[フレーム]

koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

カテゴリ: 日本書紀

9月とはいえ、まだまだ暑い日が続きます。大型の台風10号が沖縄・九州に近づいており、気になるところです。実家に電話すると、庭の鉢を片付けるなど、一通り準備はしているとのことでした。あとは、大きな被害が出ることなく、過ぎてくれることを祈るしかありません。

話は変わって、昨日早朝、明石の海岸に弱ったアカウミガメが打ち上げられていたそうです。このカメは絶滅危惧種で、生きた個体が海岸で見られるのは、6年ぶりのことだったとか(詳しくは神戸新聞HPで→https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/0013663983.shtml)。

うちのカメ
(写真はうちの「カメ太」。わたしは覚えてなかったのですが、海で買ったそうです)。

カメと言えば、浦島太郎。以前『竹取物語』を講義していたとき、初回授業の導入として、auの三太郎(桃太郎・金太郎・浦島太郎)のCMを取り上げたことがありました。この太郎たち、みなさん子供の頃から絵本でお馴染みの面々だと思いますが、「誰が一番古くからいるでしょうか?」と聞くと、意外と難しいようです。

桃太郎については、伝承は古くからあったのかもしれませんが、「桃太郎」の名が見えるのは江戸時代の談義本からです。鬼退治に行く武者の格好を見ても、中世以降の成立ではないかと思われます。

金太郎は、酒呑童子を退治した源頼光の家来、四天王の一人である坂田金時の幼名です。源頼光(948-1021)は、平安時代中期に実在した武将で、この金太郎の話は室町時代に成立したと推定されています。源頼光と四天王の活躍は、酒呑童子や土蜘蛛退治を描く、能や歌舞伎でよく知られていますね。

そう考えると、三太郎のうち、二人は武者ということになります。そして、残る浦島太郎は「釣り人」。『日本書紀』や『丹後国風土記』(逸文)『萬葉集』などにも記述がある、最も古い昔話の主人公です。『日本書紀』(雄略天皇紀二十二年)には、次のように出てきます。

秋七月に、丹波国余社郡管川の人、水江浦島子、舟に乗りて釣し、遂に大亀を得たり。すなはち、女(をとめ)に化為(な)る。是に浦島子、感(め)でて婦(め)にし、相逐ひて海に入り、蓬莱山(とこよのくに)に到り、仙衆(ひじりたち)に歴(めぐ)りみる。語(こと)は別巻に在り。

今の話は「亀を助けたことから、お礼に竜宮城に招かれ、乙姫に会う」という展開ですが、こちらは、釣り上げた亀と結婚する「異類婚姻譚」になっています。またこの続きの話は、別巻にある、ということですが、『風土記』や『萬葉集』では、浦島子はおとめと三年過ごした後、父母が気になり自分の住処に戻ると家もなく、もらった玉匣(たまくしげ・櫛箱)を開けると白い雲が立ち上り、浦島子は一気に年をとってしまったと記されています。こちらはほぼ現在の話と同じですね。

亀自体が長生きする生き物なので、不老不死の常世の国への案内役となるのは、納得しやすい話です。古代中国の地理書『山海経』(せんがいきょう)に記述される「蓬莱山」(ほうらいさん)自体、大亀が背負っているとされていますしね。そういえば、『竹取物語』でかぐや姫が出す難題の一つが「蓬莱の玉の枝」でしたし、「不死の薬」も持っていました。これらは神仙思想の産物ですが、当時の人たちは、「長命」や「不老不死」に憧れを持っていたことがわかります(私もこの年になると気持ちがよくわかります〜)。

明石のアカウミガメは、無事、保護されたようです。元気になってくれるといいですね。


梅雨に入って毎日じめじめとした日が続いています。そんな中、先日2ヶ月半ぶりに電車に乗りました!都内の高校へ、教育実習生が行なう研究授業を見に行ってきました。

高校の方も、登校は6月から始まったのだとか。いまだ分散登校が続く中、実習生に授業をさせていただきありがたい限りです。

私もかれこれ対面授業から遠ざかって、半年近くたってしまいました(1月末の前年度授業以来)。そのような中、半数の人数とはいえ、生徒たちの後ろで、生の授業を聞けたことは、本当にうれしかったです。若さあふれる実習生の声とともに、座していながらもみなさんの静かな熱気を感じました。

質問にもすぐさま手をあげ正解を答える生徒たち。高校一年生、というところにまた驚きましたが、やはり対面授業はいいなと改めて実感した次第です。

大学では7月から一部対面授業が解禁になりますが、学生の希望を優先した結果、私のゼミでは春学期いっぱいオンライン授業を続けることになりました。がんばらねばなりません。

さて、話は変わって、昨日は夏至でした。一年のうち、もっとも日照時間の長い日です。そして日蝕まで起きるというミラクルデイでした。
夏至の日の日蝕
(夏至の日の日蝕図 *あくまでイメージです)

「何かが起きる!?」と一部で話題になっていましたが、日蝕のようないつもとは異なる日の様子、というのは、昔から「不吉なこと」と考えられていました。

たとえば『日本書紀』推古天皇36年(628)には、次のような記述があります。

三十六年の春二月の戊寅の朔甲辰(二十七日)に天皇、臥病(みやまひ)したまふ。
三月の丁羊の朔戊申(二日)に、日、蝕(は)え尽きたること有り
壬子(六日)に、天皇、痛みたまふこと甚しくして諱むべからず。


推古天皇が病気で伏せってほどなく、傍線部のように日蝕が起きています。その後、天皇は病から回復することなく、翌七日に崩御しています。

四月には、桃の実のような霰(あられ)が降り、春から夏にかけて干ばつもあったことが記されています。当時、陰暦四月といえば今の初夏ですから、天候も不順だったことがうかがえます。

このように「日」のありよう、というのは、当時の治世者と深く関わっていて、四時(春夏秋冬)の不順とともに、怖れられました。

『源氏物語』にも、次のようにあります。

その年、おほかた世の中騒がしくて、朝廷ざまに、もののさとししげく、のどかならで、
「天つ空にも、例に違へる月日星の光見え、雲のたたずまひあり」
とのみ、世の人おどろくこと多くて、道々の勘文どもたてまつれるにも、あやしく世になべて
ならぬことども混じりたり。内の大臣のみなむ、御心のうちに、わづらはしく思し知らるること
ありける。(薄雲巻)


以上、光源氏の不義の子・冷泉帝の治世下で起きた天変地異の様子です。「内の大臣」とは光源氏のことですが、源氏だけがその理由を知っている、と語られています。

そういえば最近、基礎演習「『枕草子』を読む」授業で、特に冬の朝の寒い様子について『新編枕草子』(おうふう)が「寒いのは冬らしさ。聖代の証。」と注釈している意味を説明しました。「冬は寒い」「夏は暑い」というように、季節がその通りに巡行することこそ、よい治世の証とみられてきたのです。

いまは世界中が未曾有の厄災に見舞われています。今までの生活を変えることを余儀なくされているわけですが、やはりなにかに「気づく」ことは大切です。それは「金」ありきの政治なのか、極めて均一的な学校生活なのか、ひたすらスケープゴートを求める社会のあり方なのかわかりませんが、ともかくこれまでのスタンダードを疑うことが要求されているように思われてなりません。

時代を読み解くための鍵は、すでに先人の記録・文献中に存在しています。人文学は(昨今、本当に軽視されていますが)、「人間」をみつめる学問であり、さらなる「未来」を切り拓いていくための重要な学問だと、やはり思わずにはいられません。



先日、非常事態宣言が出され、その後、休業要請する業種が発表されました。学校は、多くの人が集まるので、どうしても休みにせざるを得ません。特に大学は、100人以上が集まる授業もあります。5/7以降、とりあえずオンラインで授業が始まりますが、対面で授業ができるようになるのか心配です。
シラバスでは、「試験」と書いていた科目を、急遽「レポート」に変えました。また成績評価については、コメントペーパーの評価配分を高くしました。受講予定の人は、ぜひ確認してみてください。

そのように緊迫した状況の一方、昨日、初めてオンライン飲み会に参加しました。オンライン会議やオンラインゼミ、というのも、未経験で準備の段階でしたが、友人たちの提案で「飲み会」からデビューすることに。
とはいえ、ただ会議やゼミとの違いは、飲んだり食べたりしている、ということだけです(笑)。
大人同士でゆっくり話せる、という感じではなかったのですが(家族が踊ったりゲームを見せ合ったり)、それはそれで「みんなどのように過ごしている?」との問いに対し、顔を見ながら互いに報告できて、楽しかったです。

さて、先月行った奈良の神社めぐりですが、最後は「石上神宮」に行きました。天理市にあります。
KIMG0637
(拝殿への入り口となる楼門。鎌倉時代の創建だそうです)

KIMG0636
(こちらは摂社の拝殿ですが、平安時代、鳥羽天皇の時に建てられたものを移築してあります。国宝です)

KIMG0630-1
(石上神宮といえば、この鶏さんたち。手前の二羽がケンカして互いに飛びかかっていました)

石上神宮は、武門の家柄である物部氏の総氏神として信仰されているようですが、その主祭神・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)のご神体は、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が帯びていたという神剣「韴霊(ふつのみたま)」(「平国之剣(くにむけのつるぎ)」とも)です。拝殿の背後にある「禁足地」と呼ばれる場所には、この神剣が土中深く祀られているという伝承がありましたが、実際、明治7年に調査したところ多くの玉類・剣・矛などとともに、神剣「韴霊」も顕現したそうです。
(ちなみに玉の伝承については、以前、このブログでも紹介しました。→「犬の話」)

また、この神宮に伝わっている古代の遺品としては、七支刀(しちしとう・国宝)が有名です。
石上神宮の社宝
(左上から時計回りで、硬玉勾玉(重文)、七支刀(国宝)、銅鏡(重文)です。前にブログで書いた「出雲と大和」の展示会で実物を見ました)

七支刀の剣身には、表裏あわせて六十余字の銘文が見えます。この刀は『日本書紀』神功皇后摂政五十二年に百済から献上されたとある「七枝刀」(ななつさやのたち)にあたると言われています。伝承や記録と一致する古い品々、古代のロマンを感じます。

「久氐(百済の高官)等、千熊長彦に従ひて詣り。則ち、七枝刀一口、七子鏡一面、及び種々の重宝を献る。」


最後に、この神宮で思わず買ってしまった一品をご紹介します。
KIMG0683-1
勾玉(水晶です)入りブレスレット。いまの困難を浄化し、吹き飛ばす力をみなさんにもおすそ分けできますように。


いよいよ週末、東京にも外出自粛要請が出ました。先週、大阪府知事の会見を大阪で聞いており、
東京もいずれと思っていましたが、やはり来ました。

今週はじめの卒業式では、晴れ着姿の学生を多く見かけました。国技館の格式ばった式が
なくても、大学を訪れて、友人に会って、先生に挨拶して、各自が思い思いの卒業式を
行なっているようでした。
提供される催しが一切なくても、それぞれが節目をきちんと迎えていることに頼もしさを
感じました。

ただ今は、また状況がより深刻になってきましたので、一層、各自考えて行動しないと
ならないですね。大学もオンライン授業の準備など、行なっているようです。わたしも
いつもとは違う授業準備をそろそろ始めます。

さて、前置きが長くなりましたが、大阪へ行く途中、実は奈良を訪れていました。

先日の「筒井筒(本物?)」も、奈良の記事ですが、メインは、「三輪山」(周辺)
でした。

去年、演習(3年生)で源氏物語の夕顔巻を読みました。若き中将時代の光源氏が
のめり込んでしまう夕顔との恋が描かれています。

光源氏は、大弐の乳母の見舞いのため、五条の地を訪れますが、そこで偶然出会ったのが
夕顔です。

「五条」という場所は、帝の皇子である光源氏の生活圏ではなく、「小家」がちで、夕顔
も、たいした身分の女性ではないという印象でした。そのため、源氏は自分の身分を隠し
(顔も隠し)、通っています。相手の夕顔も、隠れて棲んでいるようで(源氏の友人・
頭中将の恋人で正妻を怖れていた)、自ら名のることをしません。

夕顔は、通ってくる男の正体を知りたいと源氏のあとをつけさせたこともありました。

このような源氏のあり方は、同じく正体を隠して女のもとに通っていた三輪山の神(大物主)の
伝承との重なりが指摘されています(古事記や日本書紀に記述が見えます)。

また日本書紀では、女性が死ぬという結末を迎えており、夕顔が廃院でもののけにとり殺される
形で「死」を迎えることと共通していて大変興味深いところです。

この夕顔巻の話については、最近小論を書いたばかりということもあって、三輪山を一度参拝
したい気持ちにかられていました。そしてその山がこちら。
KIMG0606

春の三輪山。ふもとに大神(おおみわ)神社があります。でも、拝むご神体が山そのものなのが、
ここの特徴です。
KIMG0600
上の図、三輪駅にありました。わたしは大神神社、狭井神社、久延彦神社、若宮社、
桧原神社、ホケノ山古墳に行ってきました。

KIMG0602
大神神社はこのような様子です。そして右側手前に「巳の神杉」があります。

KIMG0603
よく見ると、台の上に「卵」がいくつかのっています。蛇が卵を好む、
ということからでしょうね。日本書紀には次のようにあります。

是の後に、倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)、大物主神の妻となる。
然れども、その神、常に昼は見えずして、夜のみ来ます。倭迹迹姫命、夫に語りて曰く、
「君、常に昼は見えたまはねば、分明に其の尊顔を視たてまつることを得ず。願はくは
暫留まりたまへ。明旦に仰ぎて美麗しき威儀を観たてまつらむと欲(おも)ふ」といふ。
大神対へて曰はく、「言理(ことわり)灼熱(いやちこ)なり。吾、明旦に汝が櫛笥に
入りて居む。願はくは吾が形にな驚きそ」とのたまふ。
ここに倭迹迹姫命、心の裏に密かに異しび、明くるを待ちて櫛笥を見れば、遂に美麗しき
小蛇有り。其の長さ太さ衣の紐の如し。則ち、驚きてさけぶ。


神様が「小蛇」の姿をしていたわけです。この後、大物主神は、人の姿に戻って、自分に恥を
かかせたから、お前にも恥をかかせる、と言って、三輪山に還ってしまいます。
姫は、自分の行いを悔い(仕方ないと思いますが)、箸で陰(ほと)を突いて死んでしまいます。
この近くに「箸墓古墳」がありますが、そのお墓はこの姫のお墓だと日本書紀で言われています
(ホケノ山古墳から見えます)。

三輪山周辺のお話、まだ続きます。



先日、家族の誘いで、東京国立博物館で開催されている特別展「出雲と大和」https://izumo-yamato2020.jp/ (〜3/8まで)を見てきました。

「日本書紀成立1300年」という前置きはともかく、この二つの地方を比較しながら展示がなされるのは、ちょっと面白いなあと思いました。

最初にどーんと、出雲大社の巨大な「心御柱」と「宇豆柱」があって、まずはその大きさに、そしてそれらが残っていること自体に神秘を感じました。また勾玉と銅鐸は、出雲の展示だとよくありますが、写真をとっていいコーナーの銅鐸がゴロゴロあってよかったです(並べてあるのではなくてどんな風に出土したかがよくわかる)。
銅鐸レプリカ

出土した銅鐸はたいてい青く腐食しているのですが、そのうちの一つに一か所だけ、銅色がキラキラ見える部分がありました。それは家族から、おそらく掘り出す時にできた傷、と教えてもらいましたが、一個くらい、本物をピカピカにしたらどうか、と言ってみたら「とんでもない!」と言われました。

また勾玉については、グッズ販売が充実していて(あくまで個人的見解です)楽しめました。その写真は最後に。

私は俄然、自分の出自(父方)もあって、「大和」より「出雲」(大国主神話の残る)に注目してしまいました。樹なつみ「八雲立つ」の漫画も昔から好きですね。完全にフィクションですが、最近、主人公が転生したシリーズ(十三年後を描く)が新刊で出ていてびっくりしました。人気作が時を隔てて新シリーズで出るのはよくありますが、古代の物語もそういうものがあったのかしら??

ちなみに大和の展示では、奈良県の石上神宮に伝わる七支刀(国宝)が見ごたえあって良かったですね(以前ブログに書いた石上神宮の話はこちら→「犬の話」)。

また第三章の最後の方に展示されていた『播磨國風土記』(国宝:平安時代書写)にも注目。大和三山の「妻争い」の部分が開かれていました。
次年度は、日本文学史(秋学期)を担当するので、古い時代も復習しておかねば、と思った次第です。

では最後に、私が購入した勾玉グッズの写真です。
かわいいエコバック

勾玉イヤリング

イヤリングはつけてみると思ったより大きくて派手目な感じになりました。この形で指輪にした方が身につけやすいかもしれませんね。


このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /