2010年12月
高峰秀子さんが亡くなったというニュースが飛び込んできた。
俺がいかに高峰秀子さんが好きで、憂鬱な二十代に彼女の映画や本で救われたかは、過去の日記にも書いたしラジオでも頻繁に喋ったので、くどくは書かない。まああとにも先にもスターにファンレターなんぞを出すことなんてこの人意外にはありえないだろうし、貰った手紙は後生大事に持っておこう。
年末も押しつまってなんてニュースが飛び込んできたんだ、って思ったけど、むしろこの時期で良かった。年末年始の特番の嵐でワイドショーとかでゴチャゴチャ触られなくて済みそうだし、常々秀子さんが静かに潔く死にたいと仰ってたので、派手に追悼特集とかされずに済むかもしれない。
松の内が過ぎたら「浮雲」か「流れる」「乱れる」「稲妻」あたりをテレビでやってほしいね。まあどうせ「二十四の瞳」になるんだろうけど。
俺がいかに高峰秀子さんが好きで、憂鬱な二十代に彼女の映画や本で救われたかは、過去の日記にも書いたしラジオでも頻繁に喋ったので、くどくは書かない。まああとにも先にもスターにファンレターなんぞを出すことなんてこの人意外にはありえないだろうし、貰った手紙は後生大事に持っておこう。
年末も押しつまってなんてニュースが飛び込んできたんだ、って思ったけど、むしろこの時期で良かった。年末年始の特番の嵐でワイドショーとかでゴチャゴチャ触られなくて済みそうだし、常々秀子さんが静かに潔く死にたいと仰ってたので、派手に追悼特集とかされずに済むかもしれない。
松の内が過ぎたら「浮雲」か「流れる」「乱れる」「稲妻」あたりをテレビでやってほしいね。まあどうせ「二十四の瞳」になるんだろうけど。
今年はなんだか虚脱してたような一年だったような気がする。
色々あったんだろうし、その都度その都度テンション上がったり哀しくなったりしてたんだろうけど、総じて虚脱、してた。
来年、四捨五入すると不惑になってしまうという恐ろしい事実の前に何を思って来年に向かえばいいのか...。
大掴みに言うなら「真面目に生きる」事を目標にしようか。
品行方正常識的に、という意味ではなく、もっと本気で笑えるように、本気で涙を流せるように、もっと本気で人と話せるように、日々、生きる。
今日は徹夜でライブを観て、酒をのむだろうけど、来年の年末はやる方に回れるぐらい回復したいもんだ。
皆さんよいお年を。来年、俺に絡まれて交流を持つことになったら、犬に噛まれたと思って諦めて下さい、スイマセン。
色々あったんだろうし、その都度その都度テンション上がったり哀しくなったりしてたんだろうけど、総じて虚脱、してた。
来年、四捨五入すると不惑になってしまうという恐ろしい事実の前に何を思って来年に向かえばいいのか...。
大掴みに言うなら「真面目に生きる」事を目標にしようか。
品行方正常識的に、という意味ではなく、もっと本気で笑えるように、本気で涙を流せるように、もっと本気で人と話せるように、日々、生きる。
今日は徹夜でライブを観て、酒をのむだろうけど、来年の年末はやる方に回れるぐらい回復したいもんだ。
皆さんよいお年を。来年、俺に絡まれて交流を持つことになったら、犬に噛まれたと思って諦めて下さい、スイマセン。
テレビドラマ発の映画なんぞを映画館まで行って観ることはほぼ無いんだけど、「相棒」だけは別。どうしても早く観たかったので遅ればせながら昨夜行ってきた。
六本木ヒルズの中の巨大な映画館で、しかも22時からの最終上映だから人もまばらで、まるで貸しきりのような贅沢な気分で見た。一緒に行った相棒は3席占領して寝転んで観てた。家か(笑)。
結論から言うと、非常に満足感のある、しかし充分に苦味を残すメッセージ性の濃い作品で、久しぶりに映画らしい映画を観たような気分だ。
ベクトルは違えど、黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」とか「天国と地獄」のような非常に高いエンターテイメント性と明快で硬質なメッセージ性とが理想的なバランスで備わっている「肉食」なエネルギーを持った映画だと思った。
この映画のテーマともいえる小野田(岸辺一徳)の「絶対的な正義なんて存在すると思ってんの?」というメッセージを、とにかく最初から最後まで重く深く突きつけてくる。それこそ小野田を最後に殺してまでも伝えたいメッセージなのだろう。
絶対的な正義。これまでのテレビシリーズでは、観ている側はとりあえず杉下右京(水谷豊)の正義、倫理を信じていればよかった。もちろん小野田との愛憎半ばする対立項の中でそこの絶対性はつつかれてはきた。しかし最終的には杉下が主役であり、作品の倫理のベクトルは必ず杉下側にあった。
しかし今回の映画版「相棒」は、極端なことを言うなら杉下右京すらも主役ではなく、「絶対的な正義」の存在を疑いつつも信じたり、あるいは存在しえないと諦観したりといった、まさに様々な思いを持つ「人間」そのものが主役ではないかとさえ思えてくる。
そしてそれはひいては観ているこちら側のそれぞれの価値観こそが主役であるとも訴えているように思えて仕方が無い。
一方方向の論理の押し付けではなく、観る側に判断をゆだねる。これは非常にストロングスタイルな映画だ。移り気な大衆というものの倫理を信じるなんて、よっぽどの強い意志が無ければできない。
事実この作品を観た後「相棒の二人が大活躍して事件を解決した」的なカタルシスは何一つ無いし、一番最後の杉下のセリフ「たとえ小野田さんの意思に反するようでも、僕は僕の信じる道を往きます」は、かろうじて一つの作品を完結させるための方便として主役に言わせたセリフかもしれないが、そういったセリフが今回は非常に心許ないように思えてしまうくらい、ギリギリの所まで杉下の「正義」を追い詰めた映画だった。
俺が観た画館でもエンドロールが終わって灯りがついても暫くの間、水をうったようにシーンとしていた。まあ人が少なかったってのもあるが...。
この作品、大ヒットしているようだけど、ひょっとしたら今の相棒ブームの勢いで観に来た人にとってはキツイ作品なのかもしれない。...いや、そこまで人は馬鹿じゃないか。この作品を観に来るぐらいの人は充分にこの濃度の高い作品を咀嚼していると信じたい。
しかし「絶対的な正義」の存在に物申すような作品の場合、えてして監督や脚本側には人間を俯瞰して巨視的なスタンスで正義の無常さを訴えたりしそうだけど、この作品の監督も脚本家もそんな老境の悟りみたいなところから発せられる説教くささからは全く無縁で、むしろ自分たち自身も「絶対的な正義の存在」を信じたくも疑わざるをえなくて途方にくれている、といったこちら側と同じスタンスで作品に向き合っているようだ。
異様に多用される登場人物のアップなどは、作り手が作品中の殆どの登場人物の内面に入り込んでいるからに他無いわけで、誰が主役で誰が脇役で誰が悪役で、といった分かり易い構造で展開される物語ではなく、それこそ悪人として登場する側にもその人物なりの正義があり倫理がある、といった作り方だ。
副総監狙撃未遂後の水谷豊と小西真奈美のシーンにおける、異様なまでのアップのカットの応酬はこの作品中もっとも温度が上がるところで、どちらの言い分にも正義はあるし矛盾もある。「それこそが人間である」という作り手側の強い主張が伝わってくるようだ。それにしても小西真奈美はすごい女優だ。
エンドロールが終わって一番最後に出てくる文字、
この作品はフィクションです
という文面がなんだか非常に強いメッセージに思えてしまった。果たしてフィクションなのか?どう思う?と問われているような。
それこそこのようなエセ評論家じみた文章を書かせてしまうくらい、こちら側に強い能動性を強いる作品だと思う。少なくとも俺はそう受け取った。
それにしても、この「相棒」という関係性、概念はこのシリーズの縦の線をつらぬく非常に重要なテーマだ。
杉下/亀山コンビや杉下/神戸コンビは言うまでも無く、杉下/米沢でもいいし、亀山/伊丹でもいいし、亀山/美和子でもいいし、杉下/たまきでもいい。
それぞれのシチュエーションやエピソード、人間相関図の中で相棒関係が浮き彫りになり、それが全体を通じて物語の奥行きを出している。
その中でも最も作品のテーマと密接にかかわっている杉下/小野田の愛憎半ばする相棒関係が今回の小野田の死によって無くなると言うことは、今後の相棒の展開にも大きく作用するのではなかろうか?
ここまでやってしまうと、次の山場、それこそ次の劇場版相棒なんてことになったら、もう杉下と神戸という、この物語の中心にいる相棒関係にメスを入れなくてはならなくなってくるのではなかろうか?ただそこまでの重さはまだ神戸には無いような気がするが。いずれにしても今後の展開に目が話離せない。
六本木ヒルズの中の巨大な映画館で、しかも22時からの最終上映だから人もまばらで、まるで貸しきりのような贅沢な気分で見た。一緒に行った相棒は3席占領して寝転んで観てた。家か(笑)。
結論から言うと、非常に満足感のある、しかし充分に苦味を残すメッセージ性の濃い作品で、久しぶりに映画らしい映画を観たような気分だ。
ベクトルは違えど、黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」とか「天国と地獄」のような非常に高いエンターテイメント性と明快で硬質なメッセージ性とが理想的なバランスで備わっている「肉食」なエネルギーを持った映画だと思った。
この映画のテーマともいえる小野田(岸辺一徳)の「絶対的な正義なんて存在すると思ってんの?」というメッセージを、とにかく最初から最後まで重く深く突きつけてくる。それこそ小野田を最後に殺してまでも伝えたいメッセージなのだろう。
絶対的な正義。これまでのテレビシリーズでは、観ている側はとりあえず杉下右京(水谷豊)の正義、倫理を信じていればよかった。もちろん小野田との愛憎半ばする対立項の中でそこの絶対性はつつかれてはきた。しかし最終的には杉下が主役であり、作品の倫理のベクトルは必ず杉下側にあった。
しかし今回の映画版「相棒」は、極端なことを言うなら杉下右京すらも主役ではなく、「絶対的な正義」の存在を疑いつつも信じたり、あるいは存在しえないと諦観したりといった、まさに様々な思いを持つ「人間」そのものが主役ではないかとさえ思えてくる。
そしてそれはひいては観ているこちら側のそれぞれの価値観こそが主役であるとも訴えているように思えて仕方が無い。
一方方向の論理の押し付けではなく、観る側に判断をゆだねる。これは非常にストロングスタイルな映画だ。移り気な大衆というものの倫理を信じるなんて、よっぽどの強い意志が無ければできない。
事実この作品を観た後「相棒の二人が大活躍して事件を解決した」的なカタルシスは何一つ無いし、一番最後の杉下のセリフ「たとえ小野田さんの意思に反するようでも、僕は僕の信じる道を往きます」は、かろうじて一つの作品を完結させるための方便として主役に言わせたセリフかもしれないが、そういったセリフが今回は非常に心許ないように思えてしまうくらい、ギリギリの所まで杉下の「正義」を追い詰めた映画だった。
俺が観た画館でもエンドロールが終わって灯りがついても暫くの間、水をうったようにシーンとしていた。まあ人が少なかったってのもあるが...。
この作品、大ヒットしているようだけど、ひょっとしたら今の相棒ブームの勢いで観に来た人にとってはキツイ作品なのかもしれない。...いや、そこまで人は馬鹿じゃないか。この作品を観に来るぐらいの人は充分にこの濃度の高い作品を咀嚼していると信じたい。
しかし「絶対的な正義」の存在に物申すような作品の場合、えてして監督や脚本側には人間を俯瞰して巨視的なスタンスで正義の無常さを訴えたりしそうだけど、この作品の監督も脚本家もそんな老境の悟りみたいなところから発せられる説教くささからは全く無縁で、むしろ自分たち自身も「絶対的な正義の存在」を信じたくも疑わざるをえなくて途方にくれている、といったこちら側と同じスタンスで作品に向き合っているようだ。
異様に多用される登場人物のアップなどは、作り手が作品中の殆どの登場人物の内面に入り込んでいるからに他無いわけで、誰が主役で誰が脇役で誰が悪役で、といった分かり易い構造で展開される物語ではなく、それこそ悪人として登場する側にもその人物なりの正義があり倫理がある、といった作り方だ。
副総監狙撃未遂後の水谷豊と小西真奈美のシーンにおける、異様なまでのアップのカットの応酬はこの作品中もっとも温度が上がるところで、どちらの言い分にも正義はあるし矛盾もある。「それこそが人間である」という作り手側の強い主張が伝わってくるようだ。それにしても小西真奈美はすごい女優だ。
エンドロールが終わって一番最後に出てくる文字、
この作品はフィクションです
という文面がなんだか非常に強いメッセージに思えてしまった。果たしてフィクションなのか?どう思う?と問われているような。
それこそこのようなエセ評論家じみた文章を書かせてしまうくらい、こちら側に強い能動性を強いる作品だと思う。少なくとも俺はそう受け取った。
それにしても、この「相棒」という関係性、概念はこのシリーズの縦の線をつらぬく非常に重要なテーマだ。
杉下/亀山コンビや杉下/神戸コンビは言うまでも無く、杉下/米沢でもいいし、亀山/伊丹でもいいし、亀山/美和子でもいいし、杉下/たまきでもいい。
それぞれのシチュエーションやエピソード、人間相関図の中で相棒関係が浮き彫りになり、それが全体を通じて物語の奥行きを出している。
その中でも最も作品のテーマと密接にかかわっている杉下/小野田の愛憎半ばする相棒関係が今回の小野田の死によって無くなると言うことは、今後の相棒の展開にも大きく作用するのではなかろうか?
ここまでやってしまうと、次の山場、それこそ次の劇場版相棒なんてことになったら、もう杉下と神戸という、この物語の中心にいる相棒関係にメスを入れなくてはならなくなってくるのではなかろうか?ただそこまでの重さはまだ神戸には無いような気がするが。いずれにしても今後の展開に目が話離せない。
素人のにわか評論家の偉そうな批評が大量にアップされるM-1の季節。まあ俺も人のことは言えないけど...。
ただね、批判的なスタンスで書かれた日記見てると、まあわかるけどそれ以上に「じゃあテメェがやってみろ!」と言いたくなってしまうんだよなぁ、俺芸人でもなんでもないけど。
で、案の定スリムクラブが賛否両論。笑い飯の功労賞的優勝よりも注目度は高いような空気だ。
M-1の面白さに、殆ど知られてない無名かつ革新的なスタイルの芸人がM-1の舞台でとんでもない爆発をして一気にブレイクという現象を生んだこと。既成の漫才のスタイルを逸脱したコンビが、優勝するしないに関わらず次の年の台風の目になる、というパンクなあり方をこの時代に提示した事が最大の功績だったと思う。
素人っぽいヤバさをはらんだボケに天才的なワードセンスでツッコミを繰り出しとてつもない完成度を生み出していた南海キャンディーズや、ことごとく腰を砕くような、漫才の基本的な骨格をよじるような展開が衝撃だったオードリーなんかはその際たるもんだった。
笑い飯も同じように最初の年は衝撃だったけれど、個人的な感触としては大暴投の衝撃はあったもののインコース高めの危険球からストライクになるような爽快さは無かったんだよなぁ。好きではあるけど、ツボを突いてくれるって笑いではなかった。
ネイティブな大阪人にしか絶対に通じないような微妙にして絶妙なニュアンスが、笑い飯の笑いには内包されているような気がする。どうしても笑い飯を見るときにそれを感じてしまってグッと入り込めない。
で、スリムクラブ。多くの人が言うように俺も今年はこのコンビが圧倒的に衝撃だった。危険球からストライクになるようなヤバさがあった。ネタの良し悪しよりも好きか嫌いか、生理的に受け付けるか受け付けないかによって支持層が分かれるタイプの匂いの強いコンビだ。
で、俺のいつもの論なんだけど、声とグルーヴ、これがツボに入ればもうオッケーってなくらい笑いにおけるそれは俺にとって重要なんだけど、スリムクラブは殆どそれのみって感じで、う~ん好きだなぁ。
実はつい最近深夜のコント番組でスリムクラブが出ていて、今回決勝でやったネタをコントでやってた。多分それがスリムクラブを知った最初だったけど、その時は強烈に引っ掛かるもんはあったけど、笑えるってとこまではいかなかった。たたその異物感のみを強烈に覚えてたのでM-1ファイナリストだってのを知ったとき物凄く意外だった。M-1に出てくるような感じか~?って思ってしまった。
ところが漫才というフォーマットであのネタを観たら、これが異様なまでに面白いんだ。なんなの?あのグルーヴ。審査員もこれが漫才か否かで論議が分かれてたけどそれもむべなるかなだ。
恐らくノンスタイルが優勝したにも関わらずオードリーの方が圧倒的に売れたっていうのと同じ現象が来年のスリムクラブにも起こるかもしれない。
けれどオードリーよりも遥かに今のバラエティ番組では噛み合わなさそうなグルーヴのスリムクラブがどんな風にその異物感を変化させていくのか本当に楽しみだ。
M-1も終わりか。チュートリアルのチリンチリンやブラックマヨネーズの優勝ネタ、笑い飯の鳥人、あるいはパンクブーブーの完成度の高いネタなんかは芸術的だったな。
こういう異様な緊張感から突発的に起こる大爆発が楽しめるイベントが無くなるのはやはり哀しい。
ただね、批判的なスタンスで書かれた日記見てると、まあわかるけどそれ以上に「じゃあテメェがやってみろ!」と言いたくなってしまうんだよなぁ、俺芸人でもなんでもないけど。
で、案の定スリムクラブが賛否両論。笑い飯の功労賞的優勝よりも注目度は高いような空気だ。
M-1の面白さに、殆ど知られてない無名かつ革新的なスタイルの芸人がM-1の舞台でとんでもない爆発をして一気にブレイクという現象を生んだこと。既成の漫才のスタイルを逸脱したコンビが、優勝するしないに関わらず次の年の台風の目になる、というパンクなあり方をこの時代に提示した事が最大の功績だったと思う。
素人っぽいヤバさをはらんだボケに天才的なワードセンスでツッコミを繰り出しとてつもない完成度を生み出していた南海キャンディーズや、ことごとく腰を砕くような、漫才の基本的な骨格をよじるような展開が衝撃だったオードリーなんかはその際たるもんだった。
笑い飯も同じように最初の年は衝撃だったけれど、個人的な感触としては大暴投の衝撃はあったもののインコース高めの危険球からストライクになるような爽快さは無かったんだよなぁ。好きではあるけど、ツボを突いてくれるって笑いではなかった。
ネイティブな大阪人にしか絶対に通じないような微妙にして絶妙なニュアンスが、笑い飯の笑いには内包されているような気がする。どうしても笑い飯を見るときにそれを感じてしまってグッと入り込めない。
で、スリムクラブ。多くの人が言うように俺も今年はこのコンビが圧倒的に衝撃だった。危険球からストライクになるようなヤバさがあった。ネタの良し悪しよりも好きか嫌いか、生理的に受け付けるか受け付けないかによって支持層が分かれるタイプの匂いの強いコンビだ。
で、俺のいつもの論なんだけど、声とグルーヴ、これがツボに入ればもうオッケーってなくらい笑いにおけるそれは俺にとって重要なんだけど、スリムクラブは殆どそれのみって感じで、う~ん好きだなぁ。
実はつい最近深夜のコント番組でスリムクラブが出ていて、今回決勝でやったネタをコントでやってた。多分それがスリムクラブを知った最初だったけど、その時は強烈に引っ掛かるもんはあったけど、笑えるってとこまではいかなかった。たたその異物感のみを強烈に覚えてたのでM-1ファイナリストだってのを知ったとき物凄く意外だった。M-1に出てくるような感じか~?って思ってしまった。
ところが漫才というフォーマットであのネタを観たら、これが異様なまでに面白いんだ。なんなの?あのグルーヴ。審査員もこれが漫才か否かで論議が分かれてたけどそれもむべなるかなだ。
恐らくノンスタイルが優勝したにも関わらずオードリーの方が圧倒的に売れたっていうのと同じ現象が来年のスリムクラブにも起こるかもしれない。
けれどオードリーよりも遥かに今のバラエティ番組では噛み合わなさそうなグルーヴのスリムクラブがどんな風にその異物感を変化させていくのか本当に楽しみだ。
M-1も終わりか。チュートリアルのチリンチリンやブラックマヨネーズの優勝ネタ、笑い飯の鳥人、あるいはパンクブーブーの完成度の高いネタなんかは芸術的だったな。
こういう異様な緊張感から突発的に起こる大爆発が楽しめるイベントが無くなるのはやはり哀しい。
最近ジャンク屋で買った、多分70年代モノと思われるグレコのレスポールを、自分の愛器、本妻にしようと弾きまくっている。
だいたいギターを買うときは直感で買うので、今回もジャンク屋でこのグレコを見たときには試し弾きもせず「ルックスがいい」という実にミーハーな原動力で買った。
実際にアンプで鳴らしてみたらこれが実に性格のいい音、というか俺の好きな音。
知り合いのギター賢人からはダメ出しをされてしまったが、気に入ってるんだもの(笑)。あとは俺の育て方次第。
乱暴で優しいギターになってくれればな、と思う。
ただ、ちょっと昔のギターならではなのか、握った第一印象はすぐ手に馴染むんだけど、長く弾いてると手が疲れてしまう。そう簡単には気持ちよくさせてくれない、そんな我が儘な所がある。
まあその分弾き過ぎなくて俺にはちょうどいいかもしれない。あんまりにも弾きやすいギターだと、聴いてる人を無視して延々とソロばっかやってそうだからね。
こういうギターに出会ったっちゅうことは、そろそろ弾きまくりは止めろの合図かもしれない。
俺という人間は往々にしてこんな感じだ。求める音、求める楽器を納得いくまで追求するより、成り行き上の結果をどう自分の中で納得させるかって方が自分の性分のようだ。あんまり主体性がないとも言えるが。
考えてみりゃ本気で明確に目標を立てて、そこに向かって自己実現をさせるってな風に生きてこなかったように思うね。
手にしたもの、出会った人、起こった出来事にその都度その都度対処していくことで形成されていった人生かもしれない。
それがこの低鱈苦な状況を生み出してるんだから、大いに反省すべきだろうとは思うが、変わりようがない精神のコアは確かに存在する。
ただね、自分の中で譲れない部分というのもあって、コード感に関しては自分の主義主張が出すぎて中々他者の意見が受け入れられないって所がある。今まで人と音出してて揉めた原因の多くはコードがらみだ。
コードというのは、音楽を聴いているほとんどの人にとっては枝葉末節のことかもしれないが、俺にとっては自分の感情、感覚、いや思想性までを現すもので、それは誤解されて伝わるのがやっぱりいやだ。
自分の感覚、感情の機微、思想、それを和音の響きであらわしてんのに、違う響きにされたりしたら伝えたいことのきっ先が鈍るというもんだ。
でもそういう微妙にして頑固な部分なんかどうでもいいと思わせてくれるのはもうリズムしかない。
いいグルーヴ、素晴らしいビートさえあればコードなんかワンコードでいいのに、とは思う。
グルーヴって最も嘘がつけない部分だし、その人間の生理が如実に現れるから。
なのでそこら辺も踏まえつつ変化して行こうかなと、思っているわけですが皆さん如何がお過ごしでしょうか?
つうわけでいよいよ明日、ライブです。告知しにくい日だねまったく(笑)...
12月25日(土)
「Merry Merry Christmas!」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:高瀬大介、ミムラス、Bluesoul、銀河スープ
俺は19:00〜19:30の出番。
場所は、
LIVE HOUSE 「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
TEL&FAX 03-6380-3260
HP http://mahiru-yoru.com/
てな感じです。是非是非遊びに来ておくれ。
クリスマスは何かと入用でお金がな〜いって人は、
ゼニの無いやつぁ俺んとこへ来い!
俺も無いけど心配すんな
見ろよ青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろ〜お〜。
ていう感じでゲストにしてほしい人はこっそり連絡ください。
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/dJF_5-Lltwo&feature=youtube_gdata_player]
だいたいギターを買うときは直感で買うので、今回もジャンク屋でこのグレコを見たときには試し弾きもせず「ルックスがいい」という実にミーハーな原動力で買った。
実際にアンプで鳴らしてみたらこれが実に性格のいい音、というか俺の好きな音。
知り合いのギター賢人からはダメ出しをされてしまったが、気に入ってるんだもの(笑)。あとは俺の育て方次第。
乱暴で優しいギターになってくれればな、と思う。
ただ、ちょっと昔のギターならではなのか、握った第一印象はすぐ手に馴染むんだけど、長く弾いてると手が疲れてしまう。そう簡単には気持ちよくさせてくれない、そんな我が儘な所がある。
まあその分弾き過ぎなくて俺にはちょうどいいかもしれない。あんまりにも弾きやすいギターだと、聴いてる人を無視して延々とソロばっかやってそうだからね。
こういうギターに出会ったっちゅうことは、そろそろ弾きまくりは止めろの合図かもしれない。
俺という人間は往々にしてこんな感じだ。求める音、求める楽器を納得いくまで追求するより、成り行き上の結果をどう自分の中で納得させるかって方が自分の性分のようだ。あんまり主体性がないとも言えるが。
考えてみりゃ本気で明確に目標を立てて、そこに向かって自己実現をさせるってな風に生きてこなかったように思うね。
手にしたもの、出会った人、起こった出来事にその都度その都度対処していくことで形成されていった人生かもしれない。
それがこの低鱈苦な状況を生み出してるんだから、大いに反省すべきだろうとは思うが、変わりようがない精神のコアは確かに存在する。
ただね、自分の中で譲れない部分というのもあって、コード感に関しては自分の主義主張が出すぎて中々他者の意見が受け入れられないって所がある。今まで人と音出してて揉めた原因の多くはコードがらみだ。
コードというのは、音楽を聴いているほとんどの人にとっては枝葉末節のことかもしれないが、俺にとっては自分の感情、感覚、いや思想性までを現すもので、それは誤解されて伝わるのがやっぱりいやだ。
自分の感覚、感情の機微、思想、それを和音の響きであらわしてんのに、違う響きにされたりしたら伝えたいことのきっ先が鈍るというもんだ。
でもそういう微妙にして頑固な部分なんかどうでもいいと思わせてくれるのはもうリズムしかない。
いいグルーヴ、素晴らしいビートさえあればコードなんかワンコードでいいのに、とは思う。
グルーヴって最も嘘がつけない部分だし、その人間の生理が如実に現れるから。
なのでそこら辺も踏まえつつ変化して行こうかなと、思っているわけですが皆さん如何がお過ごしでしょうか?
つうわけでいよいよ明日、ライブです。告知しにくい日だねまったく(笑)...
12月25日(土)
「Merry Merry Christmas!」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:高瀬大介、ミムラス、Bluesoul、銀河スープ
俺は19:00〜19:30の出番。
場所は、
LIVE HOUSE 「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
TEL&FAX 03-6380-3260
HP http://mahiru-yoru.com/
てな感じです。是非是非遊びに来ておくれ。
クリスマスは何かと入用でお金がな〜いって人は、
ゼニの無いやつぁ俺んとこへ来い!
俺も無いけど心配すんな
見ろよ青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろ〜お〜。
ていう感じでゲストにしてほしい人はこっそり連絡ください。
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/dJF_5-Lltwo&feature=youtube_gdata_player]
「マナー」「モラル」「リテラシー」
それらをあまりにも振りかざすあまり、その場の空気を壊し、結果、一番のマナー違反になってるという人がいる。
健康のためにジョギングをやり過ぎて心臓麻痺で死ぬみたいなもんか。
そういう「マナー」「モラル」「リテラシー」「常識」「正論」といった、どこに根拠があるんだか分からないようなものに寄っ掛かって高圧的になっている人間には、「マナー」や「モラル」がその場その場によって変化し、臨機応変に対応していくしかない、ってことが理解できないので、ほとほとうんざりさせられる。
まあ、世の中には色々な人がいる。
ツイッターで不倫をばらすような下品な人もいれば、酔って絡んで返り討ちにあう人もいる。政倫審に中々出てこない政治家もいれば、贖罪という名の売名をする人もいる。
まあ面白いわ。不愉快だけど。
でも最近はテレビから頻繁にビートルズの「ノルウェーの森」が流れてきて心地いい。あの歌い出しのジョンの声の色っぽさったらないね。ゾクッとする。
それらをあまりにも振りかざすあまり、その場の空気を壊し、結果、一番のマナー違反になってるという人がいる。
健康のためにジョギングをやり過ぎて心臓麻痺で死ぬみたいなもんか。
そういう「マナー」「モラル」「リテラシー」「常識」「正論」といった、どこに根拠があるんだか分からないようなものに寄っ掛かって高圧的になっている人間には、「マナー」や「モラル」がその場その場によって変化し、臨機応変に対応していくしかない、ってことが理解できないので、ほとほとうんざりさせられる。
まあ、世の中には色々な人がいる。
ツイッターで不倫をばらすような下品な人もいれば、酔って絡んで返り討ちにあう人もいる。政倫審に中々出てこない政治家もいれば、贖罪という名の売名をする人もいる。
まあ面白いわ。不愉快だけど。
でも最近はテレビから頻繁にビートルズの「ノルウェーの森」が流れてきて心地いい。あの歌い出しのジョンの声の色っぽさったらないね。ゾクッとする。
オリコンのCD年間売り上げランキング AKB48と嵐が独占したそうな。
う~ん、この年間チャートは凄すぎて、逆に清々しくさえある。
ジャニーズとアイドルものはいつの時代も強い。
音楽を聴くために金を払うことよりも、崇拝する対象にお布施をする力のほうが遥かに強いんだなぁとつくづく思い知らされる。
嵐にしろAKB48にしろまともに聴いたことないので、音楽としてどうのは分からないけれど、まあどう考えても音楽好きにまでアピールする商品ではなかろう。偏見と言われようとも構わない。
世の中が荒んでいると、生まれる音楽は保守的でぬるいものになる、とはよく言われる。
毒っ気が強くて革新的な音楽をつい求めてしまう性分というのは、ま、元々の資質もあろうが、バブルの頃に思春期を迎えたという世代病
でもあるかもしれない。
あ、あと60年代70年代の高度成長期の荒波の頃に生まれた音楽がどうしても好きだってのもあるな。どちらにせよ世の中が盛り上がってる頃の音楽だ。
文化ってな豊かじゃなきゃ生まれない脆弱なもんなんだなって思いしらされる。
かといって宗旨変え出来るほど器用ではないけれど。
ジャニーズやアイドルもんの刹那的なサウンドを耳にしたり、こんなニュースを読んだりした時は、無性にソウルやファンクやフリージャズを聴きたくなる。
なんだかんだ言って自分にとってのソウルフードは「音楽」だから。
う~ん、この年間チャートは凄すぎて、逆に清々しくさえある。
ジャニーズとアイドルものはいつの時代も強い。
音楽を聴くために金を払うことよりも、崇拝する対象にお布施をする力のほうが遥かに強いんだなぁとつくづく思い知らされる。
嵐にしろAKB48にしろまともに聴いたことないので、音楽としてどうのは分からないけれど、まあどう考えても音楽好きにまでアピールする商品ではなかろう。偏見と言われようとも構わない。
世の中が荒んでいると、生まれる音楽は保守的でぬるいものになる、とはよく言われる。
毒っ気が強くて革新的な音楽をつい求めてしまう性分というのは、ま、元々の資質もあろうが、バブルの頃に思春期を迎えたという世代病
でもあるかもしれない。
あ、あと60年代70年代の高度成長期の荒波の頃に生まれた音楽がどうしても好きだってのもあるな。どちらにせよ世の中が盛り上がってる頃の音楽だ。
文化ってな豊かじゃなきゃ生まれない脆弱なもんなんだなって思いしらされる。
かといって宗旨変え出来るほど器用ではないけれど。
ジャニーズやアイドルもんの刹那的なサウンドを耳にしたり、こんなニュースを読んだりした時は、無性にソウルやファンクやフリージャズを聴きたくなる。
なんだかんだ言って自分にとってのソウルフードは「音楽」だから。
論議論争の類いは好きではあるけれど、大抵の場合は不毛なものに終わり、消耗し、遺恨さえ残す。
相手がまともな意見を持っているならば、たとえそれが反対の考えでも受け止めて咀嚼出来るもんだが、下らない茶々しか帰ってこず論議にすらならない場合、冷静なままでいるのは非常に難しい。度を越したバカなら無視するしかないのだが。
売れる前のプリンスのアルバムに「Controversy」というのがあって意味するところは「大論争」。
しかし日本のレコード会社がこのアルバムにつけた邦題はなんと「戦慄の貴公子」。
当時非常にセンセーショナルな打ち出しをし、どちらかと言えばキワモノ視されていたプリンスを分かりやすく紹介するためにつけたアルバムタイトルなのだろうけど、だからといってアルバムタイトルソングにまで同じ邦題をつけるこたぁないだろうと思うのだ。
だって歌詞の内容は、論争の不毛さ、しかし人間は論争する生き物、僕も論争のやり玉にあげられる、というシリアスなものなのに。
そのタイトルが「戦慄の貴公子」......。
ちゃんと問題定義したのに「wwww」とかいう馬鹿な文字で返されたような感じ。いや、そこまで思考放棄ではないかな。「戦慄の貴公子」という言葉自体はアホらしくて割と好きだしね。
ただプリンスがそれを知ってたとしたらどんなことを思うんだろうか?「戦慄の貴公子」(笑)。
まあ論争なんて不毛だ、必要なのはセクシュアリティー、一晩中君としていたいってプリンスも歌ってるし、初期プリの淫靡でチープなファンクは最高にカッコいいし、馬鹿な論議なんてのはいい加減止めて音楽しよう。
ということで今週の土曜日25日、東新宿にあるライブハウス「真昼の月、夜中の太陽」にてバンドでライブやります。
今回はベースにおいちゃん、ドラムに藤本だいすけを迎えてのスリーピース。
三人の趣味性が反映されてか、かなりファンキーで戦慄の貴公子なグルーヴになっているので、わりとチルなクリスマスになることでしょぉ(笑)。
時間があれば是非遊びに来てね。時間は19時から。
相手がまともな意見を持っているならば、たとえそれが反対の考えでも受け止めて咀嚼出来るもんだが、下らない茶々しか帰ってこず論議にすらならない場合、冷静なままでいるのは非常に難しい。度を越したバカなら無視するしかないのだが。
売れる前のプリンスのアルバムに「Controversy」というのがあって意味するところは「大論争」。
しかし日本のレコード会社がこのアルバムにつけた邦題はなんと「戦慄の貴公子」。
当時非常にセンセーショナルな打ち出しをし、どちらかと言えばキワモノ視されていたプリンスを分かりやすく紹介するためにつけたアルバムタイトルなのだろうけど、だからといってアルバムタイトルソングにまで同じ邦題をつけるこたぁないだろうと思うのだ。
だって歌詞の内容は、論争の不毛さ、しかし人間は論争する生き物、僕も論争のやり玉にあげられる、というシリアスなものなのに。
そのタイトルが「戦慄の貴公子」......。
ちゃんと問題定義したのに「wwww」とかいう馬鹿な文字で返されたような感じ。いや、そこまで思考放棄ではないかな。「戦慄の貴公子」という言葉自体はアホらしくて割と好きだしね。
ただプリンスがそれを知ってたとしたらどんなことを思うんだろうか?「戦慄の貴公子」(笑)。
まあ論争なんて不毛だ、必要なのはセクシュアリティー、一晩中君としていたいってプリンスも歌ってるし、初期プリの淫靡でチープなファンクは最高にカッコいいし、馬鹿な論議なんてのはいい加減止めて音楽しよう。
ということで今週の土曜日25日、東新宿にあるライブハウス「真昼の月、夜中の太陽」にてバンドでライブやります。
今回はベースにおいちゃん、ドラムに藤本だいすけを迎えてのスリーピース。
三人の趣味性が反映されてか、かなりファンキーで戦慄の貴公子なグルーヴになっているので、わりとチルなクリスマスになることでしょぉ(笑)。
時間があれば是非遊びに来てね。時間は19時から。
とんねるずの番組で「きたなトラン」なる、汚ったねぇけど美味い店を紹介する企画があって、さっきうちの超近所の店を紹介してた。
溝ノ口でも結構ハードコアな地域、昭和の薫りを濃厚に残す一帯にある店で、存在は知っていたけど入ったことはなかった店の「特製煮込み」と「納豆の油揚げ包み焼き」をフューチャーしていた。も~う見るからに美味そう。
こないだも西新宿の思い出横丁の汚ねぇ店で呑んだが、こういうとこの雰囲気はやっぱり好きだ。
ことさら昭和の美意識や雰囲気を有り難がるような風潮は好きではないが、飲み屋に行くということは、こちらがわのメンタリティに相応しい雰囲気を享受しに行くってのも値段のうちだと思っているので、しょんべん横丁的な店に行くとやっぱリラックス出来る。ま、そういう人間なんだろう。
アメリカナイズされたバーやイギリス的なパブよりも、「相棒」の右京さんの行きつけの居酒屋みたいな方が行きたくなる。あ、あそこは汚くねぇか。
チェーン店の居酒屋も悪かないが、ああいうとこはだいたいが有線でJ-POPが流れてるので、どうしても会話の邪魔になる。あれかね、J-POPの周波数って会話のトーンに接触するようなとこを狙ってんのかね?
思い出横丁の店は演歌がかかってたな。安心出来る。
でもなんだかんだ言って家飲みが一番楽なんだよなぁ、困ったことに(笑)。
ま、いい歳こいて言う台詞じゃないが、一人で行きつけの居酒屋やバーに行けるくらい立派な大人になりてぇな。
溝ノ口でも結構ハードコアな地域、昭和の薫りを濃厚に残す一帯にある店で、存在は知っていたけど入ったことはなかった店の「特製煮込み」と「納豆の油揚げ包み焼き」をフューチャーしていた。も~う見るからに美味そう。
こないだも西新宿の思い出横丁の汚ねぇ店で呑んだが、こういうとこの雰囲気はやっぱり好きだ。
ことさら昭和の美意識や雰囲気を有り難がるような風潮は好きではないが、飲み屋に行くということは、こちらがわのメンタリティに相応しい雰囲気を享受しに行くってのも値段のうちだと思っているので、しょんべん横丁的な店に行くとやっぱリラックス出来る。ま、そういう人間なんだろう。
アメリカナイズされたバーやイギリス的なパブよりも、「相棒」の右京さんの行きつけの居酒屋みたいな方が行きたくなる。あ、あそこは汚くねぇか。
チェーン店の居酒屋も悪かないが、ああいうとこはだいたいが有線でJ-POPが流れてるので、どうしても会話の邪魔になる。あれかね、J-POPの周波数って会話のトーンに接触するようなとこを狙ってんのかね?
思い出横丁の店は演歌がかかってたな。安心出来る。
でもなんだかんだ言って家飲みが一番楽なんだよなぁ、困ったことに(笑)。
ま、いい歳こいて言う台詞じゃないが、一人で行きつけの居酒屋やバーに行けるくらい立派な大人になりてぇな。
急遽だけど今年の最後のライブが決まった。
なんと25日のクリスマス!しかも独身男三人衆・ギタートリオ・ロックというロマンチックさのかけらもない感じのライブに思われそうだけど、新曲中心でメロウな感じの内容になるはずです。まあイっちゃうやつはイっちゃうだろうけど。
あとなんかクリスマスソングはやるかもしれません。
とにかく新しいアルバムを宣伝したいので新曲中心にやりますわ。
12月25日(土)
「Merry Merry Christmas!」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:高瀬大介、ミムラス、Bluesoul、銀河スープ
俺は19:00〜19:30の出番。聖なる夜とは言え早めの出番なんで、俺らのライブ見たあとラブホテル直行ってのも盛り上がるかもよ?
で、場所は、
LIVE HOUSE 「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
TEL&FAX 03-6380-3260
HP http://mahiru-yoru.com/
てな感じです。是非是非遊びに来ておくれよ。
なんと25日のクリスマス!しかも独身男三人衆・ギタートリオ・ロックというロマンチックさのかけらもない感じのライブに思われそうだけど、新曲中心でメロウな感じの内容になるはずです。まあイっちゃうやつはイっちゃうだろうけど。
あとなんかクリスマスソングはやるかもしれません。
とにかく新しいアルバムを宣伝したいので新曲中心にやりますわ。
12月25日(土)
「Merry Merry Christmas!」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:高瀬大介、ミムラス、Bluesoul、銀河スープ
俺は19:00〜19:30の出番。聖なる夜とは言え早めの出番なんで、俺らのライブ見たあとラブホテル直行ってのも盛り上がるかもよ?
で、場所は、
LIVE HOUSE 「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
TEL&FAX 03-6380-3260
HP http://mahiru-yoru.com/
てな感じです。是非是非遊びに来ておくれよ。