[フレーム]

koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2021年11月

大学祭の休みを経て、今月2回目の連休的な休みにほっとしています(明日は教授会がないのでお休み)。

秋学期は、入試等で休日出勤が増えるので、春学期より、少し忙しい感じです。学生の論文(卒論・修論・博論)も追い込みの時期になりますね。

さて、実はわたくし、昨日、明治大学和泉キャンパスで、以下のような催しにお声がけいただき、パネラーとして参加してきました。

stm_flyer_aka1
(第二校舎は、建築家であり、明治大学に建築科を創始した堀口捨己先生の設計されたもの)

stm_flyer_aka2
(私だけ建築関係者じゃないようですが、理工学部の鞍田先生も人文系(哲学)と聞き少し安堵)

和泉キャンパス第二校舎は、1960年にできた校舎で、老朽化のため、取り壊し、新たに建て直されることになりました。歴史的建造物でもあるので、保存できたらよかったのですが、様々な事情で、建て替えを余儀なくされた次第です。

私も四半世紀前、この建物で多くの授業を受け、今は教員としてガイダンス時に話したり、試験監督をつとめたりしている教室です(定員300人以上の大教室ばかりなので、少人数授業の多い文学部の専任教員はほとんど使いませんが、新校舎では様々なタイプの教室が作られるようです)。

すでに、この建物の前には、新しい校舎が建築中ですが、その校舎の設計を請け負っている卒業生・NAP建築設計事務所代表、中村拓志さんも来られていました。この方、若い頃からたくさんの賞をとられ、国内外で活躍されている建築家です(ZOZO本社屋もこの方の設計)。
Hiroshi Nakamura &NAP,中村拓志(@hiroshi_nakamura_naparchitects) • Instagram写真と動画

履歴を確認したら、修士をとられた年度が私とまったく同じ年。あらら、同級生でした。

キャンパスは違えど、同じ時代、同じ大学で学生として過ごしていたわけで、一気に親近感が湧きました(勝手に)。

私は、日本の平安文学の研究者ですが、「生きた記憶を受け継ぎ、未来へと引き渡すこと」がテーマということで、専門と絡めてお話しすることと、実際、第二校舎を「学生」として利用した経験を、「第二校舎の思い出」として語る役をつとめました。

[フレーム]

(私は1時間40分頃、パネラーの一人として登場します)

最初に、名誉教授の木村儀一先生より、堀口捨巳先生の設計された第二校舎についてのご講演があり、その後、建築学科の田中先生より3Dデータで保存される第二校舎のご説明(googleマップみたいに校舎の中も画像でいつでも見られる)、そして新しい校舎の建築コンセプトの説明が、中村氏よりなされました。

第二校舎は、外のスロープから上がることも可能で、庭の木々を見ながら教室に入れます。また、教室からすぐ外にも出られ、外界との接続が容易であることが一つの特徴です。これは、多くの和風建築を手がけ、庭と建物の関係を重視した堀口先生の思いが込められているとか。
画像3
(竣工間もない第二校舎の様子。上記、youtube中村氏の説明資料より)
画像4
(現在の第二校舎。だいぶ木々が茂っています。同じく中村氏の説明資料より)

そのあり方を受け継ぎながらも現代の教育事情に合うように刷新された新しい建物は、どこか、堀口先生の第二校舎を思わせつつ、より洗練されたデザインになっています。
画像2
(首都高から見える新校舎のイメージ図。同じく中村氏の説明資料より)
画像1
(大学内から見る新校舎のイメージ図。同じく中村氏の説明資料より)

平安時代の建築様式にも、建物のどこからでも庭に出られる(月を眺められる)、貴族の邸宅、いわゆる寝殿造(しんでんづくり)がありますが、この時ほど庭(池、中島、遣水、立石)を重視した住居もなかったように思います。

堀口先生は、和歌を嗜まれ、宮中歌会始にも参加されたことがあるようです。また和歌から建築のイメージを得て、設計されたとか(すごい!)。

新しい校舎は、緑にあふれていて、とても居心地がよさそうです。来年2月に完成するそうですので、次年度の新2年生・新入生は、ぜひ、楽しみにしていてください。




またまた前回に引き続き、イタリア旅行のお話しです(今回で最後)。

今回は、イタリアで撮影した写真をUPします。今であれば、ほとんどスマホで撮影できてしまいますが、当時、私は「使い捨てカメラ」を愛用(?)していました。

ということで、以下、その写真。

サン・ピエトロ広場より
(雑画でも画きました。バチカン市国のサン・ピエトロ広場より見た大聖堂正面)
*ドーム状の聖堂は背後にあります。この写真では見えませんが(汗)

大聖堂の中
(暗いですね。大聖堂内です)

遠くにコロッセオ
(ローマ市内。遠くに「コロッセオ」(闘技場)が見えます)

遺跡がゴロゴロ
(フォロ・ロマーノ。遺跡がゴロゴロしてる感じがします)

ベネチアの街角
(ヴェネツィアの街角。雨模様です。)

東洋風のドゥオーモ
(サンマルコ広場と大聖堂。手前の塔から、ヴェネツィアの街が一望できます)

ベネチアグラスの前で
(ヴェネツィアングラスが彩るショーウインドウ前で。お気に入りの一枚)

イタリアではいくつも都市を巡りましたが、どの街も歴史的建造物がたくさんあって、どこでも古代や中世にタイムスリップした気分になりました。

各地の大聖堂(ドゥオーモ)も、特徴があって面白かったです。フィレンツェやシエナの大聖堂が圧巻でしたが、個人的にはピサの斜塔近くにある大聖堂が青空の下、白が映えて素敵だったのを覚えています。

以下、私が撮影した大聖堂の写真です。
花のドゥオーモ
(フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

シエナの大聖堂
(シエナの大聖堂。丸いステンドグラスがきれいです)

ピサの大聖堂
(ピサの大聖堂。奥にチラリと斜塔も見えます。これだとあまり斜めに見えませんが......)

ピサの斜塔
(こちらの写真だとよくわかります。斜塔に登れなかったのがやや残念でした)

イタリアには、とにかく多くの立派な教会(大聖堂)が各地にあるわけですが、中に掲げられる宗教画もたくさん描かれました。

この時の旅行でも、多くの名画を鑑賞しましたが、一番印象に残ったのはレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」です。

ということで、わたしのオススメ本をご紹介します。
DSC_0336
(有名な人ですが、あまりその人自身については知らなかったので、とても勉強になりました。
実はこの本の著者の方とは、PTA役員としてご一緒し、最後に役員みんなのイラストも画いてくれました)


日本にも、歴史を感じさせる建造物が奈良や京都にたくさんありますね。個人的には醍醐寺(特に国宝の五重塔。京都では最古の建造物)がおすすめですが、紅葉で言えば、三井寺(滋賀県)も素敵です。

先日、新幹線に乗ったら、かなり混雑していました。秋は行楽シーズン。各々、気を付けつつ、楽しまれているようです。私も、調査をかねて兵庫県に行きました。その時の話もまた後日、書きたいと思います。



前回は、ホテル到着までのお話しでしたが、今回はそのホテルから、観光地へ繰り出します。ローマの後は、シエナ、サンジミニャーノ、フィレンツェ、ベローナ、ヴェネツィア、など、多くの街をめぐってから、最後にミラノに行きつきます。

でも、雑画は、ローマの最初の方で終了します(汗)。
EPSON9
(新婚カップルたちもよく見ると疲れ気味......。)

EPSON10
(ここでは、本当に、よく眠れました)

EPSON11
(20年前のお話しですので、今は、変わっている可能性が大いにあります)

EPSON12
(こちらも、たまたまこのウエイターの方だけがそうだったのかもしれませんが、なんとなく印象に残りました)
EPSON13
(この二人は、同じ大学でも、文系(私)と理系(友人)です。)

EPSON14
(「小森のおばちゃま」......今の若い子は知らないでしょうねえ。ガイドさんは、上品かつ、パワフルな感じの方でした)

EPSON15
(ここは、もう映画の中にいるような荘厳な空間でした。現実感0。)

EPSON16
(はい。これらは、実際に撮影した写真をもとに画いています。そしてここで雑画は終了です)

建造物の違いはともかく、同じ車や信号はあっても、使う人が違うとこんなに変わるのか、と実感したのがローマでした。一方で、イタリアにおいて、古い建物や景観を大事にする姿勢は、日本とは比較にならないと思いました。

たとえば、修繕中の建物には、その建物の絵が描かれた幕がかけられているのを目にしました。日本なら、建築会社の名前が書かれた無機質な白や青のビニールで覆われておしまいですが、その辺り、芸術や歴史に対する細やかな気遣いが感じられました。

日本では、伊勢神宮の遷宮のように、新しく建て直すことを良しとする習慣がある気がしますが、そこは、木造建築と石造建築の違いなのかもしれません。地震が多く、湿気も強い日本の風土に合うのは、やはり木造でしょうか。

次は、写真に変わりますが、もう少し、イタリアの旅、続きます。




前回に引き続き、イタリアのお話です。

さて、私はおよそ20年前に、大学時代の友人とイタリア旅行に行きました。
以下、とりあえず、成田空港に着くまでのお話を動画にしています。
(BGMのボリュームにご注意ください)
[フレーム]
(動画内で友人との待ち合わせに遅刻する「ゆ」とは、私のことです)

当時、私は大学院生。友人は社会人でした。なるべく安くて充実度の高い(たくさん周れる)ツアーを探したのを覚えています。ツアーとはいえ、幾日か、自由行動の時間が設けられており、その日は、好きな所を散策しました。

当時の私は、かなりの確率で交通トラブルに見舞われていましたが、この日も飛行機が3時間遅延し、空港で待ちぼうけを食いました。ただ、無料のお食事券は、うれしかったですね〜。

なんとか飛行機に乗り、イタリアのホテルにたどり着くまでの様子は以下の通り。
EPSON3 (3)

EPSON3 (4)
(前に人がいなかったのは、とてもラッキー。なんせ十数時間、乗るのですから)
EPSON3 (5)

EPSON3 (6)
(友人は、仕事疲れか、すぐ寝入っていました。)
EPSON4 (2)
(私はなぜか眠れません。興奮していたのかしら?)
EPSON4 (3)
(隣で気持ちよさそうに寝られると、少し焦ります)
EPSON4 (4)

EPSON4 (5)

EPSON4 (6)

EPSON4 (7)
(イメージです。)
EPSON5 (2)
(実は、ミラノには最後に行きます。ローマから北上する観光ルートでした)
EPSON5 (3)

[画像:EPSON5 (4)]


EPSON5 (5)

EPSON5 (6)

[画像:EPSON5 (7)]
(友人です)

EPSON6 (2)
(わたしです)
EPSON6 (3)
(一度、地面に降りたので、安心したのでしょうか)
EPSON6 (4)
(季節は秋。でも日本よりずっと寒かったです)
EPSON6 (5)

EPSON6 (6)
(コンダクターの方も大変です)
EPSON6 (7)

EPSON7 (2)
(日本のツアーは置いていかれませんが、外国で参加したツアーでは置いていかれたことがあります)
EPSON7 (3)

EPSON7 (4)
(夜でも車窓から景色が見られました)
EPSON7 (5)
(本物は迫力が違います〜!!)
EPSON8 (2)
(やっと、イタリアに来たことを実感)
EPSON8 (3)
(ホテル「ウニベルソ」、まだあるかしら?)
EPSON8 (4)
(ここに来て、再び現実に引き戻されました)

現実からの逃避......およそ旅には、非日常を求めますよね。そういえば、伊勢物語の昔男も、都に嫌気がさして、「東下り」をしたのでした。

「東下り」のはじめ、第七段には「むかし、男ありけり。京にありわびてあづまに行きけるに」とあり、続く第八段にも「むかし、男ありけり。京や住み憂かりけむ、あづまの方に行きて住み所求むとて、友とする人ひとりふたりして、行きけり。」とあります。

双方「都にいるのがつらくて、住みにくくなって」としか書いてありませんが、前段(六段)に語られる後の二条后・高子との恋が原因のようにも読めます。

そして、友人たちとともに新天地を目指し、東国へ向かうのです。その道中、これまで見たことのない景色──「白く浪立つ海」や「浅間嶽の煙」を見て、感激し、男は歌を詠みます。

私の場合、さすがに「新天地」を求めて......のイタリア旅行ではありませんでしたが、少なくとも現実に少し疲れて、新たな刺激と癒しを求めた旅だったことは間違いありません。

次回は、イタリアの観光に行きます。お楽しみに。




ぼんじょるの〜!現在、わたくし、大学祭のための授業休みでリフレッシュ中です。

のんきな挨拶で始めてしまいましたが、最近、イタリアの情勢が大変だ!というのをこちらのチャンネルで知りました。

[フレーム]
(普段は、イタリアのお料理や文化を伝えてくれる楽しいチャンネルです)

「グリーンパス」というのは、日本でいうところの「ワクション」や「ワクパケ」にあたりますが、ざっくり言うと、イタリアの場合、ワクチン接種した人でなければ、会社に出社できない、という、かなり厳しい内容のものです。

そのため、イタリアでは大規模なデモが先月から各地で行われています。動画は、先日、ローマに、そのリーダーが来るということで、皆集まっている様子を伝えていますが、当の本人は現れず、警察に拘束されていたことが後からわかったそうです。

アメリカでも、最近、義務化の流れが強まっていますが、日本は、このような形で「自由」が脅かされませんように。

さてさて、今年度、私は授業で、以下の本を取り上げてきました。

イザベラ・ディオニシオ「平安女子は、みんな必死で恋してた─イタリア人がハマった日本の古典」(2020年7月)
DSC_0327
著者は、お茶の水女子大学で修士課程を修了しており、基本はしっかり修得された上で、イタリア人から見た日本古典の面白さをわかりやすく伝えてくれています。

たとえば、「平安京を騒がせたプロ愛人─和泉式部『和泉式部日記』」とか、「給湯室ガールズトークの元祖─紫式部『紫式部日記』」とか、「イタリアの超奥手こじらせ男子─ダンテ『新生』VS平安女子」などなど、目次だけでも十分楽しめます(笑)。

個人的には、最後の、「全イタリア人のトラウマ」と著者が言い切るダンテ文学(イタリア人の古典・難解)を高校で三年かけて全部読まされる!とあったのが、ツボでした。

役に立つ、立たない、とかではなく、とにかくイタリア人として生まれたからには、その源(?)を知るべく必読となる作品......、日本にも、そういう古典があってもよいのではないか、と思ってしまいました。

著者は、ダンテにもはまり、日本の平安文学にもはまったわけですが、それぞれお国柄の違いもあります。

たとえば「古典作品に出てくる日本語には、男女関係にまつわる単語が驚くほど多い。......イタリアは「アモーレ」一筋で済ませているのに比べたら、大違いである。」と本書にはありますが、一方で、日本の昔話には、「おじいさん、おばあさん」「まじめな働き者」は出てくるけれど、グリム童話のような「恋愛話」はほとんどなく、それを一手に引き受けているのが『伊勢物語』だとも書かれています。

「なるほどね〜」と思いました(詳しくは、本書をご覧ください)。

ちなみに、2年前、大学院の交換留学生として、『万葉集』を学びに、イタリアのヴェネツィア大学から学生が来ていました。流暢な日本語で挨拶していましたが、また自由に往来できる日々が戻りますように、願ってやみません。

最後に、「懐かしのイタリア」のタイトルですが、私はおよそ20年前に友人とイタリア旅行をしています。その時の事を画いたのがこちら。
いたりあ旅
(しがない院生時代、社会人の友人と行ったおよそ10日間の旅)

この旅行記、16頁くらい画いて、途中で終わります(なんせ飽きっぽいもので)。次回は、この内容をご紹介したいと思います。ほとんどネーム的な感じの雑画ですが、どうぞお楽しみに。




このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /