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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

源氏供養と表白

毎日猛暑が続いています。そんな中、家族に譲ってもらったチケットでお能を見てきました。「源氏供養」です。
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(絵は舞う紫式部。後方に地謡の人たちがいましたが、マスクのような布をつけていました。入り口では検温、アルコール消毒と対策はバッチリです)

中世において、作者である紫式部は、『源氏物語』という作り物語(虚構や文飾)で人々をたぶらかした狂言綺語(きょうげんきぎょ)の罪で、地獄に墜ちているという見方が出てきます。そのような作者の霊を救うべく、「源氏供養」という形で法会が行なわれていました。現世での「色恋」を扱う『源氏』は、仏教の世界からは、非難の対象になりますが、作者を救うべく法会が行なわれるということは、それだけ作品の愛好者がいた証でしょう。私は、この「源氏供養」(法会)の趣旨文である「源氏物語表白(ひょうびゃく)」(安居院聖覚・作)に解題と注釈をつけたことがあります。
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(もう新本は出てないので興味のある方は古本屋か図書館でご覧下さい。日向一雅編『源氏物語と仏教:仏典・故事・儀礼』(2009年3月青簡舎)所収です)

この表白には、源氏物語五十四帖の巻名が登場し、その巻名(傍線部)に絡めて仏教の理(ことわり)を述べるに留まらず、和歌の修辞や物語表現が駆使されています。たとえば冒頭の一文桐壺(きりつぼ)の夕の煙すみやかに法性の空にいたり、帚木(ははきぎ)の夜の言の葉つゐに覚樹の花を開かん。」は、『源氏物語』に書かれている事(桐壺更衣の死と雨夜の品定)が、それぞれ仏の真理に達することを示しています。そして最後は「南無西方極楽弥陀善逝、願はくば、狂言綺語のあやまちをひるがへして、紫式部が六趣苦患を救ひ給へ。南無当来導師弥勒慈尊、かならず転法輪の縁として、是をもてあそばん人を安養浄刹に迎へ給へとなり。」とあり、作者のみならず、これを「もてあそばん人」(読者)をも救われるよう願われているのです。

この「源氏供養」をテーマとして作られたのがお能の「源氏供養」です。安居院(あぐい)の法印(大和尚)が、石山寺に参拝しようとすると里の女が現われて『源氏物語』の供養を頼み、自分が紫式部であることをほのめかして消えます。その後、紫式部の霊が現われ、お布施の代わりに源氏表白に合わせて舞を舞います。最後にこの紫式部は石山寺の観音の化身であったと明かされますが、作者に対する当時の人々の親しみがうかがえますね。

私はこの「源氏供養」の番組のみ鑑賞しましたが、次の番組は「葵上」でした。こちらも源氏能で、前に幾度か鑑賞しています(→「葵上」についての前記事はこちらhttp://blog.livedoor.jp/yuas2018/archives/15495807.html )

能は、「死者」や「神」「精霊」といった目に見えない存在と「僧」などとの語らいを描く「夢幻能」が有名ですが、毎年日本ではお盆の時期が近づくと、それらの話題も多くなります。今年は「帰省」も難しい様相ですが、自分とは違う世界にいってしまった人のことを考え語り合うことこそ、供養になるのかもしれません。

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