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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

講義室の今昔と幽霊写真(?)

先日、世田谷の松陰神社前を散歩してきました。私の家族の友人が経営するお店がこの界隈にあり、数年前から立ち寄るようになりました。ちょっと昭和のノスタルジアが感じられる通りでもあります。

参道を行くと松陰神社、そして境内には松下村塾の講義室を復元した建物も。こんな感じです。
KIMG1018
(このようなところで幕末の志士たちが勉強していたのですね。)

大学では秋学期も基本的に「オンライン授業」と決まりましたが、大教室の教壇に立つ前のちょっとした緊張感や、演習で江戸時代の版本を回覧した時のことなどが懐かしく思い出されます。学生のリアクションペーパーも、電子データの方がまとめやすいのは確かですが、手書きの文字の方が書き手の人となりも見えていたような気がして......少しさみしい気分になりました。

ちなみに私が思いつく平安時代の講義といえば、やはり『紫式部日記』に書かれている『白氏文集』の「楽府」(がふ)進講でしょうか。一条天皇の后であった彰子(藤原道長の娘)に、紫式部が唐の詩人・白居易の漢詩文集を講義します。その様子はこんな感じ。

宮の御前にて『文集』の所々、読ませ給ひなどして、さるさまのこと知ろしめさまほしげにおぼいたりしかば、いとしのびて、人のさぶらはぬもののひまひまに、をととし(一昨年)の夏ごろより、「楽府」といふ書二巻をぞ、しどけなながら教へたて聞こえさせてはべる、隠しはべり。

こっそりと、密かに、二人だけの時を見計らって、紫式部から漢詩の講義を受けていた彰子。紫式部自身は、その才能を妬んだ他の女房から「日本紀の御局」(にほんぎのみつぼね)というあだ名をつけられ、嫌な思いをしていました。そのため、漢字については読めないふりをしていたようですが、講義は彰子の希望で実現しました。
紫式部の講義
(手前が紫式部。奥にいるのが彰子のイメージです。それぞれ屏風や几帳に隠れています)

主人と仕える女房という立場ではありましたが、ここでは若い彰子が紫式部から学を授けられる関係に。女性が漢籍を教え、習うというあり方は、当時からするとかなり異質なことだったのかもしれません(だからこっそり)。それでもこのように書き留められているところを見ると、作者にとっても誇らしいことだったのでしょう。

さてさて、最後にちょっと涼しくなるお話。神社からの帰り際、拝殿を撮影したら、ご神体の鏡に不思議な影が。
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(左下の看板の影かもしれません。家族は「松陰先生だよ!」と。)

真偽のほどはいかに。そういえばお盆の時期でした。

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