未来の予言
昨日、演習の授業時に地震がありました。学生が前で発表している最中でしたが、揺れている間はいったん止めて、様子をみました。のちに震度3と判明しましたが、長い地震でちょっと怖かったです。
昨今、まさに先の見えない世の中、といった感じですが、「いつこの状況が改善するのか」「こんな時に怖い災害が起きたりしないか」といった不安の受け皿として、ちょっとした占いブームのような気がします(いや私の中だけかもしれませんが)。
以下、ネットで知り、書店にも平積みされていて、思わず購入してしまった本がこちら。
私が見た未来
(どうぞ。写真を拡大して、書かれている文字を読んでみてください)
この本は、1999年に刊行され、表紙が「東日本大震災」を予言していると話題になり、今月、新たな頁を加え、再出版されました。
著者は、自分の「夢日記」をつけていて、それがかなりの確率で実現することから、それを漫画にされてきたようです。
私も、ごくまれに夢が実現することがあります。でも、家族みんなでレストランにステーキを食べに行き、食べる直前で目を覚まし悔しがっていたところ、その日に、なぜか、生肉ステーキの贈答品が届く、といったくらい。平和なものです。
災害の夢など、まるで天からの「夢告げ」のように見る人の場合、その使命の重さは凡人には計り知れません。
これから日本に起こる(まさに日本列島沈没的な)、数年後の大規模災害についての予知も書かれていて、なんとか避ける手立てはないか、考えさせられました。
また、今では、占いも「エンターテイメント!」としておかないと、放送倫理規定に違反してしまうような世の中ですが、千年前は、その占いで人事が決められることもありました。
たとえば、伊勢神宮の巫女、斎宮(さいくう)は、未婚の皇女・女王から選ばれますが、これは「亀卜」(亀の甲羅を焼いてそのひび割れ方で占う)で、決められました。
また、「夢告」については、『日本書紀』から記述がありますが、平安時代の古記録・日記・物語にも、様々に書き記されています。
以下、私の気になる「日月」の夢をご紹介。
・『蜻蛉日記』
天禄三年(972)2月17日の記事。穀断ちの法師が作者である道綱母について「御袖に月と日とを受けたまひて、月をば足の下に踏み、日をば胸にあてて抱きたまふ」という夢を見たので、その夢を作者が夢解きに合わせさせた所、「みかど(帝/朝廷)をわがままに、おぼしきさまのまつりごと(政治)せむものぞ」と解釈したそう。
・『源氏物語』(寛弘五年/1008年頃成立)
明石入道が娘・明石の君が生まれる前に見た夢。「御袖に月と日とを受けたまひて、みづから須弥の山を右の手に捧げたり、山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす、みづからは、山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく」という内容で、入道は娘を貴人と結婚させることを決意。結果、明石の君は、光源氏と結婚し、二人の間に生まれた娘は帝の后となる。
・『中右記』(藤原宗忠の日記)
大治四年(1129)7月15日条に、「又夢日落地」(日が地に落ちる夢を見た)とあり、白河院の崩御を予言する夢が記述されている。
「日月」は、帝や后、院(上皇)といった、皇族(王権)の象徴として人々の夢に出てきていたようです。確かに、現在も続く皇室は、神話によれば、天孫──天照大御神の子孫ですから、当時の人々も、そのように認識していたのでしょう。
ちなみに、当時の夢は、自分で見るほかに、修行を積んだ僧に依頼して見てもらうこともありました。ただ、『蜻蛉日記』の場合、この僧の言ってきた「夢」を怪しんでおり、実際、実現しなかったようです。また「夢」は、合わせ方(解釈の仕方)が重要で、不吉な夢も、うまく解釈できれば、災いも避けられると考えられていました。
都合がよいと言われればそれまでですが、それだけ一方的な「通知の力」より、「解釈の力」(現実に向けての努力)がまさる、ということではないでしょうか。
悪い予言も、良い予言に変えられる......、また何らかの対処法がある、そうでなければ、「予言」の意味はないようにも思います(ただ恐怖におびえるだけになる)。
占いや、予言とのつきあい方も、古の人は教えてくれているようです。
昨今、まさに先の見えない世の中、といった感じですが、「いつこの状況が改善するのか」「こんな時に怖い災害が起きたりしないか」といった不安の受け皿として、ちょっとした占いブームのような気がします(いや私の中だけかもしれませんが)。
以下、ネットで知り、書店にも平積みされていて、思わず購入してしまった本がこちら。
私が見た未来
(どうぞ。写真を拡大して、書かれている文字を読んでみてください)
この本は、1999年に刊行され、表紙が「東日本大震災」を予言していると話題になり、今月、新たな頁を加え、再出版されました。
著者は、自分の「夢日記」をつけていて、それがかなりの確率で実現することから、それを漫画にされてきたようです。
私も、ごくまれに夢が実現することがあります。でも、家族みんなでレストランにステーキを食べに行き、食べる直前で目を覚まし悔しがっていたところ、その日に、なぜか、生肉ステーキの贈答品が届く、といったくらい。平和なものです。
災害の夢など、まるで天からの「夢告げ」のように見る人の場合、その使命の重さは凡人には計り知れません。
これから日本に起こる(まさに日本列島沈没的な)、数年後の大規模災害についての予知も書かれていて、なんとか避ける手立てはないか、考えさせられました。
また、今では、占いも「エンターテイメント!」としておかないと、放送倫理規定に違反してしまうような世の中ですが、千年前は、その占いで人事が決められることもありました。
たとえば、伊勢神宮の巫女、斎宮(さいくう)は、未婚の皇女・女王から選ばれますが、これは「亀卜」(亀の甲羅を焼いてそのひび割れ方で占う)で、決められました。
また、「夢告」については、『日本書紀』から記述がありますが、平安時代の古記録・日記・物語にも、様々に書き記されています。
以下、私の気になる「日月」の夢をご紹介。
・『蜻蛉日記』
天禄三年(972)2月17日の記事。穀断ちの法師が作者である道綱母について「御袖に月と日とを受けたまひて、月をば足の下に踏み、日をば胸にあてて抱きたまふ」という夢を見たので、その夢を作者が夢解きに合わせさせた所、「みかど(帝/朝廷)をわがままに、おぼしきさまのまつりごと(政治)せむものぞ」と解釈したそう。
・『源氏物語』(寛弘五年/1008年頃成立)
明石入道が娘・明石の君が生まれる前に見た夢。「御袖に月と日とを受けたまひて、みづから須弥の山を右の手に捧げたり、山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす、みづからは、山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく」という内容で、入道は娘を貴人と結婚させることを決意。結果、明石の君は、光源氏と結婚し、二人の間に生まれた娘は帝の后となる。
・『中右記』(藤原宗忠の日記)
大治四年(1129)7月15日条に、「又夢日落地」(日が地に落ちる夢を見た)とあり、白河院の崩御を予言する夢が記述されている。
「日月」は、帝や后、院(上皇)といった、皇族(王権)の象徴として人々の夢に出てきていたようです。確かに、現在も続く皇室は、神話によれば、天孫──天照大御神の子孫ですから、当時の人々も、そのように認識していたのでしょう。
ちなみに、当時の夢は、自分で見るほかに、修行を積んだ僧に依頼して見てもらうこともありました。ただ、『蜻蛉日記』の場合、この僧の言ってきた「夢」を怪しんでおり、実際、実現しなかったようです。また「夢」は、合わせ方(解釈の仕方)が重要で、不吉な夢も、うまく解釈できれば、災いも避けられると考えられていました。
都合がよいと言われればそれまでですが、それだけ一方的な「通知の力」より、「解釈の力」(現実に向けての努力)がまさる、ということではないでしょうか。
悪い予言も、良い予言に変えられる......、また何らかの対処法がある、そうでなければ、「予言」の意味はないようにも思います(ただ恐怖におびえるだけになる)。
占いや、予言とのつきあい方も、古の人は教えてくれているようです。