源氏物語・六条御息所の巻(前半)
今月、2回目の歌舞伎座は、新作歌舞伎、夜の部の「源氏物語・六条御息所の巻」を見てきました。人間国宝の玉三郎丈(72歳)の六条御息所、若手ホープ・染五郎丈(19歳)の光源氏という組み合わせで、話題になっています。なんと、夜の部はチケットが完売したとか。
そこで、前日正午から発売される幕見席(2000円)でこの舞台を見てきました。王朝物好き、玉三郎ファン、染五郎ファンは、かなり楽しめる内容のようですが、源氏物語に詳しい方からは、「ことごとく思っていたのと違う」という感想もあるようで。さあ、実際はどうなのか?
以下、ネタバレを含みますので、知りたくない、という方は、ここでストップ。
鑑賞後にお読みください。
源氏物語 六条御息所の巻
(美しく、絵になる二人ですね)
冒頭、左大臣家の邸。萬壽丈演じる大宮と、弥十郎丈演じる左大臣、二人の親が、娘である葵の上の出産を心配しています。セリフは、ほぼ現代語なので、大変わかりやすいです。私は、この二人が実体化していることに、少なからず心が躍りました。ほぼイメージ通り!特に、大宮と葵上(時蔵丈)の母子を、実の父子が演じているところに、ぐっときます。
葵上も、普段はあまり笑わないのに、出産後、夫である光源氏が訪れた時は、すこーし口角が上がっているのも、雰囲気が出ていてよかったです。細面の古風な顔立ちも、これまたイメージ通り。
と、以上、ほめてばかりいますが、気になる点もありました。
・大宮の立ち姿。
・夕顔の死の噂。
・御帳台がない。
・夕霧が跡取り。
大宮は、母として、心配しているのでしょうが、立ってうろうろするなら、左大臣の方が
ふさわしいかなと。また夕顔が生霊に憑りつかれて死んだことが噂になっていましたが、
夕顔自体は隠れ住んでいたはずなので、行方不明になっても噂にはならない気がします
(名前自体も隠していた)。また、葵上は褥一枚の上に赤子を抱いて座っていましたが、
自らずっと抱いているのも「?」でしたし(乳母が世話をするはず)、御帳台
(和風天蓋付きベット)の中におらず、外から丸見え状態なのも、演出上、仕方がないとは
いえ、気になりました。
極めつけは、左大臣が生まれた子を「跡継ぎ」「左大臣家も安泰」のように言っていたことです。
左大臣は、源家の跡継ぎが生まれた子を喜んだのか、左大臣家が安泰、というのは、葵の上が
光源氏の跡継ぎを生んだことにより、間接的に栄えることを言っているのか、
そうでないと、柏木(葵の上の兄である頭中将の子)こそ左大臣家の跡継ぎでは?と、疑問が
生じます。
次に場面変わって、六条御息所邸。女房達が、主人の着物を整えています。そこで、中将の君が、御息所の着物の「香」が変わっているのに気づき、「誰が変えたの?」と問いただします。しかし、それは御息所が生霊として抜け出した際、加持祈祷に遭って、染みついた芥子の香でした。物語では、御息所本人が気づく香ですが、歌舞伎では、女房が気づく体になっていました。
また奥からそそと現れる六条御息所が、まさに御息所そのもの。物憂げかつ儚げながらも、存在感たっぷり。玉三郎丈でなければ、出せない雰囲気でした。そこに光源氏が訪れ、ともに庭を眺め、番舞を舞って、その後、二人の行く末を悲観した御息所が光源氏をなじり始めます。「私はしょせん日陰の女」「あなたには妻がいらっしゃる」と。それに対し、源氏は「そんなことは初めからわかっていたではないか」「二度と来ない」と捨て台詞。立ち去られてしまいます。染五郎丈は、19歳で、等身大の源氏を演じられる年齢ですが、かなり落ち着いており、大人の印象でした。
年上の御息所相手に、強く出る姿勢が、ちょっと私の中の光源氏とは違うかな〜。
おそらく、物語の光源氏は、母性本能をくすぐる感じでのらりくらり。そんな源氏に、思いの丈を伝えられないからこそ、御息所の思いは深く沈んで生霊となるのではないでしょうか。
この辺り、解釈が大きく異なっていました。現代では、やはり強い気持ちを男性にぶつけても、それが受け止められないからこそ、相手の女性に向かってしまうという感じでしょうか。もちろん、鬚黒の北の方のように、夫の前で正気を失い、物を投げつける発散タイプもいましたが、元東宮妃の御息所にはなかなか難しかったかもしれません。そして、この場面で気になった点は、以下の通り。
・中将の君が年配ベテラン女房。
・姫君が元気。
・二人で庭に降りた後ベンチに座る。
・二人で舞う。
・口喧嘩する二人。
物語の中将の君は、御息所の代わりに光源氏を見送り、源氏にくどかれる若い女房ですが、ここでは一転、ベテラン女房になっています。これはこれで、その差異が面白かったです。
「姫君」というのは、御息所と死んだ東宮との間の子ですが、最初「若紫か?」と思うほど、元気が良かったです。大人になった斎宮女御の印象は、確かに年齢よりも、少女のようなかわいらしさがありますが、この元気な感じとは少し違うような気がしました。
また、二人で邸の風情ある庭を賞美するのは良いのですが、二人して庭に降りて、そのままベンチに座る、というのは、いかにも現代の恋人風でした。
その後の舞は、演者に寄せた演出ですね。御息所は、物語中、源氏に「書」をほめられているので、二人して書道する、途中から源氏だけが舞う、とかでもよかったかなと。
でも玉様の舞も、みなさん見たいですよね(笑)。
口喧嘩の違和感は、先ほど書いた通りです。さらに、先の葵祭の行列の際、御息所は、「(光源氏が)私に一瞥もくれなかった!」となじりますが、御息所の物見車は葵の上一行の車との場所争いで奥におしやられていたので、行列する源氏からは見ようがなかったはず。確かに、葵上一行の前では、それなりの態度をとって通り過ぎる源氏を見て、自分がまるでこの場にいない者のようであることを嘆く御息所ではありますが、この物言いにはちょっと無理があるように感じました。
以上、前半の感想です。後半に続きます。
そこで、前日正午から発売される幕見席(2000円)でこの舞台を見てきました。王朝物好き、玉三郎ファン、染五郎ファンは、かなり楽しめる内容のようですが、源氏物語に詳しい方からは、「ことごとく思っていたのと違う」という感想もあるようで。さあ、実際はどうなのか?
以下、ネタバレを含みますので、知りたくない、という方は、ここでストップ。
鑑賞後にお読みください。
源氏物語 六条御息所の巻
(美しく、絵になる二人ですね)
冒頭、左大臣家の邸。萬壽丈演じる大宮と、弥十郎丈演じる左大臣、二人の親が、娘である葵の上の出産を心配しています。セリフは、ほぼ現代語なので、大変わかりやすいです。私は、この二人が実体化していることに、少なからず心が躍りました。ほぼイメージ通り!特に、大宮と葵上(時蔵丈)の母子を、実の父子が演じているところに、ぐっときます。
葵上も、普段はあまり笑わないのに、出産後、夫である光源氏が訪れた時は、すこーし口角が上がっているのも、雰囲気が出ていてよかったです。細面の古風な顔立ちも、これまたイメージ通り。
と、以上、ほめてばかりいますが、気になる点もありました。
・大宮の立ち姿。
・夕顔の死の噂。
・御帳台がない。
・夕霧が跡取り。
大宮は、母として、心配しているのでしょうが、立ってうろうろするなら、左大臣の方が
ふさわしいかなと。また夕顔が生霊に憑りつかれて死んだことが噂になっていましたが、
夕顔自体は隠れ住んでいたはずなので、行方不明になっても噂にはならない気がします
(名前自体も隠していた)。また、葵上は褥一枚の上に赤子を抱いて座っていましたが、
自らずっと抱いているのも「?」でしたし(乳母が世話をするはず)、御帳台
(和風天蓋付きベット)の中におらず、外から丸見え状態なのも、演出上、仕方がないとは
いえ、気になりました。
極めつけは、左大臣が生まれた子を「跡継ぎ」「左大臣家も安泰」のように言っていたことです。
左大臣は、源家の跡継ぎが生まれた子を喜んだのか、左大臣家が安泰、というのは、葵の上が
光源氏の跡継ぎを生んだことにより、間接的に栄えることを言っているのか、
そうでないと、柏木(葵の上の兄である頭中将の子)こそ左大臣家の跡継ぎでは?と、疑問が
生じます。
次に場面変わって、六条御息所邸。女房達が、主人の着物を整えています。そこで、中将の君が、御息所の着物の「香」が変わっているのに気づき、「誰が変えたの?」と問いただします。しかし、それは御息所が生霊として抜け出した際、加持祈祷に遭って、染みついた芥子の香でした。物語では、御息所本人が気づく香ですが、歌舞伎では、女房が気づく体になっていました。
また奥からそそと現れる六条御息所が、まさに御息所そのもの。物憂げかつ儚げながらも、存在感たっぷり。玉三郎丈でなければ、出せない雰囲気でした。そこに光源氏が訪れ、ともに庭を眺め、番舞を舞って、その後、二人の行く末を悲観した御息所が光源氏をなじり始めます。「私はしょせん日陰の女」「あなたには妻がいらっしゃる」と。それに対し、源氏は「そんなことは初めからわかっていたではないか」「二度と来ない」と捨て台詞。立ち去られてしまいます。染五郎丈は、19歳で、等身大の源氏を演じられる年齢ですが、かなり落ち着いており、大人の印象でした。
年上の御息所相手に、強く出る姿勢が、ちょっと私の中の光源氏とは違うかな〜。
おそらく、物語の光源氏は、母性本能をくすぐる感じでのらりくらり。そんな源氏に、思いの丈を伝えられないからこそ、御息所の思いは深く沈んで生霊となるのではないでしょうか。
この辺り、解釈が大きく異なっていました。現代では、やはり強い気持ちを男性にぶつけても、それが受け止められないからこそ、相手の女性に向かってしまうという感じでしょうか。もちろん、鬚黒の北の方のように、夫の前で正気を失い、物を投げつける発散タイプもいましたが、元東宮妃の御息所にはなかなか難しかったかもしれません。そして、この場面で気になった点は、以下の通り。
・中将の君が年配ベテラン女房。
・姫君が元気。
・二人で庭に降りた後ベンチに座る。
・二人で舞う。
・口喧嘩する二人。
物語の中将の君は、御息所の代わりに光源氏を見送り、源氏にくどかれる若い女房ですが、ここでは一転、ベテラン女房になっています。これはこれで、その差異が面白かったです。
「姫君」というのは、御息所と死んだ東宮との間の子ですが、最初「若紫か?」と思うほど、元気が良かったです。大人になった斎宮女御の印象は、確かに年齢よりも、少女のようなかわいらしさがありますが、この元気な感じとは少し違うような気がしました。
また、二人で邸の風情ある庭を賞美するのは良いのですが、二人して庭に降りて、そのままベンチに座る、というのは、いかにも現代の恋人風でした。
その後の舞は、演者に寄せた演出ですね。御息所は、物語中、源氏に「書」をほめられているので、二人して書道する、途中から源氏だけが舞う、とかでもよかったかなと。
でも玉様の舞も、みなさん見たいですよね(笑)。
口喧嘩の違和感は、先ほど書いた通りです。さらに、先の葵祭の行列の際、御息所は、「(光源氏が)私に一瞥もくれなかった!」となじりますが、御息所の物見車は葵の上一行の車との場所争いで奥におしやられていたので、行列する源氏からは見ようがなかったはず。確かに、葵上一行の前では、それなりの態度をとって通り過ぎる源氏を見て、自分がまるでこの場にいない者のようであることを嘆く御息所ではありますが、この物言いにはちょっと無理があるように感じました。
以上、前半の感想です。後半に続きます。