映画「ラストレター」と文箱
先日、今月2本目の映画を見てきました。1本目に見たのは「屍人荘の殺人」。原作を読まずに見に行ったので、すっかり映画の予告宣伝にだまされました。謎解きはそれなりに面白かったのですが、ちょっと後味が、、、ね(「カメ止め」感、満載で)。
と、それはさておき、今日は2本目映画のお話。じつは岩井俊二監督の映画を見たのは初めてでした。
伊勢物語初段のような風景
(なんでしょうか。この透明感。とにかく少女の撮り方がすばらしい)
25年前も、同監督の映画「ラブレター」が話題になっていました。当時は、直球すぎるタイトルや
邦画のラブストーリーがとにかく恥ずかしく思えて、見ようとは思いませんでした。
でも今回は、、、
──先月「アナ雪2」を見たわね、じゃあ実写の「松たか子」はどうかしら?
──「屍人荘〜」に出てた「神木隆之介」、もう1回違うテイストで見たいわね。
そんな理由で選んでしまいました。あともう一つ、見た人の感想に「泣けた」というのが
結構ありまして、わたくし最近、疲れがひどくて肩が重い──こんなときは映像を見て泣くと、
スッキリすることが多いのです(オススメですよ)。
というわけで、「ラストレター」、見ました。
感想としては「やっぱり直筆手紙はいいよね〜」と思ったのと、図書館、小説家(ちょっと
くたびれた福山雅治)、本の香り、犬、というので、もうひたすら眼福〜と思った2時間でした。
松たか子演じる裕里(ゆうり)の姉・未咲(みさき)が亡くなったところから物語は始まるのですが、
この方、なんとなく名前通り咲かないまま終わってしまった44年の人生という感じで、切ない。
でも、未咲がおそらく人生中、最もキラキラ輝いていた頃を皆で思い出し、共有することで、
その人の「生」は、死してなお、現実に影響を及ぼしていくから不思議です。
ちなみに冒頭の同窓会の話は、本当に自分にとって身近な話題で(行けてませんが)、そりゃ
容姿は激しく変わっているでしょうよ、と、納得して見ていました。
人生、折り返し地点を過ぎて、まだなにも決まっていなかった、はじまっていなかった学生時代を
なつかしみ、いとおしむ──それはまるで宝物のような「時間」であり、そこからまた力を
もらって各自が歩き出す、そんな映画のように感じました。
そこで重要なのが「手紙」。コミュニケーションツールはどんどん進化していきますが、いまだに
長く保管できる記録媒体としてすぐれているのは「紙」なのです。
実際、千年以上前の書や仏典は、「紙」として残り、ありありとその筆跡を今に伝えています。
藤原道長自筆の日記『御堂関白記』も残っているのです。すごいでしょ。
そしてわたしが一番泣いてしまったのは、映画中に「文箱」(ふばこ)が出てきた時でした。
文箱とは、名前通り手紙を保管しておく箱のことですが、これは平安文学にも出てくるのです。
たとえば『源氏物語』では次のようにあります。
近き御厨子なるいろいろの紙なる文ども引き出でて、中将わりなくゆかしがれば、
「さりぬべきすこしは見せむ。かたはなるべきもこそ」とゆるしたまはねば、
「そのうちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。おしなべたる
おほかたのは、数ならねど、ほどほどにつけて書きかはしつつも見はべりなむ。
おのがじし恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見どころはあらめ」と
怨ずれば、やむごとなく切に隠したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子など
にうち置き、散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の
心やすきなるべし。(「帚木」)
上記は、主人公・光源氏の青年時代のお話で、友人(義兄)・頭中将から、
源氏の元にある女性たちの手紙が見たいとお願いされる場面です。頭中将は、手紙を入れた
厨子(文箱)から様々な紙を引っ張り出していますが、源氏は「みっともないものもあったら
困るから少しだけ」と出し渋り、頭中将は、その不都合なもの(型どおりの挨拶ではなく
高ぶった感情が込められているもの)こそ、見る甲斐があると恨んでいます。
この文箱には、藤壺のような大事な相手との手紙は入っていないと語り手がきちんと
ことわっていますが、女性たちの「生の感情」が、これらの手紙から読み取れたことが
うかがえます。
若い頃は、ある意味、手紙の数=色男自慢にもなり得ていて、楽しい場面として読めますが、
源氏が晩年、愛妻・紫の上を失った後、その手紙をも破らせ、燃やしていくところなどは、
さすがに悲壮感が漂います。
落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、「破れば惜し」と思されけるにや、すこしずつ
残したまへりけるを、もののついでにご覧じつけて、破らせたまひなどするに、かの須磨の
ころほひ、所どころより奉りたまひけるもある中に、かの御手なるは、ことに結ひあはせてぞ
ありける。みづからしおきたまへることなれど、久しうなりにける世のことと思すに、
ただ今のやうなる墨つきなど、げに千年の形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよと
思せば、かひなくて、疎からぬ人々二三人ばかり、御前にて破らせたまふ。(「幻」)
このあと、どのような気持ちで燃やしたのか、映画を見た後、その意味をより一層深く
考えさせられました。
「ラストレター」おすすめです(特に、司書をやってる同世代のゆきちゃん、忙しいと
思うけど、見てみてくださーい)。
最後に、最近、家族に焼いてもらったクッキーと一緒に作ったケーキをご紹介。
私も人生の折り返し、とっくに過ぎていますが、また「がんばろう」と勇気をもらえた映画でした。
バッチリわかりますね
実はリングケーキ
クッキー&ケーキ、味は100点!でもケーキはスポンジがやや固めで、次回の課題ですな。
と、それはさておき、今日は2本目映画のお話。じつは岩井俊二監督の映画を見たのは初めてでした。
伊勢物語初段のような風景
(なんでしょうか。この透明感。とにかく少女の撮り方がすばらしい)
25年前も、同監督の映画「ラブレター」が話題になっていました。当時は、直球すぎるタイトルや
邦画のラブストーリーがとにかく恥ずかしく思えて、見ようとは思いませんでした。
でも今回は、、、
──先月「アナ雪2」を見たわね、じゃあ実写の「松たか子」はどうかしら?
──「屍人荘〜」に出てた「神木隆之介」、もう1回違うテイストで見たいわね。
そんな理由で選んでしまいました。あともう一つ、見た人の感想に「泣けた」というのが
結構ありまして、わたくし最近、疲れがひどくて肩が重い──こんなときは映像を見て泣くと、
スッキリすることが多いのです(オススメですよ)。
というわけで、「ラストレター」、見ました。
感想としては「やっぱり直筆手紙はいいよね〜」と思ったのと、図書館、小説家(ちょっと
くたびれた福山雅治)、本の香り、犬、というので、もうひたすら眼福〜と思った2時間でした。
松たか子演じる裕里(ゆうり)の姉・未咲(みさき)が亡くなったところから物語は始まるのですが、
この方、なんとなく名前通り咲かないまま終わってしまった44年の人生という感じで、切ない。
でも、未咲がおそらく人生中、最もキラキラ輝いていた頃を皆で思い出し、共有することで、
その人の「生」は、死してなお、現実に影響を及ぼしていくから不思議です。
ちなみに冒頭の同窓会の話は、本当に自分にとって身近な話題で(行けてませんが)、そりゃ
容姿は激しく変わっているでしょうよ、と、納得して見ていました。
人生、折り返し地点を過ぎて、まだなにも決まっていなかった、はじまっていなかった学生時代を
なつかしみ、いとおしむ──それはまるで宝物のような「時間」であり、そこからまた力を
もらって各自が歩き出す、そんな映画のように感じました。
そこで重要なのが「手紙」。コミュニケーションツールはどんどん進化していきますが、いまだに
長く保管できる記録媒体としてすぐれているのは「紙」なのです。
実際、千年以上前の書や仏典は、「紙」として残り、ありありとその筆跡を今に伝えています。
藤原道長自筆の日記『御堂関白記』も残っているのです。すごいでしょ。
そしてわたしが一番泣いてしまったのは、映画中に「文箱」(ふばこ)が出てきた時でした。
文箱とは、名前通り手紙を保管しておく箱のことですが、これは平安文学にも出てくるのです。
たとえば『源氏物語』では次のようにあります。
近き御厨子なるいろいろの紙なる文ども引き出でて、中将わりなくゆかしがれば、
「さりぬべきすこしは見せむ。かたはなるべきもこそ」とゆるしたまはねば、
「そのうちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。おしなべたる
おほかたのは、数ならねど、ほどほどにつけて書きかはしつつも見はべりなむ。
おのがじし恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見どころはあらめ」と
怨ずれば、やむごとなく切に隠したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子など
にうち置き、散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の
心やすきなるべし。(「帚木」)
上記は、主人公・光源氏の青年時代のお話で、友人(義兄)・頭中将から、
源氏の元にある女性たちの手紙が見たいとお願いされる場面です。頭中将は、手紙を入れた
厨子(文箱)から様々な紙を引っ張り出していますが、源氏は「みっともないものもあったら
困るから少しだけ」と出し渋り、頭中将は、その不都合なもの(型どおりの挨拶ではなく
高ぶった感情が込められているもの)こそ、見る甲斐があると恨んでいます。
この文箱には、藤壺のような大事な相手との手紙は入っていないと語り手がきちんと
ことわっていますが、女性たちの「生の感情」が、これらの手紙から読み取れたことが
うかがえます。
若い頃は、ある意味、手紙の数=色男自慢にもなり得ていて、楽しい場面として読めますが、
源氏が晩年、愛妻・紫の上を失った後、その手紙をも破らせ、燃やしていくところなどは、
さすがに悲壮感が漂います。
落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、「破れば惜し」と思されけるにや、すこしずつ
残したまへりけるを、もののついでにご覧じつけて、破らせたまひなどするに、かの須磨の
ころほひ、所どころより奉りたまひけるもある中に、かの御手なるは、ことに結ひあはせてぞ
ありける。みづからしおきたまへることなれど、久しうなりにける世のことと思すに、
ただ今のやうなる墨つきなど、げに千年の形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよと
思せば、かひなくて、疎からぬ人々二三人ばかり、御前にて破らせたまふ。(「幻」)
このあと、どのような気持ちで燃やしたのか、映画を見た後、その意味をより一層深く
考えさせられました。
「ラストレター」おすすめです(特に、司書をやってる同世代のゆきちゃん、忙しいと
思うけど、見てみてくださーい)。
最後に、最近、家族に焼いてもらったクッキーと一緒に作ったケーキをご紹介。
私も人生の折り返し、とっくに過ぎていますが、また「がんばろう」と勇気をもらえた映画でした。
バッチリわかりますね
実はリングケーキ
クッキー&ケーキ、味は100点!でもケーキはスポンジがやや固めで、次回の課題ですな。