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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2022年01月

先日、基礎演習の最終授業日に「和歌の早詠み大会」をしたとブログに書きましたが、同日の午後は、「百人一首」のかるた取り大会を、日本文学演習(2年生)で行いました。

でも、ただの取り札(下の句を記載)ではありません。くずし字で書かれた取り札でーす。
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(右から縦書きのものだけでなく、斜めに書かれている札もあります)

2年次の演習は、『紫式部日記』を写本(くずし字)で読む、という授業を行っていました。ですので、最後は力試しをかねて、「くずし字かるた百人一首大会」をやったわけです。

今は、このようにランダムで札を読み上げてくれるyoutubeもありますので、それを利用しました。

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最初は、遠慮がちだったみなさんも、徐々に盛り上がっていきましたね。それにしても、なぜか、紫式部の歌札だけ、誰も取れなくて、最後まで残ったのが印象的でした(『紫式部日記』のゼミなのに!)。
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めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に くもかくれにし 夜半の月かな」紫式部

これは「まだあなたたちに私の札は取らせないわよ。」という彼女のメッセージだったのかもしれません。

続いて、別日に行った3年次演習(『源氏物語』ゼミ)の最終授業も、『源氏物語』「初音」(正月を迎えた光源氏の邸の人々を描写)の巻を全員で輪読した後、百人一首大会をやりました。

こちらは「かるた」ではなく、「おかし」の百人一首です。
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「文字よりも 絵を見てしまう 「おかき札」 味も気になる 百人一首」*一応短歌です。

た〜だ、残念なことに、100枚ありませんでした!(60袋入りでした)それも、同じ歌のお菓子が重なっていることもあったので、同じ札(おかし)が2枚あったり、ない札があったり。それは、それで、違ったゲームの面白さがありました。一人がとっても終わりじゃない可能性がありますからね〜。
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(表はこんな感じ。同じ札が二枚あるのがおわかりだろうか)
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(裏はこんな感じ。和歌と詠み手と味がわかります)

でも、そうなると、120袋入りでも、100首全部そろっていない可能性があるわけです。お菓子を本当に取り札にするお客がいるとは、小倉山荘さん(お菓子会社)は考えてないのでしょうか。ぜひ、100首の100袋おかきを出してくださーい!

お味は10種類。家ではカレー味が好評でした。



私の今学期の授業は、18日(火)で終了しました。これからは成績付けと会議と入試業務(監督など体力勝負!)になります。試験まで終わって、ひとまず安心です。

昨年は、この時期、再び緊急事態宣言が出たこともあり、終わりがすべてオンライン授業になってしまいました。今年は幸い「まん防」が出る前に、例年通り「アクティブラーニング」授業ができました。

まず、学部1年生、基礎演習(『伊勢物語』)の最終授業は、出席者全員で、和歌の早詠み大会をしました。
短冊に即興で詠む
(一番右端、中央にある桃色の短冊が、一番最初に詠まれた和歌です)

『伊勢物語』の第九段、都に住みにくくなった主人公の男が東国に新天地を求め、友人を一人か二人連れて旅をします。男は、友人に「かきつばた」の五文字を句頭に据えて歌を読め、と言われ、次のような歌を詠みます。

らころも つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ

上記の歌には、「か・き・つ・ば・た」の五文字を句頭に据える「折句」という修辞技法が使われている他、掛詞、縁語など、様々な技法が用いられています。その中の一つ「序詞」(からころもきつつ)は、よく「訳さなくていい(無視していい)」と高校では教えられるようです。しかし、この序詞には、長年親しんできた妻を、着古していい具合にやわらかくなった「唐衣」のイメージで表現し、「そのような妻を置いてはるばる遠くまできている旅が悲しく思われる」という主人公の心情への理解を助けています。

またこの歌は、古今和歌集(羇旅・410)に在原業平歌として掲載されており、さすが六歌仙!といった趣ですが、みなさんにも、業平にならって、まずは「折句」という技巧を一つ用いた和歌を即興で詠むチャレンジをしてもらいました。

句頭の五文字のお題は、1月ということもあり、「う・め・の・は・な」にしました。その場で、お題を披露し、みなさん一生懸命考えます。

まずは、下書きとして配布した用紙にいくつも言葉を書いてみて、歌ができたら、前に並べられている短冊をとりにいきます(好きな柄を選びます)。そして、一気に清書します。

この日、欠席者が2名いましたが、残り13名全員が、およそ30分で歌を完成させることができました(すごい!)。

ちなみに、一番最初に詠めた方はこのような歌でした。

1「ういばなを めにしてひとり のびすれば はるのひよりに ないたうぐいす」

最初の「う」の字を「うぐいす」とする人も多かったですが、この方はそれを「初花」(うひばな)とし、木に最初に花をつけた梅をイメージさせます。そしてその梅を一人、リラックスした状態で眺めていると、あたたかい日差しの中、うぐいすの声が聞こえました。その声は、伸びをした動作と相まって、ちょっと驚きも伴うような、くすぐったさがあります。まさに「初春」ののびやかな気持ちと光景が素敵に歌われた歌です。全作中、最も良い歌だと私は思いました。

以下、秀歌選三首。番号は、提出できた順番です。

7「受かるため 目まぐるし日々 乗り越えて 花が咲くまで 涙糧にし」

受験生の歌ですね。1月は、確かに大学共通テストなど、受験シーズンに突入します。花は開いている時期のはずなのに、まだ自分の花が咲いていないのが、もどかしい歌です。「がんばれ!」と言いたくなります。

10「上見たら 滅入ってしまう 上り坂 ハアハア息切れ なんて日だろう」

「うめのはな」とは直接関係のない内容ですが、「なんて日だろう」という言葉が、やはり受験のため、急いでいるのに、目の前に坂があることを憂う歌のようによめます。

13「うぐいすで 目覚めし朝は のどやかに 始まり今日も 長い一日」

最後に提出された歌。よく考えられています。うぐいすの鳴き声で目覚めるとは、確かに長閑で優雅な朝です。春は日が長くなりますので「今日も」ゆっくり何をして過ごそうかと、やや退屈している雰囲気もあります。春の穏やかさの中にある憂いが印象的です。

他にも、もう少し言葉遣いが違ったら、「秀歌」になったと思われる歌はたくさんありました。

「うめのはな」という規定の語を詠みこみつつ、前後の言葉をうまくつなげて一つの世界を作る難しさ、みなさんに体感してもらえたかなと思います。

『伊勢物語』の東下りでは、「東海道から浅間山は見えるか?」といったことなどで盛り上がりました。第六段「鬼一口」の種明かし的な語り口についても、多様な意見が出て、面白かったです。

また今年から導入した資料としての「伊勢絵」探しも、様々なものが皆さんから提示されて楽しかったです。

今年度は、数年ぶりに基礎演習で『伊勢物語』を扱いましたが、『伊勢』の懐の深さを、皆さんの発表や意見で改めて思い知りました。

次年度も、楽しい演習になりますように。


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