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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2019年03月

一昨日、昨日と卒業記念の式典が続きました。私は武道館には行ってませんが、サプライズで山P(商学部OB)が登場したよう。私は午前の部に出た学生からビデオメッセージの話を聞きましたが、午後の部では本人が来て直接祝辞を言ってくれたみたいです。やるね!山P。

さて、大学生と大学院生の卒業式とは別に、課程博士の学位授与式なるものが日を改めて大学で行われました。
隔世の感
(このあと金屏風の前で取得者全員に学位記が授与されました)

私はこのたび初めて学位取得者の指導教員ということで、この授与式と祝賀会に参加しました。自分が院生だったときは、このような催しはなく、教室で修士を取得した学生とともに学位をいただいて終わりでしたので、隔世の感がありました(十数年前)。

この華やかな式典とは裏腹に、課程博士を取り巻く環境は日に日に厳しくなっています。特に人文系は、国公立の大学で改組・解体が進んでおり、私立が最後の砦のようにも感じています。「文学」は、それほど社会に不要な学問なのでしょうか。

「クールジャパン」政策も見直しを迫られているようですが、アニメ文化にしても、日本文学・文化の大きな下支えや蓄積あってのものです。世界ではその素晴らしさが注目され、評価されても、当の日本人がその大切さや重要性を理解できていないとすれば、悲しいことです。

経済・政治・科学・医療......どれも確かに人を富ませ、社会に役立ち、これらこそしあわせへの近道となる学問のように見えます。でも想像をはるかに超えて進歩を続けていく技術や力をどのように使うのか、役立てるのか、については、これまで以上に使う人の倫理的、情緒的「心」のあり方が問われることでしょう。いわば「心」の学びや成長が伴っていなければ、それらは人類に不幸をもたらす「毒」にもなりえます。過去に学び、隣人を知り、過ちを繰り返さないためには、歴史や文学、文化をおろそかにしてはいけないと、わたしは思います。

また話しはかわって、先日の卒業式では、卒業旅行第二弾かしら。伊豆へ旅行に行ったというゼミ生から、このようなお土産をいただきました。
桜えびの舞
(富士山と駿河湾の絵が印象的です。おせんべいもたいへん美味でした)

このパッケージを見て思い出されるのはやはり『伊勢物語』九段「東下り」。昔男が詠んだ歌は次のようなものでした。

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか鹿の子(かのこ)まだらに雪の降るらむ


鹿の子の毛模様のように、茶色い山肌に雪がまばらに残っている富士山の様子を詠んでいます。「今いつと思ってるの」と問いかける様子が、山に親しみを持っているようで面白いです。

和泉校舎メディア棟の高層階の窓から、私はたまに富士山を見ます。新入生も、ぜひ見つけてみてください。

そして、卒業生、おめでとう! みなさんの傍らに「日本文学」がありますように。

今年度の授業が終わる少し前に、大学院生である留学生(中国の方)から、北京のおみやげとして、このようなものをいただきました。
兎児爺
(極彩色でかわいらしいお人形。明朝からある伝統工芸品のようです)

武官姿のいさましさとは裏腹に、長い耳が愛らしい、ウサギ神の人形だそうです(ネット調べ)。

中秋節(日本でもお月見行事をしていますね)の頃、神祭りする際に使われていたようで、家族の健康と幸せを祈る意味があるとか。家族との関わりはウサギが多産であることと関係しているのかもしれません。ちなみにうちの家族はウサギ年とトラ年で構成されています。

しばらく家の戸棚にしまっていたら、家族がこの戸棚のある部屋から「大きな虎が出てくる夢を見た」というので、しまっていたことを思いだし、慌てて飾った次第です。今は研究室の机上にあります。

「月と兎」、おなじみの信仰ながら、他の国ではちょっと違うところを知ると、おもしろいですね。

先日、家族の作品が展示されるということで、上野公園内にある東京都美術館へ行ってきました。東京国立博物館は、ゼミの見学でもよく行きますが、東京都美術館は久しぶりでした。
自由な書
(広々とした展示会場内で、いくつもの部屋にわたって作品が展示)

私も書は習っていましたが、昔(数十年前?)に比べると書の内容が自由な感じに。もちろん昔ながらの題材もありましたが、横書きやカタカナ(アニメキャラクター名)の内容も。確かに、家族の習字の時間にも「好きな言葉を書いていい」という回がありました。

私の「書道」のイメージは、まず「お手本を忠実に学ぶ、まねぶ」というものでした。でも基本がおさえられていれば、好きに書いてもいいのでしょうね(個性尊重?)。また書は鉛筆と違って書き直しができませんから、そのときの気持ちが素直にあらわれてしまうのかも。本人の好きな言葉や目標を書くのに適していると言えるかも知れません。

たとえば『源氏物語』では、女性の気持ちが「手習い」に表れているように語られる場面があります。

手習どもの乱れうちとけたるも、筋変り、ゆゑある書きざまなり。ことごとしう草がちなどにもざえかかず、めやすく書きすましたり。小松の御返りをめづらしと見けるままに、あはれなる古事ども書きまぜて、
「めづらしや花のねぐらに木づたひて谷のふる巣をとへる鶯
声待ち出でたる」
などもあり。「咲ける岡辺に家しあれば」など、ひき返しなぐさめたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる、恥づかしげなり。(「初音」)


初音巻の明石の君
光源氏は、新築した六条院で初めて迎えた正月、邸に住む女性たちに新春の挨拶をして回ります。この六条院は四方四季を配した邸宅と言われ、春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮(養女)、冬の町には明石の君が住んでいました。明石の君は、元受領の娘。六条院に住む妻妾の中では最も身分が低く、源氏の挨拶も最後に受けます。また娘である姫君は、紫の上の養女となっており、同じ邸内に住んでいても会う機会がありません。ただこのたびは、明石の君の方から手紙を送り、めずらしく姫君から返事(小松の御返り)が送られてきます(源氏のはからい)。その後、明石の君は自身の喜びを「手習ども」(和歌)によって書きあらわします。本人の姿はなく、ただ書き散らされた書によって、光源氏が明石の君の心中を知るという流れ。

和歌にある「花のねぐら」は紫の上の居所、「谷のふる巣(古巣)」は明石の君の元を指します。「」は姫君のことですね。
咲ける岡辺に家しあれば」というのは、「梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鶯の声」(古今六帖・六)の古歌のことで、自分は紫の上の居所近くに住んでいるから、また鶯(姫君)の声を聞くこともできるだろう、という期待が込められています。そんな明石の君の気持ちを書から読み取り、ほほ笑む源氏の姿が立派だという語り手。このあたりはお決まりのフレーズです。

当時の女性たちにとっての「書」は、真情を吐露できる切実な手段だったのかもしれません。


〈参考〉新編日本古典文学全集『源氏物語』3


先日、何気なく家族が見ていたテレビ番組に「リフレクトムーン」というユニット名の双子アイドルが出てきました。
リフレクトムーン
(「アイカツ!」ファンの方、独自解釈の画でごめんなさい。本当はもっとかわいいです)

「アイカツフレンズ!」というアニメですが、アイドル活動、と称して、みな部活動に励むように、学園生活を送りながら、トップアイドルを目指す、という物語のようです。「リフレクトムーン」は、主役ではありませんが、「月から来たアイドル」という設定のお嬢様姉妹。家族はいたくこの二人組がお気に入り。

私がビックリしたのは、この二人のCMのキャッチフレーズが「月見ればさくやこの花夢がたり」(五・七・五)という文句だったこと。二人の名前は「さくや」(姉)と「かぐや」(妹)で、さくやと言えば日本神話における「コノハナサクヤヒメ」、かぐやと言えば、『竹取物語』のかぐや姫を想起させます。二人をイメージさせる「月」と「花」がきちんと入れてあるわけですね。またこの文句、「難波津に咲くやこの花冬ごもりいまは春べとさくやこの花」(王仁)の歌にもちょっと似ています。古今集の序文では、「あさか山」の歌と並んで「歌の父母」とされ、今は競技かるたの序歌としても知られている歌です。

「リフレクトムーン」の新曲「Have a Dream」には、「いとをかし」「こころもとなし」なんて古語も使われていましたよ。

二人は性格的にも光(さくや)と影(かぐや)のようなイメージで、月自体の二面性もあらわしているようです。月は、昔から「お月見」行事があるように「見て賞美する」風習があった一方、月を見ると老いを促進するから「月を見てはいけない」という風習も平安時代にはありました。たとえば、在原業平の次の歌。

おほかたは月をもめでじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの(古今集・雑・879)

当時は月が暦の基準となっていましたから、まさに年月の経過は月のせいと考えたわけです。満ちては欠ける月の姿はまさにミステリアス。白居易の漢詩文にも「老い」と「月」を結びつける発想が見られますが、『源氏物語』や『竹取物語』にも月を見ることを忌む風習は出てきます。

ミステリアスなアイドル「リフレクトムーン」は、そんな「月」のイメージを受け継いでいるよう。

ルナとアルテミス

こちらも月モチーフのキャラクター。「セーラームーン」に出てくる「ルナ」と「アルテミス」という名の猫です。

三月になりました。しかも今日は三日のひなまつりの日。ひな人形を飾っているお宅もあることでしょう。我が家は、家族がひなまつりのお祝い膳を作ってくれました。
たけのこご飯とはまぐりのお吸い物
(たけのこご飯とはまぐりのお吸い物です。朝ご飯でした)

一昨晩の飲み会と昨日の仕事の疲れで胃腸がぐったりしていましたので、やさしいお味でとてもおいしかったです。

今では女の子のお祭りとなっていますが、古くは三月の上巳の祓が起源とされています。三月の最初の巳の日に川の側で災厄を祓う儀式を行いました。この川に災厄をうつした人形(ひとがた)を流すのですが、それがひな人形になったとも。

『源氏物語』にもその祓の様子が次のように出てきます。

弥生の朔日に出で来たる巳の日、「今日なむ、かく思すことある人は、禊(みそぎ)したまふべき」と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓せさせたまふ。舟にことごとしき人形乗せて流すを見たまふに、よそへられて、
「知らざりし大海の原に流れ来てひとかたにやはものは悲しき」
とて、ゐたまへる御さま、さる晴れに出でて、言ふよしなく見えたまふ。(須磨巻)


光源氏は、兄である朱雀帝の寵姫・朧月夜と通じていたことが発覚し、謀反の疑いがかけられる前に、自ら都を離れ、須磨(現在の兵庫県)へ下りました。その地で行ったのが上巳の祓です。物語では、三月一日に行っています。陰陽師による祓では、舟に仰々しい人形を乗せて流したようです。それを見た源氏は、「自分も人形のように知らない大海原に流れ来て、ひとかたならず悲しい思いをすることだな」と歌を詠み、その姿が晴れ晴れとした海を背景として、言い様もなく美しく見えたようです。

この後、続いて詠まれた光源氏の歌に反応するかのように、暴風が起き、海は大荒れになりますが、その話はまた次の機会に。

あとこちらはうちの「貝合」遊びに使うはまぐり。
はまぐりの貝殻

絵もそのうちこんな風に(こども歴史館)描けたらいいなと思っています。

須磨のことを書いた記事→海竜王の后─須磨・明石



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