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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2019年10月

台風19号がついに上陸しています。物干し竿を外す、庭先の鉢を玄関に入れる、自転車をあらかじめ倒す、などそれなりの用意はしました。風はまだそれほど感じませんが、雨は大変なことになっているようで、近所のお友達からも「いつ避難?」とか「早めに風呂や夕食を済ませた」といった連絡が入っています。一応、ハザードマップではギリギリ大丈夫な地域ですが、今晩、安眠するのは難しそうです。

さて、家に一日閉じこもることが決定した我が家では、youtube&「ほん怖」祭りとなりました(間に少しだけ家庭学習)。夜の「ほん怖」も楽しみですが、せっかくなので、源氏物語の野分巻を再読しました。「野分」(のわき)とは古語で、現在の「台風」の意味です。

宮いとうれしう頼もしと(孫の夕霧を)待ちうけたまひて、「ここらの齢に、まだかく騒がしき野分にこそあはざりつれ」と、ただわななきにわななきたまふ。「大きなる木の枝などの折るる音もいとうたてあり、殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、かくてものしたまへること」とかつはのたまふ。
野分と大宮

(孫・夕霧のお見舞いに台風の様子を震えながら話す大宮。)

大木の枝の折れる音、御殿の瓦が全て吹き飛ぶなど、かなり大きな台風だったことが窺えます。この祖母・大宮の住む三条宮に見舞いに行く前、夕霧はまず父である光源氏の邸宅・六条院を訪れます。そこで偶然、父の愛妻・紫の上を垣間見し、夕霧は心を奪われるのですが、専ら、野分巻では、夕霧が六条院の女性たちを見てそれぞれ花に喩えるなど、六条院の有り様を見定める視点人物としての役割が注目されます。

一方で、大宮は、同居していた孫・雲居雁と離れ、大変寂しい思いをしており(同じく同居していた孫・夕霧と娘・雲居雁との仲に驚いた内大臣が自分の邸に連れて行った)、夕霧だけを頼りにしています。大宮の不安は、現在、台風の最中を過ごしている人々の不安にも重なるもので、大変リアリティがありました。

今回の再読は、いつもと違う新たな箇所に注目できました。同じ物語でも、年齢を重ねる、違う状況下で読む、ことで、新たな発見ができます。源氏物語は、そのような物語であると特に実感させてくれるから不思議です。

高校時代と教育実習時にお世話になった国語の先生が「源氏物語はライフワークだよ」と言われていたことも、今なら一層よく理解できます。


週末、台風19号が近づいています。三連休を直撃するという猛烈な台風なのだとか。各地で様々なイベントが中止されていますが、私が所属する中古文学会の秋季大会も一部中止のお知らせが。

今回の大会では、先日発見されて話題となった定家筆本『源氏物語』若紫巻についての研究発表が行なわれるということで、大変注目が集まっていただけに心配です。

また今週はじめには、研究者の訃報も知りました。上記の学会の春季大会で、遅れて参加しようとしたところ、ちょうどこの方と行きあって、研究発表そっちのけで話し込んでしまった思い出があります。
また生前の澁澤龍彦と運命的に出会ったことをしたためたこの方の短文を拝読したことがありますが、奇しくも今年のあなたは澁澤と同じ年齢だったのではないでしょうか。

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先週、偶然見ていたテレビ番組で、大人が若者を教え諭す、といった内容のものがありました。この手の内容は、正直苦手なのですが、今回の大人はまず「今すぐあなたは死ねますか?」と若者に問いかけていました。それだけ聞くと物騒な言葉のように思いますが、「いつ死んでも後悔ないくらい、何事にも全力で取り組んでいるか、完全燃焼しているか」という意味であることが種明かしされます。「遊び」でも「仕事」でもなんでもいいから、とにかく「やりきった〜」と最後に思える人生がステキですよと。ぼやぼやしている時間はないよ(たまには必要ですけどね)と言われているようでした。要は長さではなく、濃さ、なんでしょうけど、人にとって、時間は有限であることを忘れてはいけませんね。

「なぜいま自分はこんなことをしているのだろう!?」と思うことも最近多いのですが、その時々を大事に、愛おしんで過ごしていけたらと願っています。

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