[フレーム]

高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2010年06月18日11:30
カテゴリ
他人の文体で酔う、ということがたまにある。いい意味で酔うことはあるけれど、今回は悪酔いのほう。



特にこういうネット上では誰しも多かれ少なかれ自分なりのキャラ設定をして文章を書いているところもあるので、文章表現としていろいろな手法で具現化しようとする。



改行に癖があったり、しゃべり言葉を忠実に再現したり、あるいは逆に普段のしゃべり言葉では不可能な「行間を全部吐き出す」ような書き方、他にも妙なタイミングで小文字になったり、絵文字の多用によって文章だけでは表現しきれない気持ちを補完したりと様々だ。



俺なんかは文章を書いたら、普段よりも饒舌で感情が顕になっている場合が多い。
独自の文体を使っているわけではないけれど、人によっては読む気すら失せるような硬っ苦しくて暑苦しい文章ならではの表現になっているかもしれない。普段でも暑苦しいか(笑)?
そういやこの(笑)なんてのを使うのにも相当長い間ためらいがあったな。未だに絵文字は使う気になれない。「〜〜なう」なんてギャグですら使いたくない。恥ずかしがり〜なもんで。



ネット文法やツイッター用語などから新たな表現方法が確立されていくのは面白いし、それ自体を否定する気はさらさらないけれど、自分が保守的な所為かその表現方法がよっぽど本人の「人となり」を伝えるような感じで伝わってこない場合は正直読んでいて疲れる。胸焼けというか「酔う」。




むしろ平坦で客観的で普通の日本語の文体で書かれたものの方がスッと入ってくる。
文体に余計な自意識や自己主張が入っていると、なんか鼻について内容とか真意が伝わるための通路に余計なフィルターがかかっている感じ。
ごく普通の無個性な文体であるほうがむしろその人の核そのものが表現されているように感じられる。様式というものはかくも大事なものか。




「オリジナル」なもの、というものの成立ってのは実に難しいもんだ。
今までなかったものを考え付いて実行する、ということ自体はそれほど難しいことじゃないかもしれないけれど、それを人様に「新しくてなおかつ心地いい」ものとして伝えるには、それまでに確立された様式というものに更に上乗せするという、ある意味「暴力的に新しい」ことでなければいけないわけだから、そりゃあ大変なことだわ。



ネット文法的とかツイッター文法とかいったものっていうのは、いわば(様式)というメジャーなものへの審査を受けずに好き勝手乱立されているインディーみたいなもんか。
ま、そういった野放図なインディーの中から新たに土着に根付く表現は生まれてくるし、詳しくはないけどツイッターみたいに推敲の暇なく「口をついて出た」ようなタイミングで発せられる言葉からは新しい表現が生まれるかもしれない。
だから100年後の日本語ってどうなってるのか、タイムマシンがあれば聞いてみたい。




ということで「タイムマシンにお願い」をお聴きください。


[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/eamXHctQ5DQ&feature=youtube_gdata]

コメントする

名前
Profile

高瀬大介

最新コメント
QRコード
traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /