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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2020年04月

緊急事態宣言が出て初めてのゴールデンウィークを迎えようとしています。オリンピックが延期に
ならなければ、この週、大学は授業を行う予定でした(休みなしで)。

首都圏の大学では、多くの学生がオリンピックのボランティア活動に参加することもあって、
授業が7月中旬で終わるように授業が組まれていたからです。

それがまさかのオリンピック「延期」、しかも授業自体、大学でできなくなり、今の予定では、
逆に夏休み返上で授業を行わなくてはならなくなっています。

9月入学の話も巷で話題ですが、7月の入試も暑さ対策が問題になるでしょうね。そもそも
同一条件で何千人もが同じところで試験を受ける、という従来の受験スタイル自体、限界の
ような気がします。

それこそビデオ会議で制限時間内に答案を提出し、受験者を絞っていく、というスタイルにしたら
(クイズ番組?)、家で受験できますね。それこそ問題は、ネットで調べて答えられるようなもの
にはできないので、哲学的な問題や奇問が続出してしまうかもしれませんが(妄想です)。

そんなことを、ビデオ会議の後、ぼんやり考えていました。推薦入試の面接も、テレビ電話で
OKになれば、交通費は不要になるので、地方から受験するハードルも下がりますね。

今まで当たり前だったことを、見直す時期に来ているのかもしれません。

それからタイトルの「UFO」(未確認飛行物体)ですが、今日、アメリカの国防総省が「UFO」
の存在を認める公式発表をしたことがニュースになりました。

正直、「すごい!」と思いました。これは現在の人類が飛ばしている飛行機とかではない、
という認識ですよね。「未来人」か「宇宙人」か「地底人」か。いろいろ説はあるようですが、
最近よいニュースがあまりないだけに、わくわくします。

そういえば、先週、朝の連続テレビ小説「エール」で、主人公が組曲「竹取物語」を創作し、
イギリスの国際コンクールで賞を獲る、というエピソードが出てきました。この話、実在の
作曲家・古関裕而(1909年 - 1989年)をモデルとしているそうです。

「竹取物語」は、本当に千年の時を超えて、人々に「創造」のインスピレーションを与え続けている
のだなと感動しました。

それとともに、「月」に帰っていく「かぐや姫」は、明らかに地上の人とは異なっていて、
当時の常識(ルール)にとらわれない姿が、後に朝ドラの主人公・「祐一」の妻となる「音」(おと)の様子(お見合いの後、求婚してきた相手に「結婚する気はない」と答え、母親に「わたしは結婚より
(歌手の)夢をとる」と話す)と重なりました。

「竹取物語」のかぐや姫は、まず「男は女に逢ふことをす。女は男に逢ふことをす」(男は女と、
女は男と結婚する)と養父・竹取の翁に結婚を促されても、「なんでふ、さることをかしはべらむ」(どうして結婚などするのでしょうか)と疑問を持ちます。

また地上の王である「帝」の求婚でさえ、従おうとしません。当時の地上のルールを理解しない
のは、月の世界の人だから、という答えが後に用意されますが、この月の世界、「不死の薬」
はあるわ、着ると感情を失う「天の羽衣」はあるわ、どう考えても地上より進んだ世界として
描かれているようです(地上は「穢き(きたなき)所」とも表現されています)。

かぐや姫を迎えに来る人々がしばしば「阿弥陀来迎図」のように描かれるのも、月の世界を
「浄土」(あの世)のように捉えているからでしょう。

また一方で、かぐや姫を守る武者たちの戦意を喪失させる光、迎えに来た人々が「土より五尺
(約1.5m)ばかりあがりたるほどに立ち連ねたり」と浮いている様子など、まるで宇宙人のよう
にも見えます。

漠然と「天」なのではなく、「月」であるからこそ、かき立てられるロマンです(ただ道教的にも
解釈できます。古代中国の道家思想を記す『淮南子』(えなんじ)には仙女の西王母から夫が
譲りうけた「不死の薬」を盗んで月に逃げた妻・嫦娥(じょうが)の話があります)。

少し前まで、家族が見ていた特撮(宇宙戦隊キュウレンジャー)やプリキュア(スタートゥインクル
プリキュア)も、ついに地球を飛び出し宇宙人も仲間になっていましたが、いよいよ本格的に
「宇宙時代」突入でしょうか。

最後に、3年前、わたしが偶然、公園で撮影した「UFO」の写真をお見せします。最後の写真、
拡大すると形がそれっぽいです。

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KIMG0200
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三枚目、ブログの写真ではうまく拡大できないかもしれないので、拡大した写真
をのせておきます。

Screenshot_2020年04月28日-11-39-19

なんとなく「ザクウォーリア」の頭っぽい。「かぐや姫」の「宇宙世紀」、たのしみです。

*ちなみに映画「竹取物語」(市川崑監督、1987)では、「科捜研の女」の沢口靖子が
「宇宙人」として「かぐや姫」を演じていました。最後、かぐや姫を迎えるUFOが登場するシーン
だけ、なぜか鮮明に覚えています。



緊急事態宣言、ついに全国へ広がりました。一般向けの講座は、次々と中止になり、大学の授業も6/17までオンライン授業で行なうことが決まりました(さらに変更になるかもしれませんが)。授業準備、というのは、正直、それほど先までできるものではないと考えています。通常の授業でも、学生の反応によって、毎回、軌道修正しながらやっているからです(リアクションペーパーで面白い意見や質問が出たらそれを取り上げて講義することも)。
授業を受ける側も、画面を視聴するだけの授業がいくつも増えれば、それは負担になるだろうなと感じています。通常の講義でも、「聞く」「書く」「触れる」「見る」というのをできるだけ取り入れて、100分の講義時間を有意義に感じてもらうよう努めているつもりです。

「オンライン授業で通常の学費と同じというのはいかがなものか」というテレビのコメンテーターの発言もあったようですが、一方で「急に対応に追われる教員の負担は三倍ではないか」という現場の声も目にしました。

私としては、「オンラインならではの良さ」というのも生かしながら、授業作りができたらいいと思っています。最初は試行錯誤するかもしれませんが、なるべく早く軌道にのせられるようがんばります。

さて、話は変わりますが、先日、このブログの「古典芸能」ランキング「5位」!でした。びっくり。

なぜ(!?)と思い、人気記事を確認すると、以前書いた「梓弓(あづさゆみ)と「はじ恋」にアクセスが集中していました。

おそらく理由は、「あづさゆみ」と「はじ恋」を検索すると、わたしのブログが上位に出るからでしょう。そしてなぜ最近、その語が検索されているかというと、「はじめて恋をした日に読む話」(「はじ恋」)というドラマが、コロナの影響で再放送されているからのようです。

このドラマの主軸は、塾講師と受験生の恋バナなのですが(詳しくは→前ブログ)、そこに「古典」の『伊勢物語』「梓弓」のエピソードが出てくるのです。

そこで思い出したのが、この「梓弓」の歌、「あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ」という歌の「三年」の根拠です。

女は男が出て行って「三年」たってから別の男と結婚しようとするのですが、その根拠は、おそらく下記にあります。

「已に成りたりといへども、其の夫、外蕃(都から遠く離れた地)に没落して、子有るは五年、子無きは三年までに帰らず、及び逃亡して、子有るは三年、子無きは二年まで出こずば、並に改嫁するをゆるせ」(「戸令」より)

古代の法律には上記のような記載があり、物語の女が三年後に再婚しようとしたのも、その法に大方則っていたことがうかがえます。ただ、なぜ「三年」なのか。この「三」という数字は、説話や物語における「聖数」とも言われていて、よく出てくる数です(たとえば『竹取物語』ではかぐや姫の背丈が「三寸」、成人するのに「三(ケ)月」、など「三」が多用されています)。

そういえば、大昔に流行ったデュエット曲「三年目の浮気」も、なぜか「三年」でした。

「三」のマジック、あやかるとすれば、今の状況。アメリカでは、「ソーシャル・ディスタンシング」(社会的距離の確保)の対策は、再来年まで続ける必要があるかもしれないとの研究結果も出ているようです。でも、教育の一端を担っている者としては、せめて三ヶ月くらいにならないかと思ってしまいます。

ただ一方で、地球では、これまでにないほど二酸化炭素が削減され、人間にとっては厳しい状況でも、地球環境にとっては好ましくなっているという皮肉もあります。

三年後、わたしたちはどうなっているでしょうか。「V」字回復、ということではなく、いまこの現実から、もっと大きなものを学ぶ必要があるときに来ていると、思わずにはいられません。

(↓「戸令」にまつわる話は、昨年出版された『古典文学の常識を疑うII』「物語は離婚と財産分与をどう書いたのか」の項目で書かせていただきました。誤字があって、紹介をためらっていましたが、せっかくなのでご紹介します)
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先日、非常事態宣言が出され、その後、休業要請する業種が発表されました。学校は、多くの人が集まるので、どうしても休みにせざるを得ません。特に大学は、100人以上が集まる授業もあります。5/7以降、とりあえずオンラインで授業が始まりますが、対面で授業ができるようになるのか心配です。
シラバスでは、「試験」と書いていた科目を、急遽「レポート」に変えました。また成績評価については、コメントペーパーの評価配分を高くしました。受講予定の人は、ぜひ確認してみてください。

そのように緊迫した状況の一方、昨日、初めてオンライン飲み会に参加しました。オンライン会議やオンラインゼミ、というのも、未経験で準備の段階でしたが、友人たちの提案で「飲み会」からデビューすることに。
とはいえ、ただ会議やゼミとの違いは、飲んだり食べたりしている、ということだけです(笑)。
大人同士でゆっくり話せる、という感じではなかったのですが(家族が踊ったりゲームを見せ合ったり)、それはそれで「みんなどのように過ごしている?」との問いに対し、顔を見ながら互いに報告できて、楽しかったです。

さて、先月行った奈良の神社めぐりですが、最後は「石上神宮」に行きました。天理市にあります。
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(拝殿への入り口となる楼門。鎌倉時代の創建だそうです)

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(こちらは摂社の拝殿ですが、平安時代、鳥羽天皇の時に建てられたものを移築してあります。国宝です)

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(石上神宮といえば、この鶏さんたち。手前の二羽がケンカして互いに飛びかかっていました)

石上神宮は、武門の家柄である物部氏の総氏神として信仰されているようですが、その主祭神・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)のご神体は、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が帯びていたという神剣「韴霊(ふつのみたま)」(「平国之剣(くにむけのつるぎ)」とも)です。拝殿の背後にある「禁足地」と呼ばれる場所には、この神剣が土中深く祀られているという伝承がありましたが、実際、明治7年に調査したところ多くの玉類・剣・矛などとともに、神剣「韴霊」も顕現したそうです。
(ちなみに玉の伝承については、以前、このブログでも紹介しました。→「犬の話」)

また、この神宮に伝わっている古代の遺品としては、七支刀(しちしとう・国宝)が有名です。
石上神宮の社宝
(左上から時計回りで、硬玉勾玉(重文)、七支刀(国宝)、銅鏡(重文)です。前にブログで書いた「出雲と大和」の展示会で実物を見ました)

七支刀の剣身には、表裏あわせて六十余字の銘文が見えます。この刀は『日本書紀』神功皇后摂政五十二年に百済から献上されたとある「七枝刀」(ななつさやのたち)にあたると言われています。伝承や記録と一致する古い品々、古代のロマンを感じます。

「久氐(百済の高官)等、千熊長彦に従ひて詣り。則ち、七枝刀一口、七子鏡一面、及び種々の重宝を献る。」


最後に、この神宮で思わず買ってしまった一品をご紹介します。
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勾玉(水晶です)入りブレスレット。いまの困難を浄化し、吹き飛ばす力をみなさんにもおすそ分けできますように。


事態はますます悪化の一途をたどっているようです。4月下旬から開始だった大学の授業も、
5月の連休明けまでのびました。昨日、2分弱近くの動画(新入生のみなさんへ)を撮るのに
一苦労したので、オンライン授業で「録画」になったら、これはもう大変な時間がかかると
予想できました。
演習を行なうにしても、学生は図書館に行けませんので、どのような準備、発表をしてもらう
か、考え直さないとなりません。講義より大変かもしれないと思いはじめました。

やることは山積みなのですが、先日の三輪山の話が途中になってしまい、気になりますので、
最後まで書きますね。

ちなみに、三輪山の神様が櫛笥の中で小蛇の姿になっていた、というイメージはこちら。
三輪山のかみさま
櫛を入れる箱になぜ入っていたのか、不思議ではありますが、髪や櫛には呪力があると考え
られていましたので、神様にとっては居心地が良かったのかもしれません。

大神神社のホームページには、伊勢神宮からいただいたご神宝として、御櫛笥(おんくしげ)附
櫛4枚の写真が掲載されています。良かったらそちらもご覧下さい。

こちらのホームページでは、古事記の伝承の方があがっていました。「三輪」の由来として、
正体不明の男の着物の裾に麻糸を通した針をつけてあとをたどらせたところ、糸が三勾(みわ)
だけ残ったという話が紹介されています。

この地では、三輪そうめん(糸のイメージから?)が有名です。神社の周囲には、このそうめんが
食べられるお店がたくさんありました。
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(わたしがいただいたお素麺。ゆずがきいていて大変美味でした)

このお素麺をいただいた後、今度は三輪山のふもとにある檜原神社へ行きました。
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伊勢神宮のご神体が、現在の場所に落ち着く前に祀られていたとされる神社です。
崇神天皇6年、皇女「豊鍬入姫命」(とよすきいりひめのみこと・初代斎王)に託され、
宮中を出たご神体は、「倭笠縫邑」(やまと かさぬいむら)、いわゆるこの檜原の地に
まず祀られます。ここが「元伊勢」と呼ばれる所以です。

今は大神神社の摂社ですが、雰囲気は、やはり伊勢神宮に近いものを感じました。春の陽気
が大変気持ちよかったです。
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参道からは二上山も見えます。意図的な配置のようです。

このあと、また近くにあるホケノ山古墳にいきました。その丘の上から、箸墓古墳(前々回に
お話しした倭迹迹日百襲姫のお墓と言われている)が見えます。
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この他にもまわりにたくさん古墳らしきものがありました。


三輪山周辺のお話はこれでおしまい。次回は、ここから少し離れた石上神宮の様子を書きますね。
お楽しみに。


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