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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2021年03月

3月も残すところ、あと1日となりました。春休みはあっという間に過ぎていきます。

今月は、江ノ島(水族館)、伊豆(温泉)、大阪(家族の郷里)と出かけてきました。
人出はかなり戻っていると感じました。上記のうち、首都圏を出たのは、緊急事態宣言が
明けてからですが、行く先々で変化を感じました。

江ノ電が空いている、無料足湯スペースがなくなる、販売店の閉鎖、などです。

それでも、ほぼ毎年お邪魔している温泉宿は、周囲の圧倒的自然も変わらずに、いつもの顔で
迎えてくれる、安心感がありました。(以下、宿の近辺の風景)
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海岸から伊豆大島が見えます。

そして仲居さんとの会話中、新たな情報を得て、立ち寄った和菓子店の最中がこちら。
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ほぼ実物大です。

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裏側もしっかり「さざえ」です。
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中はつぶあん。ぎっしり詰まっています。

上記の最中「波の子」は、「伊豆大川駅」に本店がある「清月堂」さんで買うことができます。駅前にも支店があって、洋菓子も置いてありました。この最中、あんこが上品なお味でとても美味しかったです。かなりの大きさなのですが、ペロッと食べられてしまいます。

毎回、温泉宿にまっしぐらで、あまり周囲を散策することがなかったのですが、少し足をのばすと新たな発見がありますね。最近、人気と聞いた「ひのき風呂」ができる商品の方は売り切れでしたが、また次の楽しみもできました。

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ひのきのいい香りのお風呂が手軽に楽しめそうです。

同じ所を訪れても新たな発見があるように、同じ作品を読み返すと、新たな発見をすることがあります。それは、新たな経験や情報が仕入れられることにより、同じ本文が違う様相を帯びてくるからです。

最近は『伊勢物語』にそれを感じることが多いのですが、ゆるやかに一代記の形をとる作品のあり方と関わるのかもしれません。

次年度の基礎演習では、久々に『伊勢物語』を読むことにしました。東下りの章段を読みながら、皆さんと楽しい旅をしたいと思います。



三月も半ばになりました。まさに標題の「深山桜」の季節に近づいてきましたね。入試の後は、原稿執筆に追われていて、それが校正まで含めて終わったのが先週の半ば頃。一息つきました。

論文は「『篁物語』の歌物語性について」書きました。特に「道」にかかる枕詞「玉桙(たまぼこ)の」(和歌において特定の言葉にかかる五文字の語)について調べましたが、なかなか面白かったです。

古代の「道」は危険がいっぱい!また中央と秩序外の場所をつなぐ境界ともなる「道」であるわけですが、その言葉を引き出す枕詞に「たまぼこの」があります。これが邪気を祓うとか、護身用の呪具であったとか、様々な説があり、和歌の中でも「呪言」(鎮める意の)のような役割を果たしていたようです。

「たまぼこの遠道(とほみち)もこそ人はゆけなど時の間も見ねば恋しき」
(拾遺集・恋二・七三七・紀貫之)

親しくしていた友人が国司として遠方へ赴任してしまうことを詠んだ貫之の歌です。人は平気で任国へ赴いて行くのに、どうして自分は一時も会えないことが恋しくて苦しいのか、という意味です。春は旅立ちの季節。手紙のやりとりも増える時期ですね。古代人は相手の無事を祈るような「言葉」を編み出していました。また自然や事物に対する畏敬の念も現代よりずっと強かったことが窺えます。

さて、紀行文「深山桜」によると、土肥経平は、郷里の岡山を三月二十二日に出立します。前回は「姫路城」でしたが、今回は「曽根の松」(兵庫県高砂市)に向かいます。現在では曽根天満宮となっています。

廿五日(二十五日) けふ(今日)もきのふ(昨日)の比(ころ)に立出て、あみだが宿の此方右へ行て曽根の松に行。社頭つきづきしく、神がきの右に昔のまま生しとみへて、ものふりし木立いわんかたなし。

経平が見た「曽根の松」は、平安時代、左遷途中の菅原道真が手植えしたと伝えられる霊松で「いわんかたなし」(言い様がないほど素晴らしい)と経平を感嘆させています。しかしこの後、松は寛政十年(1798)に枯れています。経平が訪れてから42年後のことです。現在では、その幹だけが保存されています。この幹だけでも圧巻の趣がありました。

まず、曽根天満宮参道から。
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山陽電鉄の「山陽曽根」の駅からすぐです。参道沿いにも松が植えられています。

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参道を通っていくと大きな本門がお出迎え。

この横断歩道を渡る前、左側に石の道しるべがありました。
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「左 石宝でん 右 ひめぢ 道」とあります。現代でもパワースポットと言われる「石宝(いしのほう)でん」 まで行きたかったのですが、この時は断念(経平も行っています)。


本門をくぐって右手にある「古霊松」の額がかかる霊松殿。江戸期の創建なのだとか。
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標(しめ)が張られています。立派な幹でした。

左側にも幹が続いています。
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そして本殿。本当に良い天気でした。
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年末でしたので、お正月を迎える準備がされています。
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道真と言えば、やはり梅の花です。→過去ブログ「梅ヶ枝(うめがえ)餅
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そして天満宮には必ずある「使いの牛」の像。
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霊松殿の左側に多くの石標。なんだろうと思い、近づいて見ると......
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あらら。和歌が書いてあるではないですか!しかもこの地の松(高砂の松)を詠んだ古歌がたくさんありました。歌碑には寄贈者の名前もあって、この神社が現代も慕われていることがよくわかります。
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すごい数です。全部歌碑。

最後に御由緒と境内にあった句碑の一部(俳句の碑です)。
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「散り松葉 昔ながらの 掃除番」 小林一茶

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「枯れて猶 千とせの花や 曽根の松」入江樵風

思っていた以上に素敵な天満宮でした。「曽根の松」も、家族には「枯れてるからどうかな」と言われていましたが、充分、当時の巨木の面影がうかがえて興奮しました。次に行くときは、「石の宝でん」まで、ぜひ足を延ばしたいと思っています。最後に、土肥経平がこの地で詠んだ歌です。

「植置し松にちかひのあれましてここに北野々神の瑞垣」

人の命は自然の営みに比べればはかないですが、こうやって場所や木を介して「古人」にいつでもつながれるというのは、嬉しいことだなと改めて思いました。




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