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山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

自民の「一強」状態が続いている昨今の政治ですが、選挙結果などを詳しくみると、公明党の協力があってこその自民「一強」であることも見えてきます。一方、民主党政権の民主党・社民党・国民新党の組み合わせはあっという間に崩壊し、安保法制反対などで盛り上がった野党共闘の動きも、結局はしっかりとした形にはなっていません。

ここ25年間のうち、単独政権は第二次橋本政権の末期から小渕政権の途中の7ヶ月ほどで、連立政権が常態化しています。しかも、選挙制度改革によって中選挙区が小選挙区比例代表並立制となり、二大政党制を生み出しやすいメカニズムが整えられたにもかかわらずです。
そして、この数々の連立政権の中で唯一安定的な枠組みとなってるのが自公の組み合わせです。政策距離で言えば、自民と公明よりも自民と民主(やその後継政党)のほうが近いように思われますが、それでも自公の枠組みは崩れません。こうした謎を追うのが本書の内容となります。

自公政権ができる前の連立や民主党政権に関する分析や政局への注目も多く、そのぶんページ数は多くなっていますが、政治ドラマが好きな人であれば、そうした部分を含めて楽しめると思いますし、そうした政治ドラマは抜きにしても現在の日本の政治を考える上で重要な視点を得ることができると思います。
著者は『自民党―「一強」の実像』(中公新書)を書いていますが、相補う本と言えるでしょう。

目次は以下の通り。
はじめに もはや単独政権の時代ではない
第1章 神話としての二党制
第2章 連立の政治学
第3章 非自民連立から自社さへ
第4章 自公政権の形成と発展
第5章 なぜ民主党政権は行きづまったのか
第6章 自公政権の政策決定とポスト配分
第7章 自民・公明両党の選挙協力
おわりに 野党共闘と政権交代を考える

まず第1章では「神話としての二党制」と題して、「二党制」を目指した日本の選挙制度改革が、結局は二党制を生み出し得なかったことが指摘されています。
80年代後半から90年代前半にかけての政治スキャンダルは、政権交代が可能な選挙制度の導入へと政治家や世論を動かし、イギリスの二党制が改革のモデルとして選ばれました。
純粋な小選挙区制を理想とする小沢一郎らと、生き残りをはかる中小政党の駆け引きなどの末、最終的に小選挙区比例代表並立制が導入されます。小選挙区300、比例代表200と小選挙区が中心で、しかも小選挙区の候補が比例に重複立候補できる制度もあり、比例代表が小選挙区に従属するような制度でした。

このため、日本の政治も二党制へと収斂するかと思われました。しかし、2009年の民主党の圧勝劇をピークに日本の政治は二党制から離れていきます。野党の多党化が進み、自民党の「一強」とも言える状況が出現し、25年たって再び中選挙区制のもとでの「一強多弱」が戻ってきたような状況になっているのです。
ただし、以前と違うのは「一強」である自民も、公明党との連立を続けている点です。衆参両院で過半数をとっても自民は公明と連立を続けているのです。
さらにこの章では、イギリスとの比較を通じて、比較的力の強い参議院があること、野党勢力(民主党系)に確固たる地盤がないことなど、日本の政治の特徴のいくつかを指摘してます。

第2章では政治学における連立政権をめぐる理論が紹介されています。
最初に紹介されているのが「最小勝利連合」の考えです。議会では過半数をとることが大事であり、必要以上に大きな勢力となれば配分される閣僚ポストの数は減ります。ですから、過大な規模にならないような最小勝利連合が追求されるというのがこの理論です。
一方、政党間の政策距離を重視する考えもあります。たとえ最小勝利連合になるといっても自民と共産が連立することが考えにくいように、やはり政党間の政策の違いは大きなポイントとなるのです。これによって過大な規模の連立などもある程度成立できます。

以上の2つの理論は、選挙が終わった後の連立の組み方についてのものですが、連立は現在の自公政権のように選挙協力を行い、選挙を超えて持続することもあります。
特にこの選挙前から連立を組むスタイルについて、ソナ・ゴールダーはそれを「選挙前連合」として分析されました。この「選挙前連合」が形成されやすいのは、選挙制度は非比例的なときで(小選挙区が非比例的な選挙の代表例)、政党はスケール・メリットを求めてまとまっていくのです。
自公政権という「選挙前連合」が定着したのも、小選挙区比例代表並立制が導入されて以降のことです。

93年以降の日本の連立政権をみると、衆議院の最小勝利連合となっているケースは少なく、多くが過大規模となっています。一方、参議院に注目すると最小勝利連合になっている事が多く、「参議院こそ多数派形成の主戦場という印象すら」(102p)あります。
また、日本の国会制度が委員会制度をとっているとも過大規模連合を生み出す要因だといいます。スムーズな国会運営を行うためには、全ての委員会で委員長と野党と同数の委員を確保する安定多数を目指す必要があるからです。

第3章では、細川・羽田政権の非自民連立と自社さ連立政権が分析されています。政局的な部分も面白いですが、ここでは連立というポイントに絞ってまとめます。
細川連立政権は八党派からなる連立政権で意思決定に難しさを抱えていました。政策決定は政府・与党の二元体制で行われ、主導権を握ったのは与党の代表者会議でした。
ここでは小沢一郎と公明党の市川雄一のいわゆる「一・一ライン」が活躍するわけでしが、この「一・一ライン」を苛立たせたのが、党内の「一任」を取り付けられずにすぐに持ち帰って協議する社会党のやり方でした。多数決などは行われませんでしたが、調整が困難なときは細川首相への「一任」という形で突破が図られました。
この細川首相への「一任」でウルグアイ・ラウンドにおけるコメの部分開放などが決まりますが、社会党の不満はたまっていき連立は解消されることになります。

一方、その後に成立した自社さ政権では、互いが歩み寄ると同時に、ボトムアップとコンセンサスによる政策調整を密に行いました。
党首会談の定例化とともに、与党の意思決定の会議において、おおむね自民3、社会2、さきがけ1という比率が守られ、自民党が過半数を握ってしまわないようにしました。さらに政策決定をボトムアップで行うことで、政策のズレを埋めていきました。
しかし、問題となったのが選挙協力です。95年の参院選はその試金石でしたが、89年の参院選が自民惨敗、社会党大勝だったこともあり、候補者調整は難航します。結局、自民が復調する一方で社会党は惨敗します。さらに96年の衆議院総選挙でも候補者調整はうまくいかずに社会党は惨敗、社会党とさきがけは閣外協力に転じるのです。
閣外協力となった後も政策決定のプロセスに関わりますが、社会党とさきがけのマンパワー不足からその手続きは簡素化されました。そして、98年には参院選を見据えて閣外協力の関係が解消されます。

第4章は自公政権の成立について。参議院で過半数を失った自民党は苦しい国会運営を強いられ、連立を模索します。そこでねらいを定めたのが公明党でした。しかし、反自民を掲げてきた公明党がすんなりと自民と組むことは難しく、ワンクッションを置くためにまずは自由党との連立がなされ、ついて公明党がこれに加わり、自自公の連立が成立します。
しかし、この枠組は短期間で崩壊します。自自公の政策距離は自社さに比べれば近いものでしたが、自由党の小沢一郎がトップダウンでの政策決定を小渕首相に求めたのに対して、自民党の組織内にはそれを受け入れる素地がありませんでした。さらに自民党と自由党の候補者調整が停滞したこともあり、小沢一郎は小渕首相に合流か連立離脱かを突きつけ、結局連立は解消されることとなるのです。

候補者調整に関しては、2000年の衆院選における自民と公明の間の調整もそれほどうまくいきませんでした。公明党は自民と競合した選挙区で全敗し、議席を公示前から11議席も減らしました。自民の中でもYKKを中心の公明党の連立に疑問を抱く勢力は根強く、2001年にはそのYKKの1人である小泉純一郎が首相となりました。
ところが、この小泉政権のもとで自公の枠組みは安定します。政策決定に関しては、自民党が官邸を占める一方で、公明党が与党の立場からそこにブレーキをかけるやり方に落ち着くとともに、選挙協力が深化していきます。
2001年の参院選では小泉ブームによる自民の圧勝劇の裏で、公明党も比例区で過去最高の得票を得ました。これは自民との選挙協力があってのものです。さらに03年の衆院選では小選挙区では自公の完全な棲み分けが行われ、自民の候補が「比例は公明」と呼びかけることも一般的になってきました。この03年の総選挙で、公明の支持があってこそ勝利することができたという認識が自民党の代議士の中にも広がり、自公は選挙協力の枠組みとして安定していくのです。

第5章では民主党政権の行き詰まりが分析されています。自自公連立を解消した小沢一郎率いる自由党は民主党と合流し、その小沢一郎のもとで社民党や国民新党との選挙協力も進みます。社民党の地方組織や、郵政民営化に反対する議員の集まりである国民新党の持つ全国特定郵便局長会の票は、政権を目指す民主党にとって価値のあるものだったからです。
2009年の衆議院選挙で民主党は圧勝し、民主党と社民党、国民新党による連立政権が誕生します。民主・社民・国民新の選挙協力も比較的うまくいき、安定した枠組みが生まれたかにも思われました。
しかし、この連立は政策決定の枠組みから崩れていきます。民主党は政策決定の一元化を唱えており、与党の事前審査制を廃止して、政府による一元的な政策決定を目指しました。
ところが、この政策決定の仕組は少数政党にとっては不利です。社民党と国民新党の閣僚はそれぞれ1人で、政府では圧倒的多数を民主党議員が占めることになりました。社民党の福島瑞穂、国民新党の亀井静香という党首が入閣したとはいえ、両党の発言力は限られたのです。社民党は民主党の幹事長であった小沢一郎を通じて調整を行おうとしましたが、小沢の腰が重かったこともあり、普天間基地の移設問題をきっかけに社民党が連立を離脱します。
民主党は自社さ政権のような政策決定に関する丁寧な調整を行うことができず、崩壊したのです。

一方、下野した公明党では一時小選挙区からの撤退が検討され、当初は自民党から距離を取り民主党政権に対して是々非々でのぞむ姿勢も見せました。
それでも自公の枠組みは崩れませんでした。国会対応では国対委員長を務める大島理森と漆原良夫のラインがつながっていましたし、2010年の参院選でも選挙協力がなされました。両党の選挙協力は双方にメリットをもたらすものであり、すっかり定着していたのです。
そして、2012年の衆議院選挙で自公は再び政権に返り咲きます。

第6章では自公政権の政策決定とポスト配分が分析されています。
まず、政策距離からいうと自民と公明は決して近くはなく、むしろ民主(民進)と公明のほうが近いくらいです(261pのグラフ6−1を参照)。連立を組みにあたっては、基本的に政策距離が近いほうがうまくいきますが、政策距離が離れていることが、連立政権の政策の幅をもたらすこともあります。
政策決定に関しては、衆院選や新首相の誕生後に結ばれる両党の連立合意が基本としてあり、その合意の上でさまざまな調整が行われています。近年では内閣提出法に関しては官僚が両党の間の調整を行っているそうです。
第二次以降の安倍政権では官邸主導の流れが強まっていますが、公明党は官邸には議員を送り込んでいません。公明党はあくまでも政府・与党の二元体制のもとで与党の立場から政策に関与しています。

ポストに関しても公明党は議席の割に過小となっています。1999年以来、公明党が獲得してきた閣僚ポストは常に1で、閣僚に占める割合は5%ほどですが、議席では11〜15%ほどを占めており、2か3の閣僚ポストを獲得してもおかしくはないのです。一方、副大臣や政務官に関しては議席数に見合った水準となっています。
近年、公明党は国土交通相のポストを獲得し続けていますが、これについて公明党の幹部は次のように述べています。

国交相は土地や住宅から鉄道・道路・港湾までカバーしていて、地元の党員・支持者の要望に応えやすい。予算額も大きく、選挙を考えると離したくない。「福祉の党」という観点から言えば、厚労相もいいけど、現在では国民に我慢してもらう役回りになっている。経産相や環境相は、原発を扱わなくてはならないので、手を出しにくい。法相では誰も喜ばない。国交相のポストは一つであっても、十分なメリットがある。(281p)

この発言からは、「権力を獲得したい」というよりは「リスクを負いたくない」という公明党の姿が見えてきます。このような公明党の姿勢は大臣になりたい議員を多く抱える自民党にとっては都合の良いものでしょう。

イデオロギー的にも公明党との距離が遠い第二次安倍政権の誕生は、公明党にも難しい局面をもたらしましたが、集団的自衛権の問題でも消費税の軽減税率でも公明党は自らの主張をある程度反映させることに成功しています。
こうした調整が可能な背景として、著者は両党の間の人脈と体質をあげて、漆原良夫の「政策からみれば、公明党は民主党と近い。けれども、体質は自民党と似ている。政治は理屈じゃなくて、情だからね。」(298p)という言葉を紹介しています。

第7章は自公の選挙協力が分析されています。自公の枠組みを強固にしている最も大きな要因がこの選挙協力だと考えられます。
現在、衆議院の小選挙区では自公の完全な棲み分けがなされており、自民の公認候補のほとんど(2017年で96%)を公明党が推薦しています。参議院でも候補者調整がなされており、四人区と三人区では公明党が候補者を出す場合には自民は候補を1人に絞っています。
また、この章で興味深いのは小選挙区選出の公明党の議員が自公連立をつないでいるという指摘です。小選挙区では公明党の議員といえどもドブ板選挙に徹する必要があります。小選挙区で勝ち抜くには自民の基盤である地元の自治会や老人会などにも食い込まねばならず、小選挙区選出議員にとって自民の連携は必須です。公明党の議員の中でも自公連立に対する温度差はあり、著者は「衆議院本会議でIR推進法案が自主投票とされた際、小選挙区選出議員に賛成が多かったことは、潜在的な亀裂の存在を垣間見せた」(324p)と指摘しています。

具体的な選挙協力の効果については、比例で公明党に投票した有権者の6割、あるいは8割が小選挙区の自民党の候補者に投票したとして推計を行っています。2017年の総選挙で自民は小選挙区で215議席を獲得しましたが、このうち6割の歩留まりで計算した場合は44議席、8割の歩留まりで計算した場合62議席が公明党の協力によって落選を免れたと考えられます。このように公明党の票の存在は大きく、たとえ自民が衆参で単独過半数を獲得したとしても、この協力関係はそう簡単には解消できないのです。
一方の公明党にとっても、先程述べたように小選挙区の勝利に自民の協力は不可欠ですし、比例においても自民から流れてくる票で100〜150万票の上積みがあると考えられます。
このように自公の票は相互補完の関係にあり、この関係が国政選挙での5連勝の大きな要因なのです。

では、この自公の組み合わせが盤石かというと、絶対的な得票数では自公とも伸び悩んでいます。特に公明党に関しては2017年の総選挙で比例票が25年ぶりに700万票割れとなりました。
また、自公の協力関係が崩れているのが東京と大阪です。それぞれ都民ファーストの会、おおさか維新の会が自民の議席を大きく崩したのが特徴で、この勢いに公明が従う形になっています(ちなみに公明党のこうした姿勢に疑問を感じる人は薬師寺克行『公明党』(中公新書)を読むと公明党の「組織防衛」的な姿勢の理由がわかると思います)。

「おわりに」では、野党共闘の可能性が簡単に考察されていますが、やはり難しいのは共産党の存在です。強固な組織票がある点は公明党と共通していますが、やはり各党には拒否感があり、すんなりと連立を組める相手ではありません。また、確固たる地盤がないというのも現在の野党の弱みです。

このようにこの本はたんに自公政権の歴史を追うだけではなく、それを政治学的な理論で裏づけ、さらに自公以外の連立も視野に入れた上で分析を進めています。そして、ここ25年の政治が連立の時代であったことを考えると、ここ四半世紀の日本政治を読み解く本ともなっています。
少し欲張った構成にはなっていますが、近年の政治の動きを読み解く上でも、今後の政治を占う上でも、非常に参考になる本だと思います。




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