黒人の生み出した文化を「ブラック・カルチャー」と言いますが、そのブラック・カルチャーとは一体何なのか? という問いに応えようとした本です。
本書の冒頭で「ブラック・カルチャーとはアフリカに由来する文化だと言えます」(はじめに i p)と書いているように、ブラック・カルチャーを米国の中の文化という枠組みで捉えるのではなく、環大西洋の枠組みで捉えようとしているのが本書の特徴です。
本書では音楽を中心に、アフリカから奴隷船で連れ去られた黒人たちが、アメリカ大陸でいかに自分たちのルーツを見出していのかということを語っています。
「音楽を語る」という根源的な難しさはあるわけですが、本書を読めば、ブラック・ミュージックを中心とするブラック・カルチャーの流れや、そこで目指されていたものというものはわかると思います。
また、アフロ・フューチャリズムなどの近年の動きも押さえており、勉強になります。
一方で、ヒップホップに見られるような女性嫌悪の問題など、もう少し踏み込んでほしい問題もありました。
目次は以下の通り。
はじめに ブラック・カルチャーをめぐる旅へ第一章 アフリカの口頭伝承第二章 奴隷船の経験第三章 アメリカスに渡ったアフリカの声と音第四章 自由を希求する共同体の歌第五章 合衆国のブラック・ミュージック第六章 アメリカスからアフリカへ第七章 文字のなかの声第八章 奴隷貿易・奴隷制の記憶の光と影第九章 ブラック・ミュージックの魂第一〇章 ブラック・スタディーズとは何か第一一章 ブラック・カルチャーは誰のものか第一二章 未来に向けて再構築されるルーツ
冒頭にも書いたように本書はブラック・カルチャーの基盤をアフリカに求めています。
アフリカでは西アフリカを中心にイスラームが広がり、それとともにアラビア語やアラビア文字を使う文字体系がつくられました。ですから、アフリカは決して無文字社会ではないのですが、アフリカ文化の重要の要素として口頭伝承があります。
アフリカでは神話や知恵を伝える語り部が重要視され、その語り部は音楽とともに伝承を伝えることもありました。このため音楽もアフリカ文化の重要な要素になります。
このアフリカで生まれた口頭伝承と音の文化が奴隷船を通じてアメリカ大陸へと運ばれることになります。
奴隷船の悲惨な状況については本書でも触れられていますが、奴隷制のような絶望的な状況の中で奴隷とされた人々は歌を歌っていたといいます。特に歌の中心にいたのは女性でした。
「アメリカ」という言い方以外にも、中南米を含む全地域を含む用語として「アメリカス」という複数形を用いた言葉があります。本書でも、米国だけではなくカリブ地域、ブラジルなども含むものとして、この「アメリカス」という言葉が使われています。
アフリカから伝えられた文化は、このアメリカスでそれぞれ発展を遂げ、ネオ・アフリカ文化とも言えるものが展開されていきました。
当然ながら、奴隷としての生活の中で文化を維持することは難しかったわけですが、そうした中でも、かぶり物、釣り、ドラミングといったものが伝承されました。
かぶり物はブラック・アメリカスに広範に見られるもので、釣りに関しては、そのルーツは良くわからない面があるもの、奴隷労働の間の束の間の自由が得られるものとして、奴隷の間で伝えられていきました。
ドラミングについては、たとえ太鼓がなくても、何かを叩けばそれが楽器となります。ドラミングは持たざる奴隷が伝承していけるものだったのです。
歌うこともまた、何もなくてもできるものです。奴隷たちの歌からは「コール&レスポンス」、「シャウト」といった技法が生み出され、内容的には失われた家(ホーム)を求める、宗教性を持った「スピリチュアル」と呼ばれるジャンルが生まれてきます。
ブルースを「世俗的スピリチュアル」と捉える見方もあり、個人の苦悩を通してブラックの共同体の苦悩を描き出しているといいます。
第5章では「アメリカ合衆国のブラック・ミュージック」と題し、ジャズを中心とした音楽の流れを追っています。
ジャズの歴史はニューオーリンズで始まったと言われます。この街で生まれた元奴隷たちのブラスバンドから「サッチモ」ことルイ・アームストロングが登場します。サッチモはその演奏技術に加えて、集団の演奏の中にソロ・パートを導入したこと、スキャットと呼ばれる唱法を導入したことなどによってジャズを始めた人物とも言われます。
サッチモから始まったジャズは大人数編成のビッグバンドで演奏されるようになり、「白人」からも受け入れられるようになっていきます。1920〜30年代にかけて「スウィング」と呼ばれるジャズが流行しました。
このスウィングはレコードやラジオの普及とともに広まっていきますが、第2次世界大戦が終わる頃には流行が終わり、また経費もかかることから、ジャズの中心は「ビバップ」と呼ばれる少人数編成のバンドが行うものに移っていきます。
このビバップについては過去の音楽との違いが強調されることが多いですが、本書ではむしろ奴隷時代の創意と即興をよみがえらせたものだと考えています。
合衆国以外でもブラック・ミュージックの展開がありました。サンバ、ルンバ、レゲエなどもアフリカの音楽との連続性を持つといいます。
サンバは即興とシンコペーションを特徴とする黒人音楽のショーロ、ポルカやマズルカと言ったヨーロッパの音楽を取り入れながら発展したもので、ブラジルの「混血性」を示すものともされています。
アメリカスのプランテーション文化圏の中では。奴隷たちの活動は抑圧され、イギリスは19世紀後半に暴動禁止を目的として太鼓とスティックの使用を禁じました。これに対して人々が生み出したものがスティールパンです。
レゲエも、その思想的背景としては宗教運動ラスタファリアニズムを持っていますが、これは既成社会を白人が支配するバビロンと捉え、救世主ジャーの加護のもと、アフリカに帰還することを目指すものです。
第7章では文字の世界がとり上げられています。
黒人奴隷たちは生まれた土地から引き離され、読み書きに関しては英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語などの農園主の言語を使わざるを得ませんでした。
奴隷が文字を学べば奴隷に向かなくなってしまうという考えもあり、奴隷が文字を学ぶことが抑圧されることも多かったですが、奴隷制から抜け出すために文字を学ぼうとする者も現れます。
また、奴隷の体験を世に問い、さまざまな形で黒人たちの声を記録しようとする動きも出てきます。
カリブ海地域では、フランス語とさまざまな言語が入り混じり「クレオール語」と呼ばれる言語が形成されました。
フランス語の複雑な文法を単純化し、アフリカの諸言語に由来するさまざまな語彙や話し方、さらに先住民の語彙も取り入れて独自の言語世界を形成していくことになります。
著者は合衆国の黒人英語も「クレオール化」したものと捉えています。
近年では負の文化遺産をめぐるダーク・ツーリズムと呼ばれるものが登場しています。また、負の記憶を保存しようとする動きもあり、奴隷制をめぐる場所などを整備する動きがあります。
ただし、遺跡などがそのまま残っているわけではなく、例えば、ベナンのウイダにある「帰らずの門」は1995年につくられた現代的なモニュメントです。
現代では奴隷貿易は人類の負の遺産としての評価が定着しているわけですが、そうなってくると問題として浮上するのが奴隷貿易に協力したアフリカ人の問題です。
長年、アフリカは「帰るべき故郷(ホーム)」と位置づけられてきたわけですが、奴隷は「アフリカから見捨てられた孤児」(135p、サイディヤ・ハートマンの表現)でもあるわけです。
第9章では再びブラック・ミュージックに戻ってきます。
1960年代後半〜70代前半にかけて「ブラック・パワー」運動が盛り上がりますが、「ブラック」であることを前面に打ち出すスタイルは、ときにナショナリズム的であり、内部には家父長制的で男性中心的な考えを抱えていました。
これに対し、著者はナショナリズム的な側面については、「ネーション」を特定の国や集団を指すものではなく、未来に向けた共同体を指す言葉として捉えることで乗り越えることが可能ではないかと考えています。
家父長制的な部分や女性嫌悪の問題については、本章の最後のヒップホップをとり上げた部分でローリン・ヒルをあげて少し言及していますが、基本的にはそれほど深められずに終わっています。
一方、ここでは「ブラック・スピリチュアル」というブラック・ミュージックの魂を自覚的に求める姿勢について重点的に書かれており、ブラック・アーツ運動との関係やラップの中にある精神性や宗教性などが指摘されています。
「ブラック・パワー」の動きは学問の世界にも影響を与えていますが、その流れの1つが「アフリカ中心主義」です。
ここではエジプト文明をオリエントではなくアフリカの文明と捉えることで、アフリカこそが人類と文明の誕生の地であることが強調されます。
実証的には怪しい部分もありますが、今までの西洋中心主義イデオロギーに対する対抗イデオロギー的な位置づけとして一定の存在感を持っています。
2018年に公開された映画『ブラックパンサー』もエジプト文明をアフリカに取り込んでおり、その上でアフリカの超文明を描きました。こうしたSF的な想像力をアフロフューチャリズムとも言います。
この古代エジプト的な想像力は音楽の世界でも使われており、エジプト的なジャケットなどが見られます。
一方で、黒人は奴隷という社会的な死から未だに開放されていないとするアフロペシミズムと言われる考えもあります。
近年では、反植民地主義の流れの中で欧米の博物館が所蔵するアフリカの文化遺産の返還を求める動きもあり、また、「文化の盗用」も問題になっています。
文化の盗用の概念を広げていけば、当然ながら日本人が黒人音楽を真似たり、そのファッションを取り入れたりすることも問題になりますが、著者は「文化は混交する」という特徴からこれを乗り越えていけると考えています。
このように本書はブラック・カルチャーを広く概観できる本です。米国だけに限らず、カリブ海、ブラジル、そしてアフリカを含んだ環大西洋世界に目配せがされており、近年のブラック・カルチャーを取り巻く学問的な潮流もわかるようになっています。
一方、ブラック・ミュージックの中ではヒップホップを一番よく聴く自分からすると、もうちょっとヒップホップについての言及も欲しかったところで、特に音楽面における自由さと、いつまでも変わらない女性嫌悪の問題などに興味があったのですが、そういった部分についての扱いは弱かったですね。あと一歩、ブラック・カルチャーが抱える問題についても踏み込んでいい気がしました。
- 2025年06月15日21:56
- yamasitayu
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