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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2023年02月

「新興国の経済成長によって世界は多極化しつつある」というような言説は溢れていて、枕詞のようにも使われているわけですが、では、「新興国とは具体的にどの国を指すのか?」、「新興国というまとまりに共通点はあるのか?」、そしてタイトルにもなってる「新興国は世界を変えるか?」と問われると、なかなか答えるのが難しいと思います。
例えば、「BRICS」だけをとり上げても、中国と南アフリカでは国としてのスケールも経済的な特徴も全く違うからです。
本書は比較政治を専門とする著者が、上記のような問いに答えようとした本になります。
いくつかの特徴から29カ国を選び出し、経済発展の状況、福祉制度の発展具合、民主化のレベル、国際関係への影響などを探っています。
もともと「新興国」というのはまとまりのない概念なのですが、あえてそれを比較することで地域的な特徴などは見えてくるところが面白いと思います。

目次は以下の通り。
序章 新興国とは何か
第1章 経済発展をどう説明するか
第2章 福祉国家形成の試練
第3章 民主化のゆくえ
第4章 政治体制変動の実態
第5章 経済的・社会的発展の政治的条件は何か
第6章 国際関係への関与と挑戦
第7章 新興国は世界を変えるか
終章 日本は新しい世界とどう向き合うか

本書でとり上げる「新興国」の基準は次のようになります。
まず、新興国はかつて発展途上国ということになるので、経済発展の早かったシンガポールを基準として1990年時点でシンガポールよりも一人あたりのGDPが低い国から、1990〜2015年の経済成長率が米国の85.6%より高かった国を選びます。これが第1の条件です。
次に第2の条件として世界経済に占める重要性を見るために、2015年段階で米国のGDPの1%以上の国を選びます。

こうした基準を満たすのは26カ国ですが、ここに第1の条件をクリアーできなかったが経済規模の大きいロシア、第2の条件をわずかにクリアーできなかったが経済成長が著しいベトナムとバングラデシュの2カ国を加えたのが本書が対象とする29カ国です。
具体的には、シンガポール、韓国、台湾、マレーシア、中国、タイ、インドネシア、フィリピン、インド、パキスタン、バングラデシュ、ベトナム(以上アジア)、アルゼンチン、チリ、ブラジル、メキシコ、コロンビア、ペルー(以上ラテンアメリカ)、ポーランド、カザフスタン、ロシア(以上旧ソ連・東欧)、サウジアラビア、トルコ、イラン、イラク、アルジェリア、エジプト(以上中東北アフリカ)、南アフリカ、ナイジェリア(以上サハラ以南アフリカ)になります(8p表1参照)。

第1章ではこれらの国がなぜ経済発展できたのか?という問題をとり上げています。
かつて、貧しい国も発展段階を踏みながら経済成長ができるという考えと、世界は中心と周縁の国に分かれており周縁の国は中心に従属させられるという従属理論が対立していました。
近年の新興国の経済成長もあってこうした対立は下火になりましたが、今度は「なぜ発展できたのか?」という問題が浮上してきました。

経済発展の説明として日本をモデルとして、国家による産業政策がポイントだったという主張もされましたが、一方で小宮隆太郎のように日本の産業政策の効果を否定する向きもあります。
1993年に出された世界銀行の『東アジアの奇跡』でも、健全な財政金融政策や教育の充実については経済成長の要因としているものの、産業政策についてはよくわからないとしています。
現在では、国家形成においてより強い危機のあった国のほうが、政治家が個別利益の誘導に走らずにしっかりとした制度をつくり上げることができたのではないかという議論がなされています。

アジアとラテンアメリカの新興国の違いはその輸出力にあります。GDPに占める輸出の比率はシンガポールが150%という飛び抜けた数字ですが、韓国26%、台湾54%と高い数字になっています。一方、ブラジルは7%、メキシコは8.5%にすぎません(21p)。
これが1980年代以降にアジアとラテンアメリカの明暗を分けた原因だと考えられます。

本書では新興国の違いを見るために、「天然資源輸出の規模」、「国内市場の大きさ」、「産業の技術力」、「高・中度技術による製造業品の輸出の大きさ」という4つの基準を使って分類しています。

まずは1「一次産品の輸出が大きい国」でここには産油国とアルゼンチン、チリ、ブラジルといったラテンアメリカ諸国が入ります。次に2「国内市場が大きい国」で中国、インド、韓国、メキシコ以外に1と重複でブラジルとロシアが入ります。3「産業技術向上国」には台湾やASEAN諸国、トルコやポーランドも入ります。4は「どれにも当てはまらない国」でエジプト、インドネシア、ペルー、南アフリカ、パキスタン、バングラデシュが入ります(24−25p表2参照)。

こうして分類してみると、新興国の経済発展の原動力は1つは天然資源であり、もう1つは技術力を活かした製品の輸出だということがわかります。

新興国は経済成長を続けていますが、一方で先進国には追いつけない状態で足踏みしてしまうことも多いです。これを「中所得国の罠」といいます。ここであげられている新興国29カ国の中でも2015年までに高所得国となったのは7カ国だけです。
例えば、ブラジルの一人あたりのGDPは米国を100とした場合、1980年に28までいきましたが、1999年には19、2013年で23。南アフリカだと第2次世界大戦以前は37ありましたが、2010年は17です(30p)。

「中所得国の罠」に陥る要因としては、低賃金を利用して成長する後発国と技術革新によって成長する先進国に挟撃されるからだと言われています。
シンガポールや韓国、台湾など、高所得国に移行できた国はGDP中のR&D支出が高く、学習到達度調査(PISA)の成績が良いです(34p表3参照)。

自国の天然資源を加工して輸出するという戦略もあり、マレーシアの天然ゴムを利用した医療用ゴム手袋などはその成功例ですが、天然資源加工業は機械産業よりもバリューチェーンが短く、波及効果が限られるのが問題です。

高度な技術が必要な産業に移行するには従業員の協力も必要ですが、新興国は非民主主義国、あるいはかつての非民主主義国が多いので、労働運動は抑圧されていることが多く、自発的な労使協調は進みにくい状況にあります。
また、低賃金の労働力を利用し続けようとする誘引もあり、タイやマレーシアでは近隣国からの非合法を含む移民労働者を雇う動きが広がっています。

第2章では新興国の福祉の問題がとり上げられています。
新興国でも経済成長とともに福祉への需要も増えているのですが、先進国と比べると充実度においては大きな差があります。また、新興国の中でもラテンアメリカ諸国やポーランド、ロシアなどは公的社会保護支出の対GDP比が高いのに対して、アジア諸国は低くなっています(53p図1参照)。

ラテンアメリカでは大土地所有者や鉱山主などを支持基盤とする古い政治勢力に対抗するために、それに対抗する勢力や中間層や都市労働者の福祉を向上させる政策を取りました。こうした政権はのちに「ポプリスモ(大衆主義)」と呼ばれるようになりますが、公的社会保護支出が多いのはこのポプリスモの遺産になります。
80年代の累積債務危機でこの路線は行き詰まり、チリでは軍事政権のもとで民営年金保険制度が導入されるのですが、理論通りにはうまくいきませんでした。
まず、すでに年金を受け取っている人への税の投入が必要でしたし、インフォーマル部門が強いラテンアメリカの諸国で給料からの天引きが困難で無年金者、低年金者が続出しました。さらに資本市場の動向にも大きく左右されることになり、政府の介入が不可欠になったのです。

旧社会主義国では、社会主義時代の影響で、エジプトなどではイスラーム勢力に対抗するために 公的社会保護支出は多めです。
一方、アジアでは経済成長が福祉の貧弱さを補っています。それでも97〜98年のアジア経済危機をきっかけとして福祉制度の整備が求められるようになってきました。

第3章は政治体制についてです。
近年は「民主主義の後退」といったことがよく言われていますが、本書では民主主義の要件を「異議申し立ての自由」「政治参加」「少数派保護の基礎的制度」の3つとし、フリーダムハウス指標とポリティ2指標を使いながら、民主主義を量的な面から分析しています。

2つの指標を見ると、1981〜83年から2011〜13年にかけて両指標の改善が見られますが、2011〜13→2016〜18年では民主主義が後退しているのがわかります(84p図2参照)。
インドと東南アジアのポリティ2指標を見ると、インドのような安定した民主主義、フィリピンやインドネシアのように民主化した国もありますが、タイのように民主化が大きく後退した国、シンガポールやマレーシアのように弱い権威主義が続いている国、ベトナムのように民主化の萌芽も見られない国もあります(85p図3参照)。

このインドと東南アジアの分類を他に当てはめると、インド型がコロンビア、80年代に民主化したフィリピン型が韓国、台湾、ブラジルなど、90年代に民主化したインドネシア型がメキシコや南アフリカ、権威主義体制が長期に渡って続いているベトナム型が中国とサウジアラビア、弱い権威主義が続いているシンガポール・マレーシア型がアルジェリア、エジプト、ロシアなど、民主化に動いたあとにそれが後退したタイ型がトルコ、バングラデシュ、イランです(87p表5参照)。なお、ナイジェリア、パキスタン、イラクが流動的で分類できずとなっています。

体制が持続あるいは変動する背景は、「需要」要因と「供給」要因に分けられます。
本書では「需要」要因として、「経済的・社会的充足感」、「相対的剥奪感」、「国外からの影響」の3つが、「供給」要因として「軍事・警察機関の強さと統制」、「社会管理統制機関の強さ」、「体制正統化の力」の3つがあげられています。
社会管理統制機関というのはややわかりにくいかもしれませんが、代表例は中国共産党です。社会の中に強固な組織を浸透させており、それだけ体制は維持されやすくなるわけです。
「体制正統化の力」としては、ウェーバーの「カリスマ」「伝統」「法」があげられ、例えばサウジアラビアは「伝統」という要因が効いていると思われます。

こうした要因を踏まえた上で、第4章では体制変動が起こる状況を分析しています。
ラテンアメリカでは80年代に民主が進みましたが、その要因は累積債務危機よ「国外からの影響」です。メキシコは80年代の危機を乗り越えましたが94年の危機で権威主義体制が崩れました。コロンビアは早くから保守の二大政党制が成立したことが民主主義が持続した要因です。

東アジアでも債務危機が起こりましたが、フィリピンを除いてこれを乗り越えました。また、シンガポール、マレーシア、インドネシアは「社会管理統制機関の強さ」にも恵まれていました。一方、軍事政権の韓国はそこが弱く、80年代に民主化します。
97〜98年のアジア経済危機ではインドネシアが民主化、同じく経済危機に見舞われたタイと韓国ではそれぞれタクシンと金大中が所得分配的な政策を進めましたが、軍へのアレルギーが強かった韓国に比べ、それが弱かったタイでは軍部が影響力を保持し、権威主義化しました。

ポーランドとロシア、カザフスタンは社会主義国でしたが、経済の落ち込みがロシア、カザフスタンのほうが大きかったこと、治安情報期間が生き残ったことなどが理由で両国は権威主義化し、EUに加盟したポーランドは民主主義が持続しました。

中東・北アフリカではサウジアラビアを除いて軍部主導の世俗主義政権が中心でした。
基本的には軍部とイスラーム主義が対抗することなりますが、トルコではエルドアンがイスラーム主義をバックに権力を握り、アルジェリアでは原油価格の上昇を背景に軍部が勝利し、エジプトでは「アラブの春」で一度は退場した軍がイスラーム主義のムルシー政権を再び駆逐しました。
一方、イラクではイラク戦争によって権威主義体制を支えた軍部と共和国防衛隊が壊滅したために、不安定ながら民主主義が続いています。

インドについては1973年の石油危機後の経済混乱に対してインディラ・ガンディー政権が非常事態宣言を出し権威主義化するかと思われましたが、民主主義は維持されました。
これはインドでは権威主義を成り立たせる「供給」要因が弱かったためと考えられます。インド国民会議派は雑多な勢力の寄せ集めであり、ガンディーやネルーのような「カリスマ」は民主主義を志向していました。
現在のインド人民党のモディー政権は権威主義的志向を強めているともいいますが、ヒンドゥー・ナショナリズムだけでインドをまとめあげることは困難です。
南アフリカも同じようにANCが弱体であること、「カリスマ」であったマンデラが民主主義を志向していたことなどが、アパルトヘイト体制からの転換の中で軍縮が進んだことなどが、民主主義の維持をもたらしていると思われます。

第5章では再び経済問題に戻って、経済発展の要因について分析しています。
新興国を政治体制とその持続性によって分類すると(136p表7参照)、高い民主主義と持続性の低さ(台湾やポーランド)から高い権威主義と持続性の強さ(中国、ベトナム、サウジアラビア)まで、新興国は見事に散らばっています(ただし、高い権威主義+持続性の低さという組み合わせはない)。
また、1990〜2015年のGDP成長率がアメリカの2.5倍以上の高成長国を見ても、特に民主主義に多い、権威主義に多いといったことはありません。

さらに本書では政治体制における拒否権プレイヤーの数と経済成長の関係も探っていますが、これも目立って関係性は見いだせていません(142p表8参照)。
一方、腐敗の少なさや行政の質と経済成長の関係はありそうで、新興国の中の高所得国はその多くが腐敗が少なく、行政の質が良い国です(146p図4参照)。

第6章では新興国の台頭と国際関係への影響がとり上げられています。
特にリーマン・ショック以後、G20やBRICSに見られるように新興国の存在感が高まっているわけですが、それが既存の国際秩序をどのように変えるのかという問題です。
ただし、BRICSに関しては中国とインドを除けば失速気味であり、中国とインドは世界のGDPに占めるシェアを2007年の6.1%と2.1%から2019年には16.3%と3.3%に増やしましたが、ロシア、ブラジル、南アフリカは5.1%から4.4%に減らしています。
こうした数字を見ると鍵を握るのはやはり中国です。「一帯一路」構想やAIIB(アジアインフラ投資銀行)のように中国は自ら主導権を握り世界的な開発事業に乗り出そうとしています。
「一帯一路」事業では経済的に成功しているものは少ないのですが、だからこそ中国の目標は政治的・軍事的なものではないか? と懸念されています。

政治的・軍事的色彩が強い組織としては上海協力機構があります。中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンにウズベキスタンが加わり、テロ対策や合同軍事演習などを通じて関係を深め、インドやパキスタンをメンバーに加えました。さらにサウジアラビアやトルコ、イランなどもオブザーバーないし対話パートナーとして参加しており、非民主主義国の現代版の「神聖同盟」とも言われています。
こうした新興国の軍事的な動きが世界を変えるのか? という問題は第7章で扱われています。
既存の秩序に対する軍事的な挑戦を続けているのはなんといってもロシアで、2008年のジョージアへの軍事侵攻、2014年のクリミア占領、シリアへの介入、そして2022年のウクライナ侵攻と完全に既存の国際秩序から逸脱する行動に出ています。
中国はあからさまな軍事侵攻などはしていないですが、南シナ海や東シナ海で海上国境線を一方的に引き直そうとし、香港では「一国二制度」を反故にするなど、やはり既存の秩序に挑戦する姿勢が見られます。

こうした状況は、今までのアメリカ中心の「自由主義的国際主義」に対して中国やロシアの「国家主義的自国主義」が対立しているとも捉えられます(199p図5参照)。
ただし、中国とアメリカの経済的な結びつきには大きなものがありますし、貿易で発展した東南アジア諸国からすると国際主義を捨てることは難しいです。
「自由主義的国際主義」と「国家主義的自国主義」の競合は続くかもしれませんが、後者が前者を圧倒したり、両者が完全に断絶することはないと著者は見ています。

最初にも書いたように、本書の面白さはまとまりのない新興国を比較することで、そこに地域的な特徴や、政治体制と経済の関係における傾向のようなものが見えてくるところだと思います。
また、多様な国を比較することで「民主主義VS権威主義」、「自由貿易VS保護貿易」といった2項的な図式には還元できない各国の立場も見えてきます。
国際経済や国際関係を読み解くためのヒントに詰まった本だと思います。




さまざまな分野で女性が活躍していますが、遅れているのが政治分野です。よく話題になるジェンダーギャップ指数において日本が低位にいる大きな要因が政治分野における女性の少なさです。
本書はこうした日本の政治を「男性政治」と捉え、その実態を批判するとともに、そこから抜け出すための方策を探った本になります。
個人的には、本書は「なるほど」と思う点と、違和感を感じる点がありました。著者の主張する誘導的なクオータ制や、日本の政治の問題点については同意する点が多いのですが、議論をすすめる際のいくつかのロジックについては同意できないという感じです。

以下、本書の内容を紹介しつつ、最後に違和感を感じた点についても書いてみたいと思いますが、思考を刺激されたという点では違和感を含めて面白い読書体験だったと思います。

目次は以下の通り。
はじめに
第1章 男性ばかりの政治
第2章 二〇年の停滞がもたらしたもの――ジェンダー平等後進国が作り出した生きづらさ――
第3章 女性を排除する日本の政治風土と選挙文化
第4章 女性に待ち受ける困難――障壁を乗り越える――
第5章 ミソジニーとどう闘うか
第6章 なぜクオータが必要か
第7章 ジェンダー平等で多様性のある政治に向けて

2022年7月末時点で、衆議院議員の女性割合は9.9%、女性の都道府県知事も2人のみで割合で4.3%、市区町村長は43人で割合で2.5%となっています。
政治という分野は、確かに以前は世界的に見ても男性中心の世界でしたが、21世紀になってから多くの国で女性の進出が目立っており、議会における女性の割合は2000年→2020年で大きく伸びています(16p図表5参照)。ところが、日本では21世紀になっても女性の進出が停滞しているのです。

ただし、参議院の女性割合は25.8%であり、90年代後半からの女性議員の割合の伸びを見ても、世界平均の動きとだいたい重なっています(29p図表8参照)。
この衆参の差については、選挙制度の違い、女性議員の少ない自民党の議席占有率が衆議院のほうが高いといった要因が考えられます。

地方議会に目を転じると地域格差が大きくなっています。都市部の市区議会では女性割合が3割を超えているところは珍しくないですが、町村議会の3割弱には女性が1人もいません。
都道府県議会についても、東京都の31.7%から山梨県の2.9%までかなり大きな差があります。

経済面でも立ち遅れが目立ちます。世界銀行は女性の経済的自立の観点から法的基盤の国際比較を行い、100点満点で点数化していますが、1980年の段階で日本68.8点、ドイツ68.1点でしたが、2020年には日本81.9点、ドイツ97.5点と差がついています(43p図表1参照)。
日本が低いのは、職場、賃金、婚姻、起業の分野で、職場ではセクハラを禁止し、制裁と救済を義務付ける法律がないこと、賃金では同一労働同一賃金が法制化されていないこと、婚姻は再婚禁止期間の問題(ただしこれは改正された)、起業では融資における性差別を禁止する法律がないことが響いています。

日本でも産休・育休などの子育て支援を中心とした政策は進展していますが、選択的夫婦別姓や性と生殖の自由などの議論は進んでいません。
これは政治において左派政党が弱く、保守政党の自民党が権力を握ってきたことが1つの要因になっていると思われます。働く女性を後押しする姿勢は見られても、それは男性が主で女性が従という「ジェンダー化した共稼ぎ型」が中心だというのです。

日本では子育てや介護などのケアの分野を公的セクターが中心に担うのではなく、家庭の女性が担うことを想定した制度設計がされており、ケアの負担は女性に偏っています。
その代わりに大企業などでは男性が家族を養うための給与や福利厚生などを供給してきたわけですが、不況の中で給与や企業の福利厚生が削られたことで、女性はケア負担を背負ったままパートなどに出ざるを得なくなっています。また、母子家庭であれば、そもそも男性の働き手を通じた福利厚生などは得られません。

このような状況はさまざまな制度に支えられているわけですが、こうした制度が変わらなかった要因として著者は日本の政党政治において社会民主主義の選択肢が抜け落ちていることを指摘します。
自民党優位の中で、対抗馬の野党も「改革保守」的なスタンスを掲げることが多く、現在のケアのあり方を大きく変えるようとするような勢力は現れなかったのです。

制度を変えるには政治を変えることが必要なのですが、女性の政治参加は進んでいません。その理由の1つを著者は日本の政治風土や選挙文化に求めています。
政治家、特に小選挙区での当選を目指す衆議院議員は非常に忙しいです。多くの議員は会期中は平日を永田町で、週末を地元で過ごし、休みなしに活動しています。
地元では多くの地域イベントに顔を出し、夏には夏祭りを、秋には運動会をはしごします。辻元清美議員は、夏には盆踊り会場を10件ほど回って10杯の焼きそばを食べ、山尾志桜里議員は正月に餅つき会場を回って餅をこれ以上食べられないほど食べたそうです。

著者がさまざまな国会議員に訪ねたところ、衆議院議員では国会活動と地元活動の比率は3:7と答える事が多いそうですが、知名度が高い参議院議員では0:10と答えた人もいたそうです。
この地元活動の大変さが衆議院議員に女性が増えない一因と見ていいでしょう。

ただし、地元活動を求められるのは日本に限ったことではありません。アメリカやイギリスの議員も地元活動に多くの時間を費やしていますし、イギリスでは過酷な戸別訪問によって女性候補者が疲弊しているとの指摘もあるそうです(こうした活動を熱心にしないと公認が得られない)。

日本の政党における候補者選定はヴェールに包まれている部分も多いのですが、「私生活を犠牲にして、政治活動に全力投球できる」人物が好まれる傾向があり、ケア責任が免責されている男性ではないと選ばれにくい状況があります。

地方議員に議員活動を行う上での課題を聞いたところ、「性別による差別やセクシャルハラスメントを受けたことがある」、「議員生活と家庭生活(家事、育児、介護等)の両立が難しい」と言った項目について、女性議員が男性議員を大きく上回る割合であげています(男性議員が女性議員を上回って課題としてあげているは「生計の維持」(103p図表2参照))。

女性の投票率は男性に比べて低いわけではありません(2021年の衆院選では若い世代で女性の投票率が高く、80歳以上で男性の投票率が高かった)。
ただし、投票以外の行動については男性に比べて低調で、それもあって普通の女性が選挙に立候補しようと思うことは少なく、立候補する女性は身内に政治家がいたケースなどが多いです。安藤優子の研究によると、2014年の衆院選に当選した女性議員の48%が血縁継承者で、この割合は男性よりも高くなっています。

日本の選挙においては地域社会との接点が重要ですが、自治会などは高齢男性で占められていることが多く、世襲などではないと、そこに女性が入ってくのはなかなか難しいのです。

2021年の衆院選において、自民党の甘利幹事長は女性候補が少ないことを問われ、「応募してくださらない限りは選びようがない」と答えましたが、女性が手を挙げない理由を考えるべきだといいます。
例えば、アメリカも女性議員が少ない国(下院の女性割合は27.7%)ですが、その背景には女性は男性よりも自分を候補者としてふさわしいと思うことが少なく、現代の選挙における競争などを好まないことなどがあるといいます。
さらにこの裏には性別役割意識などから女性の方が自信を持ちにくいといった理由があるのかもしれません。

また、日本の選挙ではお金がかかるために、それが女性の立候補を妨げる要因になっています。
供託金は国政の選挙区で300万、比例名簿の搭載に600万とかなりの高額ですし、都道府県で60万、政令指定都市で50万、市区議会が30万、町村議会が15万と、立候補するだけでそれなりのお金が必要になります。一定以上の得票で返ってくるとはいえ、男性に比べて資産が少ないことが多い女性には大きなハードルです。

選挙において「母親」という属性がプラスにはたらくこともありますが、これは両刃の剣的な部分もあり、子どもが小さければ否定的に見られてしまうことも多いです。
「女性初」といったカードも有効である場合はありますが、例えば、女性初の大統領を目指したヒラリー・クリントンに対してトランプは「女性カード」を使っているとの批判を繰り返しました。

政治家は有権者や同僚議員からさまざまなプレッシャーを受けますが、女性議員の場合はこれにセクシャルハラスメントが加わります。
議員活動中や選挙活動中に受けたハラスメント行為を見ると、「性的、もしくは暴力的な言葉(ヤジを含む)により嫌がらせ」を経験した割合は女性議員26.8%、男性議員8.1%、「性別に基づく侮蔑的な態度や発言」は女性議員23.9%、男性議員0.8%、「身体的暴力やハラスメント(殴る、触る、抱きつくなど)」は女性議員16.6%、男性議員1.6%と、女性議員のほうが圧倒的にセクシャルハラスメントを受けやすいことがわかります(155p図表1参照)。

政治家であれば意見の違う者から嫌がらせを受けることもありますが、女性議員の場合はこの嫌がらせが性的な形で行われることが多く(例えば下着を送りつけられるなど)、こうした行動の背景にはジェンダー的役割に女性を押し込める、あるいは役割に従わない女性を罰するというミソジニーと呼ばれる考えがあるといいます。

また、高齢男性が中心の地方議会では女性議員が異分子としていじめに近い扱いを受けるというケースもあります。
この他にも宗教右派勢力などを背景としたバックラッシュの動きもあり、特にジェンダーの問題を訴える政治家などが活動しにくい状況もあります。

こうした状況を打破するために著者が導入を主張するのがクオータ制です。
クオータは割り当てという意味であり、属性による不均衡を是正するために少数派に対して一定の割合・数をあらかじめ設定するものです。これを男女にあてはめるのがジェンダー・クオータですが、今の所、クオータ制というとこのジェンダー・クオータを指すことが多いです。

クオータにもいろいろな種類があり、比例代表の名簿に50%以上の女性を求めるものもあれば、候補者の30%以上を求めるものもあります。罰則についても、メキシコはクオータ規定に満たない候補者届け出を受理しないという厳しいものですが、韓国では努力目標で、小選挙区では政党交付金の増額というアメがあるものの主要政党はその努力義務を遵守していません。

このクオータ制に対しては、「女性に下駄をはかせる」、「クオータがなくても女性は増える、しかし女性のなり手がいない」といった批判があります。
これに対し著者は、クオータで選ばれた女性政治家は男性に劣らず優秀であり、現在の「男性化」された政治の中ではそう簡単に女性は増えず、何らかの後押しが必要だとしています。

また、「クオータによって登用された女性が「女性」という狭い利益だけを代表する」、「クオータで登用された女性は、登用してくれた党首や政党幹部への依存を強め「女性」の利益を代表しない」(206−207p)という正反対の見方もありますが、イギリスの女性専用選挙区で選出された議員は、どちらかというと女性を代表することに消極的だが、当選回数を重ねると女性の利益を代表するようになるとの研究があります。

日本では理念法である候補者均等法が2018年に成立しています。これを受けて野党では候補者について数値目標を掲げる政党も現れており、自民党も2022年の参院選では比例代表で3割という目標を掲げました。

クオータ制の法制化については、憲法14条に違反するとの指摘もありますが、比例部分に限ったり、政党交付金を用いたインセンティブの付与であれば問題ないという声もあります。
ただし、日本の現在の選挙制度の難しさもあります。クオータ制を導入しやすいのは比例代表ですが、衆議院の比例代表部分には重複立候補、同一順位搭載(小選挙区の惜敗率で順位が決まる)があり、男女/女男交互の名簿搭載が難しいです。参議院も非拘束式名簿であり、できるとしたら男女同数の名簿ということになるでしょう。
衆議院では同一順位搭載を廃止して、すべてに順位をつけさせるというやり方も効果がありそうですが、調整が大変なので今の政党はやりたがらないでしょう(ちなみに著者はもっと複雑な方法を提唱している(232−233p参照))。

地方議会、特に市町村議会では無所属が最多のため、政党単位でのクオータ制は難しいです。
著者は都道府県議会では、女性が選ばれにくい小選挙区を減らして定数が3または5人以上の選挙区を基本とすることか、または比例代表制の導入、大選挙区である市町村議会については制限連記式(複数の候補の名前を書ける)の導入を提唱しています。

最後の第7章で、著者は「ジェンダー平等で多様性のある政治」という理想を語っているのですが、その中で以下のようなことが主張されています。

ジェンダーに関しては、一見バラバラに見える様々なテーマが提起されており、シングルイシューの社会運動が生まれては消えていくように見えるかもしれない。しかしながら、ジェンダーをめぐって経験する理不尽や生きづらさに共通の名前を与えるのであれば、「家父長制が引き起こす抑圧と暴力」ということになろう。この一点において連帯の可能性を見出すことは難しくないはずだ。(274p)

ここでいう「家父長制が引き起こす抑圧と暴力」がどの程度のレベルを想定しているのかはわかりませんが、例えば、「夫が家の責任者となり、妻が内助の功でそれを支えるという社会観念による抑圧」程度では、ほとんどの女性が連帯するといったことは起こらないのではないでしょうか?

ここからは印象論に過ぎませんが、個人的には斎藤環『母は娘の人生を支配する』で紹介されている漫画家のよしながふみの次の発言が鋭いと思います。

男の人の抑圧ポイントは一つなんですよ。「一人前になりなさい、女の人を養って家族を養っていけるちゃんとした立派な男の人になりなさい」っていう。だから男の人たちってみんなで固まって共闘できるんです。男は一つになれるけど、女の人が一つになれないっていうのは、一人ひとりが辛い部分っていうのがバラバラで違うんでお互いに共感できないところがあると思います。(斎藤環『母は娘の人生を支配する』(106p))

もし女性が「女性」ということで連帯できるのであれば、有権者数は去年の参院選の時点で男性50,740,309人、女性54,278,894人で女性が上回っていますし、クオータ制がなくてもいずれは女性議員が増えてくるでしょう。
また、国会議員に「女性」という属性を持つ人が少ないといっても、同じように「低所得」という属性の人も少ないです。
そんな中で性別クオータが正当化されるとすれば、女性の辛い部分がバラバラでそう簡単には連帯できず、過少にしか代表されないという点にあるのではないかと思います(その点でいうと低所得者のほうが比較的連帯がしやすいから低所得者クオータまでは考えなくていいということになる)。

最後はうまくまとめられなくて申し訳ないですが、本書を読んで感じた違和感の1つを書き出してみました。
というわけで、著者の使ういくつかのロジックについては納得できな部分もあるのですが、政治における女性の不在は大きな問題ですし、本書がさまざまな刺激を与えてくれる本であることは確かです。


お堅いイメージの強い中公新書とは思えぬテーマですが、カバーの見返しにある次の内容紹介を見れば、本書がどんな本かよく分かると思います。

配偶者以外との性交渉を指す「不倫」。毎週のように有名人がスクープされる関心事である一方、客観的な情報は乏しい。経済学者と社会学者が総合調査を敢行し、海外での研究もふまえて全体像を明らかにした。何%が経験者か、どんな人が何を求めてどんな相手とするか、どの程度の期間続いてなぜ終わるか、家族にどんな影響があるか、バッシングするのはどんな人か。イメージが先行しがちなテーマに実証的に迫る。

ただし、不倫のような世間的によくないとされていることを調べようとすると大きな問題に突き当たります。
例えば、周囲の知り合いの既婚者に「不倫したことある?」と聞いて回って、結果として不倫をしたことある人がゼロだったとしても、日本では不倫をしている人がほとんどいないということにはならないでしょう。
たとえ不倫経験があっても、面と向かって「不倫したことある?」と聞かれて、素直に「はい」と答える人は少ないと思われるからです。

本書はこうしたことを社会調査によってどうやって聞くのかというテクニックも教えてくれます。
意外とネット調査だと不倫経験なども答えるものなのだなとも思いましたが、それに加えていくつかの手法を使うことで人々の隠された本音を探ろうとしています。
そういった意味で、本書は不倫という多くの人が興味を持つであろうトピックを使いながら、社会調査の手法を教えてくれる本とも言えます。

目次は以下の通り。
第1章 不倫とは何か
第2章 どれくらいの人がしているのか―実験で「本当の割合」を推計する
第3章 誰が、しているのか―機会・価値観・夫婦関係
第4章 誰と、しているのか―同類婚と社会的交換理論
第5章 なぜ終わるのか、なぜ終わらないのか
第6章 誰が誰を非難するのか―第三者罰と期待違反

まず、不倫の何が悪いのでしょうか?
法律面からいうと、不倫(不貞行為)は離婚が認められる理由となります。ただし、例えば風俗店の利用などについては裁判でも判断が分かれるところで、妻が風俗嬢を訴えたケースでは、風俗店内の行為については責任を認めなかったが、店外での行為については責任を認めたとのことです。
歴史的に見ると、日本には姦通罪がありました。これは妻とその姦通相手を罰するためのもので、男女不平等の象徴のような規定です。ただし、姦通罪は親告罪であり、実際に姦通罪で有罪になった人は少なかったそうです。
戦後になった男女の不平等が問題になると、これを男性にも適用する方向での改正も模索されましたが(国会への意見では廃止に反対する声が多かった。ただし男性が中心)、最終的には廃止されることになりました。

次に「不倫」という言葉ですが、もともとは広く人倫に反するものを指す言葉でした。それが『広辞苑』では1983年の第3版に「(不倫)の愛」という使用例が付け加えられ、2008年の第6版には「特に、男女の関係について言う。」という一文が加わっています。
「不倫」という言葉の定着のきっかけとして1983年に放送された『金曜日の妻たちへ』があげられることが多いですが、週刊誌の記事のタイトルなどを見ると、その前から言葉としては流通しており、『金妻』でさらに広がり、1986年頃から一般化しています(23p図1−1、24p図1−2参照)。

こうしたことを踏まえていよいよ実証分析が始まるわけですが、本書では不倫を「結婚後に配偶者以外とセックスすること」(35p)(ただし風俗での性行為は除く)と、シンプルに定義しています。

実際に不倫をしている人の分析に入る前に、本書では「不倫はどのくらい非難されるべきことなのか?」ということもとり上げています。
日本で不倫を「絶対に間違っている」「まあ間違いだと思う」と考える人は90%近くで、この数値は1998・2008・2018年と3回の調査ともあまり変わっていません(45p図2−1参照)。
ただし、国際比較でいうと日本は不倫にそれほど厳格ではありません(47p図2−2参照)。選択肢を点数化して平均を取る「絶対に間違っている」とする人が少なめの日本は平均よりもやや緩めになるのです。何らかの宗教を信じている国ほど不倫に強く反対する傾向があり、それが影響していると考えられます。

では、一体どれくらいの人に不倫の経験があるのでしょうか?
1982年に石川弘義らの『日本人の性』における調査によると、ここ1、2年で不倫経験のある人は既婚男性が20.82%、既婚女性が3.79%となっています。『プレジデント』誌が2009年に行った調査では既婚男性の34.6%とキ女性の6.0%に不倫経験があり、相模ゴム工業が2013年に行った調査では男性の24.8%、女性の14.0%に不倫経験があるとしています(49−50p)。

著者らは2020年にウェブ調査で6651名分のサンプルを得て分析したところ、「過去にしていたが今はしていない」が男性39.65%、女性が13.18%。「現在している」が男性7.07%、女性1.97%となっています(51p表2−1参照)。
既婚男性のおよそ46.7%、既婚女性のおよそ15.1%に不倫経験があるというのです。個人的に男性の数値は思ったよりも高くて驚きました。
事柄が事柄だけに国際調査との比較は難しいのですが、アメリカでは既婚男性の20〜25%、女性は10〜15%に不倫経験があるとする調査が多いようです(ちなみに2015年の調査では男性21%、女性19%と近年は男女差が縮小している)。フランスは男性55%、女性32%と高めです。

それでも最初にも述べたように不倫経験者がそれを隠している可能性は十分に考えられるでしょう。
そこで、本書ではリスト実験と呼ばれる手法も行っています。これは「フルマラソンに参加したことがある」「タバコを吸ったことがある」などのいくつかの選択肢を提示し、さらに対照群には「結婚後配偶者以外とセックスをしたことがある」という選択肢をプラスして、リストの中からいくつのことをしたことがあるか、その個数を聞きます。不倫経験についてYesと答えさせるのではなく、個数を聞くだけなので答える抵抗感は減ると思われます。
この対照群で選択された個数と、もとのリスト(不倫経験についての質問がないもの)を比べることで、実際の不倫経験の割合をあぶり出そうというのです。

著者らが行った実験によると、男性は直接質問だと48.3%だったものがリスト実験だと51.9%に、女性では21.0%から24.7%にそれぞれ3%ポイント以上上がっています。全体では直接質問で34.4%、リスト実験で37.7%になります。ただし、これらの差は統計的には有意ではないとのことです(60p表2−2参照)。
また、この数字、特に男性のものには風俗店の利用も含まれている可能性があります。それにしても比較的みんな直接質問にも正直に答えているのだなという印象です。

では、一体どんな人が不倫をしているのでしょうか? 本書では機会、価値観、夫婦関係という3つの視点から分析しています。
まず、機会ですが、その機会とは「きっかけ」と「コスト」の2つの面から考えられます。不倫相手に出会う機会がなければ不倫は始まらないわけですし、不倫には金銭的・時間的余裕が必要になります。

データを分析した結果では、男性は職場女性比率が、女性では自由時間が不倫のしやすさと関係があります。
女性に関しては専業主婦である、働いているというステータスはあまり関係なく、ポイントになるのは自由時間です。男性は自由になる時間や出張日数はあまり関係ありませんでした。
男性が職場女性比率が高いと不倫しやすくなる一方、働いている女性にとって職場男性割合はあまり関係ありませんでした。これは女性割合が高い職場の男性は高い地位につきやすく、能力が評価されやすいが、その逆はないということが背景にあると思われます。

海外の先行研究などでも収入が高くなるほど不倫をしやすくなると言われていますが、本書の調査でも男性についてはこの傾向が確認されています。不倫関係を続けるにはコストが必要であり、高収入は不倫相手相手から魅力的と思われる要素の1つだからです。
ただし、女性に関しては、高収入ほど不倫しやすくなるという関係は見いだされませんでした。

「高収入=不倫をしやすい」という関係が確認される一方、職業の社会的評価が高いほど不倫をしにくくなるという関係も見いだされました。
一般的に「職業の社会的評価が高い=高収入」なので、これは矛盾する結果に思えますが、詳しく分析すると職業の社会的評価が高いと収入が増えても不倫が増えず、職業の社会的評価が低いと収入とともに不倫が増えるという関係になっています(83p図3−1参照)。
職業の社会的評価が高いと自身の評判を気にしてブレーキが掛かるのかもしれません。

次に不倫しやすい性格についての分析も行われています。
これも本調査では男女差が出ていて、男性では外向性が、女性では協調性が高いほど不倫をしやすいという結果になっています。
これは男性の方が不倫関係を持ちかける側になっていることの現れだと考えられます。男性では声をかける積極性が、女性では断りきれない協調性がキーになるというわけです。

3つ目のポイントは夫婦関係です。
これも男女差があり、男性は配偶者とのセックスに不満があると、女性は配偶者の人格に不満があると不倫をしやすくなります。ちなみに結婚年数や子の有無は関係なく、「子はかすがい」とはなっていないことがうかがえます。
アメリカの研究では夫婦間の収入差や学歴差が大きくなるほど不倫をしやすくなるという研究もありますが、本調査ではそういった傾向は確認されませんでした。

結婚前の行動については、「遊んでいた人ほど真面目になる」、「遊んでいた人ほど浮気をしやすい」という正反対のことが語られていますが、本書の調査によれば、後者が支持されています。
結婚前の浮気経験は不倫と強い関連を持っており、特に浮気したときの交際相手が現在の配偶者だとより不倫をしやすいそうです。また、男性のみに当てはまることですが、結婚前の交際人数が多いほど不倫をしやすくなります。

不倫をしやすい人の傾向がわかったしてその相手はどのような人なのでしょうか?
不倫相手と出会う場所はインターネット・アプリが男女とも多く、男性は僅差で職場が続きます。一方、女性はインターネット・アプリと友人や知人の紹介が並んでおり、続いて職場と元交際相手が同じ割合で並んでいます(115p図4−2参照)。
どちらが誘ったのかという問いには男性の43.88%が「自分から誘った」と答えているのに対して、女性で「自分から誘った」のは3.53%。ただし、「どちらからともなく」が男性43.46%、女性44.71%とかなりのウェイトを占めています(118p表4−1参照)。
相手の婚姻状態に関しては、女性の場合、相手が既婚が74.12%、相手が未婚が23.53%となっていますが、男性は相手が既婚39.66%、相手が未婚47.20%となっています(124p表4−2参照)。
いわゆるダブル不倫がかなり多いわけですが、男性に関しては年下の未婚女性と不倫をしているケースも多いようです。
平均的な年齢差は男性の相手が平均7.46歳下であるのに対して、女性の相手は平均で2.76歳上です。ちなみに不倫をしている男性の平均年齢は48.41歳、女性の平均年齢は44.12歳で、不倫相手ほどの大きな差は見られません。
これは収入が高い男性が若い女性と不倫するという傾向があるためと考えられます。

ちなみに本調査では不倫相手の性別も聞いており、不倫をしたことのある男性で、その相手が男性だった人は1.14%、不倫をしたことのある女性で、その相手が女性だった人は2.86%という数字が出ています。ただし、一般的ではない質問のため、回答者が誤答している可能性もあると指摘しています。

では、不倫はどのように終わるのでしょうか?
本調査によると、不倫が始まってから連絡を取らなくなるまでの平均期間は4.12年、ただしこれは非常に長期間不倫をしていた回答者が含まれていたためで、中央値を取ると2.08年になります。不倫のおよそ半分は2年以内に終わるわけです。
男性では相手とのセックスに満足していると、女性では人格とセックスに満足していると長期間続く傾向にあります。

不倫が終わった理由のトップは「なんとなく」で全体の31%、家族や子どものために解消したが15%です。ただし、本調査は既婚者を対象にしており「発覚」の割合は低くなっていると考えられます(発覚→離婚で独身になっている人も多いと考えられるので)。

当たり前かもしれませんが、男女とも不倫している人のほうがしていない人よりも離婚意思が高い傾向があります。ちなみに、不倫は次の再婚相手を探しているのだとする理論もありますが、男女とも不倫相手への満足感と離婚意思は関連していないそうです。
海外の先行研究では、両親の不倫は子どもに影響を与えており、両親に対する信頼や愛着の度合いが下がるだけでなく、自身のパートナーへの信頼や愛着も低下するそうです。さらに両親が不倫をしていた子どもは自身も不倫をしやすくなります。

ここまでで不倫について一通りの説明はなされていますが、本書ではさらに「誰が誰を非難するのか」という問題をとり上げています。
自身のパートナーの不倫は大問題かもしれませんが、赤の他人の不倫は基本的に自身へのマイナスにはならないはずです。それなのに、なぜこれほど非難されるのか? という問題です。

こういった自分の利益に関わってないない他人を非難することを第三者罰といいます。
こうした第三者罰が行われる背景としては、集団の規範を維持するため、自分の周りの者(不倫の場合はパートナー)が同じようなことをしないため、被害者への同情から、自分を信頼に足る人物だと見せたいため、などの理由が考えられています。

では、誰が誰を批判するのでしょうか?
本書ではコンジョイント分析という手法を用いてこれを確かめようとしています。これは性別、年齢、職業、配偶者との会話時間、不倫相手年齢や家庭など、さまざまなパラメータをランダムに入れ替えてプロフィールを作成し、その人物がどれくらいの非難に値するかを聞いていくやり方になります。
まず、男性は不倫している人が男性だろうと女性だろうと同じように避難しますが、女性は男性の場合をより強く非難します。また、回答者の年齢が若いほど強く非難する傾向があるとのことです。
不倫をしている人物に子どもがいると非難される傾向が強まりますが、子どもの数は関係がないそうです。配偶者との会話時間など、仲の良さはあまり関係ないですが、結婚後年数が経っているケースほど非難されにくくなります。
職業では、もっとも非難されたのは政治家(衆議院議員)で、非難されなかったのは芸能人です。ワイドショーなどから「芸能人は不倫するもの」というイメージが出来上がっている、芸能人は別世界の住人、といった理由が考えられます。

このように、本書は不倫にまつわるさまざまなデータを明らかにしてくれます。下世話な関心も満足させながら、同時に社会科学の分析の手法も学べるのが本書の売りでしょう。
このまとめでは結果だけを紹介して、理論的な分析は割愛した部分が多いですが、不倫や結婚についての社会科学的な理論も紹介しています。そういったことから、テーマとして若い人向けではないかもしれませんが、「大人のための社会科学入門」としても楽しめる本かもしれません。




大塩平八郎の乱の名前は中学の歴史の教科書にも載っているので多くの人が知っていると思います。大坂奉行所の元与力が起こした反乱は、泰平の世、そして幕藩体制を揺るがす先駆けとなった出来事として位置づけられています。
ただし、乱自体は一日で鎮圧されているものの、大塩は大筒を持ち出して大坂の町に大規模な火災を起こしており、蔵書を売って貧民救済をはかろうとした聖人的な部分と、蜂起に踏み切って行ったことの間に乖離を感じるのも事実です。

本書はそういった乖離を大塩という人物を史料によって再構成しながら埋めていきます。特に大塩が乱後も一月近く潜伏していたのはなぜなのか? という疑問については本書を読んで納得しましたし、大塩の人物像も随分とクリアーになります。
新しい史料の発見とそこで明らかになった大塩像を合わせて説明しており、歴史学的な事実の解明の仕方がわかる叙述になっていると思います(その分、やや出来事の流れを追いにくい面はある)。

目次は以下の通り。
序章 「大坂大変」
第1章 与力大塩平八郎
第2章 未完の「三大功績」
第3章 洗心洞主人
第4章 洗心洞の内外
第5章 「四海困窮」
第6章 大坂の乱
第7章 それぞれの最期
終章 大塩の乱とは何だったのか

大塩には有名な肖像画があります。教科書などにもよく載っているもので測量器と天球儀を前にして座っているものでいかにも文人という佇まいです。しかし、この肖像画は全国に指名手配された人相所にある「顔細く色白き方、眉毛細く薄き方、額開き月代厚き方、目細く釣り方」(15p)とはかけ離れています。
一方、この人相書をもとにしたと思われる肖像画もあり(16p図2)、この姿はいかにも与力といった風貌です。
「文人としての大塩」と「与力としての大塩」という2人の大塩がいるかのようです。

大塩の自伝的な書簡によると、自分の人生には3つの転機があり、1つ目は「家譜」を読み大塩家の祖先が家康に仕えて弓を賜ったことを知ったこと、2つ目は与力見習いになってみたものの周囲に満足できずに独学を始めたこと、3つ目は陽明学を知り道を自己の心中の誠意に求めるようになったことになります。

大坂の大塩家の始まりは17世紀半ばで与力の家としては比較的新参だったといいます。大塩家の宗家は尾張藩の家臣であり、大塩はこの宗家とも連絡を取り、家康から賜ったという弓を見せてもらっています。
のちに紹介するように大塩は与力として大きなはたらきをしますが、同時に大塩自身には与力という身分から抜け出したいという思いもあったようで、38歳で養子の格之助に与力の職を譲ったのもその表れと言えるでしょう。

与力というと下級役人のイメージもあります。実際、大塩ら与力の年収は80石と決まっていました。
しかし、一方で元与力の「与力中の幅利は二千石くらいの生活をした」(34p)という話もあります。大坂では商人から与力に対してさまざまな付届けがあり、訴訟などがあれば原告や被告から礼銀がありました。
大塩はこうした悪徳に染まった与力社会の中で、清廉潔白を貫き、ここから抜け出そうとしました。

与力としての大塩の仕事として知られているのが「三大功績」と呼ばれるもので、大塩自身が書いた「辞職詩幷序」にも書かれています。
大塩の辞職のきっかけの1つは長年大坂東町奉行を務めた高井実徳が70歳という高齢を理由に辞職を願い出たこととされていますが、その高井のことを語る中で出てきます。
三大功績は、耶蘇教徒逮捕、奸吏糾弾、破戒僧遠島の3つになります。大塩は高井に抜擢される形で盗賊役となり、これらの事件に関わりました。

まず、耶蘇教徒逮捕の一件です。「19世紀の大坂で隠れキリシタン??」と思う人もいるでしょうが、本書を読む限り民間宗教が耶蘇教の名前を借りているようなものです。
江戸や大坂の周辺では流れ込んだ細民(貧民)が、生計を立てるために民間宗教者として祈祷や占いを行っていました。この時期に流行していたのは「稲荷下し」「稲荷明神下げ」と呼ばれるものでしたが、こうした霊能者がキリスト教と結びついたのです。

もともとは「稲荷明神下げ」を使って町人から金銭をだまし取っているという詐欺事件の中で、「さの」と呼ばれる女性が逮捕され、彼女から師匠的存在の「きぬ」に捜査が及ぶ中で、さのがきぬから入信の儀礼を受け、信心を確認しようと長崎に踏絵に行ったことが明らかになりました。
当時の長崎では年中行事として踏絵が行われていました。さのはわざわざ長崎まで出向きこれを行ったというのです。

さのやきぬが本当のキリシタンだったかというとそれは疑わしいです。彼女たちはキリスト教の教義などはほとんど知らなかったでしょうし、稲荷明神を上回る秘密の神のような存在だったのでしょう。
ただ、関係者は耶蘇教徒として扱われ、処刑されています。

奸吏糾弾の件は、西組与力・弓削新右衛門を摘発したものです。
この弓削は賄賂を取って無実の人に罪をかぶせるといった具合に典型的な悪役人として語られていますが、注目すべきは弓削が手先としていた垣外(かいと)と呼ばれる非人集団の4人の長吏も大塩によって摘発されている点です。
のちにも出てきますが、大塩が大坂の町人からありがたがられたのは、この「長吏の横暴」を止めたからでもあります。なお、弓削はこの件で切腹に追い込まれています。
この事件は、大坂城の修復を担当する破損奉行のそれを請け負う者の癒着にもつながっていました。
捜査は高井実徳が命じたものですが、ここまでくると高井だけの手に負える規模ではありませんでした。さらに老中の水野忠邦の水野家もかかわる不正無尽の疑いも浮上しますが、結果的に徹底的な追求はなされずに終わり、大塩は政治の中枢に対する不満を高めるようになったと思われます。

最後の破戒僧遠島の件については、新しい史料の発見もなく、よくわからないことが多いそうです。
このように与力として大きな活躍をした大塩でしたが、もう1つの文人としての顔もありました。
当時の大坂文壇の状況を記した『新刻浪華人物誌』(文政7(1824)年)には、当時32歳の大塩は儒家の末尾に「大塩 天満 大塩某」として登場しています。書かれ方や順番からすると、大きな存在ではなかったようです。

そんな大塩ですが、『日本外史』を書き、後の世にも大きな影響を与えた頼山陽と深い交わりを持っています。
大塩と頼山陽の交流は文政5(1822)年、大塩が30歳の時から始まり、頼山陽が亡くなる天保3(1832)年まで続きました。
頼山陽は大塩のことを評価しつつ、「ソノ精明ヲ過用シ、鋭進シテ折レ易キヲ戒メ」(95p)てきたといいます。大塩の与力としての鋭さにどこかしら不安を覚えていたようです。

頼山陽は江戸に出ようとしていましたが、その前に亡くなってしまったと言われています。
この江戸進出は大塩にとっても念願であったとも考えられています。文政10(1827)年に大塩は昌平黌の学長の林述斎のために1000両という大金を用立てているのです。
当時、極度の財政難に陥っていた林家は大坂で資金を調達したいと考えており、その話が大塩のもとにやってきます。そこで大塩は洗心洞の塾生の富裕農民らから金を集め、林家のために用立てています。
大塩は与力を辞めた翌年の天保2(1831)年に江戸に行き述斎とも会っていますが、大塩には江戸で何らかの役職を得たいとの思いがあったのかもしれません。
114pで紹介されている塾則を見る限り、洗心洞はかなり厳しい塾だったようです。小説や雑書を読めば鞭朴(べんぼく)を数回、妓楼に上がって飲食をすれば退塾といった具合に、塾生は厳しい規則を守る必要がありました。
この厳しさは問題も起こしており、天保6(1835)年には門人の同心2名が同僚と申し合わせて盗賊のかどで逮捕された罪人の顔に灸を据え髪を切って追放するという事件を起こしています。この行為は行き過ぎだと奉行から責められ、門人の2人は自殺しています。

洗心洞の塾生には与力衆の他に近隣の豪農もいました。代表的な門人である橋本忠兵衛は米作の他に綿や菜種、藍、煙草、青物などを栽培しており石高は約50石だったといいます。こうした豪農層が入塾していたです。
彼らの多くは庄屋などの村役人であり、当時増えていた村方騒動や綿や菜種販売の自由や肥料価格の引き下げなどを求めて大坂・堺奉行所に訴願する国訴にも関わっていました。
さらにこの国訴では「非人」の問題もとり上げられていました。

天保6(1835)年の建議書には、西町奉行所与力内山彦次郎とその下にいた四ヶ所の長吏・小頭・非人番の非法を訴えるものがあります。
四ヶ所とは天王寺村、今宮村、難波村、川崎村の領内に成立した非人集落(垣外)で、先述のように奉行所の御用を受けていました。この四ヶ所は飢饉などによって発生する乞食や貧民などを収容しながらその管理と救済を任され存続していましたが、18世紀後半になると奉行所のもとで盗賊役として働くようになりました。

しかし、次第に四ヶ所の長吏・小頭の横暴が問題視されるようになります。盗みの捜査に際に関係者を呼び出して馳走させる、村の負担となっている四ヶ所の役銭が引き上げられ、非人頭がその上前をはねるなどといった行為が横行していたというです。
建議書では大塩がそうしたことを行っていた弓削を切腹させたということも語られています。豪農たちの中には、奉行所や長吏の横暴に対抗するために大塩のもとに集まったという面もあるのかもしれません。

他にも門人として諸藩の武士もいました。特に近江大溝藩については天保4(1833)年に大塩が藩主分部光貞に講義を行ったことから、藩士の中から入門する者が複数現れました。
さらに摂津高槻藩への出講も行いましたが、これには大筒の借用という狙いもありました。

いよいよ大塩は蜂起へと動き出すわけですが、大塩の蜂起の理由を示すのが「四海困窮」から始まる檄文です。ちなみに檄文はブロックごとに版木を組み、どれか一つが漏れても文意が通じないようになっています(138p図5参照)。
この文を読むと、大塩が決起する理由は、飢饉で民衆が苦しんでいるのに、政治がそれに応えず、一部の富裕な町人が富を貪っている世を糺すためです。

天保の飢饉の中で民衆もおとなしくしていたわけではありません。この時期には一揆やうちこわしが頻発しています。天保4(1833)年には「加古川筋うちこわし」と呼ばれる大騒動が起こっていますし、天保7(1836)年には三河加茂、甲斐郡内で大規模な一揆が起こっています。

こうした状況に対して幕府も無策だったわけではなく、大坂の奉行所では米価の高騰を抑えるためのさまざまな手を打っています。買い占めの禁止、先物取引の禁止、囲米による窮民救済の触、施行・施米の触など、「石価の政」とも呼ばれる米価、飢饉対策が行われています。

檄文では大塩は大坂の米が江戸に送られる江戸廻米を批判していますが、大坂周辺については堂島の米市場からの出荷が認められていました。
このあたりが大塩の目論見が外れた理由にもなります。檄文では貧民層に蜂起への参加を呼びかけていますが、大量の貧民が乱に合流することはありませんでした。奉行所の救貧政策がそれなりに機能していたからです。

実は天保4(1833)年頃前は奉行所の「石価の政」に賛意を示しているのですが、徐々に批判的になり、天保8(1837)年2月には蔵書を売り払って施行を行っています。乱の12日前のことです。
大塩が奉行所の施策に不満を持ち、乱を起こしたのは、飢饉が深刻化したことが原因ととられてきましたが、著者は大塩の奉行所、特に西町奉行所与力内山彦次郎や前西町奉行矢部定謙に対する不満があったのではないかとみています。
大塩は蜂起に対する貧民の参加を期待しており、檄文にも大坂で騒動が起きたと効いたら駆けつけよと述べています。
そのためには大坂の悪役人や悪町人を「火攻め」にして遠くからでも視認できるようにしようとするわけですが、そこで必要になるのが大筒です。
町方与力の中には砲術をたしなんでいるものが複数おり、大塩も中島流の砲術を学んでいました。幕末に向けて剣術が流行しましたが、砲術もまた文政・天保年間になると流行していたのです。

大塩平八郎の乱は天保8(1837)年の2月19日の早朝に始まり、午後4時頃に戦闘は終わっています。
この日は両町奉行が市中を巡見する日で、これを討ち取るためにこの日が選ばれました。特に東町奉行の跡部良弼が狙いだったと思われます(西町奉行の堀伊賀守は就任したばかり)。
跡部良弼は老中水野忠邦の実弟で、彼は大坂の奉行所の改革のために送り込まれたともみられていました。特に大塩が属していた東町奉行所が改革のターゲットだったとも言われています。

2月19日は跡部を討つ絶好の機会でしたが、計画は2月17日の同心平山助次郎の密告によって露見してしまいます。跡部は組内に同志がいるかも知れないと考え、平山を江戸で勘定奉行になっていた矢部定謙のもとに向かわせます。19日の巡見は延期になりました。
他にも密訴が相次ぎ、計画は8時間近く前倒しになりました。蜂起直前には洗心洞の門人・彦根藩士宇津木静区(矩之允)が大塩を諌めますが、槍で突かれて亡くなっています。

午前8時頃、大塩は向屋敷の与力の朝岡邸に大筒を打ち込む、自宅に火をかけて出陣します。
至るところで大筒を打ち、火矢を飛ばし、槍や薙刀を振り回して、出会い次第に味方に加われと勧め、不承知ならば斬り殺すといったこともあり、軍勢は200〜300名ほどに膨れ上がりました。その後、大塩たちは豪商たちが集める場所を攻撃します。

一方、奉行所の対応は出遅れます。奉行の跡部が大筒の調達にこだわったことも原因だとされますが、正午ごろに大筒が調達でき、いよいよ出陣します。
この戦いで活躍したのは与力の坂本鉉之助でした。砲術の心得もあった坂本が大塩勢の砲手を仕留めたことから、大塩勢は総崩れになります。
しかし、大塩らが放った火は消えずに、「大塩焼け」と呼ばれる大きな火災となりました。

大塩軍は四散し、参加した門人らは次々と捕まりますが、大塩本人と養子の格之助はこの後一月近く潜伏します。大坂の太物商の美吉屋五郎兵衛の屋敷に隠れ続けるのです。
なぜ、大塩は隠れ続けたのか?
実は大塩は江戸に建議書を送っており、そこには現職老中のかつての悪行や、大坂奉行所の問題などが指摘してありました。そして、この建議書は林述斎と水戸斉昭という2人の人物の動きや影響力を期待して書かれたものでした。

林述斎との関係はすでに述べましたが、ここで水戸斉昭が登場します。じつは大塩は水戸藩が大坂で米を手に入れる手助けをしており、こうした関係から大塩は水戸に期待していたと思われます。
大塩平八郎の乱には「江戸を撃つ」という思惑もあったのです。
しかし、建議書は水戸斉昭のもとには届かず、3月27日に大塩父子の自決で乱は終わります。
このように乱は何かを成し遂げることなく終息しますが、この乱の影響で生田万の乱が起こり、大坂近郊でも「徳政大塩味方」などと書いた幟を建てて富豪や庄屋などを襲撃する能勢騒動も起きています。
そして、大坂の町を焼いたにもかかわらず、大塩は大坂の町の人々から尊敬されることになるのです。

このように、本書はあまり知らなかった大塩の顔を教えてくれる本です。
叙述としては時系列に沿ってきれいに整理されているわけではなく、史料からわかった事実を書くということを繰り返していくので、歴史学の本を読み慣れていない人にはやや読みにくいかもしれませんが、ここでは紹介しきれなかったさまざまなエピソードや、大塩と同時代人との関係などもわかります。
大塩というとどうしても思想面から掘り下げられることが多かったですが、本書は、大塩を取り巻く時代の文脈とともに大塩という人物を多面的に掘り下げています。


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名前:山下ゆ
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