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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2013年11月

「ゆとり教育」のスポークスマンとしても有名だった、元文部科学省の官僚・寺脇研が古巣の文部科学省とその全身の文部省について語った本。
元官僚が出身省庁について書いた本というと、やたら批判的か、ヨイショか、あるいは遠慮からか表面をなぞっただけ、といったタイプがありますが、この本は基本的にはヨイショ。「応援団」的な立場から書かれています。ただ、中身はけっこう踏み込んで書いているので、無意識的に体質を露呈しているところもあって面白いです。

目次は以下の通り。
第一部 「三流官庁」の真相
1章 日教組、臨教審......――歴史をさかのぼる
2章 小・中・高・大との「距離」
3章 教育委員会との力関係
4章 他省庁との協調・対立
5章 PTA、メディア、そして国民との関係

第二部 政治の激動の中で
6章 大臣と「御殿女中」
7章 文教族支配の盛衰
8章 政権交代と文科省

第三部 官僚たちの知られざる素顔
9章「マルブン一家」の"家風"
10章 キャリアとノンキャリア
11章 天下り今昔
12章 科学技術庁との合併・舞台裏

第四部 これからの「教育再生」を考える
13章 審議会とは何か?
14章 教育改革と「虎ノ門シンクタンク」の役割

このように中身は盛りだくさん。
文部省と各学校・教育委員会との関係、他省庁との関わり、大臣との関係と近年の大臣のについてのエピソード、文部官僚の出世コースや出向、キャリアとノンキャリアの関係、天下りなど、多くの人が知りたいであろう内容を盛り込んでいます。
もちろん、批判的なトーンは抑えてあるので、全体的に「生ぬるい!」と感じる人もいるかもしれませんが、文部科学省は官庁の中では「生ぬるい」感じなのでしょう。
この本の中でも「家族意識」「アットホーム」といった言葉が頻出しています。

「マルブン一家」と、自ら口にしていた文部省では、大運動会や文化祭といったさまざまなレクリエーションが存在し、3時には都道府県教育委員会などからの手土産をおやつにして食べていたそうです(本にも書いてあるように現在では官官接待として禁止されている)。
また、キャリアとノンキャリアの間の仲も良く(著者はキャリア官僚なのでノンキャリアの方から見れば違うのかもしれませんが...)、80年代までの文部省は学校教育を運営する「事業メンテナンス官庁」であったことから、「キャリア三流、ノンキャリア一流」とも言われる中でもうまくやってきたそうです。

ところが、1984年に中曽根内閣のもとで臨時教育審議会が、いわば文部省を抜いた形で教育改革を論じ始めた頃から風向きが変わり始めます。
著者によればここから文部省は「政策官庁」へと変貌し、「生涯学習」、「新しい学力観」、「ゆとり教育」などの新機軸を打ち出していくことになったのです。
特にキャリア官僚の意識が変わったといいます。一例として、著者はキャリア官僚が「教育内容」に関与するようになったことをあげていますが、逆にそれまではキャリア官僚が「教育内容」に関与することはほとんどなかったのですね。

また、文部科学省の人事などにおいては、国立大学の独立行政法人化がそのあり方を大きく変えました。
もともと文部省のノンキャリアの主流は国立大学の職員から本省への転任職員であり、大学職員→文部省→大学の課長→文部省の課長補佐→大学の部長というような定番コースがあったそうです(63p)。(ちなみに本省転任組は大学にずっといる人達よりも大学での出世も早い)
ところが、国立大学の独立行政法人化はこの人事システムを大きく揺るがしました。文部科学省から国立大学への出向は難しくなり、「一定の年齢になっても大学の課長や部長にな
れないという事態が生じてきた」(68p)そうです。さらに「個別の経営体になったため、文部科学省や国立大学全体を案じるよりは自分の大学を優先」(69p)し、優秀な若者を抱え込むようになってしまったそうです。
著者はこの動きに対して、「組織内における人事の固定化は、視野を狭くしたり馴れ合いになったりする弊害」(69p)があると批判し、人事交流の復活を提唱しています。

このあたりは文部科学省からの視点ですよね。
文部科学省の人事にとって国立大学との交流は大事なのでしょうけど、逆に国立大学の側からするとどうなのでしょう?文部科学省から戻ってきた職員の方が視野が広く、大学をより良くしていこうという使命に燃えているのでしょうか?
国立大学の内情はよく知りませんが、この著者の書きっぷりを苦々しく読む人もいるような気がします。

このように、この本はあくまでも「文部科学省からの視点」で書かれています。
ただ、そういった視点であってもかなり正直に包み隠さず書いてあるのは良い点だと思います。文部科学省の官僚の考えというものがわかるのではないでしょうか。
また、批判は少ないのですがだからこそあえて書いていない部分も気になります。歴代の文部科学大臣(文部大臣)や自民党の文教族を思い出混じりに書いている部分があるのですが、歴代の大臣の中で遠山敦子、有馬朗人といった民間人出身の大臣についての思い出が欠落しています。やはり、自民党の文教族に顔の聞かない大臣は官僚からするとイマイチなのかな?などと思いました。

文部科学省 - 「三流官庁」の知られざる素顔 (中公新書ラクレ)
寺脇 研
4121504763
エコノミストの原田泰が「若者のための経済改革」という視点で、日本経済の問題点とその処方箋を分析した本。
日本における「エコノミスト」とは不思議な肩書で、たんに株式市場などにちょっと詳しい人から、日銀や財務相のインサイダー的な人、独自の経済理論を振りかざす人などいろいろいるのですが、この本の著者の原田泰は「経済学の原理」に忠実な人。
というわけで議論自体はしっかりしています。ただ、『震災復興 欺瞞の構図』(新潮新書)でもそうでしたが、個々人の事情や歴史といったものは、ここでの分析ではほぼ捨象されています。このあたりの思い切り方はミルトン・フリードマンに近いですね。
ですから、この本を読んで「そんな単純なものではない!」と感じる人もいるでしょうが、細かい部分を捨てて議論を進めているぶん、分析も処方箋も明晰で、問題の根本的な部分を鮮やかに示していると思います。

目次は以下の通り。
第1章 若者のために経済成長を
第2章 年金は削るしかない
第3章 グローバリゼーションは若者のチャンス
第4章 格差に苦しむ若者を救え
第5章 デフレ・円高の犠牲となった若者
第6章 成長戦略は誰のためになるのか
第7章 若者のために真の教育を
終章 若者が幸福に生きられる社会へ

第1章では、「日本は十分に豊かになったのだから、経済成長はもういい」といった言説の誤りを、主要国の一人あたりの実質購買力平価GDPなどを使って説明しています。この数値からすると、日本の成長率低下は早すぎたとも言えるのです。

第2章では消費税増税よりも、まず社会保障費の削減が必要だと主張しています。高齢者向け社会保障給付費(年金や65歳以上医療費など)は2010年時点で人口当たり253万円、一方65歳未満向けの社会保障給付費は人口当たり29万円。
高齢夫婦二人に投入されている社会保障給付費は506万円で、一方、働く人の平均給与は年409万円(2012年)。今のままで行けば2060年には36.2%の消費税増税が必要で、さらに消費税増税とともに年金支給額も引き上げている現在のやり方では高齢者は実質的に消費税を負担しないので(マクロスライドや資産収入、貯蓄の取り崩しもあるので個人的にこの議論は乱暴だと思う)、財政赤字の穴埋めも含めると2060年の消費税は70%以上になるとしています(38ー39p)。
しかしこれは無理なので社会保障費の30%削減が必要だというのが著者の考え。増税をせずに社会保障費の削減や景気回復で財政状況を好転させた小泉内閣を著者は評価しています。

第3章では、グローバリゼーションを取り上げています。グローバリゼーションは基本的に肯定されるべきことですが、日本の問題点は円高です。他のアジア諸国に比べて日本は円高のせいで輸出が低迷しており、グローバリゼーションの波に乗り切れていません。また、対中国投資の危険性(共産党が富の収奪に走る危険性を排除できない)などに触れつつ、雇用を増やす国内投資の重要性、TPPで問題となっているISDS条項が実は日本企業を守るものであることなどを指摘しています。

第4章は格差の問題。著者は高齢者の格差はある程度仕方がないとしていますが、若者の格差は問題だとしています。一番の問題は正規と非正規の格差。大方のエコノミストはここで解雇規制の緩和を持ち出しますが、著者の唱える処方箋は「景気回復」。この答えに不満を持つ人もいるかもしれませんが、確かに一番確実な処方箋ではあります。
また、同時にベーシック・インカムの導入を訴えています。ベーシック・インカムは面白い制度ですし、所得税の累進や控除を取っ払ってベーシック・インカム+30%の所得税という税制も魅力的ですが、ここでの試算もやや乱暴だと思います(老人は年金があるからベーシック・インカムの対象から外しているけど、30%の所得税をかける日本の所得280兆円には老人の所得も入っているんじゃないか?123ー125pの議論)。

第5章はデフレや円高をもたらした日銀批判。いわゆる「リフレ」の主張ですが、円高の是正に焦点を当てている点は竹森俊平の考えに近いでしょうか?
また、日銀が金融政策の転換を行わなかった理由として、日銀は「通貨の番人」ではなく「銀行の番人」(特に地銀を守る番人)になってしまっていることを指摘しています。

第6章は教育について。作文コンクールのバカバカしさといった点から日本の教育問題に切り込んでいるけど、ここはやや準備不足であまりミのある議論は展開できていない感じです。

細部に関しては疑問も残りますし、制度改革にあたってはその細部こそが重要なのではないか?と感じる部分もありますが、それでも、第6章を除けば、日本の若者をめぐる問題を考える上で有益で、何よりも明快な議論がなされていると思います。

若者を見殺しにする日本経済 (ちくま新書)
原田 泰
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副題に「水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害」とあるように四大公害ひとつひとつを50〜60ページほどでとり上げた本。それぞれの公害についてきちんと調べたことのある人にとってはやや物足りない内容かもしれませんが、四大公害のおさらいをするにはいい本だと思いますし、何よりも四大公害を並べてみることでそこに共通する構図というものが見えてきます。

その共通する構図とは著者の「あとがき」の表現を借りれば次のようなものです。
つきつめて言えば、公害の歴史とは、すなわち公害問題を解決に導こうとする人々がつくった歴史である。地域のリーダー、義憤にかられる弁護士、住民を思う自治体職員、患者を思う医師や学者、そのどれかが欠けても、被害者の泣き寝入りによってあきらめ、埋もれてしまったかもしれない歴史であった。
他方で、規制権限を持つ国が、加害と被害の関係を明らかにせず、時に結論の先延ばしにより企業活動と経済成長を守った歴史でもある。被害者の側が司法に訴えて法的責任を明らかにすることによって、その誤りを認めさせた歴史でもある。
また、国が被害地域の指定と判断条件などによって、被害と被害者を線引き、つまり認定し、その線引きによる第二の被害を生んだ歴史でもあった。(252ー253p)

いろいろな事柄が列挙されていますが、四大公害のそれぞれの歴史には、ほぼこのすべてが揃っています。

例えば公害と戦った自治体職員。新潟水俣病では新潟県衛生部長の北野博一(厚生省からの出向)や医務課の副参事・枝並福二が公害の原因の解明に大きな役割を果たしていますし(枝並は昭和電工の鹿瀬工場の排水口に潜り込んでメチル水銀を含んだ水苔を採取。これが決定的な証拠になる(88ー89p)、自治体職員ではないですが、四日市公害では四日市海上保安庁警備救難課長の田尻宗昭が、手をつくして化学物質を海洋に投棄していた石原産業を摘発しています(183ー185p)。

では、地域が手を取り合って公害と戦ったかというと全くそんなことはなくて、そこには企業の経済力や風評被害、貧困などに屈する地域の姿もあります。
新潟水俣病では昭和電工の立地自治体の鹿瀬町と下流の津川町の議会が工場廃液説を否定する趣旨の意見書を採択していますし、四日市公害でも四日市市の久鬼喜久男市長が再三にわたって石油化学工場を擁護しました。

一方で、新潟水俣病の舞台となった阿賀野川流域の漁で生活が成り立っている集落では、健康調査の際に、申し合わせて「川魚は食べてことがない」と言ってその影響を隠そうとしていますし(77p)、イタイイタイ病では原因をカドミウムと結論づけた吉岡金市の報告書に対して「地元をますます不利にするものである」と危惧する声もあがったそうです(133p)。
目の前の被害よりも、姿の見えない風評被害を恐れてなかなか動くことの出来なかった地域の姿というものも見えてきます。

また、「決着がつかない」というのも公害問題の難しさの一つです。
確かに四大公害訴訟は原告側の勝利に終わり、国や企業の責任が厳しく追求されました。しかし、救済されたのは「認定された」患者だけであり、後から発病した患者、まだ胎内にいた患者(生まれてから発症した患者)などが救済されるにはさらに裁判が必要でしたし、この患者として認定を求める戦いは今も続いています。
イタイイタイ病では、認定条件に骨軟化症が入っているため、認定には骨を取り出して行う「骨生検」という検査が必要です。2013年、新たにイタイイタイ病の認定を求める患者が現れましたが、年齢は86歳が1人と87歳が2人。骨生検を行う体力があるかどうかを主治医位が認定している最中だそうです(251ー252p)。
このような国の厳しすぎる認定条件が患者の救済を阻んでいます。もちろん、ある種の線引は必要なのでしょうが、長期にわたって人々の生活に影響をあたえる公害に対して、国の対処は政治的決着がついたところで止まってしまっている感じです。

このようなことらもわかるように四大公害はまだ終わっていません。そして、この四大公害と同じような状況がひょっとすると福島第一原発事故で繰り返されてしまうかもしれません。
そういったことからも実はタイムリーな本だと思います。

四大公害病 - 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害 (中公新書)
政野 淳子
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2011年の「アラブの春」で若者たちが中心となり30年にわたって独裁を続けてきたムバーラク政権を打ち倒したエジプト。しかし、その後の民主的な選挙で選ばれたムルシー大統領(日本だとモルシの表記も多いですがこの本の表記はムルシー)は、若者たちと対立。最終的にはこの対立に軍が介入し、「革命」によって生まれた民主主義はまた「やり直し」となりました。
この複雑なエジプト情勢をフォローし、その背景と、「革命」が失敗に終わった理由を分析したのがこの本。
同じ年に東日本大震災があった関係で日本では追いかけることが難しかったエジプトの動きを丁寧にまとめてくれていますし、また、「民主主義」というものについて考えさせる内容になっています。

複雑怪奇なエジプト情勢をおったこの本をそのまま要約するのはなかなか難しいので、以下は個人的に興味をもったポイントを書いていきます。

まず、「なぜ軍はムバーラクを切ったのか?」ということ。
リビア、そして現在はシリアが内戦に突入しましたが、エジプトではそうなる前に軍がムバーラクを見限ったことで事態はある程度平和裏に進みました。
これについて著者は、エジプト軍はムバーラクの「私兵」的存在ではなく、「国民の軍隊」としてのポジションをとっていたこと、国内の武器の管理に成功していて民兵のような存在がなかったこと、そして軍とムバーラクの利害の対立をあげています。
エジプト軍は、経済分野にも進出している国内最大の複合企業体であり、その規模はGDPの15~30%、退役軍人などを受け入れている企業も合わせれば40%にもなると言われています(35p)。また、さまざまな特権もあり、特に将校たちの「天下り」はその大きなものになっています。

しかし、ムバーラクはこの経済体質にメスを入れ、次男であるガマールを中心に経済の自由化を推進する法案を次々と成立させました。
ガマールは新興実業家らと組み、自由化を進めると同時にそこで発生する利権を彼らに分配していきました。これをこの本では「体制の寄生資本主義化」という言葉で説明しています。
このように軍の持っていた経済権益を「自由化」によって侵食する動きがあり、しかも2011年の9月にはガマールの出馬が予想される大統領選挙が予定されていました。そこでは世襲とともに経済体制の転換も行われようとしていたのです。
「ガマール大統領誕生まであと約八ヶ月というところで起きた一月二五日革命は、軍にとってはその利権を侵食する実業家が大きな影響力をもつガマール政権の誕生を阻止する、まさに千載一遇の機会であった」(57p)のです。

次は民主化をすすめる順番です。
軍主導の民政移管のプロセスで、軍は文民統制などが憲法に書き込まれることを嫌い、憲法の制定を先延ばしにしようとしました。そこで「憲法宣言」などを出しつつ、正式な憲法は、議会選挙と大統領選挙の後に行うことにしたのです。
しかし、これがムスリム同胞団の躍進と政治の不安定化をもたらしました。
一月二五日革命の中心は青年勢力とその流れに乗った軍部でしたが、議会選挙で第一党となったのはムスリム同胞団の自由公正党であり、さらにより過激なイスラーム主義をとなえるヌール党と合わせると全議席の約7割を占めました。7割の有権者が地方に住むエジプトでは、全国のモスクを拠点としたイスラーム勢力のネットワークは圧倒的に強かったのです。

この議会選挙でのイスラーム勢力の勝利によって、今度は憲法起草委員会の構成でもめることになります。イスラーム勢力は国会議員中心の委員会を、軍や青年勢力はできるだけ国会議員の影響力を排除した構成を主張。これに軍に近い立場をとる「司法」が加わることで、憲法制定プロセスは完全に混乱します。

憲法というのは多数者の権力を縛るものでもありますが、その制定には国民の多数の支持が必要です。憲法制定というのは「多数者が多数者の権力縛る仕組みを作る」という、ある意味でアクロバティックなものでもあるのです。
革命直後の一体感がある時期ならともかく、一度議会選挙などをやってしまうと、そこには「多数派」「少数派」という、はっきりとした区別が生まれてしまいます。そうなると、もう皆が納得する憲法を作るのは難しいのでしょうね。

そして最後にとり上げたいのが、「民意」の問題です。
エジプトでは革命の主力となった青年勢力がじょじょに排除され、議会選挙と大統領選挙を通じて影響力をなくしていきますが、最後に直接行動で軍のクーデターを呼び込み、ムルシー政権の打倒に成功します。
彼らは民主主義を主張したわけですが、彼らが勝ち取ったはずの「選挙」では自分たちの「民意」は通らなかった。だから、「選挙」とは別の座り込みやデモといった「直接行動」で「民意」をあらわしたのでしょう。

「民意」は「選挙」にあるのか、「街頭」にあるのか。
教科書的には「選挙」なのでしょうが、例えば「反原発デモ」に参加した人などは「自民が勝った2012年の総選挙」よりも、「官邸前に集まった十万人を超えるようなデモ」に「民意」があったと考えるのではないでしょうか?
義理で入れた一票よりも危険を犯した参加するデモなどの「直接行動」のほうが価値があり、人々の政治にかける「熱」のようなものを伝える。これは確かにそうで、日本でも議会政治の欠点を何らかの市民のアクションによって補おうと考える人は多いです。
しかし、「直接行動」を評価すればするほど、政治は街頭でのデモンストレーション合戦になってしまいます。ましてやエジプトではそれがクーデターに行き着いてしまいました。
この本はそうしたエジプト情勢を追うことで、世界各国に共通する「民意」の問題を浮き彫りにしています。

ちなみにこの本を読みながらつねに思い出していたのが、タクシン首相の躍進とクーデターによる失脚などにゆれたタイの政治情勢(タイの政治情勢については末廣昭『タイ 中進国の模索』)が詳しい)。「都市」VS「地方」の問題、「直接行動」によるデモンストレーション、中立を装う軍など、エジプトと非常によく似ていると思います。
タイでは、そんな中で国王の存在が国の統合を保っているわけですが、国王のいないエジプトでは何がその役割を果たすのでしょうね?

エジプト革命 - 軍とムスリム同胞団、そして若者たち (中公新書)
鈴木 恵美
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帯には「300年 4000キロの物語」の文字。「300年」に関しては、かつお節の歴史が300年ほどだと聞けば、「まあ、そんなものか」と思う人も多いでしょうが、「4000キロ」という数字にはピンと来ない人が多いと思います。
実は日本のかつお節生産は、明治以降、鹿児島や静岡といった知られた産地から沖縄、そしてインドネシアやトラック諸島に広がり、まさにグローバルな食材となっていたのです。
この本はそんな隠れたグローバル食材とも言えるかつお節をめぐる歴史と人々の姿を追った本。「あとがき」に書いてあるように、著者たちの研究会は『バナナと日本人』を書いた鶴見良行の薫陶を受けたメンバーで、この本も同じ岩波新書の『バナナと日本人』や『エビと日本人』の系譜を受け継ぐものになります。

かつお節は和食の食材としては珍しくその生産量が増え続けている商品で、1960年に6348トンだった生産量は2011年には3万5775トンにまで増えています(7p)。
今現在は当たり前のように使われているかつお節ですが、江戸時代から明治にかけては完全なぜいたく品で、「庶民の味」ではありませんでした。
それが高知から技術を学んだ焼津、鹿児島の枕崎の台頭、漁船の動力化などによってその生産量を増やしていきます。

そして戦前のかつお節産業を支えたのが沖縄です。
1901年に座間味島でかつお節生産が始まると、カツオ漁とともに沖縄でのかつお節生産がさかんになっていきます。当初は「下等品」と見られていた沖縄のかつお節ですが、沖縄県が技術者を招聘するなどしてその品質は徐々に向上。大正年間には日本有数のかつお節の産地となります。

この沖縄の「かつお節景気」は、昭和恐慌とともに終わりを告げるのですが、沖縄の漁民たちは新たなかつお節の生産地を求めて南洋へと進出していくことになります。
カツオの一本釣りには餌となる魚が必要ですが、その餌は網でとります。本土の漁師たちが分業制をとっていて南洋での餌の確保が難しかったのに対して、沖縄の漁師たちは一本釣りも網漁も両方できるうってつけの人材だったのです。
1942年に南洋で水産業に従事していたのは1万1082人、うち85%にあたる9435人が沖縄県民だったそうです(75p)。

このように書くと、「貧しさ故に故郷を離れざるを得なかった沖縄の人々」みたいなイメージを抱くかもしれませんが、この本に登場する沖縄の人々はもっと楽天的で軽快です。
トラック諸島の料亭で遊んだ話や、国内の大学卒の給与が月50円程度だった時代に70円から景気のいい時には100円もらっていたという話も載っており(165ー167p)、かつて南洋にわたった人々は「戦争さえなかったらずっと向こうにいたかったのに」と口をそろえて語るそうです(109p)。
沖縄からの出稼ぎ労働については、岸政彦『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』
でもとり上げられていて、その意外なまでの「明るさ」に驚くのですが、この本で描かれる移民たちも想像以上に「明るい」です。

しかし、その南洋のかつお節産業も戦争によって崩壊します。漁船は徴用され、漁師たちも軍属として働くことになります。
そして、終戦を迎え、南洋のかつお節産業は終焉するのです。

ところが、戦後、かつお節が大衆化し、削り節パックが登場すると、再びカツオを求める「南進」が始まります。
特に、戦前、沖縄の人々を中心にかつお節製造が行われていたインドネシアのビドゥンでは、一度は途切れたかつお節製造と日本とのネットワークが、1970年代頃から復活し始めます。試行錯誤のすえ、1990年代になるとかつお節の産地としても認知されはじめ、日本人の消費量の7%がこのヒドゥンから輸入されているそうです(153p)。
さらに、このヒドゥンの日系人(沖縄の人びとが現地に残した子どもたち)が、日本の大洗の水産加工工場で働いています。かつお節そのものだけではなく、それに関わった人びとも、また大きなネットワークをつくっているのです。

このように、「読み物」としては文句なしに面白いですし、興味深いですね。
ただ、『バナナと日本人』のように、「隠れた経済構造を明らかにする」といった面は弱いです。そのあたりが『バナナと日本人』と比べると物足りないところでしょう。

かつお節と日本人 (岩波新書)
宮内 泰介 藤林 泰
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
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