2006年11月
うちらのライブによく来てくれる人から貰った大量のDVDの中に、サンボマスターのライブが幾つかあったので立て続けに観た。
どれもこれも凄まじいが圧巻なのは今年の夏のロックフェスに出た時のライブで、4万5千人の大観衆が「愛と平和!」を連呼しているシーンだった。
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」というサンボマスターのヒット曲の中の歌詞なのだが、曲が終わってもずっと「愛と平和!」の4万5千人の連呼は続き、思わずヴォーカルの山口氏は絶句してしまう。
感動的な瞬間であると同時に脅威に感じるシーンでもある。でも何だか知れないけど泣けてきた。
サンボマスターのライブは整合感とか完成度とか心地よい流れとかを殆ど無視して、伝えたいソウルのためにその瞬間その瞬間の刹那で爆発し続ける。過剰で過激で常軌を逸している。だからそれを受け止める体力が無い人にはお勧めしない。
サンボマスターはそこらのビートパンクバンドのような上っ面の慰め応援歌や、クソっ垂れ癒し系のように生ぬるくはない。確立されたありきたりのビートや一時の流行のモードに乗せてしまえるほどヤワなメッセージを発しているのではないのだ。
だからあの独特の「パンクのサウンドででソウルを演る」というスタイルが発明されたのだ。
「心の声をつなぐのがこれほど怖いものだとは」と感じるからこそ「悲しみで花が咲くものか」と全ての人を鼓舞するし「君と僕が声を合わす、今までの過去なんてなかったかのように歌い出すんだ」と高らかに言い放つことができる。
こんなに理想的にカッコいいロックなバンドはいない。俺が歯がみをするほど悔しいし、ワケも無く叫びたいほど嬉しい。
ロックとは、あったり前の正論が罷り通らないねじ曲がった世界に向けて、あったり前の正論を恥ずかしげも無くストレートに言い放つ事で過激な生命力を帯びる音楽だ。
それは忌野清志郎が、早川義夫が、ブルーハーツが、エレファントカシマシが、奥田民生が、サンボマスターが実証してきた。俺たちも後に続かねば、踏みつけて追い越さねばならない。理想は高く持ちたいもんだ。
今、個人的には多作モードに入っていて、今年中は曲を作り続けようと思っている。アルバムを作るからだ。もうそれくらいのストックはあるのだけれど関係ねえ。
サンボマスターに触発されるまでもなく、今まで異常にストレートに、過激に、ポップに轟かせる事の出来る曲を作るしかないという状態だ。実はさっきも、ついでに言うなら昨日も曲が出来た。でもまだまだ追いつめられるはず。
どれもこれも凄まじいが圧巻なのは今年の夏のロックフェスに出た時のライブで、4万5千人の大観衆が「愛と平和!」を連呼しているシーンだった。
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」というサンボマスターのヒット曲の中の歌詞なのだが、曲が終わってもずっと「愛と平和!」の4万5千人の連呼は続き、思わずヴォーカルの山口氏は絶句してしまう。
感動的な瞬間であると同時に脅威に感じるシーンでもある。でも何だか知れないけど泣けてきた。
サンボマスターのライブは整合感とか完成度とか心地よい流れとかを殆ど無視して、伝えたいソウルのためにその瞬間その瞬間の刹那で爆発し続ける。過剰で過激で常軌を逸している。だからそれを受け止める体力が無い人にはお勧めしない。
サンボマスターはそこらのビートパンクバンドのような上っ面の慰め応援歌や、クソっ垂れ癒し系のように生ぬるくはない。確立されたありきたりのビートや一時の流行のモードに乗せてしまえるほどヤワなメッセージを発しているのではないのだ。
だからあの独特の「パンクのサウンドででソウルを演る」というスタイルが発明されたのだ。
「心の声をつなぐのがこれほど怖いものだとは」と感じるからこそ「悲しみで花が咲くものか」と全ての人を鼓舞するし「君と僕が声を合わす、今までの過去なんてなかったかのように歌い出すんだ」と高らかに言い放つことができる。
こんなに理想的にカッコいいロックなバンドはいない。俺が歯がみをするほど悔しいし、ワケも無く叫びたいほど嬉しい。
ロックとは、あったり前の正論が罷り通らないねじ曲がった世界に向けて、あったり前の正論を恥ずかしげも無くストレートに言い放つ事で過激な生命力を帯びる音楽だ。
それは忌野清志郎が、早川義夫が、ブルーハーツが、エレファントカシマシが、奥田民生が、サンボマスターが実証してきた。俺たちも後に続かねば、踏みつけて追い越さねばならない。理想は高く持ちたいもんだ。
今、個人的には多作モードに入っていて、今年中は曲を作り続けようと思っている。アルバムを作るからだ。もうそれくらいのストックはあるのだけれど関係ねえ。
サンボマスターに触発されるまでもなく、今まで異常にストレートに、過激に、ポップに轟かせる事の出来る曲を作るしかないという状態だ。実はさっきも、ついでに言うなら昨日も曲が出来た。でもまだまだ追いつめられるはず。
a45d873f.jpg 久々にCDをレンタルした。
何かと億劫なので滅多にレンタルという行為はしないのだが久しぶりに今まで聴いてこなかったものを聴いてみようと思って、まあ金もないので借りてみた。
●くろまるEMERGENCY!/THE TONY WILLIAMS LIFETIME
以前ラジオでこのアルバムの曲がかかって以来気になっていたのだがついにこの機会に聴いた。
早く聴いてれば良かった。
70分間ひたすらトニーウィリアムズがドラムを引っ叩きまくっている。ジョンマクラフリンの」ギターが鋭角的なフレーズを決めまくる。ラリーヤングのオルガンが唸り続ける。
とにかくひたすらアグレッシブに突き進み続けるアルバムだった。しかも何処にゴールがあるとも知れずに。
トニーウィリアムズ23歳。こんな演奏残してこの後一体どうするんだろう?かって言うくらい鬼気迫るというか後先考えないというか、なんか突入しちゃってる演奏だ。さすが神童。僅か18歳でマイルスクインテットに参加して一気にマイルズを若返らせただけの事はある。
コレは、60年代ジャズシーンの最前線にいたマイルスバンドを抜けたトニーがこの時代(1969年当時)のうねり、変動、変革の流れに身を投じて作ったジャズロックの名盤だ。
このアルバムを聴いたマイルスは、あまりにも凄いこの成果に「もう一回俺と一緒にやらないか?」と誘ったらしい。断ったトニーも偉いが、それにもひるまず強引に名盤「イン ア サイレントウェイ」でトニーを担ぎ出しているマイルスの執念も凄い。
しかし俺もいい歳かっぱらっても相変わらずこういう音には鋭く反応してしまう。初期衝動、向こう見ず、破壊的、暴走、こういった音はもう常に身体が欲しているものなのだろう。音楽の愛好家にはなれない。中毒患者だ。
●くろまるROYAL STRAIGHT FLUSH/沢田研二
とにかく沢田研二の気怠いシャウトが聴きたくて借りた。
ヒット曲満載のベストなのだが、さすがに歌謡曲界のど真ん中に食い込んだ作品群だけあってアレンジなんかは思いっきり古い。
というか沢田研二の唯一無二のヴォーカルがあまりにも時代を超えてリアルに響きすぎる所為で、相対的にアレンジやバックのオケのトーンの古さが目立ってしまっている。それほど凄い歌唱ということだ。
殆どの曲が作詞:阿久悠/作曲:大野克夫の手になる曲で、やっぱりこの二人のコンビの作品におけるジュリーの歌は凄い。特にアレンジも大野克夫が担当した曲ではさすがにそれほど古びておらず所謂「ロックな心」があった上での歌謡曲になっているのでジュリーがロックヴォーカリストとしてのびのびと歌っている。「カサブランカ・ダンディ」や「時の過ぎ行くままに」におけるちっとも暑苦しくないけど異様に気怠くやさぐれた感じの声は堪らない。
それにしても久しぶりに聴く「サムライ」や「憎みきれないろくでなし」のカッコいいこと!
●くろまるLOVE YOU LIVE/THE ROLLING STONES
ストーンズの70年代を代表するライブアルバム。これも昔テープで聴きまくったのだけれど、今聴くと全然違った聴き方が出来て面白い。
それにしてもまあルーズな演奏。ハッキリ言ってヘタクソだ。よれたりつんのめったりしていて危なっかしい。しかしそのユルユルのグルーヴが異様な説得力を産み出している。
特にブルースやR&Bのカバーばっかりやってた頃の初期のレパートリーが並んだ(アナログレコード風に言うと)C面の異様に生々しい質感と観客との一体感は素晴らしい。
このアルバムの面白さは代表的なヒット曲が殆ど収められている事だ。単にベストアルバムとして聴けるという旨味ではない。というよりもむしろオリジナルバージョンとのあまりの違いこそがこのアルバムの面白さではなかろうか。
どの曲もどの曲もそのオリジナルバージョンよりも性急なビートに駆り立てられてラフでハードな仕上がりになっている。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」なんてちゃんと歌えコラ!と言いたくなってくるほどラフだ。
コレもストーンズの重要な特徴で、レコーデイング段階でのアレンジ、特にリズムアレンジはあくまでその時点での暫定的なものであって、まあ所謂ノリ一発でやってると思われる。だからライブにおいては楽曲の再現よりも、その時点でのバンドのモード、リズムに楽曲を当てはめて新たな解釈をする。
実はコレがストーンズの長寿の秘訣ではないだろうかと思うのだ。無意識のうちに時代や状況に応じてリズムの捉え方を柔軟に変化させる事が出来ながら、それでいてノリ一発というスタンスがもたらすユルさがある種独特の一貫性をそのグルーヴにもたらしている。だから未だに「サティスファクション」や「ホンキー・トンク・ウィメン」といった60年代のナンバーが懐メロでなく現代のビートとしてバリバリに通用しているのではないだろうか。
このアルバムは1976年当時におけるストーンズが、時代のリズム、ビートに対してどう反応し、それを自らのヒット曲をリトマス紙にして独自のグルーヴを産み出していた事を生々しく示すドキュメントだ。 久々にCDをレンタルした。
何かと億劫なので滅多にレンタルという行為はしないのだが久しぶりに今まで聴いてこなかったものを聴いてみようと思って、まあ金もないので借りてみた。
●くろまるEMERGENCY!/THE TONY WILLIAMS LIFETIME
以前ラジオでこのアルバムの曲がかかって以来気になっていたのだがついにこの機会に聴いた。
早く聴いてれば良かった。
70分間ひたすらトニーウィリアムズがドラムを引っ叩きまくっている。ジョンマクラフリンの」ギターが鋭角的なフレーズを決めまくる。ラリーヤングのオルガンが唸り続ける。
とにかくひたすらアグレッシブに突き進み続けるアルバムだった。しかも何処にゴールがあるとも知れずに。
トニーウィリアムズ23歳。こんな演奏残してこの後一体どうするんだろう?かって言うくらい鬼気迫るというか後先考えないというか、なんか突入しちゃってる演奏だ。さすが神童。僅か18歳でマイルスクインテットに参加して一気にマイルズを若返らせただけの事はある。
コレは、60年代ジャズシーンの最前線にいたマイルスバンドを抜けたトニーがこの時代(1969年当時)のうねり、変動、変革の流れに身を投じて作ったジャズロックの名盤だ。
このアルバムを聴いたマイルスは、あまりにも凄いこの成果に「もう一回俺と一緒にやらないか?」と誘ったらしい。断ったトニーも偉いが、それにもひるまず強引に名盤「イン ア サイレントウェイ」でトニーを担ぎ出しているマイルスの執念も凄い。
しかし俺もいい歳かっぱらっても相変わらずこういう音には鋭く反応してしまう。初期衝動、向こう見ず、破壊的、暴走、こういった音はもう常に身体が欲しているものなのだろう。音楽の愛好家にはなれない。中毒患者だ。
●くろまるROYAL STRAIGHT FLUSH/沢田研二
とにかく沢田研二の気怠いシャウトが聴きたくて借りた。
ヒット曲満載のベストなのだが、さすがに歌謡曲界のど真ん中に食い込んだ作品群だけあってアレンジなんかは思いっきり古い。
というか沢田研二の唯一無二のヴォーカルがあまりにも時代を超えてリアルに響きすぎる所為で、相対的にアレンジやバックのオケのトーンの古さが目立ってしまっている。それほど凄い歌唱ということだ。
殆どの曲が作詞:阿久悠/作曲:大野克夫の手になる曲で、やっぱりこの二人のコンビの作品におけるジュリーの歌は凄い。特にアレンジも大野克夫が担当した曲ではさすがにそれほど古びておらず所謂「ロックな心」があった上での歌謡曲になっているのでジュリーがロックヴォーカリストとしてのびのびと歌っている。「カサブランカ・ダンディ」や「時の過ぎ行くままに」におけるちっとも暑苦しくないけど異様に気怠くやさぐれた感じの声は堪らない。
それにしても久しぶりに聴く「サムライ」や「憎みきれないろくでなし」のカッコいいこと!
●くろまるLOVE YOU LIVE/THE ROLLING STONES
ストーンズの70年代を代表するライブアルバム。これも昔テープで聴きまくったのだけれど、今聴くと全然違った聴き方が出来て面白い。
それにしてもまあルーズな演奏。ハッキリ言ってヘタクソだ。よれたりつんのめったりしていて危なっかしい。しかしそのユルユルのグルーヴが異様な説得力を産み出している。
特にブルースやR&Bのカバーばっかりやってた頃の初期のレパートリーが並んだ(アナログレコード風に言うと)C面の異様に生々しい質感と観客との一体感は素晴らしい。
このアルバムの面白さは代表的なヒット曲が殆ど収められている事だ。単にベストアルバムとして聴けるという旨味ではない。というよりもむしろオリジナルバージョンとのあまりの違いこそがこのアルバムの面白さではなかろうか。
どの曲もどの曲もそのオリジナルバージョンよりも性急なビートに駆り立てられてラフでハードな仕上がりになっている。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」なんてちゃんと歌えコラ!と言いたくなってくるほどラフだ。
コレもストーンズの重要な特徴で、レコーデイング段階でのアレンジ、特にリズムアレンジはあくまでその時点での暫定的なものであって、まあ所謂ノリ一発でやってると思われる。だからライブにおいては楽曲の再現よりも、その時点でのバンドのモード、リズムに楽曲を当てはめて新たな解釈をする。
実はコレがストーンズの長寿の秘訣ではないだろうかと思うのだ。無意識のうちに時代や状況に応じてリズムの捉え方を柔軟に変化させる事が出来ながら、それでいてノリ一発というスタンスがもたらすユルさがある種独特の一貫性をそのグルーヴにもたらしている。だから未だに「サティスファクション」や「ホンキー・トンク・ウィメン」といった60年代のナンバーが懐メロでなく現代のビートとしてバリバリに通用しているのではないだろうか。
このアルバムは1976年当時におけるストーンズが、時代のリズム、ビートに対してどう反応し、それを自らのヒット曲をリトマス紙にして独自のグルーヴを産み出していた事を生々しく示すドキュメントだ。
何かと億劫なので滅多にレンタルという行為はしないのだが久しぶりに今まで聴いてこなかったものを聴いてみようと思って、まあ金もないので借りてみた。
●くろまるEMERGENCY!/THE TONY WILLIAMS LIFETIME
以前ラジオでこのアルバムの曲がかかって以来気になっていたのだがついにこの機会に聴いた。
早く聴いてれば良かった。
70分間ひたすらトニーウィリアムズがドラムを引っ叩きまくっている。ジョンマクラフリンの」ギターが鋭角的なフレーズを決めまくる。ラリーヤングのオルガンが唸り続ける。
とにかくひたすらアグレッシブに突き進み続けるアルバムだった。しかも何処にゴールがあるとも知れずに。
トニーウィリアムズ23歳。こんな演奏残してこの後一体どうするんだろう?かって言うくらい鬼気迫るというか後先考えないというか、なんか突入しちゃってる演奏だ。さすが神童。僅か18歳でマイルスクインテットに参加して一気にマイルズを若返らせただけの事はある。
コレは、60年代ジャズシーンの最前線にいたマイルスバンドを抜けたトニーがこの時代(1969年当時)のうねり、変動、変革の流れに身を投じて作ったジャズロックの名盤だ。
このアルバムを聴いたマイルスは、あまりにも凄いこの成果に「もう一回俺と一緒にやらないか?」と誘ったらしい。断ったトニーも偉いが、それにもひるまず強引に名盤「イン ア サイレントウェイ」でトニーを担ぎ出しているマイルスの執念も凄い。
しかし俺もいい歳かっぱらっても相変わらずこういう音には鋭く反応してしまう。初期衝動、向こう見ず、破壊的、暴走、こういった音はもう常に身体が欲しているものなのだろう。音楽の愛好家にはなれない。中毒患者だ。
●くろまるROYAL STRAIGHT FLUSH/沢田研二
とにかく沢田研二の気怠いシャウトが聴きたくて借りた。
ヒット曲満載のベストなのだが、さすがに歌謡曲界のど真ん中に食い込んだ作品群だけあってアレンジなんかは思いっきり古い。
というか沢田研二の唯一無二のヴォーカルがあまりにも時代を超えてリアルに響きすぎる所為で、相対的にアレンジやバックのオケのトーンの古さが目立ってしまっている。それほど凄い歌唱ということだ。
殆どの曲が作詞:阿久悠/作曲:大野克夫の手になる曲で、やっぱりこの二人のコンビの作品におけるジュリーの歌は凄い。特にアレンジも大野克夫が担当した曲ではさすがにそれほど古びておらず所謂「ロックな心」があった上での歌謡曲になっているのでジュリーがロックヴォーカリストとしてのびのびと歌っている。「カサブランカ・ダンディ」や「時の過ぎ行くままに」におけるちっとも暑苦しくないけど異様に気怠くやさぐれた感じの声は堪らない。
それにしても久しぶりに聴く「サムライ」や「憎みきれないろくでなし」のカッコいいこと!
●くろまるLOVE YOU LIVE/THE ROLLING STONES
ストーンズの70年代を代表するライブアルバム。これも昔テープで聴きまくったのだけれど、今聴くと全然違った聴き方が出来て面白い。
それにしてもまあルーズな演奏。ハッキリ言ってヘタクソだ。よれたりつんのめったりしていて危なっかしい。しかしそのユルユルのグルーヴが異様な説得力を産み出している。
特にブルースやR&Bのカバーばっかりやってた頃の初期のレパートリーが並んだ(アナログレコード風に言うと)C面の異様に生々しい質感と観客との一体感は素晴らしい。
このアルバムの面白さは代表的なヒット曲が殆ど収められている事だ。単にベストアルバムとして聴けるという旨味ではない。というよりもむしろオリジナルバージョンとのあまりの違いこそがこのアルバムの面白さではなかろうか。
どの曲もどの曲もそのオリジナルバージョンよりも性急なビートに駆り立てられてラフでハードな仕上がりになっている。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」なんてちゃんと歌えコラ!と言いたくなってくるほどラフだ。
コレもストーンズの重要な特徴で、レコーデイング段階でのアレンジ、特にリズムアレンジはあくまでその時点での暫定的なものであって、まあ所謂ノリ一発でやってると思われる。だからライブにおいては楽曲の再現よりも、その時点でのバンドのモード、リズムに楽曲を当てはめて新たな解釈をする。
実はコレがストーンズの長寿の秘訣ではないだろうかと思うのだ。無意識のうちに時代や状況に応じてリズムの捉え方を柔軟に変化させる事が出来ながら、それでいてノリ一発というスタンスがもたらすユルさがある種独特の一貫性をそのグルーヴにもたらしている。だから未だに「サティスファクション」や「ホンキー・トンク・ウィメン」といった60年代のナンバーが懐メロでなく現代のビートとしてバリバリに通用しているのではないだろうか。
このアルバムは1976年当時におけるストーンズが、時代のリズム、ビートに対してどう反応し、それを自らのヒット曲をリトマス紙にして独自のグルーヴを産み出していた事を生々しく示すドキュメントだ。 久々にCDをレンタルした。
何かと億劫なので滅多にレンタルという行為はしないのだが久しぶりに今まで聴いてこなかったものを聴いてみようと思って、まあ金もないので借りてみた。
●くろまるEMERGENCY!/THE TONY WILLIAMS LIFETIME
以前ラジオでこのアルバムの曲がかかって以来気になっていたのだがついにこの機会に聴いた。
早く聴いてれば良かった。
70分間ひたすらトニーウィリアムズがドラムを引っ叩きまくっている。ジョンマクラフリンの」ギターが鋭角的なフレーズを決めまくる。ラリーヤングのオルガンが唸り続ける。
とにかくひたすらアグレッシブに突き進み続けるアルバムだった。しかも何処にゴールがあるとも知れずに。
トニーウィリアムズ23歳。こんな演奏残してこの後一体どうするんだろう?かって言うくらい鬼気迫るというか後先考えないというか、なんか突入しちゃってる演奏だ。さすが神童。僅か18歳でマイルスクインテットに参加して一気にマイルズを若返らせただけの事はある。
コレは、60年代ジャズシーンの最前線にいたマイルスバンドを抜けたトニーがこの時代(1969年当時)のうねり、変動、変革の流れに身を投じて作ったジャズロックの名盤だ。
このアルバムを聴いたマイルスは、あまりにも凄いこの成果に「もう一回俺と一緒にやらないか?」と誘ったらしい。断ったトニーも偉いが、それにもひるまず強引に名盤「イン ア サイレントウェイ」でトニーを担ぎ出しているマイルスの執念も凄い。
しかし俺もいい歳かっぱらっても相変わらずこういう音には鋭く反応してしまう。初期衝動、向こう見ず、破壊的、暴走、こういった音はもう常に身体が欲しているものなのだろう。音楽の愛好家にはなれない。中毒患者だ。
●くろまるROYAL STRAIGHT FLUSH/沢田研二
とにかく沢田研二の気怠いシャウトが聴きたくて借りた。
ヒット曲満載のベストなのだが、さすがに歌謡曲界のど真ん中に食い込んだ作品群だけあってアレンジなんかは思いっきり古い。
というか沢田研二の唯一無二のヴォーカルがあまりにも時代を超えてリアルに響きすぎる所為で、相対的にアレンジやバックのオケのトーンの古さが目立ってしまっている。それほど凄い歌唱ということだ。
殆どの曲が作詞:阿久悠/作曲:大野克夫の手になる曲で、やっぱりこの二人のコンビの作品におけるジュリーの歌は凄い。特にアレンジも大野克夫が担当した曲ではさすがにそれほど古びておらず所謂「ロックな心」があった上での歌謡曲になっているのでジュリーがロックヴォーカリストとしてのびのびと歌っている。「カサブランカ・ダンディ」や「時の過ぎ行くままに」におけるちっとも暑苦しくないけど異様に気怠くやさぐれた感じの声は堪らない。
それにしても久しぶりに聴く「サムライ」や「憎みきれないろくでなし」のカッコいいこと!
●くろまるLOVE YOU LIVE/THE ROLLING STONES
ストーンズの70年代を代表するライブアルバム。これも昔テープで聴きまくったのだけれど、今聴くと全然違った聴き方が出来て面白い。
それにしてもまあルーズな演奏。ハッキリ言ってヘタクソだ。よれたりつんのめったりしていて危なっかしい。しかしそのユルユルのグルーヴが異様な説得力を産み出している。
特にブルースやR&Bのカバーばっかりやってた頃の初期のレパートリーが並んだ(アナログレコード風に言うと)C面の異様に生々しい質感と観客との一体感は素晴らしい。
このアルバムの面白さは代表的なヒット曲が殆ど収められている事だ。単にベストアルバムとして聴けるという旨味ではない。というよりもむしろオリジナルバージョンとのあまりの違いこそがこのアルバムの面白さではなかろうか。
どの曲もどの曲もそのオリジナルバージョンよりも性急なビートに駆り立てられてラフでハードな仕上がりになっている。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」なんてちゃんと歌えコラ!と言いたくなってくるほどラフだ。
コレもストーンズの重要な特徴で、レコーデイング段階でのアレンジ、特にリズムアレンジはあくまでその時点での暫定的なものであって、まあ所謂ノリ一発でやってると思われる。だからライブにおいては楽曲の再現よりも、その時点でのバンドのモード、リズムに楽曲を当てはめて新たな解釈をする。
実はコレがストーンズの長寿の秘訣ではないだろうかと思うのだ。無意識のうちに時代や状況に応じてリズムの捉え方を柔軟に変化させる事が出来ながら、それでいてノリ一発というスタンスがもたらすユルさがある種独特の一貫性をそのグルーヴにもたらしている。だから未だに「サティスファクション」や「ホンキー・トンク・ウィメン」といった60年代のナンバーが懐メロでなく現代のビートとしてバリバリに通用しているのではないだろうか。
このアルバムは1976年当時におけるストーンズが、時代のリズム、ビートに対してどう反応し、それを自らのヒット曲をリトマス紙にして独自のグルーヴを産み出していた事を生々しく示すドキュメントだ。
もう一昨日になってしまうけど新宿マーズのライブに来てくれた人々ありがとう。
若い主催者が呼んでくれたイベントとあって客層もいつもより若め。というかはっきり言って学生ノリのプンプンする初々しいイベント。
しちめんどくさい事考えずにただひたすらロックの轟音で発散したい人達が前方に集まって肩組んで踊りまくっている。少ない人数ながらも無理矢理ダイブしている。腕を上げて叫んでいる。
何だろうこの光景?メンバーもオレもあまり経験した事無い雰囲気。いつものお客さんてもっとじっくり音楽を聴いている。オレがライブに行ってもひたすらじっくり音楽を聴こうとする。それが俺にとっては常に自然なスタイルだった。
でも一度だけ我を忘れて叫んだり暴れたりしたライブがあった。それはフジロックで見た忌野清志郎だ。
その時の事を思い出したと言ったらおこがましいんだけれど、確かに気持ちいいものには身体が自然と反応してしまうもんだ。
元来ロックなんてノリのいいビートに合わせて狂ったように踊るもんだと思うから、オレらの音楽であんなに楽しんでくれたということは心から嬉しい。
ただライブ中フッと頭によぎったのは「オレがこんなに過呼吸になるくらい苦しんでるのに、何でこいつらはこんなに楽しそうなんだ?」という事。本当に苦しくて息が止まりそうだった。
実際後から映像を見たら何だか知らないけどオレは叫びまくって暴れまくっている。「オレはキチガイだ〜!」って連呼している。床に這いつくばってギターをい掻きむしっている。飛び跳ねたり頭の後ろでギターを弾いたりしている。
頭では恐ろしく冷静なんだけど、身体が勝手に反応してオレに叫ばせ暴れさせている。
やっぱりライブってお客さんあってものだな〜と思うわ。
こういうライブって一度味をしめたらやみつきになるよ。
今度の火曜日21日、高田馬場フェイズでまたワイセッツのライブやります。今度はトップバッターで18時半からの出番。一昨日とは全く場の空気が違うんだろうな〜。新しい曲もやるしどんな事になるんだろう?
でもヤミついた味は中々忘れられんものよ。遊びにきてね。
若い主催者が呼んでくれたイベントとあって客層もいつもより若め。というかはっきり言って学生ノリのプンプンする初々しいイベント。
しちめんどくさい事考えずにただひたすらロックの轟音で発散したい人達が前方に集まって肩組んで踊りまくっている。少ない人数ながらも無理矢理ダイブしている。腕を上げて叫んでいる。
何だろうこの光景?メンバーもオレもあまり経験した事無い雰囲気。いつものお客さんてもっとじっくり音楽を聴いている。オレがライブに行ってもひたすらじっくり音楽を聴こうとする。それが俺にとっては常に自然なスタイルだった。
でも一度だけ我を忘れて叫んだり暴れたりしたライブがあった。それはフジロックで見た忌野清志郎だ。
その時の事を思い出したと言ったらおこがましいんだけれど、確かに気持ちいいものには身体が自然と反応してしまうもんだ。
元来ロックなんてノリのいいビートに合わせて狂ったように踊るもんだと思うから、オレらの音楽であんなに楽しんでくれたということは心から嬉しい。
ただライブ中フッと頭によぎったのは「オレがこんなに過呼吸になるくらい苦しんでるのに、何でこいつらはこんなに楽しそうなんだ?」という事。本当に苦しくて息が止まりそうだった。
実際後から映像を見たら何だか知らないけどオレは叫びまくって暴れまくっている。「オレはキチガイだ〜!」って連呼している。床に這いつくばってギターをい掻きむしっている。飛び跳ねたり頭の後ろでギターを弾いたりしている。
頭では恐ろしく冷静なんだけど、身体が勝手に反応してオレに叫ばせ暴れさせている。
やっぱりライブってお客さんあってものだな〜と思うわ。
こういうライブって一度味をしめたらやみつきになるよ。
今度の火曜日21日、高田馬場フェイズでまたワイセッツのライブやります。今度はトップバッターで18時半からの出番。一昨日とは全く場の空気が違うんだろうな〜。新しい曲もやるしどんな事になるんだろう?
でもヤミついた味は中々忘れられんものよ。遊びにきてね。
今日は晴天だったので、気持ちよかった。発電機も先週の不調が嘘のように快調に唸りまくっていた。
そう、本日はノリマユゲとの対バンによる代々木公園路上実演即売会、予定通り行われた。
朝10時半過ぎに現地に着くと、もういきなり隣りでグランジバンドが絶叫している。早起きなグランジなんて、んな阿呆な!さすが日曜日、そのグランジバンドだけじゃなくあっちこっちで早くから轟音が鳴っている。
うちらもサウンドチェックもそこそこにまずはジャムセッションで道行く人にご挨拶。
で、いきなり本番。路上という環境からくる異様に開放的な気分に踊らされて朝からハイテンション。貪欲にお客の足止めを狙うようなハードチューンをブチかます。
どうせ騒音を出しながら道行く人の耳を汚してんだから、図々しく自分らをアピールしなきゃあね。照れてる場合じゃないわ。
滅多にやらない「またぞろ一人」を自発的にやってしまって喉を潰したりもしたが、とにかく唸ったり絶叫したり弾き倒したりして見せ物にならなきゃあ気の済まない性分なんです。好奇の目で見て欲しいのさ。
最後の「ハカマハケ」では勢い余って後ろへ転倒してアンプに頭をブチ当てるも、そのまま寝そべって青空見ながらプリンスのように腰をグラインドさせてギターを弾き倒す。フラフラになりながら第一部終了。
目下の所の新曲である「嵐のように」を常連のお客さんに「前よりも良くなってる」と言われた。嬉しい。うん、嬉しい。
ノリマユゲも好調で道行く人をいきなりその眉毛でキャッチ!痛快なロックンンロールが日曜の天気に上手くマッチする。人を食ったような振り付けも大いに受けてるわ。お客さんの一人から「映画に出てくれないか」とのオファーも受ける。いいないいな。
ワイセッツ第二部は最近ではもうやらなくなったナンバー「ワイセツは大切な合言葉」とか「カッQE」などをいきなりやってみる。ただあまりにも久しぶりだったんで歌詞の忘れや演奏の不揃いな所があってもう一歩アガらない感じ。少し落ち着いたものになるが、定番ナンバーではとにかく強引にアゲて第二部終了。
第三部はもう日も暮れかけた感じだったし、周りの爆音バンドのノイズに辟易していたので、おとなしめな感じでしめようと目論んでいた。......んだけど、ついサウンドチェックでツェッペリンの「移民の歌」をシャレでやっちまったから俺の気持ちに火がついた。もうこうなったら毒を喰らわば皿まで的な気分で最後までブッ飛ばす事を決める。
一応「赤電車」などをやってライトに聴かせはしたものの、最後の「種をまけ」と「ハカマハケ」はフルスロットル。
特に「ハカマ」は最近の練習で遊びでやって自分達で馬鹿ウケした「デスメタルバージョン」をかましちまった。メンバー各人のルーツに全くなく、むしろ馬鹿にしているデスメタルを殺人的なテンションでやるという矛盾したこのアレンジ。「デズドロイ!」とか「サクリファイス!」といったデス声が日も陰りかけた原宿の空に木霊する感動的なシチュエーションで本日のウチらのライブを終了する。ヴ嗚呼アア〜楽しかった!
後でimagine氏に撮ってもらった写真を見たらメンバーも上気した表情。普段のライブハウスでは見られないような顔があった。
やるたんびに思うのだが、路上と言うシチュエーションは好い!開放感が違う。
ウチの楽曲は決して明朗健全な内容ではなく、どちらかと言うと怒りとかネガティビティーから出発したものが多いのだが、これらは「ライブハウス」と言うある種閉鎖的な空間で限定された人々の前で披露するよりも、開放的な空間で青空に向けて不特定多数の人々に解き放つ方が向いてるのではないかという気がした。
ウチらの横で詩人と称する女の子が、自らの詩をボール紙に書いてドカーと広げていたんだけど、その詩がやたら物欲しげでネガティブ全開、おまけに書体も対してエモーショナルじゃなかった。
そして特にそれをアピールする訳でもなく、ウチらの出す騒音にイヤ〜な顔をしているだけで、ただ地味に座っているだけだった。
その子にゃ悪いがもの凄く不快だった。ただネガティブをネガティブなまま吐き出して、道行く人々の慰みの言葉を涎を垂らして待ってるみたいで、なんつうか「下品」だと思った。
「ネガティビティー」ってニルバーナに例をとるまでもなく、もの凄く高い商品性があるんだから、思いっきり開放的に自らの闇とか膿をぶちまけりゃ好いのに。何らかのパフォーマンスのしようがあろうに。
そう!オレらは思いっきり見せ物になって、好奇の目を向けられて笑わせながら、自らの情念や激情をブチまけたいのさ。どういう捉えられ方をしてもいいけど、そこに居る人に何かを残したい。「偶然その場所で演奏している事」と「偶然その場を通りがかった」ことが「必然」であったと思わせるような渾身のパフォーマンスをしたいのさ。
それをライブハウスでもちゃんと実現させたい。ウチらはまだまだだ。まだまだ行ける。
今週の金曜日、新宿マーズにてライブをやります。是非時間を作って遊びにきて下さい。ウチらの出番は21時過ぎてから。値段は二千円+ドリンク代。その日はライブだけじゃなくファッションショーやらDJ、VJやらあって翌日の昼間でやるイベントです。
まあ、渾身のライブをするしか無いわ。
そう、本日はノリマユゲとの対バンによる代々木公園路上実演即売会、予定通り行われた。
朝10時半過ぎに現地に着くと、もういきなり隣りでグランジバンドが絶叫している。早起きなグランジなんて、んな阿呆な!さすが日曜日、そのグランジバンドだけじゃなくあっちこっちで早くから轟音が鳴っている。
うちらもサウンドチェックもそこそこにまずはジャムセッションで道行く人にご挨拶。
で、いきなり本番。路上という環境からくる異様に開放的な気分に踊らされて朝からハイテンション。貪欲にお客の足止めを狙うようなハードチューンをブチかます。
どうせ騒音を出しながら道行く人の耳を汚してんだから、図々しく自分らをアピールしなきゃあね。照れてる場合じゃないわ。
滅多にやらない「またぞろ一人」を自発的にやってしまって喉を潰したりもしたが、とにかく唸ったり絶叫したり弾き倒したりして見せ物にならなきゃあ気の済まない性分なんです。好奇の目で見て欲しいのさ。
最後の「ハカマハケ」では勢い余って後ろへ転倒してアンプに頭をブチ当てるも、そのまま寝そべって青空見ながらプリンスのように腰をグラインドさせてギターを弾き倒す。フラフラになりながら第一部終了。
目下の所の新曲である「嵐のように」を常連のお客さんに「前よりも良くなってる」と言われた。嬉しい。うん、嬉しい。
ノリマユゲも好調で道行く人をいきなりその眉毛でキャッチ!痛快なロックンンロールが日曜の天気に上手くマッチする。人を食ったような振り付けも大いに受けてるわ。お客さんの一人から「映画に出てくれないか」とのオファーも受ける。いいないいな。
ワイセッツ第二部は最近ではもうやらなくなったナンバー「ワイセツは大切な合言葉」とか「カッQE」などをいきなりやってみる。ただあまりにも久しぶりだったんで歌詞の忘れや演奏の不揃いな所があってもう一歩アガらない感じ。少し落ち着いたものになるが、定番ナンバーではとにかく強引にアゲて第二部終了。
第三部はもう日も暮れかけた感じだったし、周りの爆音バンドのノイズに辟易していたので、おとなしめな感じでしめようと目論んでいた。......んだけど、ついサウンドチェックでツェッペリンの「移民の歌」をシャレでやっちまったから俺の気持ちに火がついた。もうこうなったら毒を喰らわば皿まで的な気分で最後までブッ飛ばす事を決める。
一応「赤電車」などをやってライトに聴かせはしたものの、最後の「種をまけ」と「ハカマハケ」はフルスロットル。
特に「ハカマ」は最近の練習で遊びでやって自分達で馬鹿ウケした「デスメタルバージョン」をかましちまった。メンバー各人のルーツに全くなく、むしろ馬鹿にしているデスメタルを殺人的なテンションでやるという矛盾したこのアレンジ。「デズドロイ!」とか「サクリファイス!」といったデス声が日も陰りかけた原宿の空に木霊する感動的なシチュエーションで本日のウチらのライブを終了する。ヴ嗚呼アア〜楽しかった!
後でimagine氏に撮ってもらった写真を見たらメンバーも上気した表情。普段のライブハウスでは見られないような顔があった。
やるたんびに思うのだが、路上と言うシチュエーションは好い!開放感が違う。
ウチの楽曲は決して明朗健全な内容ではなく、どちらかと言うと怒りとかネガティビティーから出発したものが多いのだが、これらは「ライブハウス」と言うある種閉鎖的な空間で限定された人々の前で披露するよりも、開放的な空間で青空に向けて不特定多数の人々に解き放つ方が向いてるのではないかという気がした。
ウチらの横で詩人と称する女の子が、自らの詩をボール紙に書いてドカーと広げていたんだけど、その詩がやたら物欲しげでネガティブ全開、おまけに書体も対してエモーショナルじゃなかった。
そして特にそれをアピールする訳でもなく、ウチらの出す騒音にイヤ〜な顔をしているだけで、ただ地味に座っているだけだった。
その子にゃ悪いがもの凄く不快だった。ただネガティブをネガティブなまま吐き出して、道行く人々の慰みの言葉を涎を垂らして待ってるみたいで、なんつうか「下品」だと思った。
「ネガティビティー」ってニルバーナに例をとるまでもなく、もの凄く高い商品性があるんだから、思いっきり開放的に自らの闇とか膿をぶちまけりゃ好いのに。何らかのパフォーマンスのしようがあろうに。
そう!オレらは思いっきり見せ物になって、好奇の目を向けられて笑わせながら、自らの情念や激情をブチまけたいのさ。どういう捉えられ方をしてもいいけど、そこに居る人に何かを残したい。「偶然その場所で演奏している事」と「偶然その場を通りがかった」ことが「必然」であったと思わせるような渾身のパフォーマンスをしたいのさ。
それをライブハウスでもちゃんと実現させたい。ウチらはまだまだだ。まだまだ行ける。
今週の金曜日、新宿マーズにてライブをやります。是非時間を作って遊びにきて下さい。ウチらの出番は21時過ぎてから。値段は二千円+ドリンク代。その日はライブだけじゃなくファッションショーやらDJ、VJやらあって翌日の昼間でやるイベントです。
まあ、渾身のライブをするしか無いわ。
昨日の天気が嘘のように今日は晴天だ。
路上ライブ日和。
発電機の機嫌が良ければ。何せ昨日雨だったしね。
代々木公園沿いの路上にてやっています。
散歩、ひなたぼっこ、恐いもの見たさ、等々理由を作って
遊びにきて下さいな。どうせタダだし。
先週のように発電機の具合が悪かったら、
ウチのドラムが華麗なドラムソロをやります。
滅多にやらないよ。
路上ライブ日和。
発電機の機嫌が良ければ。何せ昨日雨だったしね。
代々木公園沿いの路上にてやっています。
散歩、ひなたぼっこ、恐いもの見たさ、等々理由を作って
遊びにきて下さいな。どうせタダだし。
先週のように発電機の具合が悪かったら、
ウチのドラムが華麗なドラムソロをやります。
滅多にやらないよ。
6708f1cd.jpg 今日ブルーライオンのヒカルと話していて、「オススメCDない?」と言われ、なんだかんだ話してるうちにオムニバスCDを作る事になった。
俺が好きな曲を集めたコンピレーションCD。
はっきり言ってこういうの作るの大好きだ。古くは小学生の頃ビートルズのベストをテープで作ったり、ラジオでエアチェックした曲、主に60年代70年代の音源を編集したテープをシリーズ化して作ったり。中学時代高校時代はこういうオムニバスものをよく人から頼まれて嬉々として作っていた。
もう少し時代が経てくるとMD編集で、もっと雑多に極端にジャンルレスなオムニバスを作って聴く人を困惑させたり、あるいはキングクリムゾンの「21世紀の精神異常者」の長〜い間奏部分の所を、海賊盤で集めたいろんなテイクを使って繋ぎ合わせたりカットしたりして40分強の最快感バージョンを作って人から呆れられたり気味悪がられたりした。
もう少し最近になったらそういったオムニバスの究極のアイテム、「自分のラジオ番組」をさるメジャー会社にいた時にやらせてもらったりした。なんせ自分の講釈付きで曲を紹介出来るんだもん。楽しいったらありゃしねえ。
あと最近ではDJやったりとか。これはある種のライブですな。目の前でリスナーの反応が分るしね。
とにかく人に自分の趣味を強要するのが好きな人種のようだ。単に自分の楽しみのために作るのもいいけれど、自分が感動したものを他人と共に分かち合いたいという欲求がもの凄く強い。
こういう所でたまに長文のしちめんどくさい論文を書いてしまうのも同じような動機によるものだ。
そして自分にとってその欲求の最も能動的な行為が、曲を作り人前で歌い演奏する事だ。
要するに自分の人生の「よていをくるわされた」くらい感動した事を、今度は自分のフィルターを通し、さも自分が発明したかのような顔で他人に「似たような質」(同じ質ではない)の感動を伝えたいのだ。
「伝統の継承」という言葉があるが、伝統をそのままの「型」や「所作」で後世に伝えるのが古典芸能ならば、それぞれの世代の人間のフィルターを通して「時代を反映する精神」を伝えて行くのがロックやポップスの役目だと思っている。
俺は古典芸能、歌舞伎や能とかには全然明るくないので、それら「型」や「所作」の持ってる精神性の深さは分らない。ただそれらも元々は大衆芸能だったので、いろんな試行錯誤や変化、進化があって今の形に落ち着いたんであろうと思う。
だから音楽もどんどん変化していかなければならないと思っている。
特にロックとかポップスとか「水もの」なもんは「変化」とか「破壊」とか「否定」とかが無いとすぐ動脈硬化が起きてしまう。
だから趣味丸出しの音楽をやる気は無い。やってるこっちが気持ちよくなごんでるだけで他者に何も伝わらないような音楽は俺にとっては時間の浪費だ。(よくライブハウスでお客として行った時に怖い顔してると言われる。仕方ねえだろ、つまんねえんだもん)
俺だってビートルズみたいな曲がかけてジミヘンみたいにギターが弾けてスティービーワンダーみたいに歌えりゃ最高だ。
でも本当に必要なのはそれらの要素が混ざり合った事によって産まれる「新たな質の感動」だ。それが勘違いであっても構わない。
「新しいものは全て過去の中に眠っている」という誰かの有名な言葉にあるように、純粋に新しいもの、この世に存在しなかったものを人間が創り出す事は不可能だ。
全て過去にあったものを手変え品変えしたり、異質なものと組み合わせたりしてきて無理矢理新しいものと思いこませようとしてきた人間の生々しい所行の結果に、それまで人間の気付かなかった新たな感動のツボを顕在化させたり、時代の空気を敏感に反映するようなものが産まれてきたんだと思う。
だから、ミクスチャー、野合、思い込み、勘違い、不条理、ダダイズム等は絶対音楽(に限った事ではないが)には必要だ。
形にならないうちは単なるノイズ、ゴミみたいなもんだがその試行錯誤や思想が無ければ先に進まない。
俺はそういうモガキの痕がみられる音楽、ストレス高そうな音楽、居心地悪そうな音楽、摩擦のノイズに突き動かされてきたし癒されもした。
うん、そういう音楽をヒカルに教えてあげよう。そうしよう。ラジオで流れたりBGMとしてかかったりしたら「なんて気持ちの悪い流れなんだろう」って思うような過剰で無茶苦茶な選曲によるミクスチャーなブツを。
いや、あるいは妙に気持ちいい流れだけれど気付いたらとんでもない毒を盛られてたというような、ショパン聴いてたらいつの間にかネイキッドシティの「拷問天国」に行ってたような、「素知らぬ振りして中出し」みたいなCDでもいいかな。
ていうか早く曲作れだよな。はい、今作ってます。バンド皆でよってたかって手篭めにしております。
そう、先の話だけど12月20日に、またうちらのイベントをやるんだよ。で、そこではそういった野合、強姦の果てに磨かれた新曲を幾つかやります。もう詳細は決まったんで書いてしまおうか。
「第四回 あんたのよていをくるわせたい 年末」(仮)
え〜場所はお馴染み渋谷屋根裏。で、今回はスリーマンです。出演バンドは件のヒカル率いる「ブルーライオン」(最多出場)、示し合わせた訳ではないのにこのシブヤネや地方のライブハウスで何度も対バンして数奇な縁を感じさせるロックンロールバンド「ケセラスパンキーローズ」、そしてワイセッツ。
今回はスリーマンてこともあって先の2バンドは45分、ウチらに至っては1時間というじっくり腰を据えて観る事の出来るタイムテーブルになっております。
のでこのイベントのために今から「よていをくるわせて」おいて下さい。
ま、その前に今度の日曜日、発電機の機嫌が良ければ路上ライブがあり、来週金曜日17日には新宿マーズ、再来週火曜日21日には高田馬場フェイズにてライブやります。良かったら来てね。
結局最後は告知になってしまうのか......。
俺が好きな曲を集めたコンピレーションCD。
はっきり言ってこういうの作るの大好きだ。古くは小学生の頃ビートルズのベストをテープで作ったり、ラジオでエアチェックした曲、主に60年代70年代の音源を編集したテープをシリーズ化して作ったり。中学時代高校時代はこういうオムニバスものをよく人から頼まれて嬉々として作っていた。
もう少し時代が経てくるとMD編集で、もっと雑多に極端にジャンルレスなオムニバスを作って聴く人を困惑させたり、あるいはキングクリムゾンの「21世紀の精神異常者」の長〜い間奏部分の所を、海賊盤で集めたいろんなテイクを使って繋ぎ合わせたりカットしたりして40分強の最快感バージョンを作って人から呆れられたり気味悪がられたりした。
もう少し最近になったらそういったオムニバスの究極のアイテム、「自分のラジオ番組」をさるメジャー会社にいた時にやらせてもらったりした。なんせ自分の講釈付きで曲を紹介出来るんだもん。楽しいったらありゃしねえ。
あと最近ではDJやったりとか。これはある種のライブですな。目の前でリスナーの反応が分るしね。
とにかく人に自分の趣味を強要するのが好きな人種のようだ。単に自分の楽しみのために作るのもいいけれど、自分が感動したものを他人と共に分かち合いたいという欲求がもの凄く強い。
こういう所でたまに長文のしちめんどくさい論文を書いてしまうのも同じような動機によるものだ。
そして自分にとってその欲求の最も能動的な行為が、曲を作り人前で歌い演奏する事だ。
要するに自分の人生の「よていをくるわされた」くらい感動した事を、今度は自分のフィルターを通し、さも自分が発明したかのような顔で他人に「似たような質」(同じ質ではない)の感動を伝えたいのだ。
「伝統の継承」という言葉があるが、伝統をそのままの「型」や「所作」で後世に伝えるのが古典芸能ならば、それぞれの世代の人間のフィルターを通して「時代を反映する精神」を伝えて行くのがロックやポップスの役目だと思っている。
俺は古典芸能、歌舞伎や能とかには全然明るくないので、それら「型」や「所作」の持ってる精神性の深さは分らない。ただそれらも元々は大衆芸能だったので、いろんな試行錯誤や変化、進化があって今の形に落ち着いたんであろうと思う。
だから音楽もどんどん変化していかなければならないと思っている。
特にロックとかポップスとか「水もの」なもんは「変化」とか「破壊」とか「否定」とかが無いとすぐ動脈硬化が起きてしまう。
だから趣味丸出しの音楽をやる気は無い。やってるこっちが気持ちよくなごんでるだけで他者に何も伝わらないような音楽は俺にとっては時間の浪費だ。(よくライブハウスでお客として行った時に怖い顔してると言われる。仕方ねえだろ、つまんねえんだもん)
俺だってビートルズみたいな曲がかけてジミヘンみたいにギターが弾けてスティービーワンダーみたいに歌えりゃ最高だ。
でも本当に必要なのはそれらの要素が混ざり合った事によって産まれる「新たな質の感動」だ。それが勘違いであっても構わない。
「新しいものは全て過去の中に眠っている」という誰かの有名な言葉にあるように、純粋に新しいもの、この世に存在しなかったものを人間が創り出す事は不可能だ。
全て過去にあったものを手変え品変えしたり、異質なものと組み合わせたりしてきて無理矢理新しいものと思いこませようとしてきた人間の生々しい所行の結果に、それまで人間の気付かなかった新たな感動のツボを顕在化させたり、時代の空気を敏感に反映するようなものが産まれてきたんだと思う。
だから、ミクスチャー、野合、思い込み、勘違い、不条理、ダダイズム等は絶対音楽(に限った事ではないが)には必要だ。
形にならないうちは単なるノイズ、ゴミみたいなもんだがその試行錯誤や思想が無ければ先に進まない。
俺はそういうモガキの痕がみられる音楽、ストレス高そうな音楽、居心地悪そうな音楽、摩擦のノイズに突き動かされてきたし癒されもした。
うん、そういう音楽をヒカルに教えてあげよう。そうしよう。ラジオで流れたりBGMとしてかかったりしたら「なんて気持ちの悪い流れなんだろう」って思うような過剰で無茶苦茶な選曲によるミクスチャーなブツを。
いや、あるいは妙に気持ちいい流れだけれど気付いたらとんでもない毒を盛られてたというような、ショパン聴いてたらいつの間にかネイキッドシティの「拷問天国」に行ってたような、「素知らぬ振りして中出し」みたいなCDでもいいかな。
ていうか早く曲作れだよな。はい、今作ってます。バンド皆でよってたかって手篭めにしております。
そう、先の話だけど12月20日に、またうちらのイベントをやるんだよ。で、そこではそういった野合、強姦の果てに磨かれた新曲を幾つかやります。もう詳細は決まったんで書いてしまおうか。
「第四回 あんたのよていをくるわせたい 年末」(仮)
え〜場所はお馴染み渋谷屋根裏。で、今回はスリーマンです。出演バンドは件のヒカル率いる「ブルーライオン」(最多出場)、示し合わせた訳ではないのにこのシブヤネや地方のライブハウスで何度も対バンして数奇な縁を感じさせるロックンロールバンド「ケセラスパンキーローズ」、そしてワイセッツ。
今回はスリーマンてこともあって先の2バンドは45分、ウチらに至っては1時間というじっくり腰を据えて観る事の出来るタイムテーブルになっております。
のでこのイベントのために今から「よていをくるわせて」おいて下さい。
ま、その前に今度の日曜日、発電機の機嫌が良ければ路上ライブがあり、来週金曜日17日には新宿マーズ、再来週火曜日21日には高田馬場フェイズにてライブやります。良かったら来てね。
結局最後は告知になってしまうのか......。