2009年02月
倫理を行動進化学や進化心理学の立場から読み解こうとした本。要するに、人間の倫理や道徳は、自己利益を追求して来た進化の歴史で説明しているというわけですね。
「快」、「不快」をかなり幅広くとらえ、さらに同性愛や子供をつくらない夫婦に関しても「そういう個体もあり得る」と片付けられているので、確かに人間の倫理的公道を幅広く説明する理論にはなっています。
ただ、大きな疑問なのは果たしてこの説明に意味があるのかということ。
倫理とは自己利益のためのものであり、一見利他的に見える行動も実は自分の遺伝子や長期的な自らの生存の確保するためのものである。確かにこの本を読めばわかるようにこの説明にはそれなりの一貫性があります。
けれでも、このことを知っていたからといって別に倫理的な難問を解決する手助けにはならないでしょう。
そして何よりも、この本の考えは現代の微妙な道徳観というものを無視してしまっている。
例えば、ある夫婦がいて妻が不妊症だとわかったとき、夫が「僕の子供を産めないなら離婚してくれ」といった場合、それは「性格が合わないから離婚してくれ」よりも「ひどい」と感じられないでしょうか?
遺伝子を残すというこの本の倫理原則から行くと、不妊症の妻を離婚するというのはまったく持って正当な行為ですし、過去にはそういった理由で離婚が行われていましたが、現在ではこうした理由の離婚は一般的に「ひどい」と感じられるでしょう。
こういった微妙な問題を考える時、遺伝子という枠組みは倫理の分析には粗雑で、ガザニガなどが提唱する脳倫理学(ミラーニューロンの存在など)のほうが有望そうです。
また、単に自己利益論ならば永井均がもっと面白く、ラディカルな形で提示していますし、この本の理論は倫理学を真剣に考える上でそれほど役に立つようなものではないと思います。
進化倫理学入門 (光文社新書)
内藤淳
4334034934
「快」、「不快」をかなり幅広くとらえ、さらに同性愛や子供をつくらない夫婦に関しても「そういう個体もあり得る」と片付けられているので、確かに人間の倫理的公道を幅広く説明する理論にはなっています。
ただ、大きな疑問なのは果たしてこの説明に意味があるのかということ。
倫理とは自己利益のためのものであり、一見利他的に見える行動も実は自分の遺伝子や長期的な自らの生存の確保するためのものである。確かにこの本を読めばわかるようにこの説明にはそれなりの一貫性があります。
けれでも、このことを知っていたからといって別に倫理的な難問を解決する手助けにはならないでしょう。
そして何よりも、この本の考えは現代の微妙な道徳観というものを無視してしまっている。
例えば、ある夫婦がいて妻が不妊症だとわかったとき、夫が「僕の子供を産めないなら離婚してくれ」といった場合、それは「性格が合わないから離婚してくれ」よりも「ひどい」と感じられないでしょうか?
遺伝子を残すというこの本の倫理原則から行くと、不妊症の妻を離婚するというのはまったく持って正当な行為ですし、過去にはそういった理由で離婚が行われていましたが、現在ではこうした理由の離婚は一般的に「ひどい」と感じられるでしょう。
こういった微妙な問題を考える時、遺伝子という枠組みは倫理の分析には粗雑で、ガザニガなどが提唱する脳倫理学(ミラーニューロンの存在など)のほうが有望そうです。
また、単に自己利益論ならば永井均がもっと面白く、ラディカルな形で提示していますし、この本の理論は倫理学を真剣に考える上でそれほど役に立つようなものではないと思います。
進化倫理学入門 (光文社新書)
内藤淳
4334034934
- 2009年02月27日23:10
- yamasitayu
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「満州」の正式名称が「満洲」であり、本来は民族名を表すというところから、満洲の近現代史を記述した本。
「満洲国」の歴史に留まらず、満洲国以前の満洲についてもきちんととり上げているところがこの本の特徴と言えるでしょう。
漢民族の満洲移住から張作霖・張学良の活躍、そしてそこに食い込んでいく満鉄と関東軍。そういった歴史の流れがよくわかりますし、また満洲農業移民の実態や、満洲における朝鮮人の地位なども描くことで、満洲国の理想と現実の乖離といったものもよくわかる構成になっています。 特に矢内原忠雄の、ほぼ完璧とも言える「満洲農業移民不可能論」がありながら、都合の悪いところに目をつぶって進められた農業移民政策に関しては、経済理論や数字がないがしろにされる日本の官僚制の悪弊を感じましたね。
また、満洲をめぐるさまざまな人物の活躍とその後の話も面白いです。
岸信介や椎名悦三郎をはじめとする満洲五カ年計画に関わった人物が後の高度経済成長を推進したという事実も改めて指摘されると興味深いものがあります。
あと、これはトリビア的な知識ですが、満洲出身の小澤征爾の名前の由来が、板垣征四郎と石原莞爾だtrていうのには「へぇ」って思いました。
戦後の満洲についてももう少し書いて欲しかった面もありますが、満洲の歴史を多面的に描こうとしたなかなか面白い本ではないでしょうか。
〈満洲〉の歴史 (講談社現代新書)
小林 英夫
4062879662
「満洲国」の歴史に留まらず、満洲国以前の満洲についてもきちんととり上げているところがこの本の特徴と言えるでしょう。
漢民族の満洲移住から張作霖・張学良の活躍、そしてそこに食い込んでいく満鉄と関東軍。そういった歴史の流れがよくわかりますし、また満洲農業移民の実態や、満洲における朝鮮人の地位なども描くことで、満洲国の理想と現実の乖離といったものもよくわかる構成になっています。 特に矢内原忠雄の、ほぼ完璧とも言える「満洲農業移民不可能論」がありながら、都合の悪いところに目をつぶって進められた農業移民政策に関しては、経済理論や数字がないがしろにされる日本の官僚制の悪弊を感じましたね。
また、満洲をめぐるさまざまな人物の活躍とその後の話も面白いです。
岸信介や椎名悦三郎をはじめとする満洲五カ年計画に関わった人物が後の高度経済成長を推進したという事実も改めて指摘されると興味深いものがあります。
あと、これはトリビア的な知識ですが、満洲出身の小澤征爾の名前の由来が、板垣征四郎と石原莞爾だtrていうのには「へぇ」って思いました。
戦後の満洲についてももう少し書いて欲しかった面もありますが、満洲の歴史を多面的に描こうとしたなかなか面白い本ではないでしょうか。
〈満洲〉の歴史 (講談社現代新書)
小林 英夫
4062879662
- 2009年02月23日22:35
- yamasitayu
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特に期待して読んだわけではないのですが、これは意外にいい本。裁判員制度で必要となる刑法の知識を解説した本なのですが、今までの刑法の入門書とは違い、徹底的に裁判実務(実際の裁判)に即して解説してあります。
例えば、死刑の判断に関してはふつう「永山基準」を持ち出して説明するのが一般的ですが、この本では「1、被害者の数」、「2、未成年かどうか」、「3、計画性」の3点に絞って、3人以上ならまず死刑、2人なら未成年者かどうか、計画性の有無で判断される、といった具合に実際の判例をもとに明快に説明しています。
また、一般人とは少し違う感覚で用いられる「殺意」に関しても、実際の裁判では本人の内面というより「殺傷能力のある凶器で身体の枢要部に攻撃を加えた場合は、殺意あり」という明快な説明がしてあり(28p)、何となく腑に落ちた部分もあります。
「未必の故意」、「中止犯と未遂犯」、「共謀共同正犯」といった一般人にはよくわからない言葉に関しても、例を用いてわかりやすい説明がしてあり(もっとも中止犯と未遂犯の違いに関してはなんとなく釈然としないものも残りますが...)、刑法の考え方というものを知る事ができます。
裁判員になるならないに関わらず、読んでためになる本です。
裁判員のためのかみくだき刑法 (学研新書)
森 炎
4054040241
例えば、死刑の判断に関してはふつう「永山基準」を持ち出して説明するのが一般的ですが、この本では「1、被害者の数」、「2、未成年かどうか」、「3、計画性」の3点に絞って、3人以上ならまず死刑、2人なら未成年者かどうか、計画性の有無で判断される、といった具合に実際の判例をもとに明快に説明しています。
また、一般人とは少し違う感覚で用いられる「殺意」に関しても、実際の裁判では本人の内面というより「殺傷能力のある凶器で身体の枢要部に攻撃を加えた場合は、殺意あり」という明快な説明がしてあり(28p)、何となく腑に落ちた部分もあります。
「未必の故意」、「中止犯と未遂犯」、「共謀共同正犯」といった一般人にはよくわからない言葉に関しても、例を用いてわかりやすい説明がしてあり(もっとも中止犯と未遂犯の違いに関してはなんとなく釈然としないものも残りますが...)、刑法の考え方というものを知る事ができます。
裁判員になるならないに関わらず、読んでためになる本です。
裁判員のためのかみくだき刑法 (学研新書)
森 炎
4054040241
- 2009年02月17日22:22
- yamasitayu
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以前紹介した黒田基樹『百姓から見た戦国大名』などに見られるように、近年の中世〜戦国時代にかけてのイメージが新しい研究によって塗り替えられていますが、この本は仏教の変容を日蓮宗の伸張を中心に分析することによって、「鎌倉仏教」という言葉ではなくて、「戦国仏教」という言葉の方が新しい仏教の実態をよく表しているという主張を打ち出しています。
この本の主な主張を列挙すると、
1、鎌倉時代に新しい仏教が誕生したが、鎌倉時代に力を持っていたのは、あくまでも古い仏教である顕密仏教であった。
2、しかし、鎌倉時代には都市化も始まっており、新しい仏教はそういった都市の下層民に食い込んだ。
3、鎌倉から室町そして戦国時代は都市化と飢えや飢饉の時代であり、日蓮宗は都市のネットワークあるいは有力御家人の領地のつながりなどを利用して、社会不安の時代の中で広がっていった。
4、さらに室町時代には有徳人と呼ばれる金持ちが出現し、その庇護を受け新仏教は力を伸ばした。
5、また、室町時代になると旧来の荘園制度が崩壊し、一揆と呼ばれる村落の結合体など生まれるが、そこでも新仏教が大きな役割を果たした。
といったようなところでしょうか。
これを見てもわかるように、この本の主張は多岐にわたっており、なかなか簡単にはまとめられない本になっています。
すっきりとした読後感は得られないかもしれませんが、豊富な資料をもとに展開される論には、従来の新仏教や時代のイメージを書き換えてくれるものがあります。
ただ、「戦国仏教」というこの本のテーマからすると、顕密仏教と戦国仏教の違い、同じ戦国仏教である日蓮宗と浄土真宗の共通する部分と違う部分、日蓮宗の改革運動をになった日親の位置づけなど、やや消化不良の部分もあります。また、そのあたりと関連して天文法華の乱についてもう少し深い分析があってもよかったかと。
戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)
湯浅 治久
4121019830
この本の主な主張を列挙すると、
1、鎌倉時代に新しい仏教が誕生したが、鎌倉時代に力を持っていたのは、あくまでも古い仏教である顕密仏教であった。
2、しかし、鎌倉時代には都市化も始まっており、新しい仏教はそういった都市の下層民に食い込んだ。
3、鎌倉から室町そして戦国時代は都市化と飢えや飢饉の時代であり、日蓮宗は都市のネットワークあるいは有力御家人の領地のつながりなどを利用して、社会不安の時代の中で広がっていった。
4、さらに室町時代には有徳人と呼ばれる金持ちが出現し、その庇護を受け新仏教は力を伸ばした。
5、また、室町時代になると旧来の荘園制度が崩壊し、一揆と呼ばれる村落の結合体など生まれるが、そこでも新仏教が大きな役割を果たした。
といったようなところでしょうか。
これを見てもわかるように、この本の主張は多岐にわたっており、なかなか簡単にはまとめられない本になっています。
すっきりとした読後感は得られないかもしれませんが、豊富な資料をもとに展開される論には、従来の新仏教や時代のイメージを書き換えてくれるものがあります。
ただ、「戦国仏教」というこの本のテーマからすると、顕密仏教と戦国仏教の違い、同じ戦国仏教である日蓮宗と浄土真宗の共通する部分と違う部分、日蓮宗の改革運動をになった日親の位置づけなど、やや消化不良の部分もあります。また、そのあたりと関連して天文法華の乱についてもう少し深い分析があってもよかったかと。
戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)
湯浅 治久
4121019830
- 2009年02月12日21:43
- yamasitayu
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タイトルは「ヴェルサイユ条約」ですが、副題は「マックス・ウェーバーとドイツの講話」。純粋な歴史書ではなくウェーバー研究の専門家がヴェルサイユ条約とウェーバーの関わりを分析した本になっています。
ただ、ヴェルサイユ条約の性格をはっきりさせるためにドイツの講和への動きから、ヴェルサイユ条約の交渉過程までかなり詳細に記述していまし、また、ヴェルサイユ条約で初めて登場した「戦争責任」の考察もこの本のテーマの一つです。
そしてその結果として残念ながらややまとまりのない本になってしまいました。
著者は「あとがき」で、「いささか欲張った構成」と書いていますが、やはり欲張りすぎです。
大国と政治家たちの思惑がぶつかりあったヴェルサイユ条約そのものを描いたものとしては、ウェーバーの部分が余計に感じられますし、ウェーバーや戦争責任を扱った本としてはヴェルサイユ条約そのものの記述が煩雑すぎると思います。
ただ、ヴェルサイユ条約がたんなるウィルソンの理想主義の挫折では片付けられない複雑な性格を持つものであるということはわかりますし、第1次世界大戦における「戦争責任」という考えの新奇さ、唐突さといったことも感じられ、やはり第1次世界大戦が世界の大きな転換点であったことが実感できます。
少し読みにくいですが、この時代と外交・講和といったものに興味のある人は読んでみるといいのではないでしょうか。
ヴェルサイユ条約―マックス・ウェーバーとドイツの講和 (中公新書)
牧野 雅彦
4121019806
ただ、ヴェルサイユ条約の性格をはっきりさせるためにドイツの講和への動きから、ヴェルサイユ条約の交渉過程までかなり詳細に記述していまし、また、ヴェルサイユ条約で初めて登場した「戦争責任」の考察もこの本のテーマの一つです。
そしてその結果として残念ながらややまとまりのない本になってしまいました。
著者は「あとがき」で、「いささか欲張った構成」と書いていますが、やはり欲張りすぎです。
大国と政治家たちの思惑がぶつかりあったヴェルサイユ条約そのものを描いたものとしては、ウェーバーの部分が余計に感じられますし、ウェーバーや戦争責任を扱った本としてはヴェルサイユ条約そのものの記述が煩雑すぎると思います。
ただ、ヴェルサイユ条約がたんなるウィルソンの理想主義の挫折では片付けられない複雑な性格を持つものであるということはわかりますし、第1次世界大戦における「戦争責任」という考えの新奇さ、唐突さといったことも感じられ、やはり第1次世界大戦が世界の大きな転換点であったことが実感できます。
少し読みにくいですが、この時代と外交・講和といったものに興味のある人は読んでみるといいのではないでしょうか。
ヴェルサイユ条約―マックス・ウェーバーとドイツの講和 (中公新書)
牧野 雅彦
4121019806
- 2009年02月05日23:37
- yamasitayu
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★★プロフィール★★
名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
メールはblueautomobile*gmail.com(*を@にしてください)
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