[フレーム]

山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2014年08月

タイトルからすると、織田信長を包括的に論じた本にも思えますが、以下の目次を見ると、ほぼ信長と朝廷の関係に焦点を絞ったかなりマニアックな本だということがわかると思います。
序章 信長の政治理念
第1章 天正改元―元亀四(天正元)年
第2章 正親町天皇の譲位問題―天正元年~二年
第3章 蘭奢待切り取り―天正二年三月
第4章 まぼろしの公家一統―天正二年
第5章 天下人の自覚―天正二年~三年
第6章 絹衣相論と興福寺別当職相論―天正三年~四年
第7章 左大臣推任―天正九年
第8章 三職推任―天正一〇年
終章 信長の「天下」

この本の基本的な主張は、「信長が朝廷の権威を完全に無視して政治を行おうとし、それに抵抗した正親町天皇との間に激しい対立があったという事実はない」というものです。
この信長と朝廷の対立説というのは、比較的人気のある説で、本能寺の変についても「朝廷黒幕説」というのはよく言われるものです。
その信長と朝廷の対立説を、著者は史料の丁寧な読解によって否定しようとします。
確かにこの本を読むと、必ずしも信長が朝廷に高圧的だったとはいえないことが分かりますし、対立説の論拠には強引なものもあることがわかります。
ただ、それは納得するにしても、著者の描き出す「信長の実像」については納得できませんでした。

まず、この本では信長の掲げた「天下布武」の天下が「全国」という意味ではなく、京都とその周囲のことであり、その地域の安定である「天下静謐」こそが信長の目的だったといいます。
そして、室町幕府を否定する狙いはなく、最初は足利義昭を補佐することによって「天下静謐」をめざし、その義昭が「天下静謐」のための働きができないとなると、自らがその地位にとってかわり、「天下静謐」のために戦い続けたというのです。

「天下布武」の天下が「全国」ではなく、信長の当初の目的はあくまでも義昭を担いで「天下静謐」を目指すものだったというのは納得できます。
しかし、著者はこの信長の「天下静謐」という行動原理が、本能寺の変が起こった1582年に四国攻めを決断した時まで維持されたと考えます。この年の「三職推任問題」、朝廷が信長を関白か太政大臣か征夷大将軍に任じようとしたことが、信長を全国統一へと駆り立てたというのです。

さすがにこれは厳しい解釈ではないでしょうか。
「天下静謐」を何よりも重視するならば、義昭をはじめとする敵対勢力ともっと妥協したのではないかと思いますし、義昭追放後も、他の足利氏の誰かを将軍につけるという手もあったのではないでしょうか(例えば、14代将軍義栄の弟の義助とか)。

また、この本では信長と朝廷の関係を資料を元に丁寧に辿り、信長が朝廷と協調し、そのやり方を尊重していたことを明らかにしています。
ですから、信長が最初から朝廷の権威を無視して高圧的に振舞っていたというのは間違いだと言えます。
ただ、第6章でとり上げられている「興福寺別当職相論」では、興福寺の次期別当職を巡って正親町天皇の決定を信長が覆し、この件に関わった公家たちを厳しく処分、正親町天皇の子の誠仁親王が信長に詫び状を出しています(203ー210p)。

著者はこの事件について信長は従来の風習に従っただけであり、「信長は朝廷を統御したり勅断をゆがめたりしようとはしていない」(211p)と結論づけていますが、天皇の綸言を撤回させることは「勅断をゆがめる」ことにはならないのでしょうか?

全体的に、この本は信長という人間が常に一貫したスタンスで動いているということを前提にしすぎていると思います。
「天下静謐」が当初の目的だったから信長の目的は「天下静謐」、最初朝廷を尊重していたからその後も朝廷を尊重し続けたはず、というような見方です。
しかし、当初の目的が「天下静謐」でも「全国統一」が実現可能なものとなってくれば、当然目的は代わるでしょうし、朝廷についても最初は利用価値を感じて尊重したとしても、その利用価値が感じられなくなれば次第に軽んじるようになるのはあたりまえだと思うのです。

でてくる事件や史料に関しては面白い面もあるのですが、著者の解釈には疑問が残った本でした。

織田信長 <天下人>の実像 (講談社現代新書)
金子 拓
4062882787
日本の軍歌を「民衆のエンターテイメント」という視点からたどってみせた本。
軍歌というと「上からの思想の押し付けの一種」というふうに捉えられがちですが、実際の所、日清戦争では3000曲ほどの軍歌が作られ、満州事変ではレコード会社が競って軍歌のレコードを売出し、さらに日中戦争が始まると、新聞社や出版社そして政府が歌詞や曲の公募を行い、国民も巻き込む形で軍歌が生産されていきました。
軍歌は、「民衆は楽しみ、企業は儲かり、当局は効率的に仕事ができる」(4p)という、三者の利害が一致するものだったのです。

目次は以下の通り。
第1章 軍歌の誕生 エリートたちの創作
第2章 軍歌の普及 国民的エンターテインメント
第3章 越境する軍歌、引きこもる軍歌
第4章 軍歌の復活 「軍歌大国」への道
第5章 軍歌の全盛 「音楽は軍需品なり」
第6章 戦後の軍歌、未来の軍歌

第1章、第2章に関しては、草創当時の軍歌がエリートによって担われていたことや、日清戦争での爆発的な軍歌の普及などがとり上げられています。
第1章では、作詞・外山正一、作曲・伊沢修二の1886年発表の「軍歌」(というタイトルなのです)を最初の軍歌として紹介し、当時のエリートによって(外山正一は日本人初の東大教授で後の東京帝国大学総長)軍歌がつくられていたことを明らかにしています。
この「軍歌」以前にも、軍歌的なものはあったのですが、「国民全体が歌いやすい」、そのための「七五調の歌詞」などの、この後の軍歌に引き継がれる特徴を持っていいたことから著者は「軍歌」を日本最初の軍歌としてます(この辺りの議論はややわかりにくい)。

現代だと「キワモノ」的なイメージが強い軍歌ですが、この「軍歌」の作詞作曲者に見られるように草創期の軍歌をつくったのはエリートたちでした。
この本では、山田美妙や佐佐木信綱、さらには夏目漱石や森鴎外の作詞したものも紹介されています(96ー99p、ただし漱石のものは曲を付けられた形跡がなく、鴎外のものも戦争詩に曲が付けられたらしい、という程度のもの)。

この第1章、第2章は、軍歌をとりまく当時の時代状況についての記述が甘いこともあっていまいちなのですが、次の第3章の「越境する軍歌、引きこもる軍歌」は面白く、特に、日本の軍歌が替え歌になって世界で流通した事例は興味深いです。

北朝鮮では日露戦争の前に作られた「日本海軍」が「朝鮮人民革命軍」という替え歌いなっているそうですし、この「日本海軍」は中国では清朝一八省の地理と歴史を紹介する替え歌になったそうです。
内モンゴルでは1920〜30年代にかけて「戦友」の替え歌として、「父チンギス」という歌が歌われていたという情報もあるようですし(117p)、当時の日本がアジアにおける「(西洋)音楽先進国」だったこともわかります。

第4章、第5章では、満州事変の勃発とともに国民全体を巻き込む「エンタメ」となった軍歌の姿を描いています。
内務省のレコード検閲官・小川近五郎は1935年に日本のレコード製造数が世界一であるということを新聞で述べているそうですが(144p)、そのレコード製造を支えたのが軍歌であり、また一時期低迷した軍歌が復活した要因のひとつがこのレコードという新しいメディアでした。
さらにラジオも普及し、国民が軍歌に親しむ環境が整ったのです。

1931年に満洲事変が始まると、レコード会社もさまざまな便乗レコードを売り出しました。
特にこの時期に多用されたのが歌詞や曲の公募で、1932年の上海事変で、いわゆる「爆弾三勇士」のエピソードができると、朝日新聞、毎日新聞は「爆弾三勇士」をテーマとした歌の公募を行いました。このときの賞金は当時のホワイトカラーの半年分の収入にあたる500円、この後も軍歌の公募は新聞社、出版社、そして政府によって行われ、賞金もさらに上がっていきました。
軍歌の制作も国民を巻き込んで行われるようになっていったのです。

また、リットン調査団を揶揄する「リットンぶし(認識不足もほどがある)」、「連盟よさらば」などのアホらしいタイトルの曲も出ていますし(157p)、さらには五・一五事件の青年将校を公然と賛美して治安当局から廃盤にされるレコードも登場するなど、レコード会社の「前のめり」ぶりもうかがえます。

さらに、少女雑誌にも軍歌は登場しています。
君と僕とは 二輪の桜 ともに皇国の ために咲く
昼は並んで 夜は抱き合うて おなじ夢みる 弾丸のなか
どう考えても「BL」としか言いようのない歌詞ですが、これは西条八十の作詞した「二輪の桜」という曲で、この替え歌が有名な「同期の桜」になります(180ー181p)。

他にも、戦果のニュースを伝えるためにわずかな時間で作られたニュース軍歌や、同時におおなわれたジャズの排斥、日本のキリスト教会が戦時中につくった『興亜賛美歌』など、興味深いエピソードがいろいろと紹介されています。
第5章の最後には、「日本洋楽史のバッドエンド」として「米英撃滅の歌」の歌詞が載せられているんですが、確かにこれは強烈。敗戦間近の日本の状況というものがうかがえます。

第6章は、戦後の軍歌の行方といったものを、著者の北朝鮮取材などを元に論じています。創価学会の歌やオウム真理教の歌などもとり上げられていますが、著者は「コスプレ軍歌」的なものではなく、もう少し別の形で「政治とエンタメ」の融合が図られるのではないかとみているようです。

少し読みにくい部分もあるのですが、「軍歌」というものを通して、当時の社会や、「政治とエンタメ」の問題など、さまざまなことがわかるようになっている本です。

日本の軍歌 国民的音楽の歴史 (幻冬舎新書)
辻田 真佐憲
434498353X
タイトルは「アメリカ自動車産業」ですが、その中でも特にアメリカの工場の労使関係に焦点を当てた本。
「アメリカの自動車業界」について知りたい人にとっては物足りないかもしれませんが、アメリカ、日本を問わず雇用問題に興味のある人にとってはとても面白い本だと思います。
日本の雇用改革では「同一労働同一賃金」、「ジョブ型正社員」といった言葉がよく使われていますが、その特徴と、それに伴う厄介な面も知ることができます。

目次は以下の通り。
第1章 アメリカ自動車産業―国際競争力と労使関係
第2章 アメリカの非能力主義・日本の能力主義
第3章 アメリカにも年功制がある?―先任権の及ぶ領域
第4章 チーム・コンセプトという日本化―トップダウン経営の限界
第5章 新生GMにおける経営改革の課題―国際競争力・労使関係・職長の役割
第6章 新生GMと日本への示唆

目次を見ると、「アメリカの非能力主義・日本の能力主義」、「アメリカにも年功制」といった言葉に目がいきます。
広く知れ渡っている常識では、アメリカは能力主義で日本は年功制、アメリカは能力主義によって上と下の格差が大きく、それに対して日本では給与ではそれほど差がつかないということになっています。
しかし、アメリカの「能力主義」というのは、基本的にホワイトカラーの職場のものであって(さらにホワイトカラーでもすべてがそうというわけではないのでしょう)、ブルーカラーの職場にはまったくちがうルールがあるのです。

2009年にリーマン・ショックの影響でGMとクライスラーが破綻に追い込まれましたが、最近は復活しつつあり、GMは販売台数でもトヨタやフォルクスワーゲンとトップを争っています。
GMやクライスラーは経営破綻によって医療保険コストや年金支給関連コストの削減に成功し、賃金面では日本企業や他の海外メーカーに対して競争力を取り戻しましたが、改革のネックとなっているのが、現場の改革であり、それを阻んでいる労使関係です。

アメリカの工場では、一般的に、ある職務についての詳細なマニュアル(職務記述書)があり、そのとおりに働くことが求められます。伝統的な自動車工場であれば、組立工、溶接工、塗装工など200種類以上の職務があることもあり、それぞれの職務には厳密なマニュアルとその賃金が決まっています。
そしてもしマニュアル通りの仕事ができなかれば何らかの懲戒処分を受けますが、マニュアル以上の働きを見せても評価されるわけではありません(44ー45p)。

アメリカの工場では基本的に「同一労働同一賃金」の原則が貫徹されており、個々の働きぶりは査定されません。
経営側は何とかして、日本のような「査定賃金制度」を導入したいと考えているのですが、アメリカの現場では働きぶりによって差が出ること、つまり能力主義的な賃金制度に対して、「公平ではない」と考える労働者が多いようです(49p)。

一方、日本の働き方の特徴は著者に言わせれば「査定つき定期昇給制度」になります。
定期昇給があるために、短期的に労働者の間に大きな差がつくことはありませんが、少しずつ賃金の格差が出てくることになり、また優秀な人材は内部昇進していきます。
日本では戦後、「ブルーカラーのホワイトカラー化」が起き、このような「能力主義」が工場の現場にも根付いていくことになったのです。

次にアメリカの「年功制」について。
先ほど述べたように、アメリカでは「同一労働同一賃金」の原則が貫かれているため、賃金は年功制ではありません。しかし、「先任権」という一種の強固な「年功制」が存在しています。
先任権については、レイオフに関してのものが知られています。レイオフは新しく雇用された人から順番にされていきますし、景気が回復した後に仕事に復帰できる順番はその逆の古くから勤めていた順になります。

しかし先任権はこのレイオフだけに関係するのではありません。
移動や昇進(この場合の昇進とは生産労働者の内部でより賃率の高い職場に移ること)も先任権によって規定されています。
アメリカの工場での人気職種は、ラインにつかないオフラインワークである工場内の清掃職やフォークリフトの運転手などだそうです(101p)。日本だと、ちょっと想像しにくいですが、これらの仕事はベルトコンベアのスピードではなく、自分のペースで働けるために人気だったそうです(最近は現場の改革でこれらの仕事は減りつつある)。
もし、これらのオフラインワークに空席が出た場合、先任権によって、古くから働いている労働者がそうした仕事に移っていくわけです。

これらの先任権は工場の職長の恣意的な権限の行使を防ぐために、長い年月をかけて労働組合が勝ち取ってきたものですが、ご覧のように現在ではかなり硬直的なものになっています。

一方、権限を失った職長の位置づけは次第に軽くなり、2000年前後には職長を正社員ではない大卒の請負労働者に置き換える動きが加速しました。
日本では現場を知り尽くしている人がなると考えられている職長ですが、アメリカでは大卒で「大学卒業時の成績(GPA)が三.〇あれば良い」(156p)というような位置づけだったそうです。
「経営側=頭を使う人」対「労働者=体を使う人」(158p)という図式が経営側にも労働者側にも染み付いているために、現場からの内部昇進はほとんどなく、ベテランの労働者は先任権によってより楽な仕事を求め、経営側はそんな現場を「管理」するために、とりあえず大卒の社員をあてがうという状況だったのです。

ですから、日本のような「現場からの改革」というものはうまくいきません。
日本では「作業者自身による改善活動によって現場のムダを省き、それで工数が減ることによって、現場要員数を無理なく減らすこと」(112p)が行われているのですが、アメリカではそれをしても評価されることはありませんし、工数が減れば自分が仕事を失う可能性も出てくるのです。

もちろん、アメリカではこのままではいけないという思いがあり、悪戦苦闘しながらさまざまな改革が行われています。その辺りは実際にこの本を読んで欲しいのですが、それでも大きな問題として残っているのが、労使関係と、予め自分のするべき仕事と賃金がはっきりと決まっている「職務主義」です。

この「職務主義」や「同一労働同一賃金」の原則は、現在の日本ではむしろ進んで取り入れるべきものとされています。濱口桂一郎氏などが主張している「ジョブ型正社員」も、そういった位置づけの上にあります。
しかし、「同一労働同一賃金」の原則を導入すればそれでいいかというとそうではないことを、このアメリカの自動車産業の現場の状況は示していると思います。
個人的には日本ももっと「職務主義」を取り入れていいんじゃないか、と思っていますが、「職務主義」で押し通すと、この本で書かれているような問題も起きてくるわけです。

先日出た濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)とこの本を合わせて読むと、日本と海外の働き方の違いについての理解が深まると思いますし、何よりも雇用問題について単純な解決策はないということがわかると思います。

アメリカ自動車産業 (中公新書)
篠原 健一
4121022750
帯裏に書いてある紹介文は以下の通り。
「非道の独裁者」―日本人の多くが抱くスターリンのイメージだろう。一九二〇年代末にソ連の指導的地位を固めて以降、農業集団化や大粛清により大量の死者 を出し、晩年は猜疑心から側近を次々逮捕させた。だが、それでも彼を評価するロシア人が今なお多いのはなぜか。ソ連崩壊後の新史料をもとに、グルジアに生まれ、革命家として頭角を現し、最高指導者としてヒトラーやアメリカと渡りあった生涯をたどる。

スターリンの評伝ということで、おそらく一般的な日本の読者が求めるのは「非道の独裁者の正体」といったところなのですが、上記の文章を読めばわかるようにこの本の内容はそれとはちょっと違います。
スターリンの生涯とたどりつつ、その政治的な業績を「ソ連(ロシア)史の中でどう捉えるか」ということが、この本の力点になります。

この本の終章の「ソ連国内の葛藤」という節に次のような文章があります。
スターリンなしに、ソ連はヒトラーとの戦争に勝てたのか。フルシチョフが評価を与えなかった1930年代の急進的工業化なくして、ソ連は第二次世界大戦を戦うことができたのか。この集団化と結びついた工業化は、スターリンがいなかったとしてもソ連共産党は成し遂げたのか。もし、そうだとすると、集団化が出した数百万人の犠牲者はどう評価すべきか。歴史の大きな転換点には、普通の人々が犠牲になるのは不可避なのか。(288p)

スターリンが行った大粛清、農民からの過酷な収奪、少数民族への弾圧や強制移住、日本人のシベリア抑留をはじめとする外国人の取り扱いといった事を並べると、ヒトラーと並ぶ20世紀の「巨悪」というイメージしか浮かびませんが、ソ連(ロシア)という国家から見ると、彼は戦争を勝利に導いた指導者であり、祖国を救った人物でもあります。
この本では、そうした視点を意識しながら、できるだけ中立的にスターリンの生涯を辿ろうとしています。

まず、第1章から第3章では社会主運動に身を投じるまでのスターリンの足跡が描かれています。
スターリンに関しては、その後の残忍な政治手法から、子どもの頃から暴力的で家族への愛情もなかった人間として描かれがちですが、著者は丹念に資料を拾いながら、そうとは言い切れないことを示していきます。
ここで示されるのは母親の愛情を受け、詩を愛する、比較的平凡なインテリたらんとする少年の姿です。

また、スターリンが育った当時のカフカースの情勢についても比較的詳しく書かれており、カフカースのナショナリズムとロシアに起こった革命運動の動きが少年時代のスターリンに影響を与え、徐々に政治的活動へと彼を引きずり込んでいったこともわかります。

第3章から第5章は革命後の混乱の中でスターリンが権力を握るまで。
ここでは、スターリンが早くから民族問題と組織の問題に着目し、特に共産党の組織を抑えたことがスターリンの権力獲得につながったことが示されています。
また、スターリンは工業化のために農民から厳しい収奪を行い、それに反対するクラーク(富農)を徹底的に弾圧したことが知られていますが、このクラークへの弾圧がすでにレーニンによって指示されていたことも明らかにされています(107ー110p)。(しかし、レーニンの指示通りには実行されず)
こここら著者は、「まさにこの時期にスターリンは革命の最前線にあって権力と農民の対立を目撃し、レーニンから農民の抵抗に対処する仕方を学び、やがてスターリン自身が統治者になったときに、師の行動を想起したと考えられる」(110p)とも述べています。

第6章から第8章にかけては最高指導者になってから。
ここではスターリンの政治がかなり外的な要因に左右されていたことがわかります。
スターリンが農民からの収奪で重工業化を進めるために、有無を言わせぬ穀物調達を始めた背景には、独仏関係の改善によるソ連の孤立化、満州での日本の動きなどがありました。 スターリンは資本主義諸国が協力して反ソ行動に出ることを恐れており、その恐れが国内での強迫的な政策へとつながったのです。

さらにこの強迫的な政策は共産党内部へも向けられ、1934年のキーロフ事件をきっかけに「大粛清」が始まります。
著者はこの大粛清について「農業集団化の悲惨な結果が出発点としてあり、その責任を糊塗する過程」(203p)で起きたとする解釈が説得的だと述べていますが、大量の女性や東清鉄道の従業員など満州に関係した人間を含む大粛清は、それだけで説明できるものはないような気がします。

また、第二次世界大戦から冷戦にかけてのスターリンの動きも詳しく書かれているのですが、ここでもスターリンのある種の被害妄想的な側面が目につきます。
彼が第二次大戦終結後にまず心配したのはアメリカとの対立ではなく、ドイツや日本が復讐戦を挑んでくることでした。このためスターリンは1947年時点で、分割は再びビスマルクを生み出すという考えからドイツの分割に反対しています(239p)。
朝鮮戦争においても、当初、スターリンは朝鮮統一を訴える金日成の考えに否定的であり(264ー267p)、ソ連が第二次大戦の戦勝国となったものの、スターリン自身はソ連の行く末にかなり不安を抱いていたことが伝わってきます。

終章はスターリンの歴史的評価について。
ここでは最初に書いたようにソ連(ロシア)でのスターリン像の変遷と、その評価の難しさといったものがとり上げられています。

このようにこの本ではスターリンを「怪物」として描くのではなく、ソ連という国家の中でのひとりの政治指導者として描こうとしています。
だから「怪物」を期待する人にはやや肩すかしかもしれませんが、政治家の評伝としては面白いものになっていると思います。
ただ、スターリンひとりに焦点を当てているため、例えば、オルジョニキッゼ、モロトフ、ベリヤといったスターリンの側近がどんな人物だったかということはわかりません。こういった側近の肖像や、共産党内部の組織の力学のようなものがわからないと、やはり説明しきれない問題があるのではないかとも思いました(アーレントはスターリニズムを全体主義と捉え、その本質を「運動」だと考えましたが、その側面がこの本だとよくわからないと思います)。

スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)
横手 慎二
4121022742
『昭和陸軍の軌跡』(中公新書)が面白かった川田稔が、昭和陸軍について「満州事変」、「日中戦争」、「太平洋戦争」の3巻構成で余すことなく描こうとするシリーズの第1巻。
目次は以下の通りです。
第1章 満州事変への道
第2章 満州事変の展開―関東軍と陸軍中央
第3章 満州事変をめぐる陸軍と内閣の暗闘
第4章 満蒙新政権・北満侵攻・錦州攻略をめぐる攻防
第5章 若槻内閣の崩壊と五・一五事件
第6章 永田鉄山の戦略構想―昭和陸軍の構想
第7章 石原莞爾の戦略構想―世界最終戦論

これをみればわかるように、この本は満州事変の勃発から五・一五事件、国際連盟からの脱退、塘沽停戦協定までの時期を扱っています。
また、満州事変にいたる陸軍内部の動きを説明するために、宇垣派の形成、永田鉄山・岡村寧次・小畑敏四郎による「バーデン・バーデンの盟約」、一夕会の結成などについてもかなり詳しく説明しています。
満州事変における陸軍の動きだけでなく、当時の陸軍がいかなる状態にあったのかということがよく分かる内容になっています。

一夕会の動きや永田鉄山の戦略構想など、『昭和陸軍の軌跡』と重複している部分もあるのですが、この本での個人的な新たな発見は、若槻内閣崩壊の背景、陸相の南次郎から荒木貞夫への交代の意味、石原莞爾の戦略構想の三点でした。

満州事変勃発時の第二次若槻礼次郎内閣は、関東軍の独走に悩まされつつも、陸相の南次郎と参謀総長の金谷範三の助けを得て、なんとかこれを拡大させないように努力します。
ところが、第二次若槻内閣は内相で民政党の党人派の中心人物でもあった安達謙蔵が、政友会との協力内閣を要求したことによって閣内不統一となり、さらに安達が単独辞職を拒んだことで総辞職せざるを得なくなります。
安達は政友会の久原房之助と組んで協力内閣をつくることを目指しましたが、外相の幣原喜重郎や蔵相の井上準之助の反対もあって最終的に若槻は拒否、さらに政友会の犬養毅総裁も否定的になったいました。

このような協力内閣の実現がほぼ不可能になった中での安達の行動は今までも謎とされてきました(筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』では、協力内閣の実現性の乏しさを指摘しつつ、一時期協力内閣案に傾いた若槻の優柔不断さを批判している)。
これに対して、本書では安達へ協力内閣案を勧めた中野正剛と一夕会や荒木貞夫との交流、安達と荒木の「近さ」(安達は熊本が地盤で荒木は熊本の連隊長や師団長を務めたことがある)などを指摘し、一夕会周辺から中野正剛を通して安達に対して何らかの働きかけがあったのでは?と推理しています。
確たる証拠はありませんが、なかなか興味深い見立てだと思います。

次に若槻内閣崩壊に伴う陸相の南次郎から荒木貞夫への交代の意味について。
満州事変の拡大過程において、関東軍や一夕会を中心とする中堅幕領と宇垣派の陸軍首脳部の間には大きな意見の違いがありました。南満州の軍事占領や満州における新政権の樹立といった部分については陸軍首脳部も認めていましたが、北部満州のチチハル占領、錦州への侵攻、満州での独立国家建設に関しては、陸軍首脳部は首を縦に振りませんでした。

当時の陸相は南次郎、参謀総長は金谷範三、陸軍次官は杉山元、軍務局長は小磯国昭、参謀次長は二宮重治、作戦部長は建川美次で、いずれも宇垣派とみられる人物でした。
このとき宇垣一成は外相の幣原喜重郎や元老の西園寺公望と連絡をとっており、おそらく上記の人物らにも何らかの働きかけを行ったものと考えられます。
これら陸軍首脳部の不拡大方針に、1931年11月の時点で関東軍や陸軍の中堅幕領の動きは抑えこまれます。
「このまま事態が推移すれば、次の定期移動(翌年三月)で、関東軍および陸軍中央の一夕会員は、陸軍首脳部によって一斉にそのポストから外される可能性が十分にあった」(209p)のです。

ところが12月に第二次若槻内閣は崩壊。陸相には荒木貞夫、参謀総長には閑院宮載仁親王、その下の参謀次長に真崎甚三郎がつくことになります。
これらの人事により陸軍中央要職から宇垣派は一掃されます。政党政治に協力的で、国際協調にも一定の配慮を示していた宇垣派が力を失うことで陸軍の性格は大きく変わりました。
著者はこの変化について「太平洋戦争への道を主導していく「昭和陸軍」は、ここから始まるといえる」(230p)と述べています。

最後に石原莞爾の戦略構想について。
石原莞爾については、満州事変における鮮やかな作戦や、日米による航空機を使った殲滅戦を予想していたことなどから、彼を「天才」と見る人は多いですし、日中戦争の拡大に反対したことから、彼が陸軍をコントロールできれば日本は無謀な戦争に突入しなかったと考える人もいます。
しかし、この本で紹介されている石原の構想を見ると、やはりその構想には問題があると言わざるを得ません。

石原は満蒙領有を契機に対米戦争が起こる可能性も考えていましたが、持久戦となるその戦争を戦いぬく術を中国の負担に求めていました。
中国を武力占領する場合の、その維持費は中国における「関税・塩税および鉄道収入」によって賄うことを考えていましたし(331p)、アメリカと戦うための海軍に要する費用も中国大陸の負担で賄おうと考えていました(342ー343p)。
しかも、「これは異民族支配である「清朝の方式」を踏襲したもので、中国民衆にとっては必ずしも受け入れがたいものではない。中国社会の病根を切除し、彼らが陥っている現在の苦境を打開できれば、むしろ「歓迎を受ける」」(337p)と考えていたのです。

さすがにこの想定は甘いですし、「アジア主義」的な立場から石原を評価する見方にも疑問を持たせるものではないでしょうか?

このように、『昭和陸軍の軌跡』と重なる部分はあるものの読み応えのある本でした。著者の昭和陸軍に対する基本的な見方を知りたい人は『昭和陸軍の軌跡』を読めばいいと思いますが、昭和陸軍、そしてこの時代に対してじっくりと取り組みたい人には、こちらを読んでシリーズの続刊を待てばいいのではないでしょうか。


昭和陸軍全史 1 満州事変 (講談社現代新書)
川田 稔
4062882728
記事検索
月別アーカイブ
★★プロフィール★★
名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
メールはblueautomobile*gmail.com(*を@にしてください)
人気記事
タグクラウド
traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /