幽霊博物館
またまた月末最終日。8月31日です。8月は、出雲、尼崎、京都、大阪と、これまたたくさん旅してきました。出雲は、私の両親の金婚式で家族旅行。尼崎は、夫の姪っ子のバレエ鑑賞。大阪・京都は......これから書きます。
実は、29日から1泊2日で、京都・大阪に行ってきました。「台風が来るよ〜。」と夫に警告されはしましたが、ノロノロ気味の台風だったので「何とかなるかな」と少し甘く見積もり、昨日の帰京は大変な目に遭いました(なんせ名古屋ー東京間は新幹線不通)。
帰りは、長野まわりで(名古屋―松本は、特急しなの、松本─立川は、特急あずさ、です)、名古屋から6時間かかって帰宅(通常は2時間半)。大阪から敦賀まわりも考えましたが、指定席全満席(みな考えることは一緒)。名古屋からの2時間は、デッキに立ちっぱなしでしたが、まあ、先月もそんな経験をしたばかりなので、あまり苦にならず。初めての木曽路列車に心は踊りました(上流の荒々しい川やダムなど、山道〜という感じです)。しかし揺れる揺れる。。。。
そこまでして、なぜ台風の最中、大阪に向かったのか。理由は、これです。
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幽霊博物館のパンフレット。大阪の大念佛寺で行われ、年に1回(3日間)開催されます。
幽霊博物館 | 行事・法要 | 融通念佛宗総本山 大念佛寺 -大阪市平野区- (dainenbutsuji.com)
その由来はこうです。
元和3年(1617)、箱根権現に参拝していた奥州出身の巡礼者が、山中で摂津住吉の社人・松太夫の妻の霊に出会い、平野大念佛寺の第三十六世道和(どうわ)上人に回向(えこう)を受けられるよう、夫への伝言を依頼されました。その証に亡女から「朽葉色の片袖と香盒(こうごう)」を手渡された、ということで、その片袖と香盒が、今もお寺に納められているのです。それは、年に1回だけ、この博物館で展示されます(幽霊の持ち物ですよ〜。痺れます!)。
また、それらと一緒に、多くの「幽霊掛け軸」(十二幅)と、今回、文化財指定を受けた「請雨経曼荼羅」(たくさんの龍女が描かれる)も展示されていて、とても見ごたえがありました。
幽霊掛け軸には、「菅公怨霊図」(菅原道真公)や「平知盛亡霊図」など、私の親しみのある方も。作者はわからないそうですが、部屋の中で、ぐるっと幽霊掛け軸に取り囲まれて、とても涼しく感じましたよ(外は猛暑でしたが)。
この博物館、家族がとても行きたがったので(いや私も)、無理は承知で行った感じです(笑)。なんせ1年の間に、3日間しかやっていないのです。こわーい講談「幽霊寄席」の方は、時間がなくて聞けなかったのですが、十分、「幽霊博物館」、満喫できました。
CENTER_0002_BURST20230324123601173-1
8月31日の「うれしたのし祭り」は残念ながら中止になってしまったよう。明日はあるかしら。
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開館して2時間たっていましたが、台風のせいか、まだ設営途中でした。九相詩絵巻のパネル展示です。ちなみにこの絵の一つ「膨張相図」は、人気漫画『呪術廻戦』の呪霊(呪術師)の名前になっているとか(家族談)。
私はいま、『篁物語』に出てくる〈幽霊〉にはまっています(笑)。人が死に、肉体を失い、魂になって呼びかける、その一連の流れを書き留めた物語です。
ということで、次回は、この前日に行った京都の話(29日)を書きたいと思います(四半世紀ぶりに行ったあの場所についても)。
最後に「幽霊博物館」パンフレットの表紙に書かれていた言葉をば、ここに。
「華やかな人生もその終末は死 到達するのは無である」(死んだらみーんな一緒やね)
生きているうちにどこまで足掻けるか。いや、幽霊は語る。魂は永遠でした。あの世でも勉強しないと(笑)。
実は、29日から1泊2日で、京都・大阪に行ってきました。「台風が来るよ〜。」と夫に警告されはしましたが、ノロノロ気味の台風だったので「何とかなるかな」と少し甘く見積もり、昨日の帰京は大変な目に遭いました(なんせ名古屋ー東京間は新幹線不通)。
帰りは、長野まわりで(名古屋―松本は、特急しなの、松本─立川は、特急あずさ、です)、名古屋から6時間かかって帰宅(通常は2時間半)。大阪から敦賀まわりも考えましたが、指定席全満席(みな考えることは一緒)。名古屋からの2時間は、デッキに立ちっぱなしでしたが、まあ、先月もそんな経験をしたばかりなので、あまり苦にならず。初めての木曽路列車に心は踊りました(上流の荒々しい川やダムなど、山道〜という感じです)。しかし揺れる揺れる。。。。
そこまでして、なぜ台風の最中、大阪に向かったのか。理由は、これです。
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幽霊博物館のパンフレット。大阪の大念佛寺で行われ、年に1回(3日間)開催されます。
幽霊博物館 | 行事・法要 | 融通念佛宗総本山 大念佛寺 -大阪市平野区- (dainenbutsuji.com)
その由来はこうです。
元和3年(1617)、箱根権現に参拝していた奥州出身の巡礼者が、山中で摂津住吉の社人・松太夫の妻の霊に出会い、平野大念佛寺の第三十六世道和(どうわ)上人に回向(えこう)を受けられるよう、夫への伝言を依頼されました。その証に亡女から「朽葉色の片袖と香盒(こうごう)」を手渡された、ということで、その片袖と香盒が、今もお寺に納められているのです。それは、年に1回だけ、この博物館で展示されます(幽霊の持ち物ですよ〜。痺れます!)。
また、それらと一緒に、多くの「幽霊掛け軸」(十二幅)と、今回、文化財指定を受けた「請雨経曼荼羅」(たくさんの龍女が描かれる)も展示されていて、とても見ごたえがありました。
幽霊掛け軸には、「菅公怨霊図」(菅原道真公)や「平知盛亡霊図」など、私の親しみのある方も。作者はわからないそうですが、部屋の中で、ぐるっと幽霊掛け軸に取り囲まれて、とても涼しく感じましたよ(外は猛暑でしたが)。
この博物館、家族がとても行きたがったので(いや私も)、無理は承知で行った感じです(笑)。なんせ1年の間に、3日間しかやっていないのです。こわーい講談「幽霊寄席」の方は、時間がなくて聞けなかったのですが、十分、「幽霊博物館」、満喫できました。
CENTER_0002_BURST20230324123601173-1
8月31日の「うれしたのし祭り」は残念ながら中止になってしまったよう。明日はあるかしら。
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開館して2時間たっていましたが、台風のせいか、まだ設営途中でした。九相詩絵巻のパネル展示です。ちなみにこの絵の一つ「膨張相図」は、人気漫画『呪術廻戦』の呪霊(呪術師)の名前になっているとか(家族談)。
私はいま、『篁物語』に出てくる〈幽霊〉にはまっています(笑)。人が死に、肉体を失い、魂になって呼びかける、その一連の流れを書き留めた物語です。
ということで、次回は、この前日に行った京都の話(29日)を書きたいと思います(四半世紀ぶりに行ったあの場所についても)。
最後に「幽霊博物館」パンフレットの表紙に書かれていた言葉をば、ここに。
「華やかな人生もその終末は死 到達するのは無である」(死んだらみーんな一緒やね)
生きているうちにどこまで足掻けるか。いや、幽霊は語る。魂は永遠でした。あの世でも勉強しないと(笑)。