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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2025年07月

ロシアではプーチンの権威主義体制がつづいており、国内での締付けは近年ますます強くなっているというのは多くの人が理解していることだと思います。
では、そのプーチン体制はどのようにできあがり、どのように強化されてきたのでしょうか? プーチンは具体的にどのようなやり方で独裁的な体制を維持しているのでしょうか? ウクライナとの戦争はプーチン体制を強化したのでしょうか? 弱体化させたのでしょうか?
本書は、そんな疑問に答えてくれる本です。

タイトルは「ロシア政治」ですが、ソ連崩壊後、ロシアはエリツィン体制とプーチン体制しか経験していなために、本書の内容はエリツィン体制の混乱からいかにしてプーチンが盤石な権威主義体制をつくり上げ、現在はどのように機能しているかということになります。
ロシアの権威主義体制というと、その「国民性」に答えを求めるような議論もありますが、本書ではソ連崩壊後の混乱→地方のボスの割拠→プーチンへの権力集中というロシアの変化を追うことで、権威主義体制がさまざまな政策や制度によって立ち上がっていく様子がわかります。
こうしたことから、本書はロシアに興味がある人だけでなく、広く権威主義体制や民主主義の後退といったテーマに興味がある人が読んでも面白い内容になっています。

目次は以下の通り。
第1章 混乱から強権的統治へ――ペレストロイカ以降の歴史

第2章 大統領・連邦議会・首相――準大統領制の制度的基盤

第3章 政党と選挙――政党制の支配と選挙操作

第4章 中央地方関係――広大な多民族国家の統治

第5章 法執行機関――独裁を可能にする力の源泉

第6章 政治と経済――資源依存の経済と国家

第7章 市民社会とメディア――市民を体制に取り込む技術
終 章 プーチン権威主義体制を内側から見る

目次を見るとわかりますが、本書はロシアについて時系列を追うのではなく、トピックごとに記述をしています。
ただし、プーチン政権はいきなり盤石な形で出現したわけではないので、第1章では、そこに至る過程がとり上げられています。

1991年の12月、ソ連は思わぬ形で解体されます。その後、ロシアでは91年8月のクーデタの阻止において大きな役割を果たしたエリツィンが、ロシア大統領としてソ連解体後の舵取りを行ってきますが、経済の混乱、地方エリートの台頭、チェチェン紛争などによってロシアの政治体制は落ち着きませんでした。

こうした中で、エリツィンによって首相に指名されたプーチンは無名の存在でしたが、チェチェンの分離勢力に対する強い対応などで国民の支持を得て、2000年3月に行われた大統領選挙で勝利します。
その後、プーチンは2008〜12年にかけて大統領職をメドベージェフに譲って首相となるものの、2012年の大統領選挙で勝利し、再び大統領となっています。

ただし、プーチンの任期も盤石だったわけではなく、大統領に返り咲いたときのプーチンの人気は以前ほどではありませんでしたし、2018年の年金改革でも大規模な抗議運動が起きましたし、2012年の野党指導者ナヴァリヌィの逮捕でも大規模な抗議運動が起きました。
こうした支持率の低下を引き上げる役割を果たしたのはウクライナとの戦争です。2014年のクリミア併合とドンバス地域への干渉、2022年の全面侵攻は、ともにプーチン政権の支持率を引き上げました。

ロシアの政治体制は大統領と首相がいる準大統領制に分類されます。
公選で選ばれた大統領と議会に責任を追う内閣が併存しているのが特徴で、ロシアはその中でも首相の解任権限を大統領と議会が持つ「大統領議会制」となります。
この準大統領制はフランスとその旧植民地、そして旧ソ連諸国に多いですが、旧ソ連諸国に多い理由としては共産党支配の構図(日常の業務は閣僚会議に任せ、高度な意思決定は党機構が担う)と準大統領制が似ていることもあるといいます。

エリツィン政権下では大統領と議会の対立が深刻でした。エリツィンはガイダルに首相に「ショック療法」と呼ばれる急進的な経済改革を行わせましたが、この改革への反発もあってガイダルの首相の就任は最高会議が認めませんでした。

1993年の憲法改正で最高会議は廃止され、下院にあたる国家ドゥーマと上院にあたる連邦院がつくられ、国家ドゥーマ優位のシステムとなります。
しかし、国家ドゥーマになっても大統領と議会の対立は続きました。これはエリツィンが政党制の上に立つ存在としての大統領を追求し、大統領与党をつくることに乗り気ではなかったからです。
また、議会も小党が分立しており、党議拘束なども効きにくい状況で、エリツィンは議会での多数派工作ではなく大統領令によって政策を進めていきました。

1993年憲法体制では、大統領はいつでも首相を解任できるために首相は大統領に依存していますが、それでも首相になることで多くのメディアに露出し、人脈なども得られることから、首相を務めることは政治的資源を得ることにつながりました。
チェルノムィルディン、プリマコフらは首相を務めることで政治的影響力を強めましたし、プーチンもエリツィン政権下の首相をステップにして大統領となりました。

プーチンが大統領になると大統領府が強化され、2001年には政権与党の「統一ロシア」がつくられます。
2008年の大統領選では、プーチンは連続3選を禁じた憲法の規定によって出馬せず、メドベージェフが大統領となり、プーチンは首相となります。
この時期、アラブの春でのリビアへの軍事介入をめぐってメドベージェフとプーチンの意見の違いが表面化するなどの緊張関係はありましたが、メドベージェフはプーチンに匹敵するほどの政治的値影響力を持つことはできず、2008年と2020年の憲法改正によってさらに権力を強化したプーチンが大統領として君臨し続けることになりました。
以前のように首相経験者が政治的資源を得て次期大統領を目指すという流れもなくなり、「プーチン以後」は不透明になっています。

エリツィン政権下で民主化は進みましたが、政党はあまり発展しませんでした。共産党の一党支配になれた国民にとって政党にあまりいいイメージはありませんでしたし、刻々と変化する情勢の中で政党のブランドも確立されませんでした。
こうした中でこの空白を埋めたのが知事に率いられた「政治マシーン」です。また、政治化した金融・工業グループも政治的影響力を持っていました。

こうした勢力を支配下におさめたのが統一ロシアです。
プーチンが大統領となって強い支持を得て、また、原油価格の上昇によって連邦政府の財政が豊かになると、地方の知事たちは続々と統一ロシアに入党していきました。2004年には知事が公選制から実質的な任命制に移行したこともあって、プーチンは地方の政治マシーンを統一ロシアの支持装置へと変えていきました(統一ロシアの得票率が低い地方の知事ほど解任されやすかった)。
さらに実業家たちも企業活動で便宜を得るために統一ロシアに入党していきます。
ただし、統一ロシアはあくまでもプーチンを支える装置であって、プーチンは今まで一貫して統一ロシアの党員になってはいません。

ロシアに野党が存在しないわけではなく、共産党は一貫して野党的な立場を取っています。しかし、共産党はプーチン体制と共存する中でさまざまな見返りを得ており、共産党が地方議会などで重要な役職を得ている地域では共産党の組織する抗議運動の数や規模が小さくなるといいます。
政党に関して、ロシアでは全国的な規模を持つ政党しか認められておらず、しかも小政党が集まって選挙ブロックをつくることを禁止しているため、新しい政党が生まれにくくなりました。この要件は2012年に緩和されましたが、これは野党への支持を分散させるためのもので、こうして生まれた政党は「スポイラー政党」と呼ばれています。

選挙に対する干渉も行われており、投票数の改ざん、メディアの操作、立候補者の排除などが行われています。
厄介なのが投票行動の強制で、教員が行政府からの解雇や減給の脅迫のもとに父兄に特定候補への投票を働きかけなければならなかったり、営業許可の打ち切りなどをちらつかせて企業の従業員に投票を強いるといったことが行われているといいます。

ロシアの選挙制度は小選挙区比例代表並立制で行われていましたが、2004年の選挙法の改正で完全比例代表制に変更されました。
一般的に小選挙区制のほうが与党が勝ちやすいとされてますので、この変更は不可解にも思えますが、比例代表制のメリットは議会内での議員の行動をコントロールしやすいことです。
2002年の法改正で地方議会について少なくとも半分は比例代表で選ぶようにしましたが、これも無所属議員を減らして地方議会をコントロールしやすくするためのものでした。
また、2012年には国家ドゥーマを含めてほとんどの選挙が9月の第2週の日曜に行われるようになりましたが、これは夏季休暇中に選挙を行うことで都市部の投票率を下げる狙いがあるとされています。

ロシアの国土は広大で、民族的な多様性もあります。そこで連邦の構成主体として共和国、自治管区、自治州、州・クライ、連邦市という種類があります。
ペレストロイカ期の1990年にロシア共和国が主権宣言を出すと、ロシア国内の自治共和国でも次々と「主権宣言」が出されました。この流れは「主権のパレード」とも呼ばれています。
当時にエリツィンはこうした動きに好意的であり、ロシアの統合に対して大きな遠心力がかかりました。

1991年にソ連が解体されると、改めてロシアとその中の自治共和国などの関係が問題になり、92年3月に連邦条約が結ばれますが、この条約を拒否したのがタタルスタン共和国とチェチェン=イングーシ共和国でした。
このうちタタルスタンは94年にロシアからの分離を否定する見返りとして特権的な地位を得る条約に調印しましたが、独立に動いたチェチェンでは軍事的な紛争になりました。
プーチンは強硬策によってこのチェチェンの分離独立を封じ込めましたが、現在のチェチェンのカディロフ体制は連邦からの離脱を目指さないのと引き換えに例外的に高度な自治権を得ており、共和国政府高官の1/3がカディロフの親戚だという個人支配を生み出しています。

プーチンはエリツィン体制下で進んだ分権化を引き戻しました。各地方と個別に結んだ権限区分条約も次々と廃止し(ただし、天然資源が豊富なタタルスタン共和国との間では条約を再締結)、自動的に上院に議席を持つことができる知事の特権を廃止するなど中央のコントロールを強めました。
2004年には知事公選制を廃止し、知事の任命について大統領がコントロールできるしくみをつくっています。
プーチンは当初は地方エリートを活用する姿勢も見せましたが、徐々に知事の若返りなどを進めるとともに、地方の腐敗のメスをいれるために当該地方でキャリアを積んでいないアウトサイダー知事を増やしています(150p図表25参照)。
このように集権化が進みました、ウクライナ戦争以後、連邦政府が軍事マネジメントに忙殺される中で地方政府の存在感が高まっている状況もあるといいます。

法執行機関についても、エリツィン体制下では警察と検察が給与などの予算を握る地方権力にコントロールされるような形になっており、FSB(連邦保安庁)のみが集権的な構造を維持していました。
プーチンはここでも集権化を進め、内務省、検察、FSBを強化しました。KGB出身のプーチンはこうした部門に人脈を持っており、自らに近い立場の人物で法執行機関(シロヴィキ)を固めていきます。

こうした法執行機関や司法を掌握したプーチンは、反体制派の政治家やオリガルヒを抑圧、排除してきました。
興味深いのは、2008年の金融危機以降、経済状況の悪化によって利権の総量が不足しているために、利権配分の総額を抑えるために後ろ盾のないエリートを司法を使って排除しているという見方です(183−184p)。
プーチン政権はエリートにむしろ汚職を奨励し、甘い汁を吸わせて体制に反抗させないとともに、いざとなったらそれを理由に排除できるようにさせているといいます。
また、野党の反体制的な動きに対しては、完全に押さえ込むのではなく、デモや集会を郊外などの場所や早朝深夜などの時間帯のみ許可することで、参加者の限定を図っています。ただし、ウクライナ戦争後は徹底的な弾圧が行われています。

先ほど、エリツィン政権下で地方への権限委譲が進み、プーチン政権で揺り戻したがあったという話が出ましたが、経済でもエリツィン政権下で国有企業の私有化が進み、プーチン政権でその揺り戻しがありました。
エリツィン政権下の拙速な自由化によってオリガルヒと呼ばれる実業家が誕生しました。彼らはその資金力で政治にも影響を及ぼしましたが、プーチンは彼らを排除していき、石油やガス関連の企業については最国有化ともいうべき動きを進め、コントロール下に置きました。そのため、現在のロシアでは政治と経済の境界は曖昧になっています。

また、このように国有セクターが再び大きくなったことで、中間層の多くが国家に依存する職に就くようになり、中間層がプーチンの権威主義体制を支持するようになっています。
ただし、ロシアの国民の体制指示に関しては、そのかわりに国家が人々の生活の面倒を見るべきだという規範もあり、2018年の年金改革に見られるように、それが果たされないとなると国民から反発が起こることもあります。

第7章の前半では、世論調査からロシア市民の考えを探っています。権威主義国家の世論調査など信頼できないとの考えもありますが、著者は権威主義体制だからこそ市民の考えを知りたがっているはずだとして、一定の信用はあると考えています。
プーチンは就任以来高い支持率を誇っていますが、その要因は秩序を回復、維持する人物としてのイメージです。秩序と民主政はトレードオフではありませんが、ソ連崩壊後に大きな混乱を経験したロシアでは体制の安定を求める人が多くいます。

プーチンの支持の内実は、「他に代わりがいないから」という消極的なものだったのですが、クリミア併合後は強い支持が増えているといいます。
現在のウクライナ戦争において、ロシア国民の半分近くが平和交渉を望んでいますが(285p図表43参照)、同時に占領地への返還を条件にいれるとプーチンによる停戦への支持は半分近くになるという調査もあり、ウクライナ戦争をどう着地させるのかということはプーチン政権にとっても難問であることがわかります。

このように本書はプーチン体制の実態とそれがどのように出来上がってきたのかということを教えてくれます。
本書の終章でも述べられていますが、プーチン体制のスタート時点から今のような権威主義体制だったわけではありません。抑圧と懐柔によって少しずつ権威主義体制がつくられてきたのです。
ロシア政治を知るだけでなく、民主主義の危機を考える上でも有益な本です。

「コーポレートガバナンス」という言葉はよく耳にすると思います。例えば、ジャニーズ事務所やフジテレビの不祥事などでも「コーポレートガバナンスの不全」といったことが言われました。
一方、コーポレートガバナンスという言葉が何を指し示すのかについては、使う人のよって力点がさまざまだったりもします。単純に企業内の統治の問題として使う人もいれば、株主に対する経営陣への規律付けとして用いる人もいます(基本的にはこの用法が正しい)。さらに近年ではESGやSDGsなどと結びつけられて論じられることも多いです。

そんな多義的な「コーポレートガバナンス」について実務家の視点から論じたのが本書です。
著者は同じ岩波新書から『敵対的買収とアクティビスト』を出している人物で、企業法務に詳しい弁護士になります。
「コーポレートガバナンス」の実態についてはやはり難しさも残りますが、類型化・分類するだけではなく、ある制度がどのように機能するのかという点まで踏まえて論じられているのが本書の特徴と言えるでしょう。組織運営の難しさといったことも学べる本だと思います。

目次は以下の通り。
第一章 混迷する「コーポレートガバナンス」論
第二章 コーポレートガバナンスの目的と企業価値
第三章 「良い」コーポレートガバナンスとはどのようなものなのか
第四章 コーポレートガバナンスのための「仕組み」
第五章 コーポレートガバナンス改革の歴史
第六章 「器」としての企業統治機構の設計――米英独仏の場合
第七章 「器」としての企業統治機構の設計――日本の場合
第八章 コーポレートガバナンスの現在地とその行方

まず、本書ではコーポレートガバナンスについて3つの視点から整理しています。
1つ目は企業からの視点で、資本市場と顧客から信頼されるために必要なものです。取締役の監督、情報管理体制、リスク管理体制、コンプライアンス体制などがここに入ります。
2つ目は株主からの視点です。所有と経営の分離が進んでから、経営者をいかにして株主の利益のために行動させるかということが重要なポイントになってきましたが、こうした経営陣の規律付けこそが株主にとってのコーポレートガバナンスの核心になります。
3つ目は従業員・顧客・社会・環境・人権からの視点で、いわゆるESG経営と関連します。サステナビリティ投資、エシカル投資などもここに含まれます。

こうした3つの視点はOECDや日本政府の定めたコーポレートガバナンスの原則にも取り込まれており、本書もコーポレートガバナンスの目的を「従業員、顧客、取引先、債権者、地域社会をはじめとする様々なステークホルダーと適切に協働しつつ、株主に対する受託責任・説明責任を果たし、会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を図ること」(18p)と捉えています。

ここでいう企業価値については、さまざまな測り方があります。本書はそのいくつかを解説してくれていますが、近年重視されるようになってきているのがROE(株主資本利益率)やROIC(投下資本利益率)です。
2014年に出された経済産業省の設置したプロジェクトの報告書・通称「伊藤レポート」では、最低限8%のROEを目指すべきだと指摘されています。レポートでは、8%の根拠として国内機関投資家が日本株に期待している「株式の資本コスト」が平均6.3%、海外機関投資家のそれが7.2%であって、8%を上回れば、まずそれらの期待に応えられると考えられるからです。
投資家の期待から算出されているように、この8%という数字に強い根拠があるわけではないのですが、とりあえず経営陣が資本生産性を意識できているかの指標のような形で使われています。

コーポレートガバナンスの基本は経営者を株主の利益のために行動させることですが、株主が一枚岩であるとは限りません。
株主といっても、長期的な利益を追求する株主と、短期的な利益を追求するアクティビストなどではその利益にズレが生じる場合があります。例えば、短期的利益を追求するために利益の大部分を株主に還元すれば長期的な成長力が失われる可能性があります。
「株主の利益」と言ってもそれが同じ内容を指すとは限らないわけです。

企業価値がROEやROICなどで測れたとしても、その数字が良ければ「良いコーポレートガバナンス」が行われているというわけではありません。
ステークホルダーの利益、環境や人権、一般株主への配慮なども「良いコーポレートガバナンス」の条件だと考えられています。

そのうえで本書は「守りのガバナンス」と「攻めのガバナンス」という2つの見方を提示しています。
「守りのガバナンス」は、いわゆる不祥事を起こさないようにする体制づくりであり、内部統制システムをしっかりとさせることです。こうした内部統制については企業不祥事のたびに新たな制度が導入され強化されてきました。
一方。「攻めのガバナンス」は企業価値を上げていくことです。そのためには守り一辺倒ではなく、適切なリスクを取ってリターンを上げていくことが必要になります。

コーポレートガバナンスは重要だとされていますが、そういったことをほとんど意識していないようなワンマン経営者に率いられた企業のほうが企業価値を上げられるのではないかという考えもあるでしょう。アメリカのテスラ、日本のユニクロや日本電産(ニデック)などはそういった企業と言えるかもしれません。
しかし、創業者の一族から常に優秀な経営者が輩出されるという保証はないですし、優秀な経営者が優秀な後継者を常に選べるわけではありません。

いわゆるGAFAMのコーポレートガバナンスの体制はそれほど良いものとは言えず(Google(アルファベット)やFacebook(メタ)は創業者らが特別な議決権を持つ株を持っており、世界的な議決権行使助言会社のISSのランク付けでは最低ランク)、企業の成功には良きコーポレートガバナンスが必須というわけではないかもしれませんが、ジョンソン&ジョンソンのようにコーポレートガバナンスが良い企業は安定的に評価されています。

前にも述べたように、コーポレートガバナンスの基本は経営者が株主のために行動するように規律付けすることですが、ここでポイントになるのが取締役会です。
取締役会が、「株主総会に代わって意思決定を行う」というやり方をを「マネジメント・モデル」、「株主総会に代わって経営者による業務執行を監督する」というやり方を「モニタリング・モデル」といいます。
現在に世界的な流れは後者のモニタリング・モデルであり、日本における商法昭和56年改正が目指したのもこのモデルです。
このモニタリング・モデルにはアメリカのように株主総会が直接取締役会を監督する一層制ボードとドイツのように株主総会と取締役会の間に監査役会を挟む二層制のボードがあります。

モニタリング・モデルで重要な役割を果たすのが独立社外取締役です。
取締役を意思決定する人と捉えるならば社内の事情に詳しくない社外取締役は補助的な立場にならざるを得ないですが、経営者の業務執行を監督するためには日々執行業務にあたっている社内の取締役は適当ではありません。
そこでモニタリング・モデルを採用している国では取締役の一定数を社外取締役にすることを求めているのです。

また、コーポレートガバナンスについては、近年では法律で最低限の基準を定め、より高いハードルに関しては証券取引所の上場規則やガイドラインなどで定めることが多くなっています。
こうしたものを法律(ハード・ロー)にたいしてソフト・ローと言いますが、近年ではこうしたソフト・ローによってコーポレートガバナンスが発展しています。

第5章は「コーポレートガバナンス改革の歴史」と題され、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の歴史がとり上げられていますが、ここでは日本のところだけを簡単に書いておきます。

日本の商法はドイツ人のロエスレルによって起草されましたが、そこにはフランス法やイギリス法の要素も入っていたと言います。
第2次世界大戦後になると、日本の会社法制はアメリカの会社法の影響を強く受けるようになり、「所有と経営の分離」の観点から会社を代表して業務を執行する代表取締役とそれを監督する取締役会制度が創設されます。
しかし、日本でアメリカ流のモニタリング・モデルが普及したわけではなく、監査役による取締役のチェックという形でガバナンス体制が構築されていきます。また、日本のメインバンク制も経営者の監督する柱の1つでした。

コーポレートガバナンスをめぐる仕組みには各国ごとの特徴がありますが、グローバル化が進展する中で、アメリカ型の一層制のモニタリング・モデルがグローバル・スタンダードとなりつつあります。
アメリカでは会社法は州ごとに制定されており、企業はその州の法律が気に入らばければ登記を別の州に移すことができます。そのために、経営陣にとって有利な州に登記されることが多く、米国上場会社の過半数が準拠法としてデラウェア州一般会社法を選んでいます。
しかし、2024年にはテスラのイーロン・マスクが自らの巨額報酬を無効とされたことに激昂し、スペースXの本店登記をデラウェアからテキサスに移すなど、より「緩い」州が選ばれる「底辺への競争」も起きています。

こうした緩い法律を補完しているのがNYSEやNASDAQの上場規則などになります。
NYSEの上場会社には全員が独立社外取締役からなる指名委員会の設置が義務付けられており、取締役の選定または推薦、取締役の監督などを行うことになっています。

では、日本はどうなっているかというと、日本はアメリカとは違い大陸法系の諸国に属するために、基本的には会社法によって上場会社を含めたコーポレートガバナンスを規律付けるものとされてきました。
ただし、経済社会の変化が速くなってきたことから、近年ではソフト・ローも活用されるようになっています。

日本では、もともとマネジメント・モデルに立脚した設計である「監査役会設置会社」、モニタリング・モデルに基づいた「指名委員会等設置会社」、マネジメント・モデルとモニタリング・モデルの折衷型である「監査等委員会設置会社」という3つの類型の中から、任意に選ぶことができる「選択型」をとっています。
3つの選択肢がある国は珍しく、日本以外だと主要行ではイタリアとポルトガルくらいだそうです。
さらに実態を見ると、上場企業でも18の類型に分けられており(194−195p表7−1参照、この表では実際の企業名も入っており詳しく知りたい人には便利)、相当複雑なものとなっています。

「監査役会設置会社」は日本の会社の伝統的なモデルで、取締役の業務執行のモニタリングを人事権や報酬決定権を持たない監査役がすることになっています。東証に上場している企業の55%ほどがこのスタイルであり、トヨタ、三井物産、パナソニック、セブン&アイなどもこのスタイルです。
このスタイルですと、取締役会は監督機関としての側面と業務執行者の集団としての側面を併せ持つために、近年では執行役員を任命してこれに一定の裁量を与えるやり方が広がっています。

「指名委員会等設置会社」は平成14年商法によって導入されたスタイルで、ソニー、オリックス、日立製作所などがこのスタイルを採用していますが、上場企業に占める割合は約2.5%にとどまっています。
このスタイルは見た目はアメリカのスタイルに近いのですが、日本では指名委員会の決定を取締役会が覆せない仕組みになっており、社長が指名委員会を「お友達」で固めてしまうと、取締役の多数が社長を解任しようとしても解任できない状況に陥る可能性があります。
こうしたことがこのスタイルの採用が増えない一因と考えられています。

「監査等委員会設置会社」はを採用しているのは、日本製鉄、三菱重工、JR東日本などで(全体の42%ほど)、モニタリング・モデルを取りつつ、マネジメント・モデルの特質も残しています。
このスタイルでは、重要な業務執行に関する決定を一定の条件のもとで大幅に取締役に委任することが可能になっており、これによって取締役会の監督機関としての側面を強めています。
折衷的なスタイルではありますが、それが故に使いやすさもあるようで、近年はこのスタイルを取る企業が増えています。

1950〜60年代のアメリカでは、取締役会の主な機能は監督ではなく、主に執行側への助言に主眼が置かれていました。取締役は経営者と親しい弁護士や銀行家などによって占められており、「アドバイザリー・ボード」と呼ばれるモデルでした。
一方、日本では取締役会に社外取締役が加わることは稀で、基本的に社内の業務執行取締によって構成されていました。いわゆる「マネジメント・ボード」と呼ばれるものです。
21世紀に入ると、日本でも社外取締役が増え始め、米国の上場企業において一般的なアドバイザリー・ボードに移行してきたと言えます。
一方、その間にアメリカでは企業不祥事などを受けて取締役会の重点が監督に移り、「モニタリング・ボード」と呼ばれる形になってきています。
取締役会の任務は経営陣の経営方針を審議・承認し、その進捗に応じて評価して、経営陣の人事や報酬を決定することであり、これが「監督」の中核になっています。
一方、日本では取締役の報酬は「指名委員会等設置会社」を除けば株主総会が決めることになっており、取締役の個々の報酬は代表取締役社長や会長に一任されているのが普通でした。これに対しては令和元年の会社法改正で修正が図られています。

経営陣の報酬を企業の業績と連動させて変化させることが広まりましたが、その副作用として、経営陣が粉飾決算をする、不正によって株価を吊り上げるといった問題も起こっています。
また、同じ株主でも、短期的な利益を追求するアクティビストと長期的な保有をする株主では、求める利益がずれることがあり、短期的な利益だけを求めるやり方に一定の歯止めをかけることも必要になっています。
そのため、近年ではサステナビリティという概念が重視されるようになっており、EUを中心にそのための情報の開示なども進んでいます。

近年では、日本でもアクティビストを取締役に迎える動きがありますが、こうなると短期的な利益を追求するアクティビストと長期的な保有をする株主の間の対立(「水平的エージェンシー問題」)が深刻化する可能性もあります。
こうした状況の中で、著者は最後に独立社外取締役の役割について指摘しています。日本ではどうしても「ご意見番」的なイメージが強いですが、会社の中長期的な利益も見ながら経営陣を監督し、経営陣が失敗した場合は自らも責任を取るような覚悟が求められるといいます。

正直、法律を学んでいたわけでも会社経営に携わっているわけではないのでなかなか難しい部分もあり、このまとめもズレている部分があるのではないかと思いますが、実務に精通している人物が書いているだけあって、法律や制度がなぜ変わってきたのかという部分についてはわかりやすかったと思います。
中学や高校の授業では「最高意思決定機関は株主総会で、普段の経営は取締役会に任せている」といった説明をしてしまうこともありますが、この説明が近年のグローバル企業の説明としては「古い」こともわかりました。
「コーポレートガバナンス」というわかっているようでいて実はわかってない言葉の内実を知ることができる本です。


副題は「反エリートの現代政治」、2016年の「ブレクシット」(日本では一般的に「ブレグジット」と表記するが発音的にはブレクシットのほうが近いとのこと)に見られるように、イギリスでは「反エリート」の風が吹いてきたわけですが(本書では「ポピュリズム」という言葉はおそらく使われていない)、その源流はどこにあって、どうやって大きくなったのかということを語った本になります。
近藤康史『分解するイギリス』(ちくま新書)が制度の面からブレクシットを分析した本だとすると、本書は有権者の行動や判断からブレクシットに迫ったものだと言えるでしょう。
基本的な分析は2019年の総選挙で終わっているので、その後のイギリス政治の展開についてもう少しフォローがほしいところではありますが、イギリス政治、そしてイギリスだけではなく世界各国で起こっている既成政党の支持基盤の崩壊を考える上で参考になる1冊となっています。

目次は以下の通り。
序 章 「エリート」vs.「普通の人々」という対立
第1章 「リベラルの時代」の終焉
第2章 下からの反乱──経済的な対立の再燃
第3章 地方からの反乱──新たな対立軸の浮上
終 章 イギリスはわかりあえるか?

序章のタイトルにある「エリート」vs.「普通の人々」というのは、ポピュリズムの定義などにも出てくる図式ですが(ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』でもミュデ+カルトワッセル『ポピュリズム』でもこのような定義がされている)、本書の場合、エリートを基本的には「ロンドンのエリート」と表記し、ロンドンと地方の地域対立を強調しているのが1つの特徴になります。

イギリス政治についての多くの分析が、ブレア労働党の中道化を現在に至る政治の1つの出発点としていますが、それは本書も同じです。
ブレアの労働党は労働組合などの影響力を弱めつつ、今まで保守党を支持してきた大都市の中高所得ホワイトカラーを捕まえる戦略を打ち出しました。そして1997年の総選挙で圧勝し18年ぶりに政権を奪還します。
ブレアは社会政策に力を入れるとともに、その財源として都市の経済成長に期待しました。都市政策を担当する環境交通地域省を設立し、担当大臣に政権No.2のジョン・プレスコットを据えました。
ロンドンでの再開発が進むとともに、「クールブリタニア」などのキャッチフレーズが打ち出され、ダイバーシティが重視されました。

しかし、21世紀に入ると、地方の工業都市などで暴動が発生するようになります。
国の経済としては好調でしたが、好調な大都市と疲弊する地方の差が目立つようになり、その地方の不満が噴出するようになったのです。
また、多様性の尊重はアイデンティティの問題を政治に呼び込みましたが、これはイスラム系住民の問題などを浮上させることになりました。
小選挙区のイギリスにおいてアイデンティティ政治は抑え込まれていましたが、2002年の統一地方選では人種・民族的な排斥を主張したBNP(イギリス国民党)が注目を集めることになります。

基本的にアジア系の移民(インド系、パキスタン系、バングラデシュ系)は労働党を支持する傾向にありましたが、それを揺るがしたのがブレア政権によるイラク派兵です。これによってパキスタン系などがの支持が自民党に流出することとなりました。

イギリスという国は地図上で北東から南西へ斜めに線を引いたところで大きく2つに分かれるといいます。線の北西側にはマンチェスター、リバプール、バーミンガム、カーディフなどの産業革命以来の工業都市などがあり、一方、線の南東側はロンドンに近いものの、農牧業のイメージが強いです。
この南部では労働者の存在感が希薄で、労働党の支持基盤が弱いために保守党と自民党が争う地域になっていました。

00年代に入ると、こうした南部の農村地域でブレア政権に対する不満が高まってきます。労働党は農業政策などが強くなく、また、地方における店舗の閉鎖、公共交通機関の縮小といった問題にもうまく対応できませんでした。
また、農村における「イギリスらしさ」の危機といったものも語られるようになります。

こうした農村部に入り込んだのがUKIP(イギリス独立党)です。UKIPは農村やイギリスの自画像の危機といったものを背景に、イングランドの東部、南部で支持を伸ばします。
UKIPは農村や漁村の中間層から支持を得て、次第に大都市の郊外などの地方議会でも議席を獲得していくようになります。
UKIPといえば反EUですが、当初の支持は反EUというよりは反ブレア政権が中心でした。

労働党が政権を維持し続けるなかかで、保守党は2005年に当時39歳のキャメロンを党首に選出することで、大都市の新中間層の支持の獲得に動きます。
キャメロンは環境やジェンダーについて「リベラルさ(寛容さ)」を打ち出し、「人種カード」を封印し、「移民」や「法秩序」に強い党といったイメージも抑えました。
キャメロンは党を全体的にブレア労働党に接近させ、「ブレアの後継者」とも言われました。

2007年に10年首相を務めたブレアが勇退し、後任はブラウンとなります。ブラウンはブレア政権の中心人物であり、労働党はブレア路線の継続を選択しました。
しかし、ブラウン首相が就任した07年にはイギリスの金融システムが不安定となり、そのまま世界的な金融危機に巻き込まれていきます。
これが2010年の総選挙での政権交代、キャメロン政権の誕生へつながっていくのですが、その前の2009年の欧州議会選挙で存在感を見せたのがUKIPです。UKIPは保守党につぎ、労働党と並ぶ13議席を獲得しました。
UKIPは党首ナイジェル・ファラージの気さくな人物像をアピールし、「人種差別のないBNP」というイメージを広めていきました。UKIPは農村だけではなく、鉱工業地帯にも浸透していき、ブレア労働党についていけなかった労働者の受け皿となっていきます。

2010年の総選挙では保守党が第一党になったものの議席は過半数に届かず、自民党との連立政権となりました。連立政権の協議の過程では、経済、特に財政緊縮策については保守党の考えが取り入れられ、下院に優先順位付き投票を導入するかの国民投票の実施、政府による裁量的解散権の制約などについて自民党の要望が通りました。

キャメロン政権ではオズボーン財務省のもとで強力な緊縮政策が推し進められ、自治体サービスなどが大きく削減されました。この影響は公的部門の割合が高い地方で特に深刻となります。
こうした緊縮策に抗議の声を上げたのは、授業料値上げや奨学金の削減に直面した学生でした。2010年の秋以降には学生デモが激しくなり、労働組合のデモなどもさかんになります。
こうした中で、「エリート」批判も強くなり、これがジェレミー・コービンのようなカウンターエリートへの支持へとつながっていきます。

2012年3月のブラッドフォードの下院補選では、労働党の地盤であった選挙区で、かつてその過激な反戦主義から労働党を追い出されたギャロウェーがレスペクト党から立候補し勝利するという番狂わせを演じます。
二大政党への不人気に加え、今まで不満の受け皿となっていた自民党が政権入りしたことで、それ以外の新興政党に票が流れるようになったのです。
その後も、UKIPが北部の補選で二大政党の一角を崩して2位に食い込むようになるなど、地方での新興政党の慎重が続きます。
特にUKIPは2013年の統一地方選挙で躍進すると、UKIPは「反大都市連合」の様相を見せるようになっていきます。

スコットランドではSNPが躍進し、これが2014年のスコットランド独立を問う住民投票への実施へとつながっていきます。当初はイギリス残留派が大差で勝つと思われていましたが、独立派が思わぬ伸びを見せ、この住民投票をきっかけにグラスゴーなどの大都市でも労働党に代わってSNPが支持されるようになります。

2015年の総選挙では保守党が過半数を確保する一方で、自民党は57議席から8議席へと激減させ、労働党も前回議席を下回りました。
労働党はスコットランドで議席を失い、その支持は大都市や中核都市に集中するようになっていきます。
こうした中で、ジェレミー・コービンが党首に選ばれました。コービンは非主流派であり、「都市社会主義」の申し子でもありました。コービンの支持層は急進的であり、「オールドレーバー」である組織労働者とは温度差がありました。

二大政党が有権者の心をつかめなくなっていたことを端的に表したのが2016年のEU離脱をめぐる国民投票です。
キャメロンはUKIPの台頭と、保守党内部にくすぶる反EU意識を抑え込むために国民投票へと動くのですが、これが取り返しのつかない墓穴を掘ることになります。
EUの農業政策・漁業政策に不満のある農村・漁村、ロンドン近郊の下町地域など、反EUが強い地域はもともとありましたが、農漁村以外の地方に住む人々が離脱に大きく動いたのが予想外の結果をもたらしました。
その中心は、ブレア期に労働党から離れた組織労働者などで、彼らはそれほど強い反EU志向を持っていたわけではありませんでしたが、ロンドンのエリートへの反発、特に政府から発せられる経済的な脅し(離脱したら福祉が一層切り詰められる)に反発し、離脱へ投票したと分析されています。

キャメロンは辞任し、メイが後継首相となりました。メイはオズボーンの緊縮路線、大都市中心の路線を修正し、地方にも目を向けた政策を行おうとします。
しかし、メイは勝負のタイミングを間違いました。2017年、労働党内部の混乱から保守党有利の声が上がる中、メイは解散を否定しつつ、結局は解散に踏み切り、その混乱もあって保守党は議席を減らしました。

この選挙の敗北の結果、メイ政権のEU離脱交渉は混迷を深めます。労働党でもコービンらの離脱容認派と離脱反対派で割れ、保守・労働党ともに党の一体性は失われました。
こうした混乱を打破するために行われた2019年の総選挙でボリス・ジョンソン率いる保守党が大勝します。イングランドの北部・中部の労働党の伝統的な地盤が保守党の手にわたり、労働党は歴史的な敗北を喫しました。
コービンはEU離脱を争点にせずにあくまでも社会問題を訴えましたが、これは北部・中部の労働者たちには響きませんでした。

一方、保守党についてはサッチャー以来地域的な「南高北低」の傾向が「農高都低」を含みながら強化されてきていましたが、2017年頃から北部で労働党から議席を奪取するようになり、19年の総選挙では一気に北部に勢力を広げました。
キャメロンはEU離脱の国民投票によって、離脱派を保守党に取り込もうとしたのですが、それは保守党への支持ということについては成功したと言えます。

イギリスの政治は基本的に「階級」を対立軸として展開してきましたが、これが徐々に「大都市vs.地方」という図式に変質していき、2019年の総選挙で完成したというのが本書の見立ててです。
その後のイギリス政治の展開については本書では簡単にフォローされてます。
2024年の総選挙では労働党が大勝し保守党が大敗しましたが、同時に自民党が72議席と全身の自由党を含めると1935年来の議席数を獲得し、ファラージ率いるリフォームUKが5議席、グリーンも4議席獲得しました。
労働党の得票率が大きく伸びたわけでなく、保守党が労働党だけでなく自民党やリフォームUKに票を奪われたことが議席数に反映されました。
19年の総選挙では労働党の北部・中部の地盤が崩壊しましたが、24年の総選挙では保守党の南部・西部での地盤が崩壊しました。
24年の総選挙を経て労働党の中道よりのスターマー政権が誕生したものの、それは決して安定した地盤に支えられたものではないのです。

最初にも述べたように、もう少し最近の情勢も分析してほしい気持ちもありますが、既存の安定した政党の支持構造がいかに崩れていったのかを示した本書は今後の日本の政治を見ていくうえでも参考になるものです。
イギリスの今を詳述していないとしても、日本でも既成政党の足腰が弱っている中でタイムリーな2冊と言えるかもしれません。


「本屋が減ってきている」、「書籍の流通が危機に瀕している」といったことをさんざん聞くようになった今日このごろですが、なぜそうなったのかを、出版流通の構造と歴史から読み解いた本になります。
マンガ喫茶、ブックオフ、Amazon、公共図書館の複本購入、スマホなど、書店経営の悪化の犯人探しはずっと行われてきましたが、本書を読むとそもそも書店の経営が苦しいのは昔からで、書店経営が構造的な問題を抱え、その構造の改革に失敗し続けてきたことがわかります。
再販制のもとでの書店のマージンの低さ、取次が勝手に本を送ってくる見計らい配本、客注に対する反応の遅さなど、書店経営の問題点についてはいろいろと言われてきましたが、本書の強みはそれが総合的に分析されている点です。
また、コンビニやAmazonだけでなく、鉄道弘済会やTRC(図書館流通センター)などの「隠れた」書店のライバルにも目を配っており、今まで知らなかった部分を知れる本でもあります。
書店経営と出版流通の問題を考える上で基本図書となる1冊でしょう。

目次は以下の通り。

まえがき
第一章 日本の新刊書店のビジネスモデル
コラム1 本屋の動向と読書の動向は必ずしも一致しない
第二章 日本の出版流通の特徴
コラム2 書店の注文・取引方法あれこれ
第三章 闘争する「町の本屋」――運賃負担・正味・新規参入者との戦い
コラム3 見計らいの重視、予約と客注の軽視
第四章 本の定価販売をめぐる公正取引委員会との攻防
コラム4 返品条件付販売への切り替えはいつ起こり、いつ委託ではないと認識されたのか
第五章 外商(外売)
コラム5 取次からの請求への書店の入金率の変化と返品入帳問題
第六章 兼業書店
コラム6 信認金制度
第七章 スタンドと鉄道会社系書店
コラム7 出版物のPOSの精度を高めるのはなぜむずかしいのか
第八章 コンビニエンス・ストア
コラム8 書籍の客注と新刊予約注文の歴史
第九章 書店の多店舗化・大型化
コラム9 共同倉庫構想の挫折史
第十章 図書館、TRC(図書館流通センター)
コラム10「送料無料」と景表法規制
第十一章 ネット書店
コラム11 2020年代の「指定配本」の増加
終章
あとがき

まず、書店経営の大きな特徴として価格決定権がないことがあります。飲食店であれば、売上をアップさせるには客の回転数を上げるか、客単価を上げるかという2つの選択肢がありますが、書店の場合、価格を上げられないので、とにかく客数を増やして買ってもらうしかありません。
本を売ったときのマージン(正味)は基本的に定価の22%前後であり、他の小売と比べても小売の取り分としては少ないですし、アメリカの小売の取り分30〜50%や、フランスの書店と流通業者で51%という取り分(24p)に比べても少ないです。
日本の出版社は原価率35〜38%を目安に定価を設定している一方、アメリカは原価率20%台で定価を設定しているとも言われ、日本の書店の客単価は上がりにくくなっています。

このマージンの低さと本の価格の安さは、それぞれ返品可能な委託販売と再販価格維持制度があるからだということになります。
ただし、第2章で詳述されているように、現在の書籍の販売は「返品条件付販売」で委託販売ではないといいます(書店に本が入荷すると本の所有権は書店に移ることになる)。また、再販制と本の価格の関係も実は単純なものではないということが本書を読み進めると見えてきます。

書籍と雑誌が一体で流通していることが他の国と比べたときの日本の特徴になります。
海外では雑誌は定期購読や駅のスタンド、ドラッグストアなどが主な販売ルートですが、日本では書店の売り場の多くを雑誌が占めています。日本の書籍の流通は雑誌の流通に乗っかる形で進化してきました。

他にも流通において取次が中心にいること。取次から書店に対して「見計らい配本」と呼ばれる形で勝手に本を送りつけてくることも日本ならではの特徴です。これによって、書店は月々の仕入れ金額が把握できなくなっていきました。
POSシステムが導入されたものの、新刊が売れる→児童発注→売れない→返品を繰り返すことになり、流通の無駄が膨らみました(本はその他の商品と違って、1度その商品(書籍)を買った消費者はその商品(書籍)を基本的に二度と買わないという特質がある)。

「インフレによって出版社は印刷コストの上昇、取次は運賃や郵便料金などの物流・輸送コストの上昇、書店は人件費上昇による人手不足に見舞われ、書店団体が雇用難対策として書店のマージンアップと書籍・雑誌価格の値上げを要望した」(67p)と『出版年鑑』に書かれたのは、最近の話ではなく1960年のことです。
このころからすでに書店経営はラクではなく、書店のマージンは小さく。コストの上昇をうまく価格に上乗せできない状態でした。

こうした状況に対して、書店は日書連(日本書店商業組合連合会)を通じて正味の引き下げ(書店の取り分アップ)を目指して運動します。
特に1972年のストライキを含む日書連のマージン獲得運動は「ブック戦争」として報じられましたが、公正取引委員会からは「独禁法で禁止されているカルテル行為」だと注意を受けました。
79年には公取から事業者団体が横並びで価格や取引条件を決めることは違法であるとの指針が示され、日書連の運動は挫折します。これ以降、書店団体が横並びで条件闘争を行うことはできなくなり、書店の取り分は約22%で固定化されていくことになります。
これ以降、町の書店は取次や出版に対する条件闘争ではなく、割引販売をする事業者や雑誌の販売日を守らない事業者への批判を強めるようになり、また、大型書店の出店に反対するなど(八重洲ブックセンターについても売り場面積の縮小を求めて実現させた)、自分たちの売上を守るために動いていくことになります。

第4章で書かれていますが、著作物再販制が導入された経緯というのはいまいちはっきりしておらず、「文化を守る」といった理由は後になってから言われ始めたようです。
戦前にも本を定価で販売させる動きはありましたが、これは書店同士の「横」のカルテルによって成り立っていました、一方、戦後の再販制では、メーカーである出版社は書店に販売価格を守らせる「縦」の関係になります。
70年代前半までは日用品にも再販制が適用されていましたが、消費者からの反発などもあって対象は徐々に縮小され、1997年に医薬品・化粧品の再販制が全廃となりました。
公取は再販制自体を廃止したい意向をもっていましたが、出版・書店業界の抵抗もあって書籍の再販制は維持されています。
ただ、この再販制が常に出版・書店業界の味方になってきたかというとそうではなく、オイルショック後に医学書などの専門書が値上げされると、批判的な報道や国会質疑が起こり、これをもとに公取が調査に入りました。
この時期に公取が書籍の値上げに否定的なスタンスだったこともあり、出版社は値上げではなく、安い本をたくさん売るというビジネススタイルを模索することになります。
文庫・新書・雑誌・マンガといった低価格本が主力となっていきますが、大量発行は大量の返品も伴うことになりました。

第5章では書店の外商がとり上げられています。かつては百科事典や全集の訪問販売などがさかんでしたし(必ずしもそれを書店がになっていたわけではないが)、週刊誌を宅配するなどの個人宅への外商が行われていました。
しかし、人件費の高騰と書店のマージンの低さから外商のための従業員を雇うことは難しくなり、80〜90年代にかけて書店の外商はその存在感を失っていくことになります。

第6章のテーマは兼業です。近年ではカフェ併設の書店が増え、また大規模書店でも文具や雑貨の販売などに力を入れており、「これからは兼業」といったことが言われていますが、実は1950年代から書店経営の雑誌では、文具や運動具、映画スターの写真の販売などが推奨されていました。

80年代以降増えていったのが、ビデオ、DVD、CDなどのレンタルを併設した書店です。
書店の粗利率は平均21.5%でしたが、レンタル導入書店では40%にまでなったといい、レンタルで訪れた客が書籍をついで買いしてくれたこともあって、郊外を中心にこの形態の店が増えました。また、利益の中心はレンタルだったこともあって、書籍販売では利益を上げられなくてもかまわないと割り切る経営者もいました。
こうした書店は日書連などには加盟しておらず、「町の本屋」からすると、自分たちの売上を奪っていく「アウトサイダー書店」(165p)でした。
しかし、こうしたレンタル併設店は2010年代になると、Netflixの登場などもあって急速に衰えていくことになります。

第7章は駅のスタンドと鉄道会社系書店について。自分なんかは「町の本屋」というときに啓文堂(京王電鉄系の書店)とかをイメージしてしまうわけですが、本書を見ると、こうした鉄道会社系の書店は町の本屋の「敵」だったことがわかります。

もともと駅のスタンドの本や雑誌の売上は大きく、鉄道弘済会の経営するキヨスクは1985年まで紀伊国屋書店を抜いて売上金額1位でした。売上の中心は雑誌、文庫、新書、ノベルズなどでしたが、コンビニの増加とともにシェアを落としていくことになります。
町の本屋との関係で問題となったのが、スタンドでの雑誌の「早売り」(発売日前に売り始めること)でした。書店側は話し合いを持つだけでなく、反対集会やデモ、さらには早売り店に押しかけて抗議することなどによって、70年代半ばには早売りをやめさせています。

啓文堂に代表されるような私鉄系の書店は、ビジネスとしては旨味のあるものではありませんでしたが、利用者のアンケートで駅前・駅構内にほしいものを聞くと書店が上位にあがることもあって、2000年頃までは出店がつづきます。
現在では啓文堂が紀伊國屋書店に譲渡されることが決まったように、鉄道系の書店もその数を減らしています。

第8章はコンビニです。コンビニも町の本屋にとっては雑誌の売上を奪っていく敵であり、特に雑誌の早売りをめぐって対立しました。
コンビニも鉄道系書店と同じように、書籍販売を一種の人寄せと考えており、必ずしも書籍で利益を上げようとは考えていませんでした。また、1つ1つの店舗は小さくても全体としては巨大な存在であり、80年代前半、セブンイレブンの雑誌の正味は書店よりも1よい76掛だったといいます。

コンビニへの配送が優先され、書店への配送が遅れているとの声も起こり、日書連はセブンイレブンとの話し合いで書店との別輸送化に合意します。
しかし、別輸送化によってコンビニへは深夜または未明に雑誌が配送されるようになり、コンビニでの雑誌の早売りが常態化しました。
94年になって、ようやくジャンプ、マガジン、サンデーの発売を発売日の午前5時以降とする協定が結ばれますが、書店の開店前にコンビニで週刊誌が売られる状態は継続することになります。
その後、2010年代になると、コンビニが「街の本屋さん」を名乗って書籍販売に力を入れますが、それほど成功しないままに終わっています。

第9章は書店の多店舗化、大型化の動き。90年代に大店法による既成が緩和されると、都市部に次々と大型店が出店し、97年には書店の店舗数が約2.2万となりピークを迎えました。
客注への反応が遅い中、人々は欲しい本が明確なときは大型店に出向くようになりました。しかし、2010年代になると、こうした大型店の経営も苦しくなります。

第10章は図書館とTRC(図書館流通センター)です。
日本の出版業界は基本的にサービスが悪いと感じられることが多いですが、個人的に「サービスがいい」と感じられた例外的存在がTRCです。学校の図書館を手伝っていた時がありましたが、TRCに注文するとすべての装備ができた状態で送ってきますし、送ってくるタイミングも比較的早いです。また、UIはともかくとして本についてのデータもダウンロードすることができ、TRCがなかったら学校の図書館は回らないなと思わせます。

そんなTRCは書店、出版流通への不満から生まれています。
図書館からすると、地元の書店には図書館が必要とするような専門書や年鑑などがないため注文出すことになりますが、届くのは書店から客注を出して1ヶ月、あるいは「品切れ」とわかる、全集が歯抜けの状態で送られてくるといったことがありました。図書館の予算は年度単位であり、年度内に計画通りに本が買えなければ困るのですが、出版流通はそれに応えるものではなかったのです。

こうした中で1979年にTRCが設立されます。TRCは図書館側からの注文を見越してあらかじめ在庫を持つことで迅速な発送を可能にし、現品見本を持って図書館を回るとともに、フィルムコート、背ラベル、バーコードなどの装備が終わった状態で図書館に本を届け、しかも、その装備費用を負担しました。
さらに書籍のデータベースであるMARCを提供し、町の本屋から図書館という顧客を奪っていきます。

装備費用は本の定価の17〜19%と言われ、一般的な書店のマージンが22%前後なので、装備を無料で請け負えばほとんど利益は出ません。TRCは出版社との直取引、MARCデータの販売によって利益を捻出していると考えられます。
日書連は無料での装備を不当な値引き販売だとして批判しますが、結局はTRCが便利だということでシェアを奪われていきます。学校図書館について、日書連は日書連MARCをつくってTRCに対抗しますが、完成度はTRCのMARCに及びませんでしたし、TRCはMARCを学校には無料で提供するなどして学校現場に食い込みました。

なお、本章では図書館の複本所有の貸出によって売上が減るのは1部の大ベストセラー作家だけであること、公立図書館が直営から指定管理者に任されるようになるのは、利用者から開館日と開館時間を長くしてほしい要望があるからだということが指摘されています。

第11章はネット書店について。ネット書店といえば何といってもAmazonですが、Amazonの日本上陸は2000年で最後発といってもいいものであり、当初は成功しないと言われていました。
95年頃から日本でもネットで本を販売する動きが見られるようになりますが、ネックとなったのは書誌のデータベースでした。出版社がデータを登録する習慣もなく、フォーマットもバラバラで、書誌データベースの構築が課題でした。
そのせいもあって96年に生まれた紀伊国屋BookWebも、入会には1500円が必要で、入会しないと書誌データを見られない仕組みになっていました。
2000年にはTRCなどによってbk1が設立されます。配送システムなどにも力を入れ、また、著名人による書評を揃えたことも特徴でした。
同年、Amazonも日本での本の販売を開始します。Amazonも雑誌の書評の再録や著者インタビューなどを載せましたが、次第にユーザーのカスタマーレビュー中心になっていきます。
そして、Amazonの拡大を支えたのが送料無料でした。書店のマージンからして送料無料では儲からないはずですが、Amazonでは書籍が入荷から平均18日後で売れ、その2日後にクレジットカード会社から入金がある一方で、支払いは53日後で、手元現金は入ってくる仕組みになっていました。
このキャッシュで持ってAmazonは自前の物流センターを整備していき、配送効率を高めていきました。Amazon上陸から3年程度で勝負はつき、ネット書店の最大手の座を不動のものとしました。
Amazonは徹底したデータ分析によって「いつ出荷できるのか」ということを明確にし、出版社にデータを登録させる仕組みを作り、巨大物流センターを作り、書籍の正味引き下げを実現しました。
これらは日本の書籍流通の長年の課題でしたが、この課題を乗り越えることができたのが外資のAmazonだったのです。

日本の出版流通業界は本来ならば70年代に出版物の価格を値上げして書店のマージンを引き上げるべきでしたが、公取の介入などもあって薄利多売路線に舵を切ります。雑誌が好調なときは雑誌の流通を利用する形でこの薄利多売路線が成り立ちましたが、雑誌の売上が激減したことで、構造的な問題点があらわになっているのです。

冒頭にも述べたように、本書は「Amazonが〜」「スマホが〜」でもない書店経営の構造的な問題を明らかにしています。
語られるべき論点はまだあるのかもしれませんが、とりあえずは本書が書店経営の今後を語るうえでの出発点、基本図書となるのではないでしょうか。書店好き、本好きに広くお薦めしたい本ですね。


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名前:山下ゆ
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「西東京日記 IN はてな」で。
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