2014年12月
今年は58冊の新書を読みました(例年そうですが、中古で買って読んでここにレビューを上げていないのを含めるともう少し読んでます)。ここ最近、休日にほとんど新書を読めていないために例年に比べてやや少ない冊数になりましたが、その中から面白かった本を5冊紹介したいと思います。
哲学入門 (ちくま新書)
戸田山 和久
448006768X
筑摩書房 2014年03月05日
売り上げランキング : 28327
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今年は1位を何にするか迷いましたが、最終的にはこの本かなと。
「哲学入門」というと、ソクラテスやカントなどの大哲学者の思想を解説した本か、あるいは「私が死んだら世界は終わるのか?」、「なぜ人を殺してはいけな いのか?」といった、多くの人が一度は感じたであろう疑問から、読者を哲学的思考に誘う、といったスタイルが思い浮かびますが、この戸田山和久の「哲学入門」は それらとはまったく違います。
「意味」、「機能」、「情報」、「表象」、「目的」、「自由」、「道徳」という、物理的に存在しないけれども、よほどの唯物論者でない限りまったく存在しないとも言い切れない「存在もどき」分析し、それを科学と調和する形でこの世界に書き込むことがこの本のミッションになります。
先進国・韓国の憂鬱 (中公新書 2262)
大西 裕
4121022629
中央公論新社 2014年04月24日
売り上げランキング : 11791
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日本と韓国が文化などの面で「似ている」かどうかは意見の分かれるところだと思いますが、少なくとも欧米諸国に比べて急速な経済成長で先進国(OECDの加盟国)になり、同じく欧米諸国よりも速いペースで少子高齢化が進んでいるという点は同じです。また、近年、韓国でも日本と同じように経済格差が問題になっています。
そんな韓国の「福祉」を分析したのがこの本。「なぜ福祉?」と思う人も多いでしょうが、少子化、高齢者の貧困化など問題のいくつかは韓国のほうが日本よりも先鋭化しています。
「それはなぜなのか?」、「金大中と盧武鉉のいわゆる「進歩派」大統領は、この問題に手を打つことができなかったのか?」、そうした謎を解き明かすことによって、近年の韓国の政治について教えてくれると同時に、日本の政治を考える上での比較対象を提示してくれている本です。
ルポ 医療犯罪 (朝日新書)
出河雅彦
4022735791
朝日新聞出版 2014年09月12日
売り上げランキング : 84989
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ドラマの中での手術シーンや注射シーンが苦手な自分にとっては、読み進めるのが億劫になることもあった本なのですが、事件の闇に切り込んで、そこから制度の欠陥を抉り出してくるという非常によく出来たルポ。特に生活保護受給者に乱脈的な医療を行った奈良・山本病院事件を扱った第一章は圧巻ともいうべきもので、想像を絶する現実を突きつけられた感じでした。
ほぼ「人体実験」と言ってもいいようなひどい行為が多なわれた奈良・山本病院では、数々の看護婦や関係者が情報を寄せたにもかかわらず、奈良県は医師が必要と判断しているならば外部からは口は出せないというスタンスでその犯罪を見過ごし続けました。
そうした行政の問題、生活保護の問題、さらに専門職の「裁量」をめぐる問題など、さまざまな問題に光を当てた意義のあるルポです。
青木昌彦の経済学入門: 制度論の地平を拡げる (ちくま新書)
青木 昌彦
4480067531
筑摩書房 2014年03月05日
売り上げランキング : 9392
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青木昌彦の仕事を追いかけていた人にとっては何も目新しいことはないかもしれませんが、彼の本をきちんと読んだことのなかった身としては非常に面白かったです。
「はしがき」に「青木昌彦の『経済学入門』ではなく、「『青木昌彦の経済学』の入門」という編集者の誘いでこの仕事を引き受けたと書いてある通り、「経済 学入門」といった本ではないのですが、青木昌彦のアイディアとその理論の射程、さらにはその応用としての中国経済の分析が楽しめます。
本自体は既出の論文や、講演の抄録、対談、新聞への寄稿などをまとめたもので、その出来にはばらつきがあるのですが、それでも個人的には得るものが多かったです。
個人的に、「一回限りの事象である歴史を学問的にどう考えていくべきなのか?」ということを最近ずっと考えてきただけに、この部分をはじめとする青木昌彦の歴史に対するスタンスも非常に参考になりました。
ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 (PHP新書)
松尾 匡
4569821375
PHP研究所 2014年11月15日
売り上げランキング : 1652
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著者がSynodosで行っていた連載をまとめたもの。連載時から面白く読ませてもらっていたのですが、本としても改めて読んでも面白いです。
著者はマルクス経済学を学んだ左派の人物なので、人によっては左派の経済学者である著者が、ハイエク、フリードマン、ルーカスといった「新自由主義の教祖」を盛大に批判する内容を想像するかもしれませんが、そうではありません。
著者は、むしろこれらの経済学者たちが見出した知見を積極的に取り入れ、それまでの社会主義国家や「ケインズ主義的」な大きな政府を批判し、さらに、「新 自由主義」や「第三の道」といった「ケインズ主義的」な大きな政府を乗り越えるためにとられた政策も、これらの経済学者が見出した真のポイントを捉えそこねていると主張した本です。
近年の経済学の知見を活用しながら現代の経済問題を分析していく本書は、右派左派問わず役に立つ本だと思います。
上記に上げた本以外だと、一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』(講談社現代新書)、黒田基樹『戦国大名』(平凡社新書)、高田博行『ヒトラー演説』(中公新書)、松尾秀哉『物語 ベルギーの歴史』(中公新書)、そして全3冊予定で2冊が刊行された川田稔『昭和陸軍全史 』シリーズあたりでしょうか。
今年も昨年からの流れを受けて前半はちくま新書のラインナップが良かったと思いますが、後半は息切れしたのか、あまり興味をそそる本がありませんでした。中公新書は相変わらず安定したレベルの高さ。そして、PHP新書がここ最近良い本を出すようになってきた気がしています。
哲学入門 (ちくま新書)
戸田山 和久
448006768X
筑摩書房 2014年03月05日
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今年は1位を何にするか迷いましたが、最終的にはこの本かなと。
「哲学入門」というと、ソクラテスやカントなどの大哲学者の思想を解説した本か、あるいは「私が死んだら世界は終わるのか?」、「なぜ人を殺してはいけな いのか?」といった、多くの人が一度は感じたであろう疑問から、読者を哲学的思考に誘う、といったスタイルが思い浮かびますが、この戸田山和久の「哲学入門」は それらとはまったく違います。
「意味」、「機能」、「情報」、「表象」、「目的」、「自由」、「道徳」という、物理的に存在しないけれども、よほどの唯物論者でない限りまったく存在しないとも言い切れない「存在もどき」分析し、それを科学と調和する形でこの世界に書き込むことがこの本のミッションになります。
先進国・韓国の憂鬱 (中公新書 2262)
大西 裕
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中央公論新社 2014年04月24日
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日本と韓国が文化などの面で「似ている」かどうかは意見の分かれるところだと思いますが、少なくとも欧米諸国に比べて急速な経済成長で先進国(OECDの加盟国)になり、同じく欧米諸国よりも速いペースで少子高齢化が進んでいるという点は同じです。また、近年、韓国でも日本と同じように経済格差が問題になっています。
そんな韓国の「福祉」を分析したのがこの本。「なぜ福祉?」と思う人も多いでしょうが、少子化、高齢者の貧困化など問題のいくつかは韓国のほうが日本よりも先鋭化しています。
「それはなぜなのか?」、「金大中と盧武鉉のいわゆる「進歩派」大統領は、この問題に手を打つことができなかったのか?」、そうした謎を解き明かすことによって、近年の韓国の政治について教えてくれると同時に、日本の政治を考える上での比較対象を提示してくれている本です。
ルポ 医療犯罪 (朝日新書)
出河雅彦
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朝日新聞出版 2014年09月12日
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ドラマの中での手術シーンや注射シーンが苦手な自分にとっては、読み進めるのが億劫になることもあった本なのですが、事件の闇に切り込んで、そこから制度の欠陥を抉り出してくるという非常によく出来たルポ。特に生活保護受給者に乱脈的な医療を行った奈良・山本病院事件を扱った第一章は圧巻ともいうべきもので、想像を絶する現実を突きつけられた感じでした。
ほぼ「人体実験」と言ってもいいようなひどい行為が多なわれた奈良・山本病院では、数々の看護婦や関係者が情報を寄せたにもかかわらず、奈良県は医師が必要と判断しているならば外部からは口は出せないというスタンスでその犯罪を見過ごし続けました。
そうした行政の問題、生活保護の問題、さらに専門職の「裁量」をめぐる問題など、さまざまな問題に光を当てた意義のあるルポです。
青木昌彦の経済学入門: 制度論の地平を拡げる (ちくま新書)
青木 昌彦
4480067531
筑摩書房 2014年03月05日
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青木昌彦の仕事を追いかけていた人にとっては何も目新しいことはないかもしれませんが、彼の本をきちんと読んだことのなかった身としては非常に面白かったです。
「はしがき」に「青木昌彦の『経済学入門』ではなく、「『青木昌彦の経済学』の入門」という編集者の誘いでこの仕事を引き受けたと書いてある通り、「経済 学入門」といった本ではないのですが、青木昌彦のアイディアとその理論の射程、さらにはその応用としての中国経済の分析が楽しめます。
本自体は既出の論文や、講演の抄録、対談、新聞への寄稿などをまとめたもので、その出来にはばらつきがあるのですが、それでも個人的には得るものが多かったです。
個人的に、「一回限りの事象である歴史を学問的にどう考えていくべきなのか?」ということを最近ずっと考えてきただけに、この部分をはじめとする青木昌彦の歴史に対するスタンスも非常に参考になりました。
ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 (PHP新書)
松尾 匡
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PHP研究所 2014年11月15日
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著者がSynodosで行っていた連載をまとめたもの。連載時から面白く読ませてもらっていたのですが、本としても改めて読んでも面白いです。
著者はマルクス経済学を学んだ左派の人物なので、人によっては左派の経済学者である著者が、ハイエク、フリードマン、ルーカスといった「新自由主義の教祖」を盛大に批判する内容を想像するかもしれませんが、そうではありません。
著者は、むしろこれらの経済学者たちが見出した知見を積極的に取り入れ、それまでの社会主義国家や「ケインズ主義的」な大きな政府を批判し、さらに、「新 自由主義」や「第三の道」といった「ケインズ主義的」な大きな政府を乗り越えるためにとられた政策も、これらの経済学者が見出した真のポイントを捉えそこねていると主張した本です。
近年の経済学の知見を活用しながら現代の経済問題を分析していく本書は、右派左派問わず役に立つ本だと思います。
上記に上げた本以外だと、一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』(講談社現代新書)、黒田基樹『戦国大名』(平凡社新書)、高田博行『ヒトラー演説』(中公新書)、松尾秀哉『物語 ベルギーの歴史』(中公新書)、そして全3冊予定で2冊が刊行された川田稔『昭和陸軍全史 』シリーズあたりでしょうか。
今年も昨年からの流れを受けて前半はちくま新書のラインナップが良かったと思いますが、後半は息切れしたのか、あまり興味をそそる本がありませんでした。中公新書は相変わらず安定したレベルの高さ。そして、PHP新書がここ最近良い本を出すようになってきた気がしています。
- 2014年12月30日23:28
- yamasitayu
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1960年代の終わりから現在に至る日本のポピュラーミュージックの歴史をコンパクトにまとめた本。帯に「Jポップ誕生「以前」と「以後」の45年を通覧する」とあるように、Jポップがいかにして生まれ、いかにして終わったかということを語った本になります。
具体的言えば、はっぴいえんど、YMO、渋谷系(フリッパーズ・ギターの2人とピチカート・ファイヴ)、小室哲哉、中田ヤスタカに焦点を当て、それぞれの「物語」を語りながら日本の音楽シーンとその変化を浮かび上がらせる構成になっています。
目次は以下の通り。
この目次を見ると、各章には基本的に「〜の物語」というタイトルが付けられています。著者が「はじめに」で述べているように、この本は「歴史書」ではなく「物語」としての「歴史」であり、すべてを網羅しようとする姿勢はなく、著者のとらえた日本の音楽シーンの一つの流れを描写したものといえるでしょう。
はっぴいえんど、YMO、フリッパーズ・ギターの2人(小山田圭吾と小沢健二)、ピチカート・ファイヴ)、小室哲哉、中田ヤスタカ、いずれも音楽マニアであり、海外の音楽に強い影響を受けているアーティストです。
加えて、著者が言うところによれば彼らは「リスナー型ミュージシャン」であり、「誰かの音楽を聞いたから」音楽活動をするタイプのアーティストです。つまり内面の葛藤やパッションのようなものを音楽にぶつけるようなタイプではなく、自分の聞いた音楽を咀嚼して新たな音楽を作るタイプです。
そうしたアーティストたちが海外の音楽を咀嚼し、それを日本、あるいは日本語にフィットする形でアレンジしていったものが著者の考えるここ45年の「ニッポンの音楽」ということになります(このように書くと「ニッポンの音楽にオリジナリティはない」といった主張だと誤解されそうですが、そうではありません。はっぴいえんどの日本語をロックのリズムに乗せる試み、YMOのテクノロジーとの格闘など、随所にオリジナリティを認めています)。
この海外の音楽の輸入と咀嚼は一定の期間を経て行われるのが常でした。海外のアーティストがなにか面白い試みをする→日本のリスナー型ミュージシャンがそれを聴く→咀嚼して日本で音楽を作るといった具合です。
しかし、CDの登場や輸入盤レコード店の発展、そしてインターネットの普及はこのタイムラグをどんどん縮めていきました。
この本では、フリッパーズ・ギターの1stアルバム「three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった」が少し前のネオアコの影響を受けたアルバムだったのに対して、3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」ではほぼ同時期にイギリスで起こった「マッドチェスター」と呼ばれるムーブメントを取り入れていることなどを紹介しながら、この90年代の変化を指摘しています。
さらに輸入盤レコード店の発展とネットの普及は、今現在の音楽を追いやすくするだけでなく、過去の音源の発掘も支援することになります。著者に言わせると、この過去の音源の発掘と引用を巧みに行ったのがピチカート・ファイヴになります。
さらに最後に登場する中田ヤスタカになると、古今東西あらゆる楽曲を聴こうとする「雑食」という言葉ではすませられないほどの音楽マニアで、日本の「内」と「外」(海外)にこだわらず音楽を作り上げていることがうかがえます。
著者は、この「内」と「外」の境界の消滅する、あるいはその区別の意味がなくなったことがこの45年の変化であるとも言います。
また、この本では細野晴臣のYMOについてのインタビューでの、「音楽的な影響は日本ではそれほど大きくなかった。キャラクターで売れてくる国だな、という感想を持ったことがありますね」(119p)という発言をとり上げ、「キャラクターで売れてくる」という日本の音楽シーンの特徴を指摘しています。フリッパーズ・ギターのブレイクなどはまさにその一面だというのが著者の見方です。
このようにニッポンの音楽についての一つの一貫した物語を提供しているのがこの本であり、それには成功していると思います。
ただ、「ないものねだり」になるのは承知で、もっと「Jポップど真ん中」的な音楽についての言及も欲しかったというのが正直な感想です。
例えば、「リスナー型ミュージシャン」というのであれば、B'zの松本孝弘なんかもそれに該当すると思いますし(もちろん筆者の好みではないでしょうが)、実際、松本孝弘は洋楽をもっとドメスティックに変形した人物として、音楽的な評価差はさておき、面白いと思うんですよね。
別にB'zでなくてもいいのですが、なにかそういった「異物」がないのが、この本の少し物足りない点かな、とも思います。
ニッポンの音楽 (講談社現代新書)
佐々木 敦
4062882965
具体的言えば、はっぴいえんど、YMO、渋谷系(フリッパーズ・ギターの2人とピチカート・ファイヴ)、小室哲哉、中田ヤスタカに焦点を当て、それぞれの「物語」を語りながら日本の音楽シーンとその変化を浮かび上がらせる構成になっています。
目次は以下の通り。
第一部 Jポップ以前
第一章 はっぴいえんどの物語
第二章 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の物語
~幕間の物語(インタールード) 「Jポップ」の誕生~
第二部 Jポップ以後
第三章 渋谷系と小室系の物語
第四章 中田ヤスタカの物語
この目次を見ると、各章には基本的に「〜の物語」というタイトルが付けられています。著者が「はじめに」で述べているように、この本は「歴史書」ではなく「物語」としての「歴史」であり、すべてを網羅しようとする姿勢はなく、著者のとらえた日本の音楽シーンの一つの流れを描写したものといえるでしょう。
はっぴいえんど、YMO、フリッパーズ・ギターの2人(小山田圭吾と小沢健二)、ピチカート・ファイヴ)、小室哲哉、中田ヤスタカ、いずれも音楽マニアであり、海外の音楽に強い影響を受けているアーティストです。
加えて、著者が言うところによれば彼らは「リスナー型ミュージシャン」であり、「誰かの音楽を聞いたから」音楽活動をするタイプのアーティストです。つまり内面の葛藤やパッションのようなものを音楽にぶつけるようなタイプではなく、自分の聞いた音楽を咀嚼して新たな音楽を作るタイプです。
そうしたアーティストたちが海外の音楽を咀嚼し、それを日本、あるいは日本語にフィットする形でアレンジしていったものが著者の考えるここ45年の「ニッポンの音楽」ということになります(このように書くと「ニッポンの音楽にオリジナリティはない」といった主張だと誤解されそうですが、そうではありません。はっぴいえんどの日本語をロックのリズムに乗せる試み、YMOのテクノロジーとの格闘など、随所にオリジナリティを認めています)。
この海外の音楽の輸入と咀嚼は一定の期間を経て行われるのが常でした。海外のアーティストがなにか面白い試みをする→日本のリスナー型ミュージシャンがそれを聴く→咀嚼して日本で音楽を作るといった具合です。
しかし、CDの登場や輸入盤レコード店の発展、そしてインターネットの普及はこのタイムラグをどんどん縮めていきました。
この本では、フリッパーズ・ギターの1stアルバム「three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった」が少し前のネオアコの影響を受けたアルバムだったのに対して、3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」ではほぼ同時期にイギリスで起こった「マッドチェスター」と呼ばれるムーブメントを取り入れていることなどを紹介しながら、この90年代の変化を指摘しています。
さらに輸入盤レコード店の発展とネットの普及は、今現在の音楽を追いやすくするだけでなく、過去の音源の発掘も支援することになります。著者に言わせると、この過去の音源の発掘と引用を巧みに行ったのがピチカート・ファイヴになります。
さらに最後に登場する中田ヤスタカになると、古今東西あらゆる楽曲を聴こうとする「雑食」という言葉ではすませられないほどの音楽マニアで、日本の「内」と「外」(海外)にこだわらず音楽を作り上げていることがうかがえます。
著者は、この「内」と「外」の境界の消滅する、あるいはその区別の意味がなくなったことがこの45年の変化であるとも言います。
また、この本では細野晴臣のYMOについてのインタビューでの、「音楽的な影響は日本ではそれほど大きくなかった。キャラクターで売れてくる国だな、という感想を持ったことがありますね」(119p)という発言をとり上げ、「キャラクターで売れてくる」という日本の音楽シーンの特徴を指摘しています。フリッパーズ・ギターのブレイクなどはまさにその一面だというのが著者の見方です。
このようにニッポンの音楽についての一つの一貫した物語を提供しているのがこの本であり、それには成功していると思います。
ただ、「ないものねだり」になるのは承知で、もっと「Jポップど真ん中」的な音楽についての言及も欲しかったというのが正直な感想です。
例えば、「リスナー型ミュージシャン」というのであれば、B'zの松本孝弘なんかもそれに該当すると思いますし(もちろん筆者の好みではないでしょうが)、実際、松本孝弘は洋楽をもっとドメスティックに変形した人物として、音楽的な評価差はさておき、面白いと思うんですよね。
別にB'zでなくてもいいのですが、なにかそういった「異物」がないのが、この本の少し物足りない点かな、とも思います。
ニッポンの音楽 (講談社現代新書)
佐々木 敦
4062882965
- 2014年12月28日23:44
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『創刊の社会史』、『ヤンキー進化論』などの新書で知られる著者が100年近い「就活」の世相を追ったのがこの本。
『創刊の社会史』、『ヤンキー進化論』でも膨大な資料の中から面白いネタを拾ってきていた著者なので、今作でも戦後の就活の世相の中から面白いネタをいろいろと紹介してくれるのではないかと思っていましたが、思ったよりも本格的。戦前からの「就活」を、産業構造や学歴構造の転換などと絡めて紹介してます。
分析自体は労働社会学、労働経済学、教育社会学などの知見をまとめたもので、目新しい点はないのですが、それでもそうした分野の成果を小ネタを挟むながら「やわらかく」紹介した所にこの本の意義があると思います。
「就活」という言葉自体は、00年代になって登場したものであり、新聞や雑誌のデータベースなどを見ても「就活」という言葉が登場するのは2000年あたりらしいのですが(342p)、日本の大学生の就職活動には100年ほど前からつづく「変わらなさ」があります。そして一方で、当然ながら「変化」もあります。
その「変わらなさ」と「変化」を浮き彫りにするのが本書です。
まずは「変わらなさ」について。
「就職率から言うと、今日では知識階級の方が、労働階級よりも遙かに以下だと言う惨状を呈しているのである」(25p)、「法経商系等の大学を減ずるか、それが出来なければ各学校の収容定員を遙かに減ずると倶に之を使用すべき経費を以って産業の振興に充てることにしてはどうであろうか」(37p)、「大学を出て日本でいけなきゃ外国へでも出掛けて行って大いに働く覚悟があればこそ大学教育も役立つのです、それを学校を出たからどっかへ月給取りに入ろうと云うようなことでは、もう今日はダメです」(44p)、「求職学生の相談相手になっていて非常に驚くことは、彼等が想像以上所謂就職戦術なるものを気にしえいることである」(60p)。
言葉遣いから昔のものとわかりますが、今言われていることとほとんど同じですね。
これらはすべて1930年代の文章になります。小津安二郎の映画『大学は出たけれど』が作られたこの時代は(『大学は出たけれど』は1929年の作品)、昭和恐慌などの影響により多くの大学生が就職難にあえいだ時代でした。
もちろん、この当時の大学生は現在の大学生よりも圧倒的に数の少ないエリートなわけですが、それでも今の大学生と同じような苦労をしていたようです。
また、就職難を取り巻く言説も今と同じです。例えば、著者も指摘していますが、「法経商系等の大学を減ずるか〜」という話は今の「大学が多すぎる!」論と同じですし、「日本でいけなきゃ外国へでも出掛けて」というのは「グローバル人材」を煽る言説と同じです。
また、体育会系が有利というのも戦前からあったようです。
この大学生の就職活動について苦労、「就活」をめぐる言説というのは戦後になっても続き、今と同じようなことが繰り返されています。1950年代の週刊誌には企業の嫌うポイントとして左傾学生、片親などとともに「修士さま(文系)、短大、女子学生」などがあげられており(105p)、ここでも「就活」の「変わらなさ」を感じずにいられません。
時代を経るにつれ、この大学生の就職活動が徐々に制度化されていき、「就活」は季節の風物詩のような存在になっていくのです。
不景気になれば「買い手市場」、好景気になれば「売り手市場」というのもいつの時代でも同じです。
高度成長期になると企業は人材獲得のためにイメージ広告を仕掛けるようになり、また「青田刈り」も問題となります。
そして究極の「売り手市場」がバブル期でした。この辺りの時期については自分の記憶もある時期なのですが、この本で読みなおすと改めてすごいですね。276pで紹介されている面接などで交通費の出る企業を効率よく回って交通費をゲットする「リクルート成金」とか、どこの世界の話なのか?という感じです。
一方、「変わらなさ」の裏で大きな「変化」もありました。
まず、感じたのが大学の「成績」と「就職課」についてです。高度成長期くらいまでは、「良い就職」には「良い成績」が欠かせず、「優」を数多くとって就職課の推薦を得ることが必須でした。
ですから、「可山優三」(「可」が山ほどあって、「優」が三つしかないこと)などという言葉も生まれたのです。
しかし、高度成長期に「売り手市場」が出現すると、企業は学業成績をあまり重視しなくなり、それに伴い学内選考権を握っていた就職課の力は落ちていきます。また、就職情報産業の発展や、企業が採用対象の大学の幅を広げたことも、今までの「就職課の推薦」というスタイルを掘り崩しました。
さらに、学生運動の盛り上がりとともに、そうした学生を避けようとする企業がより面接重視に舵を切ったことも、「就活」の変化につながったそうです(167p)。
あと、あからさまな差別がなくなったというのも大きな「変化」だと思います。
1950年台には女子の就職に「身長153センチ以上」というような条件がつくことが多く、デパートでは「裸眼視力0.6以上(メガネはダメ)、色盲、色弱、腋臭不可」などと採用要綱に書く所もあったそうです(126p)。
今でも容姿などによる差別がなくなったわけではないでしょうが、こうしたあからさまなものはさすがに目立たなくなったと思います。
こうした「変化」なども考慮し、著者は「就活」に対して肯定的です。いろいろな問題はあるが、「悪しき慣行」と言われようとも、ここまで続いているからにはやはり意義があり、若者を職業につけることにある程度は成功しているというのが著者の見立てです。
この結論には賛否があるでしょうが、この本はそうした著者の見解について論じる本ではなく、「就活」の100年をさまざまな小ネタとともにたどりながら、今一度、「就活」と日本社会について考えてみる本と言えるでしょう。
「就活」の社会史 大学は出たけれど・・・(祥伝社新書)
難波功士
4396113846
『創刊の社会史』、『ヤンキー進化論』でも膨大な資料の中から面白いネタを拾ってきていた著者なので、今作でも戦後の就活の世相の中から面白いネタをいろいろと紹介してくれるのではないかと思っていましたが、思ったよりも本格的。戦前からの「就活」を、産業構造や学歴構造の転換などと絡めて紹介してます。
分析自体は労働社会学、労働経済学、教育社会学などの知見をまとめたもので、目新しい点はないのですが、それでもそうした分野の成果を小ネタを挟むながら「やわらかく」紹介した所にこの本の意義があると思います。
「就活」という言葉自体は、00年代になって登場したものであり、新聞や雑誌のデータベースなどを見ても「就活」という言葉が登場するのは2000年あたりらしいのですが(342p)、日本の大学生の就職活動には100年ほど前からつづく「変わらなさ」があります。そして一方で、当然ながら「変化」もあります。
その「変わらなさ」と「変化」を浮き彫りにするのが本書です。
まずは「変わらなさ」について。
「就職率から言うと、今日では知識階級の方が、労働階級よりも遙かに以下だと言う惨状を呈しているのである」(25p)、「法経商系等の大学を減ずるか、それが出来なければ各学校の収容定員を遙かに減ずると倶に之を使用すべき経費を以って産業の振興に充てることにしてはどうであろうか」(37p)、「大学を出て日本でいけなきゃ外国へでも出掛けて行って大いに働く覚悟があればこそ大学教育も役立つのです、それを学校を出たからどっかへ月給取りに入ろうと云うようなことでは、もう今日はダメです」(44p)、「求職学生の相談相手になっていて非常に驚くことは、彼等が想像以上所謂就職戦術なるものを気にしえいることである」(60p)。
言葉遣いから昔のものとわかりますが、今言われていることとほとんど同じですね。
これらはすべて1930年代の文章になります。小津安二郎の映画『大学は出たけれど』が作られたこの時代は(『大学は出たけれど』は1929年の作品)、昭和恐慌などの影響により多くの大学生が就職難にあえいだ時代でした。
もちろん、この当時の大学生は現在の大学生よりも圧倒的に数の少ないエリートなわけですが、それでも今の大学生と同じような苦労をしていたようです。
また、就職難を取り巻く言説も今と同じです。例えば、著者も指摘していますが、「法経商系等の大学を減ずるか〜」という話は今の「大学が多すぎる!」論と同じですし、「日本でいけなきゃ外国へでも出掛けて」というのは「グローバル人材」を煽る言説と同じです。
また、体育会系が有利というのも戦前からあったようです。
この大学生の就職活動について苦労、「就活」をめぐる言説というのは戦後になっても続き、今と同じようなことが繰り返されています。1950年代の週刊誌には企業の嫌うポイントとして左傾学生、片親などとともに「修士さま(文系)、短大、女子学生」などがあげられており(105p)、ここでも「就活」の「変わらなさ」を感じずにいられません。
時代を経るにつれ、この大学生の就職活動が徐々に制度化されていき、「就活」は季節の風物詩のような存在になっていくのです。
不景気になれば「買い手市場」、好景気になれば「売り手市場」というのもいつの時代でも同じです。
高度成長期になると企業は人材獲得のためにイメージ広告を仕掛けるようになり、また「青田刈り」も問題となります。
そして究極の「売り手市場」がバブル期でした。この辺りの時期については自分の記憶もある時期なのですが、この本で読みなおすと改めてすごいですね。276pで紹介されている面接などで交通費の出る企業を効率よく回って交通費をゲットする「リクルート成金」とか、どこの世界の話なのか?という感じです。
一方、「変わらなさ」の裏で大きな「変化」もありました。
まず、感じたのが大学の「成績」と「就職課」についてです。高度成長期くらいまでは、「良い就職」には「良い成績」が欠かせず、「優」を数多くとって就職課の推薦を得ることが必須でした。
ですから、「可山優三」(「可」が山ほどあって、「優」が三つしかないこと)などという言葉も生まれたのです。
しかし、高度成長期に「売り手市場」が出現すると、企業は学業成績をあまり重視しなくなり、それに伴い学内選考権を握っていた就職課の力は落ちていきます。また、就職情報産業の発展や、企業が採用対象の大学の幅を広げたことも、今までの「就職課の推薦」というスタイルを掘り崩しました。
さらに、学生運動の盛り上がりとともに、そうした学生を避けようとする企業がより面接重視に舵を切ったことも、「就活」の変化につながったそうです(167p)。
あと、あからさまな差別がなくなったというのも大きな「変化」だと思います。
1950年台には女子の就職に「身長153センチ以上」というような条件がつくことが多く、デパートでは「裸眼視力0.6以上(メガネはダメ)、色盲、色弱、腋臭不可」などと採用要綱に書く所もあったそうです(126p)。
今でも容姿などによる差別がなくなったわけではないでしょうが、こうしたあからさまなものはさすがに目立たなくなったと思います。
こうした「変化」なども考慮し、著者は「就活」に対して肯定的です。いろいろな問題はあるが、「悪しき慣行」と言われようとも、ここまで続いているからにはやはり意義があり、若者を職業につけることにある程度は成功しているというのが著者の見立てです。
この結論には賛否があるでしょうが、この本はそうした著者の見解について論じる本ではなく、「就活」の100年をさまざまな小ネタとともにたどりながら、今一度、「就活」と日本社会について考えてみる本と言えるでしょう。
「就活」の社会史 大学は出たけれど・・・(祥伝社新書)
難波功士
4396113846
- 2014年12月23日00:31
- yamasitayu
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サブタイトルは「「ノンキャリア」の底力」。そして帯には「急ごしらえの新政権がなぜ全国を統治できたのか?」とあります。
つまり、明治維新によって幕府は滅び新しい政権ができたけれども、その統治機構の末端を支えたのが旧幕臣であり、そこにスポットライトを当てたのがこの本です。
目次は以下の通り。
第1章と第2章が、江戸時代の官僚機構とそこで旗本や御家人といった幕臣がいかなる役割を担ったかという話。第3章が幕末の政局。第4章から第6章が新政府誕生後の幕臣の身の振り方といった部分になります。
基本的に第4章以降がメインの話になるのですが、個人的にとてもおもしろく読めたのが第1章と第2章。江戸幕府の統治機構の整備や、官僚制におけるキャリアパスなど今まで知らなかった面白い話が満載でした。
一方、第3章で幕末の政局の話を追いかけたことから、統治機構の変遷、幕臣のキャリアごとの身の振り方といった部分がやや見えにくくなった感があります。
まず、第1章と第2章。ここでは幕府の官僚機構とそこで働く旗本・御家人に実態が描かれています。
本多正信・正純親子のような「出頭人」と呼ばれる将軍の側近から、家光の時代に「老中」の制度が確立してきます。これは家光が病気によって親政ができなくなるなどのアクシデントの賜物でもあるのですが、1638年の老中制の改革により、老中の職務とその分担が定められました。幕府は「「天下人」・「出頭人」という個人に依存する組織から、老中・奉行によって運営される政権」(19p]へと変わっていったのです。
ただ、5代将軍綱吉が館林藩藩主、6代将軍家宣が甲府藩主であったことから、彼らの将軍就任に伴い、藩主時代の側近がそのまま将軍の側近となり、「側用人」などが権力を握ることもありました(同時に館林藩や甲府藩は消滅)。
しかし、8代将軍吉宗が紀州藩藩主から将軍になる時に軽輩のみ200名ほどのみをつれて将軍になったため、幕府の官僚機構はますます安定することになります。
また、吉宗は幕府の基本法典や判例を集めた「公事方御定書」を編纂し、各地域の農林水」産物や鉱物・動植物について調査した「諸国産物帳」を編纂するなど、統治に必要な情報の収集・整理にも力を入れました。
こうして幕府の官僚機構は整えられていくのです。
この官僚機構を支えたのが旗本や御家人でした。
この本では知行取(〜石)と蔵米取(〜俵)の実際の手取りや、石高別の旗本の分布、格式、その仕事などが紹介されています。
特に、仕事に関しては、実力主義の勘定所、総合官庁であった江戸町奉行所、旗本の登竜門的ポストとなった「目付」の仕事などが紹介されていて興味深いです。また、それぞれの役職にはそれぞれ役職を補佐するノンキャリア的な存在がいて、それが上の仕事を支えていたようです。この辺りは、まさに今の官僚システムと同じです。
つづく第3章なのですが、ここでは幕末の政局がけっこう詳しく語られています。記述自体は悪くないのですが、ここでやや本のテーマを見失ってしまう感があります。
政局の話も重要なのでしょうが、ここで「勘定所」「町奉行」といった幕府の役所の姿が見えなくなってしまうんですよね。
第4章では、幕府崩壊後、「朝臣」となった幕臣や幕臣の身の振り方などが書かれているのですが、ここも渋沢栄一や前島密といった有名な幕臣の話し以外ではマクロ的な話が続きます。
けれども、箱館奉行所とそこではたらく人々の変遷を中心に追った第5章と第6章は再び面白くなります。
幕府の箱館奉行所は、一度、新政府に接収されながら、その後、榎本武揚らの旧幕府軍によって占領される羽目になります。
通信や交通の便が整っていなかった当時の北海道で、いつの間にか自分が仕えているはずの役所がなくなってしまうようなことが起これば、多くの人がどうしたらいいのかわからなかったと思うのですが、そんな中で苦労した幕臣の姿が描かれています。
また、第6章では開拓使ができたあとの旧幕臣の人数の変遷などをたどることによって、世襲を基本とする幕府の官僚機構から、新しい官僚機構が生まれていく様子もうかがえます。
このように面白い本なのですが、幕末の政局の部分を削って幕府のそれぞれの階層の役人がどうなったかをもう少し詳しく追えば、文句なしに面白い本になった気もします。
ただ、第1章・第2章は非常に勉強になり、第5章・第6章は興味深く読めました。
ちなみに官僚制の此後の展開については清水唯一朗『近代日本の官僚』が面白いです。
明治維新と幕臣 - 「ノンキャリア」の底力 (中公新書)
門松 秀樹
4121022947
つまり、明治維新によって幕府は滅び新しい政権ができたけれども、その統治機構の末端を支えたのが旧幕臣であり、そこにスポットライトを当てたのがこの本です。
目次は以下の通り。
第1章 「天下太平」と江戸幕府
第2章 旗本と御家人―江戸幕府の柱石
第3章 幕末の政局と幕臣
第4章 明治維新―「旧幕府」と「新政府」
第5章 「ノンキャリア」の活躍
第6章 藩閥になった幕臣
第1章と第2章が、江戸時代の官僚機構とそこで旗本や御家人といった幕臣がいかなる役割を担ったかという話。第3章が幕末の政局。第4章から第6章が新政府誕生後の幕臣の身の振り方といった部分になります。
基本的に第4章以降がメインの話になるのですが、個人的にとてもおもしろく読めたのが第1章と第2章。江戸幕府の統治機構の整備や、官僚制におけるキャリアパスなど今まで知らなかった面白い話が満載でした。
一方、第3章で幕末の政局の話を追いかけたことから、統治機構の変遷、幕臣のキャリアごとの身の振り方といった部分がやや見えにくくなった感があります。
まず、第1章と第2章。ここでは幕府の官僚機構とそこで働く旗本・御家人に実態が描かれています。
本多正信・正純親子のような「出頭人」と呼ばれる将軍の側近から、家光の時代に「老中」の制度が確立してきます。これは家光が病気によって親政ができなくなるなどのアクシデントの賜物でもあるのですが、1638年の老中制の改革により、老中の職務とその分担が定められました。幕府は「「天下人」・「出頭人」という個人に依存する組織から、老中・奉行によって運営される政権」(19p]へと変わっていったのです。
ただ、5代将軍綱吉が館林藩藩主、6代将軍家宣が甲府藩主であったことから、彼らの将軍就任に伴い、藩主時代の側近がそのまま将軍の側近となり、「側用人」などが権力を握ることもありました(同時に館林藩や甲府藩は消滅)。
しかし、8代将軍吉宗が紀州藩藩主から将軍になる時に軽輩のみ200名ほどのみをつれて将軍になったため、幕府の官僚機構はますます安定することになります。
また、吉宗は幕府の基本法典や判例を集めた「公事方御定書」を編纂し、各地域の農林水」産物や鉱物・動植物について調査した「諸国産物帳」を編纂するなど、統治に必要な情報の収集・整理にも力を入れました。
こうして幕府の官僚機構は整えられていくのです。
この官僚機構を支えたのが旗本や御家人でした。
この本では知行取(〜石)と蔵米取(〜俵)の実際の手取りや、石高別の旗本の分布、格式、その仕事などが紹介されています。
特に、仕事に関しては、実力主義の勘定所、総合官庁であった江戸町奉行所、旗本の登竜門的ポストとなった「目付」の仕事などが紹介されていて興味深いです。また、それぞれの役職にはそれぞれ役職を補佐するノンキャリア的な存在がいて、それが上の仕事を支えていたようです。この辺りは、まさに今の官僚システムと同じです。
つづく第3章なのですが、ここでは幕末の政局がけっこう詳しく語られています。記述自体は悪くないのですが、ここでやや本のテーマを見失ってしまう感があります。
政局の話も重要なのでしょうが、ここで「勘定所」「町奉行」といった幕府の役所の姿が見えなくなってしまうんですよね。
第4章では、幕府崩壊後、「朝臣」となった幕臣や幕臣の身の振り方などが書かれているのですが、ここも渋沢栄一や前島密といった有名な幕臣の話し以外ではマクロ的な話が続きます。
けれども、箱館奉行所とそこではたらく人々の変遷を中心に追った第5章と第6章は再び面白くなります。
幕府の箱館奉行所は、一度、新政府に接収されながら、その後、榎本武揚らの旧幕府軍によって占領される羽目になります。
通信や交通の便が整っていなかった当時の北海道で、いつの間にか自分が仕えているはずの役所がなくなってしまうようなことが起これば、多くの人がどうしたらいいのかわからなかったと思うのですが、そんな中で苦労した幕臣の姿が描かれています。
また、第6章では開拓使ができたあとの旧幕臣の人数の変遷などをたどることによって、世襲を基本とする幕府の官僚機構から、新しい官僚機構が生まれていく様子もうかがえます。
このように面白い本なのですが、幕末の政局の部分を削って幕府のそれぞれの階層の役人がどうなったかをもう少し詳しく追えば、文句なしに面白い本になった気もします。
ただ、第1章・第2章は非常に勉強になり、第5章・第6章は興味深く読めました。
ちなみに官僚制の此後の展開については清水唯一朗『近代日本の官僚』が面白いです。
明治維新と幕臣 - 「ノンキャリア」の底力 (中公新書)
門松 秀樹
4121022947
- 2014年12月13日22:11
- yamasitayu
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人間の経済活動は歴史的一面にすぎないし、また歴史事象がすべて数量化できるわけでもなく、ナショナリズムなど政治的イデオロギーや宗教・文化などの非経済的要因が大きな役割を演じてきたこともあきらかである。しかし、経済史からみるアングルには、たとえ限界があるとしても、ほかのどの方法よりも多くの事象を説明できるのではないかと確信している。(3p)
これは、この本の「プロローグ」に書かれている文章ですが、なかなか力強い宣言ですよね。
「経済史」というと、「産業革命はなぜ起きたのか?」といった、「経済分野の歴史」を想像する人もいるかもしれませんが、この本が取り扱うのは、そういった「経済分野の歴史」ではなく、いわゆる「グローバル・ヒストリー」になります。
「グローバル・ヒストリー」は、近年注目を集めている分野で、各国や各地域の歴史よりも同時代の横のつながりに注目し、「歴史を地球規模で鳥瞰的かつ総体的にみるところに大きな特徴」(6p)があります。
そうした「グローバル・ヒストリー」の観点から、「14世紀以降、「大航海時代」をへて現代にいたるまでの約700年にわたる世界の歴史を、アジアを中心とする歴史的文脈のなかで考察」(12p)したのが本書になります。
目次は以下の通り。
第1部 アジアの時代―一八世紀までの世界
第一章 アジア域内交易と大航海時代
第二章 近世東アジアの国際環境―中国と日本
第三章 インドの植民地化とイギリス
第2部 ヨーロッパの時代―「長期の一九世紀」
第四章 「産業革命」から「パクス・ブリタニカ」へ
第五層 アジアの近代化―中国・日本・タイ
第六章 アジア経済のモノカルチャー化と再編
第3部 資本主義と社会主義の時代―「短期の二〇世紀」
第七章 両大戦間期の世界経済とアジア
第八章 戦後世界経済の再建と動揺
まず第一章では、大航海時代以前にすでにアジアでは交易が盛んに行われ各地でネットワークが形成されていたこと、ポルトガルやオランダもあくまでもそのネットワークに乗っかて交易を進めたこと、新大陸の「発見」がヨーロッパ世界にもたらした変化などが述べられています。
第二章は中国の明清の時代と、日本の徳川時代について。ここでは、16世紀から17世紀にかけて日本は銀を始めとする鉱産物資源によって、交易のネットワークの重要な地位を占めたが、18世紀半ば以降、鉱産物資源の枯渇によって「日本は市場としての国際的魅力を失い、他方で輸入品の国産化がすすむにつれて、19世紀初めまでに日本は独自の物価体系をもつ閉鎖経済システムになった」(60p)との指摘が興味深いです。
第三章はイギリスのインド支配について。イギリスがインドからいかに利益を得ようとしたか、その変遷がわかる内容になっています。
第四章では産業革命の原因やその影響が考察されるとともに、イギリスがいかに覇権を握ったかということが分析されています。
イギリスが、1843年に機会輸出禁止法を、46年に穀物法を、49年に航海法を廃止して自由貿易体制を確立することで、アジアや大西洋貿易が再編され、世界の経済はまさに「グローバル経済」となります。
そして、そのなかでイギリスは「貿易センター」、「金融センター」としての地位を確立していくことになるのです。
第五章では19世紀の欧米各国によるアジア進出について、中国、日本、タイを中心にとり上げられています。
日本に関しては、不平等条約であった安政の五カ国条約について、「徳川幕府が、「自由貿易」の原則をうけいれながらも、内地通商権を拒否したことの意義は大きかった」(132p)と述べている部分が興味深いですね。
また、あまり知る機会のないタイが植民地化されなかった理由についても知ることが出来ます。
第六章は、植民地支配によってアジア経済がいかに変容したかということについて。
マレー半島の錫やゴムといったよく知られたモノカルチャーだけではなく、ビルマのコメのモノカルチャーとそれが周辺各国に与えた影響などにも触れられていて面白いです。
第七章は第1次世界大戦後の国際経済の再編について。アメリカの高率関税による国内市場優先の保護貿易政策が、世界恐慌の原因となるとともに、関税回避の手段としてヨーロッパの企業の多国籍企業化が進んだという指摘は興味深いです。多国籍企業というとどうしてもアメリカの企業を中心に考えてしまいがちですが、リーバ・ブラザーズ、ダンロップのようなイギリス企業の存在も重要です。
第八章は第2次世界大戦後の国際経済について。ここは駆け足でやや面白みに欠けます。
全体としてみると第六章までは、つまり第2部までは非常に面白いと思います。一方、第3部の特に第八章に関してはいまいちに感じます。
これは、経済がグルーバルにつながっていく過程については上手く説明できているものの、つながったあとのグルーバル経済に関しては、その過程ほど上手く説明できていないからかもしれません。
例えば、「日本の輸出貿易は、円高による原料・資源や製品用機械機器の輸入価格の低下によるメリットにささえられてきたが、円安がすすむと、逆にこうしたメリットが失われて輸入価格が上昇し、輸出が停滞ないしは減少するおそれもつよい」(222p)などの記述も疑問です。
ただ、全体の4分の3くらいは十分に面白く、「グローバル・ヒストリー」の入門書としては良く出来ていると思いますし、また世界史を見直していく上で新たな視点を教えてくれる本だと思います(このグローバル・ヒストリーの本だと他に秋田茂『イギリス帝国の歴史』が面白いです)。
グローバル経済史入門 (岩波新書)
杉山 伸也
4004315123
- 2014年12月07日23:30
- yamasitayu
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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