[フレーム]

koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

いいね!光源氏くんのツボ

オンライン授業、はじまって1ヶ月が過ぎました。慣れていない、ということもありますが、
やはりPCの画面を見る時間が増えて、疲れます。

大学の方で学生全体にとったアンケートの集計が先日公開されました。見たところ、やはり資料だけの
課題提示型授業は学生の不満が大きく、Zoomによるリアルタイムの授業も通信環境によっては、
困っている学生が出ているようでした。

確かに、家族が家でテレワークをしていて、昼間だとPCが使えない学生もいましたし、通信環境は
整っていても、宅配便が来る、電話が鳴る、ということで、授業を聞き逃してしまう学生もいました。

結果、収録動画+課題型、のオンライン授業が人気のようですが、教員にとっては、本当に
技術が必要な形態で、すべての教員がこれをやるのは難しいだろうと思いました。

ただ、やはりどの授業でも、教員と学生、また学生間でのやりとりをきちんと行えていることが
満足度UPにつながっていることは確かなようです。現在、自分の講義では学生にコメント提出を
課していますが、このレスポンスは、今後もできるだけ丁寧にやっていくつもりです。

また私はほとんどリアルタイム配信で授業を行なっていますが、補講の2回分は「収録動画+課題型」
にし、通常の授業も今月から音声だけは録音して聞き直しできるようにしました。

動画や画像だとかなりデータ容量が大きいのですが、音声だけだと100分近くでも10Mいかない
ことがわかりました。活用してもらえるとうれしいです。

さて、標題に書きました「いいね!光源氏くん」https://www.nhk.or.jp/drama/yoru/hikarugenji/(原作はえすとえむ氏の漫画)。NHKのよるドラ枠で4月から土曜日に放送されていました。

私も『源氏物語』の講義で、導入としてこちらを紹介し、その面白さについて少しお話しました。

いままで、宝塚版の『源氏物語』や映画の『源氏物語』をいくつか見てきましたが、このドラマは一番、人物の動き(所作)がしっくりきました。

やはり時代劇の伝統の上に「平安時代」を描こうとすると、どうしても人物がキビキビ動き、違和感が拭えなかったところがあります。いまの、もしくは武士の時代の男性の「かっこよさ」と、平安時代のイケメンは違うのですよ。

いまでも「俺様」系のキャラクター(壁ドン)に人気があるのは否めませんが、光源氏のよさはドラマでも言われていたように(いや役者さんの解釈だったかも)、「人たらし」(よい意味で)これにつきます。

ただ『源氏物語』の原作でいうと、藤壺にまつわる事柄については、やや暴走気味、相手の感情を考える余裕のない場面が見えます。そこも、逆にすべてが優れているだけに人間味があると言えるかも知れません。

話は戻って「いいね!光源氏くん」。ドラマでは、「平安貴族は、いつでもどこでも感極まったら和歌を詠む」とされていて(実際には所構わずではなかったと思いますが)、この場面、かなりステキに映像化されています。現代人には一見、理解しにくい場面ですが、「ツールは違えど、何かあったらSNSで発信する現代人と同じ感覚かもしれない。」という感想が学生からあがっていました。

また頭中将との関係が、BL(ボーイズラブ)のように表現されているシーンがありました。確かに二人は若い頃からライバル同士、仲も大変良いのですが、頭中将が光源氏の引き立て役にすぎないことを、ドラマでは中将自身が悩んでいました。実は、上記のような部分は、『源氏物語』でも下記の通り、描かれています。

源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将、容貌(かたち)用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木(みやまぎ)なり。(紅葉賀巻より)

父帝が主催する紅葉賀宴で、光源氏は頭中将と一緒に「青海波」を舞います。頭中将も、容貌や態度は人より優れていましたが、源氏と並んでしまうと「花(光源氏)の傍らの深山木(頭中将)」といった様子で、ぱっとしなかったようです。

また、ドラマでは、源氏と同居するOLを「光源氏の思い人」と勘違いして対抗心(?)から中将が迫る場面があります。実際、物語でも、二人が同じ女性を恋人としています。一人は夕顔、もう一人は好色な老女・源典侍です。

頭中将は、この君の、いたうまめだち過ぐして、常にもどきたまふ(自分を非難する)がねたきを、つれなくてうちうち忍びたまふ方々多かめるを、いかで見あらはさむとのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地いとうれし。(紅葉賀巻より)

上記で頭中将は、「源氏の君は、たいそう真面目ぶって、私を非難していらっしゃるが、何気ない顔で忍び通いされている女性達は多いようであるのを、なんとかして突き止めてやろうと機会をずっとうかがっていたら、(私も通っている)源典侍との密会現場を見つけられてとてもうれしい」と思っています。このあと、頭中将は屏風の後ろに隠れていて、後から怒った風体で太刀を抜き、源氏を脅すふりをします(笑いをこらえて)。
修羅場(?)
(イメージ図。光源氏は「修理大夫」かと思っており、源典侍はいったい何股していたのやら)

このとき源典侍は「五十七・八(歳)」と語られていて、源氏たちは「二十代」。ここは滑稽譚になっていますが、今読み返しても面白い話です。

さてさて、時代は下って、中世の物語評論『無名草子』では、頭中将が光源氏以上にベタ褒めされています(須磨の地に流離する源氏を訪ねていくところなど)。時代が変われば、価値観も変わり、好みや評価も変わります。色好みはむしろ主役から脇役になっていきます。それでも千年以上、主役を張れる「光源氏」は、改めてすごいなあと感服しました。

このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /