帯には橋下徹の写真があり、「転換期に現れた橋下徹」との語句もあるので、いわゆる「橋下現象」を分析した本に思えるかもしれませんが、この本の射程はもっと長いものです。
第1章から第3章で「橋下徹以前」の都市としての大阪の歩みと問題点を、日本における地方自治制度の変化の中から描き出し、第4章と第5章の前半で橋下徹 の改革と「大阪都構想」をとり上げ、第5章の後半部分と終章ではこれからの大都市と地方自治制度が直面していくであろう問題について著者なりの見解を打ち 出しています。
以前、このブログで橋下徹・堺屋太一『体制維新――大阪都』をとり上げた時に書きましたが、大阪都構想の背景には、大阪市が「小さすぎる」し「大きすぎる」という問題があります。
人口約260万の大阪市はグローバルな都市間競争を勝ち抜くための規模としては「小さすぎ」、空港や道路などのインフラ、成長戦略を考えるためには現在の大阪市の規模や範囲だけでは「小さすぎ」ます。
一方、大阪市は基礎自治体としては「大きすぎ」ます。大阪市は人口で行けば都道府県レベルの規模であり、住民の細かいニーズを汲み取りながら政治を行なっていくには「大きすぎる」存在なのです。
けれどもこの問題は近年になって急に浮上した問題ではありません。
御堂筋をつくった關一市長の時代から、大阪市が大阪の抱える都市問題を解決するには「小さすぎる」ということは意識されていました。そこで關一は大阪市の 市域を大規模に拡張するとともに大阪市の周辺に宅地を開発し、それを高速鉄道によって結ぶという大阪市の市域を越えた都市計画を立案し実行しました。
また大阪市と大阪府の二重行政の弊害についても、昔からある問題です。この本では、戦後の公害問題について、「市民からの働きかけを受けて公害対策を進め ようとする大阪市と法人関係税を主要な財源として産業の振興を重視する大阪府」の間に対立があって、対策がなかなか進まなかった事例が紹介されています (46ー48p)。
この二重行政の弊害はバブル崩壊以降、大阪の経済力が落ち税収の伸びも止まったことからより大きな問題として認識されるようになりました。
特に大阪市主導のWTCビルと大阪府主導のりんくうゲートタワービルが両者の調整なしに開業しともに苦戦を強いられた例は、この本で「リーダーシップ欠 如の象徴」と名付けられているように(100p)、大阪の二重行政の無駄の象徴として人びとに大きな印象を残しました。
ここまでが第3章までの内容。橋下徹は登場せず、地方自治の法制度や財政制度の分析などが挟み込まれているのでやや難解に感じる人も多いかもしれませんが、丁寧に読んでいけば、日本の地方自治の問題点、そして橋下徹の大阪都構想という問題設定の必然性も見えてきます。
橋下徹はそのキャラクターから「異端」の改革者に見えますが、その問題意識はきわめて「正統」なものとも言えるのです。
ただ、橋下徹のわかりにくさの一つは「都市官僚制の論理」と「納税者の論理」をさまざまな所で使い分けている点。
「都市官僚制の論理」とは、それこそ關一に通じるもので、しっかりとした都市計画を行政が立て、その計画のもとで都市の成長を追求していくべきだという考え。この場合、大阪市が都市計画の主体としては「小さすぎる」ことが問題になります。
一方、「納税者の論理」とは、90年代後半から登場した「無党派」首長が旗印としたもので、税金の無駄遣いをなくし、民営化を進めてコストカットをはか り、さらに分権を進めることで納税者に税金の使い道について納得してもらう考えです。この場合、大阪市が住民の細かいニーズを汲み取り、税金の使い道を住 民が監視していくには「大きすぎる」ことが問題になります。
この2つの論理は、それぞれ説得力のあるものでどちらが正しいとは言い難いものですが、よほど財源に余裕がない限り両方を追求することは難しいはずです。
しかし、橋下徹の大阪都構想においてはこの両者の対立が覆い隠されているとして、著者は次にように書いています。
ここから著者は橋下徹の大阪都構想の問題だけでなく、日本の地方自治制度の二元代表制の問題を取り出しています。
これは著者のデビュー作の『地方政府の民主主義』でとり上げられていた問題でもあります。地方自治には地方議会と首長という住民に別々に委任されたアクターがいて、首長はその地域の一般的な利益を、地方議会の議員は地域における個別的利益を代表する傾向があります。
地方議会の議員は当選回数を重ねないとなかなか力を持てないため、ある種現状維持的な政策を志向しがちですが、当選回数を重ねることなく権力の座に付くこ とのできる首長にとって必ずしも現状維持は重要ではありません。むしろ現状維持を否定することで「改革」を演出できるのです。
しかし、「改革派」の首長も当選回数を重ねれば政策的なスタンスは現状維持的となり、そこでさらなる外部に立つ「改革派」が求められる。これが著者が『地方政府の民主主義』の最後の部分で描き出した現在の地方政治の一つの姿です。
この本の終章では、そうした大阪、そして地方政治に状況に対して「都市における政党政治の創出を」という処方箋が示されています(213p〜)。
議員の個人的利害や首長の個人的なパフォーマンスに頼らない政党政治こそが、大都市の将来を決めていく上で必要だというのです。そのために地方議員の選挙 に比例代表制を採用すること、さらに「議会が自治体のリーダーを指名する、国と同様の間接民主主義的な制度は検討に値する」(215p)とまで述べていま す。
このあたりは、首相公選制の導入によって中央でも「トップによる改革」をめざす橋下徹の首長とは対照的ですよね。
ここまで長々と書いてきましたが、この本にはこれ以外にも地方財政制度の変遷とその影響、日本における都市政党の可能性、55年体制の崩壊が地方政治に与えた影響など、読み応えのある部分が沢山あります。
その分、内容はかなり詰まっていますし、大阪の歴史を政治制度の面から記述しているのでイメージがわきにくい面もあるかもしれません。ただ、それでも橋下 徹の改革、大阪をはじめとする日本の大都市のゆくえ、さらに日本の地方自治制度を考える上で非常の多くのことを教えてくれている本です。
大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)
砂原 庸介
4121021916
第1章から第3章で「橋下徹以前」の都市としての大阪の歩みと問題点を、日本における地方自治制度の変化の中から描き出し、第4章と第5章の前半で橋下徹 の改革と「大阪都構想」をとり上げ、第5章の後半部分と終章ではこれからの大都市と地方自治制度が直面していくであろう問題について著者なりの見解を打ち 出しています。
以前、このブログで橋下徹・堺屋太一『体制維新――大阪都』をとり上げた時に書きましたが、大阪都構想の背景には、大阪市が「小さすぎる」し「大きすぎる」という問題があります。
人口約260万の大阪市はグローバルな都市間競争を勝ち抜くための規模としては「小さすぎ」、空港や道路などのインフラ、成長戦略を考えるためには現在の大阪市の規模や範囲だけでは「小さすぎ」ます。
一方、大阪市は基礎自治体としては「大きすぎ」ます。大阪市は人口で行けば都道府県レベルの規模であり、住民の細かいニーズを汲み取りながら政治を行なっていくには「大きすぎる」存在なのです。
けれどもこの問題は近年になって急に浮上した問題ではありません。
御堂筋をつくった關一市長の時代から、大阪市が大阪の抱える都市問題を解決するには「小さすぎる」ということは意識されていました。そこで關一は大阪市の 市域を大規模に拡張するとともに大阪市の周辺に宅地を開発し、それを高速鉄道によって結ぶという大阪市の市域を越えた都市計画を立案し実行しました。
また大阪市と大阪府の二重行政の弊害についても、昔からある問題です。この本では、戦後の公害問題について、「市民からの働きかけを受けて公害対策を進め ようとする大阪市と法人関係税を主要な財源として産業の振興を重視する大阪府」の間に対立があって、対策がなかなか進まなかった事例が紹介されています (46ー48p)。
この二重行政の弊害はバブル崩壊以降、大阪の経済力が落ち税収の伸びも止まったことからより大きな問題として認識されるようになりました。
特に大阪市主導のWTCビルと大阪府主導のりんくうゲートタワービルが両者の調整なしに開業しともに苦戦を強いられた例は、この本で「リーダーシップ欠 如の象徴」と名付けられているように(100p)、大阪の二重行政の無駄の象徴として人びとに大きな印象を残しました。
ここまでが第3章までの内容。橋下徹は登場せず、地方自治の法制度や財政制度の分析などが挟み込まれているのでやや難解に感じる人も多いかもしれませんが、丁寧に読んでいけば、日本の地方自治の問題点、そして橋下徹の大阪都構想という問題設定の必然性も見えてきます。
橋下徹はそのキャラクターから「異端」の改革者に見えますが、その問題意識はきわめて「正統」なものとも言えるのです。
ただ、橋下徹のわかりにくさの一つは「都市官僚制の論理」と「納税者の論理」をさまざまな所で使い分けている点。
「都市官僚制の論理」とは、それこそ關一に通じるもので、しっかりとした都市計画を行政が立て、その計画のもとで都市の成長を追求していくべきだという考え。この場合、大阪市が都市計画の主体としては「小さすぎる」ことが問題になります。
一方、「納税者の論理」とは、90年代後半から登場した「無党派」首長が旗印としたもので、税金の無駄遣いをなくし、民営化を進めてコストカットをはか り、さらに分権を進めることで納税者に税金の使い道について納得してもらう考えです。この場合、大阪市が住民の細かいニーズを汲み取り、税金の使い道を住 民が監視していくには「大きすぎる」ことが問題になります。
この2つの論理は、それぞれ説得力のあるものでどちらが正しいとは言い難いものですが、よほど財源に余裕がない限り両方を追求することは難しいはずです。
しかし、橋下徹の大阪都構想においてはこの両者の対立が覆い隠されているとして、著者は次にように書いています。
しかし、「大阪都構想」をめぐる政治過程では、ふたつの論理のバランスが問われることはなく、ふたつの論理をともに強調する「大阪都構想」かいずれも強調しない現状維持かの選択が中心となってきた。(207p)
ここから著者は橋下徹の大阪都構想の問題だけでなく、日本の地方自治制度の二元代表制の問題を取り出しています。
これは著者のデビュー作の『地方政府の民主主義』でとり上げられていた問題でもあります。地方自治には地方議会と首長という住民に別々に委任されたアクターがいて、首長はその地域の一般的な利益を、地方議会の議員は地域における個別的利益を代表する傾向があります。
地方議会の議員は当選回数を重ねないとなかなか力を持てないため、ある種現状維持的な政策を志向しがちですが、当選回数を重ねることなく権力の座に付くこ とのできる首長にとって必ずしも現状維持は重要ではありません。むしろ現状維持を否定することで「改革」を演出できるのです。
しかし、「改革派」の首長も当選回数を重ねれば政策的なスタンスは現状維持的となり、そこでさらなる外部に立つ「改革派」が求められる。これが著者が『地方政府の民主主義』の最後の部分で描き出した現在の地方政治の一つの姿です。
この本の終章では、そうした大阪、そして地方政治に状況に対して「都市における政党政治の創出を」という処方箋が示されています(213p〜)。
議員の個人的利害や首長の個人的なパフォーマンスに頼らない政党政治こそが、大都市の将来を決めていく上で必要だというのです。そのために地方議員の選挙 に比例代表制を採用すること、さらに「議会が自治体のリーダーを指名する、国と同様の間接民主主義的な制度は検討に値する」(215p)とまで述べていま す。
このあたりは、首相公選制の導入によって中央でも「トップによる改革」をめざす橋下徹の首長とは対照的ですよね。
ここまで長々と書いてきましたが、この本にはこれ以外にも地方財政制度の変遷とその影響、日本における都市政党の可能性、55年体制の崩壊が地方政治に与えた影響など、読み応えのある部分が沢山あります。
その分、内容はかなり詰まっていますし、大阪の歴史を政治制度の面から記述しているのでイメージがわきにくい面もあるかもしれません。ただ、それでも橋下 徹の改革、大阪をはじめとする日本の大都市のゆくえ、さらに日本の地方自治制度を考える上で非常の多くのことを教えてくれている本です。
大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)
砂原 庸介
4121021916
- 2012年12月03日23:47
- yamasitayu
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