第二校舎の思い出
大学祭の休みを経て、今月2回目の連休的な休みにほっとしています(明日は教授会がないのでお休み)。
秋学期は、入試等で休日出勤が増えるので、春学期より、少し忙しい感じです。学生の論文(卒論・修論・博論)も追い込みの時期になりますね。
さて、実はわたくし、昨日、明治大学和泉キャンパスで、以下のような催しにお声がけいただき、パネラーとして参加してきました。
stm_flyer_aka1
(第二校舎は、建築家であり、明治大学に建築科を創始した堀口捨己先生の設計されたもの)
stm_flyer_aka2
(私だけ建築関係者じゃないようですが、理工学部の鞍田先生も人文系(哲学)と聞き少し安堵)
和泉キャンパス第二校舎は、1960年にできた校舎で、老朽化のため、取り壊し、新たに建て直されることになりました。歴史的建造物でもあるので、保存できたらよかったのですが、様々な事情で、建て替えを余儀なくされた次第です。
私も四半世紀前、この建物で多くの授業を受け、今は教員としてガイダンス時に話したり、試験監督をつとめたりしている教室です(定員300人以上の大教室ばかりなので、少人数授業の多い文学部の専任教員はほとんど使いませんが、新校舎では様々なタイプの教室が作られるようです)。
すでに、この建物の前には、新しい校舎が建築中ですが、その校舎の設計を請け負っている卒業生・NAP建築設計事務所代表、中村拓志さんも来られていました。この方、若い頃からたくさんの賞をとられ、国内外で活躍されている建築家です(ZOZO本社屋もこの方の設計)。
Hiroshi Nakamura &NAP,中村拓志(@hiroshi_nakamura_naparchitects) • Instagram写真と動画
履歴を確認したら、修士をとられた年度が私とまったく同じ年。あらら、同級生でした。
キャンパスは違えど、同じ時代、同じ大学で学生として過ごしていたわけで、一気に親近感が湧きました(勝手に)。
私は、日本の平安文学の研究者ですが、「生きた記憶を受け継ぎ、未来へと引き渡すこと」がテーマということで、専門と絡めてお話しすることと、実際、第二校舎を「学生」として利用した経験を、「第二校舎の思い出」として語る役をつとめました。
[フレーム]
(私は1時間40分頃、パネラーの一人として登場します)
最初に、名誉教授の木村儀一先生より、堀口捨巳先生の設計された第二校舎についてのご講演があり、その後、建築学科の田中先生より3Dデータで保存される第二校舎のご説明(googleマップみたいに校舎の中も画像でいつでも見られる)、そして新しい校舎の建築コンセプトの説明が、中村氏よりなされました。
第二校舎は、外のスロープから上がることも可能で、庭の木々を見ながら教室に入れます。また、教室からすぐ外にも出られ、外界との接続が容易であることが一つの特徴です。これは、多くの和風建築を手がけ、庭と建物の関係を重視した堀口先生の思いが込められているとか。
画像3
(竣工間もない第二校舎の様子。上記、youtube中村氏の説明資料より)
画像4
(現在の第二校舎。だいぶ木々が茂っています。同じく中村氏の説明資料より)
そのあり方を受け継ぎながらも現代の教育事情に合うように刷新された新しい建物は、どこか、堀口先生の第二校舎を思わせつつ、より洗練されたデザインになっています。
画像2
(首都高から見える新校舎のイメージ図。同じく中村氏の説明資料より)
画像1
(大学内から見る新校舎のイメージ図。同じく中村氏の説明資料より)
平安時代の建築様式にも、建物のどこからでも庭に出られる(月を眺められる)、貴族の邸宅、いわゆる寝殿造(しんでんづくり)がありますが、この時ほど庭(池、中島、遣水、立石)を重視した住居もなかったように思います。
堀口先生は、和歌を嗜まれ、宮中歌会始にも参加されたことがあるようです。また和歌から建築のイメージを得て、設計されたとか(すごい!)。
新しい校舎は、緑にあふれていて、とても居心地がよさそうです。来年2月に完成するそうですので、次年度の新2年生・新入生は、ぜひ、楽しみにしていてください。
秋学期は、入試等で休日出勤が増えるので、春学期より、少し忙しい感じです。学生の論文(卒論・修論・博論)も追い込みの時期になりますね。
さて、実はわたくし、昨日、明治大学和泉キャンパスで、以下のような催しにお声がけいただき、パネラーとして参加してきました。
stm_flyer_aka1
(第二校舎は、建築家であり、明治大学に建築科を創始した堀口捨己先生の設計されたもの)
stm_flyer_aka2
(私だけ建築関係者じゃないようですが、理工学部の鞍田先生も人文系(哲学)と聞き少し安堵)
和泉キャンパス第二校舎は、1960年にできた校舎で、老朽化のため、取り壊し、新たに建て直されることになりました。歴史的建造物でもあるので、保存できたらよかったのですが、様々な事情で、建て替えを余儀なくされた次第です。
私も四半世紀前、この建物で多くの授業を受け、今は教員としてガイダンス時に話したり、試験監督をつとめたりしている教室です(定員300人以上の大教室ばかりなので、少人数授業の多い文学部の専任教員はほとんど使いませんが、新校舎では様々なタイプの教室が作られるようです)。
すでに、この建物の前には、新しい校舎が建築中ですが、その校舎の設計を請け負っている卒業生・NAP建築設計事務所代表、中村拓志さんも来られていました。この方、若い頃からたくさんの賞をとられ、国内外で活躍されている建築家です(ZOZO本社屋もこの方の設計)。
Hiroshi Nakamura &NAP,中村拓志(@hiroshi_nakamura_naparchitects) • Instagram写真と動画
履歴を確認したら、修士をとられた年度が私とまったく同じ年。あらら、同級生でした。
キャンパスは違えど、同じ時代、同じ大学で学生として過ごしていたわけで、一気に親近感が湧きました(勝手に)。
私は、日本の平安文学の研究者ですが、「生きた記憶を受け継ぎ、未来へと引き渡すこと」がテーマということで、専門と絡めてお話しすることと、実際、第二校舎を「学生」として利用した経験を、「第二校舎の思い出」として語る役をつとめました。
[フレーム]
(私は1時間40分頃、パネラーの一人として登場します)
最初に、名誉教授の木村儀一先生より、堀口捨巳先生の設計された第二校舎についてのご講演があり、その後、建築学科の田中先生より3Dデータで保存される第二校舎のご説明(googleマップみたいに校舎の中も画像でいつでも見られる)、そして新しい校舎の建築コンセプトの説明が、中村氏よりなされました。
第二校舎は、外のスロープから上がることも可能で、庭の木々を見ながら教室に入れます。また、教室からすぐ外にも出られ、外界との接続が容易であることが一つの特徴です。これは、多くの和風建築を手がけ、庭と建物の関係を重視した堀口先生の思いが込められているとか。
画像3
(竣工間もない第二校舎の様子。上記、youtube中村氏の説明資料より)
画像4
(現在の第二校舎。だいぶ木々が茂っています。同じく中村氏の説明資料より)
そのあり方を受け継ぎながらも現代の教育事情に合うように刷新された新しい建物は、どこか、堀口先生の第二校舎を思わせつつ、より洗練されたデザインになっています。
画像2
(首都高から見える新校舎のイメージ図。同じく中村氏の説明資料より)
画像1
(大学内から見る新校舎のイメージ図。同じく中村氏の説明資料より)
平安時代の建築様式にも、建物のどこからでも庭に出られる(月を眺められる)、貴族の邸宅、いわゆる寝殿造(しんでんづくり)がありますが、この時ほど庭(池、中島、遣水、立石)を重視した住居もなかったように思います。
堀口先生は、和歌を嗜まれ、宮中歌会始にも参加されたことがあるようです。また和歌から建築のイメージを得て、設計されたとか(すごい!)。
新しい校舎は、緑にあふれていて、とても居心地がよさそうです。来年2月に完成するそうですので、次年度の新2年生・新入生は、ぜひ、楽しみにしていてください。