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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

三輪山に行ってきました(夕顔巻を思いつつ)

いよいよ週末、東京にも外出自粛要請が出ました。先週、大阪府知事の会見を大阪で聞いており、
東京もいずれと思っていましたが、やはり来ました。

今週はじめの卒業式では、晴れ着姿の学生を多く見かけました。国技館の格式ばった式が
なくても、大学を訪れて、友人に会って、先生に挨拶して、各自が思い思いの卒業式を
行なっているようでした。
提供される催しが一切なくても、それぞれが節目をきちんと迎えていることに頼もしさを
感じました。

ただ今は、また状況がより深刻になってきましたので、一層、各自考えて行動しないと
ならないですね。大学もオンライン授業の準備など、行なっているようです。わたしも
いつもとは違う授業準備をそろそろ始めます。

さて、前置きが長くなりましたが、大阪へ行く途中、実は奈良を訪れていました。

先日の「筒井筒(本物?)」も、奈良の記事ですが、メインは、「三輪山」(周辺)
でした。

去年、演習(3年生)で源氏物語の夕顔巻を読みました。若き中将時代の光源氏が
のめり込んでしまう夕顔との恋が描かれています。

光源氏は、大弐の乳母の見舞いのため、五条の地を訪れますが、そこで偶然出会ったのが
夕顔です。

「五条」という場所は、帝の皇子である光源氏の生活圏ではなく、「小家」がちで、夕顔
も、たいした身分の女性ではないという印象でした。そのため、源氏は自分の身分を隠し
(顔も隠し)、通っています。相手の夕顔も、隠れて棲んでいるようで(源氏の友人・
頭中将の恋人で正妻を怖れていた)、自ら名のることをしません。

夕顔は、通ってくる男の正体を知りたいと源氏のあとをつけさせたこともありました。

このような源氏のあり方は、同じく正体を隠して女のもとに通っていた三輪山の神(大物主)の
伝承との重なりが指摘されています(古事記や日本書紀に記述が見えます)。

また日本書紀では、女性が死ぬという結末を迎えており、夕顔が廃院でもののけにとり殺される
形で「死」を迎えることと共通していて大変興味深いところです。

この夕顔巻の話については、最近小論を書いたばかりということもあって、三輪山を一度参拝
したい気持ちにかられていました。そしてその山がこちら。
KIMG0606

春の三輪山。ふもとに大神(おおみわ)神社があります。でも、拝むご神体が山そのものなのが、
ここの特徴です。
KIMG0600
上の図、三輪駅にありました。わたしは大神神社、狭井神社、久延彦神社、若宮社、
桧原神社、ホケノ山古墳に行ってきました。

KIMG0602
大神神社はこのような様子です。そして右側手前に「巳の神杉」があります。

KIMG0603
よく見ると、台の上に「卵」がいくつかのっています。蛇が卵を好む、
ということからでしょうね。日本書紀には次のようにあります。

是の後に、倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)、大物主神の妻となる。
然れども、その神、常に昼は見えずして、夜のみ来ます。倭迹迹姫命、夫に語りて曰く、
「君、常に昼は見えたまはねば、分明に其の尊顔を視たてまつることを得ず。願はくは
暫留まりたまへ。明旦に仰ぎて美麗しき威儀を観たてまつらむと欲(おも)ふ」といふ。
大神対へて曰はく、「言理(ことわり)灼熱(いやちこ)なり。吾、明旦に汝が櫛笥に
入りて居む。願はくは吾が形にな驚きそ」とのたまふ。
ここに倭迹迹姫命、心の裏に密かに異しび、明くるを待ちて櫛笥を見れば、遂に美麗しき
小蛇有り。其の長さ太さ衣の紐の如し。則ち、驚きてさけぶ。


神様が「小蛇」の姿をしていたわけです。この後、大物主神は、人の姿に戻って、自分に恥を
かかせたから、お前にも恥をかかせる、と言って、三輪山に還ってしまいます。
姫は、自分の行いを悔い(仕方ないと思いますが)、箸で陰(ほと)を突いて死んでしまいます。
この近くに「箸墓古墳」がありますが、そのお墓はこの姫のお墓だと日本書紀で言われています
(ホケノ山古墳から見えます)。

三輪山周辺のお話、まだ続きます。



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