一昨日、昨日と卒業記念の式典が続きました。私は武道館には行ってませんが、サプライズで山P(商学部OB)が登場したよう。私は午前の部に出た学生からビデオメッセージの話を聞きましたが、午後の部では本人が来て直接祝辞を言ってくれたみたいです。やるね!山P。
さて、大学生と大学院生の卒業式とは別に、課程博士の学位授与式なるものが日を改めて大学で行われました。
隔世の感
(このあと金屏風の前で取得者全員に学位記が授与されました)
私はこのたび初めて学位取得者の指導教員ということで、この授与式と祝賀会に参加しました。自分が院生だったときは、このような催しはなく、教室で修士を取得した学生とともに学位をいただいて終わりでしたので、隔世の感がありました(十数年前)。
この華やかな式典とは裏腹に、課程博士を取り巻く環境は日に日に厳しくなっています。特に人文系は、国公立の大学で改組・解体が進んでおり、私立が最後の砦のようにも感じています。「文学」は、それほど社会に不要な学問なのでしょうか。
「クールジャパン」政策も見直しを迫られているようですが、アニメ文化にしても、日本文学・文化の大きな下支えや蓄積あってのものです。世界ではその素晴らしさが注目され、評価されても、当の日本人がその大切さや重要性を理解できていないとすれば、悲しいことです。
経済・政治・科学・医療......どれも確かに人を富ませ、社会に役立ち、これらこそしあわせへの近道となる学問のように見えます。でも想像をはるかに超えて進歩を続けていく技術や力をどのように使うのか、役立てるのか、については、これまで以上に使う人の倫理的、情緒的「心」のあり方が問われることでしょう。いわば「心」の学びや成長が伴っていなければ、それらは人類に不幸をもたらす「毒」にもなりえます。過去に学び、隣人を知り、過ちを繰り返さないためには、歴史や文学、文化をおろそかにしてはいけないと、わたしは思います。
また話しはかわって、先日の卒業式では、卒業旅行第二弾かしら。伊豆へ旅行に行ったというゼミ生から、このようなお土産をいただきました。
桜えびの舞
(富士山と駿河湾の絵が印象的です。おせんべいもたいへん美味でした)
このパッケージを見て思い出されるのはやはり『伊勢物語』九段「東下り」。昔男が詠んだ歌は次のようなものでした。
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか鹿の子(かのこ)まだらに雪の降るらむ
鹿の子の毛模様のように、茶色い山肌に雪がまばらに残っている富士山の様子を詠んでいます。「今いつと思ってるの」と問いかける様子が、山に親しみを持っているようで面白いです。
和泉校舎メディア棟の高層階の窓から、私はたまに富士山を見ます。新入生も、ぜひ見つけてみてください。
そして、卒業生、おめでとう! みなさんの傍らに「日本文学」がありますように。
さて、大学生と大学院生の卒業式とは別に、課程博士の学位授与式なるものが日を改めて大学で行われました。
隔世の感
(このあと金屏風の前で取得者全員に学位記が授与されました)
私はこのたび初めて学位取得者の指導教員ということで、この授与式と祝賀会に参加しました。自分が院生だったときは、このような催しはなく、教室で修士を取得した学生とともに学位をいただいて終わりでしたので、隔世の感がありました(十数年前)。
この華やかな式典とは裏腹に、課程博士を取り巻く環境は日に日に厳しくなっています。特に人文系は、国公立の大学で改組・解体が進んでおり、私立が最後の砦のようにも感じています。「文学」は、それほど社会に不要な学問なのでしょうか。
「クールジャパン」政策も見直しを迫られているようですが、アニメ文化にしても、日本文学・文化の大きな下支えや蓄積あってのものです。世界ではその素晴らしさが注目され、評価されても、当の日本人がその大切さや重要性を理解できていないとすれば、悲しいことです。
経済・政治・科学・医療......どれも確かに人を富ませ、社会に役立ち、これらこそしあわせへの近道となる学問のように見えます。でも想像をはるかに超えて進歩を続けていく技術や力をどのように使うのか、役立てるのか、については、これまで以上に使う人の倫理的、情緒的「心」のあり方が問われることでしょう。いわば「心」の学びや成長が伴っていなければ、それらは人類に不幸をもたらす「毒」にもなりえます。過去に学び、隣人を知り、過ちを繰り返さないためには、歴史や文学、文化をおろそかにしてはいけないと、わたしは思います。
また話しはかわって、先日の卒業式では、卒業旅行第二弾かしら。伊豆へ旅行に行ったというゼミ生から、このようなお土産をいただきました。
桜えびの舞
(富士山と駿河湾の絵が印象的です。おせんべいもたいへん美味でした)
このパッケージを見て思い出されるのはやはり『伊勢物語』九段「東下り」。昔男が詠んだ歌は次のようなものでした。
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか鹿の子(かのこ)まだらに雪の降るらむ
鹿の子の毛模様のように、茶色い山肌に雪がまばらに残っている富士山の様子を詠んでいます。「今いつと思ってるの」と問いかける様子が、山に親しみを持っているようで面白いです。
和泉校舎メディア棟の高層階の窓から、私はたまに富士山を見ます。新入生も、ぜひ見つけてみてください。
そして、卒業生、おめでとう! みなさんの傍らに「日本文学」がありますように。