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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2020年06月

6月最終日を迎えました。オンライン授業が継続する一方で図書館の利用者が全学に広がり、明日からは利用時間も延長されます。また家族の学校も再開し、それなりに生活は変化しましたが、基本「自宅で勤務」は続いています。

先日、三ヶ月ぶりにお茶の水の大学へ行ってきました。メールボックスも心配でしたし、研究室にある書籍もずっと取りにいきたかったので、ようやく意を決した次第です。ここしばらく電車にはほとんど乗らず、人混みも久しぶりだったので、帰宅したあとはしばらく放心状態でした。

駅の階段、人混み、これを週4〜5日往復でやっていたかと思うと、我ながらぞっとします。それでも、朝の通勤ラッシュ時はほとんど避けられていたので、首都圏に住む人々の生活は、本当に異常だったなと改めて思います。

さて、私の研究室のドアには、季節ごとに源氏絵のポストカードを貼り付けているのですが、桜を描いた「春」で時間が止まっていました。これを「夏」の巻に貼り替えるか悩んだのですが、今、大学院の演習でも読んでいる胡蝶巻の源氏絵に変えてきました。
胡蝶の童舞・改
(ポストカードの源氏絵は、このような胡蝶巻の童舞の場面が描かれています)

『源氏物語』の胡蝶巻は「三月の二十日あまりの頃ほひ」で始まりますが、内容はまるで桃源郷のような、不思議と春で時間が止まっているような世界が描かれます。以下、光源氏の邸宅である六条院、春の町(紫の上を主人とする)の様子です。

他所には盛りすぎたる桜も、今盛りにほほ笑み、廊をめぐれる藤の色もこまやかにひらけゆきにけり。まして池の水に影をうつしたる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。水鳥どもの、つがひを離れず遊びつつ、細き枝どもをくひて飛びちがふ、鴛(をし)の波の綾に文をまじへたるなど、物の絵様にも描き取らまほしきに、まことに斧の柄も朽いつべう思ひつつ日を暮らす。(胡蝶巻より)

「斧の柄も朽いつべう」というのは「爛柯(らんか)の故事」を意味します。中国、晋の時代、王質というきこりが森で童子に会い、童子たちが碁を打つのを見て時を忘れ、気がつくと置いていた斧の柄は腐り、帰ってみれば当時の人は誰もいなかったという話です(『述異記』等)。浦島太郎の話にも少し似ていますね。

対面授業では、外の気温や陽光はもちろん、学生の服装の変化でも季節が感じられましたが、いまはそれらが全体的にぼんやりとした印象に。

ふと気づくと随分時が経ってしまった、なんておそろしいことにならないよう、節目節目をきちんと過ごしたい、と切に思っている今日この頃です。

さて、今週末は、家族も楽しみにしている「しろまる滅の刃」の発売日ですが、ポストカードを変えながら「胡蝶といえば......」と思わずにはいられませんでした。ちなみに家族は伊之助のファンです。
胡蝶しのぶ

↑物語の舞台は大正時代。平安時代とは関係ないですが、ご容赦ください(あ、でも敵役の「無惨」が鬼になったのは平安時代だったかな)。


梅雨に入って毎日じめじめとした日が続いています。そんな中、先日2ヶ月半ぶりに電車に乗りました!都内の高校へ、教育実習生が行なう研究授業を見に行ってきました。

高校の方も、登校は6月から始まったのだとか。いまだ分散登校が続く中、実習生に授業をさせていただきありがたい限りです。

私もかれこれ対面授業から遠ざかって、半年近くたってしまいました(1月末の前年度授業以来)。そのような中、半数の人数とはいえ、生徒たちの後ろで、生の授業を聞けたことは、本当にうれしかったです。若さあふれる実習生の声とともに、座していながらもみなさんの静かな熱気を感じました。

質問にもすぐさま手をあげ正解を答える生徒たち。高校一年生、というところにまた驚きましたが、やはり対面授業はいいなと改めて実感した次第です。

大学では7月から一部対面授業が解禁になりますが、学生の希望を優先した結果、私のゼミでは春学期いっぱいオンライン授業を続けることになりました。がんばらねばなりません。

さて、話は変わって、昨日は夏至でした。一年のうち、もっとも日照時間の長い日です。そして日蝕まで起きるというミラクルデイでした。
夏至の日の日蝕
(夏至の日の日蝕図 *あくまでイメージです)

「何かが起きる!?」と一部で話題になっていましたが、日蝕のようないつもとは異なる日の様子、というのは、昔から「不吉なこと」と考えられていました。

たとえば『日本書紀』推古天皇36年(628)には、次のような記述があります。

三十六年の春二月の戊寅の朔甲辰(二十七日)に天皇、臥病(みやまひ)したまふ。
三月の丁羊の朔戊申(二日)に、日、蝕(は)え尽きたること有り
壬子(六日)に、天皇、痛みたまふこと甚しくして諱むべからず。


推古天皇が病気で伏せってほどなく、傍線部のように日蝕が起きています。その後、天皇は病から回復することなく、翌七日に崩御しています。

四月には、桃の実のような霰(あられ)が降り、春から夏にかけて干ばつもあったことが記されています。当時、陰暦四月といえば今の初夏ですから、天候も不順だったことがうかがえます。

このように「日」のありよう、というのは、当時の治世者と深く関わっていて、四時(春夏秋冬)の不順とともに、怖れられました。

『源氏物語』にも、次のようにあります。

その年、おほかた世の中騒がしくて、朝廷ざまに、もののさとししげく、のどかならで、
「天つ空にも、例に違へる月日星の光見え、雲のたたずまひあり」
とのみ、世の人おどろくこと多くて、道々の勘文どもたてまつれるにも、あやしく世になべて
ならぬことども混じりたり。内の大臣のみなむ、御心のうちに、わづらはしく思し知らるること
ありける。(薄雲巻)


以上、光源氏の不義の子・冷泉帝の治世下で起きた天変地異の様子です。「内の大臣」とは光源氏のことですが、源氏だけがその理由を知っている、と語られています。

そういえば最近、基礎演習「『枕草子』を読む」授業で、特に冬の朝の寒い様子について『新編枕草子』(おうふう)が「寒いのは冬らしさ。聖代の証。」と注釈している意味を説明しました。「冬は寒い」「夏は暑い」というように、季節がその通りに巡行することこそ、よい治世の証とみられてきたのです。

いまは世界中が未曾有の厄災に見舞われています。今までの生活を変えることを余儀なくされているわけですが、やはりなにかに「気づく」ことは大切です。それは「金」ありきの政治なのか、極めて均一的な学校生活なのか、ひたすらスケープゴートを求める社会のあり方なのかわかりませんが、ともかくこれまでのスタンダードを疑うことが要求されているように思われてなりません。

時代を読み解くための鍵は、すでに先人の記録・文献中に存在しています。人文学は(昨今、本当に軽視されていますが)、「人間」をみつめる学問であり、さらなる「未来」を切り拓いていくための重要な学問だと、やはり思わずにはいられません。



オンライン授業、はじまって1ヶ月が過ぎました。慣れていない、ということもありますが、
やはりPCの画面を見る時間が増えて、疲れます。

大学の方で学生全体にとったアンケートの集計が先日公開されました。見たところ、やはり資料だけの
課題提示型授業は学生の不満が大きく、Zoomによるリアルタイムの授業も通信環境によっては、
困っている学生が出ているようでした。

確かに、家族が家でテレワークをしていて、昼間だとPCが使えない学生もいましたし、通信環境は
整っていても、宅配便が来る、電話が鳴る、ということで、授業を聞き逃してしまう学生もいました。

結果、収録動画+課題型、のオンライン授業が人気のようですが、教員にとっては、本当に
技術が必要な形態で、すべての教員がこれをやるのは難しいだろうと思いました。

ただ、やはりどの授業でも、教員と学生、また学生間でのやりとりをきちんと行えていることが
満足度UPにつながっていることは確かなようです。現在、自分の講義では学生にコメント提出を
課していますが、このレスポンスは、今後もできるだけ丁寧にやっていくつもりです。

また私はほとんどリアルタイム配信で授業を行なっていますが、補講の2回分は「収録動画+課題型」
にし、通常の授業も今月から音声だけは録音して聞き直しできるようにしました。

動画や画像だとかなりデータ容量が大きいのですが、音声だけだと100分近くでも10Mいかない
ことがわかりました。活用してもらえるとうれしいです。

さて、標題に書きました「いいね!光源氏くん」https://www.nhk.or.jp/drama/yoru/hikarugenji/(原作はえすとえむ氏の漫画)。NHKのよるドラ枠で4月から土曜日に放送されていました。

私も『源氏物語』の講義で、導入としてこちらを紹介し、その面白さについて少しお話しました。

いままで、宝塚版の『源氏物語』や映画の『源氏物語』をいくつか見てきましたが、このドラマは一番、人物の動き(所作)がしっくりきました。

やはり時代劇の伝統の上に「平安時代」を描こうとすると、どうしても人物がキビキビ動き、違和感が拭えなかったところがあります。いまの、もしくは武士の時代の男性の「かっこよさ」と、平安時代のイケメンは違うのですよ。

いまでも「俺様」系のキャラクター(壁ドン)に人気があるのは否めませんが、光源氏のよさはドラマでも言われていたように(いや役者さんの解釈だったかも)、「人たらし」(よい意味で)これにつきます。

ただ『源氏物語』の原作でいうと、藤壺にまつわる事柄については、やや暴走気味、相手の感情を考える余裕のない場面が見えます。そこも、逆にすべてが優れているだけに人間味があると言えるかも知れません。

話は戻って「いいね!光源氏くん」。ドラマでは、「平安貴族は、いつでもどこでも感極まったら和歌を詠む」とされていて(実際には所構わずではなかったと思いますが)、この場面、かなりステキに映像化されています。現代人には一見、理解しにくい場面ですが、「ツールは違えど、何かあったらSNSで発信する現代人と同じ感覚かもしれない。」という感想が学生からあがっていました。

また頭中将との関係が、BL(ボーイズラブ)のように表現されているシーンがありました。確かに二人は若い頃からライバル同士、仲も大変良いのですが、頭中将が光源氏の引き立て役にすぎないことを、ドラマでは中将自身が悩んでいました。実は、上記のような部分は、『源氏物語』でも下記の通り、描かれています。

源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将、容貌(かたち)用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木(みやまぎ)なり。(紅葉賀巻より)

父帝が主催する紅葉賀宴で、光源氏は頭中将と一緒に「青海波」を舞います。頭中将も、容貌や態度は人より優れていましたが、源氏と並んでしまうと「花(光源氏)の傍らの深山木(頭中将)」といった様子で、ぱっとしなかったようです。

また、ドラマでは、源氏と同居するOLを「光源氏の思い人」と勘違いして対抗心(?)から中将が迫る場面があります。実際、物語でも、二人が同じ女性を恋人としています。一人は夕顔、もう一人は好色な老女・源典侍です。

頭中将は、この君の、いたうまめだち過ぐして、常にもどきたまふ(自分を非難する)がねたきを、つれなくてうちうち忍びたまふ方々多かめるを、いかで見あらはさむとのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地いとうれし。(紅葉賀巻より)

上記で頭中将は、「源氏の君は、たいそう真面目ぶって、私を非難していらっしゃるが、何気ない顔で忍び通いされている女性達は多いようであるのを、なんとかして突き止めてやろうと機会をずっとうかがっていたら、(私も通っている)源典侍との密会現場を見つけられてとてもうれしい」と思っています。このあと、頭中将は屏風の後ろに隠れていて、後から怒った風体で太刀を抜き、源氏を脅すふりをします(笑いをこらえて)。
修羅場(?)
(イメージ図。光源氏は「修理大夫」かと思っており、源典侍はいったい何股していたのやら)

このとき源典侍は「五十七・八(歳)」と語られていて、源氏たちは「二十代」。ここは滑稽譚になっていますが、今読み返しても面白い話です。

さてさて、時代は下って、中世の物語評論『無名草子』では、頭中将が光源氏以上にベタ褒めされています(須磨の地に流離する源氏を訪ねていくところなど)。時代が変われば、価値観も変わり、好みや評価も変わります。色好みはむしろ主役から脇役になっていきます。それでも千年以上、主役を張れる「光源氏」は、改めてすごいなあと感服しました。

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