も「質」も確保されるに越したことはないですが、予算にはかぎりがありますし、保育所のもつ性質上、理想の保育環境を整備するために何年か待ってもらうということはできません。
また、近年では保育所をつくろうとすると近隣から反対運動が起こることもしばしばですが、だからといって子どもを預けてから出勤する親のことを考えると、人里離れた場所につくるわけにもいきません。

この章では、こうした問題の他にも、保育士の資格の問題や保育事故の問題、保育事故を防ぐために求められる自治体の取り組みなどについて述べています。
さらに、一部の論者から「待機児童対策の切り札」として期待されている「保育バウチャー」について、イギリスでの導入事例をもとに否定的な見解が示されています。
1996年にイギリスのメージャー政権が導入したバウチャーでは、保育所の供給は思ったほど伸びず、一部の施設に人気が集中、低所得者は追加の料金を払えないといった自体が起きたとのことです(164ー165p)。
他にも自由参入だと貧しい地域には業者が参入しないといった問題も起こる、スイッチングコストが高く(子供を簡単に転園させられない)市場での淘汰が容易に進まない、といった問題があります(166−167p)。

このようになかなか待機児童解消のための切り札は見つからない状況ですが、そんな中で著者が第5章でやや踏み込んで提言を行っているのが0歳児保育の問題。
現在、都市部では1歳児から枠が少なく、0歳児から預けないと認可の保育所には入れないということも言われていますが、0歳児保育は非常にコストがかかり(目黒区だと月45万以上)、また0歳児3人あたりに1人の保育士の配置が必要です(186p)。
この0歳児保育に投じられる資金や保育士を1歳児以降の保育に振り向ければ、より多くの子どもを預かることができます(この本では触れられていないが0歳児保育は子どもにとって良い影響を与えないという研究もある。例えばエスピン=アンデルセン『平等と効率の福祉革命』を参照)。

他にも、第5章では、日本の社会そのものが変わっていかなければならないといった議論などがなされています。
最初に述べたように、何か大胆な提言を行っているような本ではありませんが、現在の保育が抱える問題をバランスよく紹介していると思います。短期的な問題から長期的問題まで目配りができており、保育の問題を考えるための基本図書と言えそうです。

保育園問題 - 待機児童、保育士不足、建設反対運動 (中公新書 2429)
前田正子 著
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現在、シカゴ大学の大学院で教鞭をとる気鋭の経済学者が因果推論について解説した入門書。数式を使わない初学者向けのスタイルでありながら、因果関係を考えるポイントについて的確に指摘しています。
最近出た、中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』とかぶる内容ですが、新書ながらこちらのほうがやや硬めかもしれません(お互いに補うところもあるので、興味があれば両方読んでみるといいでしょう)。

目次は以下の通り。
第1章 なぜデータから因果関係を導くのは難しいのか
第2章 現実の世界で「実際に実験をしてしまう」――ランダム化比較試験(RCT)
第3章 「境界線」を賢く使うRDデザイン
第4章 「階段状の変化」を賢く使う集積分析
第5章 「複数期間のデータ」を生かすパネル・データ分析
第6章 実践編:データ分析をビジネスや政策形成に生かすためには?
第7章 上級編:データ分析の不完全性や限界を知る
第8章 さらに学びたい方のために:参考図書の紹介

中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』と同じく、この本でもまずは因果関係を推定する難しさを指摘した上で、ランダム化比較実験(RCT)の説明から入っています。
例えば、広告を出したらアイスクリームの売上が増えたとしても、それは広告のせいではなく、暑さのせいかもしれませんし、口コミなどによるものかもしれません。広告の純粋な効果というのはなかなか推定しにくいものなのです。
そこで、ランダムに広告を出す地域と出さない地域をつくり、それを比較してみようというのがRCTのやり方です。これによって「もしも広告を出さなかったら...」という介入を受けなかった比較グループをつくり出すことができ、その比較によって因果関係を推定できるのです。

この本では、オバマ大統領が選挙のときに行ったウェブサイトのデザインの実験(どの写真やメッセージが寄付金を集められるか?)や、著者たちが行った北九州での電力に関する実証実験などが紹介されています。
この北九州での実験では、ピーク時に価格を引き上げる価格政策が節電効果をもつこと、モラルに訴える節電要請もそれなりに効果を持つが、その効果は価格政策位比べて徐々に薄れていってしまうことなどが示されています。

しかし、RCTには手間と費用がかかります。そうかんたんには行えないのが実情です。
そこで、「まるで実験が起こったかのような状況を上手く利用する」のが「自然実験」と呼ばれる手法です(116p)。
この本では「RDデザイン(回帰不連続設計法)」、「集積分析」、「パネル・データ分析」という3つの手法を紹介しています。

RDデザインは「不連続」あるいは「境界線」という概念に注目します。
例えば、日本の医療保険制度では70歳の誕生日を境に医療費の自己負担の割合が変化します(この本で紹介されている実験が行われた時は3割→1割、現在は3割→2割)。
もし、患者が自己負担額によって医者にかかる回数を変化させるならば、70歳の人は69歳の人よりも医者に多く行っているはずです。
実際に調べてみると65〜69歳いかけて徐々に増えていった外来患者数は70歳でジャンプするようなかたちで増えています(120p)。69歳から70歳になると外来患者数は約10%増えており、これによって自己負担割合が低下すると医者に行く人が増えるという因果関係を示すことが出来たのです。

他にもこの本ではカリフォルニア州オレンジ郡のなかで2つの電力会社のサービス地域境界線が引かれていることを利用して、電力価格の上昇が電力使用の低下をもたらすということを明らかにした著者たちの研究が紹介されています。

集積分析は何らかのインセンティブが階段状になっているケースに注目します。例えば、日本の所得税の税率などは収入が高くなるほど階段状に上がっていきます。
こうした例の中に自動車の燃費規制があります。日本では自動車の燃費は自動車の重量に従って階段状に規制がかかっており、重量が軽いほど燃費の規制が厳しくなっています。
ですから、自動車メーカーが燃費の基準をクリアーしようとする時、燃費を向上させるという方法だけではなく、自動車の重量を重くするという方法も存在するのです。

実際に日本で発売された車の重量を調べてみると、ちょうど基準の上限を少し超えたところに集中していることがわかります(156pのグラフを参照)。
つまり燃費規制によって本来は意図しなかった自動車重量の増加が起きているのです。
自動車重量が増加すると、燃費規制は当初の意図ほど効果を発揮しませんし、事故のときに相手により大きなダメージを与えることになります。著者たちの研究によると、この事故のときの安全性の点だけでも年間約1000億円の社会的損失になっているそうです(165p)。
このように集積分析では、実際に運用されている制度から因果関係を推定することが出来るのです。

パネル・データとは、複数のグループに対し、複数の期間のデータが手に入る場合のデータを指します。履歴的なデータが手に入る時、それを分析することで因果関係が推定できる場合があるのです。
デンマークでは1991年に税制改正があり、年間所得が10万3000クローネ(約1200万円)を超える外国人労働者の所得税が大幅に低くなりました。もし、多くの人がこの制度改正のもたらすインセンティブに反応したとするなら、91年を境に年間所得が10万3000クローネ以上の外国人労働者が伸びているはずです。
そして、実際にデンマーク政府のもつ納税データを分析してみると、91年以降、年間所得が10万3000クローネにわずかに届かないグループに比べて、年間所得が10万3000クローネ以上のグループの伸びが目立っています(181pのグラフを参照)。
これをもって「税率の変更が移民に影響を与えた」という因果関係が推定できそうですが、この本ではそれまでのトレンドや、他の要因(他国で高所得者層への増税があった、など)を分析してみないと因果関係があるとはいえないということに注意を向けています。

第6章では、本書で紹介したデータ分析の手法が実際にどのように使われているかということが紹介されています。
特にウーバー社のビッグデータを用いた、価格と客の利用状況についての分析は興味深いです。ウーバーでは地域内で路上に出ている車よりも利用者が大幅に増えた場合、価格を1.2倍、1.5倍、2倍などを引き上げて需要を抑制しています。
この引き上げはウーバーの計算する需要逼迫指数によって決めれらるのですが、この変化は階段上に行われており(一定の逼迫指数を超えると価格が次の段階へ引き上げられる)、先述のRDデザインの要件を満たしていると考えられます。
この研究ではデータ分析によってウーバーのリアルな需要曲線を描くことに成功しています(230pのグラフ)。需要曲線や供給曲線は一種の「お約束」として捉えられがちなので、こういった実際のデータに基づくものを見ると「おおっ」となりますね(ちなみに神取道宏『ミクロ経済学の力』では平均費用や限界費用の曲線を東北電力の費用曲線を例にして見せてくれていて「おおっ」となった)。

第7章では、それぞれの手法の注意すべき点やその限界が述べられています。特に実験参加者に対する因果関係が導かれているかという「内的妥当性」とそれが他のグループにも適用できるかという「外的妥当性」の問題についてはわかりやすく紹介されており、RCTが必ずしも万能ではないということが示されています。
「内的妥当性の観点から言えば、RCTは王様」ですが、「外的妥当性を考慮すると、RCTが最も優れた分析手法とは言い切れなくなる場合も」あるのです(247p)。

このようにデータからの因果推論の考え方を丁寧かつ鋭く教えてくれています。
中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』に比べると紹介されている分析方法は少ないですが、RDデザインなどの説明はより丁寧かつ明解だと感じました。『「原因と結果」の経済学』が因果推論についてキャッチーな題材を使ってカタログ的に紹介してくれているのに対して、本書はもう少し手法の細かい点にまでこだわった紹介になっています。
入門書でありながら、ある程度知識のある人にも重要なポイントを明確にし、新しい知見を与えてくれる優れた本だと思います。


データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)
伊藤 公一朗
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小泉首相が郵政解散で圧勝した後の2006年には竹中治堅『首相支配』(中公新書)が、小泉首相が退陣して自民党が失速し始めた2008年には野中尚人『自民党政治の終わり』(ちくま新書)が世に出て、小泉政権における自民党の変質が議論されました。
その後自民党は低迷し、小泉政権の成功は小泉首相という特異なパーソナリティによるもので、自民党は長期低落傾向にあるのだという議論もありました。
ところが、第2次安倍政権のもとで自民党は再び「一強」と呼ばれる状況となっています。安倍首相には小泉首相のようなカリスマ性はないと思われるのにもかかわらずです。

このような状況に対して、改めて自民党の変質と現在の状況を包括的に論じようとしたのがこの本。
以下の目次を見れば分かるように、政策決定プロセスや友好団体、地方組織など、新聞を追うだけではなかなか見えてこない自民党の内情に迫った内容になっていますし、それが政治学の知見に裏付けれているのがこの本の大きな特徴と言えるでしょう。

目次は以下の通り。
第1章 派閥―弱体化する「党中党」
第2章 総裁選挙とポスト配分―総裁権力の増大
第3章 政策決定プロセス―事前審査制と官邸主導
第4章 国政選挙―伏在する二重構造
第5章 友好団体―減少する票とカネ
第6章 地方組織と個人後援会―強さの源泉の行方
終章 自民党の現在―変化する組織と理念

第1章は派閥について。1つの選挙区から3〜5名の議員を選出する中選挙区制のもとでは、自民同士の戦いを勝ち抜くために派閥が発展しました。
「選挙区レベルの五人の候補者の競合は、総選挙を媒介として、全国レベルの五大派閥への収斂を生み出した」(25p)のです(五大派閥とは田中派・福田派・大平派・中曽根派・三木派)。
しかし、衆議院の選挙が小選挙区比例代表並立制に変更されて以降、派閥の存在感は徐々に薄れていっています。派閥の支援よりも党の公認が何よりも重要になってきました。

また、資金面でも派閥の集金力は落ちており、「派閥との政治資金のやり取りは、若手議員で修士が若干のプラス、もしくは均衡、中堅・有力議員になると負担のほうが大きくなるようである」(31p)とのことです。
このため、人的ネットワークの場として若手が派閥に入る一方で、中堅以降の議員で無派閥が増えているのが現状です。

そんな中で、例外的に活発なのが麻生太郎率いる為公会と、二階俊博率いる志帥会です。
特に二階の志帥会は新人議員だけでなく、無所属から自民に入った議員、定数是正で小選挙区を失った議員などを取り込み、弱い立場の議員の「駆け込み寺」のような存在になっています(41p)。
それとともに二階俊博という政治家の存在感も増していますが、その影響力も二階が安倍首相を積極的に支持しているからで、主導権は安倍首相にあると著者は分析しています(45p)。

第2章は総裁選とポスト配分について。これは小泉以降で大きく変わった点です。
小泉純一郎以降、自民党総裁には「選挙の顔」として期待される面が大きくなりましたし、また、小泉政権では派閥の論理を無視した閣僚ポストの配分が行われました。
以前は当選回数6回で大臣になるという慣行も存在しましたが、自民党が下野した期間があったことや、「大臣に必要とされる能力が高くなっているため」(67p)、このような処遇は難しくなっています。

ただ、すべてのポストを総理・総裁が決定しているかというと、参議院自民党・公明党といった例外も存在します。閣僚人事においても、参議院は独自の推薦リストを首相に届けている状況です(79p)。

第3章は政策決定プロセスについて。自民党の政策決定プロセスは部会→政調審議会→総務会というボトムアップの形で行われていましたが、ここでもそれに風穴を開けたのが小泉政権です。
以前は、部会においていわゆる族議員が力を持ち、また部会などでの決定が部会長などの役員に一任されることが多かったため、一部の有力議員が権限を持つことになりまっした。農水部会や総合農政調査会、税制調査会などはその代表的な例です(100-101p)。

小泉首相はこの郵政民営化の関連法案においてこの事前審査制の突破をはかります。総務会では全会一致の慣行が破られ、多数決によって党議決定となりました。
しかし、小泉首相は郵政解散の余勢をかって事前審査生を廃止することはありませんでした。郵政民営化が実現したことで、そこで満足したのです。

第2次安倍政権のもとでも事前審査制は維持されていますが、その力関係は変質しています。
第2次安倍政権では官邸主導のもとさまざまな政策会議が乱立しており、同じテーマに関する機関が自民党内にも設置されるケースが目立ちます。これによって、官邸主導のもとで党内議論が始まるしくみがつくり上げられているのです(116-118p)。
また、族議員の力も確実に後退しており、2015年には党税調会長の野田毅が安倍首相によって更迭されるなど、総理・総裁の決定権は強まっています。

しかし、それでも事前審査制が残っている理由として、著者は、公明党との連立、事前審査制を廃止した民主党の失敗の教訓、時間的制約があり内閣が提出後の法案審議に関われない日本の国会制度の特質(この点は大山礼子『日本の国会』(岩波新書)で詳しく述べられている)をあげています(124-134p)。

第4章は国政選挙について、2012年の総選挙、13年の参院選、14年の総選挙、16年の参院選と自民党は国政選挙で4連勝を果たし、しかも議席率も衆院では歴史的な高水準です。
しかし、2014年の総選挙の絶対得票率(全有権者数における得票率)は小選挙区で24.5%、比例代表で17%で、05年の郵政選挙の小選挙区31.6%、比例代表25.1%に比べると、数字としてはずいぶん見劣りがします(143p)。
最近の国政選挙で自民党が大きく勝てているのは低投票率と野党の分裂が原因であり、以前よりも大きな支持を受けているわけではないのです。

基本的に固定票を減らしつつある中で、自民党は、「選挙の顔」となる総裁の選出や広報戦略による無党派対策、低投票率のアシスト、公明党との選挙協力の3つによって勝ち残ってきました(145ー146p)。
このうち、一時期注目されのは広報戦略ですが、自民党の選対関係者からは「広報には、良いものをより良く見せる効果はあっても、悪いものをよく見せる効果はありません。だから、広報戦略を過信すべきではないと思います。実際、選挙では候補者選びなどのほうがよっぽど大切なのです」(142p)との声も出ており、やはり公明党との選挙協力が重要な位置を占めています。

候補者選びに関しては、改革の一環として公募と予備選挙の導入が行われましたが、その公募は、現在曲がり角にきています。2012年の総選挙では新人の63.7%が公募でしたが、14年の総選挙ではこの割合は21.4%に大きく下がっています。14年の総選挙が突然の解散によるものだったという要因も大きいですが、空き選挙区が少なくなっていること、公募で選ばれた政治家への評価が低いこと(杉村太蔵、武藤貴也、宮崎謙介ら)なども原因と考えられています(163ー167p)。

こうしたことを受けて、著者は自民党議員の「二重構造」というものを指摘しています。逆風の中でも選挙に勝ち有力議員と成長していく世襲議員と、選挙では自民に吹く「風」頼みのその他の議員です。
2009年の総選挙の選挙公約で世襲候補は公認・推薦しないと明記した自民党ですが、個人後援会を擁した世襲議員は選挙に強く、この公約はなし崩しにされてしまっています(179p)。

第5章は友好団体について。自民党を支持してきた業界団体、職能団体、宗教団体との歴史的な関係をたどりつつ、各団体の現在の集票能力のデータ等を分析しています。また、ここでは財界からの献金についても分析されています。

第6章は地方組織と個人後援会について。
国政選挙では浮き沈みのある自民党ですが、都道府県議会では一貫して50%近い議席率を保っています。都市部では大選挙区制・農村部では小選挙区制という都道府県議会の選挙制度は自民党にとって有利な制度であり、これが自民党が強い要因の一つです(233p)。
市町村議会では自民党の議員は多くはありませんが、その代わりに保守系無所属という実質的に自民党といっていい議員が圧倒的な多数派です。
これらの地方組織は「平成の大合併」などで揺らいだ面もありますが、09年の総選挙での政権からの転落以来、自民党は地方議会での活動に力を入れており、各地方議会で意見書の採択などをさかんに行いました。これらの意見書は、民主党との違いを出すために「右寄り」のものが目立ちます(248ー250p)。

個人後援会は中選挙区制時代に比べると弱体化が進んでいますが、それでも日本の選挙運動期間の短さなどを考えると必要なものだと考えられています。
しかし、個人後援会の立ち上げと運営には多額の資金が必要です。そのため、ここでも個人後援会を引き継ぐことのできる世襲議員の強さが発揮されることになります。

国会議員と地方議員の関係おいて、中選挙区時代はその系列がはっきりとしていました。国会議員の個人後援会が地方議員を応援し、系列化していったのです。
しかし、小選挙区となるとこの関係も変化します。一見、小選挙区制によって自民の国会議員が一人に絞られることはより強い系列化を生みそうな気もしますが、個人後援会の弱体化と、「親分を選べなくなった地方議員の忠誠心も衰えた」ことによって、「従来の親分ー子分関係から緩やかなパートナーシップへと変容」しています(267p)。
また、都道府県議会議員と市町村議会議員の関係が安定していることから地域によっては県連が大きな力を持つようになっています。この本では岐阜県連の猫田孝幹事長のケースなどをあげ、総理・総裁に権限が集中する中でも、中央の決定に県連が必ずしも従わないことがあることを示しています(267ー272p)。

終章では小泉政権と第2次安倍政権の比較を行い、自民党の「右傾化」の問題にも触れています。著者は民主党との対抗上、自民党の「右傾化」が進んだとする立場です(282ー286p)。

このようにこの本は自民党を包括的に論じた本です。個々の材料に関しては政治部の新聞記者などでも書ける内容かもしれませんが、これだけの包括的な内容を、しかも政治学の理論に基づきながら提示し、分析して見せている所がこの本の特徴といえるでしょう。
現在の自民党を論じる上で基本書となる本だと思います。

自民党―「一強」の実像 (中公新書)
中北 浩爾
4121024281
著者の高口康太氏よりご恵投いただきました。ありがとうございます。
(いただきものなので採点はなしです)

一昔前まで、中国経済や「メイド・イン・チャイナ」の勢いは感じながらも、中国の企業というとハイアールくらいしか思いつかないという状況でした。いわば中国経済というのは「顔の見えない」ものでした(2007年出版の丸川知雄『現代中国の産業』(中公新書)の「はじめに」には、「中国の会社を挙げてください」と言われてどれだけの人が答えられるだろうか、という記述がある)。
ところが、この本でもとり上げられているアリババの馬雲(ジャック・マー)に代表されるように、ここ数年、中国の企業や経営者が「顔の見える」形で存在感を示し始めています。
そんなときにタイミングよく出版されたのがこの本。中国の代表的な経営者8人をとり上げて、その成功の軌跡を追っています。

著者は、中国ウォッチャーとしてさまざまな媒体に寄稿している人物です。前著の『なぜ、習近平は激怒したのか』(祥伝社新書)では中国の風刺漫画家辣椒(ラージャオ)氏のマンガと彼が置かれた状況から今の中国社会を読み解こうとしていまいたが、この本も中国企業の経営者や中国企業を取り巻く経営環境から中国社会の「今」が見えるような内容になっています。

目次は以下の通り。
第1章 「下海」から世界のPCメーカーへ 柳傳志(レノボ)
第2章 日本企業を駆逐した最強の中国家電メーカー 張瑞敏(ハイアール)
第3章 ケンカ商法暴れ旅、13億人の胃袋をつかむ中国飲食品メーカー 娃哈哈(ワハハ)
第4章 米国が恐れる異色のイノベーション企業 任正非(ファーウェイ)
第5章 不動産からサッカー、映画まで! 爆買い大富豪の正体とは 王健林(ワンダ・グループ)
第6章 世界一カオスなECは安心から生まれた 馬雲(アリババ)
第7章 世界中のコンテンツが集まる中国動画戦国時代 古永鏘(ヨーク)
第8章 ハードウェア業界の無印良品ってなんだ? 雷軍(シャオミ)
終 章 次世代の起業家たち

第1章〜第4章の、レノボの柳傳志、ハイアールの張瑞敏、ワハハの宋慶後、ファーウェイ(華為)の任正非はいずれも1940年代の出身で、若い頃に文化大革命の嵐に巻き込まれ苦労した人物です。
例えば、ハイアールの張瑞敏は文革の影響で大学にいけませんでしたし、ファーウェイの任正非は父が国民党の工場で働いていた経歴を持つことから人民解放軍で働きながらもなかなか勲章をもらうことが出来ませんでした。また、ワハハの宋慶後は曽祖父が清朝の高級官僚という名家出身なのですが、文革期はそれが仇となって師範学校への入学を断られました。

そんな彼らの転機となったのが78年から始まった改革開放政策です。
ハイアールの張瑞敏は青島のお荷物的な町工場の立て直しのために送り込まれたことから、ワハハの宋慶後は小学校の購買部の経営請負からそのキャリアをスタートさせています。また、ファーウェイの任正非は国有企業の要職につきましたが、そこでの取引で騙されて職を失い、仕方がなく起業しています。

彼らの成功を支えたのが日本の高度成長期の経営者に見られるような思い切った決断や人並み外れたバイタリティです。
ハイアールの張瑞敏は自分の工場の品質の悪さを改善するために冷蔵庫をハンマーで叩き壊したといいますし、ファーウェイの任正非は当時、大企業しかできなかったデジタルの大型電話交換機の製造に挑戦し、無茶なスケジュールのもとでなんとか開発に成功させています。ワハハの宋慶後は超人的営業マンとして活躍し、そこから健康食品にチャンスを見出して成功していきました。

レノボの章で著者は、その成功のポイントして「愛国主義、コストパフォーマンス、強力な販売網」をあげ、これは他の多くの中国企業に共通するものだとしています(40p)。
92年の南巡講話以降、外資が本格的に中国に進出し、多くの分野で品質で劣る中国企業は苦境に陥りますが、その中でレノボやハイアールが生き残った理由は外資には真似できない強力な販売網でした。

このようにこの本では日本の高度成長期を思わせるようなエピソードが数多くとり上げられており、それだけでも興味深いのですが、さらに中国経済の面白いところはポスト高度経済成長的な企業や経営者もすでに出現している点です。
著者は近年の中国を「明治維新と高度成長が一気にやってきた」と形容していますが(5p)、個人的には「高度成長とバブルとIT起業ブームが同時に起こっている」状況のように感じました。

第5章のワンダ・グループの王建林は54年生まれ、大連の地上げ事業から身を起こし、ショッピングモールや映画事業で成功した人物で、かなり「バブル」の香りがします。
大連出身の王建林は大連市長を務めた薄熙来と深い関係があったはずですが、薄熙来の失脚に巻き込まれることはありませんでした。これは王建林が温家宝や習近平の関係者にも便宜を図っていたからだと考えられています(130ー132p)。

第6章以降のアリババの馬雲、ヨークの古永鏘、シャオミの雷軍はいずれもIT起業家で、いずれも60年代生まれです。
このうち最も有名で成功しているのが馬雲。この本を読むとかなり型破りで山っ気のある人間であることがわかります。英語教師から翻訳会社を立ち上げ、その流れでインターネットと出会い、中国のEC事業の王者となっていくその人生は破天荒なものです。馬雲については、孫正義から巨額の資金を得たエピソードが有名ですが(6分の話で4000万ドルの出資を取り付けた)、孫正義とは何か共通するものがあるのでしょう。

ヨーク(優酷)は中国の動画投稿サイトです。ヨークが生まれた2006年にはすでに中国のネットには動画投稿サイトが林立しており、後発組でしたが、サーバーなどに地道に投資することによって、優酷なら快適に視聴できるという評判を獲得、さらにライバル企業が当局とのトラブルで配信停止に追い込まれる中で中国動画配信サイトのトップに立ちます。
しかし、動画配信サイトは簡単にユーザーが乗り換えの出来るサービスであり、その後も大手が参入。古永鏘は2016年にヨークの経営権をアリババ・グループに引き渡しています。

シャオミの雷軍は学生の頃から天才プログラマーの評判をとり、WPS Office(キングソフト・オフィス)の開発に参加、その後、シャオミを起業し、2011年にファッションから何から何までスティーブ・ジョブズの真似をしてスマートフォンを売り出します。
そのスペックと割安な価格は爆発的な人気を呼び、シャオミは2015年には中国のスマートフォン市場のシェア1位となりました。

しかし、シャオミの市場シェアは2016年に5位に転落するなど、早くも試練の時を迎えているようです。
この中国経済のサイクルの早さというのはこの本を読んで改めて感じる点の一つで、実はこの本でとり上げられている企業の多くが、現在、苦戦を強いられています。
シャオミやヨークだけでなく、レノボもPC市場では相変わらず強いものの、スマートフォン市場では苦戦していますし、ハイアールも海外進出はそれほどうまく行かず、中国市場ではライバル企業に追い上げられています。

この新陳代謝の速さが、中国経済の成長の速さによるものなのか、コモディティ化が進む中で全世界の企業が直面している問題によるものなのか、それとも中国の知的財産権の保護の弱さなど中国の制度によるものなのかはわかりませんが、注目すべきポイントであることは確かでしょう。

最初に読んだ時は、著者が詳しいIT業界の経営者に絞ったほうがエピソードの紹介にとどまらないもっと深い内容になったのでは?とも思いましたが、このエントリーを書くために読み直してみると、幅広い経営者をとり上げたことで、先述の「高度成長とバブルとIT起業ブームが同時に起こっている」感じがうまく伝わるようになっています。
ダイエーの中内功のように名経営者として持ち上げられながら、バブル崩壊後には評価が一転した人物もいます。そういった視点も持ちながら、この本で今の中国の企業と経営者をチェックしてみるのもいいかもしれません。中国経済の経済の可能性とバブル臭い部分の両方の面が見えてくると思います。


現代中国経営者列伝 (星海社新書)
高口 康太
4061386131
この本の冒頭に置かれた「はじめに」は、現在の日本の人文社会科学の危機から始められています。
2015年に、教員養成系や人文社会科学系学部・大学院に関しては組織の廃止や見直しに取り組むようにという文科省の通達が出されましたが、この本はそれに対する一つのチャレンジだというのです。
ただし、この本で紹介されているのは昆虫の社会と人間の社会の違いや、さまざまな実験であり、「これは理系の話ではないのか?」と感じる人も多いでしょう。
ところが、そうした話は最終的に功利主義やロールズの正義論に接続されます。170ページほどの薄めの本ですが、理系の知見と人文社会科学の知見がシームレスに繋がることを示した刺激的な内容になっています。

目次は以下の通り。
第1章 「適応」する心
第2章 昆虫の社会性、ヒトの社会性
第3章 「利他性」を支える仕組み
第4章 「共感」する心
第5章 「正義」と「モラル」と私たち

第1章では、進化などの説明でよく使われる「適応」という言葉を簡単に検討した上で、人間の適応には「自然環境への適応」と「群れの生活への適応」の2つがあることに注意を向けます。
類人猿の脳が発達した原因も、群れの生活で求められる情報処理量の増大によるものと考えられているのです(15p)。

第2章では、霊長類と同じく社会的生活を送っている昆虫の社会がとり上げられています。
アリやハチなどが高度な集団生活を行っていることはよく知られています。しかも、この中で「集団での意思決定」が行われていることも近年の研究で明らかになってきています。この本でとり上げられているミツバチの巣探しでは「集合知」と言ってもいいものが発揮されているのです。

一方、人間社会では集合知が発揮される場面がある反面、他人の選択によって選択が左右される「情報カスケード」などと呼ばれる現象も起こります。
ハチよりも頭がいいはずの人間がなぜ「情報カスケード」に巻き込まれるのか?
著者はこの理由を人間と昆虫の社会の違いに求めます。ハチやアリの社会は強い血縁社会のため、自分が犠牲を払っても群れが生き残ればいいですが、人間は群れの生き残りと個体としての生き残りの両方を考える必要があります。
つまり、ハチには「空気を読む」必要はありませんが、人間には群れの中での生き残りのために「空気を読む」必要があり、「評価の独立性」を貫徹するのは難しいのです。

第3章では「利他性」の問題がとり上げられています。
動物というと「常に遺伝子を残すために闘争している」というイメージが強いかもしれませんが、チスイコウモリの間では血にありつけなかった仲間に分け与える行為が確認されており、血を分けてもらう要因として「過去に血を分け与えたか」というものが大きいそうです。つまり、チスイコウモリの間では互恵的利他主義が確立されているのです(48-53p)。
この互恵的利他主義は同じ仲間同士の反復的な関係では広く成り立ちますが、人間社会ではより多くの人々を含む相互依存関係がしばしば出現します。
いわゆる「共有地の悲劇」と呼ばれる問題がその代表例です。これは個人としてはよりたくさんの牛を共有地で放牧したほうが利益があるが、みんながそれをやると放牧地がだめになってしまい、結果的に全員が損をするという問題で、現代の地球温暖化対策なども同じ構造を持っています。

互恵的利他主義の場合、相手が決まりを破ったら自分を破ればいいわけですが、「共有地の悲劇」の場合は、それは自らの破滅にもつながります。
そこで、社会規範や罰といったものが登場します。違反者を罰することによって決まりを守らせようとするわけですが、違反者を罰するにもコストはかかりますし、規範から逸脱する誘惑を常に存在します。

この本では、さまざまな実験を紹介しつつ、罰には効果があること、人間には不正に対して見返りがなくても罰を与えたいと考える傾向があること、規範を守らせるためには他者に視線(その代わりになるもの)が有効だといったことを示しています。
また、人間社会では評判が重要であり、感情に流されて人助けをする人情家が、人間社会の中ではある種の「適応」を果たしているとも考えられるのです。

第4章は「共感」について。人間には他人の痛みなどにストレートに反応する「情動的共感」と、相手の立場を推測して共感する「認知的共感」の2つがあることが示されています。
このうち情動的共感はオキシトシンというホルモンに影響されて自動的に起こる側面が強いそうですが、認知的共感は成長とともに身についていくものです。この認知的共感は、仲間内の集団をこえたクールな共感で、これからの人間社会を考えていく上でも非常に重要だといいます。

第5章では、いよいよ分配の問題がとり上げられ、扱うテーマがいかにも人文社会科学的なものになります。
「最後通告ゲーム」と呼ばれるゲームがあります。これは互いに未知のAさんとBさんが1万円を分け合う実験で、AさんがBさんに分ける金額を提示し、それをBさんが受け入れた場合両者は金銭を得ますが、Bさんが拒否すると双方とも1円ももらえないというものです。
行動経済学などでは有名な実験で、世界各国で実験が行われた結果、基本的に50%ずつ分け合う平等な分配がもっとも多く見られることが知られています。

ただし、市場経済にほとんど統合されていない地域では不平等な分配(Bさんにあまりお金を渡さない)も多く見られます(127p)。
分配の原理はその人の属する文化によっても強く規定されており、市場では公平さが求められますが、伝統的社会では身内や特定の相手を贔屓することが求められるケースもあるのです(129ー131p)。
そして、ジェイコブズの「市場の倫理」と「統治の倫理」に見られるように複数の道徳体系が可能だと考えられるのです。

また、人間は格差を嫌うことがさまざまな実験から明らかにされていますが、その格差をなくす方法論を提案したのが20世紀の政治哲学者ロールズです。
ロールズは分配において最も恵まれない人の立場を最大に改善するような「マキシミン原理」と呼ばれる分配を主張しました。
この本では、本当に人びとがロールズの原理を選択するかを、以下の金額の分配方法のうち、どれを選ぶかという実験(同じ金額でギャンブルでお金を得るならということも聞いている)によって確かめようとしています(152p)。

300

400

1300

250

550

700

120

660

2220


選択肢の1番上がマキシミン原理、2番目がジニ係数が最小になるタイプ、3番目が総額が最大になる功利主義的なものです。
実験の結果は、マキシミン原理を選んだのが47%、2番目の平等主義的なものを選んだのが20%、功利主義的な物を選んだのが34%でした(153p)。ロールズの想定する全員一致の結果は得られず、分配の正義に関してはかなり個人差があることがわかりました。
ただし、上記の金額を隠して、チェックするたびにカードをめくらせるシステムを使うと、多くの人が最悪の状態を気にしていることがわかるそうです。つまり、ロールズ的な配慮は多くの人の頭のなかではたらいているのです(155ー158p)。

このように、ロールズの理論のようなかなり思弁的なものにも、人間の生得的な感情や認知がはたらいているのを示してくれた点がこの本の面白いところです。
この本でとり上げられている実験などについては、テレビ番組や本などで見たことのある人も多いかと思いますが、それを一貫した問題意識のもとにたどっているのがこの本の特徴でしょう。
もちろん、もっと様々な知見が知りたいという気持ちも起こりますが、とりあえず人文社会科学の一つのフロンティアをわかりやすく紹介してくれる本と言えるでしょう。


モラルの起源――実験社会科学からの問い (岩波新書)
亀田 達也
4004316545
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