暦の上では立秋ですが、夏真っ盛りといった感じの今日この頃。約半年ぶりに映画を見に行ってきました。家族の要望で、劇場版「ウルトラマンタイガ」公開初日の鑑賞です(春休みの公開が延びに延びて、ようやく夏休みの公開となりました)。
まず最初に入り口で検温とマスクチェック、アルコール消毒。しかも席は一席ごとに空いていて半分の人数収容と、対策はバッチリされていました。
さて、「ウルトラマン」の映画を見に行ったのは、「ジード」以来でした(そういえば「X(エックス)」は映画館で2回見ました)。「ジード」の時の沖縄舞台も印象的でしたが、今回は「ギンガ」以来のニュージェネレーション世代が勢揃いするということで、期待をもって見てきました。
KIMG0993
(入場者プレゼントは数量限定、配付ランダムのポストカードです。好きなギンガが出て家族は大喜び!)
映画で主役の「ウルトラマンタイガ」は「タロウの息子」という設定。「セブンの息子」である「ウルトラマンゼロ」が大人気ですからね。「タロウの息子」というのは、そういう意味では描き方が難しい気もしましたが、基本的につるまない「ゼロ」(「ウルティメイトフォース」の仲間はいますが)と、最初から三人組の「タイガ」は対照的かもしれません。ただ個人的には、「風来坊」のスタンスながら、「絆の力お借りします!」の「オーブ」推しです(以前の「ウルトラマン」の記事はこちら→http://blog.livedoor.jp/yuas2018/archives/10177410.html )。悪役宇宙人ジャグラーとのヒロインをめぐる三角関係も良かったな〜(ということで、現在は主に心を入れ替えた(?)ジャグラーの活躍を楽しみに最新の「ウルトラマンZ(ゼット)」を見てます)。
はい、個人的趣味はさておき、今回の映画、印象的だったのは、「モブ」(群衆・集団)がほとんど登場しなかったことでした。A.怪獣が登場→B.逃げ惑う人々→C.ウルトラマン登場→D.互いが戦って壊れる町並み、というお決まりのシーン中、B.がなかったような(見逃していたらすみません)。
コロナ禍のために、エキストラを呼べず群衆を描けなかったのか、最近の特撮映画はそういう作りなのか、ちょっとわかりませんが、メインの人々(ニュージェネ勢揃いで豪華)以外は、被り物の宇宙人たちとニュージェネヒーロー(人間の姿)の格闘シーンが中心でした。それも見所の一つで大変良かったのですが、その後、変身したヒーローと怪獣によって派手に壊される建物を見ていて、ちょっと不安になりました。以前は、逃げる人々を誘導する警備隊の人などが描かれていて、避難がおよそ完了していると思われましたけど、今回は「みんなどうしているのだろう?」と気になったわけです。
余計なことかもしれませんが、結構これ大事なことじゃないかと思ってしまうのは、『源氏物語』の世界でも、重要な場面では「名もなき人々」が書き込まれているのです。
たとえば、主人公・光源氏の舞う「青海波」の妙技の部分。
日暮れかかるほどに、けしきばかりうち時雨(しぐれ)て、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々うつろひえならぬをかざして、今日はまたなき手をつくしたる入綾のほど、そぞろ寒くこの世のことともおぼえず。もの見知るまじき下人などの、木のもと岩がくれ、山の木の葉に埋もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落としけり。(紅葉賀巻より)
夕暮れの頃、天までが感涙するような「時雨」を降らせるほどの光源氏の妙技に、「かざし」(かんざし)として頭に刺していた菊の花の色のうつろったなんとも言えない美しさ(紫色)が映え、全て出し切ったところに、「入綾」(退場の舞)が披露される様は、寒気がするほどの素晴らしさでこの世の事とも思えない情景であったと語られます。そして、さらに情趣を解せそうにない下人などさえ、様々なところからこっそり源氏の舞を垣間見ていて、少しでも物の心をわきまえている者は涙を落としたそうなのです。これ以前にも、父帝やライバル女御が、源氏の舞の美しさを褒めてはいるのですが、この「名もなき人々」の様子こそ、真に迫るものがあります。
怪獣の恐ろしさ、地球を守る光の巨人、これらのリアリティを支えていたのが「モブ」だったのだと改めて気づくとともに、古典世界の奥深さにも思いを馳せた次第です。
ちなみに家族は映画を見た後「感動した!」と泣いていました。私は合体した後のウルトラマンたちがどれがどれだか見分けがつかず、ちょっと心残りができましたが、それはまた後日ビデオで確認しようと思います。
まず最初に入り口で検温とマスクチェック、アルコール消毒。しかも席は一席ごとに空いていて半分の人数収容と、対策はバッチリされていました。
さて、「ウルトラマン」の映画を見に行ったのは、「ジード」以来でした(そういえば「X(エックス)」は映画館で2回見ました)。「ジード」の時の沖縄舞台も印象的でしたが、今回は「ギンガ」以来のニュージェネレーション世代が勢揃いするということで、期待をもって見てきました。
KIMG0993
(入場者プレゼントは数量限定、配付ランダムのポストカードです。好きなギンガが出て家族は大喜び!)
映画で主役の「ウルトラマンタイガ」は「タロウの息子」という設定。「セブンの息子」である「ウルトラマンゼロ」が大人気ですからね。「タロウの息子」というのは、そういう意味では描き方が難しい気もしましたが、基本的につるまない「ゼロ」(「ウルティメイトフォース」の仲間はいますが)と、最初から三人組の「タイガ」は対照的かもしれません。ただ個人的には、「風来坊」のスタンスながら、「絆の力お借りします!」の「オーブ」推しです(以前の「ウルトラマン」の記事はこちら→http://blog.livedoor.jp/yuas2018/archives/10177410.html )。悪役宇宙人ジャグラーとのヒロインをめぐる三角関係も良かったな〜(ということで、現在は主に心を入れ替えた(?)ジャグラーの活躍を楽しみに最新の「ウルトラマンZ(ゼット)」を見てます)。
はい、個人的趣味はさておき、今回の映画、印象的だったのは、「モブ」(群衆・集団)がほとんど登場しなかったことでした。A.怪獣が登場→B.逃げ惑う人々→C.ウルトラマン登場→D.互いが戦って壊れる町並み、というお決まりのシーン中、B.がなかったような(見逃していたらすみません)。
コロナ禍のために、エキストラを呼べず群衆を描けなかったのか、最近の特撮映画はそういう作りなのか、ちょっとわかりませんが、メインの人々(ニュージェネ勢揃いで豪華)以外は、被り物の宇宙人たちとニュージェネヒーロー(人間の姿)の格闘シーンが中心でした。それも見所の一つで大変良かったのですが、その後、変身したヒーローと怪獣によって派手に壊される建物を見ていて、ちょっと不安になりました。以前は、逃げる人々を誘導する警備隊の人などが描かれていて、避難がおよそ完了していると思われましたけど、今回は「みんなどうしているのだろう?」と気になったわけです。
余計なことかもしれませんが、結構これ大事なことじゃないかと思ってしまうのは、『源氏物語』の世界でも、重要な場面では「名もなき人々」が書き込まれているのです。
たとえば、主人公・光源氏の舞う「青海波」の妙技の部分。
日暮れかかるほどに、けしきばかりうち時雨(しぐれ)て、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々うつろひえならぬをかざして、今日はまたなき手をつくしたる入綾のほど、そぞろ寒くこの世のことともおぼえず。もの見知るまじき下人などの、木のもと岩がくれ、山の木の葉に埋もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落としけり。(紅葉賀巻より)
夕暮れの頃、天までが感涙するような「時雨」を降らせるほどの光源氏の妙技に、「かざし」(かんざし)として頭に刺していた菊の花の色のうつろったなんとも言えない美しさ(紫色)が映え、全て出し切ったところに、「入綾」(退場の舞)が披露される様は、寒気がするほどの素晴らしさでこの世の事とも思えない情景であったと語られます。そして、さらに情趣を解せそうにない下人などさえ、様々なところからこっそり源氏の舞を垣間見ていて、少しでも物の心をわきまえている者は涙を落としたそうなのです。これ以前にも、父帝やライバル女御が、源氏の舞の美しさを褒めてはいるのですが、この「名もなき人々」の様子こそ、真に迫るものがあります。
怪獣の恐ろしさ、地球を守る光の巨人、これらのリアリティを支えていたのが「モブ」だったのだと改めて気づくとともに、古典世界の奥深さにも思いを馳せた次第です。
ちなみに家族は映画を見た後「感動した!」と泣いていました。私は合体した後のウルトラマンたちがどれがどれだか見分けがつかず、ちょっと心残りができましたが、それはまた後日ビデオで確認しようと思います。