皇女の結婚
神無月になりました。日本中の神様が出雲に集まるため、各地からいなくなるという月です。逆に出雲では神有月というのだとか。
十月は、五穀豊穣に感謝する「神嘗祭」も伊勢神宮で行われます。そう、秋は実りの季節。栗や柿の実がなるには、そこそこ時間がかかります......。
さてさて、巷では内親王の結婚が話題ですが、昔から、皇族の結婚は大変でした。
[画像:イメージ図]
(この写真は、現在の葵祭の斎王代(賀茂神社の巫女役)ですが、斎王は、平安時代より、未婚の皇女・女王が代々つとめました。退下後も独身を通すことが多かったとか)
平安時代、特に天皇の娘は、相手は天皇や親王であることが多く、珍しく臣下と結婚した場合も、きちんと父帝の裁可を得られたものは少なかったようです。
たとえば、平安中期の公卿、藤原師輔(908-960)は、醍醐天皇の娘である皇女と密通した上で、妻としています。しかも、最初に結婚した勤子内親王が亡くなると同母の妹である雅子内親王と再婚します。さらに雅子内親王が亡くなると、村上天皇の同母姉である康子内親王と結婚します。
最初の二人は更衣腹(母親の身分が低い)ですが、三人目の母は后でしかも天皇の姉。周囲の目は厳しかったようです。
さて、内住みして、かしづかれおはしまししを、九条殿は女房を語らひて、みそかにまゐりたまへりしぞかし。世の人、便なきことに申し、村上のすべらぎも、やすからぬことに思し召しおはしましけれど、色に出でて、咎め仰せられずなりにしも、この九条殿の御おぼえのかぎりなきによりてなり。『大鏡』「公季」より
(さて、康子内親王は、宮中にお住まいで、大事にお育ちあそばされたのですが、九条殿(師輔)は内親王付きの女房を手なづけて、密かに内親王と通じられたのですよ。世間の人は、不都合なことと噂し、内親王の弟である村上天皇も、心外なこととお思いであられましたが、表だってお咎めなさらなかったのは、この九条殿に対するご寵遇がこの上なく深かったからなのです。)
師輔は、内親王と結婚することで、天皇の一族と姻戚関係を築き、権力を伸長させていきました。いつの時代も、周りが心配することは同じです。
また『源氏物語』では、皇女・女三の宮の降嫁先に、父である朱雀院が苦悩する様が描かれます。相手には、皇女にふさわしい身分を求めつつも、甘やかしたがゆえか、たよりないところのある女三の宮を大事にしてくれる婿、ということで、最終的に朱雀院の弟、光源氏が選ばれます。
光源氏と女三の宮との年齢差は二十歳以上、源氏は四十を過ぎていました。
およそ後見(お世話役)としての結婚です。女三の宮は、のちに若い柏木の密通を許しますが、この関係は、不義の子・薫を生みだし、柏木は死に、宮の出家を招きます。
そもそも若き光源氏と禁忌の恋に至る継母・藤壺も、后腹の皇女でした。夫である柏木を失った皇女・落葉の宮(女三の宮の異母姉)も、後に夕霧(光源氏の子)に不本意な形で迫られ再婚します。
このように、「皇女の幸せな結婚」とは、本当に難しいものだと、史実や物語は語っています。
いや、そもそも、「結婚」それ自体、だれにとっても簡単ではない(容姿端麗で才能ある光源氏だって!美しいヒロインの紫の上だって!)ことは、昔から変わらないのかもしれませんね。
相思相愛
(相思相愛なら、こんな感じかしら?秋が深まるとともに二人の仲も良い感じに......)
十月は、五穀豊穣に感謝する「神嘗祭」も伊勢神宮で行われます。そう、秋は実りの季節。栗や柿の実がなるには、そこそこ時間がかかります......。
さてさて、巷では内親王の結婚が話題ですが、昔から、皇族の結婚は大変でした。
[画像:イメージ図]
(この写真は、現在の葵祭の斎王代(賀茂神社の巫女役)ですが、斎王は、平安時代より、未婚の皇女・女王が代々つとめました。退下後も独身を通すことが多かったとか)
平安時代、特に天皇の娘は、相手は天皇や親王であることが多く、珍しく臣下と結婚した場合も、きちんと父帝の裁可を得られたものは少なかったようです。
たとえば、平安中期の公卿、藤原師輔(908-960)は、醍醐天皇の娘である皇女と密通した上で、妻としています。しかも、最初に結婚した勤子内親王が亡くなると同母の妹である雅子内親王と再婚します。さらに雅子内親王が亡くなると、村上天皇の同母姉である康子内親王と結婚します。
最初の二人は更衣腹(母親の身分が低い)ですが、三人目の母は后でしかも天皇の姉。周囲の目は厳しかったようです。
さて、内住みして、かしづかれおはしまししを、九条殿は女房を語らひて、みそかにまゐりたまへりしぞかし。世の人、便なきことに申し、村上のすべらぎも、やすからぬことに思し召しおはしましけれど、色に出でて、咎め仰せられずなりにしも、この九条殿の御おぼえのかぎりなきによりてなり。『大鏡』「公季」より
(さて、康子内親王は、宮中にお住まいで、大事にお育ちあそばされたのですが、九条殿(師輔)は内親王付きの女房を手なづけて、密かに内親王と通じられたのですよ。世間の人は、不都合なことと噂し、内親王の弟である村上天皇も、心外なこととお思いであられましたが、表だってお咎めなさらなかったのは、この九条殿に対するご寵遇がこの上なく深かったからなのです。)
師輔は、内親王と結婚することで、天皇の一族と姻戚関係を築き、権力を伸長させていきました。いつの時代も、周りが心配することは同じです。
また『源氏物語』では、皇女・女三の宮の降嫁先に、父である朱雀院が苦悩する様が描かれます。相手には、皇女にふさわしい身分を求めつつも、甘やかしたがゆえか、たよりないところのある女三の宮を大事にしてくれる婿、ということで、最終的に朱雀院の弟、光源氏が選ばれます。
光源氏と女三の宮との年齢差は二十歳以上、源氏は四十を過ぎていました。
およそ後見(お世話役)としての結婚です。女三の宮は、のちに若い柏木の密通を許しますが、この関係は、不義の子・薫を生みだし、柏木は死に、宮の出家を招きます。
そもそも若き光源氏と禁忌の恋に至る継母・藤壺も、后腹の皇女でした。夫である柏木を失った皇女・落葉の宮(女三の宮の異母姉)も、後に夕霧(光源氏の子)に不本意な形で迫られ再婚します。
このように、「皇女の幸せな結婚」とは、本当に難しいものだと、史実や物語は語っています。
いや、そもそも、「結婚」それ自体、だれにとっても簡単ではない(容姿端麗で才能ある光源氏だって!美しいヒロインの紫の上だって!)ことは、昔から変わらないのかもしれませんね。
相思相愛
(相思相愛なら、こんな感じかしら?秋が深まるとともに二人の仲も良い感じに......)