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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2011年11月

2011年11月19日03:19
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同じアルバムを複数回買い直すというのはいくつかあるが、四回買い直したアルバムというのは一枚しかない。
それがキング・クリムゾンの「アースバウンド」というライブアルバムだ。


このアルバム、クリムゾンのカタログとしては長らく再発の遡上に上がらなかったアルバムだった。


というのも、このアルバムに納められたライブテイクは、第一期クリムゾンが崩壊寸前の、精神的に疲弊しきっている時期に収録されたもので、リーダーのロバート・フリップのインタビューによると、ブルースが弾けないフリップに当て擦るように、他のメンバーがブルース色の強いジャムセッションを毎夜行ってフリップをハブにしていたり、このライブツアーが終わった直後、フリップ以外のメンバーはイギリスの老舗ブルースバンドに加入したり、と踏んだり蹴ったりなものだったらしい。


また、契約消化のために出されたようなアルバムなので、カセットレコーダー1台で録音され、廉価盤レーベルからヤケクソのような感じで発売されたアルバムなので、当然音質も海賊盤並のヤケクソなもんで、レンジが狭く過剰入力でギンギンに歪みまくったものだった。


なのでフリップとしては気分的にもクオリティ的にも納得出来ないこのライブアルバムは、永久に廃盤にすると当時のインタビューで語っていた。


ところがこの劣悪な音質故に、ハードコアな支持を集めるアルバムであり、少数派ではあるがクリムゾンのベストアルバムに挙げる人間もいる。
ここにこそクリムゾンの真価があるとか、荘厳な様式美で構築された前期クリムゾンに消毒液をぶっかけたアルバムであり、それが後期クリムゾンの狂気と静寂が高いレベルで調和するあの独自の世界を生んだ、と拡大解釈するカルトファンを生んだ。ワタシも同じくだが(笑)。



俺が15歳の頃よく聴いていた渋谷陽一のラジオ番組での「廃盤復活希望特集」で、このアルバムの「21世紀の精神異常者」がかかった。


最初はそれが何なのかサッパリ解らなかったが、エアチェックしたテープを繰り返し繰り返し聴いていくうち、その凄まじいノイズの塊に脳ミソが強姦されるような衝撃と興奮を覚え、自分の音楽に求めるものがハッキリとしてきだした。



秩序も順序もちゃんとある「音楽」という枠組みが、どんどん理性を失っていって、純粋にして原初的な「音」に還る瞬間、それこそが音楽を聴いて最も気持ちのいい部分であり、ノイズ成分、摩擦成分の高い音楽にそんな気持ちのいい瞬間が多くある、ということに気付いた。


なので段々とヒットチャート的なものから興味を失っていき、当時のロックで最もノイズ成分が高かったグランジやミクスチャーやデジロックを聞き出した。


しかしやっぱり過剰なエネルギーに満ち溢れていた昔のロックの方が圧倒的に聴く時間が多かった。


特にこの「アースバウンド」のノイズは麻薬性が有りすぎて、中毒状態で文字通り音にしがみつくように聴きまくった。大爆音で鳴らして部屋をアースバウンドで満たし、スピーカーに体を当てて恍惚となっていた。この辺から本格的に道を踏み外して始めたんだろう。



さて、そんな当時はこの「アースバウンド」というアルバムのCD再発は絶望的と言われていたので、まずは近隣の中古レコード屋を回って探しまくった。が、当然こんなカルトなアイテムが田舎の中古レコード屋なぞにあるはずもなく、やっと手に入れることができたのは、18歳の時に東京に遊びに行ったときに西新宿のプログレ専門の中古レコード屋で6千円はたいて買った。高校生が稼いだバイト代のうちの6千円は中々厳しかったので今でも値段を覚えているが、長らく追い求め続けた「アースバウンド」の為なら惜しくはなかった。まず一枚目。


その二年後の二十歳の頃、長年レコードプレイヤーのスピーカーをギターアンプ代わりにフルボリュームで鳴らしていたためにプレイヤーがぶっ壊れたこともあって、アナログレコードを聴くことが出来なくなったので、大阪のブート屋でアナログ盤起こしのブート版「アースバウンド」のCDを発見して購入。これで二枚目。


そしてついに2003年、長らくフリップから見限られていたこの不遇な「アースバウンド」が正式に復刻。ビックリしたが当然のごとく購入。三枚目。



このリイシューは嬉しかった。苦節?10年くらい、やっと大手を降ってこれを人に薦められる、ということで当時やっていたラジオ番組で「21世紀の精神異常者」を11分間フルで流した記憶がある。自分と同じようにこれを聴いて道を踏み外してしまう少年が発生することを願って。


その後フリップはそれまでの禁欲的なリイシューのスタンスを豹変させ、次々とデラックス盤とかリマスター盤とかいった名目で、同じアイテムを手変え品変え出し、熱心なファンが多数いる日本のクリムゾンファンのオッサンからカネを搾り取り続けている。「クリムゾン・キングの宮殿」なんて何回出し直されたのか分からない。



で、そんな流れで再再発された「アースバウンド」。こんな音質のアルバムがリマスターされたところで音が良くなるわきゃないと思いながらも購入。四枚目。




で、最近見つけて驚いたのが「HQ 」マークのついた「アースバウンド」!。二年くらい前に出てたらしい。
しかしまああんな劣悪な音質のものをハイ・クオリティーで!ってどういう事だよ(笑)?と思って帯のタタキ文を読むと、


「カセットテープのヒスノイズまで忠実に再現する逆説的高音質盤。ますます問題作となったクリムゾンの初のライブアルバム。」


モノは言い様である。コアなプログレ親父ならつい買ってしまうであろうタタキだ。



でももう俺は五枚目の「アースバウンド」は買わない。だってバカらしいもん。


この音を浴びた時の衝撃、その感触が自分のなかにあり続けていれば、アイテムとしての「アースバウンド」はもう要らないのだ。
聴きもしないけど記念品としてボックスセットを買ってしまう小金持ちのロック親父にはならない。



まあほとんどの人にはど〜〜〜〜でもいい話だが。
こないだのスコラ(NHK Eテレでやってる坂本龍一司会による音楽のお勉強番組)で、ドビュッシーが取り上げられて以来ずっとドビュッシーの事が気になっていた。


昨日やっと探す時間が出来たので、中古屋にて購入。ミシェル・ベロフというフランスのピアニストによる録音のものを聴いている。


100年以上前に作られた音楽なのに、今に生きる自分の深層心理にまで忍び込んでくるような響き、自由過ぎるリズム、凄く染みてくる。どこか静かな場所に行って独りで聴きたくなる。


昨日チャリこぎながらドビュッシー聴いていたら、たまたま環七沿いで友人とバッタリ出会い「なんか顔色悪いな、自殺するの?」と聞かれてしまった。音楽ってすぐに表情に影響するんだな。


尾崎豊じゃあるまいし自殺なぞはしないけれど、確かに人を独りの世界に誘うような響きを持った音楽にはずっと惹かれ続けていた。


全生命と世界を暴力的に肯定してしまうようなリズムとグルーヴを持った音楽も愛してるし、時には両手を掲げて叫びたくなるようなアンセムじみた音楽だって好きになるけれど、やっぱし「人間は一人で死んでいくんだよ」って事を優しく諭してくれるような「諦観」を感じさせる音楽、いや音楽に限らずそんな匂いを持った創作物にどうしようもなく惹かれる。



ビーチボーイズの「スマイル」という、1967年に制作が中断して以降、その中に散らばっていた断片がその後のビーチボーイズのアルバムに断続的に収録され、またブートレグの世界でもその幻のアルバムの全貌に迫ろうと山のように独自に編纂されたアイテムが出、挙げ句の果てには作曲者ブライアン・ウィルソン自身がソロプロジェクトでこのアルバムが再構築し発表し、それで決着がついたかに思われていたあの亡霊のようなアルバム「スマイル」が、なんとビーチボーイズのオリジナル・レコーディング・テイクによって再編纂されて発表された。


もうね、これはキケンなアルバムですよ。まさに人を独りにイザナう音楽だ。
美しいハーモニーも、オモチャ箱をひっくり返したようなアレンジも、崇高なメロディーも、全てが夕暮れの海岸に独りたたずんでいるブライアンの孤独な背中、というイメージに収束してしまう。
「アワ・プレイヤー」も「サーフズ・アップ」も「グッド・ヴァイブレーション」もどの曲も尋常ならざる美しさと哀しさを内包している。
ポップミュージック、ポピュラーミュージックの断片をかき集めて再構築してみたら、ポップとは似て非なる異形のオブジェが出来上がってしまって途方に暮れてるような、そんなアルバムだ。





ちょっと前までは小津安次郎の映画ばかり見直してた。十年ぶりくらいだろうか、自分内小津ブームは。



この人の映画もとてつもなく孤独を感じさせるもので、しかもそれを嘆くわけでも、もがくわけでも、何とかしようとするわけでもなく、ただひたすら「生き物ってのはそういうもんさ、人間以外の動物はそれを受け入れてる」と諦観を促すような映画を撮り続けた。


マンネリズムだとか保守的だとか社会性とか現代性の欠如だ、とかいった批判を受けながらも、一貫してその独自にして過激とさえ言える映画技法を駆使し、ひたすら似たような映画を撮り続けて巨匠になった。



もはやこれほど作家主義的な表現者が生きていけるほどのどかな世の中ではないから、小津の成し遂げた偉業はもう誰も永遠に辿り着けない境地にあるものではないのか?と観ているだけで途方にくれてしまう。


にもかかわらず伝わってくるものは人を穏やかにさせるような世界観と美しさ。そしてそこから立ちのぼってくるものは孤独と諦観。
そんな映画が実に「日本的」とされ、日本映画史において「東京物語」は不動の一位であり続ける。日本というのはなんか凄い国だと思う。


ドビュッシーとビーチボーイズと小津安次郎...。周りの人と繋がる共通言語が中々見当たりにくい話題だな(笑)。これだけポピュラーなアーティストなのにね。


でもドビュッシーには意外なところに理解してる人がいるから驚きだ。こないだつぶやきで書いたときにもリアクションがあったし、最近話した人にもちゃんと理解してるミュージシャンがいた。
俺が知らなかっただけかも知れないけど、アカデミックな音楽の道を辿って来た人にはとてつもない衝撃を与えるポピュラーな作曲家なんだろうなぁ、と全くアカデミックな裏付けのない音楽人生の路傍にいる俺は思ってしまったのだった。


まあとにかく、孤高にして美しい音楽に惹かれる時期、それをエスカレートさせた破壊的なノイズにとりつかれる時期、リズムとグルーヴを武器に世界と手を繋ごうとするような音楽に夢中になる時期。
そんなものがランダムにやって来て、自分の不安定な精神のバイオリズムとやらを形成してるようだけれど、今は孤高の美やアナーキーなノイズに取り憑かれている時期だろう。まあ生きてる殆どの時間がそんな感じだけれど、その狭間の時期にポップなもんが浮かんでくるのかもなぁ。













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