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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2020年09月

最近、めっきり涼しくなってきました。いよいよ学問の秋、芸術の秋!(あと食欲の?)です。大学の授業が始まりました。

今期の授業、大学側は、オンライン授業と対面授業の「ハイブリッド」という言い方をしています。ただ現場はそこまで「いいとこどり」の感じではなく、また新たな混乱が生まれていました。

学部の授業は演習や実験等に限り、14回中、4回を上限とした対面授業、大学院は、上限なしで対面授業が可能です(文学部と文学研究科の場合)。

また、そもそも対面授業を設定せず、14回、すべてオンラインの授業もあります。人数が多くなる「講義」系の授業です。私も100名を越える「日本文学史」の授業は、オンライン(YouTubeリアルタイム配信)で行なっています。こちらは初のYouTuberデビュー(?)。

https://youtu.be/0dNPYALL1lk (←授業の一部です)

zoomでも300名まで理論的には大丈夫とのことでしたが、50名でもやはり不安定さ(学生側がのネット接続も含め)を感じていたので、今期は思い切ってトライしました。さらに学生側からすると、zoomアプリの立ち上げやパスワード入力等をせず、URLをクリックするだけで授業を視聴できる利点があります。

そして対面を予定していた演習の授業は、早速、台風で延期になりました。ただ、対面だとマスク必須ですから、自己紹介(顔合わせ)などがある初回授業は、全員が顔を見られる状態のオンラインで良かったかもしれないとも思いました。

そして、この対面とオンラインの授業が「一日」のうちに混在する学生は、大学構内の教室やメディア自習室でオンライン授業を受けることになります。同じ「オンライン授業」でも、学生が声を出す必要のある授業(意見を求められる演習など)と、声を出さずに受けられる授業(講義など)があるため、そこは場所も分けられています。ただ、声を出せるといっても、周囲に気をつかうようで、ひそひそ声で「聞こえますか〜?」といった形の応答になります(これは仕方ありません)。

また、大学備え付けのPCではなく、自分のスマホやタブレットを使っている場合は、「充電」が問題になります。「先生、あともう少しで充電が切れそうです!」といった事も実際、起こりました。「1授業100分」で、いわゆる動画状態となると、電池の消耗も激しいことが予想できます。かといって、教室にコンセントはいくつもないですから、自宅のように、コンセントにさしたままにもできません。

また、同じく演習を対面授業で行なう予定の先生とのやりとりで「朝の対面授業、学生が途中までオンラインで受け(電車の中とか)、遅れて教室にくるようなこともあるかもしれない。」といった話も出ました。ただ対面授業の場合、話の内容は聞けていても、遅れて来られるとそこで全体の進行が途切れてしまうので、途中から「オンライン」と「対面」を切り替えることは「不可」(上記の例は遅刻扱い)とせざるをえません。

実際、対面授業の後、移動中、オンラインで演習に参加(私が講義しているので基本的に視聴でOK)。最後の自己紹介の時には自宅に到着し「今、玄関なんですが〜」と、そこでビデオONにし、自己紹介してくれた学生がいました。教室でそのまま受け続けるより、気兼ねなく話せますし、移動時間と視聴時間を重ねることで、時間節約できますね。このように、現在、学生側では、様々な受講形態が可能となっています。

ただ、最初に書いた4回の対面授業、各授業で組まれ方が異なる点、もう一つの混乱の原因になるようにも感じました。もちろん、それぞれの授業で内容が異なりますから、一律にはできませんが、初回に2回、終わりに2回、組む授業や、隔週で対面を入れる授業、月に1回対面を入れる授業もあるでしょう。そのたびに、学生の方は、一日の過ごし方が変わるわけで、今日はどの授業が「対面」か「オンライン」か気をつけていないといけなくなります。

春学期のときは、とにかく「オンライン授業に慣れる」ことが課題だった学生たち。中には、途中で気持ちが落ち込んでしまい、全てのやる気をなくしてしまった、という声や、見るべきオンデマンドの動画がたまってしまい、単位を落とした、という声もありました。今度は、「ハイブリッド」授業に慣れる、という事が課されているようです。

基本的に、若い学生たちの方が対応力はありますが、やはり、学生側の負担も配慮しつつ、授業を進めていく必要があるなと、改めて思いました。

今週は、教育実習生の研究授業を見に、都内の高校へも行きました。彼らが来年大学に入学するときには、もう少し状況が好転していますようにと、思わずにはいられません。

フェイスシールド
(大学から配付されたフェイスシールド。まだ使ったことはありません)

とにかく、来週の対面授業(オンラインで受講する人もいます)、私も楽しみにしています。

(注記)別ブログ始動しました。→「歌よみ源氏物語」http://utayomigenji.blog.jp/
こちらもどうぞよろしくお願いします。


暑さが落ち着き、かなり過ごしやすくなってきました。初夏の頃、緊急事態宣言の最中、何の気なしに文房具店で購入した「花札」を、突然、家族が引っ張り出してきました。

私としては、お店で見つけた時、「なつかしい〜」という思いと、家で退屈している家族が「これで遊べるかな」という思いの半々だったのですが、いつかやろうやろうと思いつつ、棚の上で忘れ去られた存在になっていました。

ところが先日、家族が読んでいる新聞に、「花札」の特集記事が出ていました(ちなみに一面は安倍首相辞任記事でした)。
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これに触発されたのかもしれませんが、とりあえずやってみることにしました。子供の頃、友達とよく遊びましたが、もうすっかりルールも忘れていたので、説明書を読み返しつつ、札をそろえて作る「役」も確認しながら、なんとか始めました。いや〜、面白かったですよ〜。

新聞記事によると、戦国時代にポルトガルから入ってきた「ドラゴンカード」を「天正かるた」として日本人が改良したのが始まりで、最初は現在の福岡県で作られ遊ばれていたものが、秀吉の朝鮮出兵の際、全国の武将が集まったこの地で皆に遊ばれ、領地へ持ち帰られたことで広まったそうです。ただ江戸時代には賭け事で使われることが多くなり、江戸中期から明治初期まで禁止だったこともあるとか。新聞では、「マリオの花札」が紹介されていましたが、今、我が家にある「花札」には、花に顔が描かれていて、子供向けのかわいらしい絵柄になっています。
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(家族は「顔が怖い」と言ってましたけど......。)

そして、この札の特徴は、なんと言っても絵だけであること。それぞれ季節を表す花や景物が12ヶ月に振り分けられているのですが、これらは、およそ和歌や俳句の季節感と一致しています。家の花札には、月も書かれているので、さらにわかりやすいですが、1月「松」、2月「梅」、3月「桜」、4月「藤」、5月「菖蒲」、6月「牡丹」、7月「萩」、8月「薄」(すすき)、9月「菊」、10月「紅葉」、11月「柳」、12月「桐」です。そしてひと月につき、4枚ずつ札があるので、計48枚あることになります。

またその4枚は、ただ植物が書かれた「カス札」の他、動物が書かれていたり、短冊が書かれていたりする点数の高い札があります。そして、それらの組み合わせで「役」を作り、より高い得点を目指します。「猪」(萩札)と「鹿」(紅葉札)と「蝶」(牡丹札)が描かれた絵札3枚を組み合わせると、「猪鹿蝶」と呼ばれる「役」ができ、「盃」(菊)の画かれた札を「桜に幕」や「薄に月」の札と合わせると、「月見で一杯」、「花見で一杯」の「役」ができます。短冊も色違いが3枚ずつあって、それぞれ集めると「青短」「赤短」と呼ばれる「役」になります。家族は、これらの組み合わせを集めることに熱中していました。

最後に、札の点数を数えるのですが、1点、5点、10点、20点、の札に、それぞれできた「役」の合計点を加えるので、暗算の良い訓練になります。

トランプやUNOより華やかで、季節感も味わえて、なんとなく優雅な気分になります。日本に古くからあるのは貝合や貝覆ですが(「貝合・貝覆」の記事はこちら→http://blog.livedoor.jp/yuas2018/archives/21095513.html)、海外から入ってきたカードゲームをこんな風に作り替えてしまうとは、なかなかやりますね〜。

それから、この花札カードに唯一書かれている人物、それは誰でしょう?

1 紫式部
2 小野道風
3 平清盛














正解は......こちらです。

KIMG1076

はい。「柳に小野道風」で、答えは2番です。書で有名だった道風ですが、この絵柄は、江戸時代の浄瑠璃「小野道風青柳硯」が基になっているとの説があります。こちらは歌舞伎にもなり、当時、人気を博したようです(歌舞伎の一幕→https://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/10040170/0/index2.html*この頁の動画4:15〜8:30の間に傘を差した道風と蛙のシーンが見られます)。

実在の道風は、小野篁の孫ですが、ここでは息子ということになっているようです。小野篁は、様々な逸話を持っている人で、本当に面白いなあと思います。さて、そろそろ基礎演習(篁物語)の準備をしないといけませんね。

9月とはいえ、まだまだ暑い日が続きます。大型の台風10号が沖縄・九州に近づいており、気になるところです。実家に電話すると、庭の鉢を片付けるなど、一通り準備はしているとのことでした。あとは、大きな被害が出ることなく、過ぎてくれることを祈るしかありません。

話は変わって、昨日早朝、明石の海岸に弱ったアカウミガメが打ち上げられていたそうです。このカメは絶滅危惧種で、生きた個体が海岸で見られるのは、6年ぶりのことだったとか(詳しくは神戸新聞HPで→https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/0013663983.shtml)。

うちのカメ
(写真はうちの「カメ太」。わたしは覚えてなかったのですが、海で買ったそうです)。

カメと言えば、浦島太郎。以前『竹取物語』を講義していたとき、初回授業の導入として、auの三太郎(桃太郎・金太郎・浦島太郎)のCMを取り上げたことがありました。この太郎たち、みなさん子供の頃から絵本でお馴染みの面々だと思いますが、「誰が一番古くからいるでしょうか?」と聞くと、意外と難しいようです。

桃太郎については、伝承は古くからあったのかもしれませんが、「桃太郎」の名が見えるのは江戸時代の談義本からです。鬼退治に行く武者の格好を見ても、中世以降の成立ではないかと思われます。

金太郎は、酒呑童子を退治した源頼光の家来、四天王の一人である坂田金時の幼名です。源頼光(948-1021)は、平安時代中期に実在した武将で、この金太郎の話は室町時代に成立したと推定されています。源頼光と四天王の活躍は、酒呑童子や土蜘蛛退治を描く、能や歌舞伎でよく知られていますね。

そう考えると、三太郎のうち、二人は武者ということになります。そして、残る浦島太郎は「釣り人」。『日本書紀』や『丹後国風土記』(逸文)『萬葉集』などにも記述がある、最も古い昔話の主人公です。『日本書紀』(雄略天皇紀二十二年)には、次のように出てきます。

秋七月に、丹波国余社郡管川の人、水江浦島子、舟に乗りて釣し、遂に大亀を得たり。すなはち、女(をとめ)に化為(な)る。是に浦島子、感(め)でて婦(め)にし、相逐ひて海に入り、蓬莱山(とこよのくに)に到り、仙衆(ひじりたち)に歴(めぐ)りみる。語(こと)は別巻に在り。

今の話は「亀を助けたことから、お礼に竜宮城に招かれ、乙姫に会う」という展開ですが、こちらは、釣り上げた亀と結婚する「異類婚姻譚」になっています。またこの続きの話は、別巻にある、ということですが、『風土記』や『萬葉集』では、浦島子はおとめと三年過ごした後、父母が気になり自分の住処に戻ると家もなく、もらった玉匣(たまくしげ・櫛箱)を開けると白い雲が立ち上り、浦島子は一気に年をとってしまったと記されています。こちらはほぼ現在の話と同じですね。

亀自体が長生きする生き物なので、不老不死の常世の国への案内役となるのは、納得しやすい話です。古代中国の地理書『山海経』(せんがいきょう)に記述される「蓬莱山」(ほうらいさん)自体、大亀が背負っているとされていますしね。そういえば、『竹取物語』でかぐや姫が出す難題の一つが「蓬莱の玉の枝」でしたし、「不死の薬」も持っていました。これらは神仙思想の産物ですが、当時の人たちは、「長命」や「不老不死」に憧れを持っていたことがわかります(私もこの年になると気持ちがよくわかります〜)。

明石のアカウミガメは、無事、保護されたようです。元気になってくれるといいですね。


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