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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

カテゴリ: 竹取物語

明日は大晦日。今年も世間的には落ち着かない一年でしたが、そのような中でも展示や舞台を見に行けたのは、良かったです。

実は、先月はじめに、竹取物語をテーマにしたバレエを見てきました。全三幕のうち、第一幕の上演でした。竹取物語の世界をバレエで描くとこのようになるのか、と納得。
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(上野の東京文化会館にて。東京バレエ団の公演でした)


以下、かいつまんで感想を書きます。

全体的には、ジブリ映画「かぐや姫の物語」に近い解釈の竹取物語でした。映画に出てきた「捨丸兄ちゃん」同様、かぐや姫の初恋の人(?)・「道児」(山村の孤児で童たちの兄貴分)が登場します。

原作では、翁・嫗・姫+5人の求婚者+帝が主な登場人物です。バレエでは、嫗はすでにこの世を去っていて、一人さみしく山で竹を取る翁が、かぐや姫を見つける流れになっています。

そして、かぐや姫は、三か月どころか、三分(?)くらいで急成長します(ここはシルエットで表現)。

また、翁は、踊らないのですが、その代わり「緑の精」と呼ばれる竹の妖精が、群舞します。この竹の妖精たちの踊りが一つの見ものでした。

かぐや姫は、緑の着物を来た愛らしい少女として、道児とパドドゥを踊ります。月光の中、ドビュッシーの曲が流れ、幻想的な感じでした。

もう一つ、印象に残ったのは、竹取の翁がかぐや姫を見つけた後、竹から黄金を見つけるところ、黄金だけではなく、美しい衣が竹からとび出してきます。
切った竹から
(あくまでイメージ画像ですが、このように衣が竹の中から飛び出してきました)

この衣の表現も、やはり、ジブリ映画における印象的な衣の表現(かぐや姫が宴会を抜け出し、十二単の衣を次々と朱雀大路に脱ぎ捨てて山に帰ろうとする)を思わせるところがありました。

バレエの「衣」は、かぐや姫本来の姿を翁に悟らせる意味があるように感じました。その衣を身につけて、実際、山から都へ出立するかぐや姫一行が描かれます。その時、一緒に家庭教師の女性がついていきますが、この家庭教師という存在も、映画オリジナルのものです。

ただ、翁が親しくパドドゥを踊る二人をこっそり覗き、都行きを決意したと思われる部分は、万葉集では、九人の乙女と贈答する男性としての「竹取の翁」のイメージを髣髴とさせました。

第二幕以降の上演は、来年以降になるようですが、続きが楽しみです。全三幕通してみると、また印象が変わってくるかもしれません。

最後に、九月に見られなかった、幻の映画の一部をご紹介。

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(円谷監督が残していた映画「かぐや姫」。9月に国立映画アーカイブで限定上映していたのですが、チケットが取れず、見に行けませんでした。詳しくはこちら→竹取物語関連の催し )

バレエの方は、見られてよかったです。

それでは、みなさま、良いお年をお迎えください。



8月になりました。現在、中秋の名月は9月中旬ですが、陰暦の当時は8月15日の晩を「十五夜」と呼び、月を賞美していました。

『竹取物語』で「十五夜」と言えば、かぐや姫が昇天する日ですね。春学期の授業で講義した『竹取物語』では、ジブリ映画『かぐや姫の物語』との比較を多めに取り入れましたが、千年以上前の「平安時代」をイメージする上で、また原作の良さを再確認するにも、効果的だったかなと思っています。

ちなみに学生から教えてもらった下の「AGOMIKADO」というゲームアプリは、教室で紹介したら、大きな反響がありました。

AGOMIKADO (bzmm.jp)
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(画面上で動く帝の顔を中央にきたところでストップさせるゲーム。点数によってセリフが変わり
ますが、この画像の帝のセリフは、ジブリ映画における帝の人物像を象徴しています)

この顎がやけに尖っている帝は、ハプスブルク家を想起させる、といった学生のコメントも寄せられましたが、あえてただのイケメンにしなかったのは、かぐや姫を地上の世界に幻滅させる決定的な「悪役」として、アニメの帝が描かれているからでしょう。その証拠に、背後から抱きつき(この行動はかなり学生の評判が悪かった)、かぐや姫を無理やり連れ去ろうとして失敗した後は、物語から退場します。

でも、原作では、宮中に迎え入れることができないとわかった後も、三年間、二人は文通を続け、帝は、かぐや姫が唯一「心の交流を実現できた相手」になります。この点で、他の求婚者とは大いに差別化されていますし、「月世界の姫と地上世界の王(日神の子孫)との恋」というダイナミズムが物語に生まれます。
帝とかぐや姫
(竹取の翁の家でかぐや姫の着物の袖をつかむ原作の帝。この後、かぐや姫はパッと透き通った姿となり、帝はあきらめて宮中に帰ります。それでも文通が始まるのは、互いにこの時、何かを感じ取ったのかもしれません)

この違いは、月からの使者を迎え撃つ武者たちを、帝が送ってくれる(原作)、竹取の翁自ら用意する(アニメ)、という違いにもなり、かぐや姫が昇天の際に別れを惜しむ相手も、翁・嫗と帝(原作)、翁・嫗のみ(アニメ)と変わってきます。

アニメの方が総じてわかりやすいのですが、地上の良さが「鳥・虫・獣・草木・花」といった「自然との共生」というアニメ独自のテーマに集約されてしまったのが残念です(原作にそのようなメッセージはない)。

原作における「あはれ」は、あくまで地上の人々との交流の中で生み出されるもので、翁・嫗とは「親子間の愛」を、帝とは「男女間の愛」を、「月世界の人」という制約の中で、かぐや姫が知り得た、肯定的な感情でした。

つまり、かぐや姫は、求婚者たちの嘘・偽りを暴きながらも、最終的には地上の価値観(「あはれ」を催す人々の心)を認めてくれる存在なのです。

現在、人々の心は大きく分断され、対立を促す要素が社会全体に蔓延していると感じます。お互い違うところがあっても、絆や結びつきは見いだせるはず(かぐや姫から見れば、同じ地球人ですしね!)......その点は、やはり忘れないでいたいと思います。




先日まで「(関東に)台風直撃か!」と話題でしたが、進路がやや変わった上に勢力が弱まったせいか、時折小雨の降る涼しい天気となっています(と書いていたらもう日が差してきました)。

さて、今期は4年ぶりに(奇しくもオリンピックと同じ)、『竹取物語』の講義をしました。100名を超える受講者がいたこともあって、14回の授業中、8回がオンライン、6回が対面講義となりましたが、なんとか最後まで読み終えて良かったです。

学生たちには授業の意見・質問・感想をコメントペーパーに書いて毎回提出してもらっていましたが、その中で、今秋開催される『竹取物語』関連のイベントを学生が教えてくれました(ありがとう!)。

1つ目
・幻のフィルム・円谷英二監督が1935年に撮影した映画『かぐや姫』が公開(9月4・5日*詳細は「国立映画アーカイブ」HPへ)

円谷英二撮影の幻の映画「かぐや姫」イギリスから帰還 フィルムが渡った理由、発掘の経緯は? : 映画ニュース - 映画.com (eiga.com)


スタジオジブリでアニメーション映画「かぐや姫の物語」を撮影した高畑勲監督が、そのパンフレット中、「『竹取物語』の映画は、市川崑監督の実写映画(1987年・沢口靖子主演)しかないようだ」といった発言をしていましたが、それ以前に、特撮映画(ウルトラマンなど)を専門とする監督に作られていたとは驚きです。

これは絶対見たい!


2つ目
・東京バレエ団による新作「かぐや姫」の公演(11月6・7日)
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以前、同じテーマで、ロシアのバレエ団による公演もあったようですが、日本人が主体となる新作ということで、また違った期待があります。しかもこの秋見られるのは、全三幕中の第一幕ということで、話のどこまでが舞台化されるのか、気になりますね(これは家族と一緒にチケットを取りました)。


映画が公開される「国立映画アーカイブ」は、東京駅の近くにあります。「キャンパスメンバーズ」に登録されている大学の学生であれば、常設展は無料、企画展は割引で入れますので、ぜひ利用してみてください。

現在、緊急事態宣言中ではありますが、このような楽しみがなくなる状況になりませんよう、切に願っています。

ひまわりを中心に

最後に、いま我が家の夏の玄関は、ひまわりを中心に飾っています。この花を見ると元気がもらえます。昔の暦では、7月は初秋ですが、当時の今頃は、きっとまだ「水無月」(6月)ですね。




緊急事態宣言が出て初めてのゴールデンウィークを迎えようとしています。オリンピックが延期に
ならなければ、この週、大学は授業を行う予定でした(休みなしで)。

首都圏の大学では、多くの学生がオリンピックのボランティア活動に参加することもあって、
授業が7月中旬で終わるように授業が組まれていたからです。

それがまさかのオリンピック「延期」、しかも授業自体、大学でできなくなり、今の予定では、
逆に夏休み返上で授業を行わなくてはならなくなっています。

9月入学の話も巷で話題ですが、7月の入試も暑さ対策が問題になるでしょうね。そもそも
同一条件で何千人もが同じところで試験を受ける、という従来の受験スタイル自体、限界の
ような気がします。

それこそビデオ会議で制限時間内に答案を提出し、受験者を絞っていく、というスタイルにしたら
(クイズ番組?)、家で受験できますね。それこそ問題は、ネットで調べて答えられるようなもの
にはできないので、哲学的な問題や奇問が続出してしまうかもしれませんが(妄想です)。

そんなことを、ビデオ会議の後、ぼんやり考えていました。推薦入試の面接も、テレビ電話で
OKになれば、交通費は不要になるので、地方から受験するハードルも下がりますね。

今まで当たり前だったことを、見直す時期に来ているのかもしれません。

それからタイトルの「UFO」(未確認飛行物体)ですが、今日、アメリカの国防総省が「UFO」
の存在を認める公式発表をしたことがニュースになりました。

正直、「すごい!」と思いました。これは現在の人類が飛ばしている飛行機とかではない、
という認識ですよね。「未来人」か「宇宙人」か「地底人」か。いろいろ説はあるようですが、
最近よいニュースがあまりないだけに、わくわくします。

そういえば、先週、朝の連続テレビ小説「エール」で、主人公が組曲「竹取物語」を創作し、
イギリスの国際コンクールで賞を獲る、というエピソードが出てきました。この話、実在の
作曲家・古関裕而(1909年 - 1989年)をモデルとしているそうです。

「竹取物語」は、本当に千年の時を超えて、人々に「創造」のインスピレーションを与え続けている
のだなと感動しました。

それとともに、「月」に帰っていく「かぐや姫」は、明らかに地上の人とは異なっていて、
当時の常識(ルール)にとらわれない姿が、後に朝ドラの主人公・「祐一」の妻となる「音」(おと)の様子(お見合いの後、求婚してきた相手に「結婚する気はない」と答え、母親に「わたしは結婚より
(歌手の)夢をとる」と話す)と重なりました。

「竹取物語」のかぐや姫は、まず「男は女に逢ふことをす。女は男に逢ふことをす」(男は女と、
女は男と結婚する)と養父・竹取の翁に結婚を促されても、「なんでふ、さることをかしはべらむ」(どうして結婚などするのでしょうか)と疑問を持ちます。

また地上の王である「帝」の求婚でさえ、従おうとしません。当時の地上のルールを理解しない
のは、月の世界の人だから、という答えが後に用意されますが、この月の世界、「不死の薬」
はあるわ、着ると感情を失う「天の羽衣」はあるわ、どう考えても地上より進んだ世界として
描かれているようです(地上は「穢き(きたなき)所」とも表現されています)。

かぐや姫を迎えに来る人々がしばしば「阿弥陀来迎図」のように描かれるのも、月の世界を
「浄土」(あの世)のように捉えているからでしょう。

また一方で、かぐや姫を守る武者たちの戦意を喪失させる光、迎えに来た人々が「土より五尺
(約1.5m)ばかりあがりたるほどに立ち連ねたり」と浮いている様子など、まるで宇宙人のよう
にも見えます。

漠然と「天」なのではなく、「月」であるからこそ、かき立てられるロマンです(ただ道教的にも
解釈できます。古代中国の道家思想を記す『淮南子』(えなんじ)には仙女の西王母から夫が
譲りうけた「不死の薬」を盗んで月に逃げた妻・嫦娥(じょうが)の話があります)。

少し前まで、家族が見ていた特撮(宇宙戦隊キュウレンジャー)やプリキュア(スタートゥインクル
プリキュア)も、ついに地球を飛び出し宇宙人も仲間になっていましたが、いよいよ本格的に
「宇宙時代」突入でしょうか。

最後に、3年前、わたしが偶然、公園で撮影した「UFO」の写真をお見せします。最後の写真、
拡大すると形がそれっぽいです。

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KIMG0200
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三枚目、ブログの写真ではうまく拡大できないかもしれないので、拡大した写真
をのせておきます。

Screenshot_2020年04月28日-11-39-19

なんとなく「ザクウォーリア」の頭っぽい。「かぐや姫」の「宇宙世紀」、たのしみです。

*ちなみに映画「竹取物語」(市川崑監督、1987)では、「科捜研の女」の沢口靖子が
「宇宙人」として「かぐや姫」を演じていました。最後、かぐや姫を迎えるUFOが登場するシーン
だけ、なぜか鮮明に覚えています。



最近、朝晩、冷え込むようになってきました。わたしは引いた風邪がなかなかよくなりません。一番困るのは「声」が出ないこと。日に日にひどくなっているので、少し喉を休ませる予定です。

さて、最近お菓子を用意する機会があり、神保町の和菓子屋「文銭堂」で見つけたのがこちら。
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(お菓子の蓋も缶もとっておきたくなるような可愛らしさ)

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(中身はこんな感じ。20枚入っています。わたしは「梅いちりん」がお気に入り)

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(包装用紙にも女の子がプリントされています。その下にうっすらとくずし字の文章が......)


お菓子のタイトルは「月の精」ですが、明らかに『竹取物語』のかぐや姫がモチーフとされていることがわかります。

缶を包む厚紙には、くずし字で『竹取物語』本文の一節が書いてあります(和歌ではありません)。
読めますか?


ちなみに答えは「おのが身はこの国の人にもあらず 月の都の人なり 月の出でたらむ夜は 見おこせ給へ」です。

かぐや姫が自分の正体を告げるセリフです。月が出ている夜は、月を見て自分を思い出してほしい、ということでしょうか。(かぐや姫は羽衣を着ることで地上の記憶をなくしてしまうのですが......)

ただ、このお菓子の「月の精」は「ちおり(千折)」ちゃんというようです。「千々折々」のお菓子、からきているそうな。たしかに椿柄の着物を着て、手に椿の花を持っているところは、かぐや姫のイメージとは異なります。

それでも、新しいお菓子の発想源となっていることは確か。思いがけないところでの出会いは、より一層うれしいものです。



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