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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2019年05月

5月もついに最終日です。本当に今月は様々に忙しく、思った以上に更新できませんでした。一番残念なのは、葵祭(5月15日)について全く触れられなかったこと。

枕草子の演習では、皆さんに写真を見せて少しお話できましたが、その他資料が家の中で行方不明になっております。探します。

そんな慌ただしい毎日の中、思い出されるのは、この美しいお城。
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姫路城です。今月ゴールデンウイーク中に行きました。上っていく最中、様々に美しい姿を見せてくれるので、疲れも吹き飛びました。

まことや」そういえば、今日の授業で古典作品に描かれる「猫」についての論文発表がありました。「猫」は、和歌の中にはあまり詠まれていないのですが、「犬」については、『源氏物語』の宇治十帖で次のように語られることが転換点となります。

宮は、御馬にてすこし遠く立ちたまへるに、里びたる声したる犬どもの出で来てののしるもいと恐ろしく、(浮舟巻)

友人の匂宮が自分の恋人である浮舟と通じていたことを知った薫は、匂宮を近づけないよう屋敷の守りを固めていました。この場面を受けてか、中世では「犬」が歌に詠まれるようになるのです。

里びたる犬のこゑにぞ知られける竹よりおくの人の家ゐは(玉葉和歌集)

行暮て宿とふ末の里の犬とがむる声をしるべにぞする(風雅和歌集)

『源氏物語』の影響の大きさが知られます。

淡路島のお話、もう少し続くように書いてから、だいぶ日があいてしまいました。連休明けは想像以上に忙しく......いまようやく一息ついたところです。

淡路島の成り立ちについては、記紀神話に語られるイザナキ・イザナミの国生みにおいて、最初に生まれる島として出てくることが有名です。ただ日本書紀の一書や古事記では、ヒルコ(葦舟に入れて流される)に次いで生まれますが、やはり子の数には入らないとして、生み方を変える契機となります。

そんな神話を思い起こさせる神社が、海岸に面してありました。
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岩楠神社です。ご祭神はイザナキ・イザナミ・ヒルコの三神でした。

またこの神社の奥が面白いのです。
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奥には楠とともに洞窟があって、中には入れませんでしたが、なんとなく産道のような、黄泉の国への入り口のような不思議な洞がありました。『うつほ物語』ではないですが、洞の空間はそこに忌み籠ることで、聖なるものへと生まれ変わる意味を持つことがあります。国生み神話ゆかりの島ならではの神社のたたずまいですね。

最後に、この神社にはこんな句碑がありました。
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子規(ほととぎす)きえゆくかたや嶋ひとつ はせお(芭蕉)」


俳人・松尾芭蕉が『笈の小文』(宝永6 (1709) 年刊)という紀行文で詠んだとされる句です。貞享4年(1687)10月に江戸を出発した芭蕉は、尾張・伊賀(芭蕉の郷里)・伊勢ときて、大和・紀伊・須磨・明石を旅します。須磨・明石は翌年4月に来たようで「ほととぎす」という夏の季語が詠まれているのも納得します。

他にも「月はあれど留守のやうなり須磨の夏」「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下やみ(闇)
など、たくさんの句が詠まれています。須磨の秋、浦波の音を聞いて在原行平を思い、月を見ては白居易の詩を吟じる光源氏や、秋の月を愛でる平家の人々(前回書きました)、また平敦盛が所持していたという青葉の笛を所蔵する須磨寺に思いを馳せる芭蕉の姿が浮かびます。

この後、私たちは明石に戻って姫路に向かいます。
明石で詠まれた芭蕉の句は「蛸壺(たこつぼ)やはかなき夢を夏の月」。明石はタコが有名です。そしてそれは「明石焼き」に。たこ焼きとの違いは「だし汁」につけて食べるところでしょうか。

そういえば、前に「和歌とスプラトゥーン2」という記事を書きましたが、あのゲーム内の和歌の由来はここにあったのかも!といまごろ気がつきました。「蛸壺の外の世界を夢見れど彷徨ういまは友が恋しき」なんて歌もありました。今のゲーム、なかなかやりますね〜。

令和になって4日経ちました。家族は年越しのようなテレビの様子に「今日って令和32年?」と聞いてきました。確かに「ゆく年くる年」的な雰囲気でしたね〜。

わたしたちは、改元を大阪で過ごし、その後、神戸へ。明石から「ジェノバライン」(船)で、淡路島に渡りました。
ジェノバライン
(明石海峡大橋の下をくぐる瞬間が迫力満点!!)

10年前は「たこフェリー」という名前だったこの船、今では発着場所も変わってしまいましたが、船の速さや迫力は変わらず楽しめました。

船を降りて、少し行くと、こんな場所が。
絵島

港のすぐ側に、ぽっかりと浮かぶ砂の島。頂上には鳥居も見えます。平家の人たちもここまで船で渡り月を愛でたよう。

六月九日の日、新都の事始、八月十日の上棟、十一月十三日遷幸と定めらる。旧き都は荒れ行けど、今の都は繁昌す。あさましかりつる夏も暮れて、秋にも已になりにけり。秋もやうやう半ばになり行けば、福原の新都にましましける人々、名所の月を見んとて、或いは源氏の大将の昔の跡を忍びつつ、須磨より明石の浦を伝ひ、淡路の瀬戸をおし渡り、絵島が月の磯を見る。」(『平家物語』「月見の事」)

上記の傍線部にある「絵島」こそ、写真の島になります(直前には『源氏物語』の光源氏が流離した須磨・明石の浦にも触れられています)。

この淡路における平家の人々の逸話をもとに詠まれた西行の歌がこちら。
西行の和歌

絵島


実景を見て、昔の人々に思いを馳せ、また歌を詠む──その営みの連鎖に感じ入りつつ、その場を後にしました(淡路旅情編、もう少し続きます)。


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