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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2019年07月

7月最後の日を迎えてしまいました。今年はなかなか暑くならないと思っていたら、いきなり猛暑になりましたね。昨日は試験最終日でしたが、具合の悪くなった学生も多く出たようです。

家族のラジオ体操も、最初は雨で体育館、途中曇り空、最後は台風が近づく中での晴天で終わりました。
ちょうど体操が始まるあたり、私は例年恒例の夏季源氏物語講座を担当していました。

今年は「源氏物語と神話・信仰」。代替わりを迎え、様々な神事・儀式がとりおこなわれていることを意識してのテーマ選びでした。今年も3人の先生をお迎えし、お話いただきました。

特に印象に残ったのは、最初のご講演でお話いただいた津田先生の「神話の多義性と受容」。神話は特に源氏物語の須磨・明石巻に深く関わっています。

(光源氏)わたつ海に しなえうらぶれ 蛭(ひる)の児の 脚立たざりし 年は経にけり
と聞こえたまへり。いとあはれに心恥づかしう思されて
(朱雀帝)宮柱 めぐりあひける 時しあれば 別れし春の 恨み残すな


光源氏は、兄である朱雀帝の寵姫・朧月夜との密通が発覚し、謀反の疑いをかけられる前に、自ら都を離れ須磨へ退去します。途中、明石へ移動しますが、3年間、都に帰れませんでした。その後、ようやく召喚の宣旨が出て、都に戻った光源氏は、兄である帝に対し、そのことをヒルコ神話を基にした歌によって表現します。またその返歌も、イザナギとイザナミが国生みの際、巡ったとされる宮柱をモチーフにし、源氏の心をなだめる内容です。

日本書紀では、イザナギ・イザナミの国生みの際、生まれた「蛭児」(ひるこ)が三歳になっても脚が立たなかったことから、船に乗せて棄てられたとの記述があります。この話をもとにして詠まれた平安期の和歌に「かぞいろは(父母) いかにあはれと 思ふらむ 三年になりぬ 足立たずして」(大江朝綱)があるのですが、このような一連の神話(ここでは日本書紀)受容の中に、源氏物語の記述もあるわけです。

また光源氏が兄である朱雀との問題から海浜をさすらい、明石入道と出会い、その娘・明石の君と結婚する点は、海幸・山幸神話としても知られる「海神宮訪問神話」の構造との類似が指摘されています(松岡先生のご講演でもご指摘)。源氏物語では、しばしば「海竜王」という言葉も登場します。
ポニョ
その延長で、紹介されたのが「崖の上のポニョ」。確かに「海神宮訪問神話」とよく似ています。人間が海神宮に行くのではなく、ポニョが地上に来る点は、「人魚姫」の話に近いように思いますが、幼いながらも二人は一瞬で好意を持ち、ポニョがやってきたことで、海の世界と地上の世界が混濁したようになります。神話と異なるのは、人間の男の子・宗介が、ポニョの本来の姿を受け入れるのに対し、トヨタマヒメの場合は、出産の際、本来の姿(ワニ/鮫のこと)をホオリノミコトに拒否され、海へ帰っていく点だそうです。なるほど!と思いました。

現代でも人気のお話の骨格には「神話」が息づいている......それは当時の平安貴族に大人気だった『源氏物語』に「神話」のモチーフが見られることと同じ現象であるわけです。人間が深層心理で求めているものは、そう簡単に変わらないことがよくわかります。海の力、それを脅威に思いつつ、一方でコントロールし手に入れたいと願うこと、と、津田先生は言われていましたが、確かにそうですね。

夏休み、海に行く人も多いと思います。そんなとき、この話をちらとでも思い出しながら海を眺めると、また違った光景が見えてくるかもしれません。

(参考・引用)
津田博幸「神話の多義性と受容」(明治大学リバティアカデミー講演・2019年7月20日)
松岡智之「須磨・明石巻と神話世界」(明治大学リバティアカデミー講演・2019年7月20日)

最近、ライン(スマホアプリ)を頻繁に使うようになり、スタンプも様々な種類があることに気がつきました。

以前、YouTubeのバイリンガルチャンネルを見ていた時、そのYouTuberさんが「日本のメールは絵文字をよく使うけれど、外国ではテキストオンリーが普通」 と話されていました。それからまた数年たっているので、状況は変わっているかもしれませんが、この話は印象に残りました。

日本では平安時代、貴族の姫君は物語絵を見ながら、女房の音読を聞く形で享受していた、という説があります。いわゆる物語音読論です。

現代では、文字だけで古文を読むことが多いように思うのですが、絵のある方が分かりやすいですし、当時もそのように享受されていたのなら、なおさら絵も一緒に見ながら読むべきでしょう。

源氏物語の絵合巻にも次のように物語絵が登場しています。

物語絵は、こまやかになつかしさまさるめるを、梅壺の御方は、いにしへの物語、名高くゆゑあるかぎり選り描かせたまへれば、うち見る目のいまめかしき華やかさは、いとこよなくまされり。上の女房なども、よしあるかぎり、これはかれはなど定めあへる(「この絵はあの絵は」と評定しあう)を、このごろのことにすめり。(絵合巻)

このように、絵に対する思い入れは、千年前から見られるので、日本人がテキストだけでなく絵文字を必要としたり、大人になっても漫画を読んだりするのは、必然、なのかもしれません。

試しにこちら。
Screenshot_2019年07月15日-14-23-27

平安時代風のラインスタンプを探していましたが、思うようなものがなかったので、自作してみました。ライン専用のアプリを使って作りましたので、ご購入いただいても私には1円も入りませんが、よかったらどうぞ。https://line.me/S/sticker/8312189

皆さんも試しに作ってみてはいかがでしょう。審査もあるので、多少時間はかかりますが、なかなか楽しかったですよ。

気づけば、はや7月の中旬になろうとしています。夏らしさはいずこ。梅雨寒の日々が続いています。

昨日、補講日でした。源氏物語の受容・翻訳、というテーマの中で、現代の源氏物語の舞台を紹介しました。2015年の宝塚花組公演では、「新源氏物語」が上演されています。ここで、光源氏と藤壺の恋が「天の川幻想」というタイトルで、演じられる場面があります。二人の逢瀬が一年に一度、7月7日の織姫や彦星以上に難しいことを、表現していました。
天の川幻想
ただし、この7月7日の誓いと言えば、平安時代の貴族が愛した『長恨歌』(白居易作・玄宗と楊貴妃の悲恋を歌う)の一節を思い起こさせます。

七月七日長生殿に
夜半に人無くして私語(ささやきごと)せし時
天に在らば願はくは比翼の鳥作らむ
地に在らば願はくは連理の枝為らむ


天長く地久しき時有りてつくとも
この恨みは綿々として絶ゆる期(とき)無けむ


唐の玄宗皇帝は、楊貴妃(後に殺される)と、生まれ変わっても、比翼の鳥・連理の枝のように、必ず一緒にいようと誓い合っていました。それが7月7日。

この長恨歌の悲しみに沿うように、亡くした更衣(光源氏の母)を偲んだのが、源氏物語の桐壺帝でした。

朝夕の言ぐさに、翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける
命のほどぞ尽きせず恨めしき。(桐壺巻)


藤壺は、この更衣に容貌がそっくりであったことから、身代わりのように、桐壺帝の後宮に入内します。藤壺の死に際しては、長恨歌引用は見られません。葵の上、紫の上、大君、と、主人公にとって重要な女性の死には、この引用が必ず見られるのに......。

それが舞台では、「天の川の恋」と歌うことで、藤壺が唯一無二の相手として、源氏に思われているように造型されています。実際は、母恋の延長、源氏にとっても藤壺は母の「身代わり」でした。先帝の后腹の四の宮(内親王)という高貴で理想的な藤壺は、その存在自体、謎めいたところもあるのですが、宝塚の舞台では、この藤壺を逆に生々しく一人の女性として描いています。

舞台では「罪深い」と自らのことを話す藤壺......后として国母として、表向きには、したたかに生ききった人でもありました。はかないイメージの長恨歌は、原作の彼女にはふさわしくなかったのかもしれません。授業では、「身代わり」として生きたその生は、不幸にも思えるように話しましたが、あとから藤壺の強さを、思い返した次第です。

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